いざよい ゆめがたり



   第一夜 うたかた ─ ephemera ─


 喉の渇きを覚えて目が覚めた。心地よいひとときを邪魔された不快感は思いのほか強い。ぺたりと床に足裏をつけて立ち上がり、私は灯りを点けないまま、キッチンへの短い道のりを辿った。
 夕餉の熱気が残っているはずもないのに、キッチンは生温かい。剥き出しの肩にまとわりつく髪を、水滴を払う犬のように振り払った。
 微かな摩擦音に反応するように、冷蔵庫のモーターが主張を始める。眠りを妨げた私に怒っているのだろうか。だがどうせ起こしてしまったのなら、今更取り繕っても意味がない。私は低く唸る冷蔵庫に歩み寄り、手を伸ばして彼の腹を割り開いた。鮮やかなオレンジの光が零れ落ちる。
 透きとおるプラスチックの肋骨の隙間、濃い褐色の液体を蓄えたボトルを掴みあげて、意味もなく陽に透かすように翳してからキャップをひねった。
 ぷしり。小さな断末魔とも産声ともつかない音が上がる。我先に逃げだそうとする二酸化炭素ごと、コカインの溶けた水を飲んだ。喉をくすぐる刺激が心地よい。甘ったるくて嫌だと兄は言うが、私はこの重苦しい甘さが口の中で弾けるアンバランスが好きだった。
 冷蔵庫を開け放したまま半分を飲む。オレンジの光の満ちる庫内に、垂れ流すほどの冷気はもう残っていない。キッチンの温かさが彼を浸食する。あとはゆっくり、熱に浮かされてコワレていくだけだ。
 半分ほど飲んだところで、しゃがみこんでオレンジの光に残りを透かした。気泡が立ちのぼる。毒々しく色づけされた液体を眺めていると、確かにこんなものを嗜好する人間の気が知れないと言う人の気持ちもわかる気がする。とりあえず、少なくともキレイな色じゃないなと私は思った。
 私の不躾な凝視にも負けず、濃褐色の炭酸水は内包する二酸化炭素を吐き出し続けている。
 冷蔵庫のモーター音が大きくなる。気泡の弾ける音と重なり飲み込んでいく。
 毒めいた色の小さな断末魔を見つめ続ける私の脳で、ふいに昔の記憶が立ちのぼり、弾けた。
 淀んだ水面、湧き上がる半透明の泡。流れの不自然にせき止められた川岸で膨れる腐敗のタマゴ。粘性があるらしく、なかなか割れる気配のない気泡を不思議に思って問いかけると、兄は曖昧な表情で微笑んだ。
『見ててごらん、今すぐじゃなくても、そのうち割れるから』
 言葉通り、濁った気泡は破裂して腐臭を世界に解き放った。
 それは確かに良い香りではなかったはずだが、悪臭と言い切るにはどこか惜しいような、同情にも似た想いを抱かせる匂いだった。
 兄の蓄える液体はどんな味と匂いをしているのだろう。兄の水面に浮かぶ泡は、あっさりと弾けて消えるだろうか、それとも粘り気をもって私を絡め取るだろうか。生温く気の抜けた炭酸水を飲みながら、隣室に眠る兄を想った。




to be continued to “乾いた道” ─ dry road ─


Special thanks to【16のお題】遊蝶sama





コメント(by氷牙)     2004.6.16

2月22日のコミティア合わせの無料本、というか4月発行新刊の宣伝予告本。
16のお題】samaの御題其の五をお借りしました。
最近「〜のお題」って流行ってますが、100とか50とか、めんどくさがりで飽きっぽい相川には不向きなのですよ(笑)。でも、これは16。……うん、これくらいならできそうだし、なによりお題が面白い!(=興味深い) とってもアイカワゴコロ(ナニソレ)をくすぐる単語やらフレーズやらが散りばめられておりまして、これは是非ともと思ったのでした。

で、できたのがこの『いざよい ゆめがたり』で、……何やらいつもの相川の物語とは一線を画した暗さ(笑)の話に。
相川の特徴らしい「体感的な書き方」はココでも発揮されています。ええとても。──でもあんまりリアルに想像&体感しすぎると、気持ち悪くなるおそれがあるので気をつけてくださいね(苦笑)。第一夜はともかく、その先、特に第十夜(笑)。 でも全力投球しました。がんばった。本の表紙とか中表紙とかレイアウトもちょっと凝ってます。良かったら、手にとって読んでやってください。
ちなみに各章タイトル(16コのお題)は以下の通り。
01. うたかた
02. 乾いた道
03. 合わせ鏡
04. 微熱
05. 子守唄
06. 吐息
07. 石楠花
08. 陽炎
09. 四角い青
10. 禁忌
11. 墓地の足跡
12. 切れないハサミ
13. 耳鳴り
14. 祈り
15. 世界
16. 落ちた星屑

(ところで、後になって気づいたけど、これって今流行りの「妹」モノだったのね……?(笑))
(いやこんな妹に萌える兄はあまりいないだろう(笑))


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