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※このページは不定期更新で、管理者自身が創作意欲のわくような記事が出次第、更新していきます。 また、何かこのコーナーで書いてほしい記事がありましたら、a-ki_hi-ro@xqh.biglobe.ne.jpまでメールしていただくか、本ホームページの「意見箱」「掲示板」のどちらかにリクエストしていただけるとうれしいです。なるべくご希望に沿うようにいたします。(内容に関しては管理者の文章能力にあった内容とさせていただきます)m(_ _)m |
2002.5.31に韓国でワールドカップが始まった。 今回のワールドカップでは、個人的に開催国の日本と韓国、そして私の地元・静岡県藤枝市で
キャンプを行ったセネガルを応援していた。その甲斐あってか?3チームとも ベスト16に進出することができて、個人的には満足だった。
もちろん、世界の一流のプレーには目を見張るものがあった。当たり前の話かもしれないけど、 日本代表との差を感じたのは、私だけではないはず・・・。
しかしその一方で、ポルトガル、フランスといった優勝候補が相次いで予選落ちという 波乱が起きたのも、今大会の特徴といえるだろう。 一時は、「まあ、これがワールドカップの魔力」と思っていたが、やっぱり、 最後は、ブラジルとドイツという、伝統のある、残るべきところが残った。さすがである。
さて、そのワールドカップが終わってサッカー界にとってはこれからが正念場だと思う。 このワールドカップで、「日本が世界の中でどういう位置にいるのか」「4年後のドイツ大会までに 何をすべきなのか」がわかってきたはずだから、それをいかせるかがこれからの課題になる。 それと、ファンとしては、今大会でにわかファンも含め、サッカーを見る機会が出来た人が 多くなったのは言うまでもない。そして、「その感動を今度はJリーグに!」という流れになるのは当然の 成り行きだろう。そして、私自身もそうなって欲しいと願っている。もちろん、そうなれば必ずJリーグの復興、日本のサッカーの発展 になることは間違いなし!だと思う。
しかし、それとは逆にワールドカップで世界の一流のプレーを見ただけに、Jリーグ離れしてしまう可能性も、秘めているのもまた事実である。そういうファンをあきさせないプレーを、ワールドカップだけで終わらせるのではなく、Jリーグなどの国内での試合でも魅せてほしい。
あと、今回のワールドカップでは韓国の勝利に対する執念みたいなものを感じた。 今回をいい機会にして、日本と韓国が競い合ってアジアのサッカーのレベルを上げて世界に 一歩でも近づけていって欲しい。
昨日(7月20日)、ついに東海地方で梅雨明け宣言が出てこれから夏本番って感じである。 夏といえば、いまや夏の風物詩としては欠かせない高校野球の季節でもある。
今年は、ワールドカップがあった関係で、1月からサッカー一色に染まっていたが、サッカーも面白いけど、やっぱり野球が一番である。
実は、私が野球を見出したのは、(はっきりとは覚えていないが)母親が、まだ幼稚園くらいの私に、高校野球を見せたのが最初と聞いている。その時は、もちろん、まだルールなどわからなかったのでいろいろ聞いていったらしい。そして、それからプロ野球を見るようになっていった。もちろん、その時はまさかジャイアンツのファン
サイトを作るようになるとは自分でも予想がつかなかっただろう。(笑)
当然の話だけど、少し前までは、高校野球といえば年上のお兄さんたちが汗水たらして、やっているというイメージだったたが、今では、自分たちの後輩がやっているのを見ているのが現実だから、私も年をとったなぁと思うものである。(笑)
もちろん、自分の母校が勝ってくれればいいのだが・・・。
毎年思うことだが、高校野球は勝つためにみんな最後まであきらめないプレーがとても魅力的に目に映る。そして、土壇場で大逆転なんていうことも不思議ではない。だから、見ている高校野球ファンもゲームセットになるまで、飽きずに熱中してしまうのだと思う。そして、それが野球の、いや、物事をやりぬく上での原点なのだ と感じる。
今年も、また暑い季節がやってきた。そして、毎年高校野球から、何か自分に得られるものがあるような気がする。
ついでに、少し前に17歳(つまり高校生くらいの年頃の人々)が問題になったけど、そういう17歳はほんの一部で全員がそういう人ではないということが高校野球を通じて、全国の人に言っておきたい。
(2002.7.21)
初めて、政治に関係する話である。
突然だが、私は、NTTドコモの携帯電話を使っている。よって、(今はアドレス変えて来てないが)一時期、当然のように迷惑メールが一日20件近く(多い時はそれ以上)きて、文字通り大変迷惑している。もちろん、このような経験は誰にでもあるはずだが・・・。そして、今は”ワン切り”にその矛先は変わっているようにも見える。個人的には、いわゆる”非通知”の電話がくるとなるべく電話に出ないようにしている。
そして、このことを、某県知事のおかげで、国会で問題となり、迷惑メール業者を摘発・国民のプライバシーの保護を目的とした法案が成立しようとしている。いわゆる、「個人情報保護法案」である。
それとは別に、国は、各地方自治体で国民のデータをひとつの番号コードにまとめて管理し、それをネットで管理する「住民基本台帳ネットワーク<住基ネット>」という制度まで、出来てしまった。
