2 夢盗賊の女

 ボーン、ボーン、……
 重々しい振り子が12時を告げる。昼夜変わらずうす暗い部屋の中央には、黒衣に身を包ん
だ青年が静かに佇んでいた。
『行くのか』
 うす暗闇から溶け出すように現れた鴉は確認するように問う。
    ・・・・・
「ええ、今宵が最後ですから。──何か?」
『あの子供の気配がする』
「あの子供? ……!、まさか、」
     夢が、見られないんです。暗闇しか、見えない……。
『娘の〈夢〉を〈喰った〉のは、あの子供やも知れん…』
 数年前、ここ〈夢売りの館〉を訪れた少年。〈夢〉を奪われ──希望を失って永劫の闇に
沈んでいった……。
「彼は……、〈夢盗族〉になっていたのですか……」
                                    ・・・
 それでも〈夢〉を求めることを止められずに。〈夢〉を求め続けないことには生きて行け
ずに。
 ・・・・
「それでも、私は行きます。今は、あの少女を救う事が、私の〈夢使い〉としての仕事です
から。
 ──もしかしたら、〈夢盗族〉とは、絶望して自ら〈夢〉を見ることが叶わなくなった人
間がそれでも〈夢〉を求めようとあがいている姿なのかも知れませんね。だとしたら、……
哀れなことです───」
 慈悲の影を浮かべて呟き、言葉の余韻が闇に吸い込まれるのを見届けたかのような間の後、
青年は奥の部屋へと続く扉を開けた。
 鏡に写る、黒衣の青年。鏡の中の自分と視線を合わせると、部屋の空気が歪み、照度が更
に落ちた。それは、明源が重力によって塗り込められたような、圧迫されているような暗さ
だった。
 エメラルドの輝きが二つ現れた。そんな暗さの中で自ら光を放っているかのように見える
鴉の瞳が鏡に写る。
 鏡ごしに視線を交わして、青年と鴉は鏡の奥に見える漆黒の中に融けていった……。


          *         *         *


 サラサラと、小川のせせらぎが聞こえてくる。穏やかな木洩れ日の中をゆっくりと歩んで
いく。
“──また、あの夢だわ……”
 そう認識しながらも、少女は歩を緩めることをしなかった。否、できなかった。
 もう何度も見続けて、一部始終を覚えてしまった。もうすぐ……
「!!」
 ストンと足元の抜ける感覚───落ちる!
 森の中の、わずかに緑がかった土に覆われた地面があったところには、今や底なしの漆黒
がぱっくりと口を開けていた。果てしなく落下を続け、時が澱んで動きを止めようとするの
を感じながら、少女は崩れ落ちる情景と共に闇の中へと沈んでいく。
「こっちだ!」
 突然、ぐいと腕を掴まれ引き上げられた。
“──? いつもと違う?”
 二、三回まばたきをして。少女は誰かの胸の中に抱き止められていた。
「大丈夫かい」
 ゆっくりと体を離して、少女の顔を覗き込むようにして問うてきたのは、少女と同じくら
いの年齢の少年だった。どこか表情の無いような顔。けれど優しそうだ……。
「あ、ありがとう…」
 呟くように礼を言って、少女は辺りを見回した。そこは、相変わらず真っ暗ではあったけ
れど、澄んだ空のような、透明な黒さの空間だった。ここはどこだろうと思いながら、少年
の整った顔と透明な闇を見比べる。そうするうちに、何か、心が軽くなった気が、した。
 見つめていた闇の中に、ぽつんと、明かりが灯った。ひとつ、またひとつ。
「え……明かり?」
 その明かりは、少女に発見されるのを待っていたかのように、次々と仲間を呼び集め、二
人の周りに散らばった。色とりどりの小さな光の点は、まるで宇宙の星のようだ。
「わあ……、きれい……!」
 少女は思わず歓声を上げた。その瞳は、たくさんの光を吸い込んできらめいている。
「よかった……」
 少年の安堵の吐息が聞こえた。見上げると、明らかにホッとしたように、穏やかに少し微
笑みを浮かべて見つめ返してくる少年の瞳があった。
“──あ、緑……”
 その時になってようやく、少女は少年の瞳の色が不思議な濃緑の輝きを秘めていることに
気づく。闇が光に覆われた今では際立って見える黒い服。少し表情に乏しい、整った顔。瞳
のきらめきは、星々の光を反射しているせい……?
「ここは、君の〈夢〉──君の、心の中なんだ。昨夜来た時は本当に真っ暗で、もう無理か
と思ったけど……。
間に合って、良かった……!」
 少女を強く抱きしめて。それは、少年の心からの言葉だった。
 体温の感じられない少年の腕の中にいながら、少女は嫌悪感を感じはしなかった。むしろ
          ・・・
少女は、少年の身体の涼しさを心地良いと思った。そして、少年の身体が自分の体温によっ
て少しずつ温もっていくのを感じ、まるで眠りにつく直前のような安らかな幸福感に包まれ
ていた。
「……もう、大丈夫だね。君はもう〈悪夢〉に囚われたりしない。ちゃんと、自分の力で
〈夢〉を取り戻したんだから。
 もうすぐ、夜が明ける。君は目覚めて、新しい日を生きて行くんだ。応援してるよ。だか
ら、僕の分も、君は頑張って生きて……!」
 台詞が終わりに近づくにつれ、少年の身体は少しずつ透けてゆく。光の闇に吸い込まれる
ように消えた少年の残像を追って……、
 少女は、心の奥底で、魂で感じた。
       ワタシ 
 あの少年は、少女に似ていると。
 そして、あの少年は、〈夢売りの館〉の青年に似ている、と……。


