花の名前

「もうっ、ひどいよ、オリヴィエ様ったら!」
 ぷんぷんと怒りながら道を往くのは緑の守護聖・マルセルである。いつもは後ろでひと
つに束ねている金髪を、今日は下ろしているので、歩くと風をはらんでさらさらと揺れて、
光を辺りにまき散らしているようだ。そして黄緑色のマントも……と言いたいところだが、
マルセルは今日はマントを着けていなかった。というより、いつもとはずいぶん違った格
好をしていた。
 どんな格好かというと……ワンピースである。瞳より少し青みがかったすみれ色で、袖
と裾と襟元に白いレースがあしらわれている、とってもかわいらしいものだ。さらに付け
加えると、唇にはうっすらと、ピンク色の口紅が塗られている。
 服も化粧も、さすがは美しさを司る夢の守護聖・オリヴィエの見立てだけあって、とて
もよく似合っている。似合ってはいるが……、とりあえず14才の少年のする格好ではな
いのは確かだろう。
 ふと、川のせせらぎが聞こえてきた。怒りにまかせて歩くうちに、いつの間にか占いの
館を通り越して小川の近くまで来てしまったらしい。
 この川を上っていくと橋がある。橋を渡ると、ランディの私邸があり、そのもう少し先
にマルセルの邸があるのだ。さらに上流へ行くと、宮殿のある側にはルヴァとゼフェルの、
反対側にはクラヴィスとリュミエールの私邸がそれぞれあり、マルセル達がよく遊ぶ池や
森の湖につながっているのだ。今マルセルがいるところからは、対岸にオスカーの邸の屋
根が見える。その向こうにはジュリアスの私邸もあるのだが、ここからは見えない。先刻
までマルセルのいたオリヴィエの邸は、王立研究院の近く、森の手前にあった。なぜ彼の
邸だけ離れた場所にあるのかは謎だが、今のマルセルには少し都合が良い。
「……だって、こんな格好誰かに見られたら恥ずかしいよ」
 マルセルは、川辺にしゃがみこんで呟いた。川面に映る自分の姿を眺める。
「本当に、女の子みたいだ……」
 下を見ていると、気分も下向きになってしまう。このまま背が伸びなかったら……など
といろいろ考えているうちに、マルセルはなんだか悲しくなってきてしまった。草を握る
手に力がこもる。
「何か探し物かい? お嬢さん」
 突然、声をかけられびくりとした。振り向いたマルセルの目に映ったのは、燃えるよう
な赤い髪。
「あ……っ、オスカー様……」
 どうしよう、こんな格好……。
 うろたえて視線を揺らすマルセルに、炎の守護聖・オスカーは優しい声をかけた。
「ああ、そんな泣きそうな顔をするんじゃない。せっかくの美人が台無しだ。──何を探
しているんだ? 俺で良ければ手伝おう」
 ──オスカー様、ぼくだって気づいてない……?
 いつも年少のマルセルたちをからかう言葉ばかりかけているオスカーが見せる優しい顔
に、マルセルは驚いていた。この笑顔を向けられては、数多の女性が彼に入れあげるのも
うなずけるというものだ。力強い炎の髪、刺すような鋭さの凍てつく氷の色の瞳、そして
酷薄な笑みの似合いそうなうすい唇とシャープな頬は、甘い微笑みも、こんなにもよく似
合う。
 たっぷりオスカーに見とれてから、マルセルはようやく我に返って視線をはずした。不
シツケ
躾だと思われただろうか。いやそれよりも、自分がマルセルだと知れたら……。
「あっ、あのっ……友達にもらった指輪を探してるんです。このあたりで落としてしまっ
て」
 咄嗟にマルセルは嘘をついていた。緊張でうわずった声が、幸か不幸か、声変わり前の
マルセルの声を、より少女らしいものにした。
「そうか、それは大変だな」
            タメラ
 そう言うと、オスカーは躊躇いなく膝をつき、下草をかきわけながら指輪を探しはじめ
た。あるはずもない指輪を。
「そっそんなオスカー様っ! いいです、──っわたし一人で、」
 恐れ多いと慌てるマルセルに構わず、オスカーは指輪を探し続ける。
「オスカー様っ、」
 躊躇いつつも、引き止めようと手を伸ばすと、オスカーが振り向いてその手を取った。
下から見つめられて、マルセルの頬が染まる。
「こんなに美しい女性が困っているのを見て見ぬ振りは出来ないさ。──今はまだ蕾だが、
お嬢ちゃんは将来、立派なレディになるぜ、俺が保証する」
 誰にでも言っているであろう台詞だ。しかもマルセルは男なのだから、レディの保証を
されても困るのだが、口よりさらに雄弁なその眼差しに、マルセルはさらに赤くなる。ま
るでそういう魔法をかけられたかのようだった。
「だから、未来のレディの大切な指輪を、俺に探させてくれないか」
 その言葉に、マルセルは我に返った。
「でっでも! ──あの、指輪っ、なくしたのは昨日なんです。探して見つからなくて、
きょ、今日も、きっとないと思ったけど、来てみただけで……」
 必死に訴えるマルセルを、オスカーはじっと見つめていた。続く沈黙にマルセルが耐え
切れなくなった頃、ようやくオスカーが口を開く。
「そうか、では、なくした指輪には及ぶべくもないが……」
 そう言ってオスカーは、川原に生える小さな花を1本摘み取った。
「指輪の代わりに、このオスカーを拾ったということで、勘弁していただけないかな?」
 おどけたように眉を少し上げ、鮮やかにウインクをしてみせる。
「な……っ」
 マルセルは、今度こそ絶句して、一気に真っ赤になった。
「はは、そんなに恥ずかしがることはない」
 花をマルセルに押しつけて、オスカーはすっと立ち上がる。ぽんと頭を撫でて、やわら
かい笑みを浮かべた。
「お嬢ちゃんは、友達思いのいい子だな」
「そんな……」
 嘘をついている後ろめたさにマルセルは俯いた。その頬に手をかけ顔を上げさせて、オ
スカーが問う。
「良かったら名前を教えてくれないか、すみれ色の瞳のお嬢さん」
「あ……、リ、リラ、です」
「リラ……か、良い名だ。お嬢ちゃんにぴったりだな」
 咄嗟に答えた安易な偽名を、オスカーは信じたようだった。いや、もしかするとそれで
も構わないと思ったのかも知れない。
「お嬢ちゃんさえ良ければ、次の日の曜日も、ここで会ってくれないか?」
「え……っ?」
 驚いて目を見開いたマルセルに、オスカーは自信に満ちたいつもの笑みを浮かべる。
「気が向いたらでいい。次の日の曜日に、この時間、この場所で」
 待ってるぜ、すみれの姫君。
 そのまま振り向きもせずに去る背中を見送って、マルセルは呆然と呟いた。
「どうしよう……」