この制度に関しては、ニュースなんかの住民インタビューなどで、「国民に背番号をつけ、それで管理するのが問題」という声が聞こえるが、私はそうは思わない。”番号をつける”という意味では、携帯番号やレンタルショップの会員番号も似たようなものだから、番号をつけられることに関してはあまり抵抗はない。むしろ、その情報をネットで管理するということの方が問題だと思う。
確かに、ネットで管理することによってどこの役所でも住民票が取り出すことができ、いろんな届けが自由にできるという利点があるから、一概には悪い制度だとは言えないし、これもひとつの”時代の流れ”なのだと感じた。
でも、その一方で、そのネットワークをハッカーによって破られ、個人情報が漏れる危険性が今まで以上に強くなった、というのも事実であることを忘れてはならない。
確かに、某大臣が言っている通り、ファイアーウォール(公開したくない情報を部外者に見せないようにする為の装置・別名:防火壁とも言う)で守られているから今のうちは大丈夫なのかもしれない。でも、ハッカーなんてものは、それを破って生きがいを感じるようなものである。だから、せめてそのハッカーを規制する法律(要するに、「個人情報保護法案」のこと)の成立と一緒に開始して欲しかったものである。
(2002.8.5)
今、食品業界が揺れている。
その原因は、BSEと呼ばれている、いわゆる狂牛病である。そのせいで、焼肉屋は火の車。私の知っている焼肉屋は、なぜか入り口がいつも開いているが、はっきり言って、お客さんが入っているとは思えないのである。(見る時間が飯時でないこともあるが・・・)
そもそも狂牛病とは、正式名称「牛海綿状脳症」という。その名の通り、牛にかかる病気である。当然、その牛肉を食べている我々人間にも関係してくるのである。その牛肉の安全だと安心させるために、カメラの前に牛肉を食べた某大臣もいるが・・・。
その狂牛病に不運にもかかってしまった牛肉を処分するために、国が金を出して買うと言う制度を作ってから、複数の企業で問題が起きている。確かに、病気になったものを食べて何か問題になったら、それを店頭に出した店、狂牛病を知っておきながら何もしなかった食品会社や国に責任がかかる。それを防ぐために、その肉を早めに処分しなければならない。だから、この制度ができたのだろう、というのはなんとなくわかるしそのことはそれほど問題ではない。
だからと言って、対象にはなっていない外国産のものや賞味期限が切れたようなものを入れるのは、国民とこの制度を作った国に対する裏切り行為と取られても不思議ではない。いくら肉の処分に困ったとはいえ、国のお金(いわゆる国民の税金)がかかっているのだから・・・。(金がかかってなければ良いという問題でもないが)
それにしても、”雪印”、”日本ハム”と次々に出てきている。こうなると、「他の会社も、やっているのではないか」と国民の誰もが考えてしまうのは当然の成り行きなのではないか。個人的には、日本ハムの一件で、(某俳優と某歌手のCMでおなじみの)大好きなソーセージがスーパーから消えてしまったのが、とても悔しくてならない。
いずれにしても、早く真相解明をして食品と会社に対する信頼を取り戻して欲しいものである。
(2002.8.26)
今、2001.9.11といえば、何を連想するだろうか。多分、誰もが、「アメリカ・同時多発テロ」を連想するだろう。
あれから一年、もう一度“平和”について考えてみよう。
そもそも、テロとは(辞書で調べると)政見の異なる相手を暗殺したりして、自己の主張を通そうとする行為という意味である。
しかし、「米同時多発テロ」のように、殺されるのはいつもそれとはまったく関係のない一般市民だからいたたまれないし、許せない行為なのである。
平和主義者の私的には、テロ・戦争は反対である。
そのテロを反対する国々は、あちらこちらで出てきていることは、とてもよいことだと思う。しかし、それを正当な理由にして、戦争を起こそうとしている某国首脳は、言っていることと実際やってることとまったく正反対と思えてしょうがない。
話は変わるが、去年の「同時多発テロ」で、時の人≠ニなったビンラディン氏は一体、どこで暮らしているのだろうか?生存しているのだろうか?もし、生きているとしたら先ほど言った某国首脳はどう出るのだろうか?どうでもいいことかもしれないが、個人的には、とても気に気になるところである。
それはさておき、この状況を早く脱して早く平和な世界を取り戻してほしいものである。
最後に、テロに発展するのは絶対反対だけど、人間なんに関しても自分なりの主張を持つことは、良いことである。はっきり言って、(私も含め)今の日本人は何事に関しても無関心すぎているのではないか。特に、政治のことに関しては、関心のあるものは(自分の生活に直結する)景気対策だけになっている。「小泉内閣メールマガジン」でも読んで、私ももっと日本の政治に関して興味を持たなければならない、と感じた。できれば、このコラムでもそんな時事ネタも書いてみたい。
テロに関することだけではなく、日常生活のいろいろなことに対して、ひとりひとり考えが違うのは当然であるし、否定することでもない。それを、どう表現として出して、どう解決していくかが問題となるのだが・・・。
巨人、優勝おめでとう!! 今年の巨人は、とても強かった!
