ヒーリング雑感第4集(第81回〜 第100回)


第100回

「ヒーリング雑感」の記念すべき第100回のテーマとして何を書こうかと思ったのですが、最近の年配の方々を見
て思うことを書こうかと思いました。

年配の、特に女性の方なんですが、同じ年なのにとても若々しい方がいらっしゃる一方で、老け込んでしまわれてる
方もいらっしゃるなあと思うことがあります。年のとり方には美しいとり方と醜いとり方があるのかなあとも。

これは別に美人だから若々しく見えるとか、化粧がうまいから若々しく見えるとかそういうことではないのです。違いは
何かと申しますと、言葉で言うのは難しいのですが、長年のうちに「我の毒」のようなものを自分の身体をはじめとした
全情報に蓄積されたか、そうではないのかといったことが大きな要素としてあるような気がしてならないのです。

よく、不平不満を胸に溜め込まれる方が多くいらっしゃるのですが、そういう方は長い年月のうちに老け込んでしまわ
れるスピードが速く、中には意地悪ばあさんそのものみたいな感じになってしまう方もいらっしゃいます。しかし、これ
は大変な悪循環だと私は思うのです。

「我の毒」を自分に溜めないためには意識を愚痴や不平不満の領域に極力置き続けないことです。怨念や憎しみという
想念も抱き続けると精神衛生上よくないのはわかりやすいですが、実は身体の若々しさにも影響しているのです。

誰でも生き続けていく限りはおじいちゃん、おばあちゃんになってしまうのは避けられないのですが、「クソジジイ(クソ
ババア)」「意地悪ジジイ(意地悪ババア)」「極悪ジジイ(極悪ババア)」になることを避けることは出来るのです。言葉
が全然美しくないのですが、それを指すのに的確な用語となるとどうしてもこれらになってしまいます。どうかお許しを。

「クソジジイ」「クソババア」の意識でいると顔の感じも長年のうちにそのように変わっていきます。「40過ぎたら自分の
顔に責任を持たないといけない。」というリンカーンの言葉は本当のことなのです。

また、結婚した途端老け込んでしまったとか、新たに彼氏彼女が出来た途端くたびれた人になってしまったなんて人
を芸能界や自分の周囲で見ることがあります。これはやはり、「合わない食事、合わない仕事、合わないパートナー」
の結果がそれだということです。逆に言えば、「合っている食事、合っている仕事、合っているパートナー」ですとそう
はなりにくいということです。

「我の毒」をためない方法としては、前述の精神上のコントロールの他に、食生活の改善、瞑想等による身体の微細
な情報のメンテナンス、チャクラバランスの整備とコンディションの向上、身体に限らず自分に関する全ての情報につ
いて癒しを行うことが有効です。


2009年11月6日(金)


第99回

博文堂書店に入り、店内でこの本が目に入りましたので買いました。

『マイホーム・レイキ』(仁科まさき著/株式会社BABジャパン)


著者の仁科まさき先生はレイキスクール「香りの森」を運営されている先生で、セラピストとしてのご経験が背景に
ある形で執筆をされているだけに実用性と信憑性に富んでいます。

この本に書かれていることを実習していくことで、「レイキは昔受講したけれど、今では使わなくなってホコリをかぶ
っています。」なんてことがなくなる方も多々お出になることかと思います。

仁科先生は、「レイキは、『あらかじめ決まった意図を持たないエネルギー』である。」とお書きですが、それがゆえ
に極めて自由度が高く、禁忌が(全く無いわけではありませんが)少なく、他の多くのメソッドとの併用にも融通が
利くというメリットがあり、これは私も全くそうだと思いました。

そして、これはこの本の最大の魅力なのですが、直傳靈氣で言われている「ヒビキ」についての解説が懇切丁寧
になされている点は、「ヒビキ」がよくわからないという方にとっては最良の資料に成り得るかと思いました。まず
は西洋式レイキを教科書的に解説している本を読み、続いて『マイホーム・レイキ』を読むことを私はお薦めしたい
です。

ただ、これは良い悪いということではないのですが、意見の相違もありました。仁科先生はセミナーにおいて実習
を重視されていますが、私はセミナーや講習会の類で何を最も重視しているかと申しますと、実習の時間を多く取
ることよりも、「受講される方々に確実に使えるものをもれなくお渡しすること。」なのです。

実習でいくら形を長時間かけて教えたとしても、回路が開いていない、自分で使うことが出来ない、好結果
が出せないというのではいけないと私は思うのです。

西洋式レイキの場合、○○レイキという名が新たについたものを除き、実習で行うことは実を申しますと、教科書
形式で書かれたレイキ関係本(例えば、望月俊孝先生の『癒しの手』等の本)を買って読めば簡単にその方法が
理解出来、また技量の上手下手がほとんど無い状態でその方法を習得出来ます。

これが西洋式レイキの良い点であり、また、手技療法系の職人肌のセラピストに軽く見られている点でもあるの
ですが、その実習でティーチャーが教えている(形式的な使い方としては)非常に簡単なレイキを、「ただ
手を当ててるだけやんか。」 と言われてしまうような状態ではなく、本当に使えるようにするということが
セミナーや講習会で出来ているティーチャ−がどのくらいいるのかということ
を私は問題視しています。

仁科先生は確実なレイキを受講者の方々にお伝え出来る先生だと思います。本からのエネルギーでわかりまし
た。 しかし、それだけに私のところに来院される「元レイキセミナー受講者」の方々の現状もここに書きたく思い
ました。レイキセミナーを受講したにもかかわらず使えないことで、また好結果が出ないことで苦しまれている方
が本当に多いのです。そして、元レイキセミナー受講者の方々で私のところに来院された方々には1人の例外も
無く、更なる向上心がありました。レイキセミナーにおいて重要なのは、確実に使えるものをお渡しすること
と私は思います。


2009年10月16日(金)


第98回

このところいろんな場で自分が間違ったことを言ったり、だらしない、あるいは情けない面を他の方
にお見せしてしまったりして謝ることが多いです。そして、その謝罪したことについて許してもらえて
ることも多いです。

こんなことを書くと意外に思われる方がいらっしゃるかも知れませんが、私は決してパーフェクトなス
ーパーマンではありませんし、子供の頃から優等生には程遠いような規格外なところがありました。
それは現在に至るもなお残っているようなところがあります。

それでも、まだ私に会ったことの無い方ですと、当サイト管理人としての私のイメージをお作りになら
れてるかも知れません。

よくおうかがいするのが「緻密で、間違いをやらかさない精錬潔白な人。」というイメージです。しか
し、これはあくまでイメージであって、私の実像とは全然異なります。

実際の私は、よく間違えたり、だらしないところや情けないところがあったり、「いかんこと」だってする
ことがある人間です。そして、そのことでいろんな方にご迷惑をおかけしてます。それゆえ、気分を害
された方が多いかとも思います。

私は「自分が『いかんこと』をした。」ということを自覚したら自分の気持ちもやはりいいものではあり
ません。何かすっきりしない、せねばならないことがあるのにしていない気持ちの悪さがずっとあり
ます。

私はそんな時、謝罪をしています。もちろん、その謝罪は本音は違うけどその場を取り繕うためや保
身のためにとりあえず謝っとけとかいう類のものや、エクスキューズミーのニュアンスのものではなく、
「いかんこと」に関する「認識」や「反省」が正常になされていることが前提の謝罪です。

謝罪をし、許してもらえた時、私は何故かわからないのですが嬉しくなります。そして居心地の悪さや
すっきりしない割り切れなさが無くなり、胸からも綺麗な気持ちが出てるのを感じます。

今までに自分以外のいろんな人に「いかんこと」をしてしまった人は、「いくら自分が間違いをやらかし
ていたとしても自分が絶対に正しい。」というふるまいでいるのではなく、謝罪をして許されるという流
れを作ってみて下さい。それが自分を、また周囲をも救うことになると私は思うことがあるのです。


2009年10月2日(金)


第97回

最近、自分の過去の時代を振り返ることが多くなっています。

いわゆるヒーリング等の業界で、人間性云々のことを安易に語る人がいるのですが、私は、「私が
知る限り、歴史上の人物の話は別として、聖人君子と言える人はいません。いたら是非お会いし
たいですので紹介していただきたいです。」というお話を以前このサイトに書いたことがありました。
現在もその思いは変わることはありません。

もちろん程度の差や個体差はありますが、ヒトという生物にはいわゆる俗に「腹黒い」【注1】といわれ
るエゴイスティックな部分がその意識の中に存在します。これが(社会的に表面化するという意味に
おいて)完全に無いと言えるのは、自我がまだ確立されていない段階の乳児か、精神活動が出来な
くなっているヒトのどちらかのみで、 通常の精神活動を行うヒトの場合はその部分から完全に無縁で
いられるわけではありません。

それはたとえいかなる「人格者」と言われる人であろうと避けられません。ある程度のコントロールや埋
没化は可能ではありますが、完全に自らと無縁にすることは不可能です。それはたとえ脳死状態にな
ったとしても、痴呆が進行したとしても、微細な情報が無縁になれないのです。

よく、私達は他者の人間性を裁くことをしてしまいがちなのですが、私は自らの中に腹黒い部分が確実
に存在しているということを自覚しているがゆえ、 「他者のことをとやかく言えるほど自分は偉くない」と
思うところがあるのです。

安易に他者を裁く人は、恐らくは自分の腹黒い部分に気づいていないか、気づいていたとしても棚上げを
してしまう人なのです。ヒトは決して安易に他者を裁けないのです。

ただ、私の場合、あまりにもひどいことに対し、何も言わないとなると悪の暴走を放置するという不作為の
弊害もありますので、限度を越えない範囲での指摘はするかも知れないのですが、それが死者に鞭打つ
ような卑劣なものになったり、自分のことを棚上げしたような意見になったりするようではそれは論外なの
であり、まずは自らを省みるという姿勢は常に失ってはならないのではないかと思います。

ところで、時にヒーリングや手技療法の世界において、「独自のセミナーを始めた。」ということを大変な裏
切り行為で、しかも極悪なる行為であるかのように騒ぎ立てる方が中にはいらっしゃいますが、これは(合
法的な形で、道義的にも悪いことをしていないことが前提ですが、)新しいラーメン店を開業したり、ハンバ
ーガーショップのチェーンを展開したりしているのと何等変わらない行為であると言えます。罪悪であるか
のように騒ぎ立てる方がおかしいと私は思うのです。


【注1】
この表現は私は嫌いなのですが、今回は便宜上使用しています。


2009年8月11日(火)


第96回

久々の更新です。最近メールをいただいていて思うことを今回は書こうと思います。

2009年4月9日(木)の日記で、私は「最近は世直し世直しと鼻息を荒くしているカルトを含む宗教団体や精神世
界を語る団体が少なくなって来ているなあという印象があります。」といった主旨のことを書きました。

これについて、「そういうことを言う団体は目立たなくても、個人はむしろ増えているように思えます。」というメール
を先日いただきました。

私もさすがに把握は出来ていませんが、個人レベルで言う人の数は逆に増えていることは考えられると思いまし
た。


そういった人達には私も会ったことがありますが、共通することは、


1.「今までの人生は自分の本当の人生ではない。自分はこんなものではない。」という気持ちがどこか
  にある。

2.既存の価値観や権威、会社社会や各種団体、そして公務員や政治家等の立場の人に強い反感を抱
  いている。

3.ある程度の精神世界関係の能力があるが、その能力が実は大したことが無くてもそれに溺れていて
  他を頭ごなしに否定する。


これらの特徴が見られるのです。



また、正論に固執するあまり、苦の世界を自らの心境に作ってしまうことが多いのも一大特徴なのです。中に
は正論が膨らんでいつの間にか暴論や極論が混入し、それが発展してしまう人もいます。

そのような論を聞いているといわゆる気疲れがどっと押し寄せ、心身に支障が生じます。気疲れを生じるのはそれ
を聞くのが根っから辛いからで、気にすることはないと言えます。一見きちんとしてるように見える人、正論に拘
泥し、もっと大切な物事を見失う人の暴論は魂が納得しないので疲れるのです。


仏教では修羅界というものが説かれています。正論に固執してもっと重要なことを見失ってしまい、心境が
修羅界の住人になってしまう人がこの物質次元の世界にもいます。 このような方々は生きながらにして修
羅界に魂を置いてしまっているのです。このような方の論は他の修羅界に魂を置いていない方々を納得さ
せることが出来ません。



阿修羅と帝釈天の物話【注1】は、たとえ正義であっても、それに固執し続けると善心を見失い妄執の悪とな
る恐れがあるという警鐘を現代人に向けて鳴らしていると言えます。
私も自分の人生においてこの罠にかかっ
てしまう方々を多く見て来ました。

