五重奏曲 〜クインテット〜



【 第1楽章 主題2 】

 シュテインバッハ公爵家の侍従たちは、その朝も何となくそわそわしていた。ここしばらくというものこの城には、連日、社交界の花形である美しい少年たちが勢ぞろいする。いかに高貴な公爵家といえどもこんな華やかな事態はそう滅多にあるものではないので、厳しい作法を身につけたはずの侍女たちでさえ、自然と心が躍るのであった。
「さぁそろそろ皆様がお見えになる頃おい。若様のおしたくは如何か?」
 執事のサイトーは、ヒロの私室の控の間にやってきて尋ねた。礼をした女官はヒロ付きの侍女で、教育係を兼ねているアマモーラであった。彼女が答えるより先に、サイトーの耳にはヒロの不満げな声が届いた。
「んな気取ったカッコする必要ねぇって。来んのはあいつらなんだから、もっとふつーのジャージとかでいいんだって。なんでこんなビラビラしたやつをチャラチャラチャラチャラ、何枚も着なきゃなんねぇんだよ。」
「いいえそうは参りません若様。」
 応じているのは衣装係・ナーガレットの声であった。
「若様がただいまなさっておいでなのは、お披露目式のためのご準備でございます。なればその当日のお衣装に近いものをお召し頂かなくては、せっかくのお授業も意味がなかろうと存じます。」
「何だよそれ。意味判んねーよ。つーかお前さぁ、単に自分が着せてぇもんおいらに着せて楽しんでんだろ。ヒトを着せ替え人形みてぇにしやがってよ、つきあってられっかっての。」
 執事長はふーっと溜息をつき、
「衣装よりもあのお言葉使いを何とかしてほしいと思うのだが…。まぁ何もかも追い追いでよいと、お優しい父君が仰せだからな。無理をする必要はあるまいが、頼んだぞアマモーラ。私はこれから式典の段取りを最終チェックしてくるからな。」
「心得ました。」
 アマモーラは一礼して執事を見送り、ヒロの部屋に入っていった。豪華な刺繍を施したロイヤルブルーの上着を着せられた彼は、ドレッサーの前で大いにふくれていた。その首にはフリルのついた化粧ケープが巻きつけてあって、2種類のブラシを持ったナーガレットが真剣な顔で彼の髪を、光をそのまま縒(よ)ったような金色の絹糸を梳いていた。
「ああ、そのお上着のお色は、本当によくお似合いでございますね若様。まるで若様のためにある色だと申しても、決して過言ではございますまい。」
 アマモーラは目を細めて言った。お世辞ではなく彼女の本心であった。だがヒロはむすっと唇をへの字に曲げ、鏡なんか誰が見るかといった風情で足を組んで、顔はあさっての方を向いていた。
 そこへ控の間から侍女の声が聞こえた。
「失礼致します。アマモーラ様に申し上げます。」
「何用か?」
 アマモーラはドアを薄く開けた。侍女はさらに腰を屈め、
「ただ今、侯爵家の若君が城門をお通りになった由。ほどなくこちらにご到着なされるとのことでございます。」
「え、侯爵家ってことはルージュか!」
 ヒロは表情をぱっと輝かせ、立ち上がりながらケープをはずして椅子に放り投げた。あ、とナーガレットが止める隙もなく、ヒロはアマモーラを押しのけて部屋を出、大理石の廊下をバタバタと走っていった。


 一陣の薔薇の風を従えて、ルージュは公爵家の門をくぐった。槍を手にした門兵たちはずらり直立不動の姿勢をとり、彼と彼の愛馬の横顔を見守った。ローマ様式の円柱を持つピロティーの前でルージュは馬を下りた。駆け寄ってひざまづく警備兵に手綱を預け、柱の間の短い階段を彼は登った。ホールでは十数人の公爵家侍従たちが、恭しく礼をして出迎えた。しきたり通りにルージュは名乗った。よく通る声であった。
「レオンハルト・メルベイエ・フォン・アレスフォルボア。御家のヒロ・リーベンスヴェルト殿にお取りつぎを願いたい。」
「ようこそおいで下さいました、侯爵家若君。」
 侍従たちの中から歩み出たのは、執事のサイトーであった。深く腰を屈めた姿勢で次の言葉を言おうとした時に、
「ルージュぅ〜!」
 吹き抜けの高い天井からハスキーボイスが降ってきた。全員が一斉に上を見た。廻り階段の手すりに半身を乗り出して手を振っていたヒロは、タタタッとリズミカルに階段を駆け下りてきて、
「よぉぉ、待ってたぜぇ ? お前が一番乗り〜。まぁだ誰も来てねーからよ、ひとまず茶にすんべ茶に。んなっ! おーい誰か。おいらの部屋に茶ぁ持って来て茶。茶菓子も忘れんじゃねぇぞ。」
 そう言ってルージュの腕を引き、再び階段を登り始めた。侍従たちは平伏して見送った。

