bright-new days





「隣の君が いつも笑顔でありますように」





 1月1日、午後2時。
 僕は見慣れた家の前に佇んでいた。
 手の中にはノートの切れ端。去年──と言っても数日前だけど、別れ際にチカに渡されたものだ。
『来年になってから見てね。その前に見ちゃ絶対ダメだよ!』
 念押しして渡されたそれを、僕は言われたとおり、年が変わるまで開けなかった。テレビ中継される全国の鐘の音を、ひとつひとつ順番に聞きながら、家族揃って年越しそばを食べて、新年の挨拶をして。
 自分の部屋に戻ってチカからの手紙を開いたのは、年が変わってから30分ほど経ってからだった。
 灰色のうすい罫線に挟まれて書かれていたのは。


   ユーヤへ


あけましておめでとうございます。今年もよろしくおねがいします。

P.S.
よかったらいっしょに初もうで行きませんか?

チカ

 そんな、短い手紙。
「……何考えてんだあいつ」
 思わず僕が呟いたとして、誰にも責められはしないだろう。
 拙い手紙、拙い文字。漢字が少ない。僕の名前も自分の名前もカタカナだ。まぁいいけど。
 それよりも、これを書いているチカを思い浮かべて、何とも言えない気持ちでため息をついた。
 うちの学校は特に部活に力を入れているというわけじゃないけれど、冬休みにも部活がある。去年も29日まで部活があった。帰りに通り道の公園で、ひとりブランコをこぐチカを見つけた。
『……何やってんの』
『あ。ユーヤおつかれ!』
 チカは制服姿だった。補習だったのだと言って笑うチカに呆れてため息をついて、ブランコの隣に座ってたい焼きを食べた。温くなった、と言うより冷たくなったと言った方が近いたい焼きは、冷えたせいか甘さが抑えられていて、思っていたよりは美味しかった。
 メモの切れ端を差し出したチカの手は、ずっとたい焼きを持っていたせいか温かい。
『じゃあね、ユーヤ。また来年!』
 良いお年を、と言って駆けていったチカは、夕日を追いかけて行くように見えた。
 ──チカは新しい年の変わり目を、ひとりで迎えたのだろうか。それとも二人で、三人で?
 僕が家族四人で迎えた新しい年を、チカはどういうふうに迎えただろうか。
 夜遅い時間に電話などできなくて、こういう時に携帯電話があったら便利なのにと思いながら、もどかしい思いのまま、それでも僕はいつの間にか眠りについていた。
 そして朝、家族で改めて挨拶をして初詣に出かけ、帰ってきた僕はチカの手紙を持ってチカの家に来ていた。
 チカの家は、僕の家よりよほど大きい。けれど、家の中は静かで人の気配が感じられない。
 緑に囲まれた庭の先に覗く濃い色の玄関の扉を見つめ、少し緊張しながらインターフォンのボタンを押した。しばらく待ったが応答はなく、やはり留守なのだろうかと思いながらもう一度ボタンを押した時だった。
「──あら、ユウヤくん」
 突然、いささか乱暴な音とともに直接玄関の扉が開き、チカの母親が現れた。必死の形相をしていたチカに似た顔が、僕を見つけた驚きに目を瞬かせ、やがて気の抜けた安堵の笑みにほころんだ。
 久しぶりに見たチカの母親は、記憶にあるより少し痩せてはいたけれど、顔立ちもその装いも、やっぱり綺麗だった。
「あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」
「こちらこそ。チカと仲良くしてあげてね」
 定型の挨拶をして、返された言葉に安堵した。内心息をついた僕に気づかず、彼女は家の奥に声をかけた。階段を駆け下りてきたチカも、母親と同じくどこかよそ行きの装いをしている。
「──ユウヤ!?」
「ッス。──あけましておめでとう。皆で初詣行こうかって言ってただろ、迎えに来たんだけど、……どこか出かけるところだった?」
「え? ……、う、ううん」
「あら、そうだったの? この子ったら何も言わないから……。チカ、早くなさい。お友達待たせたらダメでしょう」
「う、ん、……でも、ママ」
 機嫌を伺うようにチカが母親を見上げる。良家のお嬢様然とした微笑みのまま、彼女は頷いた。
「行ってらっしゃい」
「……うん」
 喜びより戸惑いを強く滲ませて、チカが小さく頷く。それはおよそチカらしくない反応だ。学校のヤツらが見たら驚くだろうと思いながら、僕は今年もチカの父親は帰ってきていないのだと確信していた。チカが僕と出かけてしまえば、家の中にはチカの母親がひとりになってしまう、チカはそれを心配しているのだろう。
 再び母親に外出を促されて、チカはようやく、僕の方を見た。
「今支度してくる、ちょっと待っててね!」
 音を立てて階段を駆け上り、すぐに上着と鞄を手に戻ってくる。その間、残された僕らの間に会話はなかった。
 言ってきますと短く告げて、二人並んで歩き出す。背後の視線を意識して、僕は手袋をした手でリュックの肩ひもを掴み、もう片方の手もぎゅっと握りしめていた。
「…………ユーヤ」
 曲がり角を曲がって、ひとつ息をついた僕にチカが小さく声をかける。
「何」
「……えへへ」
 チカはちょっと困ったような顔で笑った。
「あけましておめでとーございます! 今年もよろしくお願いします!」
 誤魔化すように、元気すぎるほどに大きな声で今更な挨拶をする。語尾の「ます」が更に大きい。勢いよく下げた頭を持ち上げて、チカはまたはにかむように笑った。その微笑みは、裾がようやく落ち着いた白いコートと相まって、チカを清楚なお嬢さんのように見せた。
「──嬉しいな。見てくれたんだ、手紙」
「見ろって言ったのお前だろ」
 年が変わるまで見るなと言うことは、年が変わったら見て欲しいと言うことだ。
「うん。でもまさか今日来てくれるなんて思ってなかったから、すごく嬉しい」
「……だって初詣だろ」
 僕は先に家族と行ってしまったけれど。
「うんっ」
 頷くチカは、言葉どおり嬉しそうだ。
「ね。みんなって、ブラバンのみんな?」
「え?」
 聞き返した僕に、チカもきょとんとした顔で首を傾げる。
