君が望むすべてを




 望んではいけない。
 望みは叶わないものだから。



            ノゾム
 今日も夢見が悪かった。望霧は小さくため息をついた。ぐっすりと眠れたためしがない。安眠は、必ず途中で破られるものと相場が決まっている。
 望霧は重い身体を起こし、支度をした。学校へ行かなくては。それは望霧にとって、ひとつの義務だ。“普通の”生活を送るための、義務のひとつ。
「ノゾムー! おはよう!」
 クラスメイトに朝の挨拶を返すころには、望霧の表情から憂鬱の気配は消え去っていた。けれど胸の内には澱のように陰鬱な気持ちが降り積もっている。
「なんだよ、今日もくそ真面目な顔してんな」
 二学期が始まったばかりの真夏だというのに、望霧はシャツの襟をきっちり上まで止めていた。汗ひとつかいていない。学ランを着ていたとしても、それは変わらないのではないかと、真面目に過ぎる友人を心配して、廣田秋則は小さく息をついた。
「望霧。宿題終わった?」
「うん」
「全部?」
「うん、終わってるよ。でも見せないよ」
「うっわ、聞く前に答えるなよ」
「廣田の言いそうなことくらいわかるよ」
 ニシシと声に出して笑い、廣田はまだ夏の色をした空を見上げた。
「あ〜、早く涼しくなんないかな〜」
「そうだね」
 うなずきながら、望霧がまったく別のことを考えているのを、廣田はおそらく知らないだろう。望霧が何を望んでいるのかを。
 何を望んでも、どうせ叶いはしないのだから。
 望霧は視線を落とした。後頭部に日光が突き刺さる。


   こんな世界なんか、滅んでしまえばいい。



*       *       *



「転校生を紹介する」
 教壇に登ると、担任の松井はそう切り出した。途端に教室にざわめきが広がる。
 学期の初日でもないのに。皆の心に浮かぶ疑問は同じだった。
 神経質そうな、半分だけ銀縁の眼鏡を押し上げて、松井が廊下に目を向ける。
「入りなさい」
 一陣の風が吹いた。望霧にはそう思えた。
 入ってきたのは一人の少年だった。黒い髪は長すぎも短かすぎもせず、無造作に放置されている。硬い髪質なのか、わずかに逆立てたようになっているのが、勝気な表情に合っていた。
 やけに自信に満ちた表情をしている。転校初日の不安はないのだろうか。望霧は自分とは対極にありそうな少年に、憎悪に近い羨望を抱いた。彼は悪夢にうなされて飛び起きることなどないのだろう。世界の破滅を望んだことなどないのだろう。
 そのとき、ふいに転校生の少年と目が合った。少年は明らかに望霧に向けて笑みを浮かべた。
 教室内を見回し、強い視線で皆を威圧して、少年は背を向けると黒板に字を書いた。
   叶 灯留
「カナイ・トオルです。よろしく」
 よく通る声だった。強く、力のある声だった。
 再び教室がざわめいた。
「叶だってよ。望霧、おまえと一緒じゃん」
 親戚か何か?
 廣田の声を遠くに聞きながら、望霧は目を瞠って立ち上がっていた。椅子が倒れる音が背後で聞こえた。
   カナイ
   “叶”
「よぉ、ノゾム」
 叶灯留は気安く望霧の名前を呼んだ。廣田の声が聞こえていたとは思えない。全身で警戒を示す望霧に灯留が笑う。
「なんだよ、そんな緊張すんなって」
「……誰だ、お前」
「叶 灯留」
 さっき名乗ったばっかだろ、当たり前のように灯留は答えた。
「そうじゃな……、!?」
 そのとき初めて、望霧は周囲の異変に気がついた。
「遅いって」
 声がすぐ間近で聞こえた。灯留は望霧の目の前にいた。とっさに後ずさった望霧の腕をつかんで引き寄せる。
「逃げんなよ」
「何を……何をした!?」
 望霧の周りには灯留しかいなかった。廣田も、担任の松井も、他のクラスメイトたちも、誰一人として教室にいない。いた名残さえない。
「何怯えてんだよ。ちょっと結界張っただけだって」
 灯留の言葉は、望霧に更なる驚きを与えた。
「結界って……」
「お前もできんだろ」
「……君も」
「さっき名乗っただろ。“叶”灯留だ」
「叶の、」
「そ」
 灯留は短く頷いた。
「“叶”の能力者」
 恐慌に陥るとはこのときの望霧のことを言うのだろう。望霧は全身を震わせて逃げようとした。だが腕をつかむ灯留の力は強く、振りほどけそうもない。
「おい、待てって。逃げんなよ」
「何をしに来たんだ……!」
「何って」
 そこで初めて、灯留は何かを躊躇う素振りを見せた。だがそれも一瞬のこと、すぐに自信に満ちた笑みが戻る。
「お前を攫いに」
「……!?」
「なんてな。ウソ。ほんとはお前を連れ出しに来たんだ」
 連れ出す。
 それは望霧にとって、魅力的な言葉だった。
「どこへ」
 期待してはいけない。望んではいけない。──望みは叶わないものなのだから。警鐘が鳴る。
 灯留は口端を引き上げ、歯を見せて笑った。
「どこへでも」


 ふと気がつくと、ガラリと音を立てて前の扉が開き、担任の松井が胃下垂気味の細い身体を滑らせて入ってきた。そこは教室だった。
 号令がかかり、半ば無意識に望霧は立ち上がり、礼をして席についた。
「転校生を紹介する」
 教壇に登ると、担任の松井はそう切り出した。途端に教室にざわめきが広がる。
「おい、こんな時期に転校生だってよ」
 後ろから廣田が背中をつついた。頷きながら、望霧は風を纏って灯留が入ってくるのを待っていた。
 気のせいかもしれない。望霧の思い過ごし、白昼夢かもしれない。
 望んではいけない。
「叶くん」
 名を呼ばれ、望霧はびくりと肩を震わせて教壇を見た。松井の視線は、望霧ではなく扉の向こう、廊下に向けられていた。
 颯爽と、風を纏って少年が現れた。
「叶 灯留です。よろしく」
 灯留は望霧を見つめて笑った。



fin.





コメント(from 氷牙)          2003.5.11

とっても“プロローグ”な話(笑)。けど一応、コレで終わりです(ええ!?)。
続きはあるようなないような……?

TOP15000HIT、叶望霧(カナイ・ノゾム)さまからのリクエストは、「作中に叶様のお名前を使用する」ということでした。
せっかくなので、主役に。──しかしこんな破滅的な後ろ向きまっしぐらGOな人に(苦笑)。相川の好きな某小説家さんのお話の中にやはり『叶』という名字の人がいるのですが(読みは違う)、その人が「『叶う』というより『叶わない』なイメージがある」というようなことを仰っていて。なんだかすごく納得してしまって。それにお名前の『望霧』というのも、望みが霧のように儚いモノ、みたいなイメージで……。それでこんなヒトになってしまい……。すみません。
おまけにUPがとても遅れてしまって……(滝汗)。
実は、ずいぶん前に書き上がってはいたのですが、叶サマと連絡が取れなくなってしまったため、UPするかどうか悩んでいたのです。が、結局こうしてUPすることにいたしました。叶サマ、もしくは叶サマをご存じの方、もしこちらをご覧になりましたら相川までご一報くださいませ。改めてこのお話を奉納させていただきたいと思います。




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