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【 第1回 】

「はい、えー皆様お元気でしたでしょうか八重垣悟です。えーこのたびですね、以前より予告申し上げていた『砂の器』座談会…『Le bol de sable (ル・ボル・ド・サーブル)』を、いよいよ開始しようということなんですけれども、まぁこの座談会は、いつの間にかこのサイトの名物企画のような位置づけになりまして、楽しみにしていますというメールを山ほど頂いているようなんですけれども…はい。」
「そーなんですよそうなんですよぉ。ホントはねぇ、4月8日から第1回めを始められればと思ってたんですけどねー! 予定通りに進まないのが人生の面白さだとか何だとか、1か月以上遅れてようやく第1回のUPにこぎつけました。ども。ご無沙汰ぶりです木村智子です。ぺこり。」
「何だか忙しいみたいじゃないですか最近。今こんなことしていていいんですか?」
「いいんですかって改めて言われてもなー。いやマジ忙しいよアタシはホントに。ちょっとハンパじゃなく忙しい。だけどね、だからってズルズルズルズル先送りにしてると、第1回の開始が冗談ともかくアテネ明けになりかねない。だからとにかく出来る限りのエンジンを回して走り出してしまえと。そんな覚悟でスタートしちゃったんですね。ええ。」
「そうですか。どうも一抹の不安がぬぐいきれないんですけれども…。でもまぁね、考えてみればいつだってこの座談会は、ヒマな中でやったことなんてありませんからねぇ。」
「そうそうその通り! むしろ忙しい時の方が人間、効率的な時間の使い方ができてたりするからな。ヒマな方がボーッとして無駄な時間を費やしたりして。」
「まぁ見切り発車というのも決して褒められた話ではないんですけれども、何とかできる限りのスケジュールを調整して、やってみることにいたしましょう。ね。はいそういった訳ですから、いつにも増してさくさく行かないと駄目ですよ。どうも余計な話ばかりして時間を食うんですからこの座談会は。」
「ところがどっこいハッケヨイ。本題はともかくアタシと八重垣のトボけた掛け合いが面白いってご意見もたくさん頂いてるからねー。そう簡単に余計な話を省く訳にもいかないんだなこれがな! ああ自己矛盾自己矛盾。セルフ・コントラディクション。えらやっちゃえらやっちゃヨイヨイヨイヨイ♪」
「はい手だけで踊らない踊らない。鼻の下にツマヨウジをはさまない! ほら刺さったでしょう血出てますよ?そこ…。この座談会はラジオと同じで画はないんですから、そんなことをやってもウケませんよ。さ、では早速とりかかりましょうか。『The story of the Last Symphony』 という格調高いサブタイトルを与えられたドラマ 『砂の器』、その第1回めです。どうぞ。」
「しかしこれもさぁ、格調高いんだか何だか判んないけどラスト・シンフォニーなんて副題がついてるから混乱するんだよ。シンフォニーじゃねっつの、コンチェルトだっつの 『宿命』 は。何を間違ったかどっかの掲示版に『ピアノ交響曲』なんて書き込んでる奴いたぞぉ? どんな曲やねんそれ。存在せんちゅーの。」
「はいはいイントロ前からクレームつけないで下さい。順に語っていきましょう。」


【 オープニング・イマジネーション 】
「ここはもう嫌というほど事前番宣およびスポットCMで見せられたシーンですけれども、今になって見返してみるとあれですね、これは 『宿命』 のコンサート直前に亀嵩を訪れた和賀が、いずれ今西に逮捕されるであろう覚悟というか、決意を固めるシーンでもあったんだなと納得できますね。」
「そうだね、そう考えるとピタッと嵌まるよね。テロップも 『2004年3月』 とはっきり断っている訳だし。てゆーかまぁこの短いワンシーンは、TBSに棲息するバリ中居ファンなドラマ班が得意とする、いわゆる象徴映像なんだと思うけども。苦悩する和賀と、それを受け止めるあさみと…。」
「ええ。幾度か挿入される遠い日の父親と自分の映像が、和賀という男の心の底…いや魂の根底・背骨の髄に、焼きついている原(げん)風景なんでしょうね。そのことをこのドラマは、オープニングのこの場面でちゃんと語っているんです。」
「でねー。実はアタシねぇ、DVDならではの細かいスローや早送りを駆使して、このオープニング・シーンの絵コンテ作ってみたんだよホラホラホラ! 全55カットの全シーンさぁ!」
「絵コンテってあなた…忙しい…んじゃなかったんですか智子さん? なのにこんなものを書きながら、見返していたんですかこのドラマ!」
「いやいやいやいや、ちょっちねー。このシーンを何度も見ているうちに、ついついやりたくなってきてさー。ドラマっつぅのはあれだよねー、役者の演技というよりは、こういうカメラ割りいかんによって出来・不出来が決まるんだよねぇ。場面場面をどう撮ってどうつなげるか、左からか右からか上からか、長くか短くか…。そういう演出アンド編集テクによって、シーンの雰囲気は全然違ってくると思うもん。」
「それはそうでしょうけれども…。へぇぇなるほど…。このシーンはこういうカット割りになっていたんですねぇ。」
「そうなのさぁ。まぁせっかく追ってみたことだし、どうせだから表にしてみようか。んね。オンエア・タイムはたったの4分間だったこのシーンが、ワンカットごとにどういう構築で成り立っていたのか、じっくりみっちり見てみるのも楽しいと思うよ。この座談会でも初めての試みだ。」
「そうですね。はい、ではそういう訳でこのシーンを表形式にしてみますので、皆様も脳内スクリーンに映像を再映写してみて下さい。」

黒一色の画面、白ヌキで 『2004年3月』 の文字。文字が消えて黒だけになったところに波音がかぶる。
灰色の海岸。画面を横切る流木の上に3つ並んだ砂の器。バックは波。左から和賀の足がフレームイン。
海に向かって立つ和賀の背中、黒いコートの上半身。両手はポケットの中、視線は足元に。
右方向からのロング。黒とグレイの絵具を流したような曇り空の下、広い海岸にひとりぽつんと立って海を見ている和賀の全身。
流木の上の器、3つ。
5にオーバーラップして、紺碧の海と茶色い砂丘の映像。舞い上がる砂吹雪に打たれて歩く小さな人影が見える。風音が鋭い。
6の映像に和賀の背中がオーバーラップ。彼の向こうに白い波頭。
3つ並んだ器。
器ぐっとアップに。一番左の1つがボロッと崩れ始める。
10和賀の横顔、目元のアップ。眉がかすかにピクリと動く。まばたきして一度目を閉じ、うつむいたあとゆっくり仰向く。
1110の背後からのショット。顔を仰向けた和賀の後ろ姿。寄せては砕ける波、悲鳴にも似た風音。
12茶色い砂丘の光景。小さな人影は2つだと判る。
13横顔の和賀。目をあき視線を遠くに投げる。
14遠い人影、少し近くなってはっきりし、本浦親子であることが判る。
15和賀の横顔。遠くへ投げていた視線を足元へ。一度目を閉じ、開いてまばたきして、ゆらりと身を屈める。
1615からの流れで和賀の全身ロング、カメラ位置は4と同じ。和賀はその場にしゃがむ。
17しゃがんだ姿勢で遠くを見る和賀。うなだれて視線を少し右へ落とし、同時に右手を動かす。
1817からの流れで和賀の右手アップ、すっと下へおりる。砂地に触れそっと撫でてから指で砂をつまむ。
19しゃがんでいる和賀、砂に触れる右手のあたりを見ている。
20揃えて伸ばした指先で、丁寧にいとおしむように砂を集める。ぎゅっと指を曲げ砂を掴み、サラサラとこぼしながらその手を上げていく。
21和賀のアップ、逆光。砂の落ちるサラサラという音が続く。
22手の中の砂。親指でざらつきを確かめるように。
2321と同じアングルのアップ。やがて何かに気づいたようにハッと目を上げる和賀。『宿命』のメインテーマがチェロで始まる。
24手のアップ。指の間をすべりおちる砂。
25サラサラと僅かな砂の流れの向こう、ぼんやりと白い人影が見える。やがてフォーカスが合っていき影は輪郭を結ぶ。人影は白いコートのあさみ。波をバックに歩いてくる。
26屈んだ姿勢のまま彼女を見つめる和賀。
27さらに歩いてくるあさみ。
28見つめていた和賀はゆっくりまばたきして目を伏せる。
29手の中の砂、すっかり流れおちる。
30近づいてくるあさみ。
31屈んだままの和賀は自分の足元に目をやる。
32和賀の手のアップ。20より早い動きで砂を一掴み掬い上げる。親指で感触を確かめつつ立ち上がる手をカメラが追う。
33オレンジの夕陽があたかも和賀の手の中に包まれているようにオーバーラップする。その瞬間から『宿命』のメロディーにピアノ伴奏が加わる。手の映像はフェイドアウトし夕陽がはっきり姿を現す。
34再度、夕陽は和賀の手の中へ。こぼれ落ちる砂がオレンジ色に透けて光る。右側からあさみの左手がフレームイン。和賀の零す砂を掌で受ける。
35真横からのアングルで2人の腕。左に和賀、右にあさみの手がある。画面中央で両者は上下に重なり、零れる砂の距離を狭めつつ触れあう。砂はあさみの手を経て流れ落ち、彼女は掌を和賀の手の甲にぐっと押しつける。
36あさみを見る和賀のアップ。頬の輪郭が明るいオレンジに縁どられている。
37あさみも和賀を見る。
38和賀はやがて目を伏せ、もの言いたげに軽く唇を開く。
39あさみも目を伏せ、視線を下へ。
402人の手のアップ。
41あさみ、その手を見つめる。
42手のアップ。和賀、あさみの指先を握る。あさみの手は下から和賀の手を包むように。
43向かいあう2人の半身を横から。背景は波。重ねた手を見ていた2人の視線が、やがて互いの正面で出会う。
44微かに微笑む和賀のアップ。
45見つめるあさみのアップ。
46和賀、目を伏せる。深めにうつむく。
4746で伏せた視線を再び上げるタイミングで、手のアップへ。握りあう訳ではなく、しかし触れあいは深い。
48あさみの切なげなアップ。まばたきをして、視線を下へ。
49和賀、うつむき加減に微笑むアップ。伏せていたまぶたを、にっ、と笑って上げる。
50あさみも目を上げ、ふと和賀の背後の何かに気づく。
51微笑んだまま和賀はあさみの変化に気づき、彼女の視線を追うように振り向く。
5251の逆カメ。振り向いた和賀。彼の左側に寄り添うようにあさみ。2人の顔に夕陽が当たる。『宿命』はオーケストラのメインテーマに。和賀の視線はカメラに向く。
53砂浜のロング映像。左奥に燃える夕陽、手前に佇む和賀とあさみ、そして浜辺を歩いていく本浦親子。
54歩いていく親子の背中に海岸の風景がオーバーラップする。夕陽は秀夫の頭の位置。手前に砂の器。やがて海岸の映像は消え、親子の後ろ姿と器だけになる。ヒュウウと鋭い風の音。
55親子の輪郭がぼんやりし、夕陽は滲み、画面右上に白くタイトル『砂の器』。その下に小さくサブタイトル、『The story of the Last Symphony』。風に吹かれ崩れ散るように文字は飛び、暗転。

「…とまぁこんな感じなんだよこのシーンは! こうして見ると細部に至るまで実に細かい演出がちりばめられているのが判るよねぇ。」
「第1回めの演出は、確か福澤さんでしたっけ?」
「そうそう。エンドロールのスタッフ名がそうなってた。―――と言ったところで思い出したけど、最初に1つお断りしておくことがあったっけ。えーとですねぇ、この座談会をやるに当たっては、ヨソ様の意見に左右されることのないよう、公式BBSを初めとするドラマ系サイトには一切お伺いしておりませんワタクシ。もちろんファンサイトの掲示板とかで、感想の書き込みがあればどうしても目にしちゃいましたけど、それ以上のものは敢えて読んでおりませんので、これから先イロイロと申し上げることは全てオリジナルの意見でございますハイ。ダブっていたとしても偶然です。」
「そういえば公式BBSの方も、相変わらず賑やかだったみたいですね。制作側にしてみればあの場所は、リアルタイムに反応が判って嬉しいんじゃないですか? そもそも視聴率なんていったって、集計対象はたかだか千軒足らずなんでしょう。インターネットで集められる意見や感想の方が、数的にははるかに多いんですから。」
「うーん…。ただネットに書き込む視聴者というのも、質的には相当偏ってるだろうからね。ネットの意見が全体の意見、一般視聴者の意見だと思うととんでもない間違いをしでかすと思う。ネット上の意見は『熱烈なる少数派』にすぎない。あくまでも全体の一部であり特殊なものだと、捉えるのが正しい気がするね。」
「どちらかといえばマニア系ですからね。まぁそれはいいとして、せっかく絵コンテまで作っちゃったんですから、このシーンについてもう少し掘り下げてみませんか。」
「そうだね。カットごとに流れを追いながら見てみますか。えーとまず印象的なのは、この海岸の光景というか風景かな。なんかこう空が、太古の色をしてるんだよね。たちこめる暗雲と荒々しい風と。それらは和賀のこの時の心情であり、これまで生きてきた人生の風景でもあるんだろうね。」
「文学的ですねぇ。確かにこのシーンには、情感の密度の高い、ぎゅっと濃縮された意気込みのようなものを感じますね。スタッフも舌なめずりしながら撮っている気がします。」
「最初にアップになるのは和賀の目元じゃんか。でもってその直前が何かというと、砂の器がボロッと崩れ始める映像なんだよね。和賀はそれを見て、ぴくり、と微かに眉を動かす。壊れ始めたこの器は、和賀の運命の急展開を表してるんだろうなー。さらに次のカットで和賀は、砂浜の砂に手を伸ばして表面を撫でてから、指で少し掬い上げるんだけども、ここんとこで中居さんの右中指の第一関節が不自然に膨れてるのが痛々しいよなぁ…。やっぱり骨折は骨折、完治するにはかなりの時間がかかるんだよね。」
「でもおかげでどのシーンでも、ああこれは中居本人の指だなってすぐ判りましたけれどね。」
「それはあった。だからリアルでゾクゾクしたねホントに。手フェチにはマジたまらんたい。」
「そういうものなんですか。へぇぇ(笑)」
「んでそうやって砂をひとすくい掬いあげた和賀の手のアップと、彼の顔のアップがほぼ交互に表れるうち、画面にはヒロイン・あさみが登場してくるという流れなんだけどさ、和賀があさみに気づいてハッと目を上げたところから、『宿命』 のBGMが始まるのがすごくいいと思うね。」
「チェロなんですよねここのBGM。ピアノじゃなくて。」
「そうそうそうなのそうなの。番宣その他をぬかして考えれば、このドラマを見た人が最初に耳にする『宿命』の旋律って、チェロが奏でてるんだよね。ピアノコンチェルトなのにピアノじゃないの。」
「艶やかな音ですからねチェロは。まぁこのドラマにおいてピアノは和賀の象徴でもありますから、あさみの登場に重ねる旋律は、チェロがいいということになったのかも知れません。」
「ピアノが入るのはそのあとだよね。和賀の手と夕陽が、ぴったりオーバーラップするカットから。和賀の手の中からさらさらと砂がこぼれ落ちる、その手にまるで光の珠のように包まれた夕陽…。そのカットで初めてピアノが聞こえるのがいいよねー。まぁもっとも主旋律じゃなく、ここでのピアノは弦の伴奏。ピアノがメインテーマの主旋律を奏でるのは、この第1回めのラストにおいてなんだけどね。」
「本当に細やかな演出ですねぇ。和賀の心情を言葉でなく、表情と映像と音楽で表現した実に文学的なシーンです。」
「またここであさみの手がさ、和賀の零す砂を受けとめながら、こうやってすう…っと下から彼の手に触れるのがいいよ。あさみの手が触れた瞬間和賀は彼女を見るんだけど、そこで彼の頬をふちどる光がオレンジ色に変わるんだ。そのあと和賀が微笑むカットも、画面の光はオレンジ色なんだよね。つまり孤独な和賀の心に、いくばくかの暖かいものを流しこんでくれたのはあさみであるという表現なんだろうね。もちろん和賀がこの浜辺にやって来たのは、物語世界においては現実なんだとしても、あさみと本浦親子の方は象徴というかさぁ、和賀の心に映った風景。このシーンは要するに、和賀の過去と現在を投影した心情風景なんだ。」
「うーん…。ただ僕は個人的に、あさみにはこの時ここに来てほしいですけれどね。事件当夜蒲田で和賀に会ったことを今西に証言した彼女は、そのあと和賀の失踪を知ってこの地へやって来るんです。で、この海岸で和賀と会い、無言の会話を交わすんですよ。」
「ほっほー。さすがはフェミニストの八重垣クンらしいロマンチックな解釈やねー。うんうんそれもアリだよね。ただこのシーンの和賀は、あさみの視線を追うように自分の背後を振り返って、そこに本浦親子を…すなわち現実には存(い)るはずのない昔の自分と父親を見つけるんだから、どこまでが具象でどこまでが心象なのか、そのへんの解釈にはけっこうバランスが必要だと思うけど。」
「いえ僕が思うに、あさみが気づいたのは和賀の背後に沈もうとしている夕陽なんじゃないですか。夕陽の前を鳥がよぎったか何かして、彼女はふっと視線を上げたんです。で振り返った和賀は、その夕陽の日輪の中に、はるか過去の自分の姿を見たんですよ。いやもしかしたらあさみも、遠い日の自分と母親が手をつないで歩いているシーンを見ていたのかも知れない。そういう風になりたかった、幸せな家族の映像を。」
「うんうんうんなるほどなー。あんたプロデューサーになっちゃえば八重垣。実に美しい解釈だ。うん。」
「いえいえそれほどのことは。僕は単に僕なりの考えを言っただけですから。」
「こっちもお世辞だいね。だいいちプロデューサーなんてアンタ、女優とのツーショットを撮られたくないアイドルのために、後部座席からこうやってずーっと顔を突き出してなきゃならんっちゅう仕事もあるんだよ? 大変な激務だぁな。やめときやめとき。―――えーとだからそれで何だって? 要するにオープニングのこのシーンは、物語全体のイントロダクションにふさわしい象徴性に満ち満ちていたってことだよね。見る者の解釈によって自由に膨らますことのできる、射程距離の長いイメージ映像。それをこうやって冒頭に配して、物語全体を俯瞰し意味深に提示することによって、見る者にドラマのこれからをあれやこれや想像させる。そんな効果を狙ったんじゃないかと思うね。」
「ええ、確かにそうなんですけれども…。くどいですが僕的にはもうちょっとやっぱり、あさみに存在価値があってほしかったですね。もったいないですよ、せっかく松雪さんこんなに綺麗なのに。」
「ああねぇ。あんたはこのタイプ好きよねぇ八重垣ぃ?」
「いやそういうことではなくてですね、このオープニングの位置づけから考えれば、あさみというキャラクターにはもっともっと活躍の場があって当然だったんではないかと…。」
「まぁ使いきれずにもったいないことになったキャラクターが、このドラマには山積みになってるからねぇ。その筆頭が関川だよ。それに麻生と。せっかくいい役者さんをキャスティングしたのに活かしてない。やっぱ途中で大きな方向転換してると思うよこのドラマ。恋愛風味をモロにバサッとカットしてサスペンス1本で行ったというか。まぁそれが成功したかどうかは一概には言えないけど、たださぁ、私が思ったのはね? 和賀を本当に救えるものは、あさみという生身の女性じゃあないんじゃないか?ってこと。和賀の全てを理解し包み、愛してくれる唯一のもの…。それはあさみでも綾香でもない、ピアノなんじゃないの。生身の女に和賀は、救いも癒しも求めなかった。そこが直江庸介と和賀英良の一番大きな違いだと思うなー。」
「ストップストップ、ちょっと待って下さい。それじゃあまりにも話が先走りすぎです。そのあたりはこれから順に、場面に応じて掘り下げていきましょう。そうじゃないと第1回だけで3日3晩語りつくすことになりますよ。」
「おおそりゃいかんいかん。考えてみりゃまだ最初のワンシーンすら語り終えてなかったんだね。あたしゃまたもう半分くらい進んだかと思ってた。」
「とんでもないですよ。全体をリンゴとすれば皮を舐めたくらいですまだ。」
「そっかぁ。リンゴってさぁ、よく洗わねーと皮が渋いんだよねー。」
「いやそんな話はもういいです。ちょっとオープニングに時間とりすぎてますんで、いささか先に進まないと。えーっと、あとは何かこのシーンで言いたいことはありますか。」
「えーっとあとはねぇ、…そう、どうしても言いたいことが1つある。このドラマをワタクシ、レートいくつで録画すべきかは大いに悩んだところなんですけど、結論として6.0で録りまして、普通にプレイリスト編集してからRに焼いたんだけども、DVD−Rって規格の違いで前後のフレームがカットされずに微妙に入っちゃうんだよね。それを防ぐにはRに焼く前にいったんHDD内でレート変換ダビングしとけばいいんだけど、まぁまぁそこまでは…と思って普通に作ったら、オープニングの2〜3フレーム前にさぁ、時報にカブッてきっちり 『CASIO』 の文字が入ってやんの。直前のコマーシャルがそれだったからね。だからこの記念すべき第1回をアタマっから再生しようとするたんびに、あたしゃCASIOの文字を見ちゃうという、『白い影』 でビルの谷間をせり上がってきたネットワークプリンタと同じくらいウザいことになっとるよ。ッたく和賀と一緒に永久保存しちゃったじゃねーかよCASIOぉ。もう二度と忘れないメーカー名だ。チッチッチッ。」
「そうですか、それはよかったですね。CASIOさんもさぞや喜んでくれるんじゃないですか。」
「だと思うよ。実に有意義な広告宣伝費だったと思う。うん。…ま、そんな話はいい加減にするとしてだ。」
「こっちのセリフですよそれは。」
「番宣スペシャルだったか何だったかでやってたけど、『夕陽ヶ浦』 とかいうんだっけ?この海岸。日本でも有数の夕陽の名所だみたいな話をどっかで聞いた記憶があるけどさ、それは違うよ福澤さん。日本一夕陽が綺麗なのはね、茨城県取手市の利根川の土手です。鉄橋の向こうにゆらゆらと沈む夕陽が、一面のクローバーを薔薇色に染めあげてだねぇ、…」
「はいじゃあ次いきますよ。いいですね。利根川の土手の話は 『兄さん』 にある通りということで。」
「まぁそういうこったな。はいはい。」