こう書くと身も蓋も無いのですが、修羅界の罠にはまる方は比較的エリート層の中に多いです。【注2】優秀ではある
のですが、他の重要な要素【注3】が欠落してしまっている方の中に修羅界の罠にはまってしまう方が多いのです。

彼等はしっかりしています。しかし、少しも幸せそうではなく、「不愉快」という意識に凝り固まり、そこから抜
けられないのです。
そういった方々は「病んだ世の中の企業や人の状態を、将来、自分のノウハウで正していきた
い。」と言うのですが、修羅界に心境を置いているのでは次第におかしくなっていき、常軌を逸する事態が生じてい
きます。

彼等の自論を実践させられる人もまた全然幸せそうではありません。これらのことを鵜呑みにして考えることを放棄し、
何でもかんでも修羅魂の指導者に右へならえをしているようでは、自分達も次第に魂が修羅界の住人達と同じにな
っていき荒んでいきます。この場合、一刻も早く離れるのが吉なのです。

例えば、かつてこのような方がいらっしゃいました。仮にBさん(仮イニシャル、女性)とします。

Bさんはかつて、Mさん(仮イニシャル、男性)という指導者の元で修行していました。このMさんは「動物霊が入っ
た食べ物、飲み物を飲食すると動物霊が体内に入る。」という論をとなえ、(真に受けないで下さいね。)「昼食に何
を食べた?」とBさんに言い、「オリジン弁当を食べました。」【注4】と答えたBさんに「吐け!」と命令して全部吐か
せたというお話でした。

このお話を聞いた私は、明らかにMさんがどうかしていると判断しましたが、これは(それが本当に正論なのか否
かという議論は別にして)自分の論に固執するあまりに下してしまった愚かしい命令と言わざるを得ませんでした。
こういう方にこそ、私は阿修羅と帝釈天の物語を知っていただきたく思うのです。



【注1】
これはウィキペディア「阿修羅」からの抜粋です。


戦闘神になった背景

阿修羅は帝釈天に歯向かった悪鬼神と一般的に認識されている。しかし事実は少し違うといわれる。阿修
羅はもともと天部の神であった。阿修羅が天部から追われて修羅界を形成したのには次のような逸話があ
る。

阿修羅は正義を司る神といわれ、帝釈天は力を司る神といわれる。

阿修羅の一族は、帝釈天が主であるトウ利天(とうりてん、三十三天ともいう)に住んでいた。また阿修羅に
は舎脂という娘がおり、いずれ帝釈天に嫁がせたいと思っていた。しかし、その帝釈天は舎脂を力ずくで奪
った(誘拐して凌辱したともいわれる)。それを怒った阿修羅が帝釈天に戦いを挑むことになった。帝釈天は
配下の四天王などや三十三天の軍勢も遣わせて応戦した。

戦いは常に帝釈天側が優勢であったが、ある時、阿修羅の軍が優勢となり、帝釈天が後退していたところへ
蟻の行列にさしかかり、蟻を踏み殺してしまわないようにという帝釈天の慈悲心から軍を止めた。それを見た
阿修羅は驚いて、帝釈天の計略があるかもしれないという疑念を抱き、撤退したという。

一説では、この話が天部で広まって阿修羅が追われることになったといわれる。また一説では、阿修羅は正
義ではあるが、舎脂が帝釈天の正式な夫人となっていたのに、戦いを挑むうちに赦す心を失ってしまった。つ
まり、たとえ正義であっても、それに固執し続けると善心を見失い妄執の悪となる。このことから仏教では天
界を追われ人間界と餓鬼界の間に修羅界が加えられたともいわれる。


阿修羅を意訳すると「非天」というが、これは阿修羅の果報が優れて天部の神にも似ているが天には非ざると
いう意義から名づけられた。



【注2】
高学歴の出家者を多数出したオウム真理教の教えは十界の六道の順番が地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人
界、天界の順番ではなく、地獄界、餓鬼界、畜生界、人界、修羅界、天界の順番になっています。
私はこれを知った時、この宗教の教祖は全くあちらの世界のことを理解出来ていない人だと思いました。発言は別
ですが、「日本国民の全てを信者にする。」と豪語した新興宗教の教祖もまたわかっていないという意味では同じ
です。彼等がもしあちらの世界のことが本当にわかっているのだとしたら、これらの発言は出て来ないはずなので
す。

【注3】
誤解を避けるため、ここではそれが何なのかは書かないことにします。ただ、この要素が開花している人は微細な
情報にその傾向が表れていて、もはやそう簡単に修羅界の罠にかかることは無くなります。

【注4】
オリジン弁当を食べても何等霊的な問題は起こりません。皆様ご安心下さい。


2009年4月21日(火)


第95回

ここ最近の日記で龍や狐等の物の怪【注1】の話題が増えて来ていることを感じますので、今回はこのお話で書
くことに致します。

龍や狐と私が書くと、その全てが悪の存在と誤解されてる方が中にはいらっしゃるかも知れません。しかし、その
捉え方は正しくありません。

例えば、全ての人間が悪の存在だと言い切れるでしょうか?全ての犬や猫が悪だと決め付けられるでしょうか?
彼等は悪を美徳とし、悪を行うことが前提になっている「悪魔」とは根本的に違う存在だと私は思うのです。

では、全面的に信用が置けるものばかりなのかというと、それも違います。彼等の中にはいろんな者がいるという
のが本当のところです。全員がそうではないのですが、いたずらや悪いことを行う者が多々いるというのもまた確
かなのです。

世間一般の方々の中には知らずに彼等と接点を持ってしまっているというケースが多いです。神社信仰なんかで
お稲荷さんに願をかけたとかいった経験が仮に無いとしても、心の隙にふっと入られて意識を支配されない形で
彼等が憑依しているケースなど、もう掃いて捨てるほど私は見て来ています。別に漫画や映画等の媒体で時に
見かける「狐憑き」の状態になった人だけが狐に憑依されている訳ではありません。むしろ、そこまで行っていな
いケースの方が圧倒的に多いのです。

私がこんなことを書くと、中には怖がる方がいらっしゃるかも知れません。しかし、心配は要りません。彼等の好ま
ない性質を自らが持てば彼等の影響を受けないか、受けても軽微なものに留まるからです。また、心の隙に入り
込んだとしても彼等が好まない人物である場合はやがて離れていきます。そういった人は彼等も面白くないから
です。

日記では最近龍の話をすることが増えていますが、龍の場合もいろんなケースがあります。龍の中には有能な
者が多く、しかも富や権力への志向が強いところがあり、そういった人間を好みます。

また、江戸時代後期から昭和の戦前にかけて次々に開教された新興宗教の多くは龍が始めたものです。教祖
は絢爛豪華な聖堂を作りたがり、大仰な奇跡を謳うのですが、その教えには優しさとデリカシーが欠如し、教団
は教祖に豪奢な生活をさせ、大聖堂を建てるための集金マシーンと化しています。更に質が悪いものになると
大言壮語した世界観を有する教典や伝承を有しています。偽書とされる古史古伝の類もその多くが彼等の手に
よるものです。

龍の中には有能な者が多いと書きましたが、これにもレベルの高低や倫理観の高低があり、ひどい者になります
ととんでもないことを憑依者に言わせたりします。眷属をやめてこちらの世界に何かしてやろうと企んだ者の中に
そういう者が多いです。私のところに「布教?」に来る人の中にはそういった者の影響を受けた人がたまにいます。
繰り返しますが、これは比較的ひどい例で、通常はここまでひどいことを言うことはありません。


私との問答はこんな感じです。仮にその人をAさん(仮イニシャル、男性)とします。

A「私はこれから指導者として世直しをしていくんだ。」

阿部「指導者って、将来何の指導者になるんですか?政治家になるんですか?」

A「いや、私は政治家にはならない。」

阿部「では、何の指導者になるんですか?」

A「とにかく世直しの指導者。」

阿部「・・・・・・。」



私は内心呆れてしまいました。もちろん、Aさんと一緒に活動する気は私にはありません。

指導者というからには、まず自らに「指導出来るだけの器」が無いとどうしようもありません。また一口に「指導者」と
いっても何の指導者になるのかで全くすることや求められることが違うのです。

政治家になる、高級官僚になる、科学者になって学界をリードする、芸術や芸能方面で活躍する、特定のスポーツで
一流の選手になった後、監督やコーチの仕事で後進を指導する・・・・・・Aさんはそのどれでもないのです。 彼はやた
ら「世直し」というので宗教的指導者になるのかと聞くと、「宗教は嫌いで、そんなものやる気は無い。」と言います。
これで宗教的指導者の選択肢も消えます。更に、宗教によらない精神世界関係の指導者になるのかと質問すると、
それも違うのです。そういうのも嫌いだというのです。「結局、彼は何の指導者になることも出来ない。」と私は思いま
した。

Aさんの指導者としての青写真には実体がありません。Aさんは「自分には創造の神様が宿っているから大丈夫。」
と言うのですが、質が悪い龍の憑依者の発言はこのように具体性に欠け、実行すれば袋小路に入り込んでしまうよ
うな話が多いのです。話の内容に矛盾やトンデモが多いことも気になります。その人は「秀真伝によるとアマテラス
は実は男性で、自分はアマテラスの生まれ変わりだ。」とも言っていました。秀真伝が古代に書かれた書物ではな
く、近世に書かれた偽書であることは既に証明されています。


Aさんの発言は更にエスカレートし、こんなことまで出て来ました。

「外食産業のW社(仮イニシャル)の経営陣は『食人パーティー』を極秘に開いている。創造の神様によるとこないだ
は14歳の少女を誘拐して殺して食べたそうだ。また、俳優のKや歌手のMは食人パーティーに参加したことがある。」


トンデモ発言の最たるものです。そんな悪趣味なことを教える神などまともな神ではありません。また、このような事
実がこの会社やお名前が挙がった方々にある訳がありません。私は内心まともに対話する気を完全に失っていまし
たが、Aさんのお話は最後まで聞きました。その後Aさんがどうなったかは不明です。

彼等の影響には程度や内容に差があり、このようなトンデモ発言を促す「お告げ」をしてくれるのは比較的質が低い
です。もっと高等な者になると、影響を受けている本人には影響の自覚が全くありません。ですが、自らの実行した
いことを確実に実現します。

何故ならば、「自らの目的を果たすのに一番都合が良い状態は、当の本人が自分達の存在に気づいていないか、
あるいは気づいたとしても認めていない状態であること。」だからです。無神論者や「龍?そんなものは架空の存
在だ。いる訳が無い。」と言う人のほうが彼等にとっては好都合なのです。【注2】

ところで、Aさんに宿った自称「創造の神様」は、Aさんが離婚経験をし、離婚の反省をした時に宿り、そこで最初の
コンタクトがあったようなのですが、Aさんはそこで「自分が100%悪かった。」という反省をしたそうなのです。しか
し、反省後のAさんと私との対話では、「前妻の兄弟の車はチンケで趣味が悪い。」とか「彼等は性格が悪い。」と
か「思いやりに欠ける。」とか矢継ぎ早にAさんは言うのです。

これは「自分が100%悪かった。」という反省にそもそもの間違いがあります。私はAさんの離婚に至った経緯の全
てを知っている訳ではないのですが、「一方が100%悪い。」ということは稀なことが多いです。

しかし、百歩譲って、「自分が100%悪かった。」というのが事実だとして、しかもそれがもし本心から来る反省であ
るのだとしたら、私との対話で前妻や前妻のご兄弟やご両親への非難の文句が次々と出るのはおかしいのです。
この反省は偽りの反省であることに気づかないといけないのです。でないと、自称「創造の神様」に魅入られてしま
います。

衝撃的な出来事が自分に起きた直後の心の空白にはご注意下さい。その時の心境の回復をいかにしていくかで
将来の明暗は分かれます。反省は中道の元で行い、必要以上に自らを卑下したり、100%自分が悪いという結
論を安易に出したりするのではなく、事実に基づいた正見、正思が前提の反省でないと、真の反省にはならない
のです。そして、真の反省ではない反省は、その心の隙を突かれてしまうのです。


【注1】
文献によっては、動物霊や自然霊等の呼び名で呼ばれているあちらの世界の存在のことなのですが、龍や狐の他
にも蛇、狸、河童、天狗、妖精・・・・・・等々、多くの存在が動物霊や自然霊として挙げられています。彼等の中には
妖怪のモチーフになったものもいます。

【注2】
素性や格は千差万別ですが、政財界にはその状態で人間に影響を及ぼしている龍が結構います。芸能界にも多
いです。
私が面白いと思ったのは、サラリーマン時代にお会いした損保代理店のBさん(仮イニシャル、男性)で、この方は
某県で一、ニを争う挙績を誇る営業力抜群の特級代理店の方で、最初にお会いした時には龍や毘沙門天や金毘
羅さんにご縁がある方だなあという感じを私は受けました。後にご自宅の事務所にお邪魔した時に室内に熱帯魚、
それも海水魚の水槽がたくさんあるのに驚きました。 もちろん、水槽が大量にあるなんてことは訪問して初めて知
りました。私は「竜宮かよ!!」というツッコミを内心入れていましたが、実はBさん、この魚達に心身の健康面や
コンディション面でかなり助けられているのです。


