『五重奏曲(クインテット)』
 

【 第1楽章 主題2 】

 シュテインバッハ家の侍従たちは、朝から何となくそわそわしている。なぜならその日もヒロのために「五色の御旗」の子弟たちがこの城に集まってくるからだ。気が散るので授業中は誰も部屋に近づくなというのがヒロの希望だったが、侍従たちは何かと理由をつけては、麗しき5人の姿を見にその部屋へやってくる。
「そろそろ皆様お見えになりますぞ。若様のおしたくはいかがか?」
 執事長は足早にヒロの私室にやってきて、アマモーラに聞く。答えを待つまでもなく中からヒロの声がする。
「んな気取ったカッコする必要ねぇってばよぉ。来んのはあいつらなんだから、もっとふつーのジャージとかでよぉ…」
「そうは参りません若様。」
 これはナーガレットの声だ。
「本日のお授業は姫君たちとの会話とエスコート、それにダンスでございましょう。実際の舞踏会に近いお衣装をお召しにならなくては意味がございません。」
 執事長はやれやれという顔で溜息をつき、
「サロンの方ではもう楽士たちが準備をしている。お支度が整い次第、おいで下さるように。よいな。」
「心得ました。」
 アマモーラは一礼して部屋に入る。
 ヒロは公爵家にのみ許された禁色(きんじき)のロイヤルブルーの上着を着せられ、ドレッサーの前でふくれている。首の回りにはフリルのついた化粧ケープが巻きつけてあって、ナーガレットが真剣な顔でおぐしをセットしている。
「本当によくお似合いです、若様。」
 アマモーラは目を細めて言う。
「まるで若様のおん為にあるような色でございますね。」
 褒められてもヒロは喜ばず、靴の爪先でしきりに絨毯をこすっている。
「さぁこれでようございますよ。」
 ようやくナーガレットはケープを外す。金色の光をそのまま糸に縒(よ)ったようなさらさらの髪が、上着の色に鮮やかに映える。
 最後にナーガレットはヒロの胸元に、スターサファイアの大きなブローチを留める。
「さぁ、それではサロンの方へ参りましょう。」
 アマモーラが促した時、侍女がやって来る。
「申し上げます。ただ今、侯爵家の若君がおいでになりました。」
「え、ルージュが?」
 ヒロの表情はぱっと明るくなり、彼はアマモーラが止めるのを無視して大理石の廊下を走っていく。
 
 蹄の音も高らかにルージュは公爵家の門をくぐる。槍を持った警備兵たちが左右に並んで道をつくる間を、馬の背に股がって彼は進んでいく。
 ヒロの、冴々と透明な宝石を思わせる硬質の美貌とはまた違った、咲き誇る大輪の花に似たあでやかなルージュの姿は、一騎当千の兵(つわもの)たちにさえ思わず溜息をつかせてしまう。彼のあとを追うのは一陣の薔薇の香りの風だけだ。
 ローマ様式の円柱をもつピロティーの前でルージュはひらりと馬を下りる。駆け寄ってひざまづく公爵家侍従に手綱を預け、彼は短い階段を昇っていく。エントランスホールに居並ぶ侍従たちに、ルージュはそのよく通る声で名乗る。
「レオンハルト・メルベイエ・フォン・アレスフォルボア。御家の、ヒロ・リーベンスヴェルト殿にお取りつぎを。」
 すると吹き抜けの天井から「ルージュ〜!」と呼ぶハスキーボイスが降ってくる。見上げると、廻り階段の手すりに身を乗り出してヒロが手を振っている。彼はタタタタッと軽やかに階段を駆け下りてきて、
「よ〜ぉ! 待ってたぜぇ。まだ誰も来てねーからよ、ひとまず茶にすんべ茶に!! な!」
 そう言ってルージュをサロンへ連れていく。
 
「お前よく公爵に怒らんねぇな。」
 サロンのソファーに腰をおろしルージュは言う。
「え? 何で何で?」
 向かいに座ってヒロは聞く。
「何でって、お前みたいな後継ぎは前代未聞だろ。」
「えー、そうかなぁ。俺ってそんな大物?」
「…かも知んねぇな。」
「んな面と向かって褒めんなよぉ、恥ずかしいじゃねーかよぉ!」
「……」
 ルージュが呆れ顔をしたところへアマモーラが飲み物とフルーツを持ってくる。
「Merci.」とフランス語で言ってルージュは彼女に笑いかける。
 ヒロと違ってこのルージュは、侍女から貴婦人に至るおよそこの世の「女性」というものに、好かれ騒がれまつわりつかれるのが何より好きという美少年だ。
 彼がその身に逞しさと精悍さを加えるのはさほど遠いことではないはずで、その時彼は周りの女たちをいかばかり熱狂させるであろうかと、アマモーラはつい想像してしまう。
 とは言え彼女の目には、ルージュと話をしているヒロの笑顔がやはり類なきものに映る。
 サロンの一隅には楽士たちが楽器を手に控えていて、主(あるじ)の指示を待っているが、ヒロは音楽にはさほど興味がない。アマモーラは楽士たちに近づき、
「お2人の語らいにお邪魔にならぬ、穏やかで軽やかな曲を。」
 と命じる。制服でもある黒いドレスを着たシオリィは、ヒロのために心をこめて奏で始める。
 