【 横浜・ホール前 】
「やれやれやっとシーン2に進めたよ。ほんにあんたは話が長いんだから、八重垣。」
「…ぼ、僕ですか!?」
「そうだよ。ッたく何時間かけてるのさぁオンエア4分のオープニングに。まぁまぁこのあとは多少スピードアップして、さくさく行きましょうや。んね。…えーっとそれでここの映像は、ヘリから撮ったとおぼしき夜の横浜上空に 『2004年1月4日』 と白ヌキのテロップが重なって始まる。聞こえているのは、ピアノコンチェルトといったらまずこれでしょうという超有名曲・チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番だ。」
「これは名曲ですからね。同時に難曲でもあります。誰でも弾けるのは第1楽章の最初の16小節くらいでしょう。ダイナミックではありますが、あそこだけ基礎和音ですから。」
「ああ、あの左から右へジャン♪ジャン♪ジャン♪ ジャン♪ジャン♪ジャン♪てやるとこね。そうなんだってねー。オーケストラが絢爛豪華に主題のメロディーを奏でる中、ピアノの和音はびっくりするくらい単純なんだって。」
「もっとも簡単なのはあそこだけですよ。ソロ部分に入ったとたん指がつります。そのあとは技術力と精神力と、それに腕力のいる曲なんですこれは。第3楽章なんて体育会系ですよ。」
「んでここの画面に流れているのは、まさにその第3楽章。ラスト2分のコーダ前だね。こんなに長いピアノの休憩個所はここだけでしょこの曲。あたかも作曲者のチャイ様がピアニストに与えてくれた、第4コーナー入口の最後の給水地点みたいな数小節。よくTVなんかで見るとさ、ここで独奏者は汗を拭いたり衿を直したり、いったん腰を浮かせて座り直したりしてるよね。」
「ええ。このすぐ直後に来ますからね、怒濤の両手オクターブ、スケール(音階)駆け降り駆け昇り3連発が。あそこではどんなピアニストも、多分みんな息してませんよ。」
「だろうねぇ…。そのちょうど給水地点のモラトリアムをBGMとして、三木がホールへやって来るシーンが入る。横断歩道を渡り、正面玄関の真ん前に立ち、三木はそこに掛かったネイビーブルーとゴールドでデザインされた 『和賀英良 NEWYEAR CONCERT』 のタペストリーと、顔写真の入ったポスターを見つめるんだ。」
「歩いてくる三木は右足を少しひきずっていますよね。これはやはり在職中に痛めたか何かしたんでしょうか。」
「かも知んないねー。てゆーか三木はこうやって足が悪かったから、和賀に振り払われたくらいで転倒して頭を打ったって訳でしょ。さもなきゃこんなガタイのいい男が、彼よりずっと細身の和賀に突き飛ばされたりするもんか。」
「そうですね。いわば伏線なんですねこの三木の足の悪さは。と同時に、そんな故障のある足で和賀に会いに来た、その三木の真剣さをも思わせる設定なんだと思います。」
「真剣といえば和賀のポスターを見てる眼差しが真剣だもんねぇ。んでまたこのポスターの写真が綺麗なんさぁ。これって 『Lovely6』 の表紙と同じでしょー? ビジュアル系ピアニストだよねぇ和賀は。こんな美形の演奏家なんて世界にそうそういませんよ。外見から入った熱烈ファン、ぜってーいると思うなぁ。」
「なるほど、クラシック界のいいわぁ星人ですね。」
「うんうんそうそう。案外ネットオークションで、パンフとかポスターとか出回ってるんじゃないかしらん。『和賀サマのポスターA2版・未使用の新品・美品です!』 みたいな。」
「コレクターもいるんでしょうねぇきっと。もちろん和賀本人はね、外見をもてはやされるのなんて決して喜ばないでしょうけれども。」
「確かに芸術家が見た目を褒められてもな。そんなん嫌だろうね。一種の侮辱みたいでね。」
「まぁ僕なんかは別に芸術家ではありませんけれども、『八重垣クンてハンサムね♪』 って言われるのは気持ちいいですけれどね。」
「あっそー。 …『八重垣クンてぇ、ハンサムねぇぇぇぇ!』」
「ひょっとして馬鹿にしてます?」
「うんにゃしてねーしてねー。単にからかってるだけ。さてそれでこのシーンに使われている第3楽章のこの部分はだね、モラトリアムとは言い得て妙。このあと訪れる特A級の難所に備えてピアノに十分な休息を与えるとともに、大編成の管弦楽団が、たった1台の独奏楽器のためにせっせと前フリしてくれる数小節でもある訳で、そう考えるとピアノ協奏曲というのは、まさにピアニストさまさまな形式だよねぇ。気持ちいいだろうねピアニストも。低い弦・高い弦・木管金管それに打楽器と、ズラリぶっ揃った何十人ものオーケストラを、自分の旋律のバイプレイヤーにできるんだから。」
「いえそれは極端な見方ですよ。あくまでもピアノとオーケストラの共演であって独演会ではないんですから。きちんと指揮者もいますし、ピアニストもそこまでのスタンドプレイはできないですよ。かのホロビッツは例外です。オーケストラを振り切って先にゴールした独奏者なんて、ありえないと僕は思いますし。」
「いやそうは言ってもさー。現にこの曲のこの部分は、さぁさぁさぁさぁさぁさぁこれからピアノが来るよー来るよー来るよー、ほぉら来たー!って感じに盛り上がるじゃん。」
「まぁ確かにそうですけれどね。何ともチャイコフスキーらしい劇的でダイナミックで華麗なクライマックスへと向かう、長い滑走路には違いないですが。」
「映像の方はといえば三木が、何かを決意するようにバッグの取っ手をぎゅっと握る、その手が和賀のポスターに重なったところで、曲もカットも次のシーンになだれこんでいく訳だね。第1回前半の最大の見せ場、主人公・和賀英良のピアノ演奏シーンに。」


【 ステージ 】
「実はここも絵コンテ書いてみたんだよねアタシ。ほら見てこれこれ。中居さんの表情と動きに悩殺されながら、カメラになったつもりで追ってみました。えへえへえへへ。」
「はっはぁ…。よくやりますねぇ本当に…。一口に絵コンテって言いますけれども、大変なんですよねこれ、ほんのワンシーン追うのも。」
「うん大変♪ そりゃ大変だけども、楽しいよ♪ 単に見てるだけとは比べものにならない、色んな細かい発見があるから。」
「それはそうですけれどね…。じゃあこれも表形式にしてみますか? 書いちゃったものはしょうがないですから。」
「なんだよその迷惑そうな言い方はぁ。これがあった方が語りやすい面もあるっしょー? どこどこのカット、と言った時に該当個所をイッパツで絞りこめるしさぁ。」
「はいはいおっしゃる通りです。それじゃカットごとに見てみましょう。」

オーケストラの助走を受けついだ迫力のカデンツァ、両手オクターブのスケール部分。鍵盤の上、手首から先だけのアップ、左側からのアングル。
手のアップ続く。右やや上からのアングル。黒鍵白鍵の間を上下に、目にも止まらぬ速さで駆け抜ける指。
右ほぼ真横から、精密機械のような10本の指。
ピアノの向こう側から正面に和賀を捉える。カメラの動きは下から上へ。黒光りする鏡板、大屋根を支える棒。カメラは左に回り込みながら和賀をゆっくりアップにしていく。
オーケストラ側からピアノの方を見るアングル。和賀のバックは満員の客席。
5より少し後方から捉えた、ピアノと和賀。和賀の視線は初め高音部の鍵盤にあり、顔は見えないが手元ははっきり画面に映っている。やがて旋律は独奏部分の最後へ。左右への大きな手の動き。
ピアノソロに荘厳なオーケストラが重なる、その直前。旋律と同化するように和賀は首をはねあげ、一瞬のタイミングで指揮者を見る。
ホール全体のロング映像。フォルテシモで響き渡るピアノとオーケストラ。ピアノには純白のスポットライトが当たっている。
舞台奥の上方から、ステージと客席を見下ろした映像。左には2階席も映っており、これも満員。ステージ中央の先端に堂々たるピアノの威容。
104と同じアングルでさらに近づいた位置から、ピアノ越しの和賀。大屋根の裏に彼の姿が映っている。
11右側斜め前から捉えた和賀。ピアノのサイドに『STEINWAY&SONS』のロゴ。曲に全身で入りこんでいる和賀は舞うように歌うように上半身を前後に揺らす。
128と同じアングルで全体のロング映像。パイプオルガンの輝きが神々しい。
135より少し引きの映像。画面左に指揮者、手前に第2バイオリン、その向こうに和賀。
14右下やや後方から軽いアオリで、一心にピアノに向かう和賀の姿。バックに銀色のパイプオルガンが光る。主旋律をオーケストラに渡す直前、ジャン!と強い1音を叩き、和賀は右手を派手に宙に舞わせる。
1514の右手アクションの逆カメ。右手を跳ね上げた動きにより、和賀の上着がふわりと浮き上がる。再度訪れるピアノのわずかな休み部分、和賀は指揮者のタクトを確かめオーケストラをチラリと見やって、自らの宇宙に沈むように目を閉じ大きくゆらりと半身を回す。
16協奏するチェロの列。
17バイオリンたち。
184、10と同じアングルで少し上から見下ろしたカット。和賀の右に指揮者の背、右上奥に2階席。カメラは右上から左方向へ回りこむ。和賀は全身で曲を奏でる。首をのけぞらせ、スタッカートを効かせる箇所では大きく右手を跳ね上げる。
19客席に並んでいる田所と綾香。後ろに屈強なSP。
20じっと聴いている綾香。奥側、右隣に田所。
21ピアノ越しに和賀。右手の大きな動き。曲は最後のスケールにかかる。
222階席の最後部に座っている関川。無表情。
23オーケストラ側からのアングルで和賀。右手アクション。指揮者の呼吸を確認し、メロディーに乗せて体を揺らしたあとぐっと前屈みになり、ピアノに挑みかかるように唇をひきしめる。
24コーダに力をこめるビオラとチェロ。
25指揮者の背中。舞台奥にティンパニ奏者も。
26第一バイオリン。
27金色に輝くフォーン。
28ピアノと和賀。
29軽く眉を寄せた和賀。ピアノは命をこめて謳う。
30客席から見たステージ。ライトを受けたピアノの回りが一際明るい。
31下からの軽いアオリで、ピアノに向かう和賀のカット、やや後方から。
32右、横顔のアップ。髪の間に水晶めいた汗が光っている。両手が鍵盤を右へ左へかき鳴らしているのが体の揺れで判る。
33右手を大きく上へ。
3433の別アングル。右手を素早く戻し指揮者を見る。伸ばし気味になる両腕。
35横顔のアップからもう少し斜め前へ。
36鍵盤上の両手のアップ。オクターブのスケール速射。
37高音から低音へ走る。
38ピアノと和賀、左横から。コーダのラスト。鍵盤上の両手がはっきり映っている。
39右から横顔アップ。最後の和音4打。和賀のバックはプラチナシルバーのパイプオルガン。指先に想いの全てをこめて和賀は目を閉じ、鍵盤に覆いかぶさるように前屈みになる。音が終わる瞬間彼は右手を上げ、つかの間動きを止めて、そのあとがくりと腕を下ろす。カメラはわずかに下の位置。和賀のバックでパイプオルガンが光る。
40舞台の奥、上方からステージと客席を見下ろすロング。手前の2階席の客が立ち上がる。ピアノの前の和賀は、天を仰いでいた顔を脱力したように伏せている。
41ホール側の最後部の席からのロング。ピアノに白くライトが当たっている。
42綾香と田所。周囲の客は立ち上がっている。綾香も拍手し、笑顔で立ち上がる。
43田所は綾香の笑顔を見、それに合わせるように立ち上がる。ゆっくり両手を前に持ってきて拍手。
44和賀の横顔。パイプオルガンと、正面玄関に掛かっていたのと同じ名入りのタペストリーがバックに。和賀はやがて目をあき、まばたきして現実に返った表情になる。
45客席の綾香と田所。綾香は父を見て微笑む。
46視線を動かし、客席を見やる和賀。
47満場の客たち、続々と立ち上がって拍手を続ける。
481階席の客もウェイブのように立ち上がる。熱狂的な拍手をしている男もいる。
49ニッ、と高慢に笑う和賀。不敵な表情のまま椅子を立つ。
50オーケストラ側からのカット。和賀は上着の前を留めつつ立ち上がり、指揮者と握手する。
51薄暗い客席にいる関川。周囲が皆立っているのに、座ったままで拍手もしていない。
52ライトの中にいる和賀。指揮者をむしろねぎらうように肘のあたりをポンポンと叩き、オーケストラの方を見る。
53拍手を続ける綾香。嬉しそう。
54田所のもとへSPが来て何か囁く。
55舞台上で振り返る和賀。額に汗が光っている。ほう、と息を吐き肩を上下させ、顔を伏せて前へ歩み出る。
5655の流れで左からフレームインし、ステージ先端に立って客席を見る和賀。観客は彼を仰いで拍手をやめようとしない。和賀は感謝と感動を伝える形式的な動きで両腕を広げ、客席に礼をする。
57客席後部、右寄りからホール全体を見るロング。客の誰ひとりとてこの場を去る気配を見せない。
58下からの軽いアオリで和賀のアップ。パイプオルガンとタペストリーをバックに、肩を上下させながらぐるりと客席を見回す。賞賛の嵐のただ中にいる彼の表情と、ホールの出入口がオーバーラップする。BGMは『ラクリモーサ』へ。
59ホールを出てくる客の波。折り目正しく彼らを送るスタッフたち。

