奈良・大和路 夢幻紀行

 
【 2日め 6月19日(土) その2 】
 

「なー。これって道、合ってんの?」
 少し行くと拓は言った。
「なんか山の辺の道っつーより、日光の杉並木みてぇじゃん。やっべ、遭難しそうな気してきた俺。」
「いや大丈夫だよ。さっきの道しるべに、こっちだって書いてあったし。」
「んなの誰かがクルッて回したかも知んねーぞ? あーあ、迷ってたら知―らねっと。それにこんな道、女1人で歩くとしたらちょっと怖くね?」

「まあね。でも三輪山は神様の山だから、昔から信仰の中心だったんだよ。不届き者が根城にするなんてことは、逆にありえなかったんじゃないかな。」
「あー! それは言えてるわ。八重垣くんナイス推理!」

 山の辺の道、というと全編のどかでポカポカ陽気の、たんぽぽとモンシロチョウが似合いそうなイメージであるが、どっこいこのあたりはハイキングというより、むしろ『沢歩き』に近い。ましてやこの時期はずれの曇り空。人の気配の全くない三輪山麓の林道は、確かにうっそうとして不気味であった。

「三輪山って最近まで禁足地だったんですよ。今でも確か、勝手には登れないでしょう。神社の許可をとらないと。」
「へー、そうなんだぁ。」
「ええ。頂上には日本版ストーンサークルみたいなのがあるそうですしね。色んな祭器土器が見つかってるそうで、古代日本最大の神様としていかに信仰が厚いかよく判りますね。」
「ふーん…。すごいね〜八重垣くん。ガイドブックが前髪下げて歩いてるみたい。」
「いやいやいや、そんな。喜んでもらえば、僕はもうそれだけで。」
「…お前今さ、すっげ充実してっだろ。」

 春にはおそらくそこここに可憐な菫が咲くであろう静かな山道をうるさく通るうち、緑濃い木々に包まれた白壁の建物が見えてきた。

「あああれが玄賓庵(げんぴんあん)ですね。」
「ふー。けっこう距離あったねー。足元が滑りそうだったから長く感じたのかも。」
「途中に『かやの木茶屋』ってありました? そこで休憩しようかと思ってたんですけど。」
「ねぇよそんなん。あったのは山と土と緑と、それに俺らだけ。」
「おおそのフレーズはイケてる! 詩的だねっ拓!」
「え、俺が素敵? んな今さら改まって言うなよカマタぁ。人が聞いてんだろぉ?」
「あ、ごめぇん。無神経だったねー。そんな自分を、セルフばしばしっ!」

「何を2人で漫才やってんの。ねぇねぇ八重垣くん、どっかで休まなぁい? さすがにノド渇いたよ。」
「ええ、上り坂でしたしね。でもこのへんで座りこむ訳にもいかないし、桧原(ひばら)神社まで行っちゃいましょう。その近所に茶店があるみたいですから。」
「おーし、レッツ茶店〜。さぁもうひと頑張りだ。行くぞカマタ!」
「いいえあたしはもう駄目…。あなた1人なら助かるわ。私にかまわず、どうか逃げて、拓!」
「あっそ。んじゃ俺、行くわ。あばよ元気でな。PS.幸せになれよ。」
「待てぇこの薄情モノ〜!!」

 わーわーふーふー言いながら歩いていくと、やがて左右が少しずつひらけ道は明るくなってきた。とはいえ狭さは相変わらずで、縦1列にしか歩けない。

「ほっほぉ縦長の展開になってきたねぇ。まるでこないだのダービーのようだ。」
「んー…。面白ぇけど、でももう旬のネタじゃねぇね。」

 熊笹をかき分けて進み、標識を確かめさらに歩く。ようやく行く手に見えてきたのは、低い朱塗りの柵であった。

「え? ここが…桧原神社?」
「そうですね。山の辺の道メインスポットその2、桧原神社です。」
「神社って、なんも建ってねぇじゃん。柵と鳥居しか。」
「いやここはね、そういう神社なんだよ。だってご神体は三輪山の磐座で、ここはいわば神様の庭なんだそうだから。」
「庭かよ…」
「そう。もとは天照大神を祀ってたんで、元祖伊勢神宮…『本伊勢』とも呼ばれるのはそのせいなんだって。」
「…ってその虎の巻に書いてある訳ね。」
「ええまぁ。」
「なんかさぁ八重垣ぃ。そのノート、『ひみつ』のあの本みたくなってきてねぇ?」
「はっはっはっはっ確かに! 限定1冊。ヤエガキ版『ひみつ』!」