          *         *         *


 結局マルセルは、リラとしてオスカーに会うことを決めた。約束(やや一方的なもので
はあったが)を破ったとしても、オスカーはきっと怒らないだろう。少しは残念に思うか
も知れないが、彼と時を過ごしたいと願う女性は星の数ほどにいる。
 マルセルを動かしたものは、オスカーの、今まで知らなかった顔をもっと見てみたい、
彼ともっと話をしてみたいという思いだった。
 意を決してオリヴィエのもとへ行くと、さすがの彼も驚いていた。それもそうだろう、
いつもあんなに化粧を嫌がっているマルセルが、自ら進んで、しかも“女の子”の姿にな
りたいと言ってきたのだから。嘘とホントを適度に混ぜ合わせて理由を話すと、オリヴィ
エは協力すると言ってくれた。会いに行く相手がオスカーだということは、もちろんトッ
プシークレットだ。オリヴィエに知れたらすぐにオスカーにも伝わってしまうだろうし、
そうなったら、今まで以上に信頼されなくなってしまうのは目に見えている。
 日の曜日、オリヴィエの選んだ服を着て、化粧をしてもらい、マルセルは初めてその仕
上がりを気にして鏡を見た。鏡の中には愛らしい少女がいた。
「ん、似合ってる。キレイだよ」
 オリヴィエの言葉に振り向くと、ウインクが飛んできた。ほっとして息をつき、けれど
今度は別の不安に駆られる。
 もし、オスカーが来なかったら……。
 その思いを見透かしたように、オリヴィエが口を開いた。
「大丈夫だよ。こんなカワイイ子との約束破るヤツなんていないって」
 楽しんでおいで、と笑顔で見送られ、マルセルはオリヴィエの邸を後にした。


