STAY


「──あいつ、女嫌いだってワリには、アンジェとはよく話してるよな」
 連れだって歩く二人の姿を見やって、ゼフェルがぽつり呟いた。
「ああ、アンジェリークは、育成地に夢の力をたくさん送りたいみたいですからね。セイ
ランさんの協力が必要なんでしょう」
「ふぅん……」
「それに、彼女はどこか他の女性とは違うところがありますから。女王のサクリアとかで
はなく、きっと彼女の持ち味みたいなものでしょうけど」
 目線で尋ねたゼフェルに、ティムカは一つ頷いた。
「ええ、女王試験の時も思いましたけど、彼女には偏見がないんですよ。外見や肩書きと
いったものに囚われない。天才少女と言われたレイチェルにも臆さず対等に接していたし、
僕の身分を知った後も、それまでと何ら変わりなく接してくれた。急によそよそしくなっ
たり、逆に親密な態度を見せる人が多い中で、彼女の変わらなさは僕には救いになりまし
た。おそらく、セイランさんもそうなのではないでしょうか……」
 わずかに目を伏せ唇を閉じ、ふとゼフェルに微笑みかける。
「聖地での日々は、僕にたくさんのものを与えてくれました。王太子としての僕ではなく、
ただのティムカを見てくれる人がたくさんいるということは、今でも僕の支えです。あな
たの……」
 途中で言葉を途切らせて、墨色の瞳が躊躇いを見せる。
 ゼフェル様。改めて呼びかけて、ティムカはまっすぐにゼフェルを見つめた。
「さっき、アンジェリークの変わらなさが救いになったと言いましたけど、それ以上に、
僕を救ってくれたのは、……ゼフェル様、あなたの存在なんです。あなたの言葉が、継ぐ
べき王位の重さに押しつぶされそうになっていた僕を救ってくれた。あなたがいたからこ
そ、僕は今、王である自分とまっすぐに向き合えるんです」
「オレの…………、言葉……?」
「ふふっ、覚えていなくても構いませんよ。本当に何気ない一言だったんですから」
「そんなこと言われたらよけー気になんだろうが……」
 顔をしかめ、短い白金髪をがしがしと掻いてぼやくと、ティムカはくすりと笑みをこぼ
し、黒曜の瞳をきらめかせた。
「じゃあ、もっと気になることを教えてあげます。──ゼフェル様、僕はあのときからずっ
と、あなたに恋をしているんです」


 ここにいる間だけでいい、そばにいることを許してほしい。熱い眼差しで告げられたそ
の申し出に、ゼフェルは即答をしなかった。いや、できなかったのだ。
 一晩眠らずに考えて、翌日ゼフェルは自分からティムカのもとに向かった。
  驚いて立ち上がるティムカから目を逸らし、後ろ手に閉めた扉に寄りかかる。
「──いいぜ」
 ティムカが口を開く気配を察し、先に一言、ぼそりと呟く。
「え……?」
「だからっ、…………昨日の返事だよ」
「…………」
「別におめーのコト嫌いじゃねーし、前からずっとつるんでたわけだし、ここにいる間な
ら守護聖とか国王とかカンケーねーし、」
「ゼフェル様……」
「──ッ、そのっ、昨日は、悪かったな。いきなりでびっくりして……」
 ゼフェル様。囁きとともに手が頬に触れ、いつの間にか間近にあったティムカの身体に
抱きしめられていた。彼の服から香る、部屋に焚かれているのと同じ香が、南国の太陽と
色鮮やかな花々と、そこに住む人々の素朴な人柄とを連想させる。無機的な故郷と安穏に
すぎる聖地しか知らなかったゼフェルにとって、その香りはひどく刺激的で、それもあっ
てよくティムカの部屋に入り浸っていたことを思い出した。
 安定と変化と。自分が何を望んでいるのかも分からぬままに、それでもティムカに身を
委ねようと思ったのは。
「ティムカ……」
 熱いきらめきを秘めた黒曜の瞳を見上げる。
 ティムカの誠実さを、確かに愛おしく思っていたから。
「ゼフェル様。……あなたの唇に、触れてもいいですか」
 静かな問いかけにそっと目を閉じる。乾いた指先が唇の合わせをなぞり、やわらかく温
かい唇が押し当てられた。離れる直前で薄く開いた唇の間から、熱く濡れた感触がゼフェ
ルを促すように唇の山を撫でる。口の中に受け入れた舌はひどく熱く、優しくて、ティム
カの香のようだった。
「──なんか、意外だ……」
 唇が離れると、ゼフェルはぼんやりと独り言のように呟いた。
「? 僕と、こういうことをするのがですか?」
「いや、そーじゃなくてよ……、それより、なんつーか、こう、……ああ、おめーがこー
ゆーの言ったりしたりすんのって、……やっぱ意外だ」
「嫌ですか……?」
 不安げに眉を寄せるティムカに慌てて首を振る。
「そんなっ、……イヤなんかじゃねぇよ」
「そうですか……、“嫌じゃない”なら、それでいいです」
 謙虚な微笑みに、ゼフェルはそれ以上の言葉を言えなくなった。


