透明な王子




 王子は困惑していた。おそらく今までの人生で最大限に、困っていた。そして歯痒い思いをしていた。
 なんて自分は無力なのだろう。
 王子の目の前には姫がいる。王子の、運命の人が。
 姫は、己の目の前に立つ男性(王子にも見覚えがある、姫の国の、王族の一人だ)に向けて、こう言った。
「あなたは、私の運命の人じゃないわ」
 強い瞳で射抜かれて、すごすごと引き下がる男性の背中を見送りながら、王子は唇を噛んだ。
 姫の運命の人は自分なのに!
 それなのに、王子の腕は、姫を抱きしめることができない。姫に口づけることも、触れることはもちろん、姫に微笑んでもらうことさえできないのだ。手を伸ばせば届くほどの距離にいるのに。
 王子は、透明になる呪いをかけられていた。誰にも見えず、聞こえず、触れない、そんな呪いを。王子が良い人すぎたために。
『そんなに他人を幸せにしたいなら、ずっと他人のためだけに生きればいい!』
 そして王子は透明になった。その心をそのまま体現したかのように。
 透明な上に、声も聞こえない、触れることもできないのでは、誰かに呪いを解いてもらうよう頼むこともできない。
 しかたなく、王子は城を出、国中を見て回った。民たちが幸せに暮らせるにはどうすれば良いかと。とはいえ、王子の言葉は彼らには届かないので、王子の姿がわかる動物たちに手伝ってもらった。
 城の中を、外を、隣の国を、そうして回る。隣の国では、姫の評判を耳にする機会があった。気の強い、けれどいい姫だと民たちにも慕われている。姫の考えに賛同するものも多い。王子は自分が褒められたかのように嬉しくなった。
 姫は、ある意味王子とまったく反対の考え方をする人だ。自分より周りの人の幸せを優先する王子に対し、姫は、まず自分が幸せにならなければと言うのだ。
 以前、近隣諸国の若い王子や姫たちが集った場で、民たちや周りの者を幸せにするには、といったことが話題になったことがあった。
『自分を犠牲にして幸せになってくれと言われて、相手が幸せになれると思う? 私は思わないわ。だから私は、自分が幸せで、それから周りが幸せになれる道を探すの』
 迷いのない、強い瞳が美しかった。
『そうだね。自分の犠牲になった人がいると思いながら、幸せになるのは難しい。でも、──それなら「犠牲」にならなければいいよね。私は相手の犠牲にならずに、その人の役に立てることを考えるよ』
 王子がそう言うと、姫は、少し驚いた顔で王子を見、しばらくして、鮮やかな大輪の花のような笑みを浮かべた。


