11
コンコン。
「よォ」
病室を訪れた春樹を迎えたのは、少し照れくさそうな冬真の笑顔だった。
「やあ。具合はどう? 大丈夫?」
三週間ぶりに見る冬真は、少し、いやかなり痩せていた。でも、具合が悪そうには見え
ない。緊張のあまり月並みな言葉しか言えない自分を悔やみながらも、春樹はどこか冷静
な目で冬真を観察していた。
「大丈夫だよ」
冬真の台詞ひとつで、ほら、こんなにも幸せになれる。
「少し、痩せたね」
・・
「ああ、──まあ、少しな」
心臓が、どきどき言ってる。そう思い、春樹は少し笑った。
「なに? どうした?」
「何か緊張する」
「え?」
「冬真と会うの、三週間ぶりだから。すごい、どきどきしてるよ」
「こっち来いよ」
静かに歩み寄る。どちらからともなく、重なる唇。
「──っ、あ、……」
春樹は冬真を押し倒した。冬真の目。引き寄せられ、周りが見えなくなる。歯止めが効
かなくなるのを感じた。
「冬真、冬真……」
口づけが、下へ降りてゆく。首すじに口づけながら、パジャマのボタンをはずす。
「春樹……」
冬真の吐息。春樹は抱きしめる腕に力を込めた。
と、その時。ノックの音と共に若い看護婦が顔を覗かせた。二人の姿態を目にして赤く
なりながらドアを閉めようとした彼女は、後から入ってきた医師に背中を押され、その部
屋に入らざるをえなくなってしまった。
「おや、お邪魔だったかね」
「いっいえ! ぜんぜんっ!」
がばっと身を起こし、春樹は看護婦以上に真っ赤になって答える。数分後、少し太めの、
ヨ
人の好さそうなロマンスグレイの医師は、微笑ましいとでも言うように目を細めてこんな
事を言い、ゆったりとした足取りで部屋を出ていった。
「激しい運動はよくないからほどほどに。それではごゆっくり」
何でもないことのように言われてしまうと余計に恥ずかしい。春樹はまた真っ赤になっ
てしまう。
「春樹、こっち来いよ」
春樹の頬に触れ、以前のようなからかいを含んだ微笑みを浮かべて冬真が言った。
サッキ センセイ
「先刻の続きやろうぜ。医師のお許しも出たことだし……」
抱きしめて、口づける。何度もキスを繰り返し、やがて二人は互いの服を脱がしていっ
た。
* * *
冬も終わりに近づき、南の地方からは春だよりが届く頃、机に向かってうとうとと眠り
かけていた春樹を起こしたのは電話のベルだった。
「はい、西本で……はい俺です。──えっ! 冬真が!? すぐいきます!!」
たたきつけるように電話を置き、上着と財布を掴んで家を飛び出す。後ろで母親の声が
聞こえたように思えたが、春樹はそれを無視して大通りへ走った。
タクシーの中で、春樹は冬真の名を唱え続けた。祈るように、叫ぶように。
冬真はものものしい機械に囲まれて眠っていた。ぐったりと、まるで死んでいるかのよ
うに。彼の生を証明するものは、心細げに響く心電図の音だけだった。
「ふ、冬真……?」
カッケツ
「さっき、また喀血してね。いつもよりひどかったのだけど、発作の後気を失ったきり、
意識が戻らないんだ」
おっとりした医師の言葉が、いやに重く響く。導かれるように冬真へ近づき、春樹は、
確かめるように冬真の名を呼んだ。
返事はない。もう一度、呼びかける。そのうち、春樹は反狂乱になって冬真を呼び続け
た。
「冬真! 冬真、冬真ぁ! 俺だよ! 冬真! 目を開けてよ、俺を見て! 冬真ぁ!!」
カ
呼びつづけ、叫びつづけ、やがて春樹の声が嗄れかけてきた頃、
冬真の右手が、ぴくりと揺れた。
「? 冬真?」
「……、は、るき?」
酸素マスクの中の唇が、かすかに動いた。
「冬真っ!?」
血の気のない唇が再び動き、ゆっくりと、まぶたが開かれる。
「冬真!! ああ、よかった……!!」
今度ははっきりと唇が春樹の名を形づくった。力ない手が春樹のほうへと伸ばされる。
「マスクを、はずしなさい」
「先生!?」
「かまわんよ。大丈夫だ」
「しかし……」
「はずしてあげなさい。話したがっている」
看護婦の手によって酸素マスクがはずされた。弱々しい呼吸。
「春、樹……」
「冬真……!!」
明らかにほっとした表情を浮かべる春樹を見て、冬真は哀しげに微笑んだ。
自分のことは自分が一番良くわかる。冬真は、自分がこれから死ぬのだということがわ
かっていた。もう、体が半分自分のものではないような気がしている。最期のこのひとと
きに、春樹がいてくれることを、冬真は心から感謝した。
“春樹、愛してる……。もう、この気持ちは言わないほうがいいんだろうか。今言った
りしたら、春樹を余計に悲しませることになる。春樹、俺は……、お前といられて楽しかっ
たよ”
諦めたような微笑みを目にして、春樹は急に不安になった。
「冬真、何かしゃべってよ。冬真の、声が聞きたい」
