marmalade 〜Bitter&Sweet〜



 何か嫌なことがあってイラついたり、悲しい気分になったらクレープを作るといい。そ
          カオル
う教えてくれたのは、芳流だった。
「──クレープ? パンじゃないの?」
 苛立ちをパン生地にぶつけるようにこねるとストレス解消にもなってちょうど良い、と
いうのなら聞いたことがある。そう言うと、彼女はくすりと笑って肩をすくめた。
「ふふっ、私もそれ聞いたことある。でも、うちではいつでもクレープよ。ママが発明し
たの。他のお菓子じゃなくて、クレープなの」
「なんで?」
「クレープって、中にいろんなものを包むでしょ? 甘〜いクリームとくだものと。一緒
に、その日にあった嫌なことも包んで食べちゃうの。そうすれば、イライラも悲しいのも
なくなっちゃうんだって」
 仲良しの印にと彼女のお母さんが作ってくれた、彼女の家で初めて食べたおやつはチョ
コバナナクレープだった。
 今でも覚えている。バナナとホイップクリームを乗せて、チョコレートソースとカラー
スプレーをたっぷりかけて。
 あったかくて甘いクレープは、その生地のやわらかさで私たちを優しく包んでくれた。


 そして今、私は孤軍奮闘、クレープを作っている。
 今日、学校で芳流とケンカをしてしまったのだ。理由は全然大したことない、いつもな
らちょっとの言い合いにすらならないようなことだったのに、今日はタイミングが悪かっ
た。委員会の方のゴタゴタで苛ついて、他の子に八つ当たりめいたキツイことを言ってし
まったところを彼女にたしなめられた。そこですぐ謝ればよかったのに、私はその子にも
芳流にも、さらにキツイ言葉を投げつけてしまったのだ。
『そんな響子ちゃんなんか嫌い! もう知らないっ!』
 何度かの言葉の応酬の末、涙ぐみ上目遣いに睨んで駆け出した彼女を、追いかけようと
もしなかった。
 もう知らない! ──こっちだってもう知るもんか!
 そのまま学校が終わり、一人で家に帰ってきて、──一息ついたら途端に後悔の念が押
し寄せてきた。ひとしきりぐるぐる悩んだ後にふと浮かんだのは、何年も前の彼女の言葉。
ばたばたとキッチンに駆け込み冷蔵庫の中身を調べ、スーパーに走る。慌ただしく帰って
くるとすぐ、私はクレープを作り始めた。
 ホットケーキの粉で作る、お手軽クレープだ。けれどそれですら、慣れない私には難し
い。厚焼きクレープだか薄焼きホットケーキだかわからないシロモノをいくつも作り、よ
うやくそれなりの形のものができあがった。
 次にホイップクリームを作ろうとして冷蔵庫を開ける。と、目に飛び込んできたのは、
──ガラス瓶に詰まった、オレンジ・マーマレード。
 惹かれるままに手を伸ばし、瓶を手に調理台に戻ると、スプーンですくって失敗作のほ
う、クレープもどきの生地の上に乗せた。ところどころに開いた穴からはみ出ないよう注
意して包んで、口に運ぶ。
 甘さ控えめのマーマレードは、オレンジの皮の苦さと酸っぱさとが強く、その後味は今
の私の後悔をそのまま表しているかのように思われた。
『嫌なことも包んで食べちゃうの』
 嫌な気持ちも、嫌な私も食べてなくしてしまおう。そして、芳流に謝って仲直りをしよ
う。
 残りを一気に食べてしまうと、今度こそホイップクリーム作りに取りかかった。


