【第3部・第2章】 bP2
 
 準備ができたと言われ、由布子はリビングに下りていった。何が始まるのかと思いきや、並べられていたのはたこ焼きセットであった。まだ昼過ぎであるから酒盛りには早すぎるとしても、実にユニークな企画に由布子が笑うと拓は、
「言っとくけど今回のプランは全部久さんだかんな。この紅白幕と万国旗も久さんの提案。俺はハンズで仕入れてきただけ。だから俺の趣味疑うなよ。」
 窓の上部に巡らした紅白幕は、確かにパーティーというよりは福引会場か立候補者の選挙事務所を思わせる。陽介は鉄板の窪みに刷毛で油を塗っていたが、
「いいじゃないすか面白くて。俺こういうの好きっすよ。たこやきバイキングなんて最高。見直したわ久さん。」
「おっ、お前はさすがハイセンスだ陽介! 人間、旅立ちのはなむけはな、これでもかこれでもかッてくらい縁起のいいもんで飾るといいんだ。現にお前、あのナヴィールだって、開店をあれだけ日のいい時にぶつけたからこそこんにちの繁栄がだな。」
「にいさんちょっとそのボウル取って。」
「これか?」
「おい…さっきからなぁ、人の話ちゃんと聞けよお前ら…」
 陽介は縁日の屋台さながらのねじり鉢巻きで、器用に真ん丸の球を焼き上げた。花がつおがちりちり踊り、明石ダコのコリコリした歯ごたえはまさに絶品であった。
「どうせここまでやるんだったら、お祭り仕立てにしちゃえばよかったわね。」
 紅生姜を器に取って幸枝は言った。陽介は即、賛成し、
「うんうん! ヨーヨー釣りに射的に、あと金魚すくい! 俺ね俺ね、金魚すくわせたらちょっとハンパじゃねぇかんね!」
「…そういやお前、ガキの頃、金魚池落っこったとか言ってたよな。」
 拓が思い出すと陽介は嫌な顔をし、
「ッとによぉ…かあちゃんが変なことバラすから…」
「違うわよ、あの時は陽介さんが自分で言ったんじゃない。私ちゃんと聞いたもの。お母様のせいにしちゃだめよ。」
 由布子が訂正すると高杉も、
「そうそう。お袋さんじゃなくお前が白状したの。あとは何だっけ、馬小屋で寝て?」
「もういいってその話は。」
 口をとがらせた陽介に、拓はニヤニヤ笑いながら、
「そういやさ、彼女とはうまくいってんのかよ。」
「えっ。」
 いきなり話題を変えられてうろたえ、陽介はたこやきを引っくり返しそこねた。
「な。どんな子どんな子! 高校生だって? 可愛い?」
 飛び出した中身を串先で詰め直していた陽介は、そこで真っ白な歯を覗かせた。拓は鋭く、
「そっか。可愛いんだ。へー。SPEEDで言えば誰に近いんだよ。」
「いや、ああいう感じじゃあ、なくて…」
 照れ臭そうに笑う陽介を、四人は代わる代わる質問攻めにした。どういうタイプだとの問いに観月ありさと答えられ、拓はマジかよ!を連発した。知り合ったのは内山建設の現場で、職人が事務所に忘れた弁当を持ってきてくれたのが最初だという。そのうちだんだんと言葉を交わすようになり、今では、
「毎朝、弁当をね、作ってきてくれるんですよ。学校行く前に自転車で、俺の現場に持ってきてくれんの。遠回りなんだけど、早起きして…。」
 頬を赤らめて話す彼からは、微笑ましい初恋の香気が立ち昇っていた。少女が差し出す弁当箱は多分、綺麗なナプキンに包まれている。卵焼きにタコさんウィンナ、飾り切りした野菜たち。年配者がほとんどの内山建設では、少年少女の仲をこぞって応援しているに違いない。昼食のたびに陽介は、左右から先輩たちに冷やかされつつ、満面の笑みで手料理をほおばっているのだろう。
「まったくこの幸せもんがっ! おらおらせっせとタコ焼かんかい!」
 高杉は陽介の肩をどついた。よろけても彼は怒りもせず笑っている。拓は紙皿と箸をテーブルに置いて、
「おい、お前全然食ってねぇだろ。ちょっと代わってやる。ほら、そこどけ。」
 手首のゴムで素早く髪を束ね、陽介の手から串とボウルを取った。
「そういや拓、お前そのアタマな。」
 いつの間にやら持ち出したビールに口をつけて高杉は言った。
「そんなゾロッとしたロン毛、まずかぁないのか? まともな銀行マンのするアタマじゃないだろ。」
「親父と同じこと言うなよ。」
 窪みに生地を流し込んで拓は苦笑し、
「俺はね、そういう決まりきった物の見方は嫌いなの。髪が長けりゃマトモじゃねぇってさ、んじゃ短けぇ奴はみんな品行方正なんですかって。ワイロもらったり客の金使いこんだり、ろくでもねぇ土地にバンバン金貸して結局経営おかしくした野郎ども、みんなおっさん頭じゃん。」
