* * *
歌を歌って、子守唄を。
あなたのいない夜に、私があなたを恋しがって泣かないように。
『NightSong〜夜想曲〜』というその曲は、ナイト・キャップ(寝酒)に引っか
けて作ったのだと彼女は笑った。
電話を通した声が、遠い。
「歌……、歌いたいな」
ぽそりと、M……が呟いた気がした。
聞き返す前に電話は切れ、空しい音が僕を駆り立てた。
上着を掴んで、冬支度に追われる夜の中へと飛び出していた。
彼女の住むマンションに着くと、メタリックブルーの車体が目に止まった。見覚えのある
その車に、ある可能性を感じながらも彼女の部屋を目指す。防音完璧の高級マンションは、
しかし窓が開け放たれていて室内の声が夜闇にこぼれていた。
荒い息遣い、聞き覚えのあるかすれた男の声、そして、歌うような、M……の声。
M……。それが君の歌なのか? 君が歌いたい歌は、それなのか?
・・
何かに追いつめられている君を感じながら、そこから救い出す術を知らない僕は、ただこ
の夜の中に立ち尽くすことしかできないんだよ、M……────。
* * *
クリスマスプレゼントは武道館のライブ。
おいしいマロンの乗ったチョコレートの屋根を一緒に食べましょう。
シュガーパウダーがかかってたらもっと良かったのにね。
最後の一口まで、味わって食べてください。
そんなMCで始まったM……のライブは、2時間後、アンコールの1曲目に爆音と共に吹
き飛んだ。混乱の中、それでも客に一人も怪我人が出なかったことは奇跡と言っていい。
けれど僕は忘れない。あの日の、高すぎるくらいに澄んだ星空と、スポットライトの中に
立つM……の姿を。
サンタクロースは、彼女から音を奪って夜空へと消えたのだった。
* * *
ねーむれ、ねーむれ、はーはーの、むねー、で
小さく呟くような歌声が聞こえた。聞こえないのはわかっているけどノックをしてからド
アを開ける。案の定驚いた顔をした彼女と目が合った。それからなにかをたずねる表情に変
わる。
「きこえてた?」
「うん、バッチリ」
困ったように小さく笑う。僕もつられて笑いながら、シュークリームの差し入れを目の前
に掲げた。
瞳を輝かせて食べる横顔を眺めながら、医師の言葉を思い返す。
身体の、外傷は大したことはないけれど、鼓膜は両耳共に損傷が著しいとのことだった。
少なくともプロとして歌を歌っていくことは出来ない。
微かな音でさえも、取り戻せるかはわからなかった。
忍び寄る運命の足音。
扉を叩く。
聞こえないはずのその音に追い立てられながら晩年を過ごした作曲家に思いを馳せる。
小さく子守唄を歌う彼女にも、その音は聞こえるのだろうか。
突然、彼女はテープレコーダが欲しいと言い出した。12月30日の朝のことだった。そ
の日の夕方、差し入れを持ってもう一度彼女を訪ねると、彼女はにっこりと笑って「ありが
とう」と言った。本人には聞こえない言葉、聞こえない歌。
翌日から、彼女は時間が空く度にテープレコーダに向かって歌を歌った。童謡、ポップス、
演歌。ノンジャンルだ。他人の歌、自分の歌。中には聞いたことのないものもあった。自作
の新曲、世に出ることのない。
病室で、小声で歌う歌がどれだけ録音されているかはわからなかったが、彼女がそうした
いのならそうさせてやりたかった。歌うことをやめてしまったら彼女は死んでしまう。
以前、彼女から聞いた話の連想が、僕を包み込んでいた。
* * *
早朝の巡回の看護婦が来たときにはもう手遅れだった。M……は、眠るように死んでいた。
最近よく寝むれないと、睡眠薬を処方されていたのを知っている。
過剰摂取は、誰の意志か。それとも過失か。──神の仕業か。
年明け早々のこの訃報に、世間は泣いた。
歌姫の死を悼み、新春の歌番組ではM……の特集が組まれることになった。各TV局で、
何人もの歌手や俳優が彼女の友人としてコメントをしていたが、僕は一切を断った。だから、
最後に病室で見つけたものも、他の誰にも知られずに僕だけのものになるはずだった。
もしかしたらずっと、僕は君の歌声を一人占めしたいと思っていたのかも知れない。でも、
動物園のトラはかわいそう、マグロは水族館では飼えないし、君は歌を歌わないと、恋をし
ないと死んでしまうから。
そんな、とりとめのない思考が、僕の周りをメリーゴーランドのようにくるくるとまわっ
ていた…………。
* * *
・・
それを世間に公表する気になったのは、彼女の四十九日が過ぎて後、僕が初めてそれを、
彼女の遺言を聞いたからだ。
あの日、彼女が寝ていたベッドサイドで小さなモーター音がした。見ると、テープレコー
ダが赤くランプを光らせている。点けっぱなしにして眠ったのか。
けれど、何の音も聞こえない彼女が、それを聞きながら眠るはずはない。何かを録りなが
ら眠ったのだ。
──こわかった。
彼女の死の瞬間を記録しているだろうそれを、聞くのがこわかった。
彼女がテープレコーダを手に入れてからの数日間の間に録音されたテープは、全部で5本。
おそるおそるヘッドホンをして、デッキの再生ボタンを押した。呟くような、彼女の歌声。
いつかの夕食のあと、満月に歌った炭坑節を思い出した。
大した性能のレコーダではなかったのに、予想に反してクリアな音が聞こえてきた。1本
目から順に聴いて、最後のテープを聴き終えたとき、僕はすっかり夜闇に沈んだ部屋の中で、
一人泣いていた。
人はね、愛がないと生きてけないのよ
私は、歌がないと生きてけないのよ
だからね、夢の中も歌で満たそう
夜空を星で満たすように
私を愛で満たすように
タイトルのない、いくつもの曲。夢の中のLoveSong。
ああ、M……、君から僕らへの最後の贈り物は、
今までで最高の、優しい歌声、優しい言葉。
僕が一人占めしていいものじゃない。
君が愛したすべての人に、君を愛したすべての人に、
ちゃんと聴いてもらわないといけないんだ。
だから僕は、このアルバムを作るよ。
すべてのMUSICを愛する人に捧げます。
そして、僕のMEGAMI、君に捧げます。
ミュージックライター・都築 優人
(──M……、LastAlbum「Requiem」ブックレット解説より)
コメント(by氷牙) 2000.8.21
これはホントの新作書き下ろし。今月に入ってから書いたものです。
Coccoという女性ボーカリストの曲に、
「SING A SONG〜NO MUSIC,NO LIFE〜」という曲があるんですが、
その曲の中の彼女を少しイメージしています。
あと、タイトルですが、プリンセスプリンセスの名曲「M」ではなく、
男闘呼組というバンドの、アルバムの中の曲。自分の一番好きな音楽─M─を
やりに上京する男が、一番大切な人─M─に向けて歌った曲です。
歌を歌わないと生きていけない。
それは僕が、何らかの形で思いを文字にしていかないと生きていけないと
感じている、確信にも似た気持ちと同じものです。
たとえ恋人と別れたって、両親が死んだとしたって、きっと生きていける。
それくらいで死にはしない。でも、物語を読んだり、紡いだり、そういったことが
出来なくなったら、僕はきっと死んでしまうのではないか。
なんか変ですね。でもホントに、そう思っています。だから書く。
この物語は、すべての、
物語を愛する人、言葉を愛する人、文字を愛する人に捧げます。
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