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【 第10回 】

「はい、えー皆様お元気でしたでしょうか八重垣悟です。えー長い時間をかけて語ってまいりました当座談会なんですけれども、いよいよ残すところあと2回。最終章前後編の、今回が前編ということなんですけれども…。そんな大事な時にですね、僕のうしろでは何やら、グツグツと鍋の煮えたぎる音がしておりまして、それを智子さんとたかみーが、どこかの魔女のようにシャモジでかきまわしているという不気味なことになっているんですけれども…。はい…。」
「はいはいいいからあんたもそんなとこでADみたいに前説してないで、食いねぇ食いねぇ八重垣! おいしいんだこのトウモロコシがまたものすごく!」
「トウモロコシって…もしかして本場ドー国からの贈り物ですか?」
「ノンノン、ドー国じゃないんだなこれがな。東北地方にお住まいの桃組さんから頂き申した。ひなつが送ってくるものつったら、これだからほら。これが世に名高い、高級まりも耳かきの実物よ。」
「はっはぁ…これがそうなんですか…。ふぅぅーん…。」
「どれどれ凶子にも見せてたも。へー、ちっちゃな鈴もくっついてるんだぁ。凶子まだひなつ様には会ったことも話したこともないんだけどぅ、やっぱまりもっぽいコロッとした雰囲気の人なのぉ? なんかイメージ的には合ってるようなないような。」
「いやいやなんのなんの。ひなっつぅはこんな丸っこいパッチリおめめじゃないよ。すぐれて高貴な、一重瞼。」
「高貴な…(笑)」
「へぇー。実は凶子は立派な二重なんですけどっ、これって実は後天性なんですよねー。前は一重だったのに、痒かったんで掻いてたら二重になったんです。これホントの話。」
「ほっほー。じゃあその調子でいけば、天寿を全うする頃には五重瞼になってるかも知んないね。いやー楽しみだ楽しみだ。したっけ葬式には是非呼んでね。うちのサイトで告別式の告知したげるよ。出棺時のBGMは 『ススメ!』 がいい 『ダイナマイト』 がいい? それとも 『‘shake’』 でいく?」
「うーんそうだなぁ…。ここはやっぱ威勢よく、プルルルルーッ、ハァ!でいこうかな〜♪ ツーステップ、ツーステップ、左、右、ツーステップ♪ ってなんでやねーん!」
「―――はい、こんな具合にトウモロコシを食べながらのノリツッコミ講習会が行われているんですけれども…ねぇ。何といいますか…。ほら2人ともそろそろいい加減にして席について下さいよ。始められませんよ座談会が。」
「おお、そかそかどっこいしょ。ほれたかみ〜もナベの火を消して。残りはあとでハケで醤油ぬって焼きトウモロコシにしようぜぃ。」
「わーい賛成賛成〜♪ しっだんぷりーず、よっこらしょっと。」
「まぁそもそもこの第10回っていうのはさ、叙事シーンは少ないから座談会としては短くなるんだよね。」
「またいきなり本題に入りますね(笑)」
「CMカット後のトータルタイムは51分27秒で、いつもより3〜4分長いのに、むしろ短く感じたね。何ていうかなぁ…TV史に残るというよりは、業界の語り草になりそうな映像だった。お前らよくこれをやったなというか、よくやらせてもらえたなというか…。」
「ははぁ。それはやっぱりあれですか、千代吉・秀夫の放浪シーンのことですか? CMなしのぶっ通しで流れた、あの音と映像だけの部分。」
「そうそうまさにあれ。後半をああやってぶち抜きにするためにはさ、当然前の方にCM固めることになるから、いつもだったら長いイントロのあとかあるいは本編に入ってからの提供ナレーションが、今回はしょっぱなにきてたのが特徴的だったね。時報が鳴ったらいきなりタイトルになって、秀夫の作る砂の器にかぶせて『最終楽章前編』とテロップが出てた。」
「で、最初のCMがすぐそのあとに入りましたからね。構成も工夫されていたと思うんですけれども…。はい、それではそんな感じでいよいよ本編を見ていきましょうか。TV史に残るというよりは、業界の語り草になりそうな第10回。演出は福澤克雄さんです。どうぞ。」


【 車内 〜 亀嵩駅 】
「まずは鉄橋を渡る1両だけの電車のカットから。紀行番組も真っ青な、絵画的に整ったシーンだったね。黄色と白のツートンカラーの車両に、赤っぽい鉄橋がいいコントラストになってたよ。」
「構図的に完成された、実に綺麗なカットでしたね。スタッフの気合のほどが判ります。映画というのは最初の数カットを見ただけでだいたいの出来が判るという説には僕も賛成ですけれども、このシーンもそんな感じでしたね。」
「しかしこんなローカル電車のシートに和賀ちゃんが座ってたら、メチャクチャ目立つよなー。まさに『掃きだめに鶴』の生ける見本だわ。どっこいソアラはどうしたんだろう。大好きなご主人様と一緒じゃないとアイツ寂しがるよ?」
「そりゃああれですよ、羽田空港の駐車場に大人しく停まっているんでしょう。」
「そうかなぁ。空港には手配かかってるんじゃないのぉ? いや待てよ、国内線はパスポートがいる訳じゃないし、別に偽名で乗ることは可能なのか。いやいやそれでも和賀ちゃんは有名人で顔を知られてるからなぁ。高速乗って車でバーッと移動した方が安全なんじゃないかと思うが。」
「それをいうなら高速だって検問を張られたらヤバいでしょう。ソアラなら絶対安心という訳でもないですよ。」
「そっかー。成程、それでこうやって電車で移動してるんだね和賀ちゃんは。電車なら車掌さんが切符の拝見に来るくらいだし、便利な乗り物だ。このトンネルに入るところなんか、画的には冬っちゅうより秋みたいな感じだけどね。」
「もしかしたら走行シーンだけは撮影時期が違うのかも知れませんね。」
「それはあるな。んで車体にくっきり『JR』と書かれたツートンカラーの電車は一瞬トンネルに入るんだけども、ごく短いトンネルだから明かりはつけないんだね。ほんのいっとき暗くなる画面が、メリハリというか変化をつけてたと思うな。んで思いつめた表情でじっと車窓を見ていた和賀ちゃんは、そこでハッと何かに気づく。トンネルを出たところから和賀の顔がガラスに映りこむのもよかったよ。見えてきたのはあの給水塔。この映像によって視聴者も、そうかここは亀嵩駅かと気づくんだね。なのにこの電車、なかなか停まる様子を見せてくれなかったでしょ。オイまさか通り過ぎるんじゃあんめぇな、って心配になっちゃったぜよ。」
「1両編成だからですよ多分。ホームにかかってからブレーキングまでの距離感が山手線とは違うんでしょうね。きしみながら停まる電車がロングになったところも、アングルが計算されていて絵画的だったと思います。たたんたたんという車輪の音も、車内と車外でハッキリ違う響きになっていましたよね。」
「かくして電車はホームに停まったというのに和賀ちゃんときたら、目を閉じてじっとうつむいたまま降りようとしない。ここへきてパンドラの箱を前にした気分だったのかもね。」
「封印した過去の扉をあける、最後のためらいというべきかも知れませんね。」
「そこへ聞こえてきた幻の声が、秀夫―!という三木の呼び声。でも追憶の秀夫少年はホームから飛び降りてあの給水塔の陰に隠れてしまい、追ってくる三木をやりすごすんだね。和賀の脳裏にはさらに、ボーッと長い汽笛を響かせながらC56が走ってくる光景が浮かぶ…。やっぱ蒸気機関車ってのは新幹線より躍動的でドラマチックだね。だからこそ若干の時代錯誤は覚悟の上で、このシチュエーションを捨てられなかったんだろうけど。」