一ファンとして、今年の原巨人を一言で言ってみるとなんと言っても、「若手の成長が目立ったシーズン」と思う。
今年の巨人の打線といえば、大きく分けて2つに分けることができる。
開幕当初は、高橋由選手・松井選手・清原選手・江藤選手・仁志選手といった巨人の売りである?「超強力打線」でスタートした。
この打線で1年間(140試合)通せる方が難しいといわれている。巨人打線も例外ではなく、清原選手・仁志選手・高橋由選手といった主力選手が相次いで怪我して離脱していった。
しかし、そういうチームとしては絶体絶命のピンチの時に、斉藤選手・福井選手・山田選手・川中選手・宮崎選手といったいままで超強力打線に陰に隠れて、一軍にあまり出場していなかった選手が出てきた。その時は、主力を怪我で欠いて逆にチーム一丸となって主力の分を埋めながら戦っているように見えた。そして、今まで以上に機動力をプラスされたとてもつながりのある打線が誕生した。今までの超強力打線が「5点打線」「6点打線」というように一打で大量点を一気に取る打線ならば、この打線は、「1点打線」というように1点ずつ取っていって気がつけば大量点に結びついているといえる打線だと思う。
私がそういう風に思えたのも、(監督が)起用した選手がしっかり活躍していたから、今年の巨人は主力選手が離脱している間もずっと勝ち続けて一度奪った首位の座を守ることができたのだと思う。実況の「プロ初」という言葉が何回聴いたかわからないくらいである。
そして、今まで以上に層が厚く、他球団がうらやむチームに成長していった。原監督がインタビューで言っていた通り「一・二軍合わせた読売巨人軍で戦っている。」という感じだった。
もちろん、その影には原監督以下各首脳陣の手腕が100%発揮されたことはいうまでもない。野球中継での各評論家の解説の中にも、原監督の選手の起用法についていろいろ誉めていたことも事実である。 「原監督は名監督だ!!」と思った人は私だけじゃないはず・・・。
はっきりいって4月・5月は、阪神の勢いにおされ気味だった。プロ野球全体のファンとしては、『今までの阪神が変わったことで、サッカー・ワールドカップイヤーの今年にあって、野球も盛り上がっていい』と思っていたけど、巨人ファンとしては、悔しい気持ちもあり、個人的には複雑だった。
だけど、6月ごろからだんだん巨人の勢いが出てきて、やっぱり“独走・阪神”に追いついたのは(私の予想通り!?)巨人だった。
そして、今年の巨人は実に攻撃方法が多彩であった。
ホームランやヒットといういわゆる大技≠ゥら、バントやスクイズ、盗塁といった小技≠燉高゚て得点チャンスを増やしていった。私的には、それが打線のつながりを生んでいったのだと思う。
と、攻撃ばかりが目立つが、今年の巨人を語る上ではずせないのは『守護神・河原』の存在だろう。
今まで抑え投手不在といわれていた巨人。しかし、就任直後から原監督に守護神を言われた河原投手が活躍したおかげで、岡島−河原といういわゆる【勝利の方程式】が完成し、後ろがしっかりして、自然と頭(先発)もしっかりとしてくるのは当然であろう。今年の投手リレーは、試合の状況によって決まっていた。(例えば、8回は岡島、9回は河原など)観ている私がそう思うだからやっている投手は自分の出番が(だいたい)はっきりしていて肩を作りやすかったんじゃないかなと思ったりもした。
開幕前に、長嶋前監督が「長嶋野球から原野球に変えていって欲しい」と言っていたけど、何かそれがうまくかみ合ってきたと感じた。
これで後は、松井選手の三冠王と清水選手の200本安打が注目される。特に、今年の松井選手は、シーズン前に三冠王を宣言していただけにファンにとっても、本人にとっても、記録にも記憶にも残る一年になりそう。
清水選手も、(去年まで左投手のときに代えられたケースが多かったが)やっぱり巨人打線にとってはなくてはならない存在である。
是非、頑張って達成して欲しい。ファンにとってもそう何回も見られるものではない。しかも、今年はセ・パW受賞の可能性も秘めているだけに、もしそうなれば日本シリーズも当然いい試合が見られるのが予想されるので、ファンとしてはたまらないシリーズになりそうだ。
最後に、2000年のON対決じゃないけど、今年の日本シリーズは、いわゆる”原対決”(伊原監督vs原監督)だ。そういうのに、巨人は強いんだよね〜。
巨人軍の皆様、本当に優勝おめでとう!!そして、ありがとう!!