 やがてサロンにはロゼとジョーヌとヴェエルもやって来る。
「よし、じゃあ先生方も揃ったことだし、今日もガンガン、いきますか!」
 ルージュは言い、ヒロのために講義を始める。
「いいか、まずは前回の復習な。俺らの場合はまだ、たいていの舞踏会だったらエスコートしてく女なんて決められてねぇから、とにかくその会場で一番身分の高い女にまず挨拶をする。いくら可愛い子がいたからって、例えば主催者の奥さんに挨拶する前にその子誘う訳にはいかねぇの。まずここまではいいな?」
「うん。」
「んでその挨拶の仕方。ちゃんと復習してきたろうな。」
「あ…まぁ、ちょっとだけ。」
「じゃ、やってみろ。」
 ヒロは立ち上がり少しキョロキョロして、よいしょ、とその場にひざまづく。
「えーとぉ、ダレダレ様にはご機嫌麗しく。んーとぉ、今宵はお招き頂いてありがとうございました。」
 右手のひらを胸に当てる作法通りの礼は一応できている。ルージュはよしよしとうなずいて、
「んで、そこで必ず相手がこう手を出してきてくれっから、したらその手を取って軽くキス、な。」
「キスぅ〜…? おいらそれがヤなんだよな〜。」
 ヒロは眉間に嫌皺をよせる。
「ヤじゃねぇだろ。それがレディーに対する礼儀なんだからよ。」
 ルージュが言う脇からロゼは、
「あ、その時はね、手の甲じゃなくてむしろ指先。この関節より先のあたりにした方がいいよ。ただ唇だけ押し当てるんじゃなく、ちょっとついばむみたいに。」
「……」
 さらっと言ってのける彼を4人はじーっと見る。ジョーヌは腕組みし感に堪えたように、
「ロゼってさぁ、王妃様のサロンでそういうこと教わってんの?」
「いや、だって…ねぇ。俺は一応ほら、もう伯爵だし。」
「…お前ってやっぱムカつくわ。」
 ルージュは言い、よし、と椅子から立ち上がる。
「んじゃ次はエスコートのしかたな。こうやって軽く肘を曲げて…ヴェエル! ちょっと女役やれ。」
「え、やだよぉ俺ぇ。だって最初って痛いんでしょ?」
「馬鹿。歩き方だよ。」
「なんだそうか。」
 ヴェエルはルージュの隣に立つ。まだ12歳であるから、ヴェエルはルージュよりは小柄だ。彼は気取った顔でルージュの腕につかまる。
「いいか? 大事なのはこっちの足でドレスふんづけねぇこと。ほら変にびらびらした飾りついてんの着てる奴いんだろ。ああいうの踏んづけたり引っかけたりしたらもう最悪。」
「あー、おいら何かソレやりそうだな。」
「だろ。コツがあんだよこの場合。」
 右腕にヴェエルをつかまらせて、ルージュはゆっくり歩き出す。
「なるべく歩調合わして、内側の脚、一緒に出さねぇようにすりゃいいんだけど、でも実際なかなかそううまくいかねぇじゃん。したら、右足はドンて上から下ろすんじゃなくて、ちょっとこう擦り足っぽく、裾の下くぐらすみたいにして歩く…。判っか?」
 ヒロは大きな目を数回まばたかせ、ふっと首をかしげて、
「―――判んね。」
「ねぇ、これ俺じゃなくてさ、実際ドレス着た女の人とやんないと無理じゃないの?」
 ヴェエルは言い、ロゼとジョーヌも賛成する。
「そんなんどこにいんだよ。」
 ルージュが言うとヴェエルは
「いくらでもいるっしょぉ、この城に!」
 ヒロはびっくりして、
「え、ウチにぃ!?」
「そだよ。別にさぁ、姫君じゃなくたっていい訳だから。練習の相手してくれる、ドレス着た女の人なら。」
 ルージュは「そっか。」とうなずき、ヒロに言う。
「な。誰か適当なのいねぇか。」
「適当なのって?」
「城にいる女だよ。できれば若くて可愛いやつ。」
 するとジョーヌが、
「いいじゃん可愛くなくたって。駄目だよルージュの趣味で選んじゃ。」
「だぁってお前よぉ、どうせ練習すんなら可愛い方がいいに決まってんじゃん。」
「あ、さっきの人はどう。」
 ヴェエルの言葉にヒロは、
「さっきの人?」
「うん。さっきお茶持ってきてくれたあのお姉さん。ご用があればお呼び下さいって言ってたよ。」
「いやアレはちょっと…」
 ヒロは真剣に悩む。
「なんでヤなんだよ。」
 とルージュはひどく楽しそうだ。
「いや、アトで何か言われっからさ…。あいつはまずいべ。」
「そうか? んじゃ他に誰か…」
 会話を耳にしたシオリィは、えへん、えへんと咳をするが誰も気づいてくれない。4人はヒロをつつき、調理場に誰かいないのかとか、下働きの方が案外若くて可愛いだろとか、全員ただの男の子になってしまう。
 やがてルージュは悪戯っ子の顔で立ち上がる。
「な、善は急げだ、ちっと探してみようぜ。」
「いやこの場合その例えは違うよ。」
「るせんだよお前はよ。若様のプライベート・レッスンのお手伝いしてくれる子。探しに行こうって。」
「行こ行こ!!」
 ルージュの誘いにヴェエルは1も2もなく乗る。…と、そこへ、
「失礼いたします。」
 ノックのあと深々と身を屈めて礼をし、ナーガレットが入ってくる。普段とは全然違う派手なドレスを着ている。
「なっ何だよ。呼んでねーぞ。」
 ヒロは言うが彼女はブラシを手に近づいてきて、
「おぐしが乱れております若様。」
「いいって。」
「いいえなりませぬ。若様は公爵家の将来をになう御方、それにふさわしき身だしなみを…」
「いいっつんだよっ!! さわんな! いいから下がれってばっ!!」