「じゃあ…一応お参りして、それから向こうの茶店で休憩しましょうか。ね。」
「よっしゃ。お参りしようぜ。」

 拓はパンパンと手を叩いて目を閉じた。隣りで八重垣も同じようにする。かなりな眼福ショットであるのだが、拝み終えると拓は、
「よし、お参り終了〜。茶店行こう茶店。俺もノド乾いたわ。何か食うもんあっかな。」

 俗人らしい台詞を吐いて鳥居前の坂を下っていった。ほんの少し行ったところに野菜やみやげ物を一緒に並べている1軒の店があり、1組だけいた先客は、リュックをしょった老夫婦であった。

「いらっしゃーい。」
 店のおばさんは愛想よく5人を迎えた。縁台に彼らは座り、壁に貼ってあるお品書きを見た。

「んーとね、俺さっぱりしたのがいいなー。梅ジュースにしよ。」
「あたしアイス抹茶! 真澄っちは?」
「じゃああたしもそれ。でねぇ…わらび餅にさっきから惹かれてるんだ…。」
「わらび餅か。美味しそうですね。食べますか?」
「んー…誰かが頼むなら1つ2つもらう。」
「んで1つ2つしかなかったらどうすんだよ。」
「えー、まさかぁ。」

「すみません。この『わらび餅』って一皿どれくらい量あるんですか?」
 すかさず八重垣はおばさんに聞いた。行き届いた幹事である。
「そうねぇ、5人さんで召し上がるには、ちょ〜っと少ないやろね。」
 微妙なニュアンスを感じとって拓は、
「なるほど。おばさん、うまいっ! 今のセリフはナイスあきんど!」
「じゃあ…とりあえず2皿くらいもらってみますか?」
「さんせーい!」

 八重垣は5人分のオーダーを告げた。濡れた緑を渡ってくる風が汗ばんだ体に涼しい。雲はかなり切れてきて、時折薄日がさし始めた。天気は回復のきざしを見せている。

「はい梅ジュースお待たせしました。どちら様?」
「あ、おれ俺おれ。すいません。」

 グラスを受け取って拓は、お先、と断り早速ストローをくわえた。喉が乾いていたのは本当らしく、2口3口ごくごくと飲んだあと、
「お、なんか濃厚な味わい。アルコール抜きの梅酒って感じ。てゆーか多分ウォッカで漬けたらこんな味だわ。うん、美味い美味い。」
「へー。ねぇねぇ拓、一口飲んでみていい?」
 真澄が言うと、
「いいよ。ん。」

 無造作に彼はグラスを渡した。ちょろ、と肩をすくめて真澄が飲むとカマタが、
「あー。間接キスだー。真澄っちったら、いいな〜。」
「へへへっ、言われると思ったぁ。それじゃぁはい、どうぞ。」
 真澄はグラスをカマタに回した。

「これじゃ真澄っちとあたしの間接キスじゃないよ〜。やだっ! いらないっ!」
「そぉぉ? じゃもうちょっともらっちゃおー。」
「おいおいおいぃ、そんなガブガブ飲むなよ俺のなんだから。」

「…ねぇ、拓。俺も一口、いい?」
「ンだよ八重垣っ! ホモかおめー!」
「違うよ。純粋に美味しそうだから…。真澄っち、次、俺ね。いい?」
「はーい。」

 また間接ネタを振ろうとカマタは思い、振るだろうなと他の人間も期待したのに、八重垣はグラスを受け取ると、当然のようにストローをさかさにして反対側を口に入れた。これには一同爆笑し、

「ンだよヤエガキっ! お前って天然だか作りこんでんだか全然判んねーキャラな。俺、嬉しいわ、お前みてぇなヤツと知りあえて。」
「そう? 俺も嬉しいよ拓と旅行にこれて。はいありがと。確かにさっぱりしてて美味しいね。」

