3 しんしん


 空気の凍る音が聞こえてきそうな夜、ふと青年は目を覚ました。そっと身を起こし、自
分を“呼んだ”その声の主を探る。
 闇の中から現れた鴉がぶっきらぼうに答えを教えた。
『あの娘が来ているぞ』
 一瞬息を飲み、青年は店内へと駆け出した。
「──ごめんなさい、こんな遅くに」
 店の扉を中から開けると、少女が立っていた。いつもと同じ、淡い色のコートに、今日
は白いニットの帽子をかぶっている。もう見慣れた不揃いな毛先が、ごくわずかだけ、帽
子の下からのぞいていた。
「<夢>を、売ってくれませんか?」
 白い吐息とともに、少女は告げた。
「今まであたしが売った<夢>を、全部買いたいんです」
「────わかりました。どうぞ中へ」
 青年の声音にまじる厳しさに気づいて少女が笑う。
「わがままな女だと思ってるでしょう?」
「? ──いいえ、」
「そう。ありがとう」
 少女を椅子に座らせて、青年は奥の棚から小箱を持ち出してきた。少女の胸にちょうど
抱えられる程度の、時代がかった古びた宝石箱だ。
「こんな素敵な箱に入れてくれてたんだ。……なんかうれしいな」
「どうぞ、これがあなたの<夢>です」
                ビロード
 軋んだ音を立てて蓋が開く。赤い天鵞絨が張られた箱の中には、しゃぼん玉のようなき
らめきを放つ、大粒のビー玉に似た玉が納められていた。
「これがあたしの<夢>……。なんだ、けっこう少ないのね」
「全部で22個あるはずです」
「22個? うそよ、ひとつ足りないわ」
「──っ」
 青年の言葉を少女は即座に否定した。
「……いえ、ここにあるのは22個です」
「じゃあひとつないのね。あたしはあたしの夢を全部買いたいって言ったのよ」
『最後のひとつはここにある』
 止まり木で一部始終を聞いていた鴉が口を開いた。青年の制止を聞かず、少女の目の前
に降り立つ。促され少女が手のひらを差し出すと、鴉はその上に、ひときわ明るく輝く虹
色の玉を乗せた。
「その夢は……!」
『この娘がそれを<望む>のだ。おまえに止める権利はない』
 威厳に満ちた鴉の言葉に、青年の肩がぴくりと震える。
「ありがとう」
 少女は慈愛に満ちた眼差しで青年と鴉を包んだ。
「私のわがままを聞いてくれてありがとう。さいごに、私からのクリスマスプレゼント。
<夢>をあげるわ」
                          ヒカリ
 銀色の雪に包まれて、暖かい灯に包まれて、人々は皆幸せな夢を見るの。家族揃って食
卓を囲む夢、友人と未来を語る夢、恋人の温もりに触れる夢。
 すべての人に、優しい雪が降るように────
 <夢>の小箱を胸に抱いて、やわらかい微笑みを刻んだまま少女の姿が薄れてゆく。
 少女の気配が完全に消えたとき、かとん、と床面が小さな音を立てた。
「ロザリオ…………」
 それは、聖銀で作られた十字架だった。



   4 天使の涙


「まりあはっ! まりあはどこに行ったんだ!!」
 突然飛び込んできた少年に、鴉は迷惑そうな視線を向けた。青年も微かに眉をひそめ、
けれど丁寧な口調のまま尋ねる。
「まりあ、というのは……?」
「オレと同じくらいの女の子が来ただろう? 肩下くらいの、ふわふわの巻き毛の」
「──いえ、そのような方はいらしてませんが」
「そんな……っ」
 途方に暮れる少年を見つめ、鴉が碧緑の瞳をきらめかせる。
『まりあ、という娘を、探しているのか……?』
「ああ! 今朝病院に行ったら姿が見えなくて。外出許可なんか出るはずないのに……!!」
 は、と胸をつかれて青年は鴉を振り返った。
「もしや……」
『ああ、我らのもとに来た、あの娘であろう』
「やっぱりまりあはここに来たのか!?」
 掴みかかる勢いの少年に、青年は微かに首肯する。
「一体何を……」
「<夢>を、買ってくれ、と」
「<夢>……?」
「ええ、毎日のようにここへ来て、<夢>を私に預けていきました。──けれど昨夜、そ
れらすべてを持ち帰られましたが」
「そんな……」
 ガクゼン       カブリ
 愕然と、少年は頭を振った。
「そんなばかな……。だってまりあは、あいつはずっと病院にいたんだ。オレだって毎日
会いに行ってたのに。ここに来られるわけない……」
『現実には無理でも、非現実の夢の中ならばいかようにもなる』
 鴉の言葉は、少年にはなぜか死刑宣告のように聞こえた。
「そんな……」
「ここは──<夢売りの館>は、夢と現の狭間にあります。私も、この鴉も、現の世に身
体を持ちながら、幻の存在なのです。彼女の<思い>の強さは……、私たちには、夢の世
                                                                   マゴ
界から来たのか現の世界から来たものなのか、見分ける術はありません。彼女は紛うこと
なく<人>ですから──強い<望み>を抱えた<人>ですから」
 しん、とすべての音が遠くなった。窓に目をやると、外は薄暗く、そしてほのかに明る
かった。
「雪……?」
 呆然として少年が呟く。鴉も青年も、同じような思いで窓の外に舞うぼたん雪を見つめ
ていた。
 年の瀬の近いこの時期に、この街に雪が降ることは滅多にない。ホワイトクリスマスと
                                  ファンタジー
いう言葉は、遠い街とドラマの中だけの空想物語だ。
 昨夜、最後に聞いた少女の言葉が思い出される。
  ──銀色の雪に包まれて、暖かい灯に包まれて、人々は皆幸せな夢を見るの。
「ああ……、そうだったのですね……」
 目を閉じて、青年は吐息を漏らした。頬には諦めにも似た笑みが浮かんでいる。
「外へ出ましょう。──この雪は、彼女からあなたへの、いえ、人々への贈り物ですよ」
「え……?」
「さあ、行きましょう」
 少年に向けられたその微笑みは、彼がいつも病室で見ていた少女の笑みにとてもよく似
ていた。