2008年11月6日(木)


第94回

第93回のアダルトチルドレンの話題でお問い合わせのメールを多数いただきました。ありがとうございます。
それらのメールの中で気になったものがあり、今回はそのお話をしていきたいと思います。

今回、アダルトチルドレン絡みのお話で読者の方(以下Aさん、仮イニシャル)からメールをいただき、アプライド
・キネシオロジーの検査を実施するセラピストの先生(以下Bさん、仮イニシャル)が、ご自身の活動の根拠とし
ている本として、デビッド・R・ホーキンス氏の『パワーか、フォースか―人間のレベルを測る科学』という本を挙
げられているとうかがいました。

Aさんによりますと、Bさんのアプライド・キネシオロジーの検査結果は微妙に1回目と2回目の鑑定数値がずれ
ていたり、曖昧さや思い込みのようなものが見え隠れしていたりしたとのことでした。

Aさんにご迷惑にならない形で、今回このことに関する私見を述べていこうかと思います。以下、返信メールの
文章を一部伏せ字等で変え、追記をしたものを転載します。


○○○○様、こんにちは。
整体院 トータス・ホリスティック・ヒーリングの阿部です。
メールありがとうございます。

メールのご質問ですが、「△△△」のサイトの方の検査結果は信憑性が低い
ものです。お気になさらないで下さい。

この方が検査の根拠とされているデビッド・R・ホーキンス氏の本「パワー
か、フォースか―人間のレベルを測る科学」は私が最も危険視しているこ
とを実施してしまった本です。

この本を絶賛される方はこの本の背後にいる魔物に捕らえられてしまってい
るのに等しい状況に陥る恐れがあります。

この本のAmazon書評で私が妥当だと思ったのはこの2評だけでした。

■1評目
>72 人中、56人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
> 読み物としは面白いが…, 2005/7/22
>By カスタマー
>キネシオロジーというのは、何かの情報なり食物なりに接した際に、脳が
>それをストレスと感じると筋力が低下する、という原理を利用した検査法
>のひとつに過ぎない。臨床の場においても、薬剤等に対する身体の相性を
>探るために参考程度に利用されている程度である。ニューエイジ系の人た
>ちが信頼されない理由の一つとして、例えばこのようなキネシオロジーの
>意味やその限界をまったく無視して、一事が万事、あらゆる問いかけに対
>してキネシオロジーによって正しい答えが導き出せるものだと信じ込んで
>いる稚拙さがあると思う。キネシオロジーが一定の精度を期待できるのは、
>それが身体のストレスに関することのみなのである。中には、宗教まがい
>の活動(真言を唱えたり、噴飯物のオカルトグッズをネット販売したり)
>の権威付けのために、この本の知名度を利用する団体まで現れる始末で、
>まことに困ったものだと思う。


■2評目
>47 人中、38人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
 >人が人のレベルを測る怖さ・・・諸刃の剣, 2005/4/10
>By 当間たいせい - レビューをすべて見る
>人が人のレベルを測る・・・
>傲慢
>という言葉が心に浮かびます。
>人のレベルを測ったときに、
>優越感、劣等感というエゴがオンラインします。
>キネシオロジーは”意図テスト”故、完全にニュートラル、誤差無き
>高精度測定器として信頼するには、あるリスクが伴います。
>信じ込みや期待に基づいた、筋肉の反射が起こる可能性がある。
>事を知っておくべきであるし、著者は読者にこの点を伝えるべきです。
>私がよりよい使い方として提案するのは
>・今自分が持っているビジネスアイディア
>・投資しようとしている、会社そのもののレベル
>の測定をする。
>いかがでしょうか?



ちなみに、2評目の方の評は私は甘いと思います。特に「私がよりよい
使い方として提案するのは」以降の文は甘いです。

この検査法で数値化により人間性を決め付けることの危険性は、私
が口を酸っぱくしてサイトの「ヒーリング雑感のコーナー」で何度も話
題にして来ました。それでも行う人が後を絶たないというのはそれだ
けの誘惑の危険に満ちているということなのです。

このようなことを行う人物の背後は、まず間違い無く魔物が糸を引くよ
うになります。「△△△」もホーキンス氏も既にそうです。そして無茶苦
茶な検査結果を鵜呑みにし、盲信をしていき、陰険な世界が展開され
ていきます。決して引き込まれてはいけないのです。


ホーキンス氏の人物の検査結果はどうみてもおかしいものです。魔に
冒された人物の数値が聖人なみであったりするのです。

私は、ユダヤ人がナチスに虐殺されても知ったことではないという発言を
残した事勿れ主義の△◎○●×【注1】の数値や、汚い手段で集めたお
金で活動を行った×●○◎△の数値がこれほど高いという氏の検査結
果は魔の跳梁以外の何物でもないという感想しか持てませんでした。し
かし、彼等の「表の顔」しか知らない人は騙されることでしょう。

こういう人は魔物の影響を受け、推奨してはいけない人やものを推奨し、
逆に価値あるものを無価値だと断じます。私が見た限りでは「△△△」
よりもこの人が無価値と断じた「×××××」のほうが遥かに上です。





ところで、ホーキング氏は、○△○△教の教祖、×○◎△のレベルを最高レベルとされています。○△○△教
は神から離れた物の怪達が開教したものです。ここでも検査結果をおかしいと思うべきなのです。


【注1】
日記もそうなのですが、 私は故人につきましては生前どんなに権威があった方だろうが偉人だった方だろうが
「歴史上の人物」として一部の例外的なケースを除き、基本的に呼び捨てで書きます。一部の方々からは反感
を買われてますが、この場合、通常は呼び捨て表記が正しいです。ここでは伏せ字ですが、このメールの原文
は呼び捨て表記です。


2008年9月17日(水)


第93回

2008年9月5日(金)に中野の「古書大予言」で買った『人間の設計図』(村上勝夫著/天地人気功研究会)を
ようやく読み終えました。

例によって、内容的には必ずしも賛同出来るとは言い難い箇所と、そうではない箇所が混在しています。

著者の村上先生が食養法として薦められるプーアル茶や蕃消糖は、確かに身体の毒素や、飲食して消化が済
んだ後に残ったものを排尿排便で出す「瀉」の効果が認められ、私も良いものだと思いました。

また、呼吸が浅いことが脾臓の力を弱めて内臓下垂を招き、特に女性の場合は子宮の下垂から便秘の原因に
なったりするという記述は、私もクライアントをみていてそう感じることが結構ありましたので、納得がいくものでし
た。これは一つの例ですが、この本は全体的に陰陽五行説に基づく記述が多く、この方面の記述は参考になる
ものが多いです。

一方、これは必ずしも私の意見と合致しないと感じられたのは人間の作られ方への記述です。こちらのほうが著
者の村上先生の思想が反映されていて、この本独自のものと言うべきなのかも知れないのですが、特に「愛」の
捉え方が私とは異なるものがありました。


村上先生は『人間の設計図』の中でこのようにお書きです。


「愛とは決して交換ではなく、無限の優しさであり、誰もが与えるのみである。」

                             (『人間の設計図』P.135より抜粋)




確かに「愛」は交換条件をもって成されるものではありません。【注1】交換条件が存在する場合、それは「ビジネ
ス」という名前のものであったり、「権利の主張」であったり、「欲情に基づく執着心」という代物であったりします。
いずれにせよ、それらは「愛」ではありません。そこまでは私も意見が同じです。【注2】

しかし、問題はその次の「無限の優しさ」という記述です。「愛=無限の優しさ」ではありません。「愛=無限の優
しさ」が仮に「正」であるとするならば、「愛」は人類にとって単独では実現不可能なものになるのです。

何故ならば、人間は(それが生きている人間であることが前提ですが、)肉体を有してこの世で活動するという時
点で既に社会的にも、そして身体能力的にも限界を有する存在であり、無限の優しさを発現させることが不可能
な存在であるからなのです。よって、「愛=無限の優しさ」という定義は、少なくとも「人間が単独で実現可能な愛」
については成立しません。

仮に「『私は限りの無い愛情と優しさ』を体現出来る者である。」ということを本心から言っている精神世界
の指導者がいるとしたら、その人は深くものを考えていない人なのか、あるいはにせものの指導者という
ことになります。【注3】

もし、私の前でそのようなことを本気でおっしゃる方がいらっしゃるのであれば、私はその方に「限りの無い
愛情と優しさ」の実践をしていただきます。人間には実現不可能ですから、まず間違いなく途中で挫折しま
す。


さて、ここでもう一つ気になることがあります。「際限の無い優しさ」はもともと人間には実現不可能なものなのです
が、これを更に履き違えて的外れな優しさの乱発をしてしまう人がいるという問題です。

優しさを向けてはならない事象に過剰で、しかも的外れな優しさを向けるという行為は、時に「慈悲魔」と
いう問題を引き起こすことがあるのです。


例えば、芸能界でたまに見られますが、実の息子が覚醒剤や大麻を所持していたり、吸引していたりしたといっ
たことで逮捕された時に、芸能人の親が記者会見で子に代わって謝罪をしている一方で、子に甘くしてしまい、
結果的に再犯を促してしまうといった話が出たりしますが、これなど「慈悲魔」の典型だといえます。

何でも優しければよいというのは誤りです。「愛」と「甘やかし」は同一では決してないのです。この場合、この子
に本当に必要なのは、再犯を促してしまうような的外れな優しさではなく、再犯を決してさせないように、「塩辛い
パン」を与えることなのです。

『人間の設計図』を読んで、私はそんなことを思ってしまいました。




【注1】
これは2008年7月17日(木)の「かめかめ日記」の全文です。ご参考までに転載をしておきます。


2008年7月17日(木)

ある療法を扱う先生のサイトで、「愛」についてこのような解説がなされているのを読む機会がありました。

要約するとこのような論旨です。

「『無条件の愛』は存在し得ない。愛は尊いもの、美しきものと考えられていますが、愛には必ず見返りが必
要なんです。『私がコンナに尽くしているのにィ〜〜!!』『私がコンナに愛しているのにィ〜!』と、なってし
まうのです。皆さんには経験ありませんかァ?あるでしょう!!」


この解説をされた先生と私は愛についての捉え方が根本的に違うのだと思いました。私は「見返りを求める
心情は真の愛を形成し得ない。」という見解でいます。その心情の正体は愛なのではなく、「自らの情欲から
来る執着心」です。

「愛」と一言で書いてみても、それが何を意味するのかでその内容は異なって来ます。「フィリアの愛」、「エ
ロースの愛」、「アガペーの愛」など、古今東西で様々な愛について説かれて来ました。「愛」という言葉は
それを実現し得る人なのか否かで概念が変わる言葉なのです。アガペーの愛を頭でわかっていても実践
出来ないという人もいますし、「そのような愛は私の辞書には存在しない。」という人も中にはいらっしゃる
ことでしょう。実はアガペーの愛よりも深い愛も存在します。存在はするが人類には実行不可能な愛も存
在します。

人類の場合は「無条件の(見返りを求めない)限定的な愛」は実現し得ますが、「際限の無い愛」は実現が
不可能です。読者の皆様にはこの違いが理解出来ますでしょうか?