 返したところへ残りの品々が運ばれてきた。アイス抹茶にアイスティー、それに噂のわらび餅。

「へー、けっこういっぱいあんじゃん。うまそうまそ。」
「じゃあまずはお味見。八重垣くん、どうぞ。」
「いえいいですよ。お気づかいなく。」
「だって…やっぱ払う人がさ、最初に食べないと。」
「え? 僕が払うんですか? 割り勘じゃ…」
「よっ幹事、太っ腹っ! さすがだよな。同じ男として尊敬するわ。うん。」
「いや尊敬は別にいいから、割り勘…」
「はい八重垣くん爪楊枝。このへんほら、粉がいっぱいかかってて美味しそうよ。」
「うん…。じゃ、まぁ、いただきます。」
「ああ遠慮なく食え食え。どうせ自分が払うんだからよ。」

 八重垣は苦笑しつつ、葛餅に似た草色の餅を楊枝に刺して口に入れた。

「あれっ、冷たいんだ。ふぅん…。美味しいですよそんなに甘くなくて。何ていうんだろう…歯ごたえのある寒天みたい。」
「へー。どれどれ俺もひとつ…。あ、うめぇ。ほんとだ甘くない。」
「やぁんあたしもぉ。八重垣くん、頂きますぅ。」
「ほいじゃあたしも。ごちそうさまぁ。」
「…なんでみんな、こういう時に限ってそんなに息が合うんですか?」
「そりゃお前、食いもんがかかりゃあ人間誰だってこうだよ。」

 早くも2切れめを口に入れて拓は言った。皿の上はあっという間に、ただの風の道と化した。

「はいっ拓。さっきのお返し。飲んでいいよ〜。」
 真澄は彼にアイス抹茶を差し出した。
「お、サンキュ。俺そのさ、上にのっかってるアイスが食いてぇ。いい?」
「いいよ。でも全部は駄目だからね。」
「んな図々しいこと言わねって。一口ひとくち。」

 拓がそれを食べる様子を八重垣は黙って見ていたが、
「俺も一口、いい?」
 はにかんだ表情で真澄に言った。

「いいけど…なに、八重垣くんてまさか、おねだり上手? なんかこう、ピシッと隙のないクール一辺倒かと思ってたから、やー、なんか意外ぃ。」
「え、そうですか? 別に一辺倒じゃないですよ。けっこう間が抜けてるし。」
「…お前、自分で判ってんだね。」

 15分ほど休憩して喉を潤し、5人は出発した。わらび餅の代金は八重垣持ちで、それ以外は各自が支払った。拓はついでに冷やしトマトを2個買い、噛りながら道を歩いた。次の目的地は、景行天皇陵・崇神天皇陵を経て長岳寺である。

「この先の一区間が、山の辺の道の中でも一番山の辺っぽい雰囲気だっていわれてるんですよ。蜜柑畑があって、集落もあって。」
 八重垣は熱心に説明しているのに拓は、
「うめーコレ。完熟じゃねぇのがまたいいわ。」

 かぷかぷと頬ばっては、じゅるり、と種をすすった。これが実においしそうなのでつい耳がそっちへ行く。と、
「聞いてる? 拓。」
 チェックを八重垣は入れてきた。
「え、何? 聞いてるよちゃんと。」

 手の甲で唇をぬぐい、彼はまたかぷっと食いついた。カマタと真澄は八重垣に、
「大丈夫、あたしらはちゃんと聞いてるから。えーと、蜜柑畑があって、集落があって、いちばん山の辺っぽい雰囲気なのね。」

 復唱している真澄の肩を、拓はつんつんとつついた。それから自分の背中を指さし、
「な。ちょっとリュックあけて。下のファスナーんとこ。ウェットテッシュ入ってっから。」
「ウェットって…何でそんなもんが入ってんの?」
「いや、人が持って来なそうなものを持ってくんのが俺流なの。…ここの下の、横に長いやつ。」
「えっと、ここ?」

 チィーッと横にひらき、真澄は目的のものを取り出してやった。すると脇からカマタが、
「あれっ、何このハコ。ここに入ってるやつ。…えーと…」
「え? 他に何か入ってた?」