「うーん…。絵コンテだというのについつい文章が歌ってしまうねぇ。和賀ちゃんの演奏シーン、何度見てもいいわああぁ…♪」
「確かにこのシーンの中居は、僕もすごいと思いますよ。だってTVでも映画でも、ピアニストではない演者の演奏シーンで、ここまで本人の手元を映したものはそうそうないですよ。だいたいが吹き替えで、演者の手はチラリとしか映らない。なのにカット丸ごと中居の演奏というのがバンバン入っていましたからねこれは。しかもショパンのエチュードじゃない、チャイコのコンチェルト1番、第3楽章ですよ? そう言っては何ですが『宿命』よりも、テクニック的に難しいはずです。」
「ねー。マジすごかったよね。称賛に値すると思うよホント。サムガで中居さんは、ピアノが弾けるとか弾けないとかはどうでもいいんだって言ってたけど、またまたご謙遜をぉ。ここまで弾いて『見せて』くれた演者は世界的にも珍しい。もっともっともっともっと褒められていいことだと思う。うん。」
「この演奏については神奈川支部長も…音大出のいいわぁ星人も絶賛だったんでしょう?」
「そうそう。ヤツ自身は音大出といってもピアノ科じゃあないんだけど、専門の友だちも褒めてたって言ってたなー確か。何せね、音と指の、左右の動きばかりか上下の動きまで合っていたのはすごいって。」
「ああ、白鍵と黒鍵の上下位置の違いですね。オクターブに指を開いてスケールを駆け降りるところの。」
「私も最初見た時にさ、カバン持った三木の手からいきなりピアニストの手になったあと、ピアノなめで中居さんが画面に映って、そのあとピアニストの全身が、後ろ斜め45度くらいの角度から手元込みで映るじゃん。さっきの表でいえば6番のところ。この時私はピアノに向かっている人を中居さんだとは思わなくて、しかしまぁスタッフさんもよく似たヤツを見つけてくるもんだなーと感心してたら、そのまんまカットなしで中居さんが映ったんで、いやもうびっくりしたねー。えっウソ本人が弾いてんの!?って。」
「あそこは最初の手のアップが明らかに吹き替えで、それに続くカット4、5のあたりでは、中居の手元はごくごく普通に隠されていますからね。ですからそのあとも当然同じように吹き替えで来るのかと思えば見事にそれを裏切って、見せられたのは中居本人の映像だったという訳ですね。」
「まぁもちろん本当に弾いてる訳じゃないのはさ、申し訳ないけどスローにすると判るよ。鍵盤が沈んでない。ただライトがいい角度で当たるんでねー、指の影がちょうど鍵盤の側面に落ちて、その細長い縦の影が、あたかも押されて沈んだ鍵盤の段差のように見えるんだ。だから逆に言えばスローにしなくちゃ判んないほどのリアルさであって、映画だったら100%、生演奏に見えるよこれ。スローでチェックするのがちょっと気がひけたもんね。ごめん中居さん!つって。」
「いやまさか本人が弾いているはずはないと、それは誰でも判りますでしょう。でも、そんな判りきったことを一瞬覆して、本当に弾いているとしか思えないシーンを創り出したなら、それは演出と演技と表現の勝利なんです。素直に拍手すべきだと思いますよ。」
「だよねー。さっきの表でいうとナンバー7のカットのところでさ、カデンツァのラスト2音でバッと顔を仰けて、猛禽みたいな目で指揮者を見るタイミングも絶妙なんだよね。ここんとこも神奈川支部長が絶賛してた。実際のコンサートでピアニストがこの曲を弾く時も、本当にあんなふうに指揮者を見てタイミングを取るんだと。それで私は思ったねー。中居さんが演ろうとした、演奏を『見せる』意識の正しさ? それがこのシーンで成功してるんだって。本当に弾けるかどうかなんてどうでもいい。だって弾ける訳ないじゃん素人にチャイコフスキーなんてさぁ。だったらとにかく『見せる』ことが肝心なんだよね。ビデオ見て練習したっていうのも判るなぁ…。完全に映像から入ってるからこそ、この上半身の動きができたんだと思うよ。音は出さなくていい、要するに鍵盤の位置が合ってりゃいい。メロディーに魂を乗せちゃったピアニストというものが、どういう動きや表情で曲に陶酔するのか・挑みかかるのか。そうやっていわば『外側』から入った演奏が、曲の内側に肉迫したと言っていいと思うね。」
「そうですね。このシーンの中居は、徹底して動きのコピーから入っていますね。あの派手な右手上げのアクションも、ノッてきたピアニストがやりそうな動きです。」
「あれって中居さん、ラジオでは上げ過ぎじゃねーかっておっさってたけどね。なんのなんの中村紘子さんは両手上げてたぜ。オーケストラはピアノを盛り上げピアノはオケを煽る。それがこのチャイコ1番の最大の魅力ではないかいね。ねぇ。」
「映像的な演出としては、カデンツァのあとのフルオーケストラの部分で、ホール全体を見渡すロング映像になるのがいいですね。音の洪水が空間を埋めつくすのが判ります。」
「でもってそこんとこのピアノがさ、さっきあんたが言ってた『腕力のいる曲』? それを体現してるんだよね。弦は厚いは金管は鳴るは、ティンパニまでドロロロロと響くは、オーケストラが『せーの!』で出してくる大音量に、たった1台のピアノの音が負けてないんだからね。七重八重にうち重なる旋律のグラディエーションの中にあって、主旋律を凛と歌い上げるのはピアノなんだ。」
「ええ。ここでどれだけの音を出せるかに、ピアニストの技量と、またピアノそのものの技量が出てしまうんですよ。主旋律のメロディーには弦もぴったり付いてきますからね。同じメロディーを歌いながら、ピアノはそこから1歩も2歩も際立ってきっちり響かないと駄目なんです。一流のグランドピアノにしか、そういう音は出せません。ご家庭用の二流品や、もちろんアップライトでは無理ですね。」
「なるほどねぇ…。ピアニストもピアノ自体も、真価を問われる曲って訳か。これまさに名曲の面目躍如だね。私がよく聴くCDはアシュケナージのだけど、アルゲリッチ版もいいよぉ。すごい叙情的でね、同じ曲なのにピアニストが違うとこうも違うかって感じ。そういやあんたも弾けるって言ってたよねこれ。今度聴かしてよ、八重垣バージョンのチャイコ。」
「いや弾けるって、一応です一応、一応。アシュケナージと並べないで下さい。僕はところどころ音が抜け落ちますし、カデンツァで指の腱切るかと思いましたよ。さてピアノに関してはそんなところとして、ここには重要なキャラクターたちも登場してきます。演奏以外のことについてはどうですか。」
「ああそうだね。まずは関川だけども、さっきもゆったけどこの人はもったいないキャラだったね〜。最後列の席で憮然と演奏を聴き、周りがスタンディング・オベーションしてるのに拍手すらしていない。ここで気づいたんだけどさ、このとき関川は暗い客席にいて、和賀はまばゆいステージにいるでしょう。ライトが当たっていない関川は、光の中にいる和賀に嫉妬してるんだよね。もちろん和賀の過去なんて関川は知らないから、和賀がただ幸運と才能に満ちた男にしか思えない。和賀への嫉妬には陰湿な欲望も伴っていたと思うよ。いつか俺があっち側に行ってやる、そのために必要であるのなら、俺の手で和賀をあの光の舞台から引きずりおろしてやる…。それくらいの意識はあったんじゃないかな。そういうキャラが和賀の犯罪を嗅ぎつけて脅迫めいたことの1つもすればさ、この物語はもうちょっと動きのある、面白い『TVドラマ』になったと思うけどね。つーか最初はその予定だったと思うんだよなー。もったいねーよなーホントに。ブツブツブツ。」
「おや(笑) 言いたいことが色々出てきたみたいですね(笑)」
「あるよ。色々ある。このドラマって、よくよく考えるとチャイコのピアノ1番によく似てるもん。究極、第1楽章の序章部が他のどこより印象的で、あとは最後のコーダ部分の盛り上がりは他に類を見ない。でも中間の第2楽章は退屈なんだよねー。判るっしょ?言いたいこと。」
「ええ。多分僕も思うところは同じですけれども…。まぁでもそれは追い追い、回を追いながら語っていって下さい。ここでぶちまけられると収集がつかなくなりますから。」
「判ってらい。第1回で全部語っちまっちゃあ、座談会がここで終わっちまうじゃないかよ(笑)」
「それは困りますからね。さぁじゃああとは何かありますか? 他のキャラクターについてはどうです。田所と綾香について。」
「はいはい田所田所! 実は私もあとになって思い出した。この人が『クインテット』のヒロの父親、シュテインバッハ公爵なんだっけねー! いやはや奇遇だねこりゃ!」
「そうでしたね。『砂の器』で公爵家は親子共演ですね(笑) もっともヒロは…その、少し老けたというか(笑)」
「うん。さすがに今の中居さんにヒロはちょっとなー。17歳だからねぇ何せ。でもヨーロッパあたりで上映するなら、中居さんは立派に10代で通ると思うけどさ。」
「ああ、外国ならつとまるんじゃないですかきっと。概して日本人は若く見えますから。」
「んだなー。じゃあまずはミッチーあたりと交渉か! カミクボくんからツナギをとるか?」
「いいですね夢は自由で(笑)」
「おお。夢は見放題の食べ放題さっ! んで田所パパの隣にいる綾香嬢についてだけども、私が興味深いのは、こうやって婚約者が満場の喝采を浴びている時の女の心理だよねぇ。今ああやって光の中で輝いている、あれは『自分の男』なんだっていう意識は、これは女に特有のもんかなぁ…自分自身が称賛されるよりもゾクゾクするね。もーたまんないね! あのひとは私の男、私だけの男なのよって世界中に見せびらかしたい。そんな感じ。」
「うん…それは女性ならではの意識かも知れませんね。ほら猿社会にも…って別に智子さんが猿だって言ってるんじゃないですよ。って敢て断るのが藪蛇だったかな…。とにかくですね、群れというか集団の中には『キングメーカー』と呼ばれる雌がいるじゃないですか。群れに君臨する王者は雄なんですけれども、その雄はキングメーカーによって王と認定されて初めて、その立場になることができるんです。ですからね、僕が何を言いたいかというと、雄は単に自分が君臨することが全てなんですけれども、雌の場合はもう少し複雑で、自分の男を君臨させることによって二重の意味で王者になる…。そういうDNAなんじゃないかと思うんですよ。ですから綾香は誇らしいはずです。和賀はこの場で今まさに、栄光の座にいる王者なんですから。」
「そうだよね。人間も猿も私もおんなじだよね。なるほどあんたの言いたいことはよく判った。ときに八重垣、バナナある?」
「いやですから別に比喩とかではなくてですねぇ。…はいバナナ。自分でむけます?」
「うん。深爪だけどバナナはむける。モンキーマァジック♪ それとあと1つ、パイプオルガンについてなんだけどさ。」
「ああはいはい。和賀のバックで燦然と光を放っていたあれですね。」
「あの楽器は教会を連想させるから、そのままたやすく『神』のイメージに繋がっていくんだよね。和賀の頭上には今、芸術神ミューズの放つ光が降り注いでいるんだ。彼はその神の使徒として、全身全霊を音楽に捧げているって訳だね。」
「そうですね。芸術家が演奏をするというのは、そういうことなんだと思います。」
「はるか天上から降り注ぐ光かぁ…。ちょっと話は飛ぶけども、クラシックという西洋音楽にはやっぱり、根底にものすごいキリスト教的な意識があると思わない? 唯一無二の絶対的存在。全ての正しきものが『神』という概念に集約していくの。その神のおわします高い高いところへ、不純なもの一切を捨て去ってひたすら昇りつめていく。それが、芸術すなわち創作という、猿にはない人間だけが持つ精神活動の到達点なんだろうな。この上昇性というベクトルが、実にキリスト教的な、西洋哲学の特徴だと思うね。ところが面白いことに東洋思想は全く逆でさ、特に日本の場合、神様ってそこら中にいるでしょう。お正月にウラジロ飾るところ全部そうだよ。井戸だの竈(かまど)だのトイレだの、はたまた横丁のお稲荷さんだのって、神的なものがすごく身近にあって人間と一緒に暮らしている。つまり日本にはキリスト教のような、唯一無二の絶対神っていないんだよね。だから宗教に関しては日本はほぼオールマイティー。民族同士が殺し合うような宗教戦争はまず起きない。さらに面白いのが、お能みたいな日本の芸術っていうのはさ、神の高みへ昇るというより、神がこっちに降りてくるんだ。だからこのシーンの和賀を西洋風にいえば、『ミューズの放つひとすじの光が彼の頭上に降り注いでいた』 ってことになるし、東洋風に言うのなら、『いま和賀の中に1人のミューズが降り立っていた』 ってことになるだろうね。まぁどのみちいいわぁ星人にしてみれば? ああ中居さんたら何て綺麗…。いいわぁいいわぁ、いいわあぁ〜!ってことになるんだけど。」
「ははぁ…難しめな話をそういうオチに持っていきましたか(笑)」
「んでこのシーンの最後のさ、鳴りやまない拍手を前に和賀はゆったり客席を見回して、そこに正面玄関の映像がオーバーラップするカットでも、和賀…っていうか中居さん、ふるいつきたくなるくらい綺麗なんだよねぇ…。もぉフェイドアウトさせずにそこで止めんか!ってディレクターをガクガクしたくなるくらい。芸術神ミューズの使徒というより、美神ビーナスの化身。はたまた太陽神アポロンの、地上での姿じゃないかしらん…。うっとりうっとり…。はふぅー…。」
「ところでバナナいつ食べたんですか智子さん。あれだけべらべらしゃべってて、その間に完食ですか?」
「へっ。猿をなめたらいけんばい。ほれ皮。ちゃんとゴミ箱に捨てといて!」


