鴉と黒猫


     ユメウ    ヤカタ 
    〈夢売りの館〉
     ユメウラ
     夢占いたします。

                             カラス 
 愛想の無い看板の架かるこの小さな家の住人は、青年が一人と鴉が一羽。夢占いが主な
仕事ではあるが、その他〈夢〉に関わる相談事も引き受けている。彼らを知る者は数多く
あれど、彼らの正体を知る者はない。
 これは、そんな彼らの、ある夏の出来事である・・・。



   1 招かれざる客

「?」
 扉の外の気配に、青年と鴉は顔を見合わせた。普段の、人間の気配ではない。けれど、
同じような〈想い〉を抱いているのが分かる。
「さて……、一体どなたでしょうか……?」
 穏やかな口調のままに、青年はゆっくりと歩み寄って扉を開いた。誰もいない。
「……?」
 左右を見て、上を見て、視線を下に下ろすと……、
 そこにいたのは、一匹の黒猫だった。
「おや、これは珍しいお客さまですね」
 黒猫を見下ろして呟いた青年の声に、驚きはあまり感じられない。ゆっくりと黒猫を抱
き上げて、青年は鴉に顔を向けた。
「ほら、見てごらんなさい。かわいいでしょう」
 黒衣の青年の腕の中でしなやかな黒い肢体を丸めているその猫は、青年の声に応えるか
のように首をすり寄せた。
『……何だ、それは』
 青年の服にほとんど同化してしまっている物体を眺めながら、鴉は吐き捨てるような言
い方をする。
「猫ですよ。ご存じありませんか」
『……それぐらい我にも分かる。我が尋ねているのは、何故そやつがここにいるのだ、と
いうことだ』
「さあ、何処からか迷い込んできたのでしょうか。それとも……」
 意味ありげに言葉を切り、黒猫の綺麗な瞳を覗き込む。
「何か、不思議な〈夢〉でも見ましたか、黒猫くん?」
『くだらん、追い出せ』
「そんなに邪険にしなくても……。ここに来たのも何かの縁です。それに、せっかくの仲
間ですし……」
『仲間?』
         ・・・・
「ええ。……ほら、おそろいでしょう?」
                    ミドリ    トラ
 全身を覆う黒い毛並みに良く映える見事な碧の瞳が鴉を捉えた。
 己と同じ色彩を持つ猫をじっと見……、鴉は吐き捨てた。
                      マト
『ふん、くだらぬな。たかが猫の分在で我の色を纏うなど……。気に入らん』
 そして大きくはばたくと窓をすり抜けて飛んでいってしまう。
 先ほど扉を開けたときの外の暑さを思い返しながら、青年は黒猫の頭を撫でた。
「黒猫くん。私はあなたが気に入りましたよ。もしよかったらしばらくここにいてください」
 ニャアーン。
 よろこんで、とでも言うように、黒猫は可愛い啼き声をあげた。



   2 黒い影

「クーロ、おいで!」
 ニャアアン
     タワムレ                コネコ
 家の庭で戯れる、幼い少年と小さな黒猫。その仔猫は、他人にあまり心を開かない少年
に出来た最初の友達だった。遊ぶときも寝るときも、いつでも一緒で──。
 けれど数年後、少年は呼吸困難を起こして入院する。難しい手術の要る病気だった。少
年の健康に悪影響を与えるとして、黒猫は捨てられてしまう。少年との再会も叶わないま
ま……。


 心に流れ込んできた痛烈な悲しみに青年は目を覚ました。〈夢売りの館〉のうす暗い店
内はいつも変わらず涼しいが、外も夕立ちが止んで暑さも少し和らいだようだ。机の上に
本を広げたまま、いつの間にか居眠りをしてしまっていたらしい。ふと足元を見ると、数
日前に迷い込んできた黒猫が丸くなって眠っていた。
「今のは……、あなたの〈夢〉ですか?」
 青年の問いかけは、応えを得られぬまま空に吸い込まれた。


「あの黒猫……、毎晩どこへ行くんでしょうねぇ?」
 今日最後の客が出ていくのを見届けると、青年は止まり木の鴉に目を向けた。
『我の関知するところではない』
 鴉の返事は相変わらずそっけない。あの黒猫がよっぽど気に入らないようだ。思わず苦
笑を浮かべながら、青年は窓の外に見える丸い月に向かって口を開いた。
「いえ……、あの〈夢〉は……。叶うと、良いですね……」
 青年の口元に浮かぶものは、いつの間にか自嘲にも似た笑みに変わっていた……。
 そして、次の朝、黒猫は戻ってこなかった。



   3 眠り猫

「あのっ…、ぼくの、ぼくの猫を探してください」
 扉が開くと同時の訴えに、青年は顔だけを扉へ向けた。
「猫、ですか?」
「はいっ、あの、夢で見たんです。だから、ここに来れば居場所が分かるかと思ってっ、」
 必死に言い募る少年の顔……。どこかで見たことがあるような気がする。青年はそう思
いながら机の上にいた鴉を右腕に乗せ、身体ごと少年を振り返る。少年の眼に鴉の姿が映っ
た。
「あっ、クロ!? ……あっちがうや、カラスか……」
『全く人間どもは……。我はカラスではないぞ』
 残念そうな少年の呟きに、鴉は機嫌を悪くしたようだ。ふと思い至って、青年は声をか
けた。
「あなたのお探しの猫というのは、もしかして、碧の眼をした黒猫ではありませんか?」
「えっ、ええ。……そこのカラ、いや、その鳥と同じような、きれいな碧の瞳で、つやつ
やの黒い毛並みで」
 鴉は青年を見上げた。ちょうどこちらを見下ろした青年と目が合う。もしかして……。
『もしや、アレのことか?』
「そうみたいですね……。───あなたの手術は成功したようですね。良かったです」
「えっ? 何でそれを?」
 少年の問いには答えず、青年は尋ねた。どんな〈夢〉を、と。
「前みたいに……一緒に遊んでる夢……。それから、ぼくのベッドの脇で、ニャアニャア
啼いて応援してくれ……、あっ!」
 バッと顔を上げた少年に、青年はうなずいた。
「行っていらっしゃい」