*     *     *


 久しぶりに自国の城に戻って、王子は驚いた。
 姫がいたのだ。隣国の姫──王子の愛する人が。
 姫の傍らにいたのは、第二王子──王子のひとつ年下の弟だった。
 王子と第二王子は、よく似ている、と昔から言われていた。元から似ていたところももちろんあるけれど、第二王子が、王子に似せていたのだと知っているのは、本人たちだけだ。
 姫は、おそらく第二王子の、王子に似た部分に惹かれたのだろう。
 だが第二王子と王子はやはり別の人なのだ。運命の気配は感じる、だが違和感はある、だが……姫が迷うのは当然と言えた。迷いながらそばにいるのは、諦めていないからだと王子にはわかった。
 このままなら、姫は第二王子と結婚をするだろう。生涯を共にする相手として選ぶだろう、王子ではなく。そうしてふたつの国は、共に栄えるだろう。
 皆が、幸せになれる。王子以外の全ての人が。
 いやだ、と王子は思った。
 姫の傍にいたい、姫と運命を共にしたい。
 姫だけは誰にも渡したくない。
 たとえ弟がそれで悲しもうとも。──たとえ、国じゅうの人々が、弟王子が良いと思っていたとしても。
 それでも、姫だけは。
「だめだ!」
 王子は叫んだ。届かなくても、叫ばずにいられなかった。
 姫と第二王子が振り向いた。
 ──そう、振り向いたのだ。そして王子を見た。王子を、見ていた。
「王、子……?」
「兄さま……」
 ふたりが呆然とした顔で呟いて、やがて対照的な表情に変わっていく。
 悟った、諦めの表情を表した弟に心の中で謝罪しつつ、王子は姫に歩み寄った。
 長いこと行方知れずになっていた王子との再会に、喜びを抑えきれず、姫の頬は紅潮している。
 姫の瞳に己の姿が映っている、それはなんと幸せなことなのだろう。思いながら、王子は告げた。
「姫。あなたが好きだ。生涯あなたを守り、幸せにすると誓う。私の国の民も、あなたの国の民も。だがそれより何より、私の運命の人──あなたを幸せにすると」
 姫は強い瞳で王子を見つめた。
「何より、誰より私を選ぶのね?」
「ああ。もし問われるならば、あなたを捨てて民を守るよりも、民を捨ててでもあなたを守る。──だが私はきっと、あなたも民も守りきるよ。もちろん、私自身も」
 姫はしばらく王子を睨むように見据えていたが、やがて微笑んだ。
「ええ、そうね。それでこそ王だわ」
 姫が一歩、近づいた。
「待っていたのよ、ずっと探していた。会えてうれしいわ──私の運命の人」
 姫がゆっくりと手を差し伸べる。
 王子は片膝をついてその手をとり、微笑むと、指先に口づけを送った。



                               fin.





コメント(by氷牙)     2007.03.18

たいへんお久しぶりです(^^;)。
久しぶりの、オリジナル小説コーナー更新です。実に1年半ぶり……。
この一年、いや二年、実にいろいろなことがありました。

なんて回想はさておき。
このお話は、去年末ごろ、いろいろ思うことがあって、でも私の言葉としてはうまく伝えられないような気がしたから、かわりにこれを書いてみた、という経緯で生まれたお話です。
冬コミで無料配布しようかとも思ったけど、やめた。つーか冬コミ前日はそれどころじゃなかった(^^;)。←冬コミペーパートーク参照(不親切)。

以下は、そのとき(冬コミ)用に書いた、あとがき。今でも思うところは変わらないので、そのまま掲載します。
↓   ↓   ↓

幸せとは何だろう、と、時々考える。
でもそれは、ひとりひとり、違うものだろうとも思う。
万人に共通の答えなんかは無いのだろうと。
好きなものを食べられる、お金に不自由しない、たくさん本を読める、大切な人が隣にいる、……。
私の中で変わらないと思うのは、「私が」幸せであるということ、が、大事だということ。
私の周りの人がいくら幸せでも、それを私が幸せだと思えなければ、それは私にとっての幸せじゃない。
周りの人の幸せを私も幸せだと思えれば、それこそが一番。
逆もまた然りだ。
自分だけが良ければいいワケじゃない。自分の幸せを、周りの人が幸せだと思ってくれなければ、……意味は無いとはいわないけれど、その幸せは、小さくて、さみしい。
皆で幸せになりたい。
世界中全ての人が、とは、私は思わない。そこまで私はやさしくもないし、心が広くもない。でも、自分が幸せで、周りの人が幸せになってくれたら、少しずつ幸せの輪が広がっていくことができるのなら、それは幸せなことだと思う。

以前どこかに書いたことがあるかもしれないけれど、私は、本当に心の底から強く強く望んで、願って、その望みのために最大限の努力をしたならば、それは必ず叶うはずだと信じている。
願ったけれどできなかったのなら、それは、強く望む力が足りなかったか、望みを叶えるための準備や、努力や、または環境や時機(タイミング) といった、何かが足りなかったということ。
すべてのことが、今望んで今すぐかなうわけじゃない。でも、本当に望むなら、心の奥底から願い、祈るなら。そしてそのために進む足を止めないと、……たとえ足を止めても向かう心を止めないと誓えるなら。
それはいつかかならずきっとかなう。
そう、信じている。





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