「え? だってさっき、みんなでって……」
「……そんなわけないだろ」
 実はそんな話もまったく出なかったわけじゃない。31日の夜から出かけて、皆で初詣に行こうかなんて言っているヤツらもいた。だけど、その時はチカとは約束していなかったけれど、僕は毎年年越しは家族と過ごすことにしていると断っていた。
 チカの大きな目が瞬きをして、また浮かんだ笑みに細くなる。
「ユーヤくんのウソつきー。悪い子だー」
「なんだよ。悪かったな。──皆もいたほうが良かったなら今からでも誘うけど?」
「えっ、い、いいよ誘わなくて!」
 慌ててチカの手が僕の腕を掴む。息を止めて睨みあって、同時に吹き出した。
「初デートだ?」
「違うだろ、初詣。ていうかいちいち『初』つけんなよ」
「いいじゃん別にー」
 頬を膨らませてチカが訴える。構わず歩き出すと、ややして隣に並んだチカが僕を見上げて尋ねてきた。
「初詣、どこ行くの?」
 近場の有名どころをいくつかチカが口にする。その中には午前中に僕が家族と行ったところも含まれていた。
「ううん。3丁目のお不動さん」
「──え」
「? 何?」
「う、ううん、何でもない」
「……?」
 チカの家から徒歩5分、近すぎて逆に人が少ないかと思っていたが、僕の予想よりは人出はあった。だが普段なら他の人と出会うことなどまず無い敷地内は、初詣の喧噪とはほど遠い穏やかさだ。
「あー、ちゃんと人来てるんだ」
 思わず失礼なことを呟いた僕に、チカが肩をすくめて笑った。
「来てるよー。だって初詣だもん」
「何がどう『だって』?」
「あのね。──ここね、小さい頃、いつもパパとママと初詣来てたの」
「────え」
 振り向いた僕の視線から逃げるように、駆け出したチカの背中がぴたりと止まる。戸惑いつつも歩みを早めずにいた僕が追いついて隣に並んでも、チカはまだ目を瞑って手を合わせていた。僕も賽銭を投げ込んで、お不動さんって手叩くんだっけ叩かないんだっけなどと思いながらもただ手を合わせるだけにする。
 家族と出かけた神社で祈ったことと同じことを祈り、それからひとつ付け足して、目を開けて隣を見るとちょうどチカが目を開けるところだった。
 ゆっくりと、睫毛を震わせてうすい瞼が持ち上がる。俯いているせいで少し濃いめの褐色に見える虹彩から表情を読みとることはできず、僕はただ、合わせた手をそのままにチカの横顔を見つめていた。
「……──。──ユーヤ? どしたの、変な顔して」
 チカが僕の視線に気づき目を丸くする。なぜか妙に神妙な顔をしている自覚はあった。だけど変な顔だなんて、失礼な。
 僕がむっとしたのがわかったのだろう、チカの口元が笑いに綻ぶ。
「ね、おみくじしよ? 買ってあげるから機嫌直して」
「関係ないだろ。ていうかおみくじのお金ヒトに出してもらってどうすんだよ……」
「大吉出たらチカちゃんに感謝してください」
「凶が出たら恨むからな」
「出ないよ〜、初詣だもん」
「だから理由になってないだろそれ」
 うん、と笑って頷いて、チカはくるりと身を翻した。白いコートの背中を見ながら後ろを歩いて、チカの隣、白木の小さな箱の前に並ぶ。
 人が少ないところだからか、おみくじも無人販売状態だ。木の看板に書かれている案内の通り、百円玉を料金箱に入れて、おみくじの入った箱の中に手を入れる。目を瞑って生年月日を唱えながらひとつだけくじを選び、取り出して。
 先におみくじを引いたチカは、開けずに僕が引くのを待っていた。せーのと声を合わせて同時に開く。
「──あ、大吉!」
「……僕も」
 結果は、ふたり揃って大吉だった。だけど番号が違うから、詳細の運は違うだろう。くるくると細長い紙を開きながら文字を追う。
 家族と行ったときに引いたおみくじは小吉だった。まあこんなものかと思いつつ、なるべく高い場所に結んで置いてきた。大吉はお守りにするといいと言うけれど、場所が違うとは言え、一日に二度引くというズルをして手に入れたおみくじでも効果はあるのだろうか。
「──あ」
 チカが小さく声を上げた。チカのおみくじを覗き込んで、ざっと目を通して。
「──あ」
 同じように僕も呟いていた。
「待ち人。来る」
 ふたりの声が、綺麗にハモった。
 顔を上げたチカが、くしゃりと笑う。
「良かったな」
「うん」
 もう一度確かめるように文面を見直して、空に透かしてチカの声が繰り返す。
「待ち人、来る」
 空を仰いだまま、おみくじから外れた視線が何かを捉えた。目を瞠るチカに、何かと思いながら僕も空を見上げて、
「あ。──飛行機雲」
 呟いた。
 顔を戻すと、くしゃくしゃの、笑顔と泣き顔とを混ぜ合わせた顔をしたチカが、白い雲の軌跡を見つめて忙しなく瞬きをしていた。
 大きく息を吸ったチカの、肩が震える。ゆっくりと吐いて、今度はちゃんと笑顔になったチカは、おみくじを胸に抱いて口を開いた。
「このおみくじ、持って帰って、ママにあげようかな」
「……じゃあ、これ、やる」
「ユーヤのでしょ?」
「チカが金出したんだから、チカのみたいなもんだろ」
「そうかなぁ?」
「そういうことにしとけよ」
「……でも、そしたらユーヤは?」
「午前中、家族と初詣行って、そん時引いてたんだ。だからそれで」
「うん……」
 まだ少し納得のいっていない顔のチカに、僕は半ば無理矢理自分のおみくじを押しつけた。
 待ち人、来る。
 僕のおみくじにも同じ文字が並んでいる。チカに渡した途端に他の項目は忘れてしまったけれど、それだけは覚えている。
 僕にとって、チカにとって、新しい年が良い年になりますように。チカの父親が、今年はもう少し家に帰ってこられますように。
「ほら、帰るぞ」
 声をかけて振り向くと、チカの向こうにさっきお参りした不動尊が見える。
 そういえば、初詣で他人のことを祈ったのは初めてかも知れない。そう思ったら、何だか寒さが吹き飛んだ。
 全国各地で初日の出がよく見えたこの日、よく晴れた空は綺麗に澄んで眩しくて、今日から始まる新しい年を祝福しているように思えた。