 肩越しに拓は背中を見ようとした。それより先にカマタ曰く、
「ほっほう。『サイズ・S 極細用』…なるほどねぇ。持参してんだぁ。」
「何言ってんだよっ!! そんなん入れてねぇだろっ!」

 これを聞いて一番笑ったのは、
「…おいっ! ヤエガキ! てめーウケすぎなんだよっ! なにしゃがみこんで笑ってんだっ!」
「だって…だってさ…極細って…。拓、拓ってば…」
 ヒィヒィいっている八重垣を彼はどついた。
「違うっつのっ! 俺は極太! んな、Sなんか使ったこたねぇ―――っ!」

「…てゆーかアレってフリーサイズじゃないんです?」
 真澄がとぼけたことを聞いた。カマタは腕を組み、
「うーん。メーカーによってだねー。備えあれば憂いなしかぁ。さっすが拓。伊達に孔雀はやってないね。」
「てめ、カマタ! んなもんどこに入ってんだよっ! 勝手にシチュエーション決めんなっ!」
「だってさぁ、拓だったら持ち歩いてても全然不思議じゃないもん。八重垣くんと違って。」

「ですよねぇ。」
 話を合わせた八重垣に。
「…おい。おいお前ちょっと待て。じゃあ何か? お前はソトでチャンスがあった時に、どうしてるんだよ言ってみろよ。」
「え?」
「えじゃねぇよ。もしかだな。もしか1人で旅行してて、『えっ、嘘!』つーほど可愛い女の子と友達になって、んでその子とその晩飲みに行って、『今夜、帰りたくない…』なんて言われたらどーすんだよ。」
「どうするって…いやぁ滅多にないよね、そういうことは。」
「だから『あったら』の話してんだよ。もしもそういうことが、あった『ら』!」
「うーん…。でもその場合はホテルにあるから。」

 ぱんと手を叩いたのは智子で、
「おおっ八重垣鋭い。さすがは人の知らないトコで何やってるか判らないキャラ。」

「…だからそうじゃなくってよぉ。ホテルとかじゃなくって。例えば車の中とか星空の下とか、な?」
「あ、俺ね、車の中では絶対にしない。だって誰かに見られてるかも知れないし。星空の下なんて、虫に食われるしさ。毒虫だったらどうするんだよ。」
「…お前、さぁ…。」

 拓は溜息をついたがカマタと真澄は、
「けどさぁ、確かにそういう時に、さも『準備してました!』ってソレ出されるのも嫌だよね。」
「んっ、言えたぁ!」
「『あんたどっからそんなもん出したの手品じゃあるまいし』だよね。第一あたし、悪いけどソレ嫌いだもん。」

「「えっ!!」」
 同時に反応したのはサスガに男2名。

「待て待て待てカマタ! んじゃ何か? いつもどーやってやってんの。まさか常に直? オールウェイズ・ナマ?」
「まっさかぁ。じゃなくていわゆる…ラストタイム・アウトプット?」
「ああ、成程ね…。でもそれって、下手な奴っていません?」
「なに腕組んでんだよヤエガキ!」
「いやこれ俺の癖だから。気にしないで先続けて。」
「続けろってよぉ…。いいのかよ山の辺の道でこゆこと言ってて。」
「いい! かまうことじゃないあたしが許す。青空の下のえっち話は最高だぁー!」

「うん、僕もそう思いますね。開放的でいいんじゃないですか。」
「ちょっと待てヤエガキ…。お前キャラ変わってねぇか?」
「だって暗い部屋で蝋燭ともしてジメジメ嫌らしく話すよりはさ、こういう…ねぇ。薄曇りの空の下で、他愛なく話に興じる方が健康的だと俺は思う。」
「訳判んねぇなお前も…。」

 ぶつぶつ言っている拓にカマタは言った。
「ところで全然話変わるけどさぁ、拓ってぇ、初体験は、いつ?」
「ナニ!?」
「そうそうあたしもそれ聞きたかったぁ! ご本体はラジオで色々言ってくれるけど、拓の生体って謎に包まれてんだよねー。」
 早速真澄も同意した。

「んな、新種生物かオレは!」
「いいから。さぁさぁゆるりと白状せいよ。初体験は幾つの時。して場所はドコかね?」
「…んなランランと目ェ光らすんじゃねぇっ! キモチ悪いだろっ!」
「いいから聞かせてよぉぉ。本邦初公開・拓の初体験! いぇーい!」
「「「いぇ〜い!」」」