 ナーガレットは形ばかりヒロの髪をとかし、失礼致しましたと出ていく。ドアが閉まったか閉まらないかのうちに今度は、
「お菓子をお持ち致しました。」
 とシェフのツッキーノがやってくる。
「何だオメーそのかっこ…。」
 彼女もやはり大きなフレアーのロングスカートをひきずっている。
 次にやってきたのは司書のジュヌビエーブだ。
「教材となるご本に不備はございませんか。」
「そんなんねぇっつの! 第一本なんか使ってねぇよっ!!」
「失礼致しました。」
彼女が出ていくのと入れ違いに御典医のバジーラまで来る。
「お薬のお時間でございます若様。」
「どっこも悪かねぇ―――っっっ!!」
 最初はポカンとしていたルージュたちだが、しまいにニヤニヤ笑い出す。ヒロは、
「もう誰も来ねぇだろうな…」
 と扉の外に首を出して確認する。ジョーヌは苦笑して言う。
「なんかさぁ、公爵家の将来って、不安じゃない? 俺らがしっかりしないと駄目だよこれは。」
「言えたなぁ…。」
 4人は揃ってうなずく。
 ヒロは椅子に戻ってくる。
「ッたくよぉ、何考えてんだ」
 とブツブツ言っている彼にルージュは、
「よぉ、結局相手役誰にすんだよ。」
「知るかよ。もういいよそんなん。」
「駄目だろ。何のレッスンにもなんねぇじゃん。」
「けどウチにいんのは、ああいう変なのばっかなんだよ。」
 ヒロが言った時、廊下でガタンと物音がする。
「まぁだ誰かいやがんな。」
 と彼は大股に歩き、ドアをあけていきなり、
「うっせんだよ! いい加減にしろっつの!!」
「んな怒鳴ることねぇだろ。」
 ルージュは立っていって、ヒロの横からヒョイと首を出し廊下を見る。すると1人の下働きの少女が、ぺたんと床に座りこんでいる。
「お? ンだよ可愛いじゃん。」
 ルージュはつぶやき、出ていく。
「大丈夫? ごめんな驚かして。」
 手を取って立ち上がらせてやると、彼女は小さく震えている。足元には水の入った桶と雑巾がある。
 立ち聞きしていた訳ではない、と判ったヒロは少々決まり悪そうに彼女に聞く。
「何やってたんだよそんなとこで。」
「申し訳ございません…。」
「名前、何つーの。」
「……」
「えー? 聞こえねぇよ、もっとはっきり言えよ。」
「シ、シ……」
「シベールだって。」
 ルージュが代わりに答える。
「シベールぅ?」
 ヒロは問い返す。
「はい…。」
 彼女は蚊の鳴くような声で、
「お廊下のお掃除をいたしておりました。彫刻の台座が汚れていたので磨いて…」
「ふーん。」
 ヒロは肩を揺すり、ポケットに手を入れて突っ立っているが、ルージュは、
「な。この子でいいじゃん。な、ちょっとさ、この若様の勉強手伝ってやってくんねぇ?」
 そう言ってシベールの肩を抱え部屋の中に連れていこうとする。
「なっ…おい、おいちょっと待てよっ!」
ヒロは彼の腕をつかんで止め、自分の方にシベールをぐいっと引っぱる。切れ長の目でキュッとルージュを睨み、
「うちの従業員に馴々しくすんじゃねぇよ。」
「従業員てよ…」
 ルージュはクスクス笑いながら言う。
「ッたく構われっと怒るくせに結局は独占したがんだから、タチ悪いよなお前みてぇなのって。」
「悪かったよ。」
 ぷっ、とヒロはふくれる。
「まぁとにかくさ、エスコートの練習、その子につきあってもらえよ。お披露目までもういくらもねぇだろ。ぼやぼやしてんと自分が恥かくぜ。…な。いいだろシベール。」
 ルージュに問われても、彼女は気が動転していて答えられない。目の前にいるのはヒロ様ばかりか、国中の憧れを一身に集めている5人の美少年たち。気絶せずにいられる自分が不思議なくらいだ。
 ヒロはシベールを見て少し考え、やがて、泣きそうになっている彼女に言う。
「…いいよ、お前自分の仕事あるもんな。ここは気にしないでいいから。行きなほら。」
「おい、ヒロ…」
「いいから。」
 ルージュを遮って彼はシベールを放してやる。彼女は深く膝を屈め、
「失礼申し上げました…」と言って走り出ていく。
 ルージュは不満そうだ。
「何だよお前。」と、ぶすっとする彼にヒロは、
「だっておいらのせいであの子が苛められたりしたら可哀相じゃねぇかよ。」
 するとヴェエルは不思議そうに、
「苛められるって、誰に? 何で?」
「…お前も大人になれば判るよ。おいらたちの相手したなんて、同じ下働きの仲間に知れたら、妬まれて苛められんに決まってんじゃん。…そういうことは、お前には判んねぇよなルージュ。生まれた時からずっと、侯爵家の若君だったお前にはよ。」
 くっ、と唇を噛んだルージュを見てロゼは「ヒロ!」と小声でたしなめる。彼はすぐに、
「わり。今のは…言いすぎた。ごめん。」
 とルージュに謝る。
「別にいいよ。本当のことだし。」
 ルージュはそっぽを向いて答える。沈みかけたその場をヴェエルは、
「んでさー! 練習どうすんだよぅ! 俺だって忙しい身なんだぜぇ? 早いとこやってくんねぇと困っちまうんだよな〜!」
 そうおどけて和ませる。
「ねぇやっぱここはさ。」
 落ち着いた声でジョーヌは言う。
「用があったら呼べって言ってた、あのお姉さんに頼るしかもうないんじゃないの。」
「そだな。」
 ルージュも即同意する。
「えっ、いや、だからそれは…」
 ヒロがあわあわしているうちに、ルージュはテーブル上のガラスの鈴に手を伸ばす。
 
