【X年十月八日(壱)】

 十時の新幹線で京都へ。
 昨日うちあわせをした通り、ホームで君と待ち合わせた。私が贈った深い苔色のスーツで君は、窓側の奥の座席に私を通してくれ、自分は入口に控えるように、通路の側に腰を下ろした。通りがかる乗客や売り子、車掌までもが君をちらちら見ていく。私の鼻は天狗のように高くなった。
 これから三日間を、君と共に過ごせる。君を想う私の苦しみに、気紛れな運命の女神は同情したもうたか。ひとときの夢の時間を、この日記に記しておこうと思う。誰に向けて綴るわけでもないが、女神の気紛れを私も真似て、お笑い草だが私小説を気取ってみようと考えた。偽りのない自分の心と向かいあい、君の仕種を書き留めておきたい。幸せな記憶のよすがとするために。
 
 京都駅に着くと、椎葉はホームに待っていた。
 今回のことは全て彼の肝煎りであると説明してあったから、君はホームに下りると深く礼をし、
「僕までご招待下さって、ありがとうございます。」
 と言った。君の腕を椎葉は、
「いやあ、ようおいで下はりましたなぁ。あんたはんの作品、ぜひ見せてもらいとぉて。」
 そう言いながら、叩くというより撫でまわすようにした。私はふと、嫌な気持ちになった。前に銀座で会った時、椎葉はしきりに君を話題にしたがった。才能ある若者として評価してくれるのはいいが、度の過ぎた興味を抱かれては困る。私は、車まで用意して案内しようとしていた椎葉に、「知人に会う用がある」と言って同行を断った。乗車券から宿の手配から、一切をやらせておいて不義理この上ないとは思ったが、日本美の宝庫であるこの街に私は、君の感性を磨きあげる砥石の役目を果たしてほしいのである。君が不愉快な気持ちになっては、ここへ来た目的はぶちこわしだ。椎葉の面目などよりも、私は数千倍、君が大事だった。
「そうどすか…。ほな先生、夕食はうちで場所、とらしてもろぉとりますんで、ホテルまでお迎えに上がらさしてもらいます。六時でよろしおすな。」
 さすがにそれまで断るわけにいかず、私は判ったと答えてタクシーに乗った。まずホテルへ行って荷物を預け、待たせていた同じ車に乗ると、運転手に再び行き先を尋ねられた。
「どうする、拓。時間があるからいくつかの場所を見て回ろう。どこへ行きたい。」
 私がそう言うと君は、えっ? と私を見て、
「知人に…ってさっき、おっしゃいませんでした?」
「いやあれは口実だよ。彼がいたんじゃ気疲れするだろう。君が行きたいところでいいよ。」
「行きたいって、急に言われても…」
「京都は初めてか?」
「初めて、じゃないですけど…修学旅行以来かな。」
「ああ、それじゃほとんど印象に残ってないだろう。そうだな、ここから近いところというと清水寺、知恩院、三十三間堂か。」
「はあ。」
「それとも金閣寺、銀閣寺もいいな。適当に回ってみるか?」
「うーん…」
 君は首をかしげ、
「一カ所だけ、印象的だったところがあるんですよね。」
「どこだ?」
「宇治の、平等院。あそこ行った時は、ちょっと感動しました。まだガキだったけど。」
 私は運転手に告げた。
「宇治。平等院へ。」
「はい、かしこまりました。」
 運転手は大きくハンドルを回した。
「修学旅行というと、高校の時?」
 尋ねると君は、
「まさか。中学のです。だから何年前だろ…。えっ、九年前?」
 そう言って感嘆の声を漏らした。君の世代に、その歳月は大きいだろう。十五歳の、まだあどけない君に、時を遡って会いに行きたかった。
 橋を渡ったところで私たちは車を下りた。川のそばはどこでも風が吹いている。君は額に乱れかかる髪を、いつものように首を振ってはねあげた。
「なぜここが、君の印象に残ったのかな。」
