太陽の歌


 この世界には、雑音が多すぎる。


 その頃の僕は、くだらない批評や垢にまみれた称賛にいいかげんうんざりしていた。素
直に感動を伝えてくれる人のメッセージすら、僕の心を震わせなくなってきていた。
 僕の音楽はジャンル分けされるためのものじゃない。誰かの私腹を肥やすためでも自尊
心を満たすためのものでもない。僕は僕のために、僕の感動のために、僕が生きるために、
音楽をやっているだけだ。僕の生きている証、僕の感じる魂の歌──その片鱗を感じ取っ
てくれる人が少しでもいるなら、それでいい。それだけでいいのに。
 雑音は耳から入り込み脳を犯し心を蝕み、僕は、ひどく消耗していた。狂いかけていた
と言っても過言ではなかった。曲が作れなくなっていた。
 綺麗なものが、わからなくなっていた。


 ヘッドホンをかなぐり捨てるついでに機材をいくつか壊滅させて、そのまま夜の街に出
た。変装の必要はない。僕の素行の悪さはすでに有名だから今更評判が落ちることもない
し、──いっそ落ちてしまえばいいとさえ思ったくらいだ。
 ぎらぎら光るネオンが神経を逆撫でする。突然耳元で鳴る笑い声、車のクラクション、
男の怒声、女の甲高い悲鳴。
 髪を掻き毟って足早にただ歩く。
「え……っ?」
 突然、僕は立ち止まり振り返った。何だ今の。
 何だ今の音!?
 その音のする方向に向けて走り出す。周りの景色は見えなくともその音は見えていた。
途中何人かにぶつかり怒鳴られた気もするけど関係ない。取り憑かれたようにただ走った。
 “それ”は、薄汚れたガードレールの下にあった。
 子供……? 僕より年下だ。2つ? 3つ?
 お世辞にも綺麗とは言えない身なりをしている。地元の子供だろう。梳かしていないの
かもともとくせ毛なのかわからない髪が、身体の動きに合わせて揺れていた。
 彼が歌っていたのは、僕の曲だった。いや、僕の曲を元にした、彼の曲だった。
 立ち尽くし、目を見開いたままの僕に気づかず、彼は歌声を街に放っている。
 彼の身体から生み出され、放たれる光の矢に打たれて、僕は動けずにいた。
 金色の歌。
 薄汚れた路地で歌う、薄汚れた少年。けれど、その姿はあまりに眩く輝いていて。
 歌い終え、拍手を送る人々にはにかむ笑顔を向けた彼の視線が、ふっと、僕に向けられ
た。
 目が合った。
 え、と彼の口が動く。僕も何かを口にしようとして唇を開いた。何を言おうとしたのか
はわからない。だがそのとき、
「ラー!」
 横からの呼び声に、彼はびくりと顔を向けた。
 体当たりするように、同じ年頃の少年達が飛びついてくる。もみくちゃにされて悲鳴を
上げる彼を見て、僕はその場を立ち去った。


 その後、僕は何度かあの場所を訪れてみたけれど、彼らしき人の姿や歌声を見かけるこ
とはなかった。相変わらず雑音の溢れた世界で、彼を見つけられないまま月日は流れた。
 ラー、と呼ばれていたっけ。ラー、太陽の神。相応しい名だ、密かに笑うと、心の中に
光と色が甦るのを感じた。
 歌を、作ろうと思った。
 僕のために、彼のために、彼の歌に救われるすべての人のために。
 黄金の歌で僕を救ってくれた、太陽の神のような、あの魂のために。