【 ロビー 〜 階段 〜 地下駐車場 】
「さてこのへんから本当にスピードアップしていきますよ。冗談ともかく第1回だけで3日3晩ペースですよこれじゃ。」
「はいはい猿がバナナ食べてる場合じゃないやね。えーっと、コンサートが終わってホールを出てくる客たちと、立ちつくしている三木の姿がまずあって、続いてはロビーの様子。ちょっとした社交場みたくなっているそこで、田所が元農林水産大臣であることや、娘の綾香が和賀の婚約者であることがテロップで紹介される。このドキュメンタリーふうなテロップによって、このドラマのサスペンスタッチが強調されてるね。」
「ええ。テロップのある映像は雰囲気がニュースっぽいんですよね。恋愛ものにはまず使われない演出だと思います。」
「ロビーには記者たちにインタビューされている関川もいて、カットは小刻みに切り替わり、三木の背中や彼の目元のアップも映るんだけど、BGMの『ラクリモーサ』がそれらを1本に繋いでいるって感じだね。その間にイメージ映像の砂の器が真っ二つに割れて、破滅的な悲劇の到来を予感させる。」
「和賀にとっては三木の登場こそが、悲劇の始まりでしたからね。いや根ざしていたのはもっと昔。彼が子供の頃なんですけれども。」
「でも最終回をふまえて見るとさ、三木がここへやって来たのは、彼なりの罪ほろぼしでもあったというのが虚しいよね。千代吉に自首させたことで、正誤はともかく結果的に親子を引き離してしまった三木は、いつか2人を再会させてやりたい、父と息子のかけがえのない絆を取り戻させてやりたいと願っていた訳でしょう。そのこと自体は三木の優しさだし、人間的にも正しい考えだと思うよ。でもさ。でも…それが成長した秀夫にとってストレートに幸せなことかどうかは、純朴すぎる三木には想像できなかったんだよなぁ。善意が招く悲劇は悲しいよね。」
「あるいは一種のジェネレーション・ギャップととることもできるんじゃないですか。三木は千代吉の世代の人間であって、秀夫の側ではないんです。親というのはどうも、成長した子供個人が過ごしてきた人生を、過小評価というと語弊がありますけれども、どうしても自分の物差しだけで計ってしまう傾向があると思うんです。子供には子供の物差しがあるのに、それを一緒くたにしてしまう。三木の心にあったのも、秀夫が経てきたはずの言うに言われぬ孤独や悲しみを想像してやるより先に、父ちゃん父ちゃんと泣いていた幼い秀夫の記憶だった…。その記憶は三木の中でフリーズしたもので、目の前にいる現在の秀夫とは違うんです。違って当然なんですが、そこを三木は見落としていた。」
「そうだよね。三木を責めるのは酷というものなんだけど、善意で全てが片づくかっつったら、そんなのはおとぎ話の世界でしかないからねー。せめてもう少しだけ洗練された想像力を、三木が持っていてくれたら…と、死者にムチ打つようで悪いけど私も思うよ。もちろんだからって殺しちゃいけませんよ(笑) それは和賀の過ち。許されることじゃない。」
「ええ、それは当然ですね。言うまでもないことです。」
「だけどさぁ、称賛の嵐だったニューイヤー・コンサートが終わって、その喝采の余韻を耳の底に漂わせているだろう和賀に、いきなり真正面からとんでもない過去を突きつけたんじゃあ、聖人君子でも仙人でもない生身の和賀が、動揺すんのも仕方ないことだよね。冷静な判断力を持ってろっていう方が無理だよ。」
「そうやって招かれた悲劇の第1幕が、この地下駐車場で起こってしまう訳ですね。『秀夫!』と呼ぶ三木の言葉が、このドラマに登場する最初の台詞だというのがすごいです。ここまで誰ひとりとして、ただの一言も発していなかったんですね。思えばすごいドラマですね。」
「ねー。スタッフの意気込みは推して知るべしだよね。この短いシーンもさ、呼び止められた和賀の左で駐車場のランプが赤く点滅してるのとか、振り向く前に和賀が煙草の煙をひと吹き吐くのとか、思わず落とした煙草の火がコンクリートに散るのとか、凝った演出がされてるよ。蛍光灯の扱いもいいね。和賀の目のちょうどバックに、一筋の白い線になるところとか。」
「これだけ驚愕しながら和賀は、表面上あくまでも平静に、人違いだととぼけて逃げようとするんですね。でも三木は追いかけてきて、和賀の左袖をまくり古傷を確かめ、秀夫であることを確証してしまう。満足げにうなずく三木と観念したようにうなだれる和賀と、向き合った2人の対比が印象的ですね。」
「片や歓喜、片や絶望に近い落胆だもんね。初めはとぼけて立ち去ろうとした和賀の、短く後ずさりする感じがいいよねぇ。悪夢のようなこの再会に、思わず脅えたんだな和賀は。『傷だ!』と言われてハッと袖を押さえるのもいい。三木にまくられる前に左手を押さえているのは、本人にしか判らない、そこに傷がある証拠だもんね。」
「子供の頃に苛められた傷ですよねこれ。それをいきなりまくり上げて晒し出す。これが三木の、和賀に対して行った精神的な行為ですよ。忘れたいものを何の緩衝もなく突きつけるという。」
「うん。ちょっとエゴだよね。純粋なだけに愚鈍な感じがする。和賀がどんな思いでここまで来たか、大量殺人犯の子供であることがどれだけ社会的ハンデになるか、三木は頭では理解してても、我が身に沁みる痛みとして感じたことはないんじゃないの。世の中には三木のように、愚直なまでに人間的な奴ばかりがいる訳じゃない。殺人犯の子と聞いただけで、あの子と遊んじゃいけません!って自分の子を遠ざける親の方が圧倒的に多いんだ。人の不幸を遠巻きに笑う他人の視線の、氷みたいな矢でハリネズミになりながら生きてきたんだよ秀夫は。きれい事で済むレベルの悲しみじゃないんだ。何で三木にはそれが感じ取れないかなぁ。くわーっ! なんかだんだん腹がたってきた!」
「まぁまぁまぁ(笑) ドラマなんですからドラマ。とにかくこうして和賀と三木が再会してしまったことで、オープニングからずっと崩れてきた砂の器が、ますます修復不可能に割れていく訳です。」
「んでここでTV的には提供が入って、横浜上空からの宝石箱みたいな夜景にカブってスポンサー名が読み上げられるんだけど、モバイルフロンティアのドコモさんはまぁいいとして、『清潔で美しくすこやかな毎日を目指す花王』 っていうのが笑っちゃうんだよな。『白い影』SPの時も確か同じこと思った。こんな重たいドラマのここに挿入されながら、清潔で美しくすこやかな毎日を目指してる場合か?みたいな(笑)」
「そんなところに文句つけてどうするんですか。スポンサーさんも提供のたびにコマーシャルコピーを変える訳にもいきませんでしょう。」
「でも笑っちゃうんだもん。またこの豪華な夜景をさ、和賀の欲しかった栄光と名誉の象徴かなぁと思ってカットせずにRに焼いたもんだから、冒頭の『CASIO』同様、再生するたんび提供名を見なならん。ドコモさんと花王さんと、ドライブユアドリームスのトヨタ自動車さんと、それにアサビビールさんとご覧のスポンサーさん。ホントにねぇ、このドラマに資金出してくれてありがとうございますですね! 免許とケータイは相変わらず持ってませんけど、ビールはアサヒ買ってますから!」
「あれ? 智子さんてサントリー派じゃなかったですか? 家ではモルツしか飲まないって…」
「しーっバラすなバカっ!」
「あいたっ。叩くことはないじゃないですか叩くことは!」
「いってぇ…。あんた頭固いねぇ…。何でできてんのその頭。チタンか何か?」
「お陰様でカルシウムですよ!」


【 蒲田 】
「コンサートホールと横浜の夜景から一転して、場面はうらぶれた蒲田駅周辺だね。大宮行きの京浜東北線がリアルでいい。つーか三木はこれに乗って来たのかな。東横線で渋谷回りってことはないよね。」
「ええ、多分京浜東北線でしょう。みなとみらいホールの最寄り駅は東横線ですけれども、JRなら桜木町です。歩いて行けますよ。」
「一方和賀の移動はソアラ。指定した大田区民ホールに三木が来ているのを確認してから、ハンドルを切って脇道に入っていく。しかし実際ここに来るまでに和賀は、宮田くんに頼んで衣装を借りて着替えてるんだから、まぁ着替えは車の中でササッとできるとしてもそれなりの時間はかかってるんだろうね。横浜から蒲田って…第一京浜? ぶっ飛ばしてどれくらいの時間なんだろう。」
「うーん…正月休みの夜ですからね、走ってしまえばそんなにはかからないと思いますけれども、三木にも土地鑑がある訳ではなく、人に尋ね尋ね辿りついたみたいですし、地下駐車場で会ってからこの時までは、何時間か経ってるんじゃないですか。」
「かもねー。待ちくたびれて階段でしゃがんじゃってるもんな三木。そんな様子を和賀は車中から見やって、何とも複雑な表情をするんだよね。決して会いたくなかった相手だとはいえ、懐かしさが皆無じゃないだろうし、三木さんも歳をとったな…っていう人間らしい感慨もあったかも知れない。どのみちこの時点では、三木を殺すなんてことは和賀は露ほども思ってなかった訳だね。」
「そうですね。昔話だけしてお茶を濁して帰すか、もしできれば自分の状況をよく説明して、判ってもらうつもりだったと思いますよ。衣装を変えたのは、三木と『和賀英良』が会っているところを人に見られたくなかっただけでしょう。」
「うん。そのへんの複雑な心境が、車の中から三木を見る表情に表れてると思うよ。いい表情してるもんなー中居さん。こういう何でもない表情っていうのがさ、本当は一番難しいんだ。泣いたり脅えたり伏しまろんだり、そういう非日常的な動きよりずっと。言ってみればチャイコのピアノ1番だって、演出の施しやすい派手な曲でもあるしさ。ドビュッシーの『月の光』なんて持ってこられたら逆に大変だったと思うよ。」
「チャイコフスキーの曲は起承転結がはっきりしていますからね。色をつけやすいと思います。あとはリストの1番か、いっそ超絶技巧…。」
「コラ待て(笑) そりゃもう中居さんへのイジメだよ(笑) 黒鍵だけで弾いてみろってか。でもリストには当時おっかけもいたそうだから、和賀が21世紀のリストと呼ばれている設定にするのもいいかも知れんけども。」
「いえそこまでは考えてません。すみません余計なことを言いました。進めましょう。」
「んじゃもう1度三木についてだけど、この区民ホールの、夜とはいえ道路から丸見えのこんなところで、無防備にしゃがみこんじゃうあたりが田舎のおっさんおっさんしてて象徴的だよねぇ。三木はこうでなきゃいかんのよ。なるべく純朴素朴でないと、キャラクター設定が破綻するからな。純粋すぎる田舎のおっさんでないとね。」
「あの、大丈夫ですかその発言(笑) 地方蔑視は叩かれますよ?(笑)」
「オイオイ脅かすない(笑) 別に田舎を悪いとは言ってないよ。群馬も十分田舎だぃね。人情に厚くて面倒見がよくて、それはみんな三木の美徳なんだから。―――たださ、都会というものの特徴の1つには、価値観の多様さがあると思うんだ。自分が良いと思うものが、他者にとっても良いとは限らない。だからその差異にいちいち怒ったり悲しんだりせず、自分は自分・他人は他人というスタンスに立つことによって、無駄な争いを避けるよう学習する。従って都会に暮らす人間は、人の間と書いて人間と読む、その『間』の距離の保ち方のバランス感覚が磨かれるんだよ。ところがこれが地方となると、異質なものが都会ほどは多くないから、この感覚もさほど繊細にならない。隣の家に勝手にズカズカ上がり込む行為を、無礼ではなく親しさと呼ぶのが田舎なんだよね。そういうのは環境によって違ってくるもので、一概にいいとか悪いとかは言えないんだ。でもこれで三木がもし都会の人間だったらさ、秀夫!と声をかけた時の反応で、和賀の今の気持ちを鋭敏に悟っただろうし、こいつは俺には係わってほしくないだろうなと、会う前から判ったかも知れないね。そうすればこんな形での悲劇は起こらなかったかも。」
「でも…それを言ってしまったら始まりませんけれども、三木がもし都会の人間だったら、そもそも行き倒れ寸前の本浦親子を自宅に入れたりしないんじゃないですか。都会人は他者に無関心ですから、本浦親子はコンクリート・ジャングルの片隅で、誰にも顧みられず餓死したかも知れませんよ。」
「まぁそうなんだけどね。だからどんな環境も善し悪しで、100%いいこと・悪いことばかりじゃない。善悪は常に表裏一体だってことか。」
「何だか今度は社会学みたいになってきましたけれども、そろそろ次に行きましょうか。」
「あ、待って待って。ここのね、『お待たせしました』って言って階段を上がってくる和賀の身軽な動きはけっこう好き。衣装によって別人になるのは中居さんの常だけども、和賀ちゃんもそうなのよね〜♪ うふうふうふっ。」
「はいはいそうですね。嬉しい嬉しい。えー、かくして再会パート2を果たした2人は、実に蒲田らしい路地の、実に蒲田らしいガードをくぐって、さも蒲田らしいやる気のないスナックに入る訳ですけれども、看板のネオンが切れかけているのにそのまんまな店、というのがリアルですね。そういう店が新年の4日から営業しているか?という疑問は心をよぎりますけれども。」
「それは言えたな。繁華街ならいざ知らずご近所相手の店なんだろうから、七草か小正月までは閉めていそうなもんだけどね。いやいや待てよ。逆に仕事が休みでヒマな奴らが、案外集まって来る時期なのかもね。」
「ま、余計な心配ですね。次のシーンに行きましょう。」


【 スナック『ゆうこ』店内 】
「やる気のない店の、カウンターにご近所客しかいない薄暗い店内で、テーブルに向かい合った2人の会話。和賀は三木に押し切られる感じで、明日父親に会いに行くことを承知させられると。要はそういうシーンだけども、和賀の心情を察するには非常に重要な場面でもあるよね。」
「ええ。三木の説得は一方的で、しみじみと情に訴えかけながらも、いささか片手落ちな感じがします。『お前の気持ちも判らんでもないだども』って、それだけで終わりじゃ和賀があまりに気の毒ですよ。」
「そうだよねー。さっきの話でも出たけどさ、三木は秀夫の理解者みたいな顔して、実際は父親の側にしか立ってないんだよね。『親は親だ。お前のたった独りの親なんだから』ってさぁ、判ってるっつのそんなこと。親でなかったら秀夫もこんなに苦しむかい。」
「同感ですね。オンエアで第1回を見た時には、三木の言うことが自然で正しいように聞こえましたけれども、最終回を経たあとでこうしてもう一度見直すと、三木の意見はずいぶん浅い、表面的なものに感じられますね。少なくとも唐突すぎます。突然やってきて勝手口からズカズカ上がりこんで、いきなり過去へ引きずっていこうとするのは無茶ですよ。三木の知らない別の世界で、和賀は生きてきた。それが例え偽りの居城でしかなくても、和賀が必死の思いで築きあげ、手に入れたものなんですから。」
「それをいきなり強引に無神経にぶっ壊す権利は、三木にだってないやね。もっとゆっくり時間をかけて、和賀自身に気づかせてやるべきだよね。偽りの砂の器に真の幸せは宿らないと。孤独に心を鎧っているとはいえ、聡明な和賀がそれに気づかないはずはない。そうやって導いてやってこそ、三木は人生の師だ。恩人として成すべきやりかただよ。」
「父親に会いに行ってやれと言われて、和賀は深くうなだれるじゃないですか。今の僕にそれは出来ないんですと正直に訴えることもしなかった和賀が、何だかひどく哀れですね。」
「うん…。ここで和賀の心を満たしたのは、失望みたいなもんかなと私は思うね。判ってくれるかと思ったのに、三木はやはり自分の完全な理解者ではなく、味方でもなかった…。意味だけ正しい一般論を解いて聞かせるだけで、身を挺して自分を守ってくれる人ではないのだと、20何年前と同じ失望を和賀は感じたんじゃないかな。だってさぁ、こないだのイラクの人質事件あるじゃない。あれで、人質になった3人の家族というか親たちが、犯人たちの要求通り自衛隊を撤退させてくれって言って物議をかもしたでしょ。あれには私、正直腹が立ったのね。てめぇの子供が平和ボケして、危ないからやめた方がいいですよと言われてる場所へノコノコ出かけてってとっ捕まったなら、政府に意見するより前に、まずは迷惑かけて申し訳ないと頭下げるのが順序だろうと。自由ばっかり主張して責任をわきまえない、何て身勝手な奴らだと思ったけどもさ、でも…見方を変えて考えてみれば、そんな無茶を言ってくれるのは身内だけかなぁとも思ったんだよね。うちの子を助けるために自衛隊を撤退させてくれと、首相のネクタイを掴んで頼んでくれるのは親だけかも知んない。それによって1億2千万人に非難されようとも、そこまで庇ってくれる人は他にいないんだよ。
そういう人が、和賀にはいない…。てゆーか千代吉だけなんだ。千代吉は病気になった女房のために、敵ともいうべき男に土下座したんだし、悪いことではあるけれども秀夫のためにピアニカを盗んでくれた。親代わりのつもりの三木は、決してしてくれなかったことだよね。小学校で、あんなひどい傷を負わされるほど苛められているのを知りながら、転校したって同じだから耐えろと、大人の理屈を言う三木だよ? あれがもし実の息子のことであったら、三木はあんな冷静な意見を言えたかな。例えば出来心で強盗した村人を、三木が正当防衛で殺しちゃったとするさ。法律的には問題なくても、心情的に三木は人殺しと呼ばれて、仮に息子がいて秀夫みたいな目にあったとしたら、三木は職を捨てて遠くに引っ越すか、あるいは学校に怒鳴り込むくらいはしたんじゃないかねぇ。千代吉が村人を斬り殺したように、命を捨てて怒ったんじゃないかなぁ…。もち千代吉はやりすぎだよ。殺人を正当化する理由なんて絶対にないけどね。それくらいの『勢い』で、秀夫をいじめた相手に怒ってくれたと思う。」
「そのことを和賀は、スナックゆうこのボックス席で改めて思い知らされた…。この人は自分の理解者でも味方でもないと、冷たく悟らざるを得なかったんですね。三木は和賀に言って聞かせるばかりで、本心を語らせてやらなかった。本当に信頼する相手なら、殺人なんて夢にも思っていなかった和賀は、ここである程度のことは打ち明けたと思うんですよ。」
「うん。そうじゃなきゃ父親に会えない理由も判ってもらえないからね。でも三木には、和賀の言葉を聞き入れる様子もなかった。下手に会えないなんて言ったら、店じゅうに注目されそうな大声で自分を叱咤しかねなかった。それで万が一店の客にでも、あれっあの男ピアニストだろう雑誌で見たことあるぞ?くらい言われたら、一巻の終わりかも知れないもんね。まぁクラシックのピアニストはSMAPほどは有名じゃないとしても、そうだな…現実でいえば誰だろ…横山幸雄さんと羽田健太郎さんの中間くらいには、和賀英良の名は知られてるんじゃないか? 何せホラ、ビジュアル系は強いからさ(笑)」
「それもそうですね(笑)」
「まぁとにかくこの店で和賀は、何ら言いたいことを言えずに時を過ごし、迷いと失望を膨らませるだけの結果になったってことだ。明日父親に会いに行くことを約束させられて、『はい』と答える掠れ声がいいねぇ。喉の奥から無理に押し出したような声。」
「この時の和賀は、まだ結論を出せていなかったでしょうね。今夜約束して、明日自分はどうするのか。店を出て普通に帰るのか。それともまだ何か方法があるのか…。ともあれ2人は店を出て、すぐに蒲田駅へと向かったのか、あるいは酔い覚ましに少しぶらつくことにしたのか、人影のない夜の路地を肩を並べて歩く訳です。」