「いやこのC56はですね、僕も映画は見ていないので聞きかじりなんですけれども、映画版の『砂の器』に登場した機関車のようですよ。だからわざわざこのシーンに持ってきたんじゃないですか。」
「あ、なんだそぉなのー? やっぱ徹底して映画を引きずってんだねこのドラマ。映画見てりゃあそのへんの意図も判るんだろうけど、そうでない奴には何でここでC56が出てくるのかサッパリ判んないから、あっちこっちで細かく突っ込まれてるぞぉ。例えばあの年代の山陰本線ならとっくに無煙化されてたはずだとか、当時はC56はもう現役を引退してたとか。昭和50年代に入っても客車を引いてたのは、D51とかC11とかそのあたりなんだってさ。」
「うーん…。そこまでマニアックな突っ込みをするのは、相当嫌味なんじゃないかと思うんですけれども…。ちなみにC56の正式型名は『軽量小型テンダー式蒸気機関車』といいまして、一番有名なのは小海線の高原列車ポニーでしょうね。で、この亀嵩駅のシーンに登場した160号機は、普段はJR西日本の梅小路運転区に保存されていて、イベントなどがあるとあちこちに駆り出されてはファンの声援を受けているそうです。」
「ふーん。JR西日本所有のお宝って訳だね。東日本が持ってるC57−180とか、前橋のそのへんを走ってるD51−498みたいなもんか。」
「でしょうね。現在の日本でちゃんと客車を引いて走れる蒸気機関車はそう何台もある訳ではありませんから、いわば動く骨董品のようなもので貴重ですよ。博物館での静態保存や、公園内で動輪を動かすだけといった展示ならたくさんありますけれども。」
「そうだよねー。普通に線路を走らすからには、整備保守がカンペキじゃないといけない訳だもんね。点検すんのだってマニュアル通りにゃいかないだろうし、宮大工みたいな技術者じゃないと無理な作業でしょー? 考えてみればすごいことだよね。」
「ええ。確かにすごいですけれども、これは『鉄道員(ぽっぽや)』の座談会ではないのでいい加減に話を戻しませんか。」
「ああそうかそうか。和賀ちゃんはまだ電車から降りてもいなかったね。んで降りようか降りまいか最後のためらいと闘っていた和賀が、ついに何かにはじかれたようにパッと目をあいたところで映像はスローになり、駆けおりるべく立ち上がったところでカットが切り替わると。でもなんかハタ目にはさぁ、居眠りしてて乗り越しそうになったのとあんまり変わんないよね。乗客がほとんどいなくてよかったよ。混んでたら車内爆笑だぜぜってー。」
「まぁこういうローカルな電車が混むのは、朝と夕方の通学タイムだけでしょう。で、次に画面にはホームに降り立つ和賀の足元が映るというのも、変化に富んだアングルでしたね。」
「しかし和賀ちゃんの背後を走り去っていくエンジン音を聞いてやっと気づいた。電車電車ってゆってきたけど、これって動力は電気じゃないよ。電線もないしパンタグラフもない。何とディーゼルだったんだねぇ。」
「ああ、言われてみればそうですね。なるほど、これなら20年前までは蒸気機関車が走っていても不思議はないですね。」
「まぁそうは言ってもディーゼルなんてあんまり珍しがることはないけどな。だって我らがジモトの八高線も高麗川〜高崎間はいまだ電化されてなくて、ガーガーいいながらディーゼルが走り回ってるもん。だからわざわざ遠くまで行かなくたってさ、高崎でロケやりゃよかったんだよー。デゴイチのヨンキュッパもいい走りしますぜぇ?」
「でも僕に言わせれば高崎界隈はですね、車窓の風景が中途半端で亀嵩のイメージには合わないんじゃないですか? 旅情をかりたてるほどの雰囲気はなく、ただ単に田舎くさいだけという。」
「何やとコラ(笑) 北関東の村落をなめたらあかんでぇ。最高だぜ八高線。群馬と埼玉のミックスされた、ぐんたまワールドの風を運ぶファンタジック・トレインなんだかんね。」
「ますます訳が判りません。ぐんたまはどうでもいいですから、和賀はここでどうしたんですか?」
「おっとそうそう和賀ちゃん和賀ちゃん。彼を放っておいてはいかんよ。えーとそれでディーゼル列車から亀嵩駅のホームに降り立った和賀の脳裏には、いよいよ鮮明な記憶が蘇ってくる。父を乗せて走っていく汽車と、必死で追いかけた幼い日の自分と…。んでそのあたりの心理描写を詳細に担っているのがここの、秀夫と和賀の視線の一致だと思うな。あの日機関車が走り去っていった方向を、和賀は佇んでじっと見てるんだ。さらに和賀はそのままカメラを背にして、こちらを全く向かずに歩き出す。『夜空ノムコウ』じゃないけどこの時和賀は、まさしく『あの頃の未来』にいるんだよ。」
「そういうことですね。それと画的なことなんですけれども、このシーンの遠景に映る電柱の列は、ちょっと十字架みたいにも見えましたね。」
「十字架ね。確かにそんな感じだったな。罪びとの和賀が訪れた場所には相応しい背景だったかも知んないね。んでそこへ今西を乗せたタクシーがやってくるんだけど、出来ることなら今西にはランニングしてきてほしかったなー。和賀の乗ったディーゼルの横を、ほのぼのレイク号みたくダーッと追いついてカメラ目線でニカッと笑い、そこでひとこと『シロタ株パワー!』」
「ですからどうしてここへ来てコントにしたがるんですか。和賀の乗っていた路線はどう見ても本数が少ないですから、1本乗り遅れたらタクシーしかないんですよ。」
「そりゃそうだろうけどさ、今西とタクシーの取り合わせってなんかしっくりこないんだもん。しかもそのタクシーが島根ナンバー。関東じゃあまず見かけないプレートだよね。群馬と練馬っちゅうのがこれまたよく似てるんだけど。」
「どうも話がそれがちなんで無視しますけれども、今西が駅構内に駆け込むとホームには和賀の姿があって、そこで今西は安堵するように、ほっと息を吐いています。なかなか丁寧な演出ですね。」
「そうだね。和賀の向かった先は亀嵩であると今西は確信してただろうけど、それでもやっぱり実際に姿を確かめれば、『いた…』って感じに安心するよね。このシーンだけじゃなく第10回は全体的に、神経の行き届いた丁寧なつくりだったと思うよ。第1回の次くらいに丁寧なんじゃないか?」
「それはありますね。ホームを歩く和賀の足音がコツコツと聞こえてくるのも、山あいの駅の静けさが伝わってきてよかったです。」
「んで和賀はホームの末端ギリギリの位置で立ち止まって、画面は目元の大アップになるじゃない。こうやってあらためて間近で見るとさぁ、中居さんてほんとに睫毛長っ! あたしゃ思わず手鏡取って、自分と比べちゃったもんね。」
「また馬鹿なことをしましたね(笑) で比べてみてどうでした?」
「虚しい溜息が出ただけだった。何やってんだアタシって深く後悔したよ。まぁそんな雑談はここまでにしよう。和賀の記憶の中で機関車は鋭い汽笛を上げ、煙突からは蒸気が吹き上がって、三木につきそわれた千代吉は力なく客車に乗りこんでいく。追いかける秀夫少年の悲鳴にも似た叫び。追えなかったあの汽車を見送ったこの場所に和賀はがくりと膝を折り、岸壁を思わせるホームの縁に手をついて、『と・ぉ・ちゃん…』とかすかにうめき、うわぁぁー!と絶叫する。今まで全く聞こえなかったBGMがここで大きく鳴り響いて、この瞬間和賀が秀夫に戻ったことを、見る者に知らしむる訳だね。」