 マルセルが川原に着くと、果たしてそこに、オスカーはいた。軽く腕を組み、右手を顎
に当てて水の流れを見つめている。
 声をかけようと、マルセルが唾を飲み息を吸ったとき、ちょうどオスカーが振り向いた。
「リラ……。──来てくれたんだな、お嬢ちゃん」
 会えて嬉しいぜ、と微笑んだオスカーに、マルセルもぎこちなく笑みを返す。リラ、と
呟いたときの、少し驚いた表情が印象的だった。自分に思いを寄せる女性たちの期待を裏
切らぬよう、彼女たちの理想の“かっこよさ”を演じる向きのあるオスカーの、飾らない
素の表情だ。あれだけかわいがっている後輩のランディに対してもかっこいい先輩として
の振る舞いを心がけているオスカーだ、素の彼を知っているのは、もしかするとジュリア
スとオリヴィエくらいしかいないのかも知れない。
 かっこつけなくても、十分かっこいいのにな。
 オスカーのようにかっこいい男になるんだと張り切るランディと近いものを感じて、マ
ルセルは小さく笑った。気づいてオスカーが片眉を上げる。
「ん? どうした?」
「あ、えと、──ふふっ、オスカー様に会えて嬉しかったんです」
 今まで知らなかったオスカーに。肝心な言葉を省く。マルセルとしてではなく、リラと
しての言葉を伝えないと、この偶然がもたらした時間はすぐに終わってしまうから。
 真顔で瞬きをしたオスカーの、口端がにやりと楽しげに歪んだ。
「これは驚いたな。そう切り返されるとは思わなかった。何にも知らないような顔をして、
油断のならないお嬢さんだな」
 そう言いつつ、オスカーがこの会話を楽しんでいるのがわかる。素直に喜びを顔に出し
て笑うと、オスカーは今日はこの川辺で話をしようと切り出した。肩のマントをはずして
広げ、マルセルの座る場所を作る動作はさすがに手慣れている。
「──さて、何の話をしようか」
「えっと……、あ、じゃあ守護聖の皆さんについて教えてください」
「俺といるのに他の男の話をするのか?」
「えっ、そ、そんなつもりじゃ……っ。ただ、オスカー様は、他の方のことどう思ってらっ
しゃるのかなって……」
「はは、わかってるさ」
 マルセルの頭を軽く叩くように撫でると、オスカーは川面に目をやり他の守護聖たちに
ついて、自分の抱いている印象などを話し始めた。ところどころ軽い冗談を交えつつも、
オスカーが何だかんだと彼らを認め信頼していることが窺える。
「──最後はマルセルか」
 突然オスカーの口から自分の名を聞きぎくりとして、今はマルセルではなかったことを
思い出す。気づかれなかったかとどきどきしながら隣をうかがうと、オスカーは相変わら
ず川面を見つめていて、マルセルは内心ほっと息をついた。
「まだ幼く聖地に来てから日も浅いが、あいつなりに一生懸命やってると思うぜ。日に日
に成長しているのが見ていてわかる」
 そんな風に思ってもらえているとは知らなかった。いつまでも半人前の子供だとしか見
られていないのではと心配していたのに。
「見かけはあんな、可憐な少女のようだがな、けっこう気が強いんだぜ。ランディとゼフェ
ルも、何だかんだ言ってあいつには頭が上がらないらしい。3つ4つも年下のヤツにケン
カの仲裁をされるようじゃ、あいつらもまだまだだな。──あとは、マルセルのおかげで
宮殿に花が増えたのは、俺としては喜ばしいことだ。美しい女性の姿ほどではないが、花
の香りや鮮やかな色彩は、俺の心を和ませてくれる。前任のカティスは菜園作りには余念
がなかったんだが、愛でる方の花はあまり作らなくてな、いつか聖地全てが畑になっちま
うんじゃないかと気が気じゃなかったぜ」
 大げさに肩をすくめたオスカーに、マルセルはぷっと吹きだした。
「──お、そろそろ昼時だな。今日の午後はジュリアス様と遠乗りに出かける予定がある
んだ。未練はたっぷりあるが、仕方がない、そろそろ失礼させてもらうぜ」
「あ、……はい」
 明らかに落胆した様子のマルセルに、オスカーは優しい笑みを向けた。
「そんなに残念そうな顔をしてもらえるとは光栄だな。もし良ければ、また来週もここで
会ってくれないか?」
「あっ、──は、はいっ!」
「フッ、いい返事だ。──今日は楽しかったぜ、じゃあな、お嬢ちゃん」


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