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【 第7回 】
「はい、皆様こんにちは。お元気でしたでしょうかと言うほど時間はあいていない気もするんですけれども、…えー、八重垣悟です。GW特別スケジュールでお送りしております『L’ombre blanche』第7回、物語はいよいよ大詰めにかかろうというところですね。はい。」
「ふにゃあああ〜…。いやー前回はしんどかったよぉぉの木村智子ですぅ。気分は夕鶴のおつう、このへんの羽をぶちっと抜いて、ぱったんぱったんとハタを織る感じ。愛〜♪それはぁ〜悲しくぅ〜♪」
「それってベルばらのテーマじゃないですか(笑) 羽は羽でも背中にしょっちゃ駄目ですよ。」
「いや、なんかねぇ。あの大階段を下りてくる中居さんが無性に見たくってねぇ。ヅカメイクはいらない。派手な衣装もなくていい。普通のスーツ…リブ・ゴーシュかイブ・サンローランの、ストームブルーの細身仕立てのヤツで。もうやぶれかぶれの青毒の上塗り。どうにでもしてって感じだね。うん。」
「そうですか。どうにもならないでしょうけれどもね。はい、それでは早速ですね、第7回についての本題に入りたいと思います。よろしいですね。」
「おお。もぉガンガン行こうぜぃ。演出・表現が最高だったのは前回第6回だけども、ストーリーとしての最大の山場はここ第7回だからね。」
「じゃあいきますよ。光の川原で抱擁しあった直江と倫子の、後朝(きぬぎぬ)のシーンからです。」
■直江の部屋■
「これ見た時の私の、包み隠さぬ正直な感想。『ええっ? もういきなしベッドインかい! いいのかそれで、直江!』」
「え、そうなんですか?(笑) 智子さん的にはもうちょっとプラトニックでいろとでも?」
「いやベツにそうはないんだけどね。心の通ったその日のうちに、っちゅうのもなんだか…。ねぇ。恋愛の成就というのはやはり、肉体関係をもって最高とするのかなぁ、とか考えちゃった。」
「智子さんて官能小説大好きなくせに、案外と慎重論の人ですよね。やること派手なのにおかしいなぁ。」
「ちょっと待てヤエガキ(笑) アンタに派手とかゆわれたくないぜ。段取り重視なんだよ私は。今日のところはキスまでにしといて、とりあえずいったんはそれぞれのおうちに帰ろうよ。そんな、束の間の火遊びじゃないんだからさぁ、慌ててえっちせんでもエエじゃんか。それはまた改めて仕切り直しということで。」
「いや仕切り直さなくてもいいじゃないですか。こういうのはタイミングなんですよ。」
「タイミングねぇ…。それはよく判るんだけどもさ、なんかそのままベッドインって感じの前回じゃあ…………って言ってるうちに、判ったっ!」
「え?」
「こぉれ、前回のラストと今回のしょっぱなの間に省略があるね! あの川原で2人はおそらく、唇は重ねてると思うべきだね! 押さえようのない情感、熱情、お互いが欲しいという欲望は、そこですでに発生していたと考えればすんなりいくよ。倫子がバージンなんだかそうでないんだかはいまいちびみょーなとこだとしても、直江はもう十分に成熟した雄であるからして、腕の中に愛する女性がいたらばそれは、そのまま自然な欲望にスラッと移行するはずよね。だから唇を重ねているうちに、もう押さえがたい情念が突き上げてきたに違いない訳でね。でもってこの土手がまた直江のマンションから近い! そしたら多分直江は幾度めかの唇を離すや、『おいで』か何か一言言って、倫子の手を引き拉致していったと思って相違ないだろうね。うん。」
「まぁ、そういう時にも直江はあんまり余計なことは喋らなそうな気がしますよね。そして部屋に入るなり、抱きしめたっていうところですか?」
「だろうと思うよ。しかしそうなるとここに、重大な疑問がわいてくるんだけどね。すなわち! 倫子のスクーター、土手に停めっぱなしかい! たんぽぽ探してる時は確か画面に映ってたよねぇ?」
「またそれですか(笑) よっぽど気になるんですねスクーターが。あの前回ラストのボートのシーンを、具象じゃなくて抽象だ、これは心情風景だってあれほど力説した人が、ことスクーターとなると滅茶苦茶現実主義者になりますよね。スタッフもそこまで重要に思ってないでしょうスクーターなんて。」