「ええ。このシーンの音楽の使い方は最高に巧かったですね。和賀の足音、革手袋のきしむ音、『父ちゃん…』とうめく声と続けてきて、そこにフルオーケストラの第1テーマがくる。ここで和賀が秀夫に戻ったと同時に、『宿命』に本物の魂が籠った瞬間でもあります。高らかな主旋律は、そのことを詠いあげて余りありましたね。」
「でねぇ、泣き伏したかに思えた和賀はここでゆっくり顔を上げるじゃん。この時の中居さんのアップの素晴らしさをさぁ、あたしゃどうしてオンエア時に気づかなかったかねぇ。和賀がここで泣いてはいないという、この意味も考えてみると大きいよ。だって演出的には目薬させばいいだけのことで、難しくも何ともないっしょ? なのにこのシーンでそれはなかった。なぜなら和賀が泣くのは最後の最後だったから…。既にこの時点であのラストシーンは、演出として明確に意識されてたんだと思うね。このホームで和賀は秀夫に戻ったんだけど、『宿命』を弾きおえていない以上、まだ泣き崩れはしないんだよ。伏せていた顔をすっと上げた時、和賀の中で何かが変わった。それがはっきりと表情に現れてたよね。素晴らしいじゃんか中居さん。もっと称賛されていいよこのシーンは。うんうんうん。」
「うん…確かにここで和賀は変わりましたからね。見つめる今西が涙ぐんでいるのもよかったです。こうしてみるとこのドラマの中で大きく動いた軸は、和賀の理解者の立場があさみから今西へシフトしたことなんだと、改めてよく判りますね。和賀の魂の叫びを聞いたのは、このシーンの今西だけだった訳です。」
「そうだね。ホームの端にうち伏せた和賀は、何かに懺悔し額づいているようにも見える。これは三木に対してというよりも、千代吉に対する懺悔じゃないかと私は思うね。今まで父を憎んでいたこと、父を否定し消し去ろうとしていたこと、そのために本浦秀夫を捨てたこと。それら全てを和賀は悔いて、千代吉に詫びてるんじゃないのかな。」
「ええ。だからこそこの瞬間、『宿命』という曲も本物になった訳ですね。」
「和賀はやっと気づいたんだと思うよ。今まで自分が演奏や作曲によって人を感動させることができたのは、自分に才能があるからじゃない。父とさまよったあの山、あの海、あの風、あの雪…。そういったものの全てが自分の感性を作り、磨き、指先を通って流れ出していたんだと。悲しい曲を奏でる時は父と聞いた吹雪の音を思い出し、明るい曲を奏でる時は、父と歩いた桜のトンネルや焚き火の暖かさを思い出していた。そんな記憶の全てに支えられて、自分の音楽は存在したんだってことを。それなのに自分は父を憎み忘れようとしていた。何という大きな罪を犯していたのかと。」
「なるほどねぇ…。そうなると前回の麻生のセリフにあった、自分を削って感動を作り出す力という言葉も、それなりの伏線といいますか前振りといいますか、意味のある配置をされていたんだなと思えますね。」
「で、そういう大きな真実に行きあたった和賀の横顔を、優しく厳しい視線のように太陽の光が包み込んで刻(とき)は移る訳だけどさ、この太陽が西に傾くまでの時間に、第1回のイントロにあった和賀とあさみのシーンが来ると考えることもできるよね。あさみは蒲田の証言をした時に今西から亀嵩のことを聞いただろうし、亀嵩駅から海岸までは、多分タクシー飛ばせば行けるんだよ。ただその間今西はずっと駅で待ってたのか?と言われるとちょいと無理があるから、あの海岸の光景は和賀の心象風景だと解釈するのが自然かな。」
「ああ、その方が説得力があるんじゃないですか。和賀はずいぶん長い時間このホームにいたんでしょうから、胸の中には当然あさみのことも去来したはずです。つかの間のふれあいではあったけれど、秀夫としての真実を取り戻した今の和賀にとっては、懐かしく優しいぬくもりとして思い出せたのかも知れません。」
「そういうことだよね。んでここでまた素晴らしいのはさ、秀夫に戻るまでの和賀は後ろ姿の映像だったのに、戻ったあとはこちらに向かって歩いてくるという、この対比の妙だね。すでに秀夫に戻った”彼”の内面は、拒絶の背中ではなくカメラ真正面の表情と姿で、見る者にオープンにされてるんだ。すごいよねこの演出。時間をかけて考えられた熟成の重みと厚みを感じるよ。」
「気合の入ったシーンでしたね。この亀嵩駅のシーンは多分、冒頭の海岸に代わるものとしてここに据えられたんでしょうから、これくらいの手応えは必要でしたね。よく出来ていました。」
「今現在のコンセプトでいけばさ、あの海岸に現れるのはあさみじゃなくて今西だよね。でもまさか和賀と今西の2人で手を取り合って見つめあいながら、砂をサラサラしてほしくないもんなー。出来の悪いビーエルじゃねんだからよ(笑)」
「やめて下さい。気持ち悪いですよそんな(笑)」
「さてそんな訳でこのシーンもそろそろラストに近づくけど、線路のところに今西の姿を認めた和賀が、自分から彼に近づいていくのもよかったね。んで線路を挟んで向かい合って、『本浦秀夫さんですね』との今西の問いに、和賀はためらいなく『はい』と答える。曲は完成したかとの問いにもこくりとうなずき、和賀はさらに2歩今西に近づいて、礼儀を正すかのようにポケットから手を出し、『”宿命”を僕に弾かせてくれませんか』と頼む。意外そうに見返す今西を見つめる和賀の、この静かな表情はどうよ。何かを乗り越えた静謐な、夕凪に身を任す海原のような表情。直江の時もピースの時もこれはなかった。ッとに大した俳優っぷりだぜナカイマサヒロ。お見事だねマジ。」
「この時の和賀のセリフには、自首への意志が十分に汲み取れますね。『宿命』を弾き終えたら、あとは全て裁きのままに。強く静かな視線を受けとめた今西は、一瞬は迷ったでしょうけれども結局和賀を信じて、判ったとうなずいたんでしょうね。そんなシーンはどこにもないのに、そう確信できる説得力がありました。」
「まぁそこまで褒めといて何だけど、ここで中居さんがまばたきを我慢してるのも、いいわぁ星人テキには愛しいところよ。じっと今西を見つめていたら不意にフワッと風が吹いてきた。髪の揺れでそれが判るんよ。んでちょっとピクッとなりかけて耐えてるのが、ぐねぐねするほどいいわぁ…。」
「いいわぁぁ…。」
「ほいでそのまばたき我慢のアップに重ねて、東京湾上空の映像になり『3日後』とテロップが入る。コンサート当日とおぼしきその朝、和賀は楽譜とピアニカをバッグに入れて出かける支度をし、警察署では明らかに上官と判る面々と今西・吉村が、物々しく通路を歩いていく―――というところでCMになるのも、凝った編集だったよね。普通ならホームでのシーンをフェイドアウトしてCMに行きそうなもんなのに、時間と場所が一旦切り変わってからCMだよ。全体の流れがブツッと切れないように、細心の注意が払われてるんだね。」
「そうですね。ここまでのチャプターが8分57秒。前半は短めに刻んできますね。」


【 和賀の部屋 〜 捜査本部 〜 コンサート会場 〜 楽屋 】
