人間が死ぬ時
その体は21グラムだけ軽くなるらしい
角砂糖8個分に相当する重さ
それがなくなるという事は
一体何を意味しているのか









ある交通事故が全ての始まりだった。事故を起こしてしまったジャック、その事故で、夫と二人の娘を亡くしてしまったクリスティーナ、そして、重い病気を患い、心臓移植を待つポール。クリスティーナの夫の心臓がポールに移植された瞬間から、3人の人生の歯車は、思いもよらないかみ合わせで回り始めた。

21グラムというそのわずかな重みが、彼らにどういった人生を歩ませるのか。生死は何を意味するのか。繊細な人が見ると、向こう3日間は確実にヘコみモードへと突き落とされる(笑)シリアス作品である。








<時間の絡み合い>

この映画は、始めから最後までが必ずしも時間の経過どおりには並んでいない。よくあるフラッシュバックではなく、かと言って『メメント』のように「わかんねーんだよ!!」と発狂したくなるほど難解なものではない。時系列でストーリーを追っていく中、ところどころに突然「あれ、これっていつのハナシ?」というシーンが挿入されるといった、ちょっと不思議な時間軸ワールドなのである。

元:凶悪犯、現在:信仰深いキリスト教徒、のジャック(ベニシオ・デル・トロ)例えてみれば「昨日さー、友達と買い物へ行ったの。まずカバンを買って、その後に服を買って、帽子を買ってからお茶したの....ちょっと待って、服を買ったのは帽子を買った後だったわ」みたいな、ちょこちょこと時系列にきっちりハマらないシーンが混ざりこむようなカンジである。これが一体何を表現していたのか、正直言って今でも解釈に苦しんでいる。誰か「あたしはこんな解釈をした」という方がいらっしゃれば、ぜひお教え願いたい。

しかしながら、この「時間のネジれ」があったおかげで、オープニングシーンはアタシにとって、とても印象的だった。あーゆーの、結構好みだなあ。







<オスカー・パワーのメインキャスト>

この映画でジャックを演じたベニシオ・デル・トロ、そしてクリスティーナを演じたナオミ・ワッツは、今年度アカデミー賞でそれぞれ助演男優賞、主演女優賞にノミネート。また、ポール役のショーン・ペンは、今年度アカデミー賞において、『ミスティック・リバー』で主演男優賞を受賞した。主要キャストが3名揃って今年度のオスカーレースに参戦したというのも、この映画の魅力の一つ。各俳優達が見せるオスカー級のキレっぷり(笑)が、この映画に比類ない緊張感と悲愴感を生み出している。

特に注目したいのはデル・トロの演技。あのイカついルックスは元凶悪犯にうってつけ!! まさにデル・トロのためにあるような役ではないかと思う。「俺はキリストを信じたのに、ヤツは俺を裏切った」と、刑務所で静かに悪態をつくシーンは圧巻である。

また、『マルホランド・ドライブ』時代と比べれば、ナオミ・ワッツも随分と演技がうまくなったように見受けられる。アタシが言うのもなんだが、まだ無名に近い時代に準主役で出演していた『ダウン』での演技はかなり「???」だったぞ(苦笑)

酒とヤクの日々、クリスティーナ(ナオミ・ワッツ)ポールが全てを告白した時のワッツの演技には、切なさが痛いほどよく表れていた。ポールの胸を切り裂けば、今は亡き夫のハートがそこにある、という事実に対する動揺。たとえ肉体は違っても、ハートは夫。そのハートに抱かれたいという複雑な心の揺れ。表現しがたいほど捻じ曲がった奇妙な幸福感と、もうどうにでもなれという絶望感。いつの間に、ワッツはこんな難しい表現ができるようになったのだろう?ハッキリ言ってビックリ、のひとことに尽きる。その勢いで親友ニコール・キッドマンにどんどん迫れ迫れ。Go, Girl!!!









<そして「21グラム」の定義>

「人は死ぬと21グラム軽くなる」という学説が生まれたきっかけは、1907年にまでさかのぼる。アメリカ・マサチューセッツ州のダンカン・マクドゥーガルというドクターが実際に実験を行った結果なのだそうだ。死の瞬間の体重変化を調べてみると、死体の重さは平均21.3グラム軽くなったという。この実験結果からドクターは「それは魂の重みである」と説いたとか。結局、この実験は信憑性が薄いという理由で、現在、正当な説としては認められていないらしい。

個人的には、この「21グラムは魂の重みである」という説はなかなか興味深い。決して目にする事のできない、たった21グラムの魂。しかし、かえってその魂が目に見えないからこそ、人間は生死について直面し、乗り越えていく事ができるのではないか。もし魂が見えるものであるならば、愛する人の魂が肉体から抜け出す死の瞬間など、到底見れたものではない。

神のいたずらなのか、はたまた単なる偶然か、クリスティーナの夫の肉体を司っていた魂は、移植用の心臓という形に姿を変え、この映画に登場する人物達の前に姿を現す。その結果、彼らはそれぞれの運命を大きく狂わせていく。おそらくポール達は、普通なら見えるはずのない魂を(心臓という形ではあるが)目にしてしまったために、非情な苦しみを味わう事になってしまったのではないかと思う。

吐き気にも耐えてひたすら奔走、ポール(ショーン・ペン)それほど大きく重い魂を、自らの手でどうこうする事など、おそらく不可能なのだろう。
ここからはネタバレエリアです。ご自身の責任の下でお読みください。→ 数々の犯罪を重ね、事故を起こしても自分だけが生き残り、それを苦にした自殺にも失敗してしまうジャック。夫と娘達が死んでも、一人で生きていかなればならないクリスティーナ。心臓移植によって第二の人生を生きるチャンスを与えられたが、それによってクリスティーナを苦しめる事になってしまったのを苦に自殺を図り、結局は生き長らえてしまうポール。死にたいほどの絶望感に押しつぶされそうになっても、彼らは絶対に死ぬ事が許されない。←ここまでネタバレエリアです。おそらくそこが、21グラムの魂が持つ因縁とも言うべき威力なのではないかと思う。


見終わった後、21グラムの正体を想像してみた。あーでもないこーでもないと考えているうち、次の日に、ふと答えが頭に浮かんだ。


死ぬ瞬間、人はきっと感じるのだろう
愛する人とめぐりあった事への感謝と同時に、
その人たちを残して去っていく、切なさと辛さ
幸せな人生だったと満足する裏で、
やり遂げられなかった事への悔しさ
それがつい、口からもれてしまうのかもしれない


アタシがたどり着いた答え、それは「ため息」だった。