夢売りの館


ゆめ[夢]〔「寝目イメ」の変化という〕
 @現実の生活においては起こり得ないようなことを睡眠中に見たり聞いたり感じたりする一種の幻覚。
 A実現するかどうか分からないが、やりたいと思・う(っていた)事柄。


   1 〈夢売りの館〉

     ユメウ    ヤカタ
    〈夢売りの館〉
     ユメウラ
     夢占いたします。

 愛想のない文字で、そう書かれた看板が架かっている。小ぢんまりとした商店街の中の
小さな路地にある、これまた小ぢんまりとした建物が、この〈夢売りの館〉だった。
 毎日沢山の人が訪れるのに、他の客と出逢うことはない。店には中性的な面立ちの青年
が一人、そしていつも碧の瞳に漆黒の翼の鴉が止まり木に止まっていた。


「階段から落ちる夢をよく見るんです。わたし、今年受験なんで、縁起の悪い夢は見たく
ないんですけど……」
 この日の客は、高校三年生の少女だった。美しくもなければ醜くもなく、派手でもなけ
れば地味でもない、ごく普通のありふれた少女という印象を受ける。実際、彼女の〈夢〉
もごくありふれたものだった。
 青年は、静かに話し始めた。
「落ちる夢は、日常生活における不安や挫折を表します。階段は、上りは吉ですが下りは
あまり良くありません。あなたの場合は、やはり受験勉強でしょうか。自分を抑えつけす
ぎているのではありませんか? 時にはリラックスも必要です」
 少女はそれだけで納得し、礼を言って店を出て行った。
『四十五人目』
 店内に不思議な声が響き渡った。頭の中に直接イメージを投げ入れるような声の持ち主
は、碧眼の鴉だった。
『くだらない人間はやっぱりくだらない夢しか見ないんだな』
 投げやりな口調の鴉に目を向け、青年は穏やかな声で語りかけた。
           ア 
「もっと大切な《夢》が在るのに、と?」
                 チカラ           サ キ 
『あの娘にはなかったぞ、そんな《能力》は。まったく、夢で未来を読むことも出来ない
くせに生きていられるとは、人間とは楽なものだな。他の動物はいろいろなものから未来
の情報を得ていると言うのに』
「それだけ人間社会が平和だということですよ。天敵から身を守る必要がないでしょう」
 青年は、皮肉とも本心ともつかないような台詞を、さらりと言ってのける。
『平和……』
 鴉が呟くと、目の前に一冊の辞書が現れ、[平和]の項を指し示した。
『[平和]@心配・もめごとが無く、なごやかな状態。──平和だったら人間はここには
来ないだろう?』
「平和ですよ」
 決めつけて、青年は会話を打ち切った。