 ゆっくりと参道を歩きながら私は言った。君はまた首をかしげ、
「多分、その頃の目で見ても、綺麗だったからだと思います。」
「綺麗、か。そうだな。」
「よく『この世のものとも思えない』とか、小説に出てくるじゃないですか。そんなの大袈裟な例えで実際にはめったにあるもんじゃないけど、なんかそれが、ほんとに目の前に現れたみたいな…。『ああ、この世のものとも思えないっていうのはこれを言うのかな』って、そんなこと感じた記憶があります。」
 君の言わんとすることが、私にはよくわかった。平等院鳳凰堂。それはまさに、人知と芸術の粋をつくして創り上げられた、この世ならぬ荘厳の世界だからである。
 敷地内に入ると、空気が変わった。東面して建つ鳳凰堂を、まずは斜め前から見ることになる。大棟(おおむね)両端に一つがいの鳳凰を乗せた建物は、仲秋の午後の澄んだ日差しの中、透廊(すかしろう)を翼のように左右に張り出して、阿字ヶ池の水面に、堂々たる姿を映しこんでいた。
「この土地にこの寺を建てた藤原頼通は、あの道長の息子だったんだが…」
 私は、講釈臭くならないよう注意して、池を巡りつつ君に語り聞かせた。
「天才的政治家であった父親に比べて、頼通はあまりにも平凡な男だった。父親の死で彼は大きな支えを失うんだが、仏教の説く末法思想や、それを証明するかのような天災や権力抗争が次々と彼に襲いかかった。栄華を極めた藤原氏にも終わりの時がやってきて、頼通は多分、残された権力の全てを尽くし、都を離れた宇治の地に、この世ならぬ美の世界を創り上げたんだろう。彼は孤独で、不安だったんだ。この世に希望を失った者が、命懸けで描いた浄土世界。それが多分この鳳凰堂だ。昔、君の心をとらえたのも、もしかしたら単にこの建物が美しいからばかりじゃない。千年前にこの場所で、今の私たちと同じように、あの鳳凰を見上げていたに違いない頼通の、底知れぬ寂しさに感応したのかも知れないね。」
 建物の正面に立つと、満月のように丸くあいた格子欄間(こうしらんま)を通して、浄土にまします阿弥陀如来の慈悲深いお顔が見えた。
「あの阿弥陀仏が彫られたのは十一世紀だが、それまでの仏教は衆生を救うというよりも、国や権力を守るための、呪術的な性格が強かったんだね。それがこの頃になるともっぱら来世とか、慈悲慈愛、迷える魂を救済するといった、そういう教えに変わっていったんだ。だから仏像も当然、なつかしく優美な、いわば日本的な姿で造られるようになった。中国大陸の先進文化を必死になって取り入れていた日本が、いたずらによそを真似るのではなくて、じっくりと自分の内部でそれらを熟成させた結果が、この、四季おりおりの美しさに恵まれた日本特有の文化芸術を開花させたんだ。その頂点が平等院であり源氏物語であるというわけだ。君も知っているだろう、『もののあはれ』の芸術…。」
「ああ、はい、知ってます。」
「大陸文化には、この微妙な光と影の感性はないんだ。もちろん大陸文化なくしては、そもそも文字からして借り物なんだからね、和様芸術は発生しなかったろうが…。これはフローラルにも言えることだよ。大切なのは、新しいものを積極的に取り込む姿勢と、それらをただ鵜呑みにするのではなく、よく噛みしめて消化して、真に自分のものにしていく過程。この二つは何事にも、常にペアで必要なんだろう。古くさい伝統にはカビがはえるし、新しければいいと飛びつくのも愚かだ。この鳳凰堂のような日本文化の神髄と、それから、時代の最先端を行く新しい感性とが、君のような若い人たちの手で融合されて、創られていくのが望ましいと私は思うよ。」
 ぐるりと池を回って、私たちは建物に入った。中堂の正面から今度は逆に外の池を眺めつつ、君は言った。