「いーや気になる!(笑) ポルシェ・オーナーとしてはヒトゴトと思えないんだよスクーターの気持ちが。オイ勘弁してくれよぉ…とか思いながら、暗い土手にヒトリ放っておかれてるかと思うと哀れで哀れで。」
「やっぱりちょっとおかしいですよ智子さんの感性。話が最初からずれまくってますから軌道修正しますよ。おそらくは直江の『おいで』の一言で場面はここに移ったのであろう彼のマンションから、この第7回のストーリーが始まる訳ですから、それ以前に何があったかは各自で想像して頂きましょう。このシーンについてはどうなんですか? 2人の後朝。最初の朝。」
「ここねぇ。まずはあのバケツの中で寄り添うように咲いているたんぽぽがよかったね。すごく象徴的。何だか本当に微笑んでるみたいで。肩を寄せあってる感じが、家族かまたは恋人同士でさ。その映像とオーバーラップして、あのコーヒーのドリップね。コーヒーを落としてる直江の表情は映らないんだけども、よりそって笑っているようなたんぽぽとあのコーヒーを重ねることで、彼が今すごく幸せな気持ちでいることが…”独りではない朝”の充実を噛み締めていることが、ひしひしと伝わってくるよねぇ。」
「そうですね。コーヒーをいれる時に直江はテーブルにカップを2つ並べて置くじゃないですか。しかもそれは客用じゃあない、2つお揃いのカップなんですよね。判りますよねぇ直江の気持ちが。多分彼はそんな自分の心弾みに、クスッとひとり笑いを漏らしたりしているんですよ、きっと。」
「そうなんだろうね。束の間ながら幸せな直江。彼がこの朝身にまとったシャツのパリッとした清潔感も、彼の気持ちを十分に象徴してるよね。と同時にさぁ。直江がここでしてることって、全部、通常…つうとヘンなんだけども、まぁいわゆる一般的社会通念に照らし合わせれば、女がすることだったりするんだよね。こういう場合、先に起きてるのって女なんじゃない? そういう物語が今まではほとんどだったんじゃない? 先に起きて身支度して、寝乱れた姿なんか絶対に見せないようにして、ひそかに幸せを噛みしめつつ、肌を合わせた人の目覚めを待つという。なんかこのシーンではそれを全部直江がやっている。ちょっと興味深いよねこれね。」
「なるほど。確かにそうかも知れませんね。これがコーヒーじゃなくてお味噌汁だったら、間違いなく女の人が作っているでしょうからね。」
「だよねぇ。まぁキッチンで直江がダイコン刻んでたらチョー嫌だけどさ。まぁそれは冗談として、ここが直江の部屋だっていうのを差っぴいても、先に起きてコーヒーをいれる役を直江にやらせたっていうのがさ、このシーンで描きたかったのは”直江の幸せ”であるということと、これまた中居正広の持つイマジネーションなのかなって気がするね。」
「確かにそうですね。中居を通しての直江というキャラは、かなり神経質な男でしょうからね。」
「ベッドの中で女を抱き寄せる仕草じゃなく、お揃いのカップでコーヒーを入れる作業によって、直江に幸せをかみしめさせる。この脚本は大正解だねぇ。そっちの方が中居さんらしい。うんうん。」
「『お早うございます』って声をかける倫子も、何だかすごくよかったですね。いきなり馴れ馴れしく抱きついたりするんじゃなくて。」
「それは言えた。寝室にある支笏湖の写真で髪の毛整えるのもよかったけどさ、でもやっぱ素晴らしいのは、倫子にそう声をかけられた直江の、何ともはや微妙な表情ねー。倫子の『お早うございます』に対して、『お早う』でもなく『ああ』でもなく、『うん。』いいよねこの『うん』ね! 響きが丸くて明るいの。大人の男の照れも少〜しだけ入ってるかな?」
「入ってるんじゃないですか? こういう微妙な表情が実に自然なのは、今までにも何度か話したことですけれども、直江というキャラクターを中居が、ちゃんと自分のものにしているからこそ出来る演技ですよね。」