【 夜道 】
「操車場に沿った道をゆっくり歩きながら、三木は相変わらずしょーもないことをゆっとるな(笑) なんで親父に連絡してやらなかったとか、秀夫のままで有名になってくれればよかったとか、そんなの無理に決まってるじゃないかということをタラタラタラタラ(笑) それでとうとう和賀の抑制心も箍がはずれて、『秀夫じゃないんですよ…』と致命的なことを言ってしまうんだね。」
「このひとことは決定的でしたね。この数時間、和賀が抑えに抑えていたものが、苛立ちとともにほつれて零れた感じです。呑気な口調の三木の言葉を聞いているうち、和賀の表情がだんだん険しくなってくるのがよかったですね。」
「しかし不審を感じた三木の動きは、さすが元警官だね。不貞腐れたように口をとざす和賀を、すかさずボディーチェックしてポケットから財布を探しだすという。それに和賀は体格では三木に敵わないしなー。フェンスに押さえつけられて、いともたやすく免許証を見つけられちゃうんだね。」
「『この本籍どっから手に入れた』という言い方も警官ぽいですね。まぁ本籍も名前も養子縁組で変えられますから? そう言い逃れることも和賀が冷静なら出来たんでしょうけれども、ここでの和賀はもう抑制心が解けてしまっていますからね。『秀夫はもういないんですよ!』と三木を振り払ってしまう訳です。」
「でねー。そのあとのシーンをねぇ、またまた短いんだけど絵コンテしてみたんですが…(笑)」
「ここもやったんですか? いったいどこが忙しいんですか智子さん!」
「いや決してヒマだった訳じゃないのよ。ただねー? 今みたいなこういう、前後左右を現実の仕事に囲まれてるような心境の時って、むしろ『砂の器』みたいな重たいドラマにハマれるのねー。疲れを助長するかと思いきや、かえってもう1つの現実という気がしてたっぷり感情移入できるんだ。だから気分的に、この座談会はいいタイミングだったかも知れない。」
「はぁ…。それも判る気がしますけれども…。まぁ智子さんの心境は別にどうでもいいです。カットごとにまた表にしてみましょうか。」
「へーい。」

この本籍どっから手に入れたと問い詰められ、金網に押し付けられギュッと目を閉じる和賀のアップ。
イメージ映像の器、半分だけ残った砂も崩れ始める。
和賀のアップ続く。三木にがくがくと揺さぶられつつ、カッと目をあく。
金網の前、引きの映像。手前に三木、金網の向こうには電車の車両。『秀夫はもういないんですよ!』と和賀は三木を振り払う。
倒れる三木の頭を横から捉える。スローモーションでフレームアウト。
ハッと目を見張る和賀のアップ。
黄色い杭に後頭部をしたたか打ちつける三木。真横からのスローモーション。
7のやや後ろからのカット。
仰向けに地面に倒れる三木、真横から。金網の手前、黄色い杭にぶつかりいちど頭がはずんで、それから倒れたと判る。
10呆然と見ている和賀のアップ。はぁ、はぁと息が荒い。
11ロングで道の映像。右側に操車場。頭をこちらに向け路上に倒れている三木、金網に片手をかけて立ちつくしている和賀。
12和賀のアップ。『三木さん…?』と呼びかけ、屈む動き。
13杭の前に倒れている三木の横顔。意識がない。
1411と同じアングル、三木の体を揺さぶる和賀。幾度呼んでも返事がない。
15ハッと視線を動かす和賀のアップ。
16三木の頭の下にやっていた和賀の左手、革手袋にベッタリと血がついている。
17左手を動かし顔の前に持ってくる和賀のアップ。
18路上に屈みこんでいる和賀の背中。フードのついたコート。
19和賀のアップ。手袋をこすり眉を寄せる。カメラさらに近づいて、ニット帽の下の和賀の目の大アップ。眉をしかめ恐怖と困惑の表情。血走った目をぎょろぎょろと左右に動かし、伏せてゴクッと唾を飲んだ瞬間、和賀に狂気が宿る。上げた目はもう別人。同時にBGMがイン。邪悪な上目づかいで左右を見、和賀はバッ、と振り返る。
20振り返ったタイミングで和賀の背後方向からのロング。周囲に人の気配がないのを和賀は確かめる。路肩の白線、遠くに操車場のライト、道の真ん中に転がった三木のバッグ。
21狂気の目のまま、立ち上がっていく和賀のアップ。
22半分だけの器、風にあおられ完全に吹き飛ぶ。

「ここはもう何といっても、中居さんの目の動きに尽きるよねー。手袋に血がついてるのに気づいた時は、どうしようという自然な困惑だったのが、そのあとこれが明るみに出た時の自分の状況に思い至る。マスコミの騒ぎ、社会的非難、公演キャンセル。生活の糧は消えおそらく縁談も破局になり、田所のバックアップもなくなる…。和賀はぞーっと総毛立ったと思うよ。築きあげてきたものがボロボロ崩れ、足元の砂が蟻地獄みたくめりこんで、自分を飲み込んでいく恐怖。それに身震いしてゴクッと唾を飲んだ時、悪魔は和賀に囁いたんだね。『三木さえいなくなればいいんだ』って。その声に一瞬驚いたものの、和賀はたちまち悪魔の下僕(しもべ)になってしまう。幸いと言うべきか不幸というべきか、あたりに人影は全くなく、和賀は奈落への道を踏み出してしまうんだ。」
「最初は完全に過失だったんですよね。三木を殺す気なんて和賀にはなかった。掴みかかられ揺さぶられたのを、むかっ腹立って振り払っただけなのに、多少はアルコールも入っていただろう三木はそのはずみと勢いを不自由な右足では支え切れず、倒れて―――」
「倒れたところにたまたま、ぶっとい杭があったと。まったく不幸な偶然だよねぇ。杭じゃなく犬のフンがとぐろでも巻いてりゃあ、爆笑コントで済んだものを。」
「とぐろ、って…なんでこんな真面目モードの時にいきなりそういうことを言うんですか。」
「すまんすまん、ふと思い浮かんじまっただ。ついでにもう1つ些細なことを言うとだね、『英良』って訓読みすると『ひでよし』なんだね。キャラの命名者は冥府の清張先生だけど、足軽から天下人になった太閤秀吉に引っかけたのかなーとか、ちょっと思った。そういえばセイチョウも音読みだし、わりかし気持ちの籠った、作者の愛を受けた登場人物なのかも知れないね和賀ってね。」
「まぁ登場人物というのは全員、作者の分身ですからね。真犯人に位置づけたからには、大事なキャラクターだったんじゃないですか?」
「私テキにドラマはドラマとしてクローズに楽しみたいんで、原作の話はあんまりしたくないんだけどさ、ドラマにはなくて原作にある、和賀の一番印象的なシーンねぇ。パーティー会場で人気女性歌手から、歌を作ってくれって頼まれて傲然と拒否するところ。あれは中居さんで見たかったよなぁ…。和賀が線の細い美青年であることが、さらっと描写されてるシーンでもあるしさ。それに綾香とのラブシーンもけっこうあるんだぜ原作には。名前は綾香じゃなく佐知子だけども。それとあと和賀の入院する場面もあるし、見どころ満載さぁ。だいいち今西が自宅に尋ねてきた時、和賀は和服着てるんだよねー! ちーっ見たかったなぁ中居さんの和服姿っ! 大島のお対(つい)か何かを、渋くかつ粋に着こなしていてほしい! くぅぅぅぅっ、い〜いわぁぁ〜!」
「あのぅ…ここはかなり緊迫した場面なんですけれども…。いいわぁ星から帰ってきてくれませんか。」
「おおそうだそうだ。大気圏突入大気圏突入、ぶーん、着地っ。ハイではいってみよう第1回の見せ場その2、和賀の犯行シーンだね。」


【 操車場 】
「気絶した三木の襟首をつかんで砂利の上をひきずり、適当な場所まで運んでくる和賀。これだけで殺意は明白だよね。過失致死じゃあない。」
「三木の意識は戻り始めていますからね。この時点で救急車を呼べば、命に別状はなかったのかも知れません。もう死んだと思って顔をつぶした、という言い逃れはできませんね。」
「このシーンの和賀の鬼気迫る表情は、中居さんは謙遜するけどかなりなもんだと思うよ。ひゅうひゅうと喉を鳴らす悲鳴みたいな呼吸と、石を振りおろすたびに上げるけだものの声。さっき、何でもない表情の方が難しい芝居だとは言ったけど、一方でこういう激しいシーンというのも、オーバーアクションになるとぶちこわしだからね。迫力は欲しい。でも大袈裟すぎると滑稽になっちゃう。そのギリギリの匙加減が難しいんだ。味いちとか『ブラザーズ』の頃の中居さんだったら、クセーよオイって感じがハナについて、こういうシーンは見ちゃいらんなかったと思うね。こういう、メリハリの効いた激しいシーンにぴたっとハマるようになったのは、やっぱ『模倣犯』以降じゃないかな。あの作品の存在は大きいと思うよ。」
「ピーコさんもよくそう言いますね。あれで中居クンは変わったって。」
「ま、自信と言っていいんじゃない? 演技の自信というよりは立場の自信、みたいな。一作品の『主演』をつとめあげることに対しての自信。あの映画のあとで中居さん、貫禄が一段と増したもん。いい男になったわぁホント♪」
「うん、それはそうかも知れませんね。」
「おや。珍しく認めたね。ほなあんたもいいわぁ星人になるかい八重垣。さては第2の伊藤ちゃんか?」
「そうじゃなくて僕が言うのは自信についてです。主演俳優の扱いは、やっぱり別格なんだろうなと思っただけですよ。」
「あっそお。やっぱいいわぁ星には来ないかぁ…。まぁあんたにコッチ来られても不気味だけどな。それにこの座談会の収集がつかなくなるよ。2人してずーっといいわぁいいわぁ言ってるだけじゃしょうがないからね。」
「ええ。僕は男として別に、中居に抱かれたいとか愛しいとか思わないですから。人間同士、いい奴だろうなとは思いますけれども。」
「正常正常、それが正常。しかしこの白いタートルネックはさ、画的にもいい効果を生んでるよね。操車場の薄明かりにちゃんと浮かび上がって、三木に馬乗りになった和賀の悪魔の動きを際立たせてる。生暖かい返り血を頬に浴びながら、和賀が三木の顔を凝視し続けているのが悪魔的だよね。あんな漬物石みたいなので顔面殴ってるんだからさ、さっきまで向かい合って話していた人の顔が、そりゃもう想像もしたくない、とんでもないことになってる訳でしょう。なのに見てるんだよね和賀はそれを。まばたきもせずに。」
「まさに狂気ですよね。次にどこを殴れと、脳が司令している訳ですから。人を殺す時の人間って、一瞬気が狂っているんじゃないですか。まともな精神状態じゃありません。この時の和賀もしかりです。」
「うん。またそういう恐ろしいことをさ、悪魔に命令されながらもやってしまった和賀は、この時三木の後ろに色んな顔を見てたんじゃないの。こいつさえいなくなれば俺は幸せになれると、ただそれだけの思いで石を振り下ろしてたんじゃない気がするなー。」
「あ、それは判りますね。ここで和賀が爆発させたのは、子供の頃から積もり積もって胸の底に沈殿していた全ての感情…憎しみとか恨みとか呪いとか、一種復讐に近いものだったんじゃないですか。自分を傷つけ苦しめた全ての人間の顔を、和賀は三木に重ねながら殴りつぶしていたんですよ。」
「憎むべき全ての顔かぁ。家族を村八分にした村人や、教師をも含む学校の奴らや、亀嵩の小学校のクラスメイト…。そいつらへの復讐の念が、悪魔となって和賀を突き動かしたんだね。」
「そう、器は割れてしまったんですよ。三木の登場とともに、和賀の中で。」


【 路地 】
「ポン、と三木のカバンを道に放り出し、フェンスを乗り越えて着地する和賀。殺害時には脱いでいた借り物のコートを着て、ただし返り血を浴びた白いセーターは脱いでるんだね。狂気の残滓と怯えが入り混じった表情もいいけど、何よりこのヌーディな衿元が素敵っ♪」
「はいはいもうそういう感想はあとにして下さい。犯行を終えた和賀は一刻も早く蒲田を立ち去るべく足早に歩き出しますけれども、画面の左下で黄色い杭が、じっとその後ろ姿を見ているようで不気味ですね。」
「物言わぬ証人だもんねこの杭。三木の血を和賀は、この杭からもぬぐったのかな。三木をここから運んだ時にさ。」
「ああ画面の杭はきれいでしたからね。そうかも知れません。」
「で、道を急いでいると背後から自転車が近づいてくるじゃない。それに気づいた和賀はビクリと歩調を速めて、なんでこんなに焦ってるんだろうと思ったら、和賀はたぶんこの自転車をパトロール中の警官だと思ったんだろうね。ほら巡査時代の三木はどこに行くんでも自転車乗ってたしさ。」
「あ、そうか。単に誰か来るから早足になったんじゃなく、警官に声をかけられるのを和賀は恐れたんですね。声をかけられたとしてもただちに逮捕される訳ではないでしょうが、この時間ここに自分がいたと目撃されてしまったら、いずれ捜査が始まった時に真っ先に容疑者にされてしまう。しかも相手が警官では逃げようがないですよね。」
「そうそう。だから和賀はほんとは脱兎の如く走り出したいんだけど、それじゃあ相手に不審者だと知らせるようなもの。まずいまずいまずい来るな来るな来るな…と後ろばかり気にして急いでいたら、前から来たあさみにぶつかっちゃったんだ。」
「和賀目線のカメラの映像で判るように、このへんはゆるいカーブでちょっと見通しが悪いんですね。それにあさみは恋人と喧嘩して走って来たところですから、彼女の方も前方不注意だった訳です。」
「運命の相互不注意だね。和賀は謝ってすぐ行こうとしたのに、『血が…』って言われてビクッと反応しちゃう。三木の血がどこかに付いているのを指摘されたかと思ったんだね。でもあさみが言ったのは自分の血のことで、言われるまま和賀は一応コートを確かめるんだけど、そこをちょうどあの自転車が通り過ぎていった。乗っていたのは警官でも何でもないそこらの兄ちゃん。和賀の方には一瞥もくれなかったと。」
「つまりこの自転車に対する和賀の焦りは、全くの杞憂だった訳ですね。ホッとしたのか和賀はもうコートを確かめようともせず、大丈夫ですと言って歩き出すんですが、2〜3歩進んだところで今度は、いいや自転車どころじゃない今の女にこそ自分ははっきり顔を見られたんだと気づく。このあたりどうやら和賀の頭は混乱しきっているようですね。」
「そりゃそうだよ、人ひとり殺してきたんだから。でもあさみはあさみで修羅場の直後なもんで、道でぶつかった男を不審がっている余裕はない。自分の心の痛みの方を抱えて、さっさと行ってしまうんだ。」
「この立ち去る時のあさみの表情はなかなかいいですよ。綺麗な眉をきゅっと寄せて、自分の悲しみの中に戻っていくんです。」
「んでその赤いコートの後ろ姿をじっと見送る和賀の袖には、やっぱりあさみの血が付着していたんだね。視聴者的にはそれを見て、ハハン成程、このコートが先々、和賀を追いつめる物的証拠になるのかもなと予想する。そこで画面は暗転されてコマーシャルが入るんだけど…これもちょっとすごいよな、オープニングからここまでノーCMで来てるぜぇ? 途中に例のすこやかな提供ナレーションが入っただけで。」
「やりますねぇTBS。智子さんもチャプター作成が楽だったでしょう。必ずといっていいくらい暗転で場面が切れますからこのドラマ。」
「そうそうそう! だからチャプターメニューを表示させると、全部真っ黒でよく判んないという(笑) そこまでサムネイル選んでないからね! でもそういや総長はタイトルだけじゃなく、チャプターも全部中居さんにしてるって言ってたな。やりますねぇイエローノート! 家事よりずっと細かいんだってさー。」
「そうですか。ご苦労様です(笑)」


