[6.心なき者]
これは、あるモンスターの物語・・・(4)
「H」が小学生のころ、一家は福岡市内の団地に住んでいた。
通学路からは団地全域に水を供給する貯水槽が見えていた。
それを見ながら彼はこう考えていた。
<あそこに毒物とか放射性物質を投げ込んだら、ここにいる人たちを何人殺せるかな>
普通の子どもならまず考えもしないことだろうし、たまに考えることがあったにしても、
良心の呵責に耐えかねてこれ以上考えることはしないだろう。
しかし、彼には良心の呵責など全然なかった。元々「心」を持っていない者に、良心など
当然存在しなかった。彼がそれを実行しなかったのは、単に実行能力がなかったのと、機会
に恵まれなかったためである。
この頃、彼の行動規範には若干の変化があった。
これまでは自分に干渉しようとするものについては「即座に排除」しようとしていた。しか
し、実際問題として即座に排除できるわけではない。そのため「利用できるうちは利用して、
利用価値がなくなれば排除」するように変わっていた。これには将棋を覚えて戦略的思考が
身についたことも影響しているだろう。
彼にとっては母親もまた「利用対象」にすぎなかった。
小学校の最終学年となったある日、珍しく「道徳の時間」なるものが開かれた。そして、教師
はそこで次のような課題を出して考えさせた。
「どうして人は人を殺してはいけないのかを考え、文章にして提出するように」
彼はまず模範解答から考えたが、彼にとって納得がいく模範解答が見いだせなかった。そこで
こう書いて提出した。
「法律で死刑になる可能性があるからそうしているにすぎない。本当は誰もそう思っていない。
その証拠に死刑も戦争もなくなっていない」
彼としてはごく穏健な意見のつもりだった。だが、教師の間ではそう思わない者が多数派だった。
数日後、彼は教師から呼び出しを受け、詰問された。
「これは君の本心ですか?」「当然です」
彼には心が無いので、厳密には本心というのはおかしいが、まあこう答えるところだろう。
「人の命はかけがえのないものだと思いませんか?」
教師としては普通の主張だろう。しかし、彼には受け入れられるものではなかった。
「あの・・どうしてそう思うのですか?」
「え?・・」
教師の側ではあまりにも自明なことだったため、まさか反論されるとは思っていなかった。
「人はいつか死ぬものです。短かろうと長かろうと有限であることに変わりはありませんよ。
無限にあるのならかけがえのないものと言えるでしょうけど」
このとき教師には、彼がせせら笑っているように見えた。
「殺された子どもがどう思うか考えたことがあるのですか!」
怒りの発現というべきだが、これこそ彼の思うツボだった。
「殺された人間に感情なんてありませんけど」
「・・・」
あまりにも当たり前すぎて反論できない。
「それに、あったとしても喜んでいると思いますよ」
「なんですって?」
「予定より早めに天国に行けるわけだから」
「親の悲しみを考えたことはないのですか」
「それは親が天国について無知であるか、子どもを自分の持ち物と思い込んでいるエゴイストで
あるかのどちらかでしょう」
「・・・」
これほど不条理な話はないはずなのだが、このとき、教師は彼の意見に反論できなかった。そして、
思わず捨て台詞を吐いた。
「あなたは人間じゃないわね」
いわゆる「普通の」子供であれば、恐らくこの言葉に対して、彼とは異なる解釈をするだろう。
だが、彼は、言葉や文章を「そのままの意味で理解する」という解釈をした。
彼にとってはそれが普通のことだった。そして彼は答えた。「相手は自分を人間ではないと判断して
いる」と解釈して。
「じゃあ、モンスターということでしょうか」
「・・・」
教師はしばらく無言だった。あまりにも異様な展開になったせいか、パニックになっていた。
「用がお済のようなので失礼いたします」
彼はわざとらしく礼をして去って行った。排除する相手にわざとらしく礼儀正しくしてみせるのは、
彼の習性(=癖)だった。
それは教師にとっては非常に重要なことだったのかもしれない。しかし、彼にとってはとるに足ら
ないことだった。