【X年九月一日】

 今日、スクールの入校式を行った。
 七期生二十名を受け入れる、先達の言葉は伊東君が述べた。私の拓は相変わらず人前に出るのを好まず、今日の式も、是非にと勧めたが欠席だった。私の見立てたあのスーツに身を包んで壇上に立ったなら、取材陣はさぞや目を剥いたに違いないと思うと悔しい。もっとも君は、たとえ出席してくれたにしても、写真を撮られ専門誌に載せられることは、頭から拒んで肯(がえ)んじないだろう。君の美貌で誌面を飾りたがる記者たちを、諦めさせるのもまた最近では、私の楽しみになっている。残念そうな記者たちの前で私が感じるのは、卑俗な優越感だ。君を心ない外野から、守ってやっているという満足感だ。君はスクールの中でも飛び抜けた才能の持ち主であり、また、不可思議なほどの魅力をもった、極上のナルキッソスに他ならない。
 私は九月一日から日記の冊を変える。私の夢であったフローラルアートを開校した、六年前からの習慣だ。おととしの日記の一ページめに、私は君との出会いを記している。初めて君のまなざしを受けとめたあの日は、生涯忘れられないアニバーサリィとなった。以来二年間。私は君のことを…君に接して私の胸が呼応するさまざまな調べを、魂の軌跡を刻みこむ如く、この日記に書き連ねてきた。誰ひとり手に取ることのない紙の束は、鍵のかかる書棚の奥深くで、透明な琥珀に結晶していく。もし明日にでもふいに私が世を去ったなら、これらはあるいは君の手に届き、美しい目にふれるのであろうか。その時…拓、君の涙がもしも、私の墓碑銘にひとしずくでいい流れるならば、私の祈りは幾億兆の闇を超えて、君を護る暁の光になりえるだろう。
 君はだが、無意識という名の残酷さで私を翻弄し、明日も、また次の日も、伸び盛りの若木のように屈託のない笑顔で、私の前に姿を現す。君を抱きすくめてしまいたくなる卑しい欲望を、私が、どれほどの拷問に耐えて押し殺しているかを、知ろうともせずに。
 不思議な青年。
 奔放で放埒で、自由闊達でありながら、驚くほど古風な要(かなめ)に君は律されている。いったい君は何者なのだと、私は時々思うよ、拓。いかな形であれ『師』の立場を選んだ人間なら、君の素直な感性を愛さないはずはない。輝くほどの美貌を持ちながら、君のまなざしは鋭くまっすぐで、類なく聡明なのだ。
 私が持っている知識や技術は、惜しみなく君に捧げよう。そのために私は君よりも、およそ三十年早くこの世に生を受けたのだ。ふたとせ前の今日、突然私の枝に舞いおりてきた君を、今宵は我が友レミ・マルタンとともに、追憶の館に誘(いざな)うことにしよう。
  空と水のあいだをば
  高き月下(げっか)に棹(さお)ささん。
  浮世を他所(よそ)にわが心
  汝(な)が瞳(め)のうちに忍びたり。            (アルベール・サマン)
 

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