【 TK本編あとがき その1 】
 
東京都中央区。銀座通りの1丁目。コージーコーナーの並びに、ハンブルク(ハンバーグ)ステーキの専門店があります。木村智子は学生時代そこでアルバイトをしていました。忘れもしません、夏の甲子園で、木内監督率いる取手二高が、桑田・清原のKKコンビを下して優勝した、あの頃の2年間です。私はアルプスの少女ハイジさながらのユニフォームを着て、フロアを走り回っていました。
この店のマネージャーは、みんなに裕(ゆう)さん裕さんと呼ばれて慕われていました。元は船乗り。痩せて小柄で猿みたいな風貌で、おっちょこちょいで字が汚くて、彼が書いたオーダー伝票は読みにくい。
でもすごく話のわかる、剽軽な面白い人でした。そうです久さんのモデルです。
裕さんと私はメッチャ気が合いましてねぇ。「裕さーん!」「姐御―!」と呼び合いながら(寿司屋か?)お皿を運んでおりました。
そこはけっこうテーブル数の多い店でした。4人掛け2人掛け、6人掛け…テーブルの種類っていろいろあるじゃないですか。レジ前に「お待ちのお客様」が溜ると、空いたテーブルの大きさに合わせて、順番を多少変えて頂かなきゃなりません。次の“お待ち”は4名様でも、2人掛けのテーブルが空いたら、後のお2人様を先に通す、とかね。
…で、空いたテーブルを私が急いで片づけて、レジにいる裕さんに、
「4名様どうぞー。」
とかって言うじゃないですか。そうすると裕さんの応えが、
「はい、では6名様ご案内しま〜す!」
「違うっ! 何聞いてんですか裕さんっ! 座れません! 4名様ですってばっ!」
どうぞと言われた6人グループ、うろうろしちゃって(笑)。日曜なんか、すごく混むと裕さんは、
「おあと“お待ち”は4名様・2名様・4名様、えーとそのあとはもう知らないー!」
なんてね、言うんですよ大声で。お客さん笑ってたなあ。じゃなきゃねぇ、ホールから厨房に向かって言うの。
「はいっ、おあと“お待ち”が1000名様でーす!」
「そんなに入れるかいっ!」
コックさんたちも大笑いでね。楽しい店でした。
一番おかしかったのが、“ライスかパン事件”! 『TK』からどんどん離れますね…でもこの話は面白いから、どうせなら小説形式で行きましょう!
 
…その店のランチにはパンかライスがセットになるのだが、京橋に近いこの店はビジネスマンの客が多く、8対2の割合で、パンよりライスが好まれる。
ライスは二升五合の大釜で炊き、これに、といだ米と水を入れるのはコック、客の流れを見て炊飯スイッチを入れるのはホール責任者(つまり大抵は裕さん)、と役割分担が決まっていた。
おっちょこちょいの裕さんは、三連休の真ん中というどう考えても忙しい朝、今日に始まったことではないがスイッチを入れるのを忘れてしまった。ホール係がそれに気づいたのは、午前10時50分。11時の開店まで、もう10分しかなかった。
「裕さん―――っ! メシ! 炊いてねぇっ!!」
バイトヘッドの吉井(仮名)が叫ぶ。黒服に身を包んで、フンフン歌いながら蝶ネクタイなんぞを締めていた裕さんは、なにっ、と血相変えて飛んできて、
「あっらー。こりゃヤバ! ライス、炊けてないじゃないのよ!」
「ないのよじゃねぇっ! どーすんだよランチタイム!」
裕さんは少し考え、
「仕方ない。…吉井! 隣りの店からメシ分けてもらってこいっ!」
「やだよ俺!」
「何がやだよだ。俺みたいなおじさんが行くよりも、ああいう女将さんに頼むなら、ピチピチしたお前みたいな若者がいいんだよ。」
裕さんは、赤ん坊だったら3人は入りそうな巨大なステンレスのボウルを持ってきて吉井に渡した。
「こっ、こんなに貰ってくんのかよ! あっちだってメシは貴重なはずだぜ!?」
「なあにただで貰って来いたぁ俺も言わない。ちゃんと米、持ってってやれ。借りは作るな。」
「米よりライスが貴重なんだよこの時間帯は…」
「やかましいっ。ホラこんなことしてる間にどんどん時間がたっちまう。文句言わんと行ってこいっ!」
「やだなぁ、みっともねぇよぉ…。『おたくの店お米も買えないの?』って言われそうだよ…」
「そしたら『そうなんです、ううっ』って泣きくずれてこい!」
吉井は渋々出て行った。裕さんはアルバイターたちを集合させ、
「みんなっ、かくかくしかじかで今日はメシが足りない! 今、吉井ちゃんが、恥を忍んで物乞いに行っているが、ランチに十分な量はおそらく確保できまい! さっきスイッチを入れたから、炊き上がるまで約40分! その間をしのげばあとは大丈夫だ。…そこでだな。ランチのオーダー取るときに『ライスかパンは?』って聞くな! 黙ってパン持ってっちまえ! なに判りゃせん判りゃせん!」
「えー、でも、『ライスにしてね』って言われちゃったらどうするんですか?」
「嫌な顔をしろ!」
「そんな無茶な…」
「とにかくなるべくライスは出すな! いいなっ!」
開店時刻になり、続々と客がやって来た。
バイトたちは裕さんに言われた通り、いつも必ず口癖のように聞いている『ライスかパンは?』の問いかけを、決してしないようキモに命じていた。
吉井は隣のおかみさんに笑われつつも人ンちの釜のメシを貰ってきて、それを保温用のジャーに移した。
ざっと見て10人分くらいしかない。なるべくふわっとよそえば、12人くらいにはなるかなぁと、熟練の腕で吉井はそれを皿に盛っていた。
「はいニューオーダー。パピヨットコース・スリー!」
裕さんは元気に伝票を読み上げ、ジャーに手を入れて、
「うまい! うちよりいい米使ってないか隣。」
「貴重だっつのに食うな――――っ!」
ホールはどんどん混んできた。バイトたちが走り始める。歩いていては間に合わないのだ。それくらいの席数がある。
智子はあるテーブルに、食後のコーヒーを出していた。背後に裕さんが立っていて、彼はそのテーブル客からオーダーを聞いていた。
「えーとね…羊の蒸し焼きギリシャ風と、クリームシチューと、季節のフライ盛合せと、ジャーマンステーキね。」
裕さんは伝票に記入しつつ復唱する。
「はい、羊の蒸し焼きギリシャ風と、クリームシチューと、季節のフライ盛合せと、それにジャーマンステーキですね。」
「ええ、そう。」
「―――ライスかパンは?」
ゆ、ゆ、ゆ、裕さんっっっっっっ! あんた、あんた自分で言っといてぇ!
彼は伝票を持って厨房の方へ行き、
「ニューオーダー入りまぁす!」
声高らかに読み上げると、伝票をピシャッと吉井の胸に押しつけた。
「ごめん。俺、取っちゃったみたいね。ここ4つ、全部ライスだってさ。」
「くそおやじ――――――――――っ!!!!」
 

あとがきその2へ
インデックスに戻る