「CM明けはピアノに置かれた和賀の手のアップから。屋根のおりたピアノをそっと撫でる和賀の姿は、和風ステンドグラスといいたいような綺麗な背景の逆光になってたね。ここも最初はBGMがなくて、静かな緊張感みたいなもんが漂ってた。」
「ここは和賀とピアノの別れのシーンですね。二度と帰らない部屋だと思えば、素直な寂しさも感じたでしょう。」
「ピアノを指先でトントンと叩いて、視線を残しながら下がる動きは、言葉にしないさようならってやつだね。でもピアノとの別れをこうやってちゃんと演出するならさ、ソアラとの別れのシーンも入れてやりゃいいのにね。駐車場とかでご主人様が近づいてくると、ここです♪ってライト点滅させて嬉しそうにしてたソアラなんだから、ハンドルにキスくらいしてやれよ和賀ちゃん。」
「まさかそんなシーンはキザすぎますよ。和賀がレーサーならいざ知らず。」
「まぁそんなことされたらあのソアラのことだ、無理にあとをついてきちゃうかも知れないけどね。んで和賀が部屋を出ていくロングにかぶせて、合同捜査会議の開始が告げられる。同時にコンサートホールが開場になり、和賀のポスターがズラリと並んだ入口と、ファンが作った長蛇の列が映し出されるんだね。」
「このシーンはエキストラが参加したんですよね確か。寒空の下ご苦労なことです。」
「何せ数にはこと欠かないSMAPファンだからな。『模倣犯』以来、映画初日の舞台挨拶が全部事前応募制になったのもさ、この数の多さと行動力に主催者側がつくづく懲りた証拠だと思うね。」
「確かにSMAPファンはフットワークがいいみたいですね。平均年令はかなり高いはずですけれども。」
「いやいや大人だから自分で動けるんさぁ。学生と違って親の許可もいらなきゃ親の金もいらない。それが強みだと思うけどね。んで捜査会議の席で今西は毅然とした声で、和賀英良に対する逮捕状の請求を要請するんだけど、それにかぶって映される和賀の楽屋にはお祝いの花がドッサリと。この華やかさも今の和賀には、ほとんど目に入らないだろうね。
「これから彼を訪れるはずの運命と、豪華な花束との落差が悲劇性を強調していていいですね。自らその決着の場に臨む、和賀の心中も十分に窺えます。」
「そこへやって来る綾香には、和賀もジロッと怒ったような目を向けてるけど、テーブルの上にあるピアニカを綾香は見たことないはずだよね。まぁこの場でも死角になって見えなかったろうけど。」
「でも彼女の背後から田所が、ああ済まなかったなと言って姿を見せると、さすがにこちらは無視もできずに和賀はハッとして立ちあがります。このシーンはどちらかというと、和賀と綾香ではなくて和賀と田所の別れの性格が強いですね。」
「いえてるね。なんか男のドラマになってきてるね。和賀の理解者はあさみから今西に変わるし、綾香より田所の方が和賀にとって礼を正す相手だし、青池保子ワールドだねどうも(笑) またこのシーンの田所が紳士的で素敵なんだわ。せっかく激励しにきてやったのに、今は集中したいという和賀の意志を汲んで、成功を祈るとだけ告げてサッサと出ていくんだもんね。年長者のとる態度として実によろしいし、それに対する和賀の凛とした表情もよかった。どっこいこのシーンに重ねて、今西は三木のことをあれこれ説明してんだけども、そっちより映像の方に目がいっちゃってあんまり聞いてないんだよね。」
「いや、それはそれでいいんだと思いますよ。三木のことは視聴者にとっては既知の事実なんですから。」
「それもそうだね。んで和賀は2人の出ていったドアに向かって無言で一礼する。今回のことで直接的な迷惑をかけるのは、田所が一番なんだよね。いわば裏切ることになるんだから。社会的にも田所のメンツは丸つぶれ。サミットがらみで首相にも平身低頭しなきゃならないよ。小泉っちも大変だろうな。」
「海外のマスコミまで話題にするでしょうね。現実に例えてみれば、坂本龍一さんが殺人犯だったというのに近いですからね。」
「うっわそりゃ大変だぁ。ロイター共同まで報道しちゃうよね。そうなると田所は、まぁ政治生命を云々するほどの事態にはならないにせよ、イメージダウンはまぬがれないからねぇ。逮捕後の和賀には容赦ない態度をとるだろな。全てあいつが悪い、俺は善意で援助し続けたのに騙されたんだ!ってふうに話を持っていかないと、田所パパも引っ込みがつかないやね。だいいち愛娘をキズモノにされたんだ。和賀への憎悪はいかばかりか。逮捕されないと逆に危ないぞ和賀は(笑)」
「おそらく綾香は海外へ行くしかないでしょう。でも彼女に対しては、和賀の後釜を狙う男たちが引きもきらないでしょうから、傷が癒えるのは案外早いかも知れませんよ。」
「てか綾香も和賀とのことを通して、人生の悲しみみたいなもんを知ってくれるといいね。んで捜査会議の席には映画館にあった例の写真が配られ、今西の説明も佳境に入っていく。和賀は楽屋でピアニカを抱きしめ、最後の弱さを捨てるかのように目を閉じて、次にキッと目をあけたところにかぶる今西の言葉が、『なぜ、蒲田であったのか』という事件のポイント部分になっている。このへんも計算されてると思うね。インパクトのある映像に、要点となるセリフをかぶせてるんだ。」
「そのあたりはよく考えられていますね。話の流れとして一通り説明するようなところはサラッと流しておいて、大事なポイントには注目させる訳ですね。」
「んで満員の客席に綾香と田所が入ってくると、この親子も有名人だけに観客は拍手し歓声を上げる。つい握手してしまう田所センセはこれは選挙のクセかいね。じゃなきゃただのミーハーおじさんになっちゃうもんな。」
「そんな華やかな光からはずれて、あさみが入ってくるのもいい演出でしたね。田所より目を引くと思いますけれどね、これだけ綺麗な女性が白いスーツで入ってきたら。」
「いやいやそれはただの八重垣チェーック!だべ。」


【 廊下 〜 舞台袖 〜 捜査本部 】
「ピアニカを手に舞台へ向かう和賀。廊下を抜けると天井の高い舞台裏に出て、そこではスタッフたちが本日の主役に最敬礼してる。さっきも出た話だけど、現在の和賀の立場とこのあとの急転直下の落差を思うと、その悲劇性も強調されるよね。」
「まさに栄光から奈落へという訳ですからね。もちろん精神的には違いますけれども。そしてここで印象的なのは、和賀が舞台袖に来たときに指揮者がもうステージで待っていることですね。これが和賀の立場を明確に示していると思います。巨匠といわれるような指揮者なら最後に登場しますから、この演奏会においてはソリストであり作曲者である和賀が、最も上位であることが判りますね。」
「そうだね、ただの演奏者じゃなく作曲者なんだもんね。んでさっきの蒲田同様ここでも、今西のセリフの大事なところに和賀のアップが重ねられていた。今西曰く、『なぜ和賀は他人の人生を生きなければならなかったのか。なぜ自分の本当の人生を捨てなければならなかったのか。それほどまでして隠したい過去とはいったい何だったのか…』 ここで映像は和賀の目元…というよりすでに眼球のアップだよこれは。どんなダイヤモンドより美しい宝石。黒褐色の翡翠だね。」
「いいわぁ星人らしい見解ですね。そして和賀は 『闘いと決着の場』 である舞台に出ていく訳ですけれども、客席には和賀を見守るあさみや田所親子の姿もあり、舞台袖ではピアニカが、ライトの中に歩み出る和賀の背中を見送っていますね。」