今日はそんなことを書きたくなった1日でした。




【注2】
最近、アダルトチルドレンに関するお問い合わせや相談のメールを受ける機会が増えていますが、アダルトチル
ドレンの親は、「愛とは何らかの付帯条件を付けるもの」という認識でおり、それを当然に思い、真の愛では
ないものしか発現が出来ない資質しか有していない人間であるということが親子関係を不健全なものにしてしま
うという構造を有しています。

子供は子供で、親の愛を受けようとするため、虐待があろうが何があろうが常に親の意向に従わなければなら
ないと思い込み、そして親との関係維持のために生きるようになり、それがまた新たな歪みを発生させてしまう
のです。

これは、私が過去に書いたメールの文章をちょっと変えた文章です。ご参考までに転載しておきます。


アダルトチルドレンの問題は、本人の過去のトラウマを癒すことが必須であるだけではなく、過去の出来事に対
する認識を根本的に意識レベルで捉え方が変わるようになっていかないと、本人自身が苦しい思いをします。

親に対して「許せない。」という気持ちを持ち続けることは、物理的ではない傷を持ち続けることを是としてしまう
ことに等しいです。それがアダルトチルドレンの方々を苦しめています。

許せない気持ちを他のエネルギーに変換することが出来れば救いの道も見えて来るのですが、そのためには
本人が昇華を可能にするだけの器を持てないといけません。

人間は憎しみや「許せない。」という気持ち、そしてひどい目に遭った心の傷をも変換させることが可能な生き
物であるということが救いの鍵なのですが、そのためには脳の記憶及び魂の情報をも癒した上で心の傷の変
換をしていく必要があります。

それなくしていきなり意識の改革を迫った場合は、「許せない。」「自分は被害者である。」という心が勝ってし
まい、引っ掻き回してしまうのです。

こんなことを書くとしかられそうですが、「親ほど子に思う存在はない。」「親よりも上を行く愛の体現者は
世の中にはいない。」という常識が逆にアダルトチルドレンの方々を苦しめています。
現実は必ずしも
そうだとは限らないからです。

もっと言えば、親よりも上を行く愛の体現者はいます。見つけられているか否かという個人個人の問題はあり
ますが、それが常識に勝るようにしないと常識と現実のギャップに苦しみます。常識は真理とは限りません。
全く当てはまらないことだって多々あるのです。

それがわかれば、親に期待することもいらなくなれば、逆に愛が無いからと絶望したり恨んだりすることもいら
なくなるということに気づきます。

親に執着しているから親が、そして親との間に生じた過去が、そして現在が許せないのです。その執着を魂の
レベルで癒すことが執着からの解放に必要です。

親は完璧な存在ではありません。将来親になるかも知れない自分だって完璧とは言えません。完璧を求める
こと自体がそもそも間違いです。支払能力が無い人間に弁償しろとすごんでるようなものです。そのエネルギ
ーを他に使ったほうが有意義で、かつ賢明で、しかも自分を救う方向にことが運ばれていきます。しかし、それ
を口で説いたところで、わかっちゃいるけどやめられないというのは、魂のレベルでの癒しがなされていないか
らです。




【注3】
実はこれは架空のお話ではなく、私の前でこのご発言をされた方は実在します。そして、やはりこの方の場合も
限界があったと言わざるを得ませんでした。
「『私は限りの無い愛情と優しさ』を体現出来る者である。」というご発言をお読みになって、違和感を感じら
れた方も中にはいらっしゃるかと思います。そうです。「愛」と「愛情」の区別すらつかない方のご発言でした。


2008年9月11日(木)

(2008年9月12日(金)に文章を一部訂正。)


第92回

昨日買った『デール・ウォーカー流 虹のクリスタルワーク』(坂本知忠著/たま出版)を今日再度読み直し
ました。面白いと思ったことを今回書こうかと思います。

この本には『光の導き』と命名された言葉が載っています。この『光の導き』はデール・ウォーカーの原文は
もともと英語なのですが、この本の著者である坂本知忠先生の和訳は以下の通りです。


『光の導き』
「内なる神の光を呼び出します。私は清く完全なつながりなり。光が私を導く。」




この『光の導き』を唱えることで面白いことが出来ます。

まず、水晶を1つ用意してみて下さい。水晶は原石でもクラスターでもヒーリングスティックとして加工したも
のでもポイントでも球でも何でも結構です。ただ、手に取りやすい大きさのものがやりやすいかと思います。

水晶には人の想念をよく吸収し、保存する性質があります。良い想念を吸収した水晶は各種筋反射テスト
で筋力が正常に発現されますが、よくない想念を吸収した水晶は筋力が正常に発現されず、力が入りませ
ん。

例えば、ここで用意した水晶を右手に持って眉間に持って行き、過去において体を傷めた時の痛さを思い出
し、心の中で「痛い、痛い、ああ痛い、痛い。」と言い、「お前なんかこなごなに叩き割ってやる。」と本気でこ
の水晶に向かって言うと、水晶の中にネガティヴな想いが入り、とたんに水晶のパワーがダウンします。きら
めきヒーリング講座の入門編を受講済の方は水晶の状態について検査してみて下さい。

検査が終わったら、今度はこの水晶に『光の導き』を唱えて下さい。水晶のパワーが回復します。これも検査
してみて下さい。

水晶には人の想いをよく吸収し、保存する性質がありますが、この性質を使って私達はさまざまな情報を水晶
にプログラミング出来ます。水晶にプログラミングしたり、逆に入ったプログラムを消去したり、新たにプログラ
ムを入れ替えたり、パワーアップさせたりすることが水晶のワークでは可能です。各種ヒーリングメソッドの応
用を効かせることも出来ます。

ヒーリング用に水晶を購入したらまず行うのが浄化です。回路が出来ていない方もお読みかと思いますので、
簡単な浄化の方法を書いておきます。

まず、水晶を水道の水を流しながら洗い、その時に『光の導き』を3回唱えてみて下さい。これで大抵浄化は
出来ますが、稀にこれだけでは足りないことがあります。その場合は自然海塩で作った塩水の中に一晩漬
けて置くか、セージなどで燻蒸するかしてみて下さい。日光に当てる方法も有効ですが、近くに燃えやすいも
のは置かないで下さい。レンズ効果で発火する恐れがあります。ところでアメジストやシトリン等の水晶系の
色石は日光には当てないで下さい。脱色します。


こんなに簡単にこの本のキモを書いちゃっていいのかと思いましたが、著者の坂本知忠先生はご著書の中
でこのように書かれてましたので、大丈夫だと思いました。


 皆さんは『光の導き』を唱えることで浄化、活性化することを学んだわけですから、これはこれからの一生
の智恵になります。ただし、その智恵を使って悪徳霊能者にならないでください。金を儲けたり、報酬を得る
のは悪いことではないのですが、無知な人を騙すのはよくないことです。知っている智恵を教えないこともケ
チな根性です。人から教えられて、学んだことは、人に教えて全部出してしまうことです。何も隠さない、何も
持たないことが良い事です。全部出してしまうと、神様はもっと素晴らしい、新しい智恵を与えてくれます。

         (『デール・ウォーカー流 虹のクリスタルワーク』(坂本知忠著/たま出版)P.44より抜粋)


これは私も経験があります。全部出すと本当に新しいことが出来るようになるのです。面白いことに。


2008年8月5日(火)


第91回

ご無沙汰しております。ここ数日スケジュールがつまり、他に時間をなかなか取れなかったのですが、そんな中、本
屋に入って新刊のチェックをする時間が少しだけ取れました。相変わらず、アセンション等の精神世界を語る本の
中に危険なものがいくつか出ており、これらについて書かねばならないと思いながらもなかなか時間が取れず、今
回は少しだけ述べておこうと思います。

これらのアセンション本の中には気功や癒しを語っていたりしているものすらあります。その一方で同じ本の中でプ
レアデス星人だのアメノホアカリノミコトだのアマテラスオオミカミだのとも言っているのです。「高次元霊からのメッ
セージ」と称してこういった神々名義のメッセージを載せているケースすら中にはあります。

しかし、「『アセンション』という言葉を語り、人間性の向上や世直しを謳い、読者に自らの元に集うことを煽
り、『プレアデス星団からの高次元の霊』等の宇宙人の霊に興味を持っている人の興味をくすぐる言葉で
誘っている精神世界本や疑似科学本がいくつか見受けられますが、こういった本を書く著者には決してつ
いて行ってはいけません。」
と私はここに書いておきます。

そもそも、プレアデス星団は約6千万〜1億歳と若い年齢の青白い高温の星の集団です。こんな若い星団
から知的生物の霊が生成されることなど有り得ないのです。
時間が無さ過ぎます。「プレアデス星団」という語
感のイメージに決して騙されないようにして下さい。ここには宇宙人はいません。

これは何かと申しますと、地球のあちらの世界(通常人には目に見えない微細な世界)の住人が、自らの目
的(行なっているものの目的はそれぞれ異なりますが、)のために都合の良い人間を集わせ、こちらの世界
に悪い意味での働きかけを行っているというのが真相です。
行っているのはプレアデス星人などではなく、地球
の存在、それも魔物の類です。こういった著者の下に集い、その人の主張に従った行動を取っているうち、次々とお
かしなことになっていき、最後には反社会的行動により人生を破壊されます。決して近づかないで下さい。とにかく、
「世直し」「人間性の向上」と称して著作物で読者を煽り、人集めをしているところは危険です。カルトはこのようにし
て形成されていくのです。

そもそも、本当に人間性の優れた方ならば、「人間性の向上」などど紙に書いて自室に貼ったり、他者に人
間性の向上を強制したりはしないものです。



2008年5月8日(木)


第90回

最近、雑感に書いていることでメールをいただくことが増え、特に今までの活動で日記や雑感に書かなかった過
去のお話について書く必要を感じているのですが、なかなか時間が取れません。それがこの頃残念に思うことで
す。

整体院を開業して以来、本当にいろんな方々とお会いしたのですが、日記や雑感に書いていないお話も実は多
いのです。しかも、今まで書かなかったお話のほうが自分自身驚きの体験であったりするのですが、今までずっ
と書かずにいました。もちろん、関係者の方々にとって(匿名等で)支障が無い形で書こうかと考えておりますし、
ちょっとお時間をいただけたらとも思います。そんなことを今日は思ってしまいました。

本当に開業以来、「私は凄い!お前は大したことないのだから仕事を辞めろ。」「俺は世直しをするために生まれ
てきた。サイトを読んだ。お前はけしからんことを言っている。世のためにならないから説得に来た。」等の意見で
押しかけて来た方々のお相手をしたり、いろんな妨害を受けたりして来た過去だったのです。しかし、私は今も活
動を続けています。

こういう方々を見ていますと、「無神経な人は自分が無神経であることにすら無神経である。」という言葉が出て来
てしまいます。


こういう方々の特徴として

1.「自分は他に比肩する者のいない偉い人物である。」という、実はどこにも根拠が無い妙な自信
  があり、「自分は話し相手より遥かに上の存在である。」ということを前提として行動している。

2.人の話を聞かないで自分の言いたいことだけ言う。ただし、最低限の損得計算(「貴方のその話
  はもし実行したら逮捕されるぞ。」等)の話は聞く人が中にはいる。

3.施術を受ける場に来ているにもかかわらず、施術も講座もセッションも何も受けないで自分の自
  画自賛の話だけ延々として帰る。 (これは相手を小馬鹿にした、もの凄く失礼な話なのです。こ
  ういう方はお気づきではないとは思いますが。)

4.デリカシーゼロ。(例えば「みやげ」と称して滅茶苦茶悪臭がする食べ物をくれたりします。これ
  はセラピストに翌日休めと強要しているのに等しいです。それでも私はその方のご厚意を無に
  したくありませんでしたので、いただいた場合は翌日休んでいましたが。)

5、自分がいかに有能で実力がある者であるか弁を振るうが、話の内容には誤りが目立つ。基本
  的なことすらご存知ではないことに愕然とさせられることもある。【注1】

6.自分とは異なる意見を一切許さない。 あくまでも「自分が絶対的に正しい。」というスタンスで
  行動する。

7.相手に「人は品行方正であらねばならぬ。」とか、「欲を出してはいけない。」とか言って品行方
  正を強要する一方で「ロト6が当たったら自分はポルシェに乗りたい。」とか、「お嫁さんが100
  人欲しい。日本はもう5年もしたら男が天罰でたくさん死ぬだろうから一夫多妻制になる。俺は
  生き残り組だから死に組のことなんか知ったこっちゃない。早くそうならないかなあ。」とかいっ
  た発言をしたりする。(もうすぐ5年経ちますが。)

8.「神のお告げ」と称してJRAで馬券を買ったり、パチンコを打ったり、宝くじを買ったりするのが
  大好き。だが当たらない。 当たらない時、その神は「○○がいけなかったから今回は当たらな
  かった。」とか「△△が××したせいで当たらなかった。」とか何とか言って言い訳をするらしい。
  いい加減騙されてることに気づいて欲しい。(そんな話をする人も中にはいました。)

9.「物事には何でも白黒をつけないといけない。」という思考でいる。「悪いのは100%相手。自
  分は全然悪くない。」という結論以外を一切認めない。 こういう人が100対0以外の過失割合
  の交通事故にもし遭ったらとんでもないことになりそうである。

10.とにかくその人が帰ってくれたらほっとする。癒しの対極に位置する人であるということに本人
   は気づいていない。「自分は癒しの人である。」と信じて疑っていない。




以前、ヒーリング雑感の第62回にも書いたことがありましたが、本当に凄い方だったら私は今の仕事をすぐ
にでも辞めてその方の弟子になりたい(その方がよろしければですが、)と本気で思いますし、もしそんな方
にお仕え出来るのであれば、私の人生など安いものだと思うのですが、出来ないのです。粗が見えてしまう
からです。少なくとも今までお会いした自画自賛の道場破り風の方々からは。