           *         *         *


 時はわずかに遡る。午前2時、青年と鴉は、少女の〈夢〉の中で夢盗族の女と対峙してい
た。
 辺りは一面の暗闇。少女の心を支配する、暗黒……。
「ようこそ、〈虚夢〉へ」
 昼間とはうってかわった妖艶な笑みを浮かべて、女は不敵に告げた。
「あの娘ごと虚無に墜としてあげる」
         ガイトウ                          ヤ ミ 
 闇に溶け込む色の外套をまとった女の髪は、本来の漆黒を取り戻していた。この絶望色の                 シ ロ
空間の中で、〈夢盗族〉と〈夢使い〉の肌の白皙と、青年の肩に止まっている鴉──〈夢魔〉
    ミドリ 
の瞳の碧緑だけが浮き立っている。
                                 チカラ 
 青年は闇の奥へ目を凝らし、墜ち続ける少女を探す。それを拒む女の〈能力〉。───見
つけた……!!
 二人の〈能力〉のぶつかり合いをじっと見つめていた鴉は、そこにふいに介入してきた
 チカラ
〈意識〉に気づいて青年を見上げた。二人も同時に気づいたらしく、動きを止める。
 伝わる。
    スミ  タマ             ヴィション 
 まるで墨の溜りに水滴を垂らしたかのような映像。闇が、吸い込まれて……、溶けてゆく。
透明の中に。
「チッ、何奴!」
 女が吐き捨てるように呟いた。
     ユ メ                            ・・
 少女の〈意識〉に、明かりが灯ってしまう。“失敗”だ。それにしてもこの少年は、……!
「───……!」
 青年は瞠目して立ち尽くしていた。この、気配、は……。
『あの子供──だな』
 青年の心を代弁するかのように、鴉の思念が響いた。数年前、目の前の〈夢盗族〉の女に
    ヤ ミ 
捕われ、絶望に沈んだ少年。
「まさか……!」
 叫んだのは〈夢盗族〉の女だった。
「あれは、あの気配は……。そんな馬鹿な、あの子は確かに闇に沈んで、飲み込まれたのを
見たのに……」
   コ 
『この娘の〈夢〉は、僕がもらった──!』
 〈夢盗族〉となった少年の声が響く。と同時に、空間が──少女の心が明るさを取り戻し
始めた。
「何で〈夢盗族〉が……!?」
 女の呟きは、青年と鴉の心でもあったのだろうか。
 夜明けの空のようにだんだんと光の中に溶けてゆく宇宙の中、彼らはしばらくの間ただ立
ち尽くしていた。
『──娘が目覚める』
 鴉に言われて青年は我に返り、女を見やった。同時にこちらを見た女と目が合う。
「ふっ、分が悪いわね。今日のところは退散するわ。また、いつかどこかで会いましょう」
 言うや否や、女の姿は吸い込まれるように消えていく。
 それを最後まで見届けてから、青年は静かに口を開いた。
「私たちも、帰りましょうか……」