「なー。八重垣ぃ。何でお前そんな嬉しそうなんだよ。」
「だって嬉しいじゃない。ねぇ皆さん。」
「「「いぇ――――い!」」」
「何なのこいつら…。ッたくしょうがねぇな…。」

 渋々、はポーズかも知れず、拓は話し始めた。

「んじゃねぇ。話させて頂きますけどねぇ! 俺の初えっちはぁ、…んーと…高校1年ときだからぁ…16か。16のね、春。」
「へー16の春! そいつぁまた歌の歌詞のようだねっ! して、相手はっ!」
「相手はぁ、その年卒業してった、先輩。だからあっちが2つ年上?」
「んまーっ年上の先輩! セオリー通りだぁ!」
「ねぇねぇそいでそいで? どういう展開だったの?」

「高校時代、俺バスケやってたのね。んで彼女は女子部にいて、キャプテンとかやってた人だからすっげ上手くてさ。俺、好きんなって。でも同じクラブだとけっこう話す機会とかあって、改まって告白とかっつーのも、何だかなって感じで。ほら、『仲間うち感覚』? 合宿もあったし、よく皆でディズニーランドとか行ったし。」

「ふんふん。よくある青春のひとコマだね。」
「んで…卒業式の日にさ。彼女の方から、『ちょっと、いい?』って体育館に呼び出されて。『もう会えないけど、あなたのこと好きだった』って、俺、言われちゃって。」

「うっそ! 彼女も拓のこと好きだったんだぁ!」
「うん。そうだったみたい。…んで、『俺も、先輩が好きで、でもずっと言えませんでした』とか言って、…体育館でキスして、」
「うっわー、定番!」
「んで、『こっちに来て?』とか言われて、誰もいない、部室で、……」
「え、なに、部室ぅ!?」
「そ。女子部の方の、部室。埃くせぇ部屋なんだけど、なんか、…もぉ夢の世界だったね。うん。」
「へぇぇー…。もちろん彼女がリードしてくれたんだぁ。」
「うん。そうそう。」

「あれ? なんかテレてる? 拓。」
「いや…ちょっとさ、思い出したら、今なんか泣きそうになっちゃった、俺。」

「かぁわいいい〜〜〜! なんて微笑ましいのぉぉー!」
「今や立派な孔雀に育った拓にも、そんな愛らしい時期があったのねぇー! いやんやんやん! 感激―! 八重垣くんいかが、ご感想は?」
「いやぁ…。なんか、すごく綺麗ですよね。まさに『青春』、『初恋』って感じで、理想的な初体験じゃないのかな。」

「―――で、そういう八重垣くんは、どうよ。」
「えっ?」
 八重垣はくるくると目を動かした。彼の場合、動揺は態度でなく目にあらわれる。
「ここまで来たら順番にいこうじゃない。八重垣くんの女性関係って、ある意味拓より興味深い。ねぇ皆さん?」
「「「いぇ〜い!」」」
「ちょっ…待って下さいよ、こんな、景行天皇陵のそばの畑道で、する話じゃないんじゃないですか?」

「あ、お前さっきと言うこと違う〜。『こういう薄曇りの空の下で、他愛なく話すのは健康的』とか何とか、さっき言ってたクセによ。うっわ、やだぁコイツ、二枚舌〜。」
「……」
 黙ってしまったのは彼自身、自分の言葉を思い出したからだろう。回りの面々はここぞとばかりに囃したてる。

「ねぇねぇねぇ、どんなどんな? 幼稚園の頃とか、そういうのはナシだよ。ちゃんとした、オトコとオンナの最初の話ね。」
「八重垣くんのことだから…ひょっとしてものすごく早いんじゃないのぉぉ? 13歳とかさぁ、14歳とか。拓の16っていうのは、まぁ、普通じゃないのって歳だけどね。」
「ああそれは言えてんな。13歳で初えっち。すっげ、さすがだ八重垣!」