何がどう粗があるのか書く必要を感じています。第87回を書いて以来。


【注1】
例えば、「釈迦は葬式仏教を日本に伝えた抹香臭い人である。」だの、「キリストはもてない君だった。」だの、
史実とは全く異なる話をしたりする方もいらっしゃいました。これは反論するのも馬鹿らしいので何も言いま
せんでしたが、釈迦の時代の原始仏教は、現代日本で広く行われている抹香臭い葬式仏教とは決してイコ
ールではありませんし、もちろん釈迦が葬式仏教を日本に伝えた訳でもありません。また、キリストはマグダ
ラのマリア
をはじめ、いろんな女性に本当に慕われていました。その意味において決して「もてない君」では
なかったのです。少なくとも、私のところに来られた熱弁君よりはイエス・キリストのほうがずっともてる方だっ
たと私は思っています。お話を聞いていて、私は沈黙しながら、「高校で勉強し直して来て下さい。」とずっと
思っていました。私は沈黙してても相手の意見に同意してるとは限りません。


2008年1月11日(金)

(2008年1月14日(月)に文章を一部追加。)


第89回

昨日更新しました「ヒーリング雑感のコーナー」の第88回ですが、反響メールをいただいており、これについ
てまた書こうかと思いました。

前回の【注2】で、私はこのようなことを書きました。


【注2】
恋愛なんか有効ですね。間脳や脳下垂体の機能が発達している人は恋愛の感情を起こしやすいよう
です。間脳の下にある脳下垂体から分泌されるPEA(フェニルエチルアミン)は激しい情熱を掻き起こ
したり、心をときめかせたりする心的作用があり、これは恋愛感情に深く関係しています。ただ、この
PEAは通常は2年半〜3年、いくら長くても4年程でその効果がおさまるらしく、長年仲が良い夫婦な
どはこのPEAではなく、β−エンドルフィンやセロトニンが関係していることが多いようです。猛烈な恋
愛感情とは全く別の感情で繋がりが続いているということですね。というか何十年も熱烈状態が続い
たらかえって支障がありそうですが。
で、「こういう人がタイプ」というのは扁桃核や海馬の働きが大きいです。幼少の頃から現在までの人
生の蓄積で形成された「好み」に相手が合致してしまったらPEAが発動してしまうと。ですから幼少時
から現在までに見て来たものの影響は大きいと言えます。


2008年1月3日(木)


ここで読者の方からメールでいただいた疑問なのですが、「『幼少時から現在までに見て来たものの影響は大
きいと言えます。』の一文がもし事実であるとするならば、異性に向かう「好み」というものは流行により画
一化が成されてしまうのではないか?」
というものです。

これは私の個人的な見解なのですが、「外界からの刺激が各人にとって全く同じか、同じではなくてもかなり
近いものである場合、各人の嗜好が似通って来る可能性はもちろんある。しかしその一方で、外界の情報
がたとえ全く同じであったとしても、その情報をどう受け取り、処理してしまうかで嗜好にかなりの差異が生
じる可能性があるとも言える。」
と私は思うことがあります。

ラブコメ漫画なんかでよく見かける、1人のヒロインがクラス中の男子達の好き好き光線を独占してしまうといった
お約束的展開が現実世界でも起こり得るかも知れないと言える一方で、例えば、私はSさん(仮イニシャル、女性)
のことが好きで好きでたまらないと恋に身を焦がしているというのに、友人のP君(仮イニシャル、男性)は「俺は
Sさんを見ても何の気持ちも湧かない。」と、私の女性の好みがまるで理解出来ないという反応をしてしまうことも
十分起こり得る訳です。

扁桃核や海馬の情報処理による結果生まれた各人の嗜好が全く同じか、同じではなくともブレが小さいという
結果が出た場合、一部の極端にもてる人と大部分のもてない人が出やすいです。しかし、現実世界は必ずし
もそのようなことはなく、嗜好にばらつきが出ます。だからこそ多くの人に配偶者が出来て結婚が出来るとも言
えます。

これは、「全ての人の経験を全く同じにすることは実は不可能である。」ということと、「外界の刺激による
経験がたとえ同じものであったとしても、受け止め方や結論の出し方が『文化』や『教育』や『躾』や『家
庭環境』他、様々な要素により、かなり変わってしまうことが考えられる。」
ということがあるから起こり得る
ことなのだと思います。

例えば、教育や家庭環境による価値観の蓄積で発達した前頭葉が判断を下す力が強い人の場合、仮
に感情のレベルでは「好き」という反応が出ていたとしても、「家柄が違う人とはお付き合い出来ない。」
とか、「学歴が違う人とはお付き合い出来ない。」とかいった類の分別の力が強く働いてしまい、「でも
この人とはお付き合い出来ません。」という抑制がかかってしまったり、 損得勘定が働いて別に好きで
も何でも無い人と交際してしまったりすることも(それがいいことか悪いことかといった議論は別にして)
有り得る訳です。
有り得るといっても、もちろんその程度には個人差があるとは思いますが。

また、そういった要素の他に、(急にトンデモ領域に入ったと思われそうですが、)目に見えない世界の存在が
各人の嗜好や受け止め方に働きかけを成すこともあるということも私は聞いたことがあります。扁桃核や海馬
への働きかけは、一部の霊的存在にとっては、いともたやすいことなのだそうです。それで異性を結びつける
こともあるとのことでした。

これにつきましては、私も経験があります。後で知らされたのですが、私は青春時代、ある女性を非常に好
きになってしまったということが何度かありました。しかし、最初は何故こんなに特定の人を急に好きになっ
てしまったのか自分でも不思議だったのですが、わけあって扁桃核や間脳や脳下垂体に働きかけを成した
とのことでした。目に見えない情報の交流がしやすい女性を見極め、そして私にも働きかけたとのこともうか
がいました。当時、一部の女性の方とは不思議と気の交流が優れ、また相手も(世間一般の意味とは微妙
に意味は異なるのですが、)私を好きになってくれたのでした。しかし、それは結ばれることは無い形での恋
愛の経験であり、私には後のステップにおいてそれが必要であるということから経験をさせられたのでした。
今思えばいい経験だったと思いますし、 当時会うことが出来た方々や縁を作ってくださった方々に感謝して
います。


2008年1月4日(金)


第88回

日記にも書きましたが、2007年12月31日(月)から2008年1月2日(水)まで私は高松の実家に帰省
をしていました。そこで東京での仕事の話をした時、「もはや整体の領域だけではない仕事になっている。」
という話になりました。

「精神科の先生のところに行きはしたものの、解決がなされず、問題の軽減もなされなかった方が来院さ
れることや、『もう死にたい。』 とおっしゃる方が来院されることや、最近自殺や病死や事故死をされた方
のご親族の方や恋人の方が来院されることも増えている。」といった話をしたら、意外に思われてしまい
ました。

説明をしていたら長くなりますが、まだまだ世間一般の認識と私の仕事内容との間にはかなりの隔たり
があります。私の中では違和感は無いのですが。

このサイトをお読みになっている方の中で、「もう死にたい。」とお思いの方がもしいらっしゃるとしたら、
私は言いたいです。 「『死にたい。』という気持ちにもし襲われてしまったら、自分がこの人生でまだ成
し遂げていないけれども成し遂げたくて、 しかも自分がそれを行うことが『快』な事象について思い出し
て下さい。」と。

「それが成し遂げられるまでは死ねません。」という気持ちは決して馬鹿には出来ません。その気持ちが
「死にたい。」という衝動に勝ることも多いのです。【注1】

「『そんなものは無い。私にあるのは絶望だけだ。』と反論される方は、自分が自殺することで悲しむ方の
ことを思い出して下さい。『そんな人はいない。』と反論される方は、「そんな人」を作るか、【注2】どんな
小さなことでもいいので、 この世に自分が責任を持って関われることを作って下さい。」と私は言いたい
です。

この方法は憑依で脳を完全に乗っ取られてしまった方には通用しませんが、自我意識がまだ失われて
いない方には有効に働くことが多いです。また、絶望というものは、それが絶望だと認識出来るうちはま
だ最悪の状態ではなく、立ち直ることが可能だと私は思います。

私は、「人様に迷惑をかけたから責任を取って自殺した。」という方のご親族にお会いしたこともあります。

亡くなられた方を責める訳では無いのですが、私は「死んで詫びる」という方法は決して取ってはいけな
いと思っています。 「死んで詫びる」という方法は封建時代の悪習なのです。 「死んで詫びろ!」と罵声
を浴びせる人は、封建時代の悪習の価値観をいまだに引き摺っているのです。

責任というものは死んで取るものではなく、生きて取るものです。「生きて責任を取る方法が無いから
死んで詫びるために自殺する。」という思考には決してならないで下さい。自殺は決して責任を取れる
方法ではありません。生きて下さい。そして生きて責任を取れる方法について信用が置ける人に相談
して下さい。法的な問題ならば弁護士の先生に相談して下さい。生きて責任を取る方法を教えてくれ
ます。いきなり死に急がないで下さい。


【注1】
自殺衝動についてはヒーリングとしては扁桃核に働きかけます。ただ、誰に行っても良いとは言えませ
んので、方法の詳細は書かないことに致します。
外界からのストレスをプラスに受け止めるか、マイナスに受け止めるかは、扁桃核が持っている感情に
よります。扁桃核が是ならばプラスに受け止められ、扁桃核が否ならマイナスに受け止めます。扁桃核
がマイナスに受け止めた場合、恐怖や不安や嫌悪感が強くなります。
では、扁桃核の好き嫌いの感情は何によって決まるかですが、それは脳の海馬の記憶が関係してい
ます。
例えば、何らかの問題が発生した時、海馬に蓄積した過去の人生における経験や知識によって形成
された「その人の価値観」からデータを引っぱり出して照合します。その時、例えば海馬に恐怖の情
報が多く、しかも強く入力されていればいるほど怖く感じます。 経験が無い、すなわち海馬に情報が
存在しないものについては怖いもの知らずになってしまうことも有り得る訳です。

ところで、扁桃核と海馬について、このような記事が中日新聞に載ったことがありましたので、転載し
ておきます。(記事が消えてしまうことも有り得ますので。)


第4部・「科学的」に考える (1)画像 心が傷つけば脳にも傷がつく

                               (中日新聞 2007年3月16日)

いじめに遭って、精神疾患になった少女の脳。左写真の矢印が統合失調症特有の傷。右写真の矢印が、うつ病特有の傷だが、治癒過程でふさがりつつある(2枚は断層面の高さが異なる)=松沢大樹教授提供

写真


 東北大名誉教授の松沢大樹(80)は、かなりの数の生きている人間の脳を、その
目で“見て”きた「イメージング脳科学」の権威である。

 MRI(磁気共鳴断層撮影)やPET(ポジトロン断層撮影)を用いた症例研究から、
すべての精神疾患は脳内の「扁桃(へんとう)核」に生じる傷によって起きると結論
づけているが、松沢によれば「深刻ないじめによっても、子どもたちの扁桃核に傷
は生じている」と言うのである。

 傷というのは、比喩(ひゆ)ではない。本当の傷、つまり、脳にできた「穴」。「松沢
の断層法」と名付けた独自の撮影方法によって、初めてその姿がとらえられた。

 現在、総合南東北(みなみとうほく)病院・高次脳機能研究所(福島県郡山市)に
所長として勤務する松沢によると、深刻ないじめを原因に心の不調を訴えて来院し
てきた子どもたちにはすべて、扁桃核の傷が認められた。その数は最近3年間で
100人以上に上るという。

 扁桃核に傷がつくことで、精神疾患が起きる、とするのが松沢の説。症状から、う
つ病や統合失調症と診断されたケースで、それぞれ特有の傷がみつかったが、そ
の後、画像診断を重ねた結果、どの患者にも、両方の傷があることが明らかになっ
たという。ただ、統合失調症より、うつ病の症状が優勢な場合には、扁桃核の傷の
ほか、隣接する「海馬」の萎縮(いしゅく)も現れるとしている。

 ある少女の場合は、外国人と日本人の両親の間に生まれ、その「人並み外れた
美しさ」(松沢)のために中学、高校を通じて、いじめに遭った。15歳で発症し、自
殺未遂を何度も繰り返した。断層撮影すると、やはり、うつ病と統合失調症に特有
の傷が、扁桃核にそれぞれ認められた。

 扁桃核は、脳底に左右対称に二つあり、傷も必ず左右対称に現れる。扁桃核一
つの大きさは親指の先ほどで直径約15ミリ。形がアーモンド(扁桃)に似ているこ
とから、その名がついたとされるが、松沢は「ハート形をしている」という。まさに“ハ
ート”が傷つけられているわけだ。

 そして、そうした傷は、病気の症状が消失するのと同時に消える。松沢によれば、
治癒する時には、扁桃核に接する海馬にある神経幹細胞が増生し、傷を埋めたり、
修復したりするそうだ。「ほとんどすべての人が適切な治療によって治癒することが
わかってきている」という。