「だけどお前、よく公爵に怒らんねぇな。」
 ヒロ専用の客間のソファーに腰をおろし、手袋をはずしつつルージュは言った。ヒロは彼の真向かいに座り、
「え? 何で何で? 何を怒られんの?」
 大きな目をきょろきょろさせて聞いた。ルージュは浅く溜息をついた。
「何でって、お前みたいな後継ぎは前代未聞だろ。」
「そうかなぁ。前代未聞…。なるほどな…。気づかなかった、そんな大物だったのかおいら。」
「いやそういうことじゃねぇだろ。」
「まぁいっちったなぁ〜。だいいちそんな面と向かって褒められたんじゃあ、さすがのおいらも恥ずかしいじゃねぇかよ。ったく、よしてくれよルージュ。参った参った。いや参った。」
「……」
 ルージュが呆れ顔をしたところへノックの音がし、アマモーラが飲み物と菓子とフルーツを持ってきた。ヒロは不自然に会話を打ち切り、居心地悪そうにテーブルから目をそらしたが、サンキュ、とルージュは彼女に笑いかけた。思わずアマモーラは動きを止めた。ヒロの硬質な美貌を宝石に例えるのならば、ルージュの姿は咲き誇る大輪の花に似ていた。今はまだ少年のしなやかさが優っているが、彼の身に逞しさと精悍さが加わるのはさほど遠いことではないはずで、その時ルージュは周りの女たちをいかばかり熱狂させるであろうかと、アマモーラはつい想像せずにいられなかった。
 とは言え彼女の目にはやはり、若き主(あるじ)であるヒロの笑顔が類なきものに映るのだった。できることなら透明な影になっていつまでもこの部屋に控えていたかったが、2人の語らいの邪魔にならぬよう、アマモーラは早々に下がっていった。

 ほどなく客間にはロゼが、続いてジョーヌとヴェエルがやって来た。これで役者は揃ったことになる。よし、とルージュは膝を打ち、ヒロのための講義を始めた。
「いいか、まずは前回の復習からな。何かの催しに招かれた時は、とにかくその会場で一番身分の高い女に、まずは挨拶をする訳。いくら可愛い子がいたからって、例えば主催者の奥さんに挨拶する前に、その子誘う訳にはいかねぇんだぞ。いいな?」
「うん。」
「んで、その時の挨拶の仕方はちゃんと復習してきただろうな。」
「あ…まぁ、ちょっとだけ。」
「じゃ、やってみろ。」
 ヒロはのろのろと立ち上がり、両手のひらを尻に当てて何となくごしごしこすったあと、ぎこちなくその場にひざまづいた。
「えー…ダレダレ夫人にはご機嫌麗しく。今宵はお招き頂きましてありがとうございました。んーとお、シュテインバッハ公爵家の、えーと、えー…」
「だからその、んーと、とかえーと、とか言うのやめろ。自分の名前くらいスラスラ名乗れんだろが。」
「だって長ぇんだもんよぅ貴族の名前ってぇ。ヒロだけでいいじゃんよ判りやすくてぇ。『おいらヒロだよ!』 だけで通じんべー?」
「ベロじゃねぇんだからよ。はいもう1回、頭から!」
「えー…そのぅ、本日はまことにお日がらもよく、西高東低、風力3…」
「ざけてんじゃねっつの。おいロゼ、お前代わりにやってみろ。」
「え、俺がやるの? …まぁいいけど。じゃあよく見ててね。」
 カップを置いてロゼは立ち上がり、ジェスチュアたっぷりに右手を胸に当てた。
「ファンデベルグ夫人にはご機嫌麗しく。今宵はお招きを賜り、心より感謝いたしております。ジュペール伯爵リヒャルト・ルイーズでございます。のちほどメヌエットのお相手を、是非。」
 芝居がかった台詞とポーズが、不思議と嫌味なく決まるのがロゼらしさである。ルージュは、彼の前に手を差し出しながら言った。
「んで、そこで必ず相手がこうすっから、したらその手を取って軽くキス、な。…マジでやんなよロゼ。」
「やらないよ。男にキスしたってしょうがないじゃない。ああ、だけどこの時にはね、手の甲じゃなくてむしろ指先に、この第1関節より先のあたり、爪の付け根あたりにした方がいいよ。単に唇を押し当てるんじゃなく、ちょっとついばむみたいにね。」
「……」
 さらりと言ってのけたロゼを、4人はじっと見つめたあとで互いに顔を見合わせた。ロゼは涼しい顔で続けた。
「女性にキスを贈るのは、マナーであり礼儀であり、上質なコミュニケーションだよ。僕はあなたを異性として認めますということだ。同時に相手からも、男として認められる訳。つまり、恋愛関係の成立する下地が整うんだね。まぁそれで実際にどうするかは、これはまた別の話だけど。」
「…お前って、やっぱムカつくな。」
 言ったのはルージュであった。ヒロとジョーヌとヴェエルは3人同時に吹き出した。