 リンリンと澄んだ音が響き、ほどなく扉の向こうに、
「お呼びでございますか。」
 と声がする。ヒロはやべぇ、という顔になるが、
「ああ、入れ。」
 とルージュは応える。アマモーラは静かに入ってくる。
 5人はギョッとする。彼女はさっきとは違う、フリル満載のスカートに着替えていた。全てお見通しだと思うとおかしくて、ロゼはククッと笑う。
 呆然としているヒロに聞こえよがしに、ルージュはとぼけた口調で言う。
「あのですね、御家の若様はですね、マナー通りに女性をエスコートする練習をただ今なすっているのですけれども、その練習台としまして、ひとつマドモアゼル・アマモーラのお力を借りたいと、かようにおっしゃるものですから、お忙しいとは思いつつもお呼びたて申し上げた次第でして…。な、そうだよなヒロ様。」
「ん、うん…。」
「大変光栄でございます。若様の御役に立てるのであれば、私、この身を挺してお勤め申す覚悟にございます。」
 アマモーラはスカートを広げて恭しくお辞儀をし、ヒロを見てニコッと笑う。
「さ、若様。ビシビシ参りましょう。」
(てンめ、覚えてろよっ!!)
 口パクで睨むヒロに、ルージュは親指を立ててニヤッと笑う。
 
 このように色々と騒ぎはあったが、ヒロは彼らに導かれて何とか一通りのマナーを身につけることができた。聖ローマ祭まではあと10日、ヒロのお披露目の舞踏会はいよいよ3日後に迫っていた。
 

第2楽章に続く
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