また、野球ネタです。
セリーグ・巨人、パリーグ・西武と両リーグの優勝チームも決まり、いよいよ残すは個人タイトル争いが気になるところ。しかし、日本のタイトル争いは”(個人)タイトル争い”というより、”(球団)タイトル争い”という感じがするのは、私だけだろうか。
中でも、巨人・松井選手、西武・カブレラ選手の三冠王が注目度No.1であるが、その争い方でもセパ両リーグで違いが出ている。
パ・リーグは、カブレラ選手の三冠王争いの場合は相手選手もちゃんと出場して実力で勝負している。56号に関しては、たまには敬遠策をとる場合があるが、投手にもそれぞれの個人タイトルと(打たれたくない)意地があるからし方がないのかもしれない。それに、”敬遠もひとつの勝負”と考えれば(苦しいけど)納得ができる。
それに対しセ・リーグの巨人・松井選手の場合は、中日・福留選手を監督が打席に出していない。はっきり言って、これでは最後まで(140試合)タイトルを争ったことにはならない。福留本人の連続出場がある関係で守備だけの(いわゆる)形だけの出場しかしていない。確かに、某解説者の言うとおり打率1位になったとこまでは、実力で取ったといえるけど、やっぱりファンとしては、最後まで打席に立って勝負して欲しいものだ。打席に立たせないのは、敬遠よりもファンを無視している。
私的には、こういうチームのやり方を見ていると、(福留の)全試合出場よりも(松井の)全打席4番出場の方が、すばらしい記録だと思えるし、それを何年もかけてやっているとなると尚更すばらしい。
少し前の、メジャーリーグでのソーサ選手とマグワイア選手のホームラン争いも、去年の大阪近鉄・ローズ選手と西武・カブレラ選手のホームラン争いに見られるように最後までしっかり勝負して決着つけた方が、ファンとしては最後まで盛り上がっていくと思う。
今年で言うと、打率争いよりも、抜きつ抜かれつという意味では、巨人・桑田投手と中日・川上投手の防御率争いの方がタイトル争いとして面白いし、タイトル争いというものはこうあって欲しいものだ。
(2002.10.11)
今日、ヤンキース・松井秀喜が誕生した。これは、プロ野球ファンとしても、巨人ファンとしても、松井選手が活躍してくれることはとてもうれしいことである。
松井選手自身が記者会見で、「裏切り者といわれるかもしれないが・・・。」と言っていたが、そう思っているファンは誰一人いないであろう。むしろ、誇りに思っているに違いない。(巨人のことを取り上げている)某番組では、「巨人の選手でなくなる松井選手を取り上げるべきか」なんて議論がされているようだが、私的には、巨人からのメジャーリーガーということもあり、勿論どんどん取り上げてほしいし、取り上げるべきことでないかと思う。
ここ数年の日本人メジャーリーガーの活躍・ワールドカップでの活躍などで、一昔前だったら、『夢のまた夢』と思われていた米大リーグ進出∞世界進出≠ェ現実になってきている。そうなると、当然選手の心の中には「世界」というものが見えてくるのも納得できる。
もちろん、去年が台湾で野球を、今年が日本・韓国でサッカーとアジアでワールドカップが2年連続して開催されたことによって、ますますスポーツ選手が『夢の実現』に向けて拍車がかかってくるのは目に見えてくるだろう。
それに対して、賛否両論があるだろう。
日本のスターがどんどんメジャーやセリエAなど海外挑戦していくことによって、日本のスポーツの人気が衰え、テレビの視聴率・球場や競技場へ足を運ぶ人が減ってしまうというような声も聞こえる。
しかし、日本のスポーツのレベルが世界に認められようとしている。そういう海外で活躍しているスターを夢見て、スポーツをする人口が増える可能性も秘めているわけだから、長い目で見れば、やっぱり喜んでいいのではないかと思う。
そして、月並みでとてもわかりやすい発想かもしれないが、こういう出来事はスポーツだけでなく、多方面での活躍を夢を見る人々にとっても、いい影響を与え、自分自身の「夢の実現」に向けて、向上心を持って欲しい。(少なくても、このコラムを読んでくれた人には・・・。)
プロ野球・巨人の原監督の名言の中に「私には夢の続きがあります。」という言葉がある。その言葉どおり、今年日本一になり夢の続きの一ページを作っている。私の場合は、まだはっきりとした夢の実現が達成していないので「夢の続き」というわけにはいかないけど、私自身の「夢の実現」に向けてまず一歩を踏み出していきたい。
(2002.12.12)
先日、某新聞社のHPでのニュースの中に、『携帯の車内「電源オフ」ルール、鉄道会社にバラツキ』というニュースがあった。
そのニュースでは、首都圏の鉄道会社で、携帯電話を電車内では電源オフにするという、いまやごく一般的に言われている常識≠ェ守られていないどころか、鉄道会社自体も事実上容認しているらしい。
首都圏の調査で、このような結果が出ているのなら、我が静岡県を走っている某鉄道会社はどうなっているだろうかと疑問に思ってしまう。
確かに電車内では、「携帯電話の電源をお切りいただけるようにご協力をお願いします。」というアナウンスが流れているが、はっきりいってあまり守っている人がいない。私的には、電車にはいろんな人が乗ってくる。中には心臓に何らかの手術をしている(いわゆる爆弾を抱えている)人も乗ってくることも不思議ではない。何か大事件が起きないうちに、少なくても満員電車の中では電源を切って欲しいし、私自身も注意して心がけたい。これは、病院の中では、電源を切る≠ニいうことにもつながると思う。
それに、電車の中で携帯の着メロが鳴ったり、大声で笑う声が聞こえてくる場合があるが、某HPのコラムにも書いてあったけど騒音に聞こえるので、時と場所を考えて欲しいものである。
それでも、急用などでどうしても必要なときは、(最初に書いたHPの記事にも書いてあったけど)マナーモードにして音が聞こえない状態にして使用するなどして”騒音”という意味で他人に迷惑がかからない方法を取るべきだと思う。
