ライブレポート〜斑尾Jazz Festivalの巻
ちょっとだけカタい前置き

7月31日(木)、7時間かけて、長野県は飯山市にある斑尾高原に到着した。例年になく仕事でバタバタしていたにもかかわらず、それを無理に振り切ってまで(←ちゃんと仕事は消化していきましたのでご心配なく・笑)遠征したのには、私なりのれっきとした理由があった。今年で19回目を迎える『ニューポート・ジャズ・フェスティバル・イン・斑尾』に、わがアイドル(!?)キャンディ・ダルファーが出演するというのだ。


これを見逃すなんて、アタシのオランダ語が泣くってもんやろ!!


昨年末、大阪ブルーノートでゴキゲンな親子ライブをブチかましたハンス&キャンディ・ダルファー(←詳細はライブレポートをご覧下さい) 世界を相手に活躍する彼らにとって英語は不可欠な存在ではあるが、やはり内輪で話す時は母国語(オランダ語)なのである。そんな二人がライブの合間にオランダ語で会話しているのを聞いた瞬間、私は無謀にも決心した。


アタシ、次にこの人達と会った時はオランダ語喋ったる!!!!!


私のオランダ語学習は、そんなつまんない(と言っちゃ彼らに失礼か)出来事がキッカケだったのだ。「他にもっとメジャーな言語がたくさんあるだろーが。なんでオランダ語よ?」と、知人から驚かれた事、数知れず。理由を話す度に「なーんや、ミーハーなオマエらしい理由やな」と、呆れ笑いされた事もまた、数知れず。


医学がかつて「蘭学」と呼ばれていた数百年前、オランダは、日本が国交を許した唯一の国だった。それなのに、だ。悲しいかな、今やオランダ語は「移住や留学などの理由持ち、もしくは語学オタクしか学習しない言語」という身分にまで成り下がってしまった。


前野良沢や杉田玄白の偉業を思い出せ、日本人よ!!


....なーんてエラそうな事、アタシも言えないんだけどね(苦笑)


とにかく、動機は極めて不純ながら細々と独学を続け、とりあえず手持ちのテキストを一冊仕上げた私。オランダ語の大まかな構造と、ごく簡単な表現を身につけた私は、「キャンディさんに通じたらいいな〜」という夢のような目標、そして、使い古してボロボロになった教材とオランダ語辞典を持って斑尾へ乗り込んだ。


今回、同行者のBさんと共に宿泊したのは、ペンション「フォーシーズンズ」 これまた予想以上にステキなペンションだった。木材の独特な匂い(私はこの匂いが好きだ)、ペンションのオーナーであるMさんの奥様が作ってくださる美味しい食事、そしてMさんご一家の暖かいおもてなし。ホント、どうお礼を言っていいやら。


「キャンディは、オレの事が好きなんだよ。前夜祭の時、オレに擦り寄ってきたからなあ」


そう言いながらフェスティバルの前夜祭に参加なさった時の出来事を、撮影したデジカメ画像と共に披露してくださった(笑)Mさんは、Amanda父とわずか一つ違い。うーむ、改めてうちのオヤジのパワー不足をひしひしと感じてしまった....。


斑尾ジャズ初体験の私とBさんに、いわゆる「斑尾ジャズ攻略法」を伝授してくださったのは、同じペンションに宿泊されていたFさんだった。斑尾ジャズを何度も観に来られているようで、「いい席を取るなら○時ぐらいに行くといい」「食料と水分は、現地入りする前に調達するべし」など、非常にためになる事項をご教授いただいた。また、Fさんが「斑尾ジャズで知り合った」というご友人のSさん御一家にも大変お世話になった。私とBさんが快適な斑尾ジャズライフを送れたのも、ひとえにFさん、そしてSさん御一家のおかげと言っても決して過言ではない。


この場を借りて、皆サマに改めてお礼を申し上げたいと思います。
本当にありがとうございました。また是非お会いしたいですね♪


festivalの会場になった斑尾高原スキー場
ところで、この『ニューポート・ジャズ・フェスティバル・イン・斑尾』というのは、世界的にも非常にユニークなジャズ・フェスティバルなのだそうだ。

