[4.その名は「H」]

 

 これは、あるモンスターの物語・・・(2)

 

 

 「彼」は一人でいることが多かった。一人のときの彼はたいてい、本を観ていた。

 熱心に読書をしていると考えた母親は、色々な本を買い与えたが、彼が好んで観るのは、

百科事典などの、一般的には読みふけることがないようなものだった。そして、本来読ませたい

児童向けの小説や文芸作品などを与えても、彼は見向きもしなかった。

 なぜなのか?

 母親はそれと気づくことはなかったが、その理由は、彼にとって本が「観るもの」であって、

「読むもの」ではなかったことにある。彼は日本語を読みたいのではなく、数字や記号を観たい

のだった。

 彼にとっての日本語は、数字や記号の意味を理解するために存在していた。

 

 小学校でも、彼は一人でいることが多かった、というより、ほとんどの時間を一人で過ごした。

 教師はその様子を観ると、彼を集団の仲間に入れようとして様々な努力をした。その努力は、

その時はうまくいっているように見えるのだが、しばらくするとやはり彼だけが取り残されている

ように見えるのだった。しかもよく見ると彼自身は何ら淋しそうな顔をしていなかった。教師は

その理由がわからずに首をひねった。

 実は、彼にとって、世界は自分とそれ以外のものに色分けされていていた。そして、自分以外の

ものに対して、彼はそれが自分の邪魔にならない限り無視し、邪魔になる場合には排除した。

 これは、彼にとってはやむを得ない選択だった。彼には他人が何を考えているかがまるで想像できない

のだから。

 普通の子どもであれば、他人の考えが理解できなくても、自分とだいたい同様であると考えて対応する

だろうし、通常それでうまくいく。だが、彼の場合、他人と考えが「異なる」ことを十分に承知していた。

彼の立場からは普通の子どもが使う手段が無効なのだ。(これは普通の子どもが「彼」に接する場合も同様

であり、普通の子どもの側も、彼の考えていることが「想像すらできない」。)

 彼の頭の中に「仲間」や「友達」という概念は存在していなかった。あるのは「自分」と「それ

以外」だけだったのである。

 

 このような彼だったが、学業成績はきわめて優秀だった。その秘密は、卓越した記憶力にあった。

 彼は百科事典の数字や記号をほとんどそのままの形で記憶していた。意味が分からなくても、それ

をその形のまま凍結しておき、日本語の意味が理解できたときにそれを解凍して理解することができた。

イディオ・サヴァン症候群の者ほどではないものの、記憶の実態はそれに酷似するものだった。

 だが、一つの事件が起きる。

 

 ある日の授業は、ある小説の読書感想文を書くものであった。だが、彼はこれを書くことができな

かった。彼には小説の感想など存在しなかったからだ。

<何を書けばいいのだ?>

「感想が無い」と書いてはいけないことを彼は理解していた。仕方なく彼は、本当は考えてもいないことを

自分の頭の中の辞典から引っ張り出して書いたが、それが偽りであることをよく知っていた。

 なぜ感想が無いのか?・・

 それは、小説の登場人物が「それ以外」に属しているため、彼にとって無視する対象だったからだ。

(これはあえて無視しているというより、そもそも想像できないというのが妥当である)

 彼の精神世界は4歳のときの事件により、ほぼ粉砕されていた。彼はそれをある種の「知性」で埋め

合わせたのだが、それは少なくともいわゆる普通の「心」とは異なるものだった。

 

 彼は「心」を持たぬ怪物だったのだ。

 怪物の名は・・「H」・・

 

 

5.につづく

 

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