もちろん、電車を使用する一人一人のマナーの問題だということはわかっているけど、鉄道会社の方もやっている人をもっと厳しく取り締まったり、ルール付けを徹底させて欲しいものである。
でも、気をつけたい場所は電車内だけではない。コンサートや映画館の中でも電源は切っておくべきである。
私も、たまに映画館に入るときにきるのを忘れてしまい、あの音≠ェ鳴ってしまって周りの人の目が厳しかったということがあったのだが・・・。
「コンサートだと周りの音が大きいから大丈夫だろう」という考えは通用しないと思ってよい。曲の間やトーク中に鳴ったりすると、周りの人々に迷惑がかかるのは勿論、自分が慕っているアーティストなどに迷惑がかかってしまうので、個人的にも気分が良くない。それに、見つかるとコンサート自体の続行不可能になったり、会場への出入り禁止の処分になる可能性だって否定できない。そうなると、他人どころではなく(最後は)自分に不利なことになってしまう。
以上のことからも、携帯電話のマナーに関しては、時と場所によっては電源を切らなければならない時がある。少なくても電車内では、最低限マナーモードという機能があるのだからそれをもっと活用して欲しいものである。
(2002.3.31)
近年の成人式は全国的にとても荒れている。
特に見られるのは、(新成人だけとはいえないが)最近の技術の発達で、携帯電話などで式典中に記念撮影をする人が多く見られている。しかし、そんなことはもはやかわいいといっていい。なぜなら、暴力行為や演説している人に向かって物を投げるなんていう暴動を起こしている人も中にはいるからだ。勿論、そんな非道徳的な行動に出る人は少数人数であるが、少数人数でもそういう人がいると「最近の若い者は」という風に見られてしまい、真面目な若者が迷惑である。
確かに、はっきりいって式典の内容はお堅いもので楽しいものなのかもしれない。そして、久しぶりに逢った同級生などと私語をしたい気持ちは私にも良くわかる。でも、(前号の)携帯電話じゃないけど場をわきまえるべきではないか。演説している人達にとっては、とてもいい気分はしないと思うし、きれるのも無理はない。以前、某県知事が私語をしている人に対して激怒したことは有名な話である。そして、今年も某大学教授が、自分の話を止めて睨みをきかせていた。
私的には、そんな普通に考えてもわかりそうなことがわからないような人を祝う成人式なんてものはやめた方がいいという世間の声が出てくるのは不思議ではないと思う。
そして、そんな若者に対して国や地方自治体は、何故か注意していない。注意するばかりか、新成人達に何とかして楽しく出てもらおうといろんな企画を用意して持ち上げているように見える。
某地方では、ある遊園地を一日貸しきってショーを見せるだけの成人式だかお遊戯会なんだかわからないものをやっているところもある。
私的には、そういうことをするのではなく、出席者に記念に残るようなイベントにしていかなければ意味がない。(例えば、記念植樹を植えるなど)
遊園地でお遊戯会をやることは記念に残らないわけではないが有意義な「成人式」にはなっていないはず。
もちろん、内容を楽しくさせていけばみんな式典の内容に注目して結果的に私語を減らすことができる。しかし、それで今までの内容を全部変えてしまうようなことでは有意義な「成人式」にはなっていないと思し、一時的に楽しい成人式という印象にしかならず一生心に残る成人式にしていくべきだと思う。
とにかく、成人式を開催する地方自治体、世論の争点は、成人式の必要性ではなく新成人もしくは最近の人々のマナーの悪さを争点とするべきではないか。そして、これからの「成人式」を有意義にしていって欲しい。
もちろん、それは世論が考えることであると同時に出場者自身の意識改革が必要不可欠になることは言うまでもない。
(2003.1.13)
2001年11月・台湾(野球)、2002年6月・日本、韓国(サッカー)と2年連続でアジアでワールドカップが開かれたのは記憶に新しいところである。
ワールドカップといえば、現在の中ではオリンピック(一般的には五輪という)と並んで、スポーツの世界的一大イベントである。それだからこそあの雰囲気に飲み込まれて、つい我をを忘れて興奮してしまうのは私だけではないはず。それは、我々ファンが応援すると当然実際にプレーしている選手、監督は余計に「頑張るぞ!」という気持ちになり、燃えてくるのではなかろうか、と思う。だから、野球界ではファンは10人目の、サッカー界では12人目の選手なんていう代名詞が使われるのである。
もちろん、それは一年間のペナントレース(つまりリーグ戦)でも同じことであるし、自分たちの応援しているチームが勝つと興奮してしまう。
だから、ファンも試合中にスタンドで十分に応援合戦に燃えるのは結構なことであるし、応援方法でいろいろと思考を凝らした応援があっていいし、応援合戦もファン同士の戦いみたいなものである。
プロ野球・ヤクルトでは、チャンスになると傘を振ってみたり、また巨人では、イメージカラーのタオルを振ってみたり、阪神では一定の回数のときに必ず何でかわからないが、風船を飛ばしたり(その後で片付けをする球場の係員の苦労が目に見える
から私的には反対!)といろいろ工夫して一風変わった応援色を見せているところがまた考えてるなぁ、と感心するし、大いに結構である。
巨人ファンの私的には、あのタオルはどこで売っているのだろう、と思ってしまう。(やっぱり球場に行かないと売っていないのかなぁ、是非欲しい・・・。)
だからこそ、選手たちは試合が終わると自然とお互いの活躍をたたえあっている。サッカーやバレーの試合を見ていると、試合終了の合図があった瞬間に中央に集まり握手をしあっている光景を見ていると、なんだか見ているこっちまで感動してくるのは私だけなのだろうか?