「ちょっと待ってよ…。そんな勝手に決めつけるなって。そんなに早くないよ俺。」
「おおおぉっとぉぉぉ! これはいよいよ赤裸々な告白かっ!? やばい! 八重垣悟の過去のベールが、今まさに切って落とされる!」
「猫じゃらしをマイクにするなよ拓…。やっぱ、ねぇ。こういう話は一種のプライバシーだから。そんなに改まってわざわざ公開する性格の話じゃあ―――」

「うるさいうるさい。言い訳は聞きたくねぇ。第一よ、俺はちゃんと話したのによ、ずりーだろぉ、おめー!」
「うーん…」
「ほらもう観念しろって。別に恥ずかしい話じゃねんだからよ。」
「いや俺は恥ずかしいよ。」
「恥ずかしがんなっ! 俺がインタビューアーやってやっから。なっなっ!」

 拓は軽く咳払いしたあと声を変えて、
「さて…それでは八重垣さん? あなたの初えっちの、まずはお歳から伺いましょうか。お幾つの時でした?」
「え、歳、ですか? 歳は…19、ですかね。」
「えっ! マジかよ。19ぅ? イメージよりか遅くね?」
「そんな、イメージで判断しないでよ。大学入ってからだよ俺は。」
「ほっほー…。んで? じゃあ相手は?」
「相手は………だからいいじゃない、もうそこまでで。」
「あーっ。コイツ何かあるんだー。俺らに言えないようなコトがよ、ぜってーあんだぜコイツ。」
「だからそういうんじゃなくて…」
「じゃあ何だよ。最初の相手は女じゃねぇとか、そういうコトじゃねぇだろな。」
「違うよ。その趣味はないって俺は。悪いけど、」
「俺にだってねぇよ。…んで? どういうシチュエーションでそうなったんだってば。」

「いや話せば長いんだけどね。」
「おお、構わねぇから全部聞かして。どぉせ回りにゃ、なんもねんだからよ。」
「なんもないって、お墓だよあれ景行天皇の。ヤマトタケルのお父さんだって言われる…」
「はいはい判った判った。大和は国のまほろばだろ? いいから次、次。」
「うん…。実は、俺はね。」

「「「「うんうんうんっ!」」」」

「小学校の頃、鼓笛隊やってたんですよ。」
「はぁぁ?」

「うちはお袋が若い頃ピアニスト志望だったんで、自宅でピアノ教室とかやってたんですね。だから一応…別に強制されたって訳じゃないんですけど、多少興味もあって、バイエルまでは一通り習ったんです。で、小学校4年生の時、鼓笛隊に選ばれて、笛を吹いてて。」

「…かぁわいぃぃぃー! 八重垣くんの鼓笛隊姿―! ねぇねぇ写真とかないのぉ!?」
「写真ですか? そりゃウチにはありますけど、まぁいいじゃないですか。それで中学のクラブはね、ブラスバンドに入ったんですよ。」
「おお、鼓笛隊からブラバンへ。絵に描いたような音楽少年だね。」

「で、1年くらいして、新しくジャズ研が出来ることになったんですね。で、俺その頃クラリネット吹いてたんで、顧問の先生に、最初だけでいいからジャズ研の助っ人してくれって頼まれて、そっちにも顔出すようになったんです。」
「ふんふん。」

「そしたらハマッちゃって、ジャズに。ブラバンなんてどうでもよくなっちゃって、なんかもう夢中でしたね。特にベニー・グッドマン。彼の演奏はほとんどコピーしましたね。」
「ああ、そういやグッドマンもクラリネットだ。そっかそっか。じゃあカーネギー・コンサートの時のなんかは…」
「最高です。鳥肌たちますよあれは。『Sing Sing Sing』のドラムソロ。画期的ですよねあれ。」

「…んで? んで初体験はどぉなったんだよ。ジャズの話はもう判ったからさ。」

「いや、だから話せば長いって言ったろ? で…高校でももちろんジャズ研に入ったんですよ。そうしたらクラリネットは数が足りてたんですね。」
「あー、あるあるそういうこと。」

「でも一応、それまで上手いって言われてきたし、ちょっとは自信もありましたしね。何とかクラリネットやらせて下さいって部長に頼んだんですけど、『じゃあお前、試しにこいつらの聞いてみろ』って言われて先輩の演奏聞いたんです。」
「で、どうだった。」
「いやー…。かなわなかったですね。もうプロ並み。これは駄目だなってすぐに思いました。」
「ああねぇ。その頃の年齢差ってけっこう大きいもんね。中学生と高校生じゃあ、太刀打ちできないかも。」