「ここでの客席からステージを見るカットは、これはあさみ目線かも知れないね。んで万雷の拍手の中和賀は深々とお辞儀をし、その顔をカメラが真下から捉えたところで今西のセリフ、『その人物の名は本浦秀夫。あの30人殺しの死刑囚、本浦千代吉の息子です。』と来るんだね。」
「これにはさすがに刑事たちもどよめいていますね。管理官らしい制服の男がここで、『殺人犯の子供もまた殺人犯か』 と言うのを、ジロッと睨むように吉村が見やっていますけれども、つい最近までは和賀とあさみを悪者にしか思っていなかった吉村も、亀嵩から帰ってきた今西に話を聞くか何かして、和賀のことを少しは理解したのかも知れませんね。で管理官はさらに 『判りやすいといえば判りやすいな』 と言いますけれども、それに対して今西はバサリと、『そういった、人が簡単に陥りやすい差別意識こそがこの事件のそもそもの発端だったのではないかと思われます』 と言い切って、このドラマなりの 『宿命のコンセプト』 をはっきりと表す訳ですね。」
「差別意識ね。これなら古今東西共通のものだし、現代のいじめ問題にもちゃんと繋がっていくから、テーマに据えるにはふさわしいかも知れないね。ハンセン氏病だって要するに極端な差別の例だからな。んで今西の言葉は 『大畑事件は26年前に起こったおぞましき大量放火殺人事件でした。しかし本浦千代吉をその犯行に至らしむるまで追いつめたのは、大畑村の村民たちによるいわれなき差別でした』 と続き、重なる和賀の映像は、ピアノの前で集中して呼吸を整え、挑むが如く鍵盤を見据える姿。この弾き始めの和賀の表情がいいよねぇ。後ろのバイオリンの男がさ、中居さんの背中をすごい熱い視線で見つめてるのが映ってたけど、オケの中にも伊藤ちゃんみたいなのがいるんだね。」
「ああ、そういえば熱心に見ていましたね。『うわー中居だーホンモノだー』という目の表情でしたよ。まさかあの人も、自分があんなにバッチリ撮られているとは思っていなかったかも知れませんね。」
「有名無名老若男女を問わず、虜にしてしまうザ・ナカイマサヒロはやはり魔物よのぅ。んで曲は最初のソロから入って、スケールからトリルへ走るところね。指揮者を見る鋭い視線は相変わらず本物のピアニストみたいだし、鍵盤の上の両手もしっかり映してる。ただここはちょっとライトの位置が甘かったかなー。鍵盤が沈んでいないのが判っちゃうのが惜しかった。」
「でもこの『宿命』というコンチェルトは、随所でホルンがいい感じに入ってきますよね。」
「そうなのそうなの、それはここにいる専門家もゆってた! ホルンの使い方が実に効いてるって。」
「はい専門家です。ホルンは大変活きていると思います。またこのピアノのあとの主旋律を第1バイオリンとオーボエが奏でるあたりも美しいですね…。というような話を近々、聴きどころ講座で詳しく解説する予定です。」
「それは楽しみですね。ビジター様がたも期待してらっしゃるんじゃないかと思いますけれども。」
「ついては25日の八王子会議! 気合入れて打ち合わせようね雅楽寮長官。」
「判ってらい。ランチは焼肉屋さんでいいのね?」
「うん。ロースとカルビと仕上げにクッパ♪ デザートのシャーベットもはずせない〜♪」
「はいはい食べる話は25日当日にやって下さい。画面はいよいよ和賀の宿命の発端、大畑事件の経緯になりますよ。」
「おおいよいよか。ピアノを引く和賀にかぶせての今西の、『その地獄は息子である秀夫にも容赦なく襲いかかっていったのです』 ってセリフが橋渡しになるんだね。」


【 大畑村 〜 捜査本部 〜 大畑村 】
「さて、大畑事件のそもそもの始まりは大規模なダム建設だった。大畑村の住民は大反対したのに、結局付近の村の意見が強くて投票に負け、やり場のない怒りが理不尽にも本浦の家族に向かった…ということを今西が説明してくれてる時、画面には秀夫がオルガン弾いてるところがチラッと映るじゃない。これってけっこういいウチなんじゃないの?本浦さん(笑) 男の子にオルガン習わせるなんて、生活水準高くないか? 都内ならともかく村八分があるような田舎の、しかも車もない家なのに矛盾してるぞぉ。」
「まぁそのへんは目をつぶるべきですよ。多分お爺ちゃんお婆ちゃんが生きていた頃までは裕福な家だったんです。それにいくら秀夫が天才だろうと、ピアノは子供の頃からやっていないと趣味以上には弾けませんからね。そのあたりの辻褄を合わせるために必要な設定だったんでしょう。」
「そりゃそうだけどね。ピアニカの独学でピアニストは無理だよな。んで今西の説明通り、無茶な濡れ衣を着せられた千代吉は村人の袋叩きにあい、あげく村八分にされる訳だけど、まだそんなことがあるのかと驚く管理官に今西は、平成になっても村八分による人権侵害の裁判が行われているんだって言うじゃん。確かにそういう差別って、関西の方には残ってるらしいね。」
「そうなんですか? 東京…というか関東にはほとんどないですよね、もう。」
「ないと思うよ。ただ昔はけっこうあったよね。クラスに1人はいたよ、いわゆる『鼻タレ坊主』ってやつが。家とかも貧乏で教材買えないって話が平気で囁かれてさ、周囲が認める『いじめられ役』みたいな子。その子のことは馬鹿にしてもいいんだって空気が、教師にすらあったからね。ただ殴ったり蹴ったり物を盗ったりっていう、そんないじめはしちゃいけないのよ。遊び仲間にしなかった訳でもない。いつでも何でもその子がビリで、それで全体が安定してたって感じかな。決していいことじゃないけどね。」
「つまり秀夫はそういう『いじめられ役』を、より悪意と残酷さと筋違いの恨みを伴った形で、押しつけられてしまったんでしょうね。オルガンを習うくらいですから、繊細で敏感で大人しい子だったのにもかかわらずです。映像に出てくるような教師のいじめまで受けたのでは、子供にはどうすることもできませんよね。」
「ホントだよ、これはやっちゃいけないことだよ。本来かばってくれるはずの立場の教師にいじめられたら、子供は逃げ場がない。『人に地獄を味わわせおのれの快楽とする。村八分とは人間の心を鬼に変えてしまう恐ろしい制裁です』って今西の言葉通りだね。こいつのことはいじめてもいいんだ、っていう烙印を捺された秀夫に、子供たちは残酷さを剥き出しにしてかかっていって、裸にして倉庫にとじこめるなんて陰湿なことをやってのけたんだ。それでも耐えるしかなかった本浦の家族だったのに、『大きな悲劇が一家を襲うのです』って訳か。んでここで画面は、今西のナレーション・モードから、ドラマ・モードへと切り替わるんだね。」
「この表現方法の変化もよかったと思いますよ。全部ナレーションでは淡々としすぎますからね。時間のかかる状況説明はナレーションで行い、動きのある場面は役者が演じるという訳です。で、村長の息子の結婚式の夜に悲劇は起こったんですね。突然苦しみだした妻を助けようと千代吉は医者に土下座したのに、酔っ払った村人はその叫びを嘲笑いながら拒絶した…。」
「うーん…。確かに村人たちは非道いけどもさ、このあたりの経緯はどう表現されても、申し訳ないけど感情移入できないんだよなー。よく言われることだけど、リヤカーで病人運ぶかい? 119番すりゃええんちゃうん? なんぼ26年前とはいったって昭和の御世だよ。このシーンだけ昭和20年代だぜどうも。」