 やがて少年は腕の中に黒いものを抱いて戻ってきた。言うまでもなく、あの黒猫である。
「ぼくの……、ぼくのせい……? ぼくが病気になんかなったから……?」
「いいえ、それが、彼の〈望み〉だったのです」
「望み……?」
 涙をこぼす少年の頭を撫でながら、青年は黒猫の〈夢〉を告げた。
「彼は……、あなたと一緒に遊ぶ夢を見ていました。幼い頃あなたと遊んだ夢、そして治っ
たあなたとまた共に過ごす夢を……。きっと、毎夜あなたの病室の窓を見上げながら……」
『そやつの一番の望みがおまえの回復だった。それだけだ』
                        イタ
 そっけなく言い放ちながらも、この鴉も黒猫の死を悼んでいるような気がした。
 少年は、腕の中の黒猫を見下ろした。もう開かれることの無い瞳──鴉と同じ、鮮やか
な碧の宝石。
「ありがとう……」
 一番最初の、そして最高の親友に。
「ありがとう……」
 親友の想いを聞いてくれた存在に。
「お元気で」
 青年の言葉にせいいっぱいの笑みを返すと、少年は黒猫と共に館を出ていった。
 腕に鴉を乗せたまま、青年はかなしげな微笑みを浮かべてそれを見送った。


『人間のために己を犠牲にするなど……』
 鴉は苛立ちを隠そうともしない。
「無償で夢を叶えることが出来たら良いのですが……」
 青年はぽつりと呟く。そう、何を犠牲にすることもなく、ただ願っただけで叶うなら……。
『もしそうなら我等は必要なかろう? 望みに代償はつきもの、それが現実だ』
 現実・・確固たるもののようでいて、どこか頼りない感のある言葉だ。
 その台詞は青年の口にのぼることなく、心の底にまた沈んでいった。
                             ・・・・
『代償を払ってまで望むなら、自らのことを望めば良いものを。魔性の色を纏っておきな
がら、他者のために、よりによって人間などのために望むなど』
 そう、鴉は苛立っていたのだ。鴉には、黒猫が最初に館に来たとき既に彼の望みが分かっ
ていたのだから。
「魔性の色だなんて……、私はそんなこと思っていませんよ。あの少年もそうでしょう。
           カ レ 
 “綺麗な碧の瞳”と、黒猫の瞳を、あなたの瞳をそう言いましたよね」
 青年はなだめるように口を開いた。
「それに。彼の望みはあなたの言うほど理不尽ではありませんよ。彼の望みは、確かにあ
の少年のためのものではありましたが、同時に彼自身の望み、彼自身のための望みでもあっ
たのですから」
          モ ノ 
『我には理解の出来ぬ感情だ。結局あやつとは合い入れぬものなのだな』
「そんなことは…ありませんよ。同じ瞳・・何か共鳴するものがあったでしょう?」
 イタワ        ソソノカ            アイマイ
 労るように、唆すように……。密かな笑みを曖昧に浮かべて、青年は目の前の神秘色の
ソウボウ                              エイゴウ                    イ
双眸を見つめた。永遠を映す瞳だ。未来永劫変わらない木もれ日の色、凍てつく氷河の色、
きらめく緑玉石──
「彼の望みは、今確かに叶えられているはずです……」
『ああ……、確かに、な……』

 永遠の眠りについた黒猫は、永遠に夢を見るだろう。
 少年と共に過ごす時の夢を……。
 少年の温もりに守られて眠りながら……。



                                              Ende

コメント(by氷牙)

夢売りの館・番外編です。これで夢売りのシリーズはすべてです(もう公に出したくないヤツは除く)。
ちょっと優しいトコもある(?)鴉くんのお話。
・・・というのはウソで、この、黒猫が書きたくて書いたハナシでした。
相川は、以前、家で黒猫を飼っていたんですね。単純に「クロ」って名前だったんですが。
黒い毛並みに、見事な緑の瞳。黄緑じゃなくて、ホントに緑。キレイだった。
世界一キレイな瞳の猫だと思った。
でも、性格は非常に卑屈で、イライラするよ〜な子だったんですけどねぇ(苦笑)。
夢売りの鴉クンが、碧の目になったのは、クロがモデルだからです。実は。
でも、交通事故で死んでしまって。もう、6年になる、かな。
5年前、夏に出した本でこの話を発表したときに、君の一周忌に捧げますって書いたからね。

もうすぐ7月が終わる。クロ、君が動かなくなった日が、もうすぐ来るね。僕はまだ覚えてるよ。
硬くなった君を抱いたこと、血が付いた君の額、路肩の色。朝の空気。
いまでも黒猫が一番好きだよ。
でも、君ほど見事な毛並みで、キレイな瞳をした猫には出会っていないんだ。

・・・・・・安らかに眠ってください。もうすぐ実家帰るから、鰹節と焼き海苔でもお供えするよ。




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