「──え?」
「え、って、──え、セイランさん知らなかったんですか?」
 口を押さえたマルセルに、隣でランディが申し訳なさそうに眉を寄せる。
「すいません、俺たちてっきりセイランさんも知っているんだとばかり……」
「別にあなたたちが謝ることじゃないでしょう。──それにしても、ふぅん、ティムカが
ねぇ……」
 それはちょっと予想外だな。半眼に伏せた瞼の下で、薄水色の瞳が瞑くきらめく。
「予想外……ですか?」
「ええ。彼の性格や背負うものを鑑みるに、口にせずに終わると思っていましたからね」
「ふうん……。──でも、ティムカ、すごい幸せそうだったよね?」
「うん、そうだな。……俺にはそういう気持ちはわからないけど、ティムカのことだから、
きっとよく考えて出した結論なんだと思うよ。それで本人たちが納得済みなら、俺たちが
どうこう言う問題じゃないし」
「よく考えて……ねぇ……」
 どうだか、と言わんばかりのセイランの口調に、二人が顔を向ける。
「セイランさんは、そうは思わないんですか?」
「どんなにしっかりしているように見えても、彼はまだ16の子供だよ。──案外、あの
人の色香に惑わされて口が滑ったのかもね」
「っい、色……って……、だってゼフェルですよ!?」
「あなたにとってはただの友達でも、ティムカにとってはそうじゃないんだ。ティムカが
あの人を“そういう風”に見ているなら、あり得ない話じゃないと思うけど?」
「そ、それはそうですけど……」
「まあ、感じ方は人それぞれですからね。──じゃあ、僕はこれで」
 さっさと話を切り上げて去っていくセイランを、二人は呆然として見送った。
 湖水の瞳に浮かぶ影には、もちろん気づく由もなく。


                    *                  *                  *


「やあ。こんにちは、ゼフェル様」
「──セイラン」
 涼しげなテノールに振り返ると、そこには青紫色の髪を風に流してたたずむセイランの
姿があった。
「元気そうで何よりだ。ティムカとはどう?」
「なっ……!?」
 突然切り込まれ、ゼフェルが狼狽えて赤くなると、セイランは片手を口元に当ててくす
りと笑った。
「相変わらず素直ですねあなたは。──そう、うまくいってるんだ」
 良かったですね。
 ふいにトーンを落として呟かれた言葉。はっとして顔を上げると、セイランはもう背中
を向けていた。
「おいっ、待てよっ!」
 慌てて追いかけ腕を掴む。びくりと振り返った眼差しの鋭さに驚きながらも、ゼフェル
は前々から言おうと思っていたことを喚きたてた。
「なんなんだよてめぇ! 思わせぶりなコト言ってさっさと去りやがって! 言いたいコ
トあんならハッキリ言やぁいいだろ!!」
「ないよ別に、そんなの」
 即答する冷たい声、冷たい眼差し。さらに怒りを募らせたゼフェルが再び口を開こうと
したとき、それを封じるタイミングでセイランが笑った。
「あなたこそ。──僕に何か言いたいことがあるの? 恋人がいるのに不用心だね。そん
なに必死になって追いすがられたら、何かを期待してしまうかも知れないよ」
「え、」
「無防備すぎるって言ったのさ。聞いたことはない? ──男はみんな、狼だって」
 ぐっと腕を引かれ抱き寄せられる。酷薄な光を宿した淡い瞳が間近に迫り、薄い笑みを
浮かべた唇が押し当てられた。
 押しつけるだけのキスをして、セイランが身体を離す。呆然と立ちつくすゼフェルに見
下すような笑顔を向けて、薄い唇が言葉を吐き出した。
「気をつけなよ、ウサギさん」
 言うなり背を向け、すたすたと去っていく。
「────な……っっ!? てめっ、誰がウサギさんだっ……、おい、セイラン、待ちや
がれっ!!」
 セイランは振り向く気配すらない。さすがに再びその腕を掴みに行くことはできなくて、
ゼフェルは地団駄を踏んで喚き散らした。