「そうですよね。26年前じゃ智子さんはもう高校生でしたよね。…あいたっ!」
「るせーわボケ。それを言うならこの高見澤は音大生じゃないかよぅ! …あいたっ!」
「ほっほっ何をおっしゃる宇佐美さん。凶子まだ〜♪ 18だかンらン〜♪」
「まぁとにかく戦前じゃあないんですからね、いささかこの場面には無理があったかも知れませんね。いかな映像マジックでも、説得力を欠いたのは事実だと思います。」
「だよなー。オルガンがあるのに電話はないってこたぁないだろう。頼みどころを工夫すりゃあ、東京消防庁がヘリ飛ばしてくれる時代だよね。第一さ、こんな酔っぱらった医者にロクな診察はできんばい。酒が入ってても手元が狂わないのは、天才外科医の直江先生くらいだよ。」
「かも知れませんね。とにかくリヤカーの中で母は息を引き取り、かあちゃん、かあちゃんと必死に呼び続ける秀夫の声にかぶせて暗転、CMへ。和賀が部屋を出るシーンからここまで、13分11秒でした。」
「やっぱ後ろに行くにつれて長くなってるんだね。んでこの次が最長ぶち抜きの放浪シーンだ。」


【 村長宅 〜 本浦の家 〜 捜査本部 】
「さぁさぁさぁここからエンディングまでのチャプターが、驚きの28分45秒間ぶっ通しよ。主題歌と予告を抜いても26分くらいか。CMカット後の30分番組より長いぜぇ? すごいもんだよなぁ。」
「ええ、すごいと思いますよ。しかも中心となる部分にはセリフが全くなくて、映像と音楽だけのシーンなんですから。これは本当に同業者にとってこそ驚異かも知れませんね。ドラマづくりに携わって、そう滅多にできることじゃないでしょう。」
「だと思うよ。とにかく順番に見ていくとしようか。えーとまずCM明けは明るい高張り提灯が目を引く村長の家。カメラは千代吉目線だね。宴会も終わって客はほとんど帰ったのに、まだ盛り上がってるおっさんたちが座敷にいて、その中のひとりが例の医者。トイレに行こうと廊下をふらふら歩いていって、いきなり千代吉に斬りつけられる。そのあとはもう完全な修羅場だね。」
「地獄絵図ですね。鮮血を顔に滴らせた千代吉は、誰かが悪者にならないとあの場はおさまらなかったんだと言い訳する男を、昔から何か悪いことがあると全部本浦のせいだと言ってたちまち斬り殺し、のっそりと座敷を見回します。ここで千代吉が投げ捨てた斧に当たって宴会の食器が割れるカットが、僕は妙に印象的でしたね。」
「んで今や完全に狂気の徒となった千代吉は、座敷じゅうに灯油を撒いて火をつける。障子って燃えやすいからね。そこに油撒かれたんじゃどうしようもない。」
「この恐ろしいシーンのBGMが、『ラクリモーサ』なのは素晴らしかったですね。イメージは鎮魂でしょう。殺された人たちと、それに千代吉の荒ぶる魂への。」
「でもねぇ…。やっぱりこの場面にも感情移入はできないね。炎の中を歩いている千代吉はもう完全に鬼の姿で、今西のナレーション台詞も『鬼が鬼を生んでしまったのです』っつってるけど、千代吉の選択はどうしたって短絡的すぎる。こんな思いをさせられたんじゃあ仕方ないとは思えないよね。映像の迫力は認めるよ。でも時代感覚のズレを押し消すには至らなかったんじゃないかなぁ。逃げ出した親子は橋の上でサイレンの音を聞くけどさ、消防車が来るなら救急車もあんべよ。酔っ払い医者の民間病院ならともかく、救急車の出動拒否なんて聞いたこともないや。」
「確かにそうなんですけれども、そのあたりはスタッフも思いきって省略したんじゃないですか? あまり説明に走った描写もどうかと思いますし。それより注目すべきは秀夫の心情です。半鐘は鳴り響き外は火の海。押し入れの中で震えていた秀夫がふすまの隙間から見た父は、流しで返り血を洗っている。その姿は鬼に見えたはずですよ。であればこの自分も、鬼の子なんだと思ったかも知れません。」
「んでそこで映像はピアノの前の和賀に切り替わり、今西の台詞で、こうなったのはダム問題だけが原因ではなく、以前から本浦に対する根深い差別があったんだって話が出るじゃん。それがダム問題で爆発して村八分に至ったんじゃないかって。これがいわば根本根源の差別なのに、そこんとこを曖昧にしちゃったのが惜しいよねー! いわゆる同和問題だろ? そこに突っ込むのって何か倫理的な問題があるのかしらん。思いきってズバッと切りこめば、もう少し骨のある大畑事件になったと思うけど。」
「そのへんはどうなんでしょうねぇ…。深夜の討論会ならいざ知らず、ゴールデンタイムの連続ドラマ、しかも影響力の強い主役となるとやはりイエローゾーンだったんじゃないでしょうか。その分叙情に重きをおいて、放浪中の秀夫の思いにポイントを移すのが次の今西の台詞ですよ。」
「ああ、『この夜から島根県亀嵩にたどりつくまでの1年余りの間、千代吉・秀夫親子の逃亡の旅は続きます。その旅がどのようなものであったかはこの親子にしか知り得ません。ただ、幼い秀夫にとってどれほど過酷なものであったかは想像に難くありません』 ってやつな。んでここのカットの中居さんの手の動きは、これはもう本当に弾いているとしか見えないよね。てかひょっとしたら弾いてたんじゃないの? 音が合ってたかどうかは知らんけど。」
「うん、ここは見事な動きでしたね。手首の沈み方といい上腕部の力の入り具合といい、弾き振りだとしたら完璧ですよ。」
「天晴れっ!」


【 放浪の日々 】
「かくして親子の放浪が始まった訳だけど、ここからが本当の驚異の映像だったね。大畑村のシーンに感情移入できなかったのが嘘みたいに、ここはヤラれましたよ完全に。」
「まさに映像美、というカットのつるべ打ちでしたからね。TVというのは映像芸術なんだと納得させられました。それと音楽ですね。この両者の鮮やかな融合を見せつけられましたね。」
「えーと音楽的に言いますとね、この放浪シーンのBGMは第1第2楽章の切り貼りでミックスされています。ゆえにサントラにおさめられているコンチェルトとはだいぶ違います。ところどころアレンジがかかっているかも知れませんね。」
「そうだね違ってたね。メロディー的には第1楽章の第2テーマ…私が勝手に名付けた『海原の旋律』が多用されてたと思う。フルオーケストラをバックに次々展開される映像詩は、まずは雪の中を歩く親子に始まって、雪の舞う橋の上、雪の海岸、漁師の小屋…と進んでいって、小屋からサカナを盗むエピソードなんかも綴られていく。橋の下で千代吉が読む新聞には『死亡者ついに20人に』なんて見出しがあって、事件の捜査が着々と進んでいることが判る。その新聞を丸めて火にくべた上では、さっき盗んだサカナのカブト煮がグツグツいってたりもするんだね。」
「的外れな感想だけどこれって案外おいしそうかも…(笑)」
「映像詩はさらに続き、枯れ草の原っぱみたいなところで検問を知った千代吉はそれを避けて道なき道を行き、吹雪の海岸から入り江へ、洞窟みたいなところへと移っていく。新聞記事も 『犯人ついに指名手配へ、容疑者は本浦千代吉、幼い子供を連れて』 なんていう具体的な追及になる。まだ小学校1年生の秀夫に難しい漢字は読めなかったろうけど、父親の名前だっていうのは判るよね。そこへ千代吉は薪を抱えて戻ってきて、雪まみれの秀夫の頭や手をはたいてやる。第8回に出てきたあったかい手の話のところだね。秀夫はこの時漠然と、この父は人殺しであり自分たちは追われていて、でもこの父だけが自分の優しい味方であり、ついていくしかないんだと思ったのかも知れないね。その秀夫の表情にオーバーラップしてコンサートホールの映像が挿入され、曲に全神経を注いでいる和賀の、はぁはぁと息の上がった横顔が映し出される…。」
