【第2部・第2章】bU
 
 翌日の昼近く、五人は食料の分だけ少なくなった荷物をまとめた。ワンタッチで広がる便利なテントも、畳むのはやはり難しいのであるが、現場で養生(ようじょう)シートを扱い慣れている陽介にはたやすいことらしく、苦もなくやってのけて一同を感心させた。荷物を車に積み、なるべく元通りになるよう河原を片づけて、大蔵村役場に寄り丁重にお礼を述べ、彼らは肘折をあとにした。
 東北自動車道を南下するRVの中、由布子はインターチェンジの標識が見えるたび、拓の手元に注意を向けた。もう一晩場所を変えて泊まることは聞かされていたが、いったいどこへ行くのだろう。軽くハンドルを押さえたまま車を直進させていた彼は、村田JCTを離れておよそ一時間後、ハンドルを左に切り車線を変更して、速度を落とした。郡山であった。そのまま市街地を走り国道から県道に入る。観光地とは思えないごく普通の町並みだ。こんなところに何があるのか不審に思い、由布子はあっと思い出した。福島県郡山市。陽介の出身地ではないか。その陽介はランドクルーザーの窓にとりすがるようにして外を見ていたが、広い校庭を持つ中学校の前で拓が車を停めると、真剣な顔で彼を見、言った。
「にいさん…ここ、俺の…。」
「ああ。お前の中学だろ。二年前に卒業した。」
「…」
「そこの道行って、四つ角曲がったらお前んちだよな。お前のこと、きっと心配してるぞ。」
「…」
 陽介は、おそらく慣れ親しんだ道をじっと見た。由布子はようやく、なぜ拓が今回の行き先を山形にしたのか理解した。実家に帰れ、とただそれだけ言っても、そうですかと陽介がきくとは思えない。キャンプの帰りに、ついでのように、インターを下りて彼を運んできてしまう。つまらない意地を張る間もないほど、スピーディーな強制帰省であった。
「せっかくここまで来たんだ、顔くらい見せてやれよ。ちゃんといい会社入って、先輩にかわいがってもらって、資格試験にも受かったんだろ? 一人前の大工として、現場に出してもらってるんじゃないか。それ、ちゃんと報告してこい。あした迎えに来てやっから。」
 助手席から高杉も、雷おこしの包みを差し出して言った。
「ほれ。手みやげ持ってってやれ。」
 受け取ってうつむいた陽介に拓は、
「何してんだよ。行けよ早く。自分ちだろうが。あしたの夕方までゆっくりしてこい。俺たち今夜この近所に泊まってっから、何かあったら連絡してよこせ。」
 そう言ってメモを渡した。まだぐずぐずしている陽介に、高杉は助手席を下りて、後ろのドアを大きく開けた。
「ほら。行ってこい。」
 陽介は無言で、ランドクルーザーを下りた。
「あしたの四時。ここで待ってっから。あ、もし東京帰るのいやになったらそれでもいいけどな。」
「にいさん…。」
「そこ、まっすぐだから。…って、そんなんお前が一番よく知ってっか。じゃな。あした四時だぞ。一時間遅れたら置いてくからな。」
 陽介は菓子箱を胸の前で抱え、立っていたが、拓は親指を一本立ててウィンクし、グイとアクセルを踏んだ。
「ひとりで大丈夫かしら。」
 幸枝はリアウインドウを見たが、高杉は、
「心配いらないよ。あいつはちゃんと帰る。なあ、拓。」
「ああ。」
「でも、いきなりでご両親びっくりしない?」
 由布子の疑問に拓は答えた。
「うん、電話で言ってあっから。十三日の午後、そちらに送り届けますって。」
「電話してあったの!」
 彼女は感動した。何という細やかな心配りだろう。
「いや、せっかくあいつが帰ったのにさ、家族全員たまたま出かけてて留守でしたじゃあ、まぁたあいつグレちまうだろ。手のかかるガキだよ全く。」
 車はUターンして来た道を戻り、郡山の隣、福島市にある、飯坂温泉へと進んでいった。
 県都福島の奥座敷と呼ばれる飯坂温泉は、摺上川沿いにぎっしりと建つ大ホテルを中心とした歓楽街であるが、さらに上流へ行くと穴原温泉と名前を変え、離れを思わせる静かな出湯(いでゆ)の風情に変わる。吾妻山系を望み摺上渓谷を見下ろす宿の一軒に、彼らは落ち着いた。十二階建ての新館には大宴会場があって、外国人ダンサーのショーも上演されるのだが、彼らの部屋は古くこじんまりとした別館であった。木造のしっとりした情緒は由布子の好みだった。二部屋のうち一方は寝に帰るだけの寝室にして、夕食は片方の部屋で四人一緒にとった。風呂に入り浴衣を着、和室で大膳を囲む。やはりこのくつろぎが、日本旅館の最大の魅力であった。