「それって、知識と知恵ってことですか。」
「うん?」
「確か、瀬戸内…寂聴さん? がどこかに書いてたと思うんですけど、学校で教えることは『知識』であって、それをどう使うか、活かしていくかが『知恵』で、この二つは全く別のものだって。なのにその知恵を教える場所が、今はどこにもないんだって。僕、『今の世の中はぁ!』みたいな批判、大嫌いなんですけど、これ読んだ時はなんか、納得しました。」
「知識と知恵か。なるほどね。学校で知恵は教えない。うん、確かにな。子供に知恵を学ばせてやれるのは、学校というより…何だろうな。友達や仲間…それに親なのかなやはり。」
 私たちは中堂に足を踏み入れた。柔らかな衣をまとった丈六の阿弥陀如来が、二重の天蓋の下、螺鈿(らでん)をちりばめた蓮華座に座っておられた。平日の午後とはいえ、この国宝を訪れる人は後を断たず、瞑想にふさわしい静けさは、堂宇に望むべくもない。しかし、君はその時、いとも自然に両掌を合わせ、整った瞼を陽が陰るように閉じて、如来像の前に頭(こうべ)を垂れた。なぜか私は胸をつかれた。
 そう、私が君を、不思議な青年だと思うのはこういう時なのだ。仏像に手を合わすなど、馬鹿馬鹿しいと言って然るべきなのに、まるで当然のように君は、しずかな祈りを捧げている。綺麗に揃った指先を見つめながら私は、君もやはりこの世の悲しみを背負って、孤独と不安の中を生きているのかも知れないと思った。私は如来像を見上げた。飛雲(ひうん)、飛天(ひてん)をしたがえて、来迎まします大いなる慈悲に、私もまた掌を合わせ、君の将来を心から祈った。
 ふう、と息を吐いて、君が目を開ける気配がした。私はそれに合わせて合掌をほどいた。首を大きく反らせて、君は天蓋を仰いでいた。私は頭上を指差し、組入天井(くみいれてんじょう)のつくりを君に説明した。極楽には瑠璃色の宝池(ほうち)があって、五百億の宝楼(ほうろう)が立ち並んでいる。この建物はそのさまを、模して造られている…と、そう述べていると背後から、
「失礼やけど、もしかして、葛生先生やあらしまへんか?」
 枯れて静かな老人の声がした。鳳凰堂内部で名を呼ばれるとは思わなかったが、声の主は、以前本宗家の茶事でひとかたならぬお世話になった遼山(りょうざん)先生であった。今日はまたお供も連れずに、阿弥陀仏に会いにみえたらしい。ご無沙汰のおわびをし来訪理由を述べたあと、私は君を先生に紹介した。仙人めいた白髪に驚いていた君は、遼山翁(おう)の正面に直立すると、深く体を折って礼をした。
「私の生徒です。今回は助手ということで、一緒に来てもらいました。非常に豊かで斬新なものを持っている青年です。」
 翁はふんふんとうなずき、
「なかなか、ええ子、どすな。」
 相好を崩して君を見上げた。翁には失礼ながら老いれば老いるほど、君の、清潔感ある若々しさは好もしいであろう。翁は私にではなく君に向かって、
「うちへ、寄っておいでやす。庭の紅葉が綺麗やさかい。」
 そう言って阿弥陀仏に深々と拝礼し、私たちの前に立って歩き始めた。
 遼山翁のお住まいは、平等院から歩いて二十分足らずのところにある。私は道すがら君に、翁が裏千家の重鎮として現在も活躍中であること、茶人なら知らぬ人のない著名人であることを説明した。君は大きな目をさらに丸くして、
「そんなに偉い人なんですか?」
 息声で私に言い、少し曲がった腰でひょこひょこ歩いていく翁の背中に目をやった。茶人だけあって好みのうるさい遼翁に、君は一目で気に入られたらしい。
「おそらくお点前を頂けるだろう。ある意味名誉なことだよ。」
 私が言うと君は、
「ちょっ…待って下さいよ、僕お茶なんか全然…」