【 和賀の部屋 】
「さてCM明けは東京タワーと上空の風の音に始まって、和賀のソアラがマンションへ戻ってくるところから。テロップには一応『東京都港区芝』って出るけど、仮になくても判るよね。横浜にしても蒲田にしても、ランドマークな建物が必ず映ってるから。」
「いや東京タワーが東京にあるのはともかく、港区芝にあると知っているのは関東の人だけだと思いますけれども…。」
「だって東京タワーだけじゃなくNECの本社ビルだって映ってるじゃんかほらぁ。ぜってー芝だよぉ。」
「ますます判りませんよ。同業者だけですピンと来るのは。」
「そういうもんかねぇ。しかしすごいマンションだなここ。いーやいわゆる億ションてやつか。和賀の部屋もなんか広すぎて仕切りがなくて、落ち着かないんじゃないかと思うけどねー。間違ってもこの部屋で怪奇もんの映画なんか見たくない。」
「まぁまず和賀はそんな映画は見ないでしょう。ピアノにしか興味のない男なんじゃないですか。」
「だろうねぇ。リビングか寝室に大型観葉植物の一鉢くらいあってもよさそうなもんなのに、無機質な空間だよ。あ、それともピアノに湿気は大敵だから、植物はいっさい置かないとか?」
「そこまで徹底しているかも知れませんね、この男なら。もっともエアコンで温度も湿度も完璧に調節された部屋なんでしょうけれども…。」
「まーな。それくらい完備してるよな。でもってその部屋に帰宅した和賀は、クロゼットのある寝室からシャツを羽織りつつリビングに降りてきて、三木のバッグを持って洗面所に行き、セーターを取り出して洗うんだけどさ、このシーンの和賀って何かお間抜けで愛しいよね〜。ホントに『和賀ちゃん』て感じがする。そもそもこのセーターを手洗いしようっていう発想がヌケてるし、白いシャツ着てやるのがもっとヌケてる。洗ったって駄目だって血は。落ちないって。あーあーもうそんなに洗剤つけてゴシゴシやったんじゃ、大事な指が荒れるだけだってばぁ。…って画面に向かって突っ込んでましたワタシ。愛しいわー和賀ちゃんったらっ。」
「まぁこれだけベッタリ返り血がついていればねぇ…。捨てるに捨てられずとにかく反射的に洗おうという気持ちになるかも知れませんけれども、僕はむしろ、和賀はセーターを洗うことで自分の罪も洗い流したいと…、『洗う』という行為そのものに何かを求めていたんじゃないかと思いますね。」
「ああそういえばナニ金にもあったっけね。篠原涼子さん演じる、恋人の保証人になったためにフロに沈められた女の子が、最初の客が帰ったあとで泣きながらバスタブを洗うシーン…。なるほどそうか、『洗う』という行為自体が、この時の和賀にとっては重要だったということだね。」
「ええ。何かに憑かれたように和賀は、セーターを洗わずにはいられなかったんでしょう。大事な指が傷つくのもいとわずに。」
「ここでラスカルとか言っちゃあ…駄目だよねー。はいはいはい睨まないでっ! でもさでもさ、アタシが突っ込んだのはさ、こういう時に必要なのは発想の転換で、洗うんじゃなく染めればいいんだよ和賀ちゃん! 紅茶かワインで染めちまえ! じゃなきゃ巨峰をいっぱい買ってきてね、果肉は食べて皮だけをナベに入れて、そこにセーターも入れてグツグツ煮るんだよ。いい色になるぞぉ〜。」
「いえ発想の転換は判りますけれども、現実にはやはり燃やすのが一番でしょう。いっぺんに燃すとおそらくスプリンクラーが反応しますんで、ハサミでハガキサイズに細かく切って、毎日少しずつ燃やしていくんです。」
「いやいや今度は私が反対する。和賀はそんなに長いこと、三木の血を吸い込んだセーターを手元に置いときたくないんじゃない? できれば一刻も早く、自分の目に触れないところへ遠ざけたい。それが人間の意識ってもんじゃないかな。」
「それはもちろんそうですけれども、背に腹は替えられませんよ。この場合、自分で燃やすのが一番確かです。巨峰と一緒にナベで煮るより。」
「そーかねー。巨峰グツグツ、いいアイデアだと思うけどねー。」


【 操車場 〜 和賀の部屋 〜 今西の家 】
「ここは細かく画面が切り替わりますね。三木の死体を見つける検車係、セーターを洗い続ける和賀、下町の家々と深夜のコール、呼び出されて家を出る今西刑事…。例によってセリフは一言もなく、状況説明はテロップとBGMだけです。」
「やっぱいいねぇ今西刑事ねぇ! 登場しただけで雰囲気あるよ。下の名前が修一郎だとは知らなかった。警視庁捜査一課の警部補か。『踊る大捜査線』でいえばホンテンの人だね。でもホンテンの刑事さんでも、こんなどう見たって真夜中の時間であっても事件があれば出ていくのか。激務だねぇ。」
「今西がふと見上げた月が、墨絵のような雲に隠れていくのはいい演出でしたね。不吉な予感…、この事件がかなり長引きそうな予感がします。」
「この月ってさ、もしかしたら今西の心にも、何か過去の記憶をよびさましたかも知れないね。彼は子供の頃に、やっぱり刑事だった父親を逆恨みした犯人に誘拐されたことがあるんだべ? その時監禁された窓から見上げた月が、ちょうどこんなふうだったとか…。色々と深読みすることができるよね。」
「そうですね。台詞のないドラマだと視聴者はそれができるんです。ここで例えば今西に、『やれやれやっかいなヤマになりそうだな!』 とでも言わせてしまったら、見る者の想像はそこで止まってしまいますけれども、無言で月を見上げるという動きだけだと、視聴者は好きなように色付けして創造することができます。『行間を読むドラマ』という言い方は制作側の傲慢に陥る危険もありますけれども、何から何まで至れり尽くせり過剰に説明されるよりは、ずっと深く長く楽しめるのも確かなんじゃないでしょうか。」
「まぁそのへんのバランスもまた難しいけどね! 説明不足だという批判も出かねないし。ああそれから和賀ちゃんの懸命な洗濯努力は、結局むくわれなかったね。どんなに洗ってもこれは落ちないだろうという血痕の筋が、すでに繊維に染みこんで黒っぽく変色してしまっている。」
「もう、もとの純白には戻らないんですね。このセーターも、そして和賀本人も…。」


【 操車場 〜 和賀の部屋 〜 操車場 】
「さて場面は変わって、深夜だというのに大騒ぎの操車場。やってきた今西を迎えるのは所轄の吉村刑事。今西を室井管理官とすれば、吉村は青島の位置づけだな。今回のドラマではこの吉村役が、結果的に一番美味しかったね。関川よりずっと目立ってたよ。」
「そうですね。永井くんも熱演でした。」
「うん。10年前の中居さんならさしずめこの役どころだろうな。んでこのシーンで判るのは、今西の家庭が円満であることと今西と吉村は気が合うこと、三木の死体の状況と、今後の捜査の展開についてだね。」
「今西が瓢々としたキャラクターであることも説明されていますよ。しかめっ面で怒鳴ってばかりの古臭い刑事ではなく、凶器の石を見にいく時の『いただきますか』といい、なかなか剽軽な男じゃないですか。」
「適役だね謙さんね。軽みがあって、かつ迫力がある。」
「一方和賀はこれ以上セーターを洗うのを諦め、とりあえず乾燥機で乾かします。現場にいる刑事と証拠隠滅を図る犯人とを、ここで並行して見せているんですね。」
「うーん…。でも和賀のやってることはやっぱ何となく間抜けじゃない? 演技とか演出とかがじゃなく、血痕を落としきれなかったセーターを乾燥機で乾かすという具体的な行為が、なんか微妙におかしいよ。乾かすクダリは飛ばしてさぁ、いきなりハサミで切るとかしてもよかったんじゃん? いくら清潔で美しくすこやかな毎日を目指すからって、洗ったあと順序正しく乾かさなくても。」
「気に入ったんですかそのフレーズ(笑) すこやかな毎日って。」
「なんか日本語的にね(笑) すこやかな毎日ってよくない? てかこれってやっぱ和賀がセーター洗ったのはさ、スポンサー様のご意向なんじゃないのかぁ?(笑)」
「まぁよしましょうそういう読みは(笑) シニカルすぎると嫌味ですよ。」


【 和賀の部屋 】
「かくして悪夢の一夜が明け、一睡もしなかったろう和賀は引き続き三木の私物を処分する。シュレッダーが部屋にあるのは作曲家なら当然だね。」
「カッティングしているのは免許証と、それに健康保険証…。遠距離旅行だったせいで、保険証も持ち歩いていたんですね三木は。」
「シュレッダーってさ、紙だけじゃなく少々の厚さのもんなら刻んでくれるから、証拠隠滅には便利な機械だよね。まーそれにしてもこのシーンの和賀の背中は、これまさにいいわぁ星人殺し以外の何物でもないね! 白いシャツに覆われた肩の線、背中の線…。スタジオアルタの客席から1.2mの至近距離で、中居さんのお背なを見つめてた時のことを思い出すなぁ…。実物の中居さんてさ、華奢だのカワイイだのって雰囲気は微塵もないからね。すんごい男っぽい背中に、どこが庶民派なんだっていうような近づきがたい拒絶のオーラをまとってらっさる。衣装の青い綿シャツを通して、筋肉の厚みと骨格の毅(つよ)さが伝わってきそうだったよ。あん時の至近距離のお背ながさぁ、蘇ってきそうなシーンだよなぁ…。もうこりゃ遠吠えモンだよ。わ〜お〜〜ん〜〜〜…。」
「はいはい近所迷惑ですから、遠吠えするなら冷蔵庫にクビ突っ込んでやって下さい。できれば中に入って頂いて、ドアも閉めてもらっていいですよ。…まったく、女子高生の制服姿にヨダレ垂らしてるおじさんと同じじゃないですか。」
「エッヘヘヘ〜、おじさんでけっこうですよーだ。兵庫に相模原に大和田町と、いいわぁ星人はおじさんばっかさぁ。それもこれも中居さんが素敵だからであって、もう仕方ないじゃんかぁ。さらにこのシーンではね、TVから聞こえてきた蒲田操車場死体発見のニュースに反応して画面の方を振り向く和賀の、この色っぽい衿元にいいわぁおじさんは全悩殺さ。真っ白いシャツだけに、そこからのぞく首筋がかえってセクシィなのよねぇ…。いいわぁいいわぁぁ…♪」
「もう今回はいいわぁコール無制限ですね。炸裂してますよ。」
「そうそう炸裂炸裂! ずっきゅーんよ。んで和賀の見たTV画面に映ってるキャスターって、安住アナかと思ったら違うみたいね。そういうおアソビはなしか、このドラマの場合。」
「まぁ多分やらないでしょうね。確かにちょっと似てはいますけれども…。」
「しかし朝になれば死体が発見されるのは当然で、報道そのものは別に早くもないんだろうけど、和賀にとって誤算だったのは女性キャスターの読み上げた内容だね。死体の身元を判らなくするため顔を潰し、さらに完璧を期して車輪に轢かれるよう線路の上に寝かせておいたのに、夜の間に検車係が死体を発見してしまった。ということはあの死体は生前の三木の特徴をまだ残していて、身元が早期判明する可能性も高いってことだもんね。頭いいんだな和賀ってな。ずっと計画を練って犯行に及んだ訳じゃなく、きっかけは突発的な事故だったのに、ほんの短い時間で証拠隠滅の方法を二重に張り巡らしたんだからね。」
「でも結果は失敗でしたよね。それじゃあ二重の証拠隠滅作戦もあんまり意味はなかったというか(笑)」
「そだね(笑) でもとにかく考えついたのはすごいよ。車輪で顔を砕くなんて悪魔の智恵かも知んないけど。んで映像は懸命の聞き込みを続ける今西たちの姿になって、まだ有力な情報は得られていないことが、ドキュメンタリータッチのテロップによって説明される。そのニュースを聞きながら和賀は黙々と、シュレッダーで細断した中身のビニールを縛ってるんだけど、こうもたびたび中居さんの手元がアップになるのはさ、制作陣が、BBSを代表するインターネットで情報収集した結果だろうね。多いもんねー手フェチのインターネッター! それと背中フェチと! コアな中居ファンが泣いて喜ぶマニアックなカットをさ、ほぉれお前らが好きなのはこれだろぉー!って、エサみたく投げ込んでる感じがするもんね。まぁたそこに群がるから、青いフナどもが!」
「確かにあちこち出てきますよね手のアップは。うちなんかも案外、スタッフにチェックされてるんじゃないですか?」
「どうだかねー! あんまりリンク張ってないからね。もとよりそんな大サイトにはなりたくないし。駅前の大型レストランじゃなく、メインストリートを1本入った道にあるツゥ好みの珈琲専門店。それが弊サイトのコンセプトですから。にゃははっ♪ しゃらんら〜ん♪」
「何を金スマしてるんですか。はいまた話がそれてきていますよ。ビニール袋の口を縛って、和賀はそれからどうしたんですか?」
「えっとね、そこでTVから聞こえてきたのが関川の名前だったんで、和賀はそちらを見るんだな。スタジオで女性アナウンサーの質問に答えてもっともらしいコメントをしている関川は、まるでピースみたいだよね。少しの間画面を見ていた和賀は、おもむろに立ち上がってリモコンを手にとり関川を視界から消す。この消し方でさ、和賀が関川をどう思っているかが判るよね。目障りでさぁ、本当は軽蔑していて、でも自分と同じ匂いがちょっとする相手。関川という男もあざとく名誉を求め名声を狙っていることが、和賀には判るんだ。隙を見せると危ないタイプ。しかも関川は、ピアノの技術と表現力というある程度確かな実力をもってのしあがってきた和賀とは違い、舌先三寸でメシを食っている評論家。人の作品を大体はけなすことで、注目と評価を得ている職業。これが和賀の軽蔑の理由だろうし、自分がクリエイターでないことをよく知っている関川の嫉妬の正体なんだと思うよ。歳も近い2人は社会的に何となく『文化人』という曖昧なくくりで認識されていて、だから表面的な親交はあっても、その実(じつ)心中では火花を散らしているに近い。和賀の築いてきた土台を、油断ならないネズミのようにカリカリ噛るのが関川。足元をすくわれる怖さも和賀にはあって、そういう相手に自分の犯行を訳知り顔で論評されるのは、不愉快きわまりない事なんじゃないの。」
「そうですね。和賀と関川の位置関係はすごく微妙で、面白いエピソードが色々作れそうな間柄です。なのにそんな関川にストーリー上あまり活躍の場がなかったのは、やっぱりもったいないですね。」
「ほんとだよねー。『もう1つの砂の器』とか、映画でやってくれよって気もする。でもまぁその話は今は置いといて、次のシーンよ次のシーン! ニュースを消し無音になった室内で和賀が見やるのは、彼がこの世で唯一本当の自分をさらけ出せる、ピアノという楽器なんだ。これから俺はどうなるんだろう、手に入れた全てを失ってしまうのか…。頼む違うと言ってくれ、お前だけは俺の味方でいてくれ。俺を抱きしめて、包んでくれ…。そう話しかけるように和賀はピアノを撫で、すがりついてずるずると床に座り込む。この映像は多分さ、制作側が最も撮りたかったものの1つなんだろうね。ピアノにもたれる和賀の、触れたら消えてしまいそうな切ない表情。彼の着ているシンプルな白いシャツも、この画のためのものかと思えるよ。」
「ええ。このシーンのカメラは完全に『視線』になっていますよね。熱い溜息をもって和賀を見つめているのが判ります。」
「ところでこのピアノだけどさ。『ショパン』て雑誌にフルコンと―――すなわちフルコンサートピアノと書いてあったんで、ピアノの専門誌だけに間違いないだろうとカナペに書いたら、その後のTV誌によればフルコンじゃなかったんだね! チキショー恥かかせやがって『ショパン』の野郎(笑)」
「このピアノについては確か番宣で1100万円と言っていましたから…スタインウェイのC−227じゃないですか。だとすればフルコンじゃないですよ。その下のセミコンサート仕様です。」
「おっさすが八重垣、ピンポンです。スタインウェイ社ではこの機種を『コンサート・グランド』と呼んでるみたいだから、それでフルコンって勘違いされちゃったのかもねライターさんにね。スタインウェイのフルコンピアノはD−274というモデルで、お値段は1600万円っす。ちなみに『みなとみらいホール』にあった奴がそれ。和賀がチャイコを弾いてたピアノですな。」
「フルコンとセミコンはボディの長さ…というか奥行きが違うんですよね。フルコンは280センチ弱。セミコンは最大で230センチくらいですか。」
「でも普通C−227を自宅には置かないよなー。床補強は工事すれば済むとしても、なんぼ億ションだってスタインウェイを部屋に入れるのは大変だったべー! ドアからは入らないだろうし外から釣る訳いかないだろうし、まさか1回バラして室内で組み立てたとか? ニューヨークから職人さん呼んで。くわーっ和賀ちゃんたら金のかかるオトコ!」
「成功した芸術家は、いつの世も金食い虫ですからね。特に音楽系はそうです。」
「その点文学系は比較的ビンボーだよな。てか作家は飢えてないと駄目なんだよ。金だけじゃなく、何らかのものに。文学は勝者の側からは生まれない。出典があるのかどうか知らないけど、うちの教授が言った名言だね。」


【 蒲田・捜査中 〜 和賀の部屋 〜 蒲田 】
「線路ぎわのアパートの住人に聞き込みしている今西。それと並行して、ピアノに頬をすり寄せる和賀のシーン。この2人が追うものと追われるものであることは、この対比映像で表現されてるんだね。」
「またそれが『動』と『静』であるのもいいですね。室外と室内、雑然たる日常風景と現実離れした芸術的空間。両者は常に正反対の視点で描かれるんですね。」
「今西には印象的なセリフがあるね。吉村が目撃者が見つかったと知らせに来たあとの、『頂きましょ』ってセリフ。死体発見現場での『頂きますか』同様、口癖のようなまた一種のスラングのような、インパクトのある一言だ。」