ためらいがちに開かれた唇に、そっと唇を重ねた。唇に触れたまま、春樹は、冬真の目
を見つめてそっと囁いた。
「冬真、愛してる……」
どくん。死にかけた体の奥に熱い火が灯る。誘われるように手を伸ばし、春樹の頭を引
ト キ ユ
き寄せた。自分を抱きしめる腕に力が込もる。ああ、この熱い瞬間の中で逝けたら……。
「冬真……?」
乾いた唇が言葉を紡ぐ。
「お前に会えてよかった……。お前と暮らしたこの冬、楽しかったよ」
「冬真……!?」
捨てられた仔猫のようなその様子に、冬真は苦笑いをし、降参するように首を振った。
「あーあ。言わないでおこうと思ったんだけど、やっぱダメだ──春樹、愛してる」
「冬真!? やだよ、死なないでよ! 俺を置いて逝かないで!」
「俺にとってお前は春の陽差しそのものだったよ。──もうすぐ、“春”が来るな。“冬”
は終わりだ。俺の季節は、もう、終わったんだ」
「ちが…っ、違う! そんなの関係ない!! 嘘だ、冬真が、死…なんて」
頬に暖かい雫が落ちた。そっと、涙を拭ってやる。
「泣くなよ……。今まで生きて来れたのだって奇蹟なくらいなんだ。そんな泣かれると、
困るな」
苦笑まじりの台詞に、春樹は歯をくいしばり、ぐいと目をこすった。
「冬真」
「ん?」
「好きだ。愛してる」
毅然と告げる瞳。
俺は、この恋を後悔なんかしちゃいない。
「愛してるよ……」
「ん……」
ああ、めまいがする。幸福感に浸りすぎて、溺れてしまいそうだ。
それも、いいかもしれない。
「冬真、愛してる」
「春樹……、抱…て……」
ベッドが小さく音を立てた。青白い、冷たい頬に触れた。軽く唇を吸う。
冬真は、ただ、されるままになっていた。背に回そうと手を浮かしかけ、やめる。唇を
開いて、中へ、誘う。
頭の芯が、熱くとろけるような感覚。幻想……意識が遠のいていく。
「冬真……愛してる……」
「…は、る……愛…し…………」
「……………」
心電図が、うす緑色の直線を示した。看護婦が、「先生」と声をかける。
そっと、春樹が身を起こした。てのひらに血が滲むほどに、きつく拳を握りしめて。
「春樹くん……」
老医師が、ためらいがちに声をかけた。
「……っ、……」
堪えきれなくなった雫が、冬真の頬に落ちて、シーツへ消えた。
エピローグ──夏は来ぬ──
四月、春樹は進級して三年生になった。
あの出来事からも立ち直り、毎日真面目に学校へ通っている。
冬真のことが一段落着いたときから、春樹は彼と過ごした部屋で一人暮らしをしていた。
渋る家族を、一人のほうが落ち着いて勉強が出来るからと説得して。
ある日……。
「ずいぶん暖かくなったな。もう夏かなあ」
日増しに強くなる陽光に手をかざし、春樹ら数人と並んで歩いていた飯田が感心したよ
うにそう言った。
「おいおい、まだ四月半ばだぜ。なあ、西本」
話を振られ、春樹はぽつりと答えた。
「うん……。春の終わりって、いつ頃だろう?」
「春の終わり? う〜ん、五月ンなると初夏ってゆーから、その前じゃねーの?」
ふうん、と関心のなさそうな春樹の呟きを最後に、彼らの話題はゴールデンウィークの
予定へと移っていった……。
その一週間後。
春樹はバスルームで手首を切った。
参考書の隣に立てかけられた日記の最後のページには、いつものような几帳面な文字が
並んでいた。
愛しい冬真へ
夏は来ぬ
春樹
fin.
コメント(by氷牙) 2000.8.21
一番最初に出した僕の個人誌のタイトル小説です(古いな……)。
これで、一応書き上がっているものは全部WEB上に出しました。貯金がなくなったわけですね。
これからが、いよいよホントの始まりです。
この話は、少年同士の恋を描いています。でも、ひろなの書く話じゃないよね(彼女ならもっと艶っぽく書くよ、きっと)。僕のものです。少々、アドバイスをもらった部分はあるけれど(苦笑)
幸・不幸は、他人じゃ決められない。好きなものは好きだと言いたい。後悔はしたくない。
そんな、気持ちが詰まっています。
ラストの春樹の行動については賛否両論でしょうが、これはもともとこのラストを書くための話と言っても過言ではないので。でも別に「後追い自殺」のつもりではないと思ってるんですが。
僕自身は、ポリシ−がありますから、死んでも自殺はしません(変な日本語だけど合ってますよ)。
そういえば、冬真の名前。僕はなんにも考えずに「フユマ」にしたんですが、「トウマ」のほうが一般的だと、先日名前事典(赤ちゃんの名前つけるときに参考にするヤツ)を見ていて気づきました。……だって向こうがそう名乗ってきたんだもんよ。
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