【(Xー1)年九月二十一日】

 秋ひと日、今日は君と二人きりで一時間ほど過ごせた。…と言ってもティーサロンだが。先週のアメニティーで話題に上った、レミ・ド・グールモンが載っている詩集と、池坊本宗家直々の入門証とを、君に手渡すためだった。
 少しだけ、髪を切ったのだね。流れが微妙に違っていた。黒褐色と栗色の中間くらいの色は、多少カラーリングしているのだろうか。窓から差し込む逆光線の中、君の肩を撫でる絹糸を、私は身の竦む思いで見つめていた。初めて会った日に思った通り、何と美しい髪なのだろう。きりりと精悍に束ねたりルーズに縛ったり、下ろす時でも分け目を変えることで、君の美貌は幾通りにも変化する。
「ありがとうございます。お手数かけてすみませんでした。」
 君はテーブルの向こうで私に礼をした。
 グールモンの詩は、おそらく世界で最も多くの花々を謳い上げた名作で、上田敏の訳もまた、これに優るものはあるまい。池坊入門は私が勧めた。君もいよいよ二年目のクラスに進み、今後はアレンジメント・ディレクティングに本格的に取り組んでもらうことになる。ピカソのデッサンが精緻であるように、フォルムを崩すには確かな基礎が必要だ。華道は一通り理解して、身につけるのが望ましい。
「変なこと、聞いていいですか。」
 カップをソーサーに置き、君は言った。
「先生は、なんで、フローラル、やろうと思ったんですか?」
 こんなプライベートな会話は初めてだった。私は平静を装って、母が華道教授をしていた、その影響だろうと答えた。
「へえ、そうなんですか。やっぱり、池坊の。」
「うん、本宗家にはお世話になった。」
「じゃあけっこう偉い先生だったんですね。家元に近いってことは。」
「いや大したものじゃないよ。生徒は多かったがね。」
 君の一言一言が、私の胸にしみいった。他愛のない…だが何よりも、幸せな会話だった。私にとっては。
 

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