「この放浪シーンはつまり、『宿命』を演奏しながら和賀が見ている光景なんですね。これまで封印してきた父との放浪の全てを、思い起こしながら和賀は曲を奏でている訳です。」
「やがて季節は移り、咲き乱れる桜の土手や菜の花の海を、千代吉と秀夫は歩いていった…。何のセリフもないシーンなのに、ふと気づくと引き込まれてるんだよね。何ちゅう映像の力だろう。敬服するなTBS。あんたらはハナっからこれがやりたかったんだろう。他は正直どうでもよかったべー! えー? そうなんだべ伊佐野ー! がくがくがくっ!」
「まぁどうでもよくはないでしょうけれども(笑) いちばん撮りたかった場面には違いないでしょうね。舌なめずりしていそうな集中力と、気合が画面から伝わってきますよ。」
「このあたりのピアノとオーボエのハーモニーもいいよねぇ。時に親子は丘の上から小学校を見下ろすこともあり、校庭でピアニカを合奏している生徒たちを、秀夫は羨ましそうに見ていた。そこで夕暮れに千代吉は秀夫を校舎の前で待たせ、ピアニカを盗み出してやる。このこと自体は決して推奨できないけど、秀夫の嬉しそうな顔がすごく印象的だよねぇ。建物の陰からそーっと出てきた千代吉を見て、あっ!て顔をする秀夫に千代吉は人差指でシーッてやって、ほら、みたくピアニカを見せて2人で一目散。なんかいいコンビだな(笑) この旅を今西は過酷だと言ったけど、こんな時だけは秀夫も楽しかったろうね。」
「次のシーンの秀夫がまた可愛いんですよ。山の中でピアニカの裏に『ひでお』と名前を書いて、小さな声で『できた…』と言うじゃないですか。千代吉は自分たちの記事が載った新聞を読んでいて、最初は無反応なんですけれども、秀夫が何回かできたと言ううちに、気づいてチラッと見てやりますよね。秀夫はそれで満足して黙るんですよ。別に褒めてくれなくてもいいんですよね、一生懸命書いた字を父が見てさえくれれば。」
「そうだよね。秀夫役の斎藤隆成くん、メチャクチャ可愛いんだよね。ピースの少年時代とは違って、この子役には中居さんの面影があるんだよ。だからビジュアル的にさ、ああ、この子が成長して和賀になったのか…。その間どんな人生だったんだろう…って自然と思いをはせられるんだよねー。ある意味ビジュアルの勝利だな。」
「映像芸術ですからね(笑) で2人の旅はなおも続き、山の上の神社のようなところで、千代吉は寝ている秀夫の毛布を直して頭を撫でてやりますけれども、この親子の間には誰にも入りこめない太い絆のようなものが確かにあったんだと、こういうシーンを見ると納得できますね。海の見える丘でピアニカに夢中な秀夫は、エンドロールで見慣れたあの横顔です。多分千代吉は秀夫を急(せ)かしたりせず、気が済むまで吹かせてやったんでしょうね。」
「優しいお父さんなんだよなー。んで季節は盛夏に移り、ミンミン蝉の声がする棚田や馬のいる丘を歩きながら、千代吉はいつも後ろを振り向いて秀夫の足取りに合わせてやってる。最近ニュースでよく見る、泣きやまないからって腹を蹴るような父親とは雲泥の差だよね。」
「そう考えると切ないですね。殺人を犯したことは責められるべきでも、千代吉は決して悪人ではないのだと判りますからね…。」
「んで次の海辺のシーンはさ、ドラマの設定で考えると日本海なんだろうけど、実際にロケやったのは多分太平洋だねこれ。日本海はもっと暗い。海の上に太陽が来ないんだ。初めて日本海見た時びっくりしたもんなー。」
「いや多分九州みたいですよここは。何かで読んだ記憶があります。まぁ何にせよ日本海でないことは確かですね。」
「ほいでさぁ。この光の渚で秀夫は、砂の器を3つ作ってるじゃんかぁ。これってさぁ、父親と母親と自分の分で3つなんだよねぇ…。これに気づいた時あたしゃ思わず泣いたね。秀夫は無邪気に無意識に、幸せだった頃の家族の食卓を、砂の器で作ってたんだよ。そう考えるとたまんなくない? しかもそのあと和賀とピアノのシーンになるのよ? 秀夫と和賀がだぶるのよ? そんな切ないのって反則じゃねーか? 和賀の全精神は、いま曲の中へ入り込んでいる。彼は思い出してるんだよ、あの時の自分の気持ち。これが父ちゃんで、これが母ちゃんで、これが僕のお椀だって並べてた海を。その想いがピアノにのりうつったら、この世のものとは思えない音色を鍵盤たちは響かせたはずだよ。その音は聴衆の耳を通って、心の底まで届いたに違いない。自分を削って感動を生む。麻生が言ったのはこれだよね。」
「その音楽に共鳴するように、映像もさらに加速度的に美しくなっていきますね。親子が歩くのは秋の山道。古来から日本の国土が最も美しく彩られる季節です。そこで出会うのが白装束の巡礼たちというのも、スタッフの美意識の極致といった感がありますね。」
「美意識の極致ね。やってくれたって感じだね。んでこの紅葉の下で何か食べてる秀夫が、すごく楽しそうに見えるのも涙を誘うよね。」
「それでですね、智子さんがメールで指摘してきたこのシーンのBGMの件。旋律が第1テーマに移るところはサントラにないんじゃないかって話は、確かにスコアに出てきませんね。あのあたりは撮影用に別な楽譜を書いてるんじゃないかと思います。同じテーマは何度も出てくるのにアレンジが微妙に違いますから。そのあたりも聴きどころ講座で説明できればと思っています。」
「おお、よろしく頼むよ。あのへんて聴いててすごい新鮮だったから、アレッ?と思ったんだよねー。」
「でもたかみーの、スコアを追って確かめるというのもすごいですね。いまいち使えないとか言われていますけれども、さすがは専門家ですよね。」
「いやいやまぁまぁそのへんで(笑) 照れると瞼が三重になります(笑)」
「そりゃもうじき寿命だよ。場面が寺だからってポックリいかないでよ。」
「行くかい! 更年期と末期を一緒にすな!」
「まぁとにかくこの寺で見かけたお遍路さんからヒントを得て、千代吉はこの先秀夫ともども白装束に改めるんですね。ボロボロのコート姿よりは怪しまれないかも知れませんけれども、いったいどうやって入手したんでしょう。」
「そりゃやっぱどっかから盗んだんじゃないの? 指名手配の身で誰かに頼むってのは無理だろ。犯人の足取りなんていうのはこういうところから割れていくんだろうね。そうこうしているうち季節は晩秋へ。波が不気味な模様を描く海岸を過ぎ、天使のきざはしを遠くに見やり、山の中の滝壺で千代吉は釣りをしている。洞穴の中で秀夫は熱を出して寝てるんだね。多分やっと1匹だけ釣れたサカナを、千代吉は秀夫に食べさせてやるんだよ。」
「秀夫の額に手を当ててから外に出ていくのは、熱を冷やす手ぬぐいを濡らしに行ったんでしょうね。そんな手厚い看護で秀夫は回復したようですけれども、この頃から徐々に千代吉が弱っていくようですね。」