 次にルージュが説明し始めたのは、レディのエスコートのしかたであった。いかに物分かりが悪かろうと手がかかろうと、ヒロに一通りの作法を仕込むのは公爵に任ぜられた彼の使命なのである。放り出す訳にはいかなかった。
「ヴェエル! ワッフルばっか食ってねぇでちょっと来い。お前、ちょっと女役やってくれ。」
「えええーっ!? やっ、やだよ俺! いくらルージュの頼みだっつっても、最初ってチョー痛いんでしょお?」
「馬鹿、何考えてんだ。歩き方だよ。」
「なんだそうか。びっくりしたぁー。」
「こっちがびっくりしたっつの…。ほら来い。」
 ルージュはヴェエルに腕を取らせ、姿勢を正した。ルージュより5つ年下のヴェエルは、将来の体格は不明ながらもまだ一回り小柄であった。そのヴェエルとともにいったん壁ぎわまで下がってから、ルージュはこちらへ歩いてきた。
「いいかヒロ。女つれて歩く時に大事なのは、こっちの足でドレスの裾ふんづけねぇことな。特に、びらびらした派手な飾りつけてる女は、ああいうの踏んづけたり引っかけたりしたらもう最悪だかんな。」
「うっわメンド臭ぇ。そういうの着てくんじゃねぇよ。全面的に禁止だ禁止!」
「そんな訳にいくかよ。なるべく女と歩調合わして、この内側の脚を、テキと同時に出さねぇようにすりゃいいの。な? こうじゃなくて、こう。判んだろ? こっちの足はドンて上から下ろすんじゃなくて、ちょっとこう擦り足っぽく、裾の下くぐらすみたいにして歩く。判っか?」
 ルージュの熱演もむなしく、ヒロは即座に首をかしげた。
「いんや判んねぇ。ごめん。ぜんっっっぜんピンと来ねぇや。」
「お前なぁ…。」
 ルージュがぐったりするそばから、ヴェエルはひらめきの顔で言った。
「ねぇ、ねぇこれ俺じゃなくてさ、実際にドレス着た女の人とやった方が判るんじゃないの?」
「そりゃそうに決まってんだろ。だけどそんな奴どこにいんだよ。何ならお前ドレス着るか?」
「違う違うそうじゃなくて。女なんてさぁ、いくらでもいるっしょぉこの城に。」
「え、ウチに!?」
 ヒロは目を丸くした。ヴェエルはうなずいた。
「そだよ。練習なんだから別に姫君じゃなくたっていい訳でさ。侍女だっていいじゃん。さっきお茶持ってきてくれた人とか。」
「いや、あれはちょっとな…。」
 ルージュは腕組みした。ロゼはクスクス笑いながら、
「駄目だよルージュの趣味で選んじゃ。君はどう思う、ヒロ。この屋敷に誰か適任はいる?」
「いねぇ。きっぱりいねぇ。ウチにいんのはヘンな奴ばっかだ。あんなのとかあんなのとか、あんなのとか…」
「―――失礼いたします。」
 そこで突如短いノック音がし、衣装係のナーガレットが入ってきた。普段とは全然違う、派手なレースのドレスを着ていた。
「なっ何だよ。呼んでねーぞ。」
 怯えたかのようにヒロは言ったが、彼女はブラシを手につかつかと近づいてきて、
「おぐしが乱れております若様。」
「いいってそんなん。」
「いいえなりませぬ。若様は公爵家の将来をになう御方。常にそれにふさわしき身だしなみを…」
「いいっつんだよっ!! さわんな! いいから下がれ!」
 ナーガレットは形ばかりヒロの髪をとかし、失礼致しましたと出ていった。そのドアが閉まったか閉まらないかのうちに、
「新しいお菓子をお持ち致しました。どうぞご賞味下さいませ。」
 今度はシェフのツッキーノがやってきた。ヒロは呆れた。彼女もやはり大きなフレアーのロングスカートをひきずっていた。
 彼女と入れ代わりにやってきたのは、司書のジュヌビエーブであった。教材のテキストに不備はないかと言う。そもそもテキストなど使っていないと追い返すと、御典医のバジーラまでやって来た。
「お薬のお時間でございます若様。」
「どっこも悪かねぇ―――っっっ!!」