     2 〈夢売り〉

「イヤよ、そんなの!!」
 客人の少女は机を叩いて立ち上がった。
「彼は、あたしと付き合うのよ。他の女となんて、許さない!」
 少女は世間一般で言う“自分勝手”な人間らしい。青年は少し眉を寄せて、鴉と顔を見
合わせた。
「占い直してよ!」
 なおも言い募ろうとする少女を制し、青年はため息をついた。
「仕方ありませんね……。そうまでいうのなら〈夢売り〉をしましょう」
「夢、売り?」
「人の夢を人から買い、人の夢を人に売る。それが私の本当の仕事で、だからここは〈夢
売りの館〉というのですよ」
『日本語は正しく使え。〈夢売り〉じゃなくて〈夢盗み〉だろう』
 突然響いた声に少女は驚いてあたりを見回した。やがてその視線が止まり木の鴉にたど
りついた。
「カ、ラス……? しゃべるの?」
『我はカラスではないぞ。人間のくせに失礼な』
「本当は誰かから〈買った〉夢を売っているのですけれどね、」
 反論する鴉を遮って青年は話し始めた。
「あなたのように〈良い夢〉を欲しがる人は大勢いますが〈良い夢〉を売る人は滅多にい
ないので、そのときは無断で拝借することもあります。あなたは、どうしますか?」
 少女が息をのむ音が静かな店内に響き渡った。
 〈良い夢〉を手にいれる……。そうすれば、望むものはすべてあたしのもの……。
    クラ
 そんな冥い誘惑が少女をとらえた。無意識のうちに少女は問いかけていた。
「どうすればいいの?」
「良いのですか?」
 青年は少女の問いを無視して逆に問いかけた。〈夢〉を手にいれることの代償を考えて
やめておいた方が良いと少女の中の声が告げていたが、その声は少女には届いていなかっ
た。彼を手にいれたい。それだけだった。
「……ええ、いいわ」
「では、お教えしましょう」
 青年は意外にあっさり頷いた。
「ここには毎日沢山の人がやって来ます。それぞれ、良い夢、悪い夢を携えて。あなたは、
その中から欲しい夢を一つ選んでそれを覚えれば良いのです。そして、改めて私を訪れそ
の夢をあなたが奪う人と同じように、一字一句違えずに私に告げてください。そうすれば、
その夢もその夢の暗示するものもあなたのものになります」
「一字一句違えずになんて……」
「簡単なことですよ」
「他の人がお店にいる時、あたしはどこにいればいいの?」
「ここに」
 青年が右腕を伸ばすと先程の鴉が止まり、羽根を広げた。その翼から羽を一本スッと抜
き取るのを見て、少女は青年が左利きであることを知った。目の前に差し出されたそれは、
一見漆黒のようだったが、時々光を反射して濃い深い緑色にきらめいていた。
「この羽を持って待っていてください。他の方にはあなたの姿は見えませんから。その人
が夢を語り始めたら、羽を持ったまま相手の目を見ながら夢を覚えるのです。羽の色が変
     ・・
わったら、私に夢占を申し込んでください」
「その夢だっていうのは、どうすれば分かるの?」
「あなたが本当にその〈夢〉を欲しいと思っているのならすぐに分かりますよ」
 青年は少女の手を包み込むようにして羽を少女の手に握らせた。少女は青年の手は氷の
ように冷たいのかしらと思ったが、自分の手と同じくらいの温もりがあることを知って安
心した。ただ、空気のように存在感が無かった。確かにそこに在るのに触れることができ
ない。そんな印象を少女に与えた。
「それでは、良い夢を」
 そう言って、青年は軽く微笑んだ。


 黒い鴉の羽を持って壁に寄りかかり、少女は青年の仕事を眺めていた。客が店に入って
くる瞬間、目の前に大きなスクリーンが現れて客の夢を映し出す。三人目にはスクリーン
を見る前にその客の夢が分かるようになっていた。手持ち無沙汰そうに羽を弄びながら、
青年と客のやりとりを眺めるのはなかなか楽しいことだった。青年が解読してゆく〈夢〉
という〈暗号〉──それは、過去のわだかまりであったり、現在の悩みであったり、また
未来の予想であったりした。
 どれくらいの時間が経ったのだろうか。いい加減暇を持て余していた少女は、新たに入っ
てきた客に目を向けて驚きの声を上げた。少女と同じくらいの年のその少女は、望むもの
──彼──を手にしようとしている人物だった。目の前にスクリーンが広がる。
 ───これで彼はあたしのものだわ!!
                  ト 
 彼女は少女に夢を奪られることなど知らずに、青年に夢を語り始める。少女は彼女の息
継ぎすらも覚えんとするように、全精力をかけて彼女の言葉に意識を傾けた。


「制服を着て、歩いているんです。しばらく歩いていると、箱の中で仔猫が鳴いてるから
ミルクをあげるの。でもひっかかれて血が出てしまって……。顔をあげると、今度は子供
達がシーソーのまわりで遊んでるの。追いかけっこをしているらしいんだけど、そのうち
の一人とぶつかって、そこで目が覚めるんです。二、三日前にも同じ夢を見たんですけど、
どんな意味があるんですか?」
 不安げな少女に青年が微笑むと、強ばった頬に安堵の色が浮かんだ。
「心配することはありません。良い夢ですよ。恋愛面においてかなりの吉兆ですね。あな
たの恋には近いうちに障害が現れます。全く予想だにしなかったことが起こるでしょう。
ですが慎重に対すれば乗り越えられます。安心なさい。きっとあなたは、とても幸せな恋
を掴むことができます」
                                  リンコウ
 彼女が夢を語り終えると同時に少女の手の中の羽が変化し始めた。淡い燐光を放ってい
るのが分かる。そして扉が閉まる時、羽はきらめく翡翠色に変わっていた。
「──お気に召す夢があったようですね」
 振り返った青年は、先刻よりも美しさを増しているようだった。血の気の通わない、ど
こか魔的なものを感じさせる美貌。魅せられたように、操られるように体が勝手に動き出
した。
「夢占いをして欲しいのだけど」
「どうぞ。おかけください」
 翡翠の羽を手に持ったまま、少女は先刻の少女が語った夢をあたかも自分がそれを見た
かのように、すらすらと話した。青年も、先刻と一字一句変わらぬ言葉を返す。少女は彼
女と同じように礼を言って扉を開けた。すると、そこもまた〈夢売りの館〉の店内だった。
「これでその〈夢〉はあなたのものです」
 驚いてあたりを見回す少女の耳に、淡々とした青年の声が聞こえた。
 この〈夢〉はもうあたしのもの──彼もあたしのもの。けれど、何かが引っ掛かる。
「あの……、彼女は、どうなるの? 彼女の〈夢〉は、あたしの〈夢〉は?」
「何も心配はいりません。ただ、なるようになるだけです」
 そう言って、青年が少女の手から翡翠の羽を受け取り、何やら呪文のようなものを唱え
ると、羽は翡翠のペンダントに姿を変えた。
「これを、いつもかけていてください。それでは、お幸せに」