【 『ゆうこ』の店内 】
「このさぁ、ママ役とホステス役の女優さん、2人ともいいよねー。チョイ役なんだけどすごくうまい。蒲田あたりのやる気のない店の、水商売の女って雰囲気がものすごく出てるよ。」
「この女性の証言は重要ですからね。被害者と加害者の両方を見ている訳ですから。僕ねぇ、原作に一番忠実なのは、このスナックの設定だと思いますよ。三木と和賀が会話をするシーンでも、カウンターで客とママが下世話な話してるじゃないですか。あれもよかったと思うなぁ。隠れた名演出ですよ。」
「そうだねー。三木がしゃべってる時にこのホステスさん、2人の隣のテーブル片づけてたでしょう。あれで彼女は会話を耳にしたんだね。」
「和賀の白いセーター姿は薄暗い店内で比較的目立っていましたから、それもこの女性の印象に残ってしまったんですね。宮田からコートを借りていることから考えても、和賀はカジュアルな衣装を持っていないはずです。せめてこの白いセーターだけが、オールマイティーなインナーだったのかも知れませんね。」
「白じゃなく黒はなかったのかね黒はねー! 黒ならあそこまで返り血も目立たなかったろうに。まぁまさかこの夜返り血を浴びることになろうとは、和賀も夢にも思ってなかったんだろうけど。」
「それでですね。この女性の証言を有力な手がかりとして、特捜本部は捜査を進めていく訳ですけれども、彼女の証言にはすでに『主観』が含まれてしまっているのに、そこを鵜呑みにしたのが初動捜査のミスでしたね。『知り合いがどうとか…』って彼女は言うじゃないですか。チラリと耳にしたカメダという名前を、彼女は人名だと思いこんでしまった。それがそのまま今西の頭にもインプットされて、カメダなる人物を探し始めてしまった訳です。」
「うんうん人間の思いこみって怖いよねぇ。こないだウチの会社でもねぇ、新しいコンピュータ入れるんで電源は大丈夫かって話になって、工事の前に業者に分電盤を見てもらったのよ。そしたらちゃんと配線はしてあるからケーブルだけ伸ばせばいいって言われてね? そうかそうかとその手配をしたんだわ。んでイザ設置の当日、ケーブルを接続しようと別の業者が分電盤をいじったら、実はアンタ配線なんてしてある訳じゃなくて、要は配線口に接続の器具がくっついてただけだったの。まさかそこに器具があれば、その先が電源に繋がってないとは誰も思わないでしょー! 言ってみりゃ『出口』と書いてあるドアをあけたら階段がなくていきなり落っこったって感じ? そこに立派なドアがあればまさか誰も、向こう側に何もないとは思わないもんね。思いこみとは怖いもんだよ。今西も吉村も、ただ耳に入っただけの単語を何の疑いもなく人の名前だと思っちゃった。」
「これが手痛いミスでしたね。『カメダ…』とつぶやく今西は、この時はこの事件が、けっこう簡単に解決すると思っていたかも知れないですね。」


【 和賀の部屋 】
「んでここもまた、いいわぁ星人皆殺しのサービスカット満載・雨アラレのシーンだねー! しょっぱなのピアノにもたれてうとうとしている和賀のアップがもう最高だし、遠くで聞こえるサイレンの音を最初はただ聞いていたのに、次の瞬間ビクッ!と反応して立ち上がる…こん時の衿元がたまりませんなっ!」
「成程ね。はい。まぁ和賀の反応はリアルといいますかね、犯罪者の心理としては当然のものでしょう。こんなに早くパトカーが来るはずはないと、考えてみれば当然判ることなのに、不安と恐怖が過敏反応を起こさせるんでしょうね。」
「またこのサイレンの音ってのがさぁ、どんな場所にいてもよく聞こえるんさぁ。高層ホテルにいようが展望レストランにいようが、上の階の音は聞こえないのにサイレンだけは聞こえるよね。不思議なもんだ。」
「あれは多分、音の中で人間の聴覚が最も捉えやすい周波数を設定してあるんじゃないですか。いや僕も専門じゃないんでよく判りませんけれども、それくらいのことは考えられている気がします。」
「かもねー。救急や緊急を告げる音はそうでなくちゃね。あとあの暴走族なんかのクラクションの、ゴッドファーザーのテーマ! あれもよく聞こえるよねー! 『チャラリラリラリ♪ ラリラリラ〜♪』 最後のラが妙にハズれているのはなぜ(笑)」
「そういえばあれも響きますね(笑) 夜中にそのすぐあとをパトカーのサイレンが追いかけていくのが聞こえたりすると、ちょっと笑っちゃいます。」
「笑っちゃうといえばこの和賀ちゃんのクロゼット。三木のバッグを早いとこ処分しなきゃと思った和賀ちゃんが、バッグをビニール袋に入れたあとクロゼットをあけて、ブティックの紙袋を取り出すのがものすごく愛しい(笑) ちゃあんと畳んで、とってあるのねー和賀ちゃんたら♪ 今までにいったい何を買ったのぅ? おねーさんに見せてごらんん? スーツ? コート? フード付きパーカー? 一番のお気に入りはどれっ?」
「…はい次のシーン行きますよ。戻ってきて下さ〜い。」


【 蒲田西警察署 】
「初動捜査の結果を報告しあう刑事たちのシーン。ドラマでよく見る、お決まりのシーンだね。」
「シーンへの『入り』は刑事目線のカメラ。これはちょっと印象的でしたよ。」
「捜査1課長を演ってるのって正露丸の人だよね。役名は例によってテロップで出るけどさ、この刑事たちが目立った活躍をするシーンて、この先特にないよねぇ。丁寧にテロップ出す意味あったかな。」
「単にサスペンス調の雰囲気を盛り上げるためじゃないですか。管理官がごついおじさんで、いい感じですよ。昔ながらの刑事さんっぽくて。」
「全体的にちょっとレトロな感じするもんね。いやそう思うのは湾岸署の見すぎか?(笑)」
「刑事ドラマのイメージを変えましたねあの作品は。エポックメイキングと言っていいんじゃないですか。」


【 マンション地下 】
「このシーンの和賀ちゃんも好き好き好きぃー。こんなスカしたカッコして、ゴミ持って出てくるアンバランスさがすごくいいー! いつも何を捨てるの和賀ちゃんっ! 『家政婦は見た!』になりた〜い!」
「いいわぁおじさんの次はいいわぁおばさんですか。手薄なところはどこにもありませんね。」
「しかし和賀ちゃんたらツイてない。ここのマンションの管理人は責任感のある優秀な人で、清掃局のご迷惑にならないようちゃんとゴミの分別をしてくれてるなんてね。」
「ゴミの分別に関しては、東京23区内は日本1うるさい土地ですからね。港区なんて特にやかましいんじゃないですか。」
「群馬も最近うるさくなったよ。まぁ当然のことだけどもね。環境への配慮は人類の責務だ。んでこのシーンの和賀のさ、微妙な表情の演技はすごくいいよ。ゴミ持ったまま行こうとしたのに管理人に呼び止められて、『気づきやがった…』みたいな目をするところ。でも言葉はあくまで礼儀正しく、シュレッダーの中身を手渡してもバッグの方は、『これは違いますから』と大事そうにして、歩き出しながらチッという顔をする。車に放り込むやりかたも忌ま忌ましそうだしね。」
「積んでおきたくなんかないでしょうからね。三木のバッグも、白いタートルネックも。」


【 車中の和賀 】
「このシーンではこれまた、いいわぁ星人ドモが大絶叫! 眼鏡してハンドル握ってる中居さんなんて、もぉもぉヨダレもんですから! ッとに中居ファンの嗜好・性向を、正確に把握してやがるよ制作側は! マジ悲鳴あげそうになったよ私。しかも助手席アングルのカットまでありやがって、隣に座ったらこうなんだよ〜って催眠術かけられてるみたいだった。チキショー手のこんだことをするぜ東京放送!」
「はいはいはい。…そういえばこのソアラもけっこう話題になったみたいですね。ドラマをきっかけに全国で何台くらい売れたんだろう。」
「そりゃあ1台2台じゃないだろぉ。現に以前さ、慎吾のポスター目当てで三菱のクルマ買った奴、あたし知ってるぜぇ? 今回だって『Lovely6』欲しさにTBSの住宅展示場行った人いると思うもん。ついでにモデルハウス見てその気になって家建てたって人も、全国レベルで見ればけっこういるんじゃないか?」
「やはり企業にとって、TVの宣伝力はまだまだ絶大ですね。民放局の経営基盤は当分変わりそうにありませんね。」
「んでここで和賀は車中から、蒲田でぶつかった赤いコートの女―――あさみを見つけるんだけど、顔を確かめる前に彼女は階段を降りていってしまう。あっ、と思った瞬間のスローモーションは効果的だね。よく見る手法っちゃあよく見る手法だけど。」
「あさみについてはここで改めて、テロップで紹介されますね。劇団『響』の女優であると。このキャラは原作には登場しないとあちこちに書かれていますけれども、単に下の名前を変えてあるだけで、劇団の事務員の成瀬という女性は原作にも出てきますよね。このドラマと原作ではキャラクターの名前がずいぶん変わっています。綾香は佐知子ですし今西修一郎は栄太郎ですし、あさみもその一例でいいんじゃないでしょうか。扱いは大きくクローズアップされますけれども。」
「ね。つーかクローズアップしようと思ったら、中途半端に終わったって感じだよね。」


【 劇団・響 】
「主役を射止めたと知ってあさみが喜ぶこのシーンは、惜しいことにほとんど伏線倒れだね。あさみが和賀とぶつかる前に指を切ったいきさつと、衣装係の宮田くんの登場には意味があるけどさ。」
「ええ。麻生ももったいないキャラクターでしたね。市村さんの独特の存在感といいテロップの『主宰』という呼称といい、怪演が期待できたかも知れないのに。まぁもっともバランスという面を考えると、麻生にはわずかなシーンで強烈な印象を残す役割がふさわしいんじゃないですか。」
「あ、それいいね。ちょこっとなのに印象的なキャラ。まさにそれができる役者さんということで、市村さんのキャスティングだったんじゃないかな。しかも市村さんはスタンスが謙さんとカブんないしね。ちょっとお派の違う本格俳優。」
「市村さんの本職は舞台、しかもミュージカルで有名ですもんね。謙さんとは競合しないです。」
「んでこのシーンでね、あんまり意味はないだろうけど個人的に印象深いのは、麻生があさみの服のファスナーを上げてやるところなんだ。真っ先に思い出したのは古畑任三郎の、山城新伍さんがマジシャンを演じた話。松たか子さんが彼の弟子役なんだけど、女好きのこのマジシャンが彼女の衿のボタンを黙って留めてやるのを見て、古畑は彼女がマジシャンの実の娘だと直感するんだよ。せっかくひらいた女性の衿を閉じる男性は身内だけです、って古畑のセリフがあるんだよなぁ…。」
「いやまさか麻生はあさみの父親ではないでしょう(笑) そういうドラマですかこれ。」
「ちゃうちゃうちゃう(笑) そんなバカラ(笑) 要するに麻生はね、あさみを性的対象として見てはいなかった…。いや実際にえっちするしないじゃなくてね、嫌らしい見方はしていなかったってことかなと。じゃあ桐野カヲルには『女』を見たのかというとそうでもない。つまり麻生というのは、和賀によく似た潔癖な、完璧主義の男だってことでいいんじゃないの。」
「なるほど、芸術家としての傾向が和賀に似ているんですね麻生は。」
「そう。だからね、関川とも違う『同業者』として和賀の何かを見抜く男。麻生譲とは、そんな意味を持つキャラクターなのだと位置づけたいね。現に第9回だっけ? そんなセリフもあるけどさ、残念ながらさほど活かされていなかった。もったいねーなーホント。私が思うにこのドラマって、最初の数字取れすぎなんだよ。手堅く14%くらいから行けばよかったのに、すごい数字取ったらそのあと何か浮足立っちゃってよぉ。振り回されて軸がブレたんだな。その結果の全体の不整合だ。最終回の力技で何とか着地を決めたのは、これはもう奇跡だね。」
「ちょっと待って下さい(笑) あれだけ製作費かけて番宣も派手にやって、それで初回14%だったらプロデューサーの責任問題ですよ。TV局はボランティアの福祉団体じゃない、ドラマ作りはビジネスなんですから。それこそ『宿命』ですよ。」
「宿命なぁ。確かにそうだよなー。スタッフは何度かつぶやいたかも知れないね。どこかに何か言われて方向転換するたび、これが俺たちの宿命、宿命って。いっそそのへんをこそ、ドラマにしたら面白いんじゃないのー? すんげぇリアルなやつ。伊藤ちゃんあたり主役にして、本人役で中居さんがゲスト出演とか。大ヒットしそうな気がするなー。問題はスポンサーがつくかどうかだ(笑) スポンサーは多分悪役だからね。」
「ちょっと面白そうですね。シャレの判る企業があるといいんですけれども。」


【 川べりの公園 〜 操車場 】
「車中で新聞を読む和賀のシーン。CMで分断されても場面転換しないという、すごい珍しいシーンだったと思う。合奏練習をしている子供たちを見る和賀の目が、ずいぶんと優しいのは予想外だったなー。和賀が決して冷血漢ではないことの表現なんだろうね。あとは彼の心の底に、彼自身気づいていない、父と過ごした子供時代を懐かしむ気持ちがあることの。」
「この場面もやっぱり、追う者・今西と追われる者・和賀の対比ですね。同時に時間も経過しています。」
「和賀のシーンは夕暮れ、今西は夜だね。時間は和賀をも今西をも、じりじりと憔悴させながら過ぎていくんだ。」


【 パーティー会場 】
「ここも番宣シーンでよく見ましたね。直前スペシャルでも流れてませんでしたか確か。」
「かも知んない。こういう、色んな登場人物が一堂にパッと集まるシーンってこのドラマには本当に少なかったから、今にして思うと貴重なシーンだね。」
「画面も華やかで、動きがありますしね。」
「ネクタイしてる和賀も実は貴重なのよ。登場する時に向こうからこう歩いて来ながら、人さし指で口元をちょいちょい掻く仕草がいいわぁ♪ なんかこう、生粋のお坊ちゃま育ちではない感じがありありでね。周囲に対しても、違う場所で生きる生き物を見るような目で見回す。こんなゴタゴタ飾った場所が似合う男じゃないんだよね和賀は。いつもいつも自分を隠して、無理してるんだろうな。」
「ですから和賀はピアノの前でだけ、自分をさらけ出せるんでしょうね。そこで解放されるエネルギーの激しさも、和賀のピアノの魅力の1つかも知れませんよ。」
「お、いいこと言うねー八重垣♪ もし『ショパン』か何かで特集組んだら、タイトルはこんな感じだと私は思うね。『和賀英良 〜氷の情熱・その奇跡のレガートに酔いしれる〜』。氷みたいに正確なテクニックと、ほとばしる叙情性、炎のような情熱…。それらを兼ね備えた希有なピアニスト、というのが和賀に冠せられた形容なんだねぇ。大御所の古典派から親(しん)マスコミの革新派まで、クラシック界全体が注目するのも無理はない。かてて加えてこの整ったビジュアルよ。まさにスターの素質。和賀が表紙の『ショパン』は、出版社にも問い合わせがくるほどの反響だろうねきっと。」
「早くもそういう設定にしちゃったんですね智子さんは。楽しいでしょう、そういうの。」
「もちろん♪ 楽しくてたまんないからやってるよ♪ んでこの場面で忘れちゃならないのは、まずは綾香との会話で和賀の言った『ん?』だね。いいよねーこの『ん?』! 間合いも声も表情も絶品! その直前に誰かの広げている新聞の『タートルネック』でギクッとする表情があるだけに、一転した甘い視線の『ん?』が際立つんだよなー。聞き返させたら日本1だね中居さんは。」
「ふぅん。色んな日本1があるもんですねぇ。」
「もう1つ忘れちゃならないのは、関川の性格描写。和賀との会話に見える2人の本心については、もうさんざん語ったんでいいとして、田所が来た時の関川の態度がさ、元大臣に自分も話しかけてほしくて、お辞儀したくてウズウズしてるのが判るもんね。けど田所は和賀にだけニコニコ話しかけていて、政財界にもファンが多いから紹介したいって言うじゃん。その間関川は順番待ちみたいに直立して田所を見ている。んで関川の後ろにはもう1人、田所の視線を待っているおじさんがいるんだよね。和賀と話し終わった田所はそのおじさんに気づいて、手前の関川じゃなくおじさんの方に、どうぞごゆっくりと言葉をかけて行ってしまう。その時見せた失望の顔が、関川の偽らざる本心だよ。田所に相手にしてもらえなかったからこそ斜に構えて、『よく権力にすりよれるもんだよな〜』 とか何とか和賀を貶める発言をするんだ。このシーンにそれがはっきり出てるよ。」
「その点は唐木の方が素直ですね。いつの世も芸術家には有力者の援助がつきものだと、達観した感想を言っています。」
「対して関川はシニカルに、『芸術家ねぇ…』と和賀を見る。けなすのが仕事の評論家なところへもってきて、屈折した嫉妬心もあいまって、関川は和賀の全てを否定してかかる気持ちになっているんだね。」
「華やかなシャンデリアの元で、2人の男の思惑が火花を散らす訳ですね。ドラマティックなパーティーでした。」