 遼翁の名を知らないのだから、それは当然だろう。
「やっべー…。嘘だろ…。」
 ぶつぶつ言っている君に、私は笑いながら言った。
「大丈夫だ。私のやる通りやればいい。先生は本物の茶道家だ。恥をかかせるような真似は決してなさらない。おそらくは遊びのお茶で…おうすにして下さるだろう。」
「オウス?」
「薄茶だ。気の張るお濃茶(こいちゃ)でなくてね。」
「はあ…。」
 枝折戸(しおりど)をくぐり、私たちは招き入れられた。翁の茶室は有楽苑如庵(うらくえんじょあん)にならったもので、市の重要文化財に指定されている。翁は母屋の座敷に私たちを通し、茶室の支度をするから待っていろと言って姿を消した。廊下から眺めやれる庭は、いずれ名のある造園家の作に違いない。何となく落ち着かぬげな君の気を引き立たせようと、私は廊下に君を呼んだ。君は鴨居に手をかけて、庭をゆっくり見渡した。日本家屋に立つと君の背はとても高く感じられる。遠くでししおどしが硬い音をたてた。君は目を閉じて、
「あの音…いいですよね。なんかこう、引き締まるみたいで。」
「そうだね。私もいずれは、こういうところに住みたいと思うよ。もっと歳をとって、スクールも何も、人にまかせて引退したらな。」
「そんな先のこと、もう考えてらっしゃるんですか?」
「いや、あくまで希望だよ。こういう静かなところで、土と風と太陽に感謝しながら、生きていけたらとそう思うよ。静かに穏やかに、清らかにね。」
 私は本心を吐露した。君はちらりと私を見た。
「先生は、結婚とかしないんですか。」
 突然思いがけぬ質問を向けられ、私はギクリとした。結婚。この私が? できるはずのない理由を君は、知りもせず知ろうともせず、これほど私を苦しめているのに。そんな自嘲の笑みをどう取ったのか、
「好きな人、いないんですか。あ、もしかして忘れられない人とか。」
 …君だよ、と。
 私は掃き清められた玉砂利を渡る、姿なき風に言った。
 やがて女中が呼びにきた。襖かげに膝をついて、ご案内しますと言う。付き従いながら私は思い至り、君に囁いた。
「お茶の席だ。髪はまとめた方がいい。」
「えっ?」
 君は問い返し、だがすぐに「はい」と言って、カフスに埋もれていた茶色いゴムをはずし、くるくると器用に絹糸を束ねた。
「これも、取った方がいいですか。」
 左耳を指して君は言った。そこまでせずともいいか、と一瞬迷ったが、
「そうだな。」
 答えると君は、シルバーのピアスを耳からはずした。
 ゆかしい作法に基づいて、私は茶室に身を進めた。君の真剣な目が見ている。私は一連の動作をなるべくゆっくりと行い、君が付いてこられるよう気を配った。竪琴を思わせる松風の音が、堂宇に似た四畳の間にしみいって、夕残会(ゆうざりえ)にふさわしく、席にはやつれ風炉に欠け茶碗が揃えられていた。煤竹の花籠には咲き残りの小菊が挿され、さながらの風に揺れているようだった。
 本物の茶人とは、いたずらに重々しい形式にこだわり、一握りの趣味人以外に扉を閉ざすような真似はしない。翁は、生まれて初めて茶の席に座る君を十分思いやって、緊張の中にも気の張らない、暖かな空気を作ってくださった。君は私のする通りに、茶碗を手のひらに包み、薄茶の泡を音たててすすった。ゆっくりと唇を離しながら、君の目は私を見ていた。それでいい、と私はうなずいた。髪を束ねてあらわになった白磁の額に、こぼれた一房が垂れていた。
「器を、よく見せて頂きなさい。」
 私は言った。君は、手にした茶碗に視線を落とした。茶の神髄は、小難しい作法にあるのではない。器を、風情を楽しむこと、主の心づかいを理解することにある。それを私は伝えたかった。