「そうそう。秋深い農村を行くところなんて、秀夫が先に歩きつつ振り返って千代吉を待ってるもんね。オンエアでこれに気づいた人っているのかな。旅の途中から秀夫は、父を先導するように前を歩くようになったの。千代吉の体力が衰えたっていうのもあるだろうけど、こんな短い間にも子供って成長するんだよね。1つ歳をとった分だけ、秀夫は強くなってるんだ。」
「そうですね。路傍のお地蔵さんの前に座るのも秀夫が先でしたね。いつも父がすることを見て覚えてしまったんでしょう。よーく拝んだあとにお供え物を頂く父を、秀夫は笑って見ていました。」
「さっきのピアニカかっぱらいと同じで、秀夫は父と一緒でそれなりに楽しかったこともあるんだよね。辛いしひもじかったけど、怖くはなかったんじゃないの。砂丘の砂嵐の中も秀夫が先に歩いてる。よく撮ったよねこの映像ね。第1回めにも出てきたから会心のカットなんだろうな。」
「この放浪シーンは全国を回って撮影したようですからね。膝まで埋まる雪の道を、ふらふらになりながらも千代吉は歩き、そして辿り着いたのは奥出雲。このあたりで画面には効果音が戻ってきますね。」
「この雪道のシーンでさ、よろよろの千代吉が後ろの秀夫を振り返って、手を引いてやろうかみたいなそぶりを見せるところがあるじゃん。そうすると秀夫は、いいよ独りで歩けるよみたいな顔で父ちゃんを見るの。たくましくなったよね本当に。んで千代吉が丘の上から見下ろした村の様子は、ちょっと故郷の大畑村に似てたかも知んないね。佇む千代吉の胸の内には、何か予感みたいなものがあったのかな。ここが放浪の終わりになるんじゃないかっていう。」
「千代吉はついにしゃがみこんでしまい、秀夫は父をじっと見つめています。コンチェルトは第1楽章のコーダにかかり、和賀がパッと指揮者を見てラストのスケールに入るところが、下からアオリのアップになります。千代吉はもう力尽きかけていますけれども、幼い秀夫に父を支える力はありません。なすすべもなく見上げた目に映ったのは、あの給水塔だったんですね。」
「で、ここでコンチェルト第1楽章は終了。次のシーンは第11回への連結部と言っていいだろうね。」


【 出雲三成 】
「ここから画面はドラマモードに変わって、BGMも流れてないね。亀嵩駅を追い出された秀夫は、すごい目で背後を睨んでる。1年前に教室からつまみ出された時より凄みが増してるよ。」
「秀夫はもうすっかり他人を信じない心になっているんですね。大畑村でのいじめの記憶に加えて、さらに固い鎧のような殻を、旅の間に宿してしまったのかも知れません。」
「信じられるのは父親だけ。他の全てが敵になっちゃったか…。そんな秀夫の心を開かせようと努力してくれたのが、もうすぐ出会うことになる三木巡査。『三成警察亀嵩駐在所』って素朴な杭がいいね。んで三木は電話で、宮さんに浮浪者の親子が来たから追い出してくれという依頼を受け、自転車に乗って出かけていく。ここで今西のナレーション、『もしかしたら、そこ亀嵩が秀夫の安住の地となりえたのかも知れません。しかし秀夫は、旅を終わらせることはできなかったのです』―――で暗転になった時に、ようやくハッと我に返ったのがなんか悔しい(笑) ドラマにすっかり飲み込まれてたんだよねー。しかもここだけは、座談会のためにDVDを再生して初めてって訳じゃないんだよ。オンエアの時点でバリバリ圧倒されてた、この回は。」
「なるほどね。悔しいというのも何となく判ります(笑) 続くエンドロールは第1回の時と同じで、いよいよ最後だなという気分にさせられましたね。」
「いやー全くもってニンともカンとも(笑) 各回ごとにこんなに感慨がバラバラなドラマも珍しいよなー。思うにさぁ、TVドラマの手法で映画を作って大成功したのが『踊る大捜査線』で、映画の手法でドラマを作って妙なことになったのが『砂の器』なんじゃないか?」
「うまいそれ(笑) ホントそんな感じする。」
「このドラマでよかったのって、1・2・8・10・11回だよね。このへんを上手く編集しなおして2時間20分くらいに凝縮して、スクリーンで上映したら素晴らしいと思うよ。じゃなきゃ予約限定のDVDで売ってくれ。」
「賛成賛成大賛成。3万までなら凶子も出す♪」
「でもってこの回を見終えてつくづく思うのがさ、悲しみは人間の感性を鋭くするってことだね。勝者の側から文学は生まれないっていうのもその意味だな。例えば踏まれて折れた花とか、雨に打たれる子犬とかを見てもね、かつての関川なら…社会的には勝ち組だった男なら、見向きもせずに通り過ぎたと思うんだ。でも、玲子と子供を死なせ華やかなマスコミ界を追われ、敗者となった今の関川なら、子犬の前で立ち止まると思う。ジャンパーの内側にくるんで、抱きしめてやれるよね。人間としてどっちが心根深く感受性豊かかっつったら、当然後者の方でしょ。それと全く同じことで、和賀の音楽的豊かさや人に優れた感性は、父との生活や放浪がベースになっていたんだよ。和賀は、人間の心の底にある闇の深さを知り、憎しみの苦さも涙の辛(から)さも知った。そのことが、凡人には創ることのできない美しい音楽を生み出す力になっている。衿から吹き込む北風がどんなに冷たいかを知っていればこそ、春の野原がどんなに優しいか、焚き火の炎がどんなに力強いかが人並み以上に判るんだもんね。さっきも言ったけど和賀はこの回で、そのことにようやく気づいたんだと思うよ。」
「なるほどね…。前回までの中だるみが信じられないほどに、深い意味をもった第10回でしたね。さあ、そうしたら次回はいよいよ最終回ですよ。泣いても笑ってもこれが最後です。」
「あーやっとここまで来たねぇ…。正直言ってこのドラマは途中が超つまんなかったんで、座談会やっててもノリきらないんじゃないかと心配したんだけど、何とか放り出さずに完結させられそうだよ。いやーよかったよかった。この調子であと1回と、『宿命』の聴きどころ講座。ヒトツよろしくお願いしますねー。」
「よし、そしたら残りのトウモロコシ焼こう。」
「おおそうだそうだその予定だった。ほな八重垣、醤油取ってきて。」
「え? 僕がですか?」
「そ。醤油担当いま決めた。はいもたもたしないでダーッシュダッシュ!」
「いやまだ最後のまとめとご挨拶をですね…」
「それはこっちでやっとくからいいって。はい行ってらっしゃーい。」
「全く訳が判らないんですから…。人使いが荒いというかメチャクチャというか…。」
「はい、えーではそういった訳でですね、最終章前編の第10回につきましては、以上にいたしたいと思います。次回UPは今月28日目標で、ラストスパートしますのでご期待下さい。それでは次回までご機嫌よう。パーソナリティーは私、木村智子と、」
「歯が痛くて治療に行って、クールな直江先生に追いすがるリュウグウノツカイ役が気に入った高見澤と、」
「醤油担当の八重垣悟でしたー。」
「ほっほうあんな遠くでもちゃんとご挨拶するのが偉いね。ホレたかみ〜、そのへんもっと煽いでちゃんと火おこしてよ。」
「ではこの火吹き竹でイッパツ秋祭のタモさんのように、…ブォォ、ブォォ、ブォォォ…!」
「…消えたっつーに。こらーっ八重垣―! 着火マンも探して持ってきてー!」



【 第11回に続く 】




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