 食事を終えてお膳を下げさせたあと、由布子は窓ぎわの籐椅子に座って、昨夜までの思い出をいつくしむように、窓の下を流れる摺上川の音を聞いていた。高杉と幸枝は土産物を探しに売店へ行っており、拓はもう一度大浴場へ行くと言って、部屋には由布子一人だった。
 襖があき、障子があいて、足音が部屋に入ってきた。高杉たちではなかった。浴衣姿に髪をタオルで包んだ、拓が戻って来たのだった。
「久さんたちは?」
 畳を踏んで彼はこちらへやってきた。湯気がまだ彼の体にたちこめていた。
「ん、まだ帰ってきてない。いろいろ見て回ってるんじゃないかしら。」
「だろうな。」
 拓は、小テーブルをはさんで由布子の前にある籐椅子に座り、タオルをほどいて、髪をゴシゴシと拭いた。濡れて光を返す毛先が、空中に跳ね、舞い踊った。
「長いと大変ね。夏は暑くない?」
「いや、かえって楽だよ。ブローいらないし、縛っちゃうと涼しい。」
「ああ、そうね。」
 確かにショートは手がかかる。彼女の髪は硬いので、寝癖がついたら容易にはとれなかった。女の自分よりはるかに質のいい彼の髪に魅入りつつ、由布子は言った。
「今ごろ陽介さん、ご家族と水入らずで話してるのかしらね。」
 拓は拭きおえた髪を手櫛で後ろに流し、整えるように首を振った。
「だろ? あいつんちは、おやじとおふくろと、それに兄貴が二人に嫁さん一人か。今までどうしてた、連絡もよこさないでって小言から始まって、好物の揚げちくわでも作ってもらってんだろ。」
「いいわねそういうの。羨ましいな。」
 素直に由布子は言った。陽介のあの人なつこさは、手放しで彼を愛した大勢の家族によって付けられた性格であろう。
「小さい頃から、あたしきょうだいが欲しかった。両親が仲悪かったでしょう。うちの中に居場所ないみたいな時があって…。そういう時、お兄ちゃんかお姉ちゃんがいれば、ううん、弟でも妹でもいいのよ、そしたら親は親で勝手にやってもらって、あたしらはあたしらで、同盟結んで対抗したのにって。」
「同盟か。」
 タオルをぱしっと振ってから拓は、開け放した窓の手すりに干した。
「うん。血は水より濃いって言うじゃない。確かだなあと思う。親とか家って、切りたくて切れるものじゃないし、そういう、どうにもならないしがらみを一緒に背負ってくれるのって、やっぱりきょうだいしかいないんじゃないかな。友達も…恋人もね、そういうの、重たがられるっていうか。」
 拓は立ち上がり、金庫の上に置いてある煙草を取りにいった。細く締まった足首を目で追って、由布子は続けた。
「最近はほら、ドラマでも、あんまり生活感を出さない方が受け入れられるでしょ。生活の苦労とか、貧乏だった昔話とか、そういうのって臭いものにフタじゃないけど、みんな目そらすってとこあるわよね。洒落たマンションで一人暮らし、そこから物語は始まります、みたいな…。」
 学生時代につきあっていた青年から、『うざったいんだよ、そういう話』と言われたことを、由布子は思い出してクスッと笑った。私が自分の話を人にしなくなったのは、思えばあれがきっかけかも知れない。
「現実とドラマは違うだろ。」
 拓は冷蔵庫から缶ビールを出してきて、一つを由布子の前に置いてくれた。
「うまい具合にCMが入ったり、突然『三年後』に話が飛んだり、ナレーターが一行で片づけてくれたり、そんな簡単なもんじゃない、現実はね。…それに。」
 拓はプルトップをあけた。
「血なんてそんなに、確かなもんじゃないと思うよ。なきゃないでいっそ覚悟決まるっていうか、ゴーイング・マイウェイだって思えるもんだよ。」
「そうかなあ…。」
 由布子には疑問だった。拓は男だからそう思うのであろうか。缶を口に運び、彼女は尋ねてみた。
「一度もあなたは思ったことないの? きょうだいがいたら楽なのになって。自分一人で背負わなくても済む。同じ立場の誰かが、いてくれればいいのにって。」
 拓はごくりとビールを飲み、由布子を見ずに言った。
「だから、いない方がいいって。いっそのこと。」
 えっ、と彼女は眼差しで問い返した。いっそのこととはどういう意味か。そういえば拓は一言も、一人っ子だとは言っていないが…
「俺、上に三人いるから。」
 垂れてきた髪をそのままに、彼は言った。早合点していたのかと由布子は思った。が、拓の言葉には続きがあった。
「腹違いって奴? 俺とは、母親が違うの。」
 

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