                               fin.





コメント(by氷牙)     2004.01.19

はい、本年一発目の更新は、予告通り『ソラノイロ』シリーズのふたりです。
今年の書き初め話でもあります。名実ともに、一発目。
初詣話。──もう松の内も七草粥も鏡開きも終わって、お年玉年賀はがきの当選番号すら発表されてしまいましたが(^^;)。
ユーヤとチカの家庭環境がちらっと出て参りましたね。チカちゃんパパは留守がちなヒトのようですが、いったいどんな職業なのでしょう〜? なんて。まぁ、追々、書いていきます。
それにしても。最初浮かんだシーンは初詣の人混みからチカちゃんを守るために手を引いてあげるユーヤくん、だったハズなんですが、……おかしいなぁ、初詣の行き先が、いつの間にか手ぇつないでないとはぐれてしまうような混雑した場所ではなくなってしまったので、手つなぎシーンがカットされてしまいました(苦笑)。ユーヤくん照れ屋さんですからね、知り合いに会いそうなデカイところは避けたのでしょうか。

今年の初日の出、相川はナマでは見ませんでしたが、ダイアモンド日の出……だっけ? 六角形の光の破片が差しかかる、十年に一度見られるかどうかという綺麗な綺麗な日の出加減でしたね。
ブラウン管の中の光を見ながら、ああやっぱりグータラ親父置いてひとりででも見に行けばよかったとちょっぴり後悔したのでした。
来年はまた多摩川行こう(今から気の早い……)。

では、本年も、Super Selfish Space 相川氷牙・ひろなをよろしくお願いいたしますm(_ _)m。





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