本家本元『ニューポート・ジャズ・フェスティバル』の歴史は、1954年のアメリカにまで遡る。ロード・アイランド州の港町で始まったこの音楽の祭典は、次第に多くのジャズ・ファンの知るところとなった。後の1972年からは開催地をニューヨークに移し、『JVCジャズ・フェスティバル・ニューヨーク』という名前で現在もなお親しまれている。


その盛大なジャズ・フェスティバルを日本でも実現させてみよう、と思い立ったのが、斑尾の有志たち。「冬の斑尾がスキーなら、夏の斑尾はジャズだ!!」という彼らの熱い思いが、今日の『ニューポート・ジャズ・フェスティバル・イン・斑尾』として実現したというワケである。’95年から’97年の間、阪神淡路大震災の影響で開催が中断されていたが、ここ数年は順調に開催されており、世界から有名なアーティスト達が、その参加リストに名を連ねている。
(以上は、フェスティバルの本年分パンフレットを参考にさせていただきました)


冒頭で既にご紹介したキャンディ・ダルファーの他、今年の参加アーティストは、'98年のグラミー賞受賞ボーカリストであるディーディー・ブリッジウォーター、斑尾ジャズの最多出場記録(今年で10回目)を誇るトランペッターのジョン・ファディス、改めて私にテナー転向の決意を固くさせた(笑)テナーサックス・プレイヤーのダヴィッド・サンチェスなど、素晴らしいアーティストばかり。日本からはフライド・プライド、小沼ようすけ、urb(アーブ)の三組が参加し、若さとパワー溢れる演奏を披露した。


昼の部の『ジャズ・ピクニック』では、各アーティストのライブが50分ずつ組まれており、観客は思い思いのスタイルで音楽のシャワーを浴びる事ができる。芝生に寝転がってビール片手に聞くも良し、歌って踊り狂うも良し、バーベキューの煙を上げながら聞くも良し、なのである。これが野外音楽イベントのいい所かな。


Fried PrideのShihoさん今回、私にとって印象深かったアーティストは、ギターの「横ちゃん」こと横田明紀男とボーカルShihoのユニット、フライド・プライド。スタンダード・ジャズからハードロックまで、様々なジャンルの楽曲を独特のアレンジでカバーしている。


横ちゃんのギターももちろん素晴らしいけど、パンチの効いたShihoさんの迫力あるボーカルは圧巻!! スキャットもスゴイし、バラードも完璧に歌いこなすというマルチなお方。ディープ・パープルの『Smoke on the Water』で魅了され、ビートルズの『Yesterday』で思わず泣いてしまったぐらい良かったです。


また、ちょっと異色を放っていたのが、つい最近ニューヨークで注目を集め始めた「ザ・バッド・プラス」というグループ。ピアノ、ドラム、ウッドベースの3人編成で、「史上最轟音(the loudest)のピアノトリオ」という触れ込みのとおり、かなり独特な音楽観を持った人達だった。正直言って、最初は

「う〜〜〜ん......ちょっと壊れてる?」

と思っちゃったぐらいのスゴさ(いろんな意味で破天荒と言ってもいいかもしれない・苦笑)だったが、これが聞くたびにクセになると言うか、だんだん彼らの独特な世界に引き込まれていく。このグループで注目したいのは、ドラマーのデビッド・キング。赤ちゃんの鈴つきオモチャをパーカッションとして使ったり、CDでシンバルをこすってみたり、とにかく音の出し方が個性的。しかもこれが曲に面白いほどマッチするのだ。こういった音に対する先入観なしのスタイルが、彼ら独自の音楽観を創り上げているのかもしれない。


夜の部の『ナイト・セッション』では、アーティスト達が、斑尾ジャズ限定の即席ユニットを組んでステージを盛り上げる。二日目の晩は、各グループのギタリストだけが集まり、『ギター・スケッチ』と題したギター5本によるアンサンブルが繰り広げられた。普段ならまず実現しないだろうという組み合わせに面白味があり、これもまた、斑尾ジャズならではの「お楽しみ」の一つと言える。


前置きが随分と長くなってしまったが、ここからは私の個人的な体験談である。無理やり頭に詰め込んだ
「Amanda流・怪オランダ語(笑)」が一体どのように使われたのか、乞うご期待!!