「──様? ゼフェル様?」
「ああ、ワリィ……」
「どうしたんですか? ──何かありました?」
「別になんもねぇよ」
「そうですか? ならいいんですけど……」
 気遣うように呟いて、ティムカは軽く首を傾げた。耳元の飾りが微かな音を立てる。
「ランディ様とケンカでもしたんですか?」
「はぁっ!?」
 思い切り聞き返すと、ティムカは墨色の目を瞠り、次いで困ったような顔をした。
「え、だってゼフェル様、なんだか不機嫌そうでしたから……。そういうときって、ラン
ディ様とケンカしたときが多かったですから、今日もそうなのかと」
「そんなんじゃねぇよ……」
 脱力して、幾何学模様の織り込まれた布のかかるソファに背中を預ける。
 ランディとケンカ、本当にそれが理由だったらどんなにかいいだろう。今ではもう良く
も悪くも互いのことがわかるようになってしまって、理不尽にケンカをふっかけようもの
なら逆に心の中の不安を問い詰められそうで恐い。それもこれもすべてセイランが訳の分
からないことをするからだ、と八つ当たりを口に出しそうになって、ゼフェルは慌てて苛
立ちの矛先をねじ曲げた。
「くそっ……ムカツク。エルダだかなんだか知らねーけど、なんであんな得体の知れない
モンにオレたちが振り回されなきゃなんねんだ」
 しかもまたその名付け親がセイランだというのが気に入らない。
「エルダ……、そうですね、僕たちを呼んだ理由にもその正体にも、まだ謎がありますし
……。だけど、僕たちに害をなすものではない気がします」
「わかんねーだろそんなの。善良そうなツラした悪人なんてごまんといるぜ」
「ゼフェル様……」
 労るように眉をひそめたティムカに、ゼフェルはさすがに八つ当たりが過ぎたと後悔し
た。
「ちっ……。わりぃ、おめーに言ってもしょうがねぇよな。ただ、はっきりしねーコトが
多くてなんかムシャクシャして……」
「構いませんよ、僕は。心の内を吐き出すことであなたが少しでも楽になれるのなら。直
接的な解決を導くことは、残念ながら僕にはできそうにありませんから」
 そう言って微笑んだティムカの肩を、ゼフェルは引き寄せ抱きしめた。南国の香りがゼ
フェルを包む。
「ゼフェル様?」
 ティムカは優しい。こんなにも、自分を大切にしてくれる。それなのに、ティムカとの
時間をとても大切に思っているのに、心の片隅がざわつくのはなぜなんだろう。
「ティムカ……、しようぜ」
 自分で聞いても淫らな声だと思った。そして、荒んだ声だとも。
 腕に抱いた身体がびくりと揺れた。
「だめですよ……、まだ、執務中です……」
 わかってる。だけど、そういう理屈じゃなくて。
 心の内を掻き乱す理不尽な不安に抵抗する術を、ゼフェルは他に知らなかった。理性も
本能も狂わせるような衝動の渦の中に自らを落とし込むことでしか。
「そんなんカンケーねーよ。──なぁ、やろうぜ」
 おめーの髪の匂い……、そーゆー気分になるんだよ。
 首すじに頬を擦り寄せるようにして囁くと、ティムカの喉が微かに音を立てた。
 嘘は言っていない。彼の故郷の特産物のひとつである香油で整えられた髪は、彼らの性
質を表したような優しい香りをしている。優しくて、切なくて……、その奥にあるはずの
熱さが見たくなる。
 ゼフェルの頬を包み、口づける前に見せたティムカの表情を、目を閉じたゼフェルが知
ることはなかった。
 切なげに眉を寄せた、悲しみにも似た微笑みを。


「んっ……、ふ、ぅ……」
 噛み合う唇の間から、時折濡れた音が洩れる。
 日に灼けた細い腕が黒髪を掴む。
「あっ……ティム、カッ……、ぁっん、」
 熱い吐息をこぼしながら名前を呼ぶ。
「ティムカ……っ」
 ただひたすら、その名前を。
 他のことは考えないですむように。
 ただティムカのことだけ、黒く光る髪と瞳と、南国の匂いのする肌だけ考えていたいか
ら。
 他のことは、考えたくないから。
「ティムカ……っっ」
「くっ……っふ、ゼフェル様……ッ」
 耳に馴染んだ声が、ゼフェルの名前を呼ぶ。反射的に、身体がティムカの熱を搾り取る
ように動いたのがわかった。
 自然、洩れる吐息にティムカが切なげに眉を寄せる。
「ゼフェル様……ッ!!」
 背中ごと引き寄せられて際を突かれ、ゼフェルは声にならない悲鳴をあげて意識を手放
した。



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