焦燥
このざわめきは なんだろう? 「──どうした?」 「────え?」 「何か、不安そうな顔をしている」 わかる人にしかわからないかすかな表情の変化。僕だって、彼に負けないポーカーフェイスのはずなのに。 「そんな顔してた?」 ああ、と頷いて、骨張った大きな手が僕の髪を梳いた。 「なんか変な感じなんだよね……」 「変な感じ?」 「うん。緊張しているみたいな、焦ってるみたいな、……なんかこのあたりが落ち着かない」 言いながら胸の上を押さえた僕を、手塚は眉をひそめて見つめていたが、やがてふいと顔を背けた。 「手塚? どうし……」 突然腕を掴まれ引き寄せられて、バランスを保てず手塚の胸に倒れ込む。 「てづ……?」 「そんな顔をするな」 顔を上げようとした僕を、大きな手のひらが押さえつける。 「──消えてしまわないでくれ」 俺のそばにいてくれ。 息だけで告げられた言葉。ざわめきが大きくなる。 耐えきれず顔を上げた僕の前には、ひどく真剣に僕を見つめる手塚の顔があった。 「不二……」 ささやきに目を閉じる。 触れた唇に、心臓を撫でていた焦燥が体中を駆け巡った。 |
それは酷く衝動的なこと
わけもなく トツゼン 君に会いたい 「……っ!?」 突然の衝撃に、不二が息をつめた。 「……え、エージ……? どうしたの?」 何も言わず、英二はただ後ろからきつく不二の身体を抱き締めるばかりだ。 「…………英二? ──だいじょうぶだよ」 見なくてもわかる微笑みの気配で不二がやわらかな声で言葉を紡ぐ。白い細い指が、あやすように英二の手の甲を撫でた。 「フジ、」 「うん」 「フジ……っ」 「……うん」 「──────ッ、」 びくりと揺れた英二の身体が不二を突き飛ばすようにして離れる。 振り返った不二の前で、数秒後、英二はようやく俯いていた顔を上げた。 「にゃ〜んてね! びっくりした?」 にんまりいたずらっ子の笑みを歪めた唇の端に引っかけて。目の前のヒトを見習って、目は見えなくなるくらいに細めてみる。 ──だって、こんなカオとても見せられたモンじゃない。 「エージのすることにいちいち驚いてたら身体が保たないよ」 やわらかい、かすかな苦笑を浮かべて不二が肩をすくめた。その仕草にまた煽られる。 くすくすと笑うその首すじに牙を立ててしまいたい。 英二の衝動を制するタイミングで、不二が視線を向けた。 『英二。──そういうのは、あとでね』 「……っ」 全力疾走から急停止したかのような衝撃が全身を襲う。握りしめた手のひらに短い爪が突き刺さる。 「フジ……っ!」 「行こうか」 静かな声、遠ざかる背中。──目の前にいるのに、会いたい、と切に願った。 「……英二?」 しゃがみ込んだ英二に気付き、振り向いて戻ってきた身体を引きずり下ろす。天から落ちてきた身体は腕の中にすっぽり埋まってしまいそうに細くて。 時間も場所も、何もかもがどうでもいいことになった。 |
朝の影
夏の朝の感傷は嫌いだ。 まだ明け方だというのに体力を奪う温度の風が吹く。 生温い、生温かい。 こんな時、あいつの肌を思い出す。 日に焼けてもまだ白い肌の色は、朝の白々しい光のように。 ただ思い出す。 あの笑顔を。 『向日葵って、いいね』 いいね、と言う言葉が、うらやましいねに聞こえた。 『──あ、ばれた?』 俺の前でまでそんな風に笑わないで欲しい。真夏の熱気が体力を奪うなら尚更。 『ひまわり、ヒマワリ、かわいいな、エージみたい』 愛おしそうに、自分と同じくらいの高さの太陽の花を見つめる。 高くなる陽差しにあわせて項垂れる姿が、花壇の片隅に咲く夏の花を思わせた。 『お前は朝顔だな』 あんな言葉、言わなければ良かった。 手を触れたら、今にも。 夏の朝は早い。 汗に湿ったシーツには、ひとり分の体温しかない。 早朝の一瞬にしか見られない奇跡。かすかな香りと共に花開く微笑み。 少しでも陽が高くなれば、それは誰もが見たことのあるただの花に姿を変える。 生温かい手触りを覚えている。 握りつぶしたやわらかさを覚えている。 染みついた樹液の色を、紅いその痕を覚えている。 夏の朝の感傷は嫌いだ。 お前のいない朝は、 お前の影を、ただ思い出す朝は嫌いだ。 |
好きな人いますか
「乾って好きな人いる?」 また突然だな、静かに驚きながら、けれどそれを表情には出さない。 「さあ、どうだろうね」 「……僕には教えてくれないんだ」 無言でいると、拗ねたような声が聞こえた。 「乾って僕には内緒が多いよね」 君には言えないことが多い、とは言わない。 言ってもいいけど、どんな反応するか、そのデータは、取りたいような、取りたくないような。 「当ててごらん」 馬鹿なことを言った。 「当たったら、何かご褒美くれる?」 「場合によっては」 「──じゃあいいや」 急に興味をなくしたように。──タイミングを逸しただろうか。 「不二は?」 あくまで社交辞令。聞かれたら、同じことを相手にも尋ねる。 「僕? ────ナイショ」 微笑みは鋭く鮮やかで痛い。 |
どうにもならないこと
「時々さ、どうしようもなく、「ああ、いやだなぁ」って思うこと、ない?」 「──何の話だ」 「僕の話」 「お前の? ──そうだな、どうしようもないほど嫌だと思ったことはないな」 「それって暗にどうしようもあるくらいなら何度も思ってるってこと?」 「俺がお前を嫌だと思うことなど一度だってない。──とでも言うと思ってるのか?」 「イヤだなぁ、そんな手塚は。そんなの、僕の好きな手塚じゃないよね」 「お前な……」 「僕はあるよ。君のこと、ものすごく嫌いだと思ったことある。何度もある。 だけどたぶん、それと同じくらいに君のこと好きなんだよ。だってそうじゃなきゃ、ほんの少し不快に思ったくらいじゃこんなに残らない。こんなに、どうしようもない感じになんかならないよ」 「不二、」 「────どうしてこんなことしたいんだろうね」 「より刻みつけたいからじゃないのか」 「刻みつけたい……?」 「ああ。お前の中に、俺を、どうにもならないくらいに」 「……嫌だなぁ。これ以上僕にどうしろって言うんだよ」 「どうもしなくていい。そのままでいい。だが、俺は待たない」 「待ってくれるなんて思ってないけど。──待つような男なら、僕は君とこんなことしていないとも思うし」 「……不二」 「ああ、やだなぁ……」 「笑いながら言う台詞じゃないな」 「それ以前に、こんなことしながら言う台詞じゃないんじゃない?」 「先に言いだしたのはお前だろう」 「うん。──ごめん。いいよ、離して」 「待たないと言っただろう」 「え? ……ッ! ちょ、てづっ」 「何だ」 「──────────君って時々、すっごくやなヤツ」 「褒め言葉と受け取っておく」 |