「そうそう。激怒したり痛がったり口論したり、そういうのって実は簡単なんだよね。本当に難しいのはこういうさりげない一言。何でもない佇まい。たんぽぽの前に屈んで花たちに挨拶してるような倫子、それはまた彼女の示している最高に幸せだという仕草なんだけど、それを見ている直江の、本当に微かな笑顔ね。これはマジで素晴らしい。大した役者だよ中居さん。」
「このシーンは全体に、溢れんばかりの”朝の光”に満ちていましたよね。2人にとっても最高に幸せな一瞬だったんでしょう。」
■マンション前■
「何度かけても連絡のつかない直江に焦れて、マンションの前までやってくる三樹子。出勤途中を狙うという確実にして大胆な作戦に出たんだね。」
「そこで彼女はタイミングよくか悪くか、恋しい男の後ろ姿と、彼に追いついて幸せいっぱいな倫子の姿を見てしまうんですね。」
「勝ち誇った笑顔に見えるんだよなぁ、こういう時のライバルの姿って。何せ同伴出勤だからなー。」
「同伴出勤…(笑) まぁ確かにそうですけれども。」
「2人を見ている三樹子のアップにさ、車のクラクションがかぶるのも効果的だね。何気ないんだけど凝った演出。そして倫子と歩いてくる直江をスローモーションにしておいて、画面は院長室での密談に繋がる、と。」
■院長室■
「何だかここでの婦長は、あれじゃないですか、従軍看護婦みたいな口調だと思いません?」
「ああ、それは言えた言えた。なんか敬礼しそうな雰囲気だもんね。『くれぐれも三樹子には悟られないように』って、ここまで言うからにはこの婦長は、院長にとって本当の腹心なんだろうな。娘の秘密が曝(さら)されかねないんだ、よっぽどの相手じゃないと頼めまいて。でもってそこへ入ってくる三樹子は、本当にもう今さらなんだけどノックしないよねー! これだけは気になるなぁこのドラマ。キャラたちが揃いも揃ってみんな行儀が悪い。父親だろうと何だろうとノックはしろ! 常識だ!」
「まぁ確かにノックの少ないドラマではありますね。してる場面の方が少ないような気がします。」
「何だったら数えてみるか、今度(笑)」
「いいですよそんな。あら捜しみたいなのはやめましょう。第一そんな時間ないんじゃありません?」
「は、おっしゃる通りです。えーっとねぇ、このシーンでよかったのは、まずはさも『難題だ』みたいにバリバリと頭を掻く院長。それと、コーヒーいれると言ってサーバーを洗っている三樹子の表情だね。さっきの直江の部屋のシーンでは、幸せを象徴する小道具として扱われていたコーヒーメーカーが、ここでは嫉妬を表してザーザーと水に打たれている。両者の対比が印象的だよ。」
「そうですね。じっと虚空を睨んでいる三樹子がこれからどんな行動に出るのか、興味深いところですよね。」
■石倉の病室■
「水差しで石倉に水を飲ませてやっている奥さん。小橋先生もいて、そこに直江と倫子もやってくる。なんか第7回のオールスターズが揃いましたって感じのシーンだね。」
「第7回オールスターズですか。そういえば確かにそうですね。」
「倫子は持ってきたたんぽぽの植木鉢を、自分も嬉しそうに石倉に見せる。今までは一株だったのに今度のはたくさん咲いていてにぎやか。『春の匂いだ…』って言う石倉の顔は、これはメイクだろうけどもすっかりやつれちゃってるよね。誰が見たって病人の顔。」
「顔色が黒ずんできてますもんね。死の影がすでにしのびよっている感じです。」
「それに対して、ってことはないんだけどここでの直江。診察するんで椅子に座ったその笑顔にさ、前から光が当たってるのね。どこか晴れ晴れした感じがするのは、これはやっぱ倫子のおかげなのかな。愛する人を抱きしめた喜びの為せる技。」
「そういうことでしょうね。それに、振り返ってみるとこのシーンは、元気…とまではいきませんけれども、石倉が普通に笑えた最後のシーンなんですよ。このあと石倉は苦しみ始めます。マスクも離せなくなりますし。」
「うんうんうん、そうかも知れない。たんぽぽの鉢を見て、元気になって見にいかないとって言う笑顔がね、痛々しいくらい必死でね。あとねぇ、このシーンで思ったのが、この奥さんの女としての姿みたいなものが、ここで初めて示されてるのね。診察するんで石倉の胸のボタンをはずすのをさ、『いいですよあたしやりますから』って奥さんがやってるでしょう。これって別に張り合うとかじゃなく、自然と女房のすることだよなぁと思って。」