 扁桃核に傷がつく原因については、「いじめを受けるなどの要因で、脳内の神経
伝達物質のドーパミンとセロトニンのバランスが崩れるせい」と松沢はみる。

 精神の安定や睡眠にかかわるセロトニンが減少し、快感や運動調節に関係する
ドーパミンが過剰になって毒性が現れるからではないか、とする。

 好き嫌いなどの情動に関係する扁桃核のことを、松沢は「愛の神経核」と呼ぶ。

 扁桃核に傷がつくと「愛が憎しみに変わる。さらに記憶認識系、意志行動系など
およそ心身のあらゆることに影響を与える」。

 近年、技術開発と研究の進化が、それまでブラックボックスだった生きている人
間の脳の内部を明らかにしつつある。そして、目には見えないと思われてきた、い
じめによる「心の傷」までも。


 松沢は、念を押すように繰り返した。「いじめは、脳を壊す。だから、いじめは犯
罪行為、れっきとした傷害罪なんです」(文中敬称略)



    *

 連載第4部では、脳科学や精神医学、心理学、動物行動学といった分野の研
究者への取材を通じ、ちょっと「科学的」な目線で、いじめのことを考えてみたい。

                     (取材班・島田佳幸、酒井和人、辻渕智之)




【注2】
恋愛なんか有効ですね。間脳や脳下垂体の機能が発達している人は恋愛の感情を起こしやすいよう
です。間脳の下にある脳下垂体から分泌されるPEA(フェニルエチルアミン)は激しい情熱を掻き起こ
したり、心をときめかせたりする心的作用があり、これは恋愛感情に深く関係しています。ただ、この
PEAは通常は2年半〜3年、いくら長くても4年程でその効果がおさまるらしく、長年仲が良い夫婦な
どはこのPEAではなく、β−エンドルフィンやセロトニンが関係していることが多いようです。猛烈な恋
愛感情とは全く別の感情で繋がりが続いているということですね。というか何十年も熱烈状態が続い
たらかえって支障がありそうですが。
で、「こういう人がタイプ」というのは扁桃核や海馬の働きが大きいです。幼少の頃から現在までの人
生の蓄積で形成された「好み」に相手が合致してしまったらPEAが発動してしまうと。ですから幼少時
から現在までに見て来たものの影響は大きいと言えます。


2008年1月3日(木)


第87回

前回話題にしたお話につき、週刊文春2008年1月3日・10日新年特大号の記事を読んで思ったことを今回
書きます。

今回家宅捜索を受けたヒーリングサロン「びびっととうきょう・青山サロン」ですが、平成18年に横浜市の会社
役員(当時41)が除霊代として490万円騙し取られたという詐欺容疑により、 神奈川県警が捜査に乗り出す
ことになりました。

当時、会社役員は「あなたの会社は戦国時代は首切り場だった。成仏できない自縛霊がさまよっているから、
お清めが必要。特別祈願は二百万円からで、最高七千万円だ。」と、ヒーリングサロン「びびっととうきょう・青
山サロン」を経営する有限会社「E2(イースクエア)」の社長に言われたのだそうです。

有限会社「E2」の杉本明枝社長(44)は、これについてこのように述べられています。


「お清めは、双方納得の上で合意書を交わしますし、その方が『どうしてもやってもらいたい』とおっしゃるので
やったのです。その後も三年以上通われてサロンの中心になっていた方なので、いい結果が出たのだと思っ
ておりました。 私には、脅すつもりも騙すつもりもありません。ご本人が騙されたと思うなら、私の力不足と説
明不足。不徳の致すところで申し訳なく思っております」


                         (週刊文春2008年1月3日・10日新年特大号 P.30より抜粋)



私はこれを読み、この方には会社役員に「除霊には大金が必要。」と説明をしている時点で「自分はおかしい
ことになっている。」とお気づきになっていただきたかったです。

と申しますのは、今回のお話にもし真の神仏が関わっておられるのであれば、「除霊だけに200万円
から7000万円が必要」ということは有り得ないからです。


神仏は(真の神仏ならばですが、)お金が欲しい訳ではありません。人間がお金が欲しいと思うので
す。また、悪巧みや悪戯を喜ぶ動物霊や魔物の類がヒーラーや霊能者を煽って「除霊には大金が必
要」と言わせるケースもあります。


こういったご発言をされる方の中にはいろんな方がいらっしゃいます。「自分はおかしいことを言っている。」
ということにお気づきでない方もいらっしゃれば、確信犯もいます。動物霊や魔物の類が判断力を失わせて
いるケースもあります。真の神仏ならば、指導している人間を犯罪行為にいざなったりはしません。

これは今回のヒーリングサロンの話とは異なるケースなのですが、(仮にKさんとしますが、) このKさんが
「自分は神がかった。その神様によると自分は天上界で一番レベルが高い魂の持ち主なのだそうで、世直
しをするために今回この世に生まれたのだそうだ。」と言い出し、しかも、「その神様が『今から(Kさんが前
々から気に食わないと思っていた)知人Sの家に行って金を取って来い。Sは悪い奴で、Sから金を取って
も罪にはならないんだ。Sは悪いことをして稼いでいるのだから、そんなSから金を取るのはむしろ良いこと
をしているのだよ。奴はお前がこれから世直しの活動をするのに必要な金を持っている。さあ、行ってやっ
て来い。』と言うのだが。」という話を私は聞かされたことがあります。

こんな犯罪行為を勧める「自称『神』」の正体は神などではありません。もちろんKさんには説明をしました
が、 こういった過激な話はわかりやすいものの、今回のヒーリングサロン社長の話も実はこれと五十歩百
歩の類の話なのです。

私がもし憑依等の理由で脳を冒され、このような発言をするような状態になったとして、もしわずかでも判断
力が残っていたとしたら、すぐにでも活動をやめ、団体の類をもし作っていたとしたら即解散をすると思いま
す。これはそれほどの不祥事なのです。そして、除霊に限らず、霊障等の問題に何らかの働きかけを行
って問題の解決を図ろうとする行為は私も行うことがありますが、 それ自体は様々なケースがあると
はいえ、「このような大金を請求せねばならない理由が発生するケースは皆無である。」と私は断言
出来ます。


仮にお金がかかったとしても、せいぜい交通費や宿泊費、会場の賃借費等の必要経費プラス、経営の維持
に必要な金額までです。私の場合は最も高いもので、「きらめきヒーリング講座」全課程受講費用5万円です。
(2007年12月26日(水)現在、消費税を含む。)そんなもんです。

このヒーリングサロンは、「神世界」という団体のグループに所属しているとのことですが、この「神世界」は宗
教法人ではなく有限会社であり、全国百ヶ所以上にさまざまな名称でヒーリングサロンを経営しているとのこ
とです。そんな「神世界」ですが、週刊文春を読み進めていくうち、ここが出している「神書」という教典につき、
とんでもない話が書かれているのが目に入りました。


「神書」と題する教典は平成十一年六月に発行されたが、その後書きも、金・・・・・・。[この『神書』は人類
が初めて授かった神様からの商品であり、本来ならば現在の貨幣価値で一冊につき一兆円以上は欲しい
のだが]


                        (週刊文春2008年1月3日・10日新年特大号 P.31より抜粋)


この自称「神様」はお金が欲しいのだそうです。例えば旧約聖書の神は十戒を授けた時、モーゼにお金を請求
したでしょうか? また、神ではありませんが、大天使ガブリエルはダニエルやムハンマドにお金を請求したでし
ょうか?神仏や天使が人間にお金を請求しただなんて、私は今まで聞いたことがありません。もっとも、人間が
社会生活を営む上で止むを得ずお金の話をするのは、人間が肉体を持って社会生活を営む制限を有する存
在である以上、まだ話がわかるのですが、それにしても贅肉が多い請求金額というものです。

と、申しますのは、サロンを運営するのに必要最小限なお金をいただくことは、実際問題として止むを得ない部
分があり、それが無いと霊障等で苦しまれている方々への問題解決を図る立場の仕事の方々の活動がたち
まち立ち行かなくなり、それが霊障等の問題で苦しまれている方々の救済への道を結果的に閉ざしてしまうと
いう問題があるからであり、そういった問題については配慮が成されないといけないとは思うのですが、 今回
問題になっている除霊に必要な代金は、サロン経営の維持に必要な金額の規模を大きく上回っています。必
要経費も恐らくは微々たるものであり、明らかに今回のケースは法外な金額であると言えると思います。


2007年12月26日(水)


第86回

最近、こういった事件が起きていることを新聞で知り、話題にしようかと思っていたのですが、なかなか時間が
取れませんでした。今回はこのお話について書こうかと思います。

霊感商法 警視ら強制捜査へ…神奈川県警、詐欺容疑で

12月20日16時35分配信 毎日新聞


霊感商法 警視ら強制捜査へ…神奈川県警、詐欺容疑で

神奈川県警の警視が関わったとされる霊感商法の会社が入るビル=東京都港区で2007年12月20日午前7時33分、木葉健二撮影


 神奈川県警の男性警視(51)が霊感商法に関与していた疑いが持たれている問題で、県警は
20日、この警視を警備課長から警備部付に異動させるとともに、警視が通っていたヒーリングサ
ロンを運営する企業グループや県警本部の警備課長室など十数カ所を詐欺容疑で家宅捜索する
方針を固めた。

 調べでは、警視が出入りしていた東京都港区内にあるサロン社長の女(44)は04年4月15、19
日、従業員数人と共謀し、横浜市内の男性会社役員(当時41歳)に「あなたの会社は戦国時代は
首切り場だった。霊が成仏できずに地縛霊としてさまよっている。運気を下げ業務等に影響してい
る」などとうそをつき、同年5月19日、除霊代として現金490万円をだまし取った疑いが持たれて
いる。

 県警によると、この男性はほかにも水や「ライセンス」というお守りを勧められ、総額約2000万円
をだまし取られていたとみられる。

 サロンは駅前で女性を狙い「ヒーリングはいかがですか」などと声をかけ、客を集めていたという。
警視はサロン社長の知人で、03年ごろ、サロンを開設した際の契約書の名義人や連帯保証人に
名を連ねた。元同僚の県警横須賀署警備担当次長(47)も連帯保証人になっていた。

 警視の口座にはサロンを運営するグループから多額の現金が定期的に入金されていたほか、数
人の警察官からも現金が振り込まれていた。サロンの部屋には警視が警察学校の教官だった時の
教え子である警察官ら5人も出入りし、警視が勧誘した疑いがある。県警は警視ら計9人の現職警
察官から詳しく事情を聴く。【堀智行、野口由紀、鈴木一生】


最終更新:12月20日16時35分



論外なケースだと思いました。やり口が脅しの宗教そのものです。また、扱っているものの値段も法外というほか
ありません。そして、ヒーリングを受けられた方々は果たして本当の意味において問題が解決したでしょうか?仮
に問題が完全には解決が成されなかったとしても、少しは軽減が成されたでしょうか?私にはとてもそのようには
思えませんでした。そして、このような行為は癒しの仕事をする方々全員の信用をも毀損してしまうのです。関係
者の方々には自らが成した行為のことの重大さにお気づきになっていただきたいと思いました。


2007年12月23日(日)


第85回

最近、とある精神世界に関する指導をされているところのサイトを読む機会がありました。

そのサイトの主催者は、他のいろいろな精神世界関係の指導者や団体を「穢れている。」と批判しており、自
分の主張だけが絶対的に正しいという論調で論が進められていて、読むのが苦痛でした。しかも、精神の霊
性の高低を根拠の無い数値化を行うことによって論を進めるという危険な過ちも犯していました。【注1】 しか
し、このサイトや、サイト主催者の直接の影響を受けることにより、憑依を受けて精神的に異常な状態にさせ
られたり、 妙に依怙地な状態にさせられたりしている人をみるケースが増えて来ましたので、今回話題にす
ることに致しました。

そして、そのサイト主催者は、「信用がおける導師についた上での修行が重要である。」と説いているのです
が、その導師という人の写真や、そのサイトの主催者の写真を観て、まず導師は聖人君子然とした、実は聖
人君子でも何でもないお年寄りで、しかもご発言には神道の長年の信仰が原因により憑依した動物霊の影
響から来る精神の自在性どころか硬直化が見受けられました。

そして、 この導師を推薦する主催者の写真は、目が動物霊 (特に蛇の影響が強いです)により異常な状態
でした。 例としてここに挙げたいとも思ったのですが、 別の危険な問題もありますので、実際には行うことが
出来ません。何卒ご容赦宜しくお願い致します。

その導師は神道系の信仰体験を積まれた方のようで、サイト主催者も「神道の信仰心を持つべきである。」
と書かれていたのを読んだ私は、このサイトが動物霊を操ることが出来る魔物の罠により制作されているこ
とを確信しました。 一見もっともらしい正論を語っているようですが、よくみてみると粗が多々見受けられるの
です。【注2】

神道について言えば、私はその全てを否定するわけでは無いのですが、(例えば高橋信次氏等の方々も過
去において語られたことがありますが、)
動物霊や物の怪と称される存在が神社にたむろしていて、我欲を
実現させようと祈願する人達に憑依し、 その精神に働きかけをなすという問題【注3】があり、私は手放しで
お勧めするわけにはいかないという気持ちでおります。

