【(Xー2)年九月一日】
スクール入校式。第五期生十六名入学。式は昨年と同じ、新高輪プリンスにて行った。
今期の新入生の中には、草月の傍流・香風(こうふう)の後嗣の塙(はなわ)という青年がいる。申込期限が切れたあとでかなり強引にねじ込まれたが、会えばどうということはない凡庸な若者で、おそらく三カ月もすれば姿を見せなくなるだろうと、私は密かに予想した。驚かされたのは、塙などではない。秀和(ひでかず)に拝み倒された例の青年だ。二十二歳・・・・この十一月には二十三歳になるという『彼』は、写真よりも数段優る、雅(みやび)やかな美貌でそこに立っていた。
「伯父貴好みのタイプだと思うぜ。いいじゃねえ一人くらい。入れてやってくれよ。」
秀和が私の手に写真を押しつけてそう言ったのは、七月の終わりのことだった。聞けば秀和がかねてより、懇意にしたいと切望している女子大生の、たっての頼みであるらしい。アルバイト先で知り合ったなどのいい加減な理由で、コネを振りかざされても困ると思ったが、私の心を動かしたのは、その写真の『彼』であった。キャンプに行った時のものだと秀和は説明したが、長髪の頭にバンダナを巻いて『彼』は岩場に立っており、釣り上げた大きな魚をこちらの方につき出して、緑濃い清流を背景に、自慢げにVサインを出していた。秀和の目は、確かであった。いったい秀和はいつ、私の『孤独』を知ったのだろう。彼は以前私に向かって、
「ま、人間、生き方はそれぞれだよ。俺、伯父貴の応援してやっからな。」
などと意味ありげに言ったことがある。大学卒業後はミュージシャンとしてやっていきたいという彼の希望を通すよう、妹夫婦を説得してやったせいなのか、あの甥はすっかり私を信頼して、伯父貴、伯父貴と慕ってくれる。
その秀和が、是非にと私を説き伏せた『彼』は、入校式が済んだあと、生きた現実の存在となって、私の前に姿をあらわした。理知的な額だった。まずそれに吸い寄せられた。白磁の額という美しい日本語があるが、君の額はまさにそれであった。さらり、と流れる黒褐色の髪を、束ねずに肩に下ろしていて、その髪は絹糸と称す以外に、何と呼べばいいのであろう。ただ美しいだけの青年なら、昨今は街にあふれている。君には、そう、華があった。犯そうとして犯しきれない、凛とした品格があった。
私は、当然ながら苗字で呼んだ。すると君はたちまちに、整った眉をくもらせた。
拓。
これからそう呼んでくれと、君は私に言った。いぶかしむ間も与えずに君は、
「遅くに入学を希望したのに、かなえて下さってありがとうございます。」
私の掌に右手を預け、軽く会釈し、笑いかけた。そして君は私の心の、人知れぬ淵に住みついた。
【(Xー2)年九月二日】
スクールの時間割は、大きく二つに分けてある。
生徒たちにはまず一年間、フローラルの理論と技術を学んでもらわなければならない。最初の半年で、ホリゾントやトライアングルといった、アレンジの基礎中の基礎を。あとの半年で、それらを応用した、その場その場にふさわしいデザインの選び方・組み合わせ方を学ばせる。趣味で花と係わっていきたいという一般的な生徒は、ここまでで約半数が卒業していくが、本格的にプロを目指す者については、二年目以降一年単位で、無期限に在学を延長していいことにしてある。もちろんこの二年生以上のコースが私のスクールの目玉であり、注目されてもいる創造部門・・・・『アレンジメント・ディレクティング』だ。
一年生の授業は火・木・土。こちらはほとんど講師たちにまかせている。私は月に一度か二度、教室に出てオブザーブするだけだ。二年目以降は月曜と水曜。そして金曜日には、フローラルに限らず広く芸術全般の香気を吸収するために設けた、『アメニティ・クラス』を開いている。文学・美術・音楽・舞踊、さらにグルメまで、質のよい本物の文化に触れて目と心を肥やすことが、何よりもアーティストには必要であると私は思う。アメニティ・クラスは毎週ではなく、原則として三年目以上の生徒たちのみ参加させているが、今年からは一年生であっても、プロ志望ならば参加資格を与えることにした。伊東君は内心反対の様子であったが、私は強引に押し切ってしまった。
そう。私は今から夢見ているのだ。
私には判る。君は、すでに輝き始めた原石なのだ。君のあのまなざしは、超一流のアーティストのものだ。深く、豊かにこの世を生きられる者だけが、持っている特別な光なのだ。日々大地を照らす太陽も、大空から吹き下ろす風も、全てが万物に平等であって、そこに分け隔てはない。違うのは受け止める側の人間の、心の琴線の精度なのだ。君の心が奏でるであろう音韻を、より高くへ、より豊かに、私はこの手で導いてやりたい。
教えることはたくさんある。君には日本有数の場所を経験させてやろう。この世界の佳(よ)きもの、佳きことをすべて、瑞々しく柔軟な、君の琴線に触れさせてやろう。君にはどんな花が似合うのだろうか。深紅の薔薇、純白の百合。おそらくは時おりおりに、いくつもの表情を見せるだろう君の、命そのものが私にとっては、いとおしい花になるのかも知れない。
【(Xー2)年九月二十八日】
今日は少し不愉快な思いをした。迂闊であった。落ちついて考えれば予測できたことである。
一年生のクラスには、趣味が嵩じて入学してきた奥様連が多く、男女の割も三対七と、圧倒的に女性が多い。彼女らは飢えた猿のように、たちまち君に目をつけて、気を引こうとあの手この手で、アプローチしている様子である。全くいい加減にしてほしい。私の教室は暇つぶしの社交サロンではない。安楽一辺倒の主婦業に生来の怠惰さを助長され、時間と金を持て余した女たちの、何と醜悪で見苦しいことか。
女から見ても、確かに君は魅力的であろう。美しさは全生物に共通だから、猿どもでも判るらしい。高すぎない身長と厚すぎない胸元は、年上の女には垂涎の的なのかも知れない。だが、繊細さというものを人生のどこかに置き忘れてきたような中年女の集団には、君が、きわめて紳士的に自分たちを無視しているのがどうしても判らないらしい。浜野夫人の化粧はこのところとみに毒々しい。君の隣に座ることがそれほど嬉しいのならば、皺の寄った目元を三人三様突き合わせて、ひそひそニヤニヤしあうのをやめろと私は叫びたくなる。あの端麗なる美貌を称して『可愛い』と言う、無知無能低俗の神経は何としても許し難い。腐肉の塊を思わせるあの女たちが、今後も君にまつわりつくようならば、それなりの対策を考えねばなるまいと、私はあれこれ思案した。
君自身が相談を持ちかけてくれれば対処しやすいのだが、君とは入校式以来、一対一の会話をしていない。そのうちに話をしてみようと思い、君の入学願書と、以前秀和に渡された写真をもう一度眺めてみて、私は今さらながら気づいた。君は典型的な東洋の美青年である。金髪碧眼の北欧とも、明るく情熱的なラテンとも違う。湿度高い極東の地、秘めやかにほの昏き翳を帯びて、遷(うつ)ろう季節が彩る国。黄色い肌と黒い瞳の、君は亜細亜の美青年なのだ。
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