「それで…じゃあどうしようって考えてたら、部長に、クラリネットは足りてるけどピアノが欲しいんだって言われたんですよ。えっ、て思って、とりあえずバイエルまでですけどピアノは弾けます、って言ったら、今度は逆に、是非入ってくれって頭下げられて…。で、クラリネットからピアノに転向したんです、その時。」

「へぇー。でもバイエルやってれば基本は身についてるもんね。一応両手はスムーズに動いたでしょ?」
「ええ。簡単な練習曲くらいなら弾けました。」

「…んで? んで初体験のハナシは。いったいいつになったら出てくんだよ。話が長いにもホドがあんぜお前。」
「大丈夫、もうすぐ終わる。…で、大学でもやっぱりジャズ研に入って、ピアノを…」

「ちょぉっと待った! あたし前から聞きたかったんだけどさぁ、八重垣くんて大学どこなの。」
「大学ですか? うーん…。一応、福沢諭吉先生の…」
「「慶応!?」」
「ええまあ。」
「やだっ! 八重垣くんてケーオーなのっ!? 学部は!?」
「学部は、文学部哲学科です。」
「それで今コンピュータなんかやってんの!?」
「ええ。」

「うっそぉ…。どういう関連性があるのよ…。」
「関連性はないですね。興味あったから進んだだけです。」
「へぇぇぇぇー…。慶応かぁぁ…。まさかストレートで?」
「ええまぁ、一応。」
「すっごぉぉい…。なんか、尊敬…。」

「別にすごくないですよ。大学入ったからって偉い訳じゃないし。―――で、それでですね? 大学のジャズ研で。」
「はいはい。」
「先輩にアルバイトのピンチヒッター頼まれたんです。ほら、教職期間中は授業もずっと出れないじゃないですか。その間だけバイト代わってくれって言われて。」
「何のバイト?」
「…クラブの、ピアノ弾きです。赤坂の。」
「おっ! いよいよ核心の予感っ!」

 拓が言うと八重垣は、えも言えぬ照れ笑いを浮かべ、
「その店でさ。俺…なんでか知らないけど異様にモテちゃったのね。店の女の人に、なんか奪い合いみたいにされちゃって、…」
「…くわ〜…嬉しそー…! 幸せそうな顔してるぅ、コイツ…。」
「でね? それでそのお店の、まぁ、ナンバーワン、ていわれてた人と…。」

「「「「うそっ!」」」」

「いや嘘じゃないですよ。ここまで話してきて、最後に嘘言うほどつわものじゃないです。」
「信じらんね…。赤坂のクラブのナンバー1と、はちゅたいけん。…お前、やっぱ普通じゃねぇよ。プロ相手かよ、しかも超1流。」
「別にそんな意識じゃなかったよ。ただの綺麗なお姉さん。」
「『綺麗なお姉さん』ってさぁ、なんか八重垣くんが言うと、響きが重い〜…。」

「ね、それでその人とはその後どうなったの。バイトはピンチヒッターだったんでしょ?」
「ええ、そうだったんですけどね。」
「『けど』? 何だその逆接の接続詞は! まさかお前…今でもその人とつきあってたりして!」
「まぁ、一応…。」

「「「「うっそっ!!」」」」

「いえ、でもつきあってるっていうより、時々会うって感じですよ。」
「時々って…時々会って何してんだよっ!」
「そりゃ、食事したりお酒飲んだり、ピアノ弾いたり…。」
「たり?」
「そうそう、たりたり。あとはご想像におまかせしますよ。―――ところで食事どうしましょうか、おなかすいてきましたよね。」

 あまりにも鮮やかな話題転換に、4人は畑の畔を踏み外しそうになった。八重垣はガイドブックを開き、
「長岳寺まで行っちゃってもいいんだけどな…。あそこは庫裏(くり)でそうめんが食べられるから。でももう12時回ってますしね。この『まほろば』って店でお昼にしましょうか。こっちですよ。」
 すたすた歩いていく幹事のあとを、4人は顔を見合わせながらついていった。
 

その6へ続く
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