「いや、そりゃお前論旨(ろんし)のすりかえだよ。」
「とにかくコイツは切んねぇの。逆にウチは全員ロン毛が規則にしようかなとか思って。」
「なに…。ってことは銀行行って、こうガーッと自動ドアがあいたら、いらっしゃいませって言う奴らがみんなお前みたいなアタマしてんのか?」
「そうそう。」
「やめろよ馬鹿野郎。そんな気持ちわりぃ銀行に誰も金なんか借りんぞ? おおやだやだ、少なくとも俺はそんなとことは取引せんな。うむ。」
「言われなくたって久さんには貸さねぇもん。こんなんに融資したら危なくってよ。」
「へっ、誰が借りっか悪徳銀行。」
「誰が貸すかよ逆VIP。俺いま色々企画してんだかんな。どうせやんならここはひとつ、CIを極めてみようと思ってさ。」
「シーアイ? FBIじゃなくて?」
 たこやきをほおばって陽介が聞くと高杉は、
「お前な、それはCIA。拓は別にスパイになる訳じゃないんだから。こんなとこでボケかましてどうすんだ。シーアイっていうのはな、――――何でしたっけ由布子先生。」
 計ったような間合いで、話の鉢は彼女に回ってきた。
「うーんとね…その会社『らしさ』をどうお客さんにアピールするかっていう、要はそんな意味。」
「意味なんだよ陽介。」
「知んねんじゃんかよ久さんもぉ!」
「…ということは拓の企画ってのはアレか、東中らしさをロン毛で演出? …こりゃ早いとこ北原会長に教えてやった方がいいな。あんたの息子、ありゃちょっとバカだから、あんなもんに経営まかせたら破綻しますよって。」
「言ってろ言ってろ。これだからヤなんだよ頭かてぇ奴は。これからはね、個性と付加価値の時代なの。みんなして横一列に金利下げて、貸し出し控えて、そんなことしてっから景気が低迷すんだよ。『是非ともここに借りたい!』って気になればさ、客は、少々金利が高かろうと利回りが低かろうと、ちゃんと選んでくれんだって。」
「例えばどうやって?」
 由布子は先を促した。冗談めかしているが理論としては正しい。
「例えばね、『窓口一芸制度』。新規口座ご開設の方には窓口担当者が何かの芸をご披露する。手品とか皿回しとか物真似とか。」
「…なんだそら、くっだらねぇ…。」
「くだんなくねぇって。あとはね、支店に来たお客さんがガラスのこっちっかたから、融資とか、いろんな相談とかの担当を自分で選べる『担当者ご指名制度』。ご指名入ると担当者に特別手当支給してさ。」
「要は指名料だろ? どっからヒント得たよどっからぁ!」
「いやそれくらい大胆なことをね、やんねぇと駄目だってこれからは。大企業だとか大銀行だとか、そんな呼び方もナンセンスだよ。ビッグバンのあとは、競争相手、世界だぜ?」
「まぁそりゃ世界中どこ探したって、ナイスバディのねぇちゃんとロン毛のあんちゃんがズラッと並んだ、キャバレーだかホストクラブだかわからん銀行なんてのはありゃしないだろうがな。」
「だろ? 狙いはそこだよ。」
「狙わん方がいいと思うぞ?」
「広告とかもさ、ガラッとイメージ変えんの。お堅い銀行なんてつまんねって。ポスター二十種類くらい作って山手線全車両にダーッと貼って、んで、キャッチコピーが『ボーナスは、イケてる当行へ』。」
 面白いかもなと由布子は思った。もちろん銀行間の協定などもあるだろうから全部そのまま実現はできまいが、タキシード姿でポーズを決めた拓のポスターだったら、女性預金者は一割くらいアップするだろう。『幾らでも結構でございます。定期預金、して頂けませんでしょうか?』などと囁かれた有閑マダムは、数千万円ポンと預けてくれるに違いない。――――まぁそれはさておき、何ごとも凝り性の拓が本気を出したら、北原会長を初めとする現経営陣が目をむくほどの奇抜さで、他行を引き離す預金高を達成してしまうかも知れない。古くさい経営理念に嫌々従っている若手管理職はどんな企業にも多いはずだ。彼らはこの若きリーダーを歓迎し、二十一世紀を勝ち抜くための斬新な戦略を幾つも打ち立てていくだろう。フローラルも建築も経営も、みな自分のための舞台にしてしまう。拓には多分その力があるのだと、由布子はまぶしい思いで彼を見つめた。
 

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