「奥さんの女性としての姿ですか。確かにこの第7回では、倫子と並んで奥さんがヒロインですからね。クローズアップしないと。」
「女優さんがベテランだからねぇ。やっぱ締まるよね、こう、びしっとさ。でもベテラン2人の迫真の演技を前にして、中居さんはこれっぽっちも食われてなかったよね。これは欲目じゃないと思う。」
「それはそうですよ。食われるなんてとんでもない。この第7回でも堂々たる、主演俳優だったと思いますよ。」
「おお、ありがとありがと。ってアタシが礼言ってどうすんのよね。」
■エレベータの中■
「石倉は嘘に気づいている、と倫子に語る直江。その言い方は淡々としてるんだけども辛そうで、倫子もまた胸のしめつけられる思いがしてるんだろうね。」
「以前の倫子は、嘘というものに対して単純な拒絶反応があったじゃないですか。でも今は判るようになっているんでしょうね。嘘は、つく方も辛くて悲愴なんだってことが。これは前の倫子には思いも至らなかったことでしょう。次郎に言っていたじゃないですか、私は嘘つきは大嫌いだとか何とか…。」
「おお、次郎か。そういやいたねぇそんなキャラも。なんか懐かしい(笑) このへんに来るとさ、もうあの頃のエピソードは綺麗さっぱり忘れちゃってるよね。このドラマってさぁ、小橋との対立だの次郎の自殺騒ぎだの、前半はかなり”青春”っぽい青くさいストーリー展開をも視野に入れてた感じがするけど、中盤以降はぐーっと舵を取り直して、生と死と愛に重点を置いた、人間ドラマの様相を濃くしてきたと言えるんじゃないかな。」
「そうですね。そのあたりの変化はもしかして、中居の”出来”が大きくものを言っているのかも知れませんよ。『こりゃあこっちで行けるな』くらいは、スタッフに思わせたのかも知れない…。」
「うん。純然たる人間ドラマ一辺倒でね。ここまでの手応えを中居さんが返してくるとは、スタッフにとっても案外、嬉しい驚きだったりしてね。第2回の、嘘の手術のあとのまなざしに始まってさ、随所で見せてくれたセリフのない心情表現。回を追うごとに直江庸介になりきっていった中居さん。演出ももちろんそれに合わせて微調整されただろうし、ドラマのカラーも変わっていったのかもね。…すごいじゃんか(笑)」
「前半と中盤以降でだいぶカラーが変わっているのは事実だと思いますよ。より本格的にというか、重厚さを増してきたんだと思います。」
■病院内の一室■
「X線フィルムを透かした青昏い部屋の中で、奥さんに石倉の症状を説明する主治医・直江ね。正式な病名を伏せておくことはできても、死が迫っていることは知らせなければならない。辛い時間の始まりだね。」
「さっきのエレベータの中で直江は、その辛い時間がいま始まったことを覚悟したんでしょうね。」
「そうだね。『治るんですよね』っていう奥さんの問いかけは、必死ゆえにちょっと挑戦的だったもんね。いずれは知らせなければならない”真実”も直江の胸の中にはある訳で、その時に奥さんにはかなり罵倒されるだろうというのも、最初から判っていたこととはいえ、そろそろ覚悟を固めないとって感じだよね。」
「でも彼が今その口で言うのは、『治すための治療です』…。これもまた微妙な言葉ですね。治るとは決して言っていない。努力はするという意味ですから。」
「罪の意識にたまりかねた小橋が、『直江先生!』と1歩前へ出るのを、協力をお願いしますでぴしゃっと言葉を封じちゃうのがさすが直江だなー。小橋という正義感溢れる医者は、主治医の権限という絶対的なものを決して踏み越えてはこないって、直江には判ってるんだよね。」
「でも奥さんが、お願いしますと頭を下げて出ていってしまったあとは、小橋も黙ってはいませんね。直江の言う、『医者の重荷を患者の家族に押し付けることになるだけです』という言葉も真実なんでしょうけれども、『このまま真実を知らずに石倉さんに先立たれたら奥さんがどんなに悔やみ悲しむか、先生にだって判るでしょう!』…この言葉を聞いてしまえば直江も、心の中で奥さんと倫子が重なるのはいかんともしがたいでしょうし。」