「先生の、大切になさっている品だ。今の季節にしか供さないものだよ。」
 君は目の高さに器をかかげ、下から覗きこもうとして、そこでくるりと底を返し、言った。
「これ…峯紅葉(みねのもみじ)の、うつし…ですよね。」
 遼翁と私は、顔を見合わせた。驚くべきご名答だった。仮に本などで『峯紅葉』の名を、それこそ知識として知っていたとて、実際に茶碗を手にしたとたん、すらりと銘が出るものではない。翁は「うむ」とうなずいて、
「『幣も取りあへず手向山』…どすな、葛生先生。」
 喉の奥で笑い、私に言った。ご自分の驚きも視野に入れた、当意即妙の『返歌』であった。先生は菅公の歌になぞらえて、君に兜を脱いでおられる。
『思いもかけなかった君の深い造詣に、今日はさすがの私も、何も返礼することができない。せめて季節が彩るこの紅葉を、はなむけとして受け取っておくれ。』
「おうらやましい限りどすな、葛生先生。珠のような素材を手にしてはる。心をこめて磨いておあげなはれ。この子は先生のご指南で、七色の光を放ちますやろ。いや、眼福眼福。」
 翁は、ほっほっと笑った。私は頭を下げながら、そういえばと思い返していた。作品発表会で『黒曜』を使わせた時、君は私が説明する前に、花器を見るなり値打ちを理解した。やきものの良し悪しは理屈ではわからない。上質品をよほど身近に、使った経験なくしては…。
 遼翁は君に、もう一服をたてて下さった。茶道の神様が素人に、そこまでするのは珍しかった。君は正座の膝に両手を置いて、翁の茶筅(ちゃせん)さばきを見つめていた。先ほどまでの緊張感は消えていた。君はこの場を楽しんでいた。
 迫りくる黄昏の中、私たちは遼翁ご自慢の庭を見せてもらった。翁の言葉通り、紅葉(もみじ)は今を盛りと色づいて、遣水(やりみず)のせせらぎを緋色の小舟が流れ下るさまは、まさに一幅の錦絵であった。
「うつろいかわる四季の姿が、日本美の根源なのだとつくづく思うよ。」
 飛び石を渡りながら私は言った。石灯籠やつくばいの茂みに炎のかけらは舞い落ち、君の肩にもはらはらと降りかかった。
「春の桜、秋の紅葉。繰り返される生と死を、そのまま描き取ったような自然だ。輪廻を彩るそれぞれの命は一瞬であっても、命の鎖は途切れることなく、次の春へ次の秋へと繋がっていくんだね。」
「輪廻、ですか。」
 君は言い、紅葉の枝を見上げた。命の最期が血の色に染まっていた。時を超えて、いにしえの御所に、たたずむ君を私は思った。女御更衣あまたさぶらひける中に、憧憬の全てを一身に集めた美しき貴公子。髪を結い上げ冠を戴き、広い袖を秋風にそよがせて、御所の奥庭をさまよっている。熱い視線と、きりもない噂。女たちの涙と男たちの陰謀の、渦巻くかの世を生きた青年は、何と君に似ていることだろう。さらり、と衣を鳴らしてきざはしに腰をおろし、みちのくの薄様紙(うすようがみ)に走り書く後朝(きぬぎぬ)の歌。秋風に誘われて吹き奏でる横笛の、夢うつつなるめでたき調べ。
「展示会の、作品なんですけど…」
 モスグリーンのスーツの貴公子は言った。
「なんとか創れそうです。なんか、見えてきたって気がします。なんていうか、こう、『秋』そのものの姿…みたいな。」
 肩に散りおちたひとひらの紅葉を君はつまみ上げ、指先でくるくる回して、たわむれにそれを耳に挟んだ。何という妖艶。みやこの姫をさらっては、なぐさみものにしていたという酒呑童子(しゅてんどうじ)も、この美しさには肝を奪われるに違いない。いつの世に生まれていたとて、君は誰をも魅了するだろう。輝く秋の錦に抱かれ、君は今の世を生きていた。
 

その15へ
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