しかし最近、選手がお互いをたたえて認め合っているのにもかかわらず、それを応援する側のファン同士がいがみ合い、事件を起こすというスポーツマンとしてはとても考えられない事件が起きている。
確かに、自分のひいきチームが調子がいいとはしゃぎたくなるし、逆に調子がいまいちだと怒り出すという気持ちは同じファンとしてわからなくもない。現実的に私自身も自分の心の中では、怒っているときも多々あるくらいである。
だけど、それを行動に出して相手を挑発をしてみたり(それにのるほうものるほうだけど)、それが暴動に発展するのは見ている側もいやな気分だし、なにより自分が愛しているところの監督・選手自身がいやな気持ちになり、そういうファンはありがたくないと思ってしまうのではないだろうか。
いずれにせよ、試合後に暴動なんか起こされると、その試合自体が後味が悪くなってしまい、また報復とか言って暴動が暴動を呼ぶ結果にだけは避けて欲しい。
また、今年は(例年になく)阪神が調子いいのだが、もし阪神が優勝しても興奮して球場近くの川に飛び込むのだけはやめて欲しい。何故なら、だいたい優勝が決まるのが9月下旬か10月上旬。となると、だんだん冷え込んでくることが予想されると、風邪を引いてしまい、場合によっては死んでしまう可能性だってあるのだから・・・。
それだけではなく、日本の川そのものがきれいとは限らない。下手すると、何らかの公害になってしまう可能性も潜んでいる。
そのことは阪神・星野監督も望んでいないのは当然である。ファンあってのプロ野球、ファンあってのJリーグなのだからファン同士もルールを守って勝っても負けても、お互いを認めあって欲しいし、私自身もそうありたいものである。
(2003.6.15)
去る7月1日、タバコ税が増税された。私のように禁煙家の人達にはには、ある意味どうでもいい・無関係のニュースのように感じられる。しかし、世の中にはタバコを愛してやまない、いわゆる喫煙家と呼ばれる人がいて共存している以上、「私には関係ない」なんていってはいられない。
個人的には、(私自身が禁煙家ということもあるが)世の中にタバコという有害といわれている物体があること自体、高齢化時代に入り、一人一人が健康について考え出している時代に逆行していると思う。
そして、禁煙派の人にとっても、タバコを吸っている人の近くに行くだけで煙を吸ってしまい、いやな気分になってしまうのである。
そんな中で、タバコ税が増税され、当然タバコそのものの値段が上がったことでどれだけの人が禁煙してくれるのか、私的にすこし注目しているのである。現に、ある人気番組に出ている某キャスターは、これを期に禁煙宣言を生放送のテレビ番組でしたという話も聞いている。ある意味、タバコをやめるきっかけが欲しかっただけといえばそれまでだが・・・。
しかし、その一方で駅などのタバコの自販機にお金を入れ、タバコを買っている人の姿をよく見かける。確かに、喫煙者が減るに越したことないけど、別に喫煙者に「吸うな!」とは言わないし、私にそんな権力がないことは承知である。
でも、私が言いたいのはタバコを吸うならそれなりのマナーを守って欲しい。
以前、“携帯電話”や“ファン”のコーナーでもいった通り、人間が物を便利に利用したり、楽しんだりするのは、それを使う一人一人がマナーを守るという当たり前のことが出来るという大前提の上に成り立っているのである。
現在でも、(特に駅などには)たくさんの吸殻が落ちていたり、それを見ながら平気で捨ててく人の気が知れない。
歩きタバコやくわえタバコも、その一例である。東京都や静岡県の西の方(浜松方面)では、条例(いわゆる地方の法律みたいなもの!?)の中に含まれており、それを破ると多額の罰金を払わなければならないというものまでできたくらいだから、これは私個人が勝手に思っているだけではなく、社会現象になっていることがわかるだろう。
しかし、そんな一般常識的なことまでも法制化しなければ守ろうとしない喫煙者も問題であることに気づいて欲しい。
そして、歩きタバコ・くわえタバコによってまったく関係のない人や物にタバコの火が燃え移り、工場や家などが火事になり、大惨事になるということも以前聴いたことがある。
そういう被害を起こす前にそういう行為を是非やめて欲しいし、そんなことをする人はタバコを吸う資格がないといえるであろう。
(2003.7.19)
タバコ関係の現状HP http://www.msa.co.jp/~yoshi/tobacco2.html
先日(11月9日)に「衆議院選挙」があったが、いったいどのくらいの人が投票し、政治に興味があるのだろうか。
最近、選挙前の某テレビ局の街頭インタビューなんかでは「選挙に行く」と言っている人達が多く見かけるが、実際投票に行っている人達がどれくらいいるだろうか?