【 和賀の部屋 】
「夕景が時間の経過を表して、部屋に戻ってきている和賀。コートも脱がずに読んでいるのは、ロビーで誰かが読んでいたのと全く同じ新聞だね。広告欄の『500億本』て文字に見覚えがある。さりげなくスポンサーさんをヨイショしているのが巧いな美術さんっ!」
「目立たない個所でシャレたことをしていますね。こういう遊び心は好きですよ僕も。」
「メインの記事にはその後の進展として、『唯一のカギ・カメダ』の見出しがついている。ここで和賀がハッとした顔をするのは、亀嵩をカメダと聞き違えたんだと、真犯人にしか判らない正解に思い至るからだね。」
「でもそういった和賀の心の動きが、セリフもないのにこうしてちゃんと判るというのは、中居もまぁ…なかなかやるということですね。」
「あたぼーよ。このドラマにおける中居さんの熱演は無条件に認めなぁいかんよ。さらにこの亀嵩とカメダの関係に気づいたあとの、力なく新聞をテーブルに放ってから『カ・メ・ダ…』と唇だけでつぶやくアップね! こぉれはもうスタッフの確信犯だ、間違いない! ここではいいわぁおじさんもいいわぁおばさんも、食いつくぞテメー!と身悶えしたに相違ないよ。中居さんが前髪上げるべきか下げるべきかは青組内でも意見が分かれるみたいだけど、あたしゃ断然上げる派よ。何たって中居さんは額千両。惚れ惚れするような額だよ。でもって瞳が万両の、唇は100万ドルってとこじゃない〜♪ えへえへえへへぇ♪ ユーロにポンドにアメリカドォ〜ル♪ アハ〜ン♪」
「デフレには縁のない男みたいですね。ちなみに僕の目はいくらくらいだと思います?」
「そーね、グラム320円くらいじゃない?」
「細切れ肉ですか俺は!」
「だいじょぶだいじょぶ。ドー国に輸出すれば高く売れるからね。さらに対ドー特別関税をかけて…そうだそうだお返しに五稜郭を前橋にもらおう! さすれば堤町のヅマヒトがさぞや喜ぶだろうて。」
「もう好きにして下さい…。」
「んで話を戻すとだね、その100万ドルの唇で『カメダ…』とつぶやいた和賀は、脳裏に忘れ得ぬ映像を蘇らせて慄然とする。捨てたつもりの過去が、今でも自分の記憶の中にくっきりと刻まれているのに気づくんだ。過去からの来訪者である三木を殺してしまったことで、和賀は皮肉にも過去の自分に直面しなければならなくなった。固く閉ざしていた記憶の扉を最初に押しあけて響いたのは、亀嵩の蒸気機関車の汽笛だったってことだね。」
「この蒸気機関車なんですけれども、ドラマの否定的な批評の中には、やはり時代設定において根本的な無理があったという意見もありますよね。例えば蒸気機関車というのは古すぎないかと。」
「うん…。設定の古さは私も感じた。でも蒸気機関車に関して言えばさ、高崎前橋のそのへんをふっつーに走ってるからねぇ。そりゃまあ観光用の臨時列車だけど。毎朝上野に向けて発車してる訳じゃないけどさ。でもねー、普通に踏切待ちしてて、目の前をD51に走り抜けられるとびっくりするぞぉ? 私なんて一瞬何が起きたか判らなかったもん。あれは人生のびっくりしたランキングのベスト5には入ってるからね。」
「SL水上号ですね? いや奥利根号でしたっけ?」
「どっちもそうだよ。ちなみに今まで生きてきて一番びっくりしたのは、夜中にそーっと帰ってきた時、たまたまトイレの前にいた母親を亡霊と間違えた時だね。あん時は心臓が止まるかと思ったよ。んで第2位は松戸の銭湯。引っ越してきたばかりでさ、お風呂の掃除すんの面倒臭いから銭湯行くべーって出かけて、今までは左が女湯だったから疑いもせずにそっちの戸を開けたら、目の前にいたすっぽんぽんのおじさんとモロに目があったんだよね。いやーびっくりしたなーあん時は!」
「向こうの方がびっくりしたと思いますよ…。」


【 捜査本部 】
「さて事件発覚から1週間が過ぎても、捜査には進展がないようですね。若い吉村はもう苛立ち始め、マスコミが自分たちをけなしているのに怒っています。今西の方は一見余裕のようですけれども、内心は吉村以上に苛立っているんでしょうね。」
「でもまだ『カメダ』は人名のまま。この視点を変えない限り捜査は先に進まないんだけどな。」
「カメダはどこへ行ったんだとぼやく今西のセリフにかぶせて、場面転換はスムーズになされます。追われる立場の和賀の方へ。」


【 川べりの公園 】
「和賀ちゃんはまたまた車の中で新聞チェックだね。追いかけてくる猟犬どものしぶとさに、彼もまた苛立っているのが判る。でも記事を見る限りでは今のところ、猟犬どもは自分を包囲するには至っておらず、まだまだこちらが勝っている。はぁー…と溜息をつきながら和賀は、落ち着け落ち着けと自分に言い聞かせているのかも。」
「それと今思ったんですけれども、もしかしたらこの場所は、和賀がピアノの次に自分を取り戻せる場所なのかも知れないですね。キーワードは夕陽でしょうか。合奏する子供たちを見やる目は相変わらず優しいです。」
「合奏の曲目が『赤とんぼ』というのも、今どきアリか?って気はするけどね。まぁそれは重箱のスミだからどうでもいいや。和賀は車を降りて柵に近づき、光る水を背景に立つ。反射でかなりまぶしそうだね。小脇に挟んだ新聞には『迷宮入りか』の文字もあって、願わくばそうなってくれ、このまま何事もなく無事に済んでくれ…と和賀が祈った時、するりと新聞が彼の手を離れて落ちる。川風を受けてバサリと乱れる髪の感じがいいわねぇ♪」
「そこへちょうどあさみがやって来るというのは、またドラマらしい偶然ですね。あまりにも出来すぎていますけれども、まぁこの程度はいいでしょう。もとより虚構なんですから。それより和賀の今の心情の中に、このシーンに、あさみが現れることの意味ですね。」
「子供たち、ピアニカ、そして夕陽…。過去のキーワードと現在の和賀と、そこへあたかも両者を繋ぐもののように、あさみが微笑みながら現れるんだね。和賀は一目で、蒲田で会ったあの女だと気づくけど、和賀は今とは全然雰囲気の違う格好をしてたから、あさみには誰とも判らない。親切に新聞を拾ってやって、ハイと和賀に手渡すんだね。」
「和賀は明らかに動揺していますね。短く礼を言って、これ以上話しかけるなと言わんばかり顔をそむけたのに、一旦行こうとしたあさみはやっぱり声をかけてきます。何でもない一言なのに平静でいられないのが、犯罪者のどうしようもない心理ですよね。」
「ここでの会話はさ、なんか小説的というか舞台的でいいよね。あさみの言う『いつも夕焼けを?』とか、和賀の『ここにはよく?』とか。口語体じゃなく文語体なんだ。文学の香りみたいなものを、この脚本はドラマに漂わせたかったんだろうな。」
「バックの雲も綺麗ですね。鳥の羽みたいな絹雲が放射線状に広がって薔薇色に染まっています。雲ばかりはスタッフの思うままにならないでしょうから、こういう絶妙のタイミングは嬉しいでしょうね。」
「ここはまさに一幅の絵だよね。自然界の撮影協力の中、和賀の表情もいい感じだよ。あさみに対する微妙な意識…逃げたいような、徹底的に自分を突きつけて彼女の記憶を確認したいような、両極端の気持ちがちゃんと出てたと思う。迎えに来た後輩のカヲルとあさみが行ってしまったあとで、今さらソアラで追いかけるのもリアルだよね。その場で的確な行動を起こすというより、タイミングを逃して慌てて後を追う。そういうハタで見てると歯がゆいことをして、んで後悔するのが人の常ってもんさ。和賀もハンドルをドンと叩いて、『あいつは必ず僕を思い出す…』と確信めいた独白をする。その思いが強迫観念みたくなって、このあと和賀をあさみに近づかせるんだね。」
「そこからさまざまなエピソードが生まれる…はずだったんでしょうね最初は。見てみたかったですね、そういう『砂の器』も。」


【 居酒屋 】
「単に刑事2人が愚痴を言いあう場面かと思いきや、捜査進展のきっかけとなる発見を今西自らがするシーン。秋田に羽後亀田という地名を見つけた今西は、カメダとは人名ではないとようやく気づいたんだね。」
「思い込みの呪縛から、今西もこれで解き放たれるんですね。方角は全くの逆でしたけれども、地名だという発見は大きいです。」
「まぁアタシなんかもカメダって言われると真っ先に、あられとおせんべいを思い浮かべちゃうけどな。」
「そう来ると思いましたよ。ソフトサラダよく食べてますもんね。」
「あ、知ってた? あれは美味しいからね。いつも会社のロッカーに買い置きしてあるよ。」


【 和賀の部屋 】
「さぁそしてようやく第1回のラストシーンだよ。長かったねーここまで来るの!」
「ええ。今回は特に長かったですね。絵コンテもどきまでありましたから。」
「ほんとほんと。htmlも128キロバイトじゃ重すぎる。テキストだけでこのサイズって、異常値だよアンタ(笑) 2回めからはもう少しコンパクトにしよう。多分読む方も疲れんべ。」
「賛成です。大いに賛成。とにかく今回のラストシーンをきっちり語ってしまいましょう。箱の中にしまいこんでいた古いピアニカを取り出した和賀が、それで『宿命』のメインテーマを奏でるシーンです。」
「このピアニカは、言うまでもなく和賀の過去の象徴だよね。忌まわしい過去を消し去るために必死でもがいてきた和賀だけど、でも、やはり心の底には忘れがたい想いが沈んでいた。それは父と過ごした幼い頃の時間…。ピアニカを取り上げ、消えかけた本名の文字を撫で、心に突き上げる熱いものをそのまま指にうつしとってワンフレーズ奏でる。その時、ミューズの放った光の矢が和賀の魂に届いたんだね。和賀はピアニカを置いてピアノに向かい、たちまち『宿命』の核(コア)となる旋律を創ってしまう。一瞬であらかた出来ちゃった感じだけど、創作ってのはこういうもんだよね。あとは主題を展開させ組み合わせ、整えていく作業だけなんだ。」
「天啓、というやつですね。和賀の心には一瞬のうちに、父と歩いたあちこちの風景が…青い海や雪の海岸や、秋の山寺、棚田、浜辺で作った砂の器などが蘇ってきて、それらは瑞々しい旋律となって沸き起こり、和賀の内側から鍵盤へと、指先を介して伝わっていったんです。」
「『宿命』のテーマを最初に奏でるのはチェロだって話、オープニングでしたじゃない。あの時言った、『ピアノが主旋律を奏でる時』っていうのがまさにこのシーンなんだよね。和賀の中から沸き起こってきた泉のような旋律…。それを今初めてピアノが奏でている。曲の途中で転調して長調になるところを、私は『海原の旋律』と名付けたんだけどどうかね。空と海と光る波。それらがありありと浮かぶような旋律だから。」
「『海原の旋律』ですか…。うん、いいんじゃないですか?」
「だしょー。んでミューズの降臨から我に返った和賀は、ふぅーっと深い息を吐いて顔を上げ、楽譜を広げて曲名を記入する。記した文字は2つ、『宿命』…。この曲を書くことはつまり、今まで遠ざけてきた過去と正面で向き合うこと。誰とでもない自分との闘い。勝利した時に曲は完成し、しかし和賀英良は消滅するだろう…。そんな予感・直感を、和賀はこのとき心のどこかで感じたんだと思うね。じゃあ自首しろとかそういう現実レベルの話じゃなく、悟りみたいな、魂の予言みたいなもの。最後にスッと上げた和賀の目には、それを感じさせる強い光があったよ。」
「そうですね。このラストは、ずしりと手ごたえがあって且つ示唆に満ちて文学的で悲劇的、さりとて虚しくはないという理想の続き方だったと思います。このあとのオンエア10回分のどれと比べても、完成度はこの第1回が一番高いですよ。スタッフにとっても、一番『純粋』に創れた回じゃないかと思いますね。」
「ほんとだねー…。純度密度どれを取っても、すごく高いよねこの回は。ピアノに主旋律を奏でさせたあとは全く音楽なし。セリフもなくぴしゃっと暗転して、エンドロールと主題歌に移る。巨匠のタクトみたいな終わり方だよねぇ。素晴らしかった。」
「こうしてみるとサブタイトルにあるsymphony…交響曲という言葉は、人生の比喩として使われているのが判りますね。協奏曲である『宿命』のことではなく、『宿命』という曲も含んだ、和賀の人生のことでしょう。」
「うん。それにストーリー・オブ・ザ・ラスト・コンチェルトじゃ響きも軽いしね。―――おっと…? そんな話をしているうちに聞こえてきたこの曲は…?」
「はい、前フリをありがとうございます。えー、聞こえてきましたのは他ならぬ『宿命』のピアノソロなんですけとれも、実は今回ですね、このスタジオにYAMAHAのフルコン仕様、CFVSを用意いたしまして、神奈川支部長こと高見澤さんに、『宿命』を弾いて頂いております。はい。」
「もうちょっと近くに行ってみようか。ね。映像でも音響でもお伝えできないのが残念だけど、高見澤については犬神凶子さんにヘンカンして頂けばいいですから。」
「メイクありの方ですか、なしの方ですか?」
「それはどっちでもいいです。お好みで。まぁ最初はね、八重垣くんに『宿命』を弾いてもらう企画を考えたんだけど、よくよく考えれば、この曲を中居さん以外のキャラが弾くというのも、まぁ抵抗あるという方々もいらっしゃるかも知れない。それによって皆様にも八重垣にも嫌な思いをさせたんじゃいかんと思いましてね。ふんじゃあ高見澤なら問題ないだろうと。そう考えてのキャスティングとあいなりました。本人もこの座談会に備えて実家で練習してくれたらしいんで(笑) こうして披露して頂くことになった次第です。」
「ああ、ちゃんと弾いていますね。音も乱れていません。さすがは音大出。」
「なんか本人に聞いた話だと、音大ってのはピアノは必修科目なんだってね。だから国文科にとっての百人一首みたく、判りません弾けませんはないそうな。また今後はこの高見澤監修で『宿命』を弾くポイントを解説する企画なんかも考えてるんで、残り10回分の座談会を、皆様には気長にお待ち頂けると嬉しいです。」
「でも高見澤さん、手がちっちゃいですね。鍵盤に小型のヒトデがくっついてるみたいですよ。」
「しーっ声がでかいよ八重垣。これでも生意気に精神統一して弾いてるんだから。でもやっぱ誰が見たってちっちゃいよねぇ。ヒトデというか、モミジみたい。」
「モミジじゃ赤ちゃんみたいで可愛いすぎますよ。」
「んじゃ枯れモミジ。」
「枯れ…(笑)」
「ほらよくあるじゃん。赤くも黄色くもならないでいきなり茶色くなっちゃうやつ。カサカサしてさ。押すとパリパリって… あれっ音が飛んだ。おかしいな音大出なのに。」
「何だか肩が震えてますよ。寒いんですかね。」
「笑ってんじゃないの? ほらまた2つ3つ飛んだ。妙だねぇピアノ科でもないくせにピアノ教師やってた、年期の入った人生のベテランがさー。」
「年期って、いったい幾つなんですかこの人。」
「さぁてハウメニーオールド。ネットフレンドの常でアタシもよく知んない。」
「見た目ちょっと年齢不詳ですよねぇ。智子さんより上ですか下ですか。」
「どっちにも見えるっしょ。まぁそもそも私が年齢不詳とよく言われるんだけども。高見澤も30代といえば30代、50代といえば50代…。いや案外若作りなだけで60はとっくに越えてんのかなぁ。…おやっ、突如音がやんだ。」
「…睨んでますよ睨んでますよ智子さん! 犬神凶子がっ!」
「あら、笑ってたんじゃなくて怒ってたんかね。やっべー。…おおっといけねぇあたしゃ仕事が忙しいんだ! ではそういった訳で皆さん! 次回UPがいつになるかは全く予告できないんですけどっ! 時間はかかろうとも最終回まで必ずやりとげますんでお楽しみに! あとのシメは頼むよ八重垣っ! それでは次回まで、ごきげんよぉぉー! レッツゴッドファーザー、チャラリラリラリ♪ ラリラリ、ラ〜♪
「ちょっ…智子さぁーん! なんですかこっ、この僕の背中にかじりついて離れない物体は! 何とかしてください智子さーん! ちょっとぉー! この裏切り者―! 薄情者―っ! ど…どうどうどうどう! 落ち着いて落ち着いて高見澤さん! たかみー!」
「…………。」
「え? なに…何ですか? えっYAMAHAじゃ嫌だ? 和賀ちゃんと同じスタインウェイのコンサート・グランドがいい? 何を言ってるんですかCFVSだって同じ値段なんですよ! しかも国産ですから質自体は上です。日本人が日本のピアノを弾かないでどうするんですか。だいいちね、この湿度が高く気温変化の激しい日本で、常時完璧な調律ができるのは国産メーカーだけなんですよ!」
「…………。」
「え? 歳? あたしはそんな歳じゃない…ええ判りますよそれは。あれは冗談です冗談。悪ノリ大好き智子さんの、タチの悪いじょお〜だんっ。嫌だなぁフェミニストの僕がそんな失礼なこと… えっ? じゃあ本当の歳を当ててみろ? でもしはずれたら……
そっ、それだけは勘弁して下さいよ! 僕は婿入り前なんですまだ! 困りますそんな! 智子さーん! 総長―! ドー国の…あああーっ!」

「という訳でパーソナリティーは、八重垣くんとワタクシ高見澤でした。また次回。」
「普通にしゃべれるんじゃないですかっ!」


【 第2回に続く 】



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