「そうだよねー。直江が石倉に真実を告げず最後の最後まで隠してやろうとするのは、自分自身死んでいく立場だからこそ判る、”真に欲しい、真の優しさ”なんだと思うのよ。直江が石倉にそこまでしたのは、おそらくこの患者が自分にとって最後のひとりになるだろうと、予想できたからだと思うのね。直江の中で石倉と自分は、ぴったりと重なってた訳じゃん。だから直江は自分が心の底で望むもの…死の恐怖を忘れたい、誰かに優しく目隠しされて、優しい嘘の中で死んでいきたいという思いを、自分には許されない分、石倉には叶えさせてやろうとしてると思うのね。
だけどそれはある意味、残される者に対してはちょっと手薄な思想というか、死んでいく自分に対する比重の方が断然大きい訳じゃんよ。そこんとこを直江はこの時、そうとは知らぬ小橋によってグサッと突かれた感じがするね。死んでいく石倉については、もしかしたらそれでいいのかも知れない。でも、『奥さんはこれからも生きていかなければならないんですよ!』 ここで直江がスッと目を上げたところで、シーンは次に移り画面には倫子が映る。象徴的だよねこれね。自分がこの世を去ったあとでも、倫子は生きていかなければならない。その時彼女に与えてしまう、苦しみと悲しみはいかばかりなのかと。光の中で寄り添うたんぽぽと、馨しいコーヒー。直江を包んだ幸せな朝は、やはりいつまでも彼をその中に、穏やかに漂わせてはくれないんだね…。哀れだなぁ。」
「彼女の手を取ってしまって、本当によかったのか。この懐疑は直江を捕らえたまま、そうたやすくは解放しようとしないんですね。人間そう単純に、何もかも割り切れるもんじゃありませんし。」
「うん。そうやっていつまでも苦悩し続ける直江は、実に身近というかリアルというか、人間らしくて共感できるね。」
■小橋の診察室〜病室■
「2人してお世話になっちゃって、と小橋に礼を言う奥さん。ここで初めて明かされるのが、石倉と奥さんは正式には入籍していなかったってことね。カルテの名前が『岩崎ミツ』なのを見て倫子も視聴者もそれを知る…。」
「この2人は、多分生きるのに精一杯だったんでしょうね。具合が悪くても医者には行かず、惹かれあったまま暮らし始めたことも、お役所に届けるのは何となく後回しにしているうち今日まで来てしまった。」
「うん…。そうなんだろうねー。その奥さんの独白がさ、石倉の病室での会話と雲間の夕日に重なる…。これは映像的な美しさとともに、人生の黄昏、哀愁、石倉の命が残り少ないことなんかを複合的に象徴してるんだろうね。」
「どこで鳴らしているんでしょうか、夕方のサイレンの音が効果的ですね。自然と『おうちに帰ろう』という気分にさせられる音です。こういう連想って幼児体験なんでしょうね。」
「あ、あるねーそういうの。あたしにとってはさぁ、何としても切り分けがたい連想が『夕日には鉄橋』。これだもんねぇ。HPなんかで色々と、小説とか書くじゃんか。夕焼けのシーンってけっこう出てきたりするんだよね。そうすると私はどうしても、そこに電車走らせたくなっちゃうんだよねー(笑) しかも鉄橋(笑) ほとんどパブロフの犬だよねこれ。夕日と見ると電車走らせる。できれば常磐線。さらには下り(笑)」
「利根川の風景ですね。そういうのって一度記憶に刷り込まれちゃうと、多分死ぬまで変わらないんでしょうね。」
「最初に見た動くものを親だと思う、ひよこと同じなんだねー。ぴよぴよぴよ。ぴよぴよ?」
「…はっきり言っときますけど、全然可愛くないですよ。」
■医局■
「お薬お届けの小夜子さん〜。ヒトが書き物してる机にケツ乗せんじゃねーよ、ッたく…。例によってつくづく、行儀がなってないドラマだよなぁ。ノックはしないは平気で机に座るは。」
「と言いますか小夜子のキャラが、前回とはちょっと変わってますよね。以前は三樹子というキャラクターに見られたブレが、今度は小夜子の上に起きてるんじゃないでしょうか。」
「ああな、演出の意図ってヤツがなー。