というのも、選挙前に行くと言っている時の予想投票率は、90%を過ぎている場合が多いのに対して、何故か選挙後の投票率を見てみるとだいたい50%前後になっているのが現実である。
確かに、最近の国会報道を見てみると、選挙ではもっともらしいことを言って、(口悪い言い方かもしれないが)国民の気をひいて当選しているのに、選挙で公約として(今度の選挙で言う『マニフェスト』)言ってたことが実行されているのかどうか、はっきり国民には理解されていないのではないか。
それに(反対意見の人が)人の意見に文句ばかり言って、じゃあ自分はどう思うの?といつも心の中で突っ込んでいる。第一、国民の意思とは関係なく進んでしまっていると思えてしまって、「どうせ私一人が投票しなくても世の中変わらない」と思ってしまっても無理はない。それが国民(特に若者)の政治不振につながっているのだと思う。
だから、個人的には国会議員を選ぶのも国民なのだから、解散・総選挙を決める権利も国民に持たせるような選挙制度してもいいと思う。今のままだと“選ばれた者勝ち”というように思えてならない。また、選挙に当選するためにいかにも「我々国民のために・・・」なんて言って欲しくない。
今現在、不況(「職がない」も含む)や、治安の悪化(特に少年犯罪の増加)、朝鮮民主主義人民共和国(いわゆる北朝鮮)拉致問題など、いろいろな問題が山積みで、我が国民のほとんどが、それらの問題を何とかして欲しいと思っているであろう。もちろん、私自身もその一人である。(特に不況問題)
そのことを、もっと真剣に考えて欲しいし、我々国民一人一人も考えなければならない、と思う。
(2003.11.16)
あるニュースで、某ドラマの主題歌となっている洋楽アルバムが、オリコンアルバムチャート(CDなどのランキング)で再び1位になったというからすごい。
このように最近、昔ヒットした曲のリバイバル(再生)ヒットしている。まるで、‘カバー曲’という新しいジャンルができたみたいだ。
そして、昨年のNHK『紅白歌合戦』で歌われた曲の中でも、何曲かはカバー曲が歌われている。
それは、私が勝手に想像すると、最近のパソコンなどの普及と進歩、CDより小さく音楽をどこにでも持ち歩けるMDの普及によって、CDをレンタルし、買ってない現状がある。こういった現状から打破するための、各レコード会社の売り上げ向上策の一環であろう。
実際に一部のレコード会社では、パソコンでのコピーができないようにしている。もちろん、パソコンでコピーをして自分で楽しむだけならいいが、ネットなどによって公開してしまうなんて事を防ぐという目的もあるのだが・・・。
そういう行為は、“著作権の侵害”、またはCDショップ側にしてみれば“営業妨害”にもなりかねない。
以前聞いた話によると、カバー曲の発売はレコード会社の意向で発売が決まっているらしい。(この話の真偽は定かではないが・・・)
それだけではなく、昔ヒットした曲をオリジナルの歌手とは別の今ヒットしている歌手が歌っている(いわゆるカバーバージョン)。去年も、某ギタリストが、そういう曲を自らカバーしバージョンを変えた曲を集めたアルバムがヒットしたことが話題になったこともある。確かに、昔の曲をカバーでヒットしていると、その曲の原曲がどんな曲かを聞いてみたくなるものである。そうすると、オリジナル曲も”再ヒット”ということもつながり、CD業界としてはウハウハ状態であろう。もちろん、一音楽ファンである私が考えるくらいだから、レコード会社の方もそういう狙いもあると思うが・・・。
個人的には、カバー曲を発売した場合はオリジナルを歌っている人にも印税が入るのだろうか、とある意味心配してしまう。
でも、その原曲世代の人にとっては複雑な気持ちで聞いていることであろう。
なぜなら原曲世代の人の場合、もうすでに曲のイメージがオリジナルの歌手の声となっている場合が多いから、「イメージが狂う」という声が少なくない。私も、たまに自分が知っている曲がカバーされているのを見ると「イメージが狂う」と思ってしまうことがまれにあるから、その気持ちはわからなくはない。
それに音楽の場合は特に、その曲がヒットしていた時代背景や自分の思い出などがよみがえってくる場合がある。私的にはそれが『音楽の持つ魔力』だと思う。そういう意味でも、その思い出が汚されるような気がしてしまうのだろう。
しかし、音楽は永久に不滅なものである。それと共に、名曲はいろんな世代の歌手がどんどん歌い継がれていくべきなのではないか。
もちろん、「イメージか狂う」と思うかもしれないが、名曲自体はどんな人が歌ったとしてもそのものの価値は変わらないものである。そればかりか歌い継がれることによって価値が上がっていくに違いない。(もちろん、歌い継がれないいわゆる一代限りの曲が悪い曲って言うわけではないが・・・)
先に話したように、パソコン機能の進歩などの影響から、CDを買わずに(買うより安価な)レンタルで済ましてしまう傾向があり、以前ほどBIG
HITが望めなくなっている。テレビやラジオで「ミリオン(100万枚)突破」なんて聞くことが前よりなくなって珍しくなった。だから、余計にそれだけ売れる歌手は昔よりすごいと思っている。