神道にせよ、大乗仏教が日本に輸入された後に日本にあった先祖崇拝の「死んだら皆が仏様」という思想と
合体して変質してしまった葬式仏教にせよ、神仏に寄りかかる依存の心で接したり、「拝む」という行為で自
らの我欲を神仏に投げかけたりするのは間違った姿勢なのです。もちろん、動物霊等が偽装していない真の
神仏はあちらの世界に波動としては実在をされていますが、真の神仏は私達の身勝手な我欲をかなえるた
めにいらっしゃるのではなく、そのようなものをぶつけること自体、非常に失礼な話なのです。

私は、今までにいろんな神道系の新興宗教の創始者の本や精神世界の指導者の本を読んで参りましたが、
その時に感じたのは、 「彼等は『祈り』や『拝む』という行為で神仏に依存してしまう体質を有してしまっ
ている。」
ということです。これは、はなはだ精神としては自立が出来ていない稚拙な段階に留まっている人
達ということなのです。


【注1】
「精神性」や「霊性」と称して、その高低について言及する際、客観性や普遍性が無く、再現性も期待
出来ないような根拠不明の数値化を行い、自分の感じのみで主観的な決め付けを行う指導者には注
意して下さい。そのような指導者はニセモノの指導者です。

【注2】
魔物は最初から最後まで完璧に正しいものを作って終わらせるということをしません。何故ならば、最初から最
後まで正しいもので終わらせてしまうと、 魔物としては「ただのいい人」で終わってしまい、彼等の悪事の目的
が達成出来ないからです。彼等にとってたくらんでいた悪事が成功しないで終わるということは「ただのいい人」
で終わることであり、それは魔物である自分が「魔物としては無能」であるということでもあるため、(あくまでも
彼等にとってはですが、)大変な不名誉であるのです。しかし、一流の魔物であればあるほど、 完璧に近い精
巧なフェイクを作り上げ、見破ることがはなはだ困難なものであるのもまた事実です。この場合、最後の最後で
ひっくり返して悪事を実現させますが、見破ることが容易なものや、いかにも「私は悪党である。」という動きをし
ているものはむしろ小物の類であり、大物は善の精巧なフェイクを作り、 見破ることが困難であるがゆえに恐ろ
しいのです。今回話題にせざるを得なくなった指導者のサイトのところですが、既に精神に異常をきたした方の
事例が複数出ており、私も話題として扱うことが止むを得なくなりました。魔物は既に動き出しています。

【注3】
私は高橋信次氏の動物霊論についてはほぼ同じ意見を有しておりますが、氏が語られた「進化論の否定」につ
いては懐疑的にみております。高橋氏の論ですと、「ヒトはサルが進化した存在ではなく、神が創造された存在
で、最初からヒトはヒトであり、また、サルは何十万年時が経とうと、サルはそのサルの種のままで、サルがヒト
にならないのはもちろん、種としても何等変化しない。」のだそうですが、私は経年による種の変化が起こる可
能性を否定してはいません。サルが長年かけてもヒトにならないのは、ニッチの法則のことが理由としては大き
いのではないかと私は考えています。 ニッチの法則をクリアし、環境が整った上で長年の月日が流れた場合、
サルがヒト (厳密に言うとヒト的ポジションの知的生物)に進化する可能性が私はあると思っています。


2007年10月17日(水)

(2007年11月11日(日)に文章を一部追加。)


第84回

前回書きましたことにつき、何通か反響メールをいただいたのですが、 拝読していくうち、「これは書いてお
かねばならない。」と思ったことを今回書いておきます。

それは、「例えば、『私は○○の生まれ変わりである。』『私は△△神の化身である。』『私は天上界
で第1位の魂の持ち主である。』等の発言をする人、特にこういう発言をする宗教家や精神世界の
指導者には決してついて行ってはいけない。」
ということです。 これは、自称しているケースはもちろん、
他の人がそう言ってその人を持ち上げているケースもまた同じです。

私は「自分の前世が何であったかということを他者に向けてひけらかし、自分に権威付けをする人は
危険である。」
と思っています。

本当に中身がある人であれば、自分の前世が何者であろうが関係ありません。「今、『○○○○』(←ここ
にいろんな方のご氏名を入れてみて下さい。)として生きているこの人生で何をするのか?」 これが
全てなのです。


歴史上の人物、特に偉人の名前を出してそれを前世と称して自分に権威付けをしようとする人には注意して
下さい。似非宗教家にこの手合いが非常に多いです。その偉人の名を取り去り、その偉人の過去の業績も
全て取り去った後に残るもの、それが今のその人の実像です。過去の偉人の名前や、その方の業績に惑わ
されることの無いようにして下さい。

ホンモノの人物は皆、虎の威を借る狐のような真似は一切せず、今、生きている時の名前だけで勝負してい
ます。 言うまでも無いことですが、一般社会ではこれが当たり前なのです。 しかし、「私の前世は釈迦」だの
「私は再臨のキリスト」だのという発言で自らに箔を付けようというさもしい目論見がまかり通り、釈迦の法を
勝手に曲げたり、「救われるためにはこの壷を買え。」と原価が非常に安価な壷を法外な価格で売ったりす
る詐欺的カルト宗教がはびこるということ自体、 一部の宗教指導者の世界や精神世界の指導者の世界は
常軌を逸しているのです。


2007年10月6日(土)


第83回

まず、2007年9月25日(火)の「かめかめ日記」の全文をこちらに転載します。


2007年9月25日(火)

きらめきヒーリング講座入門編を開講しました。

本日の受講者の方(以下Kさん、仮イニシャル、男性)は、自律訓練法と瞑想を経た結果、 オーラ視やチャクラ
視が自分に出来ることに気づかれ、現在オーラ、チャクラの透視リーディングやカウンセリングをされている方で、
久々にプロ活動をされる方が受講されることに緊張しましたが、 すぐにその緊張は解けました。 これはKさんの
お人柄によるところが大きいものかと思いました。

カリキュラムを進めていると、Kさんの携帯電話に女性クライアント(以下Qさん、仮イニシャル、女性)からの電
話がかかって来ました。

電話の内容を又聞きしたわけではないのですが、(それ以前に相手の声が私には聞こえませんが、)Kさんの
クライアントのQさんはかなり大変な状況の方であることがわかりました。室内の波動が携帯電話経由で急激
に変わっていったのがわかり、KさんにQさんのことをちょっと質問してみました。

私はKさんに、「Qさんはいろいろと憑依されている状況の方のようで、特に龍、それも特殊な姿をした強力な
のがいるようです。」とお伝えしたところ、Kさんもこの方の龍の憑依には心当たりがあるようでした。

分類上は龍のようですが、あちらの世界を透視した姿は『地獄先生ぬ〜べ〜』に出て来たぬ〜べ〜製くだ狐
のようで、巨大メクラヘビアンヒューマかといった感じの龍です。この龍がQさんの思想信条や性癖に共鳴
して憑依をしているようでした。

この場合、一時的にこの龍を遠隔で外すことは可能ですが、Qさんの思想信条や性癖が変わらないとまた似
たような存在と縁が出来てしまい、同じことの繰り返しになってしまいます。それだけにKさんのカウンセリン
グが重要になって来ます。

Qさんのご主人は政治家志望で、それがまた家庭内に問題を呼び込んでいることもわかりました。とはいえ、
政治家になること自体が悪いというのではありません。政治家志望なのに煮え切らない毎日を送るQさんの
ご主人にQさんやご主人のお母様がストレスや欲求不満を感じられているのが問題なのです。

Kさんによりますと、Qさんのご主人もリーディングを受けられたとのことなのですが、オーラ、チャクラのリーデ
ィングやご本人のご発言をみる限り、政治家志望とは言うものの、政治家の器であるとは(少なくとも現時点
の状況では)とても言えない情報であったとのことで、私も遠隔でそのように感じました。

政治家になりたいのであれば、政治家になるために行動する努力がどうしても必要です。私はここで政治家
になることをずっと思われ、その動きを着実に進められた東国原宮崎県知事のことを思い出しました。

タレント的な知事としての仕事ぶりに賛否両論は出そうですが、東国原知事は決して単なるタレント知事では
ありません。政治家になるための努力をやはりされた方です。 また、政治活動を行う上での政治理念も持た
れています。そうでなければ政治家とは言えません。

私はQさんのご主人については、自分と政治理念が一致する有力な政治家に土下座してお願いしてでも秘書
入りさせてもらうだけの図太さや覚悟を持った行動が取れるバイタリティがもし無いのであれば、政治家になる
夢物語は早々に諦めたほうがいいとさえ思いました。政治家政治家と言いながらずっと書生みたいにふらふ
らしているよりも、例えばラーメン屋の店主をしっかりやってくれたほうが奥さんやお母さんの精神はずっと安
定するのです。

政治家の世界というものは、自分に強力な後ろ盾があるか、さもなくば今までの他の仕事の実績(その多くは
財界人や学者としてのキャリア)が認められて抜擢というのでも無い限り、泥臭いスタートを余儀無くされてしま
うのがむしろ当然な世界です。それを恐れていては政治家にはなれませんし、そんな人に政治家としての仕事
が出来るとは思えません。それに、政治家になるための勉強や下積みや自分の器を作ることも必要です。

しかも、ほんの一部の例外を除き、大部分の政治家は有名大学の法学部、経済学部、政治経済学部の出身
です。もっとも、それは例えば県会議員になるか、国会議員や都道府県知事になるかでハードルの高さは違
いますが。

県会議員の場合は票田の基盤が確固たるものならば一流大学の出身でなくても諦めることはないでしょうが、
国会議員や都道府県知事の場合は何らかの強力なウリが他に無いのであれば一流国立大学か有力私立
大学の法学部か経済学部、政治経済学部を卒業しておく必要があります。票を集めるためにはこれが現実
なのです。

Qさんのご主人はどんな政治家になりたいのか、国会議員になりたいのか、県会議員になりたいのか、野党
に入党して仕事をしたいのか、政治家と一口に言ってもいろいろあるでしょうが、どんな政治家になりたいの
かといったお話は重要ですし、そもそも政治家はそれになってからがスタートなのであり、「どういった仕事を
していきたいのか?」といったお話も極めて重要なはずなのですが、それらすら無い状態でただ「政治家にな
りたい。」というのであれば、自らの将来像をもう一度考え直したほうがよいでしょう。 ましてや「父親が政治
家だったので母親が政治家になることを僕に期待しているから。」だなんて理由を挙げてるようでは論外です。
百歩譲って理由がそうでは無いにしても、本当に政治家になりたいのであれば、やらねばならないことはたく
さんあります。それをやらずして政治家になる夢だけ語っていても奥さんがストレスがたまる一方なのは当然
過ぎるほど当然です。

カウンセリングはただ口当たりの良いことを言ってクライアントを酔わせて家に帰していればそれで良いとい
うものではありません。それでは相手には嫌われないかも知れませんが、相手は救われないままでもあるの
です。厳しい現実を突き付け、それに耐えられないのであれば引導を渡すことも場合によっては必要なので
す。【注1】私はQさんのご主人が煮え切らないままなのであれば、政界入りは諦めて他の道に進むことを勧
めます。

ここでKさんのお話をほとんどしていませんので、Kさんのお話に変えます。Kさんのお仕事の性質もあるせ
いか、今回の入門編は精神世界関係のお話が濃厚になりました。物品の浄化の方法ではKさんの腕輪を
対象物として実習しました。「こんなに軽くなるんですね。」とKさんは感想を語られました。

悪い波動から身を守る方法ではKさんは図形のエネルギーの形成されていく様を捉えられて感想を語られ
ました。こうなると私も面白かったです。余談ですが、『オーラの泉』だなんてお話がKさんから出たもんです
から芸能界のお話も若干ありました。江原啓之先生のお話がどういうわけか奥菜恵さんや平山あやさんの
お話になってしまい、TOKIOのメンバーや浜崎あゆみさんのお話まで出ました。

芸能界の方々のお話はさておき、「Kさんのリーディングのお仕事は、五感だけを働かせて毎日を送ってい
る人とは異なり、『人は見かけによらぬもの』というのをもの凄く実感するでしょう。」と私が言うと、Kさんは
私の意見に同意されていました。私の仕事もそうなのですが、本当に五感以外のものを働かせる仕事をし
ていると、人は見かけによらぬものだと実感させられます。人間の持つ情報は本当に奥が深いです。

芸能話が一段落して、今度はKさんに私の頭頂のチャクラの開閉の状況をリーディングしていただきました。
私が意図的に「開」と「閉」の状態を作り、それをご覧になったKさんは違いを述べられました。私はわざと最
初にチャクラの開と閉については説明をせず、「これとこれの違いわかりますか?」とやったのですが、 Kさ
んは、「これは『開』と『閉』の状態の違いですね。」と語られました。はい、そうです。