 ヒロはバジーラの背をどついたり尻を蹴ったりして、無理矢理部屋から追い出した。ルージュたちはそれを見てニヤニヤ笑った。ばたん、と後ろ手に扉を閉め、
「ッたく何を考えてやがんだよ。何が伝統と格式の公爵家だ。ミーハーじゃねぇかあいつら全員…。」
 ヒロは舌打ちし唇を歪めた。ルージュはからかいの口調で言った。
「なあ。結局相手役は誰にすんだよ。希望者はいっぱいいるみてぇじゃねぇか。早く決めろよ若様よ。」
「知るか! もういいよそんなん。もうだいたい判ったから。あとはぶっつけ本番で何とかなんだろ。」
「駄目だろ。当日お前に失敗されたんじゃ俺らのメンツが立たねぇんだよ。誰でもいいから相手役探せよ。このさい可愛いけりゃ下働きでも何でも…」
 その時だった。ガタン!と廊下で物音がした。ヒロは勢いよく振り返った。
「まぁだ誰かいやがんな…。」
 彼は取っ手を両手でつかみ、ぐい!と大きく押し開けた。
「うっせーおめーら!! いい加減に、し、ろ……………」
 廊下には誰もいなかった。キツネにつままれた気分でヒロはあたりを見回した。空耳か? いやまさかそんなはずはと首を伸ばすと、彫刻の陰にちらりと紺色のスカートが見えた。
「そこにいんの誰だ! 隠れても無駄だぞ出てこい!」
 ドスのきいた声でヒロは怒鳴った。苦笑していたルージュは立ち上がり、
「んな怒ることねぇだろ。昼日中、曲者がまぎれこむはずもなし…」
 ヒロの横から顔を出して廊下を見、すぐにその人影に気づいた。どうやら下働きの少女らしかった。
「何だお前。そんなとこで何してんだよ。」
 ルージュは聞き、ヒロも彼女に近づいていった。2人の貴公子に見下ろされて、彼女は子ネズミのように縮こまり震えていた。かたわらには水の入った木桶と雑巾があった。どうやら立ち聞きしていた訳ではなさそうである。人騒がせな、とヒロは眉を寄せた。
「何やってたんだよそんなとこで。ッたく訳判んねぇな。」
 少女はビクリとし、深く顔を伏せた。ん?とルージュの声がしたので、ヒロは何げなく彼を見た。ルージュは彼女の前に屈んだ。
「な。よく見るとこの子なかなか可愛いじゃん。ごめんな驚かして。掃除してたのか。」
「は…はい…。申し訳ございません…。」
 蚊の鳴くような声で彼女は答えた。興を覚えたかルージュは尋ねた。
「お前、ここんちの下働きか。名前は何ていうんだ。」
「……」
「あー? 聞こえねえよ。もっとはっきり言え。」
「シ、シ、シ…」
「シ?」
「シベール…と、申します…。」
「シベールか。可愛い名前だな。」
 ルージュはニヤリと笑い、彼女の肩をポンと叩いてヒロを見上げた。
「な。この子でいいじゃん。お前の相手役。」
「なに?」
 驚くヒロの返事を待たず、ルージュはシベールの腕を掴んで立ち上がらせた。驚いたことに彼女の目にはうっすらと涙が浮かんでいた。社交ずれした女たちは絶対に見せない反応である。新鮮さにルージュは微笑んだ。
「あのな、この若様がな、お披露目に向けて大事なレッスン中なのは知ってんだろ? だからそれを、お前に手伝ってほしいんだよ。どうだ、夢みたいな話だろう? 断るわきゃねぇよな。さぁ来て来て。何ならドレスを取り替えて…」
「待てよ。」
 うきうきと語尾を弾ませていたルージュを、ヒロは硬い声と表情でとどめた。ルージュは意外な顔をしたが、ヒロはシベールの肩に置かれていた彼の手をはずさせて、
「お前、自分の仕事あるんだろ。ここの掃除はあとでいい。おいらにそう言われたって言って、早く部屋に帰んな。大丈夫、誰にも言わねぇから。安心しろ。な。ほら早く行け。」
 開放されたシベールは一瞬そこに立ちすくみ、きょろきょろと意味なくあたりを見回したあとで、ヒロにぺこりと頭を下げると、木桶を下げて逃げ去っていった。ふっ、とヒロは溜息をついた。