      3 〈夢〉───《夢》

「オ、オレと、付き合ってくれないか」
 〈夢売りの館〉を訪れた二日後、少女は〈夢〉が成就したことを知った。遂に彼は自分
のものになったのだ。
 少女は彼と付き合い始めたが、その幸せは長くは続かなかった。
 交通事故による彼の死──。
 少女は〈夢売りの館〉を再び訪れ青年をなじったが、青年はこう言っただけだった。
「私はあなたに〈夢〉を〈売った〉だけです。〈夢〉は、未だ続いていますよ」
 先日、一人の少年がここを訪れていた。彼の見た〈夢〉の示すものは事故であり、少年
は忠告を胸に店を出た。翌日、彼は交通事故で亡くなった──。
「〈夢〉の成就には何ら関わりを持たないことですから。彼女の〈夢〉はもうすぐ叶いま
すよ。もう一人の彼女の〈夢〉はもう叶いましたけど」
                     ヒ ヘイ      アラワ 
 そう言うと、青年はかすかに眉をしかめた。疲幤の色も露にため息をつく。
「今日はもう店を閉めましょう。気分がすぐれない」
『慣れないことをして疲れたか?』
 ふいに鴉の口調が変わった。碧の双眸が青年の隙を見い出そうときらめいている。
「私の体を乗っ取るつもりですか? たかが《夢魔》風情が、笑止な」
『おまえの夢に潜り込むことだってできるのだぞ』
       ツ 
「夢魔ごときに憑かれるようでは夢使いは勤まりませんよ」
      アザワラ
 青年は鴉に嘲笑うような視線を向けると、奥の部屋へと去っていった。鴉はそんな青年
の後ろ姿をじっと見つめている。その視線にはどこか哀れみに似たものがあった。やがて
青年の姿が見えなくなると、鴉は止まり木に戻り、何事もなかったかのように羽づくろい
を始めた。


「〈夢〉とは己の意識下にある欲望を映し出す鏡──か。自分の《夢》がこんなことになっ
ているとは、まさか《あのひと》も思わなかったでしょうね……」
      オモカゲ  タグ 
 幼い少年の面影を手繰ろうとして、青年は自嘲の笑みを漏らした。
「私も、あの《夢魔》と同じということですか」
 鏡の中に自分とは違う影を見い出して青年は一瞬遠い目をしたが、それを振り切るよう
に鏡に背を向けベッドの中へ潜り込む。〈夢〉が青年を闇へと誘った。


『人間にも魔物にもなり切れないでいる奴に、《夢使い》が勤まるとは思えんな』
 誰もいない店内で、鴉はひとりごちた。その声が店内に響くことはない。
 あの青年と行動を共にするようになったのは何年前のことだろう。出逢ったときから、
青年は少しも変わっていない。
 外に人の気配を感じて振り返った。
 店の前に人間が佇んでいる。
 遠慮がちに扉が開き、一人の少女が入ってきた。
「あの……、夢を占って欲しいんですけど……」
「どうぞ、おかけください」
 ・・・
 青年は、穏やかな微笑みを浮かべた。
 店の外では、看板が風に揺れている。




                                              Ende

コメント(by氷牙)

夢売りの館、続き物バージョン第1作です。
微妙に、ところどころ違うので、読み比べてみて下さるといいんじゃないかと……(苦笑)。
全3部です。それと、本編の流れには関係のない、番外編が1つあります。
ホントはもう一つ短編があるけど、あまり気に入ってないので、こちらには載せないことにしました。
もし、読んでみたいな〜という方がいらしたら、メールくだされば、お送りします。




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