夢語り
肩に落ちたあたたかな雫の感触に、ランディは眠りの淵から引き上げられた。
「ゼフェル……?」
呟きながら、何度か瞬きをする。間近に見えた寝顔はいつもと同じようでいて、透き通
るような銀の睫毛に涙が溜まっていた。
「ゼフェル……」
息だけでもう一度名前を呼び、背中を抱き寄せる。またひとつ雫が零れ、ランディの裸
の肩を滑り落ちた。
ゼフェルは時々、こんなふうに眠りながら泣いていることがある。何か恐い夢悲しい夢
を見ているのか、本人に訊いても噛みつかんばかりの勢いで否定されるのはわかっている
が。第一そんな朝もゼフェルの様子に変わりはなく、泣くほどの夢を見たことなんて覚え
ていないのではないかと思う。
濡れた睫毛に唇を触れさせて、汗と似た味のする雫を吸い取った。
いつも、すべての物事に対して斜に構えたポーズを取りながら、しかしゼフェルが真剣
に向き合うタイプだとランディは知っている。乱暴な言動の裏、傷つきやすい魂が見え隠
れする。ひとつ年上なはずのランディより物事をよく知っていて、ゼフェルの方がよほど
しっかりしているように見えることも多いけれど、こんなときのゼフェルはあまりに儚く
て、脆くて触れたら壊れそうで、けれど抱きしめずにはいられない。
ゼフェルはきっと、不安なのだろう。
この穏やかな時の終わりがいつか来ることを知っているから。
特にゼフェルは、次期守護聖となることを告げられてからすぐに聖地に連れてこられた
のだ。それまでのあたりまえの日々を、ある日突然失ったのだ。いつかサクリアが衰え聖
地を去る日、あのときと同じように、今度は聖地での、ランディとの日々を、奪われるこ
とを恐れるのだろう。
その気持ちは少しはわかるけれど、かと言ってランディにはどうすることもできない。
ただ少しでもそれを忘れられるように、できることならそんなことを考えずにすむくらい
に、できる限りの方法で幸せな時間を作っていくだけだ。
やがて来る結末を変えられないのなら、それまでの時間を、怯えて過ごすより精一杯ふ
たりで過ごした方がいい。
「ゼフェル……、泣かないで、ゼフェル。俺はちゃんとここにいるから。ゼフェルのそば
にいるから。──ゼフェル、好きだよ……」
銀色の涙を抱きながら眠ったら、案の定というか、──夢を見た。
ゼフェルが叫んでいる。泣き喚いていると言った方が近い。怒鳴り散らす姿は見たこと
があるが、こういうのは初めてだ。
両腕を大人に取り押さえられ、暴れる身体を引きずられていく。
イヤだ、行きたくない、放せ。
必死の訴えが遠ざかっていく。
『イヤだ……っ、』
涙に濡れた視線を向けて、ゼフェルが手を伸ばす。
『ランディ……!!』
咄嗟に伸ばした指が、一瞬触れた。
「────っ!」
びくりと身体を揺らして、ランディが目を開いた。息を詰めたまま、銀の髪の向こうに
見える景色から腕の中へと視線を移す。
温もりの正体を確かめて、ゆっくりと息を吐き出した。
あまりと言えばあまりな夢だ。けれど、当時のゼフェルにとってはそれほどの恐怖、そ
れほどの絶望だったのかも知れない。
「ゼフェル……、俺、ゼフェルのこと助けられた?」
触れたと思った指先は、救いになっただろうか。
覗き込んだ寝顔は穏やかで、微笑みさえ浮かべているようで、ランディの頬にもわずか
笑みが浮かぶ。そのまま頬をすり寄せると、身じろぎをしてゼフェルが目を覚ました。
「んん……? なん……、──ぅわっ、なにしてんだてめぇっ、」
べし、とランディの顔が音を立てた。
「いたっ、何するんだよゼフェル」
「何すんだはこっちのセリフだ、寝てる人間に何しやがんだこのスケベ」
「な……っ!? 違うよゼフェル、誤解だよ!」
「言い訳は見苦しいぜ」
「言い訳じゃないってば! ──ゼフェルが笑ってたから、良かったって思って……」
ふとゼフェルの顔から表情が消えた。真顔でランディの瞳の奥を見つめている。
「…………ゼフェル? 何……?」
「──いや、何でもねぇ」
「何だよ、気になるだろ?」
「ちっ……、何か変な夢見たなって思っただけだよ」
「夢? ゼフェルも見たんだ。良かった」
微笑んで、細身の身体を抱きしめる。
「おい、どんな夢かも聞いてねーのに、なんで「良かった」になるんだよ。──っつーか
離せ、暑っ苦しい」
「いやだ、離さない」
離さない。
夢の中の台詞と交差して、ゼフェルが動きを止めた。ため息をついて、ランディの身体
を押しのけようとしていた腕から力を抜く。
「…………じゃあ少し力ゆるめろ、息できないだろ」
「あ。強かった? ごめん」
「お前、いーかげん力加減覚えろよな」
「うん、ゼフェルといるとさ、もっと近くに行きたくなっちゃうんだよね」
「──おめーな……」
ゼフェルが盛大なため息をついた。
「うん?」
「──いや、いい。言ってもムダだ」
「何だよそれ」
「いーから。それよりオレはまだ眠ぃんだよ、も少し寝かせろ」
「うん、俺ももう少しこのままでいてもいい? さっき夢の中でちゃんと抱きしめられな
かったから……」
「ん……」
曖昧な返事をして額を肩に押しつけ、やがてゼフェルの呼吸が穏やかになる。
なるべく身体を動かさないようにしながら目の前の銀の髪を梳いて毛先に口づけ、微笑
んだランディの瞼がそっと閉じられた。
fin.
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