                    *                  *                  *


 楽屋への道を歩いていて、ある曲がり角、何の用事もないのにふと気を引かれて目を向
けた。僕よりいくらか年下の、バンドグループの青年達が立ち話をしている。
 その中の一人が、ふとこちらを見た。
 ────えっ?
 立ちすくむ僕の前で、彼はあのときと同じように、え、と口を開いた。
 そこにいたのは、彼だった。僕に光の歌を教えてくれた、路地裏の少年だったのだ。
 見る見るうちに、彼の表情が変わっていく。雲間から姿を現す太陽のように瞳を輝かせ
て彼が笑った。──と思ったときには、僕はすでに力強い腕の中にいた。
「やっと会えた……!!」
 耳元で聞こえる声は、少し低くやわらかくなっていたけれど、確かにあのときの彼の声
だった。
「おい、お前! 何をするんだ!」
 後ろで僕の付き人が怒鳴っていたけれど、そんなのお構いなしで彼は満開の喜びを僕に
ぶつける。
「俺、あなたの音楽聴いて歌やろうって思ったんです。初めてあなたの音聴いて、そした
ら身体がかっと熱くなって、耐えられなくて、気がついたら歌ってて……!」
 僕はただ言葉もなく目を瞠ることしかできない。
「あなたを知って、俺は自分の生まれた意味を初めて知ることができた。俺はあなたに会
うために生まれてきたんだ、あなたと一緒に音楽をやるために!」
 ……なんてことだ。もしもう一度相見えることができたら、どんな手段を使ってでも手
に入れたいと思っていた人に、こんなに熱烈に口説かれてしまうとは。
 くすり、笑みが洩れた拍子に身体の力が抜けて、抑え難い喜びが沸き上がってきた。
「あははっ、何てことだろう! ねぇ、君に今の言葉をそっくりそのままお返しするよ。
──僕の方こそ君を捜していた。夜の街で君の歌声を聞いたあの時から」
「え……っ? じゃ、じゃあやっぱり、あれは夢なんかじゃなくて……」
「現実世界での出来事だと思うよ。僕も一瞬君と目が合ったと思ったからね。もっとも、
二人で同じ夢を見ていたという可能性もあるけれど」
「同じ夢は、これから見るんですよ」
 強い確信のこもった声で告げ、あたたかい手が僕の手を掴む。
「清、俺と一緒に生きてくれますか?」
「それはまたすごいプロポーズだな……。──ふふっ、いいよ。君にとっても、音楽と自
分の魂は同義なんだね。それなら僕は安心してあなたに心を預けられる、僕の音を預けら
れる」
「ほんとに……っ!? ──ありがとうっ!!」
 強い力で締めつけてくる腕から逃れ、僕は彼のバンドメンバーのもとに歩み寄った。
「ずいぶん落ち着いた顔をしているね。いずれこうなることを予想していたのかな」
「ああ……。オレらは、あいつがあんたに会えるまで、その手伝いをしてただけだから」
 見上げた毅い眼の中の想いを感じて、僕はふっと笑みを洩らした。
「安心していいよ。幸せにするから」
 目を瞠る青年に背を向け、彼に向き直る。
「さあ、行こう。僕に光の歌を教えてくれたあなたに、相応の恩返しをさせてもらうよ」


 魂が震える瞬間、奇跡のような感動を、僕は奏で続けるだろう。
 生きる意味を見失いかけた僕の前に現れた、一条の、けれど鮮烈な光。
 これから先多くの人の心に光を与えていくだろう彼の歌。どれだけ多くの雑音が世の中
に溢れたとしても決して埋もれない、掻き消されない、色褪せない、力強い。
 生命の歌、太陽の歌を。

                                       fin.



コメント(from 氷牙)          2001.10.26

“運命の出逢い”を、あなたは信じますか?
──そう訊かれたら、あなたはどう答えますか? 僕は、信じています。信じていると言うより、「信じるも何も、そんなのあるに決まってるじゃん」くらいの勢いで。
なんで?って訊かれても、だってあると思うから、としか言えない。だってあるよね、出会うべくして出会った人たちとか、本とか、音楽とか。たどり着いた場所とか。
別にすべてを良くも悪くも運命のせいにするわけじゃなくて、どうにも説明は付かないんだけど、そんな人の力の及ばない“何か”を、僕は信じています。
たとえば今僕はこうして自分の書いた小説を公に発表する機会を持っているけれど、小学生の時、詩を書きためて童話とか書いたりして、将来そんな職業に就きたいなんて何となく思っていた算数嫌いの子のままだったら、今こうなっていなかったかも知れない。いきなり数学の先生になりたいなんて思って理系の大学行って、学習塾の先生になってでも1年でやめて、だから今僕はここにいるんだと。そう思います。
だから、せっかく掴んだこの運命を、僕は精一杯大切にしたい。清の言葉じゃないけれど、僕がなんで物語を書いているかと言ったら、普通の言葉では上手く伝えられない想いを、物語に託して誰かに伝えたいからなのです。僕の魂──と言ったら大げさかも知れないけれど──を、誰かに感じて欲しいのです。

清にとってラーが希望であるように、僕にも僕のラーがいます。あなたにも、あなたにとってのラーがいるでしょう。
ラー、太陽の神。……この話を書いたのは実は半年近く前なのですが、今この表現を使うのは良いような悪いような、複雑な気分ですね。何かを強く信じることは良いことだけれど、それだけに心を奪われてはいけないとも思います。自分の中ではそれが譲れない一番だとしても、他の人にもそれを強要するのは何かが違う。
雑音の多い世の中で、目を閉じて、耳を澄まして、自分の心の声を聞いて、一番大切なものを見失わずに生きていきたいと思います。
願わくば、世の中のすべての人が、自分の大切な運命に出逢い、すべての人の心に平安がおとずれますように。




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