   3 夢追う者

 穏やかな朝の光の中で、少女は目を覚ました。ゆっくりと身を起こし、大きく伸びをする。
窓を開けると、綺麗な青空が広がっていた。
「なんか……、久しぶりだわ。こんなすがすがしい朝……」
             ユウウツ
 ここ一、二カ月続いていた憂欝な気分が嘘のようだ。何か、とても長い〈夢〉を見ていた
ような気がする。今まで生きてきた時間と同じくらいに長く……。
 少女はもう一度大きく腕を伸ばし、深く息を吸い込んだ。
「──おはよう!」
                  ・・・・・
「!? ──あら、おはよう。何だかふっきれたみたいだね」
 友人の言葉に笑みを返す。数カ月ぶりの、心からの笑み。
        ・・・・・・・
「うん。なんか、生まれかわったみたいだよ」
 通学路、いつもの露店商。ふと目についた──澄んだ碧の光を放つ石。
「すいません、これください」


          *         *         *


『あの女、逃がして良かったのか?』
 うす暗い部屋の中、机の上を飛びはねて鴉が近づいてきた。
「さあ……、良くはないかも知れませんけど、まあ良かったのでは?」
 そう言ってくすくすと笑う青年に、鴉はよく分からんとでも言うように首を傾げた。台詞
                              ・・
の中身より、こんなににこやかに笑う青年が分からない。結局彼は二匹の〈夢盗族〉を捕ら
え損ねたというのに。
『まあ我には何ら関わりの無いことだ……』
 鴉は小さく呟いて、それについての思考を打ち切ることにした。
「それよりも、あの少年のことですが」
 穏やかな表情のまま、ふっと遠くを見るように青年は話し始めた。
「今まで出会った幾人もの人々の中で彼のことを良く覚えていたのには、何か理由があるよ
うな気がします」
     キオク 
 青年の《過去》に沈む少年──《彼》に、似ていたからではないか?
『ああ、だがあやつのした事は〈夢盗族〉の〈仕事〉とは全く逆だが……』
    ユ メ                           ユ メ 
 人の〈希望〉を奪う〈夢盗族〉。少女の〈希望〉を取り戻した、彼……。
     人は〈夢〉がなければ生きて行けない……
「ああ……」
 少女の〈夢〉に潜る前に言った自分の言葉を思い出した。
 そう……、彼はまだ夢を求めつづけているのだ。
「彼は……、〈夢追い人〉になったのですね……」
『〈夢追い人〉……?』
「ええ、〈夢〉を追い求めているんです。彼も、あの少女も……。〈夢盗族〉も。そして、
私やあなたも……、きっと皆同じ〈夢を追う者〉なのかも知れませんね」
 きっと、あの《少年》も。
 記憶をたどるように目を閉じて、青年は心の中で呟いた。
 鴉が止まり木に飛び移る。ふたり同時に扉へと目を向けた。
「すいません、夢占いをしてほしいんですけど」
「ええ、どうぞ」
 朝の風がさっと吹き込んで、すぐに扉は閉じられた。
 外で看板の揺れる音がする。





                                              Ende

コメント(by氷牙)

夢売りの館、続き物バージョン第2作です。
夢盗賊のオネェサンを、もっとエッチな身体にしたかったなぁと……。なんて。
本編の流れとはカンケーないところに力入れてどうすんでしょうねぇ。
“Nachst”、“Ende”はドイツ語です。それぞれ“Next”、“End”という意味でございます。




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