【注1】
これにつきましては読んでいて面白いなあと思ったサイトがありましたので、紹介させていただきます。

『事実婚と若者達』

『ある若者〜ニートの一例〜』


特に、『事実婚と若者達』の項目に書かれていたこのフレーズは私も同じことを思っておりました。


 更に申しますに、今の若者は昔と比べたらずーっと甘やかされています。家庭でも社会でもそうです。
「若者を理解する」という大人はかつてはいなかったと言っていいでしょう。
 それなのに「将来に希望が持てない、やっていけない」というのは、<ある若者〜ニートの一例>
も書いたように、実は夢の描きすぎが原因ではないでしょうか。夢・希望を持てずにいるのではなく、
あまりにも大それた期待を持ちすぎるから不満ばかり・ストレスばかりになるのです。どうして今やって
いる仕事で「社会の役に立てている、満足だ」と思えないのでしょうか。最近ようやく、フリーターの若
者に対して「夢を諦めることも大切だと言ってやることも大事だ」という意見が識者から出てきたようで
す(さんざん夢を持て、夢を実現させろと言っておきながら極めて身勝手ですが)。


 


また、このサイトの『できちゃった婚』の項目は、これからって人は読んだほうがいいのではないかとも思いました。

この管理人さんの書かれる文章は(項目にもよりますが、)権威があるとされる一部のカウンセラーの先生が書か
れた毒にも薬にもならないような文章などよりもよほど勉強になりますし、悩みを持っている人が目を覚ますため
に読むのもよいでしょう。

もっとも、私はこのサイトの管理人さんのご意見に全て同意をする訳ではなく、異なる意見を有する箇所もありま
すし、この方がサイト内にコーナーを設けられている高橋信次氏の遺されたものについても私は肯定的にみてい
る箇所と、「これは違うんではないか。」とみている箇所があることを記しておきます。

高橋信次氏の著書は私も読んだことがありますが、物理学上の記述を得意とされている点はともかく、特に生物
学や歴史学や医学上の記述に誤りが多いですし、「心は胸にある。」という主張や、「キリストは紀元前32年に地
上に生を受けた。」等の記述も明らかな誤りだと私はみております。

イエス・キリストは当時のヘロデ王が実施した国勢調査や天文学上の星回りの記録を鑑みるに、紀元前32年の
生まれである可能性は無いと言っていいでしょう。これらの条件をみても、十字架刑に処された時期や周囲の方
々の状況を考慮しても、紀元前7年〜紀元前4年の間以外の期間にイエス・キリストがお生まれになったとは考
えられないのです。

また、私は心は精神活動の座である脳に存在するとみておりますし、生理学上もそれが正しいです。高橋氏の
解説は胸が込み上げてくることをもって心が胸にあることの証拠と著書に書かれていますが、それは脳が外界
の刺激によって反応し、それが胸が込み上げるという現象として反映されたのに過ぎず、それをもって心が胸
にある証拠になるわけではありません。

逆に肯定的にみている点ですが、このサイトの方とは別の方もその方のサイトで解説されていますが、特に心
の調和に関するエクササイズは優れています
し、あちらの世界のことの記述(通常人の目に見えない龍、蛇、
狐等のもののけと称される存在が実在することや、生霊や死霊や天使や悪魔が実在するということ)も私の経
験と共通するものがあり、読んでいて共感する箇所もあります。


(【注1】は2007年9月27日(木)に追記。)



今回は、この日の日記で話題にした高橋信次氏の件でお話をさせていただきます。

高橋信次氏は、ご存知な方も中にはいらっしゃるかとは思いますが、GLA (ゴッド・ライト・アソシエーショ
ンの略)という宗教団体の創始者です。現代日本の「新・新宗教」と呼ばれる新興宗教のかなりの数の団
体が大本教の出口王仁三郎氏か、あるいはこのGLAの高橋信次氏からの影響を受けていると言われて
います。

最初に明言をしておきます。私はこのGLAという新興宗教団体とは無関係で、過去において入信
をしていた訳でも無く、また、現在のGLAは創始者の教えとは全く異質のものを教える団体に変
わっていることもあり、 読者の皆様に入信をお勧めする訳ではありません。 そして、それ以前の
問題として、「高橋信次氏のエクササイズは、宗教団体への入信を必要とする性質のものでは無
い。」と私は思っています。


「高橋信次氏の心の調和に関するエクササイズは優れている。」と日記に書いた私ですが、私の高橋信
次観は、園頭広周氏等の氏の弟子であった方々やGLA信者の方々、そして分派していった団体の信者
の方々とは全く異なる部分が実はあります。

その異なる部分の中でも、今回明言をしておかねばならないと思いましたのは、「高橋信次氏は釈迦の
生まれ変わりではない。 また、高橋信次氏の影響を受けた新興宗教の創始者で、『自分は釈迦
の生まれ変わりである。』と自称している人物はニセモノである。」
と私は思っているということです。

高橋信次氏の弟子であった園頭広周氏は、氏の著書、例えば『高橋信次先生講演・著作解説集(一)』
(園頭広周著/正法出版社)において、「高橋信次先生は釈尊の生まれ変わりであった方である。」と明
言されています。しかし、私はそうは思わないのです。その理由は高橋信次氏の著書の中にあります。

高橋信次氏の著書の中で、釈迦の名は「ゴーダマ・シッタルダー」となっています。これがまずは誤りな
のです。

釈迦の本名は、敢えて日本語のカタカナ表記にするとするならば、「ゴータマ・シッダールタ」であり、「ゴ
ーダマ」とは決して濁らないのです。

小さな誤りだと思われるかも知れませんが、名前の誤りは大きいのです。私の名前は阿部真士(あべ
まさし)ですが、これが(あへまざじ)と言っているのを想像してみて下さい。意外にこれは決定的な誤り
なのです。

高橋信次氏は、釈迦のお父様のお名前である「シュッドーダナ(浄飯王)」のことも「シュット・ダーナー」
と言われています。実は高橋氏の名前の伸ばし方では女性名になってしまうのです。また、釈迦が悟
りの最終段階で乳をもらう時に出て来る女性の名は「スジャータ」なのですが、この人の名も高橋氏の
『人間・釈迦』(高橋信次著/三宝出版)他の著書ですと、「チュダータ」という名前になってしまってい
ます。

「名前の誤りなど決定的なことではない。」という反論をいただきそうですが、今度は本質的なお話です。

高橋信次氏は、その「正法」と呼ばれる教えの根幹として、釈迦の八正道を掲げられています。しかし、
これがまた問題なのです。

釈迦の八正道は、普通は「はっしょうどう」と読みます。しかし、高橋氏はこれを「はちしょうどう」と読ま
れています。ここまでであれば日本語の読み方の問題ですから、私も決定的なものとは思いません。
問題はその八正道の解説の中身にあります。

高橋氏は八正道を「正見・正思・正語・正業・正命・正進・正念・正定」と説明されています。例えば、
これらの中で正業は「正しく仕事をすること」と解説されています。しかし、これは誤りです。

正業の「業」とは職業の「業」ではなく、カルマの「業」なのです。ですから、正業は「正しく仕事をする
こと」なのではなく、「正しい行いをすること」という意味になるのです。また、正見は高橋氏の言う「正
しく見ること」という、ただ見ることに重きを置いた意味なのではなく、強いて一口で言うならば「正しい
見解を持つこと」という意味なのです。他にも誤りはありますが、長くなりますので今回はこの二つに
つき述べるのにとどめます。

真の釈迦の転生者ということであれば、前世で遺された思想から外れることを今世で説く場合、外れ
てしまうことへの合理的な理由が無ければならないと考えるのは当然のことです。ましてや、八正道
は釈迦が唱えた教えの中でも根幹を成す教えです。

高橋信次氏の調心のエクササイズは、例えば内観法や森田療法よりも優れた面があることは私も理
解してはおりますが、それは宗教団体に所属せねば出来ない性質を有するものでは決して無いとい
うこと、そして、八正道に関する正確な認識が必要であるということはおさえておく必要があると私は
考えます。ましてや、釈迦の転生を自称し、八正道を四正道に勝手に変更した某新興宗教の教祖は
釈迦の生まれ変わりであるとは断じて言えないと私は思います。

私は高橋信次氏は卓越した能力をお持ちであった方だとは思いますが、全てにおいて正しいことを述
べられた方であったとは思ってはいないのです。また、聖人君子ではなかったということも氏の著書か
らうかがうことが出来ます。例えば、パチンコに行ってサボっていた等の理由で「嘘をつくな。」と指導霊
からお叱りを受けたということを氏は正直に書き残されています。私はそういう氏の一面が好きだった
りするのですが。

高橋信次氏につきましては、今回は宗教学上や語学上のお話以外のことは話題にしませんでした。し
かし、氏の説かれた内容の自然科学上や歴史学上の誤りや、最晩年に説かれた話の内容の誤りにつ
いて等、いずれ書かねばならない話も幾つかあるのですが、次回以降の宿題にします。また、中にはす
ぐに書くことが大きな問題を起こす恐れがあるものもあり、 すぐには書けないテーマもあります。 これは
心苦しいところです。


2007年9月30日(日)


第82回

きらめきヒーリング講座を受講された方から、ご質問のメールをいただきました。

あるヒーリングの先生についてのご質問でした。 その先生は修行をされる方で、 物知りな方であること
は私にもすぐにわかりましたが、同時に宗教色が強く、しかも、他の多くの気功やヒーリングを否定され
ている方で、メールにはこのように回答しました。

>宗教色が強いというのはもう前時代的な価値観だと私はみております。 これは単純
>な否定ではなく、新興宗教を含む、既存の宗教の功罪を冷静にみられ、頭の中で整
>理出来ている人と、ただ宗教的なものにどっぷりつかっている人とでは明確なレベル
>の差があるという意味です。まだ、頭ごなしの否定派とどっぷりつかっている派が世の
>大部分を占めているのが現状です。例えば、今世紀は「私はもう何度もインドにヨガの
>修行に行って来た。だから覚者の道をまっすぐ歩んでいる。サイババ万歳!」 などと言
>ってる人の時代ではもうありません。

今世紀において真の師匠になるのは難しいことなのです。私は講座を開講してはおりますが「師匠」と
呼ばれるほどの偉い人ではありません。

また、これは宗教とはお話が別ですが、この選択肢を見て下さい。

1.貴方の行為により、その人は救われるのだが、それによって貴方はその人に嫌われてしまう。

2.貴方はその人に嫌われないかも知れないが、その人は救われない。


貴方はどんなクライアントを前にしても迷わずに「1.」を選べますか?それが出来る人が真の「師匠」に
なれるのだと私は思います。


2007年7月27日(金)


第81回

最近、いろんなところでご自身で行った筋反射テストや波動測定の結果を公表しているのを拝見する
ことがあり、内容的に考えさせられることがありましたので、今回はこのことについて書きます。

精神世界の話題で波動と呼ばれるものの情報や、身体よりも微細な世界の情報を感得するお話とい
うものは、人間が情報を得る感覚の一種と言うべきものなのですが、その得られる情報が正確なのか
否かは意識、末那識、阿頼耶識といった五感の他に位置付けられる情報をいかに正確に取れるかに
かかっています。

また、これらのものは実はアプライド・キネシオロジーや波動整体療法やO−リングテストのように筋
反射テストの類で探るものではないと私はみています。こんなことを書いてしまうと、講座で扱ってい
る内容と矛盾するようですが、これらはテストで調べるのではなく、自分でわかるようになるのが本来
の姿なのだと私は思っていますし、現に私はこれらのテストを自分のセッションでは行ってはおりませ
ん。(講座のカリキュラムでお話を進める時は説明が必要なため、お話が別ですが。)

ましてや、波動測定機器やフーチやダウジングといった道具を使って調べるものではないと思います。
これらを使う人の誤差は本当に個人差はありますがひどい決め付けが多く、私は問題 があると思っ
てみております。筋反射テストの類もそうなのですが、これらを使わないとわからない時点では、まだ
誤差や情報の取り間違いがあるかも知れないという自省を忘れてはいけないのです。

また、これらを使わずともわかるようになったという方も注意が必要なのです。目に見えない存在に自
分の身体機能を操作された結果、そのように感じるとさせられているケースもあるからです。自分の主
張に妙に執着させられ依怙地になるケースは逆に怪しいかも知れないと思って下さい。依怙地になっ
て「自分の主張は絶対的に正しい。」という姿勢を続けてまっしぐらになり、自分の主張を通すためなら
手段を選ばなくなるという人が中にはいらっしゃるのですが、これでは目に見えない存在の思う壺なの
です。 これで精神をやられてしまい、現実の生活で交番の警察の方等、いろんな方に迷惑をかけてし
まった方の掲示板の書き込みを私はネットで見たことがあります。


2007年7月3日(火)