しかし、個人的には今までの名曲はどんどん歌い継がれていって欲しいし、これからも人々の心に突き刺さり、いろんな世代に歌い継がれていく名曲がたくさん出てきて欲しい。
それから、私はCDをレンタルすして別媒体に録音をすること自体を問題視するつもりはさらさらない。レンタルしコピーすることは違法ではないはず。その別媒体に録音したCDを個人で聞いているならなんの違法性はない。むしろ、レンタルしたCDをインターネットなどで売ったりしていることが問題である。
(2004.2.5)
最近、よく“合併”という言葉を耳にすることが多い。某銀行合併に始まり、市町村合併、そしてついにプロ野球球団まで・・・。それは、たぶん(この不景気ということもあり)ひとつの組織では経営が苦しくなり、複数の組織がくっついて何とか乗り切ろうと考えてのことだろう。
しかし、そういう決断のほとんどが組織の少数のトップの決断であって、その組織に属するものやそれに関係をしている人々の意見の大部分が反映していないのも事実である。
そして、遂にあるプロ野球球団の合併の話が、最近世間を賑わせている。そしてそれもやはり球団のオーナー同士(いわゆる背広組)が水面下で進めて、選手やファンには何にも納得する説明がないまま決定しようとしている。しかも今回の場合、(合併以外に)他に買いたいという企業がその前にあったのだから、オーナーの結論ひとつでこんなに選手・ファンに責められるようなことにはならなかっただろう。にもかかわらず、合併を強引にし進めいてしまってしまいにはもうひとつ強引に合併して1リーグ制にするという話まで出ているということは、最初から1リーグ制ありきで結論がでていたと考えたとしても不思議ではない。どうせ、実力のパ・リーグが人気のセ・リーグに便乗するのであるのなら、合併という考え方の他に交流試合の実施というのも面白いし、見てみたい。
別に1リーグ制にするのがだめというつもりはない。以前、1リーグ制になり日本シリーズがなくなってしまう代わりに‘アジアシリーズ’とかいって日本・韓国・中国・台湾のチームと争うといった案が出たみたいだけど、そういうことができればそれはそれで面白いかもしれない。しかしそれは、2リーグ制でも可能なことではないかと思う。それにこのことこそ、日本球界だけではなく他国球界とも話し合いが必要なことではないか。もちろん、来年から実行ということにはならないはず。
それに、合併・1リーグ制ということになれば当然球団減少となる。そうすれば、(保有選手制限のこともあり)1球団分位の選手が解雇され、外にほおりだされることになる。そういう重大なことを何故、一番影響が出てくる選手に事前に説明をしていないのだろうか。「選手にはあとで説得すれば何とかなる」とでも思ったのだろうか。そうだとしたら、選手が怒ってストライキしても無理はない。
そんなことをしていると、球団不信や保有選手数の問題から、現役スター選手のメジャー流出増加といことになり、ただでさえプロ野球視聴率が落ちているのに、ファンがプロ野球からメジャーリーグを見るようになることになるということは考えられなかったのだろうか。
そんなことになれば、オーナー会議で話し合っている“球界再編”は逆効果ということになりかねない。
どうしても、球団を運営する親会社の事情から合併という方向に行かざるを得ないのなら、それはそれで仕方がない。だとしたら、無理やりもうひとつの合併まで成立させて、即1リーグ制という案はやめてほしい。
その代わりに、球団買収の名乗りを上げた某会社を中心に新球団参入を認めて、球団を減らさず、多くの(高校球児などの)野球少年や多くの野球ファンの夢を潰さないでほしい。(某社会人チームが加入という話もあるが・・・)
その前に、プロ野球の制度そのものを改革すべきではないか、とも思う。
たとえば、はっきり言って現在のドラフト制度はわかりにくい。そればかりか、逆指名・自由獲得枠といった制度ができたから、各チームそれをとるためだけに必死になって水面下でいろいろ動いてしまうのではないだろうか。そして、「あの制度はお金のあるチームが有利で、公平さがない」という声も聞こえてくるのは確かだ。
確かに、逆指名がなかったころは選手が行きたい球団に指名されないという問題がある。それが、引き金となって起きた問題もあるほどだが・・・。
だからこそ、できた逆指名制度を、最近ちょっと見直す必要がある。現制度自体がはっきりいって一部の球団主導化している。それが、有力選手が公平に選ばれてないと言われ、人気球団の偏りにもつながるのではないか。(ウェバー制など)公平な選び方をする必要があるのではないか?
簡単に言えば、ドラフト制度は選手の入団を決める制度ではなく、単なる交渉権を得るためのものだから入団するかどうかは、選手自身に決定権がある。だからこそ、自由獲得枠は複雑にしているだけなのでは・・・。
このように、今の制度を改革することも野球人気復活の兆しとはならないだろうか。
プロ野球のオーナー・コミッショナーの皆様、ぜひプロ野球の火を消さないでください。
(2004.9.6)
会社名 | 本拠地 | 専用球場 | 選手 |
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