 バナナを切って並べ、クリームを乗せて、チョコレートをたっぷりかけて……。
「できた……っ」
 ほっとして、その場に座り込みそうになる。でもそんなことをしたら、スカートが床に
散乱したクレープの材料たちのなれの果てで汚れてしまうと思い、なんとか踏みとどまっ
た。
 大きく深呼吸をして。とりあえずこの残骸だけでも片付けてから芳流の家へ行こう、そ
う思って腕まくりをしなおした時、来客を告げるチャイムが鳴った。
「はい、どなたですか?」
「──こ、小泉です。響子ちゃんいますか?」
「か、おるっ!?」
 叫んでガシャンとインターホンを叩きつけ、玄関に走る。勢いにまかせて押し開けた扉
の先には、目を丸くした芳流がいた。
「びっ、くりした……。────あの、響子ちゃん、あのね……今日はごめんね」
 俯いてわずかに首を傾げ、窺うように目線を上げる。
「え……っ、ううん! 私の方こそ……っ」
「あのね、これ……仲直りしようと思って、」
「──もしかして、…………クレープ?」
 紙製のボックスを差し出したまま、こくんとひとつ頷いた芳流を呆然と見つめて……、
私ははじけるように笑い出していた。
「え、え? 響子ちゃん?」
「やっだなぁ、もう……。考えるコト同じなんだから」
 怪訝そうにしていた大きな目が、さらに丸く大きくなる。
「え……っ、響子ちゃんも?」
「うん。芳流のみたいに上手じゃないけど、よかったら食べてってよ」
 ダイニングテーブルに向かい合って座り、互いの作ったクレープを交換する。
「──あっまー……。ちょっと芳流、このクリーム、砂糖多すぎ」
 さっきまで、苦みの残るマーマレードが口の中に残っていたせいで、そのクレープは余
計に甘く感じられた。
「だって甘めにしようと思ったんだもの。それにそんなこと言うけど、響子ちゃんだって
これ、チョコレートいくらなんでもかけすぎだよ」
「だって芳流、チョコ好きじゃん」
「好きだけどー、限度ってものが……」
 眉を寄せて顔を見合わせ、ぷっと同時に吹きだした。
「甘すぎて口ん中ヘンになりそう。紅茶入れるね」
 その日、私たちは生まれて初めて砂糖抜きの紅茶を飲んだ。
「なんか大人になったみたい」
「大人の印は、砂糖抜きのコーヒー、でしょ」
「そんな苦いの飲めないよ……」
「じゃあそれは、次の仲直りの時にでも?」
「え……っ。────もう、やだよ。響子ちゃんとケンカするのやだ」
「うん。────そうだね」
 どうか。
 二人で砂糖抜きのコーヒーを飲む日が来ませんように。
 苦い後悔の念をクレープに包んで食べる日がもう来ませんように。
 甘すぎるほどに甘いクレープを、少し大人になった紅茶で食べて、私と芳流は今までよ
りもっと仲良くなれた気がした。
 私の家のキッチンは、その日一日、クレープの甘いにおいで満たされていた。

                                       fin.


コメント(from 氷牙)          2001.5.13

掲示板900HITのAyumiさんに捧げた創作。
お題は「クレープ」(900の語呂合わせ)、──けっこう、すんなり行きました。というか、ふとした弾みで(?)冒頭の『嫌なことがあったら〜』っていうのが浮かびまして。そしたらさくさくっと。
しかしこの話、珍しくタイトルに苦労いたしました。キーワードはいくつかあって、でもその中のどれを使おう……?と。結局こんな感じに。折衷案? なんかずるい手な気がしないでもありませんが(苦笑)。
女の子の友情っていうのは、けっこう、良いものなのかも知れないと思う今日この頃。昔はキライだったんですが(苦笑)。なんかあれですよね、対・恋人のように、一喜一憂しちゃうあたりが、かわいいなぁと。…………年かなぁ?(^^;)
主人公たちの名前、実はそれなりに意味があったりして。芳流ちゃん、“お菓子のような甘い匂いが漂う子”というイメージ。彼女のお母さんはお菓子を作るのがお仕事だったりという裏設定が。響子ちゃん、何となく、きつめの性格の子、というイメージで浮かんだ名前。しかし二人とも、見事に僕の好み系の名前ですな……(^^;)




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