 空を見上げ、灰色の雲の中から湧き出るように降ってくる雪に手をのばす。そうしてずっ
と見つめていると、雪の粒が下りてくるのか上ってくるのかわからなくなる。自分の身体
が、落ちていくような昇っていくような、不思議な感覚に包まれる。
 どのくらいそうしていただろうか。雪の粒の中に、きらきらと光るものが混じるように
なった。街を往く人々もそれに気づき、歓声を上げるのも忘れて立ち止まり、空を見上げ
る。
 きらきらと、虹色に光る雪が、降ってくる。
       トモシビ
 暖かい灯火のようなその光る雪は、人々の頬に触れ、髪に服に触れて、すっと中に溶け
込んでいく。
「あ……」
 ひとかけらの灯に触れて、少年が小さく声をあげた。
 青年のもとにも、ひとかけら、光る雪が降りてくる。両手のひらで受け止めて、青年は
いつか聞いた木漏れ日の森が身体を通り抜けたのを感じた。
「まりあ……」
 静かに涙を流して、少年が天を仰ぐ。
『あの娘……、集めた<夢>を何に使うのかと思えば……』
 呆れたような鴉の声音が、優しそうに感じたのは気のせいだろうか。
 頬に触れた雪が溶け、雫となって流れ落ちる。
 それは決して悲しみの涙ではなく。
                                 ヒカリ   ソラ
 誰よりも満たされた気持ちで、少年は灯の降る天を見つめていた。
 青年は不透明な灰色の雲の向こうに、古びた宝石箱を抱えて微笑む少女の姿を見た気が
した。
 見慣れた不揃いの髪ではなく。やわらかく巻かれた髪が頬にかかる。穏やかな微笑みは、
愛と慈しみをたたえていて。
 ──あたしは泣いていたわ。幸せだと感じた。
 あたたかい雪が、降りつもる。街を、人々を、包み込むように。埋め尽くすように。洗
い流すように。


 雪はその日一晩降り続き、街中をすべて銀色に覆い尽くした。
 小さな看板の上にも、同じように雪が積もっている。
 風のない白銀の朝、どこかで看板の揺れる音がした。


                                   Ende



コメント(by氷牙)     2000.12.25

夢売りの館・番外編です。もう書かない、と言ったはずなのになぜか書いてしまったのは、SSSを創作サイトとして独立させ、いろいろな方に読んでいただいて、やはりこのシリーズが一番評判が良く、そして相川もやはりこの話、そして登場人物(?)たちを気に入っているからでした。
久しぶりに書いた彼ら、けれどやはりどこか変わっていますね。もちろん変わっていないところもある。
意識して変えたところ・変えなかったところもあります。
今回は、ちょっと青年の人間くさいところを出してみようかと(笑)。少女に淡い恋心を抱かせようかとも思ったんですが、さすがにそれは止めました(苦笑)。なんか思い入れはあるみたいですけどね。
あと、少女の名前、まりあ。このシリーズでは初めての固有名詞です。青年とか鴉とか猫とか少年とか少女とか男とか女とか。そんなんばっかでしたから。
しかし、今回書き終わって思ったこと。
────このシリーズに、病院はつきものなのか……?(^^;)




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