「おい何だよお前。せっかく相手役見つけてやったのによ。」
 しかしルージュは不満げだった。きびすを返したヒロに続いて客間に戻りながら、
「屋敷の人間なら別に問題ないだろうが。本番でしくじったら恥かくのお前だろ? いい練習台だったのに、何だよ安心しろってのはよ。」
 つらつらと文句を言い続ける彼を、最初は聞き流していたヒロだったが、
「おいらたちのせいで、あの子が苛められたら可哀相じゃねぇかよ。」
 ボソリと言ったのをヴェエルは聞きとがめた。
「苛められるって…誰にだよ。何であの子が苛められる訳?」
 ヒロはちらりとヴェエルを、それからルージュを見た。
「あの子と同じ、下働きの仲間にだよ。下っぱの口は早ぇんだ。ルージュに目ェつけられて、おいらの相手したなんて知れたら、妬まれて苛められんに決まってんじゃんか。そんなことも判んねぇのかお前。」
「目ェつけたってよ…」
 吐き捨てるように笑ったルージュに、ヒロはぴしゃりと言った。
「お前には、判んなくて当然だけどな。生まれた時からずっと若君だったお前には、下働きの気持ちなんて判んねぇだろ。」
 きりっ、とルージュは下唇を噛んだ。その変化にいち早く気づいたのはロゼだった。
「それはちょっと言い過ぎだよヒロ。ルージュは君のためにしてくれてるんだぞ? そういう言い方はないんじゃないか?」
 ヒロの眉がかすかに動いた。そうだった、と思い出したらしい。彼はすぐにルージュに言った。
「わりい。ロゼの言う通りだな。今のは取り消す。おいらが悪かった。」
 軽く頭を下げたヒロの方は見ず、ルージュは軽く言い捨てた。
「別にいいんじゃねぇ? 俺が世間知らずなのは本当のことだし。」
 まずいな、とロゼは内心で舌打ちした。部屋の空気が嫌な色になりかけていた。だがこういう時に鋭いのはヴェエルである。彼はことさらな大声で言った。
「ちょっとちょっとぉ! 肝心の練習はどうすんだよぅ! 俺だって忙しい身なんだぜぇ? 早いとこやっつけてくんねぇと、予定が狂って困っちまうんだけどな〜! おいジョーヌ、景気づけにバク宙しろよバク宙!」
「はぁ? 何で俺がバク宙すんだよ。お前がやれよそんなこと!」
「俺はバク宙なんてできねーもん。やっぱここはあれだね。こうするっきゃないでしょお!」
 ヴェエルはすくっと立ち上がると部屋の隅へ行き、身軽に窓枠に足を掛けて登って、レースのカーテンをとりはずした。
「これならドレス代わりになるっしょ! はいジョーヌそこに立って! 今から俺が着つけてやっから!」
「ええっ!? お、俺がっ!?」
「そう。ジョーヌが相手役。だって剛ママ可愛かったじゃんよぉ。」
「だったら本家本元のお前がやれよー! 何で俺がこんなもん着て女役…!」
「そうだよ冗談じゃねぇよ! 嫌だかんな俺は!」
 ヒロもぶんぶん首を振ったが、誰も聞き入れはしなかった。ヴェエルは器用に布をあしらってジョーヌの体に巻きつけていき、ロゼも横から手を貸して、見事な刺繍のほどこされたテーブルクロスを飾り帯にするアイデアを出した。
「よっしゃあ、出来たっと。じゃあこいつを相手役に、ヒロのレッスン、再開ね!」
「よし。もう時間もねぇことだし、ダンスの特訓いくぞ。いいなヒロ。3回同じとこ間違ったらぶん殴っかんな。」
「ちょっちょっちょっ…! 待てよ最初っから罰ゲームかよこれぇ!」


 このように色々と騒ぎはあったが、彼らのレッスンの甲斐あって、ヒロは何とか一通りのマナーを身につけ終えた。聖ローマ祭まではあと10日。ヒロのお披露目の舞踏会は、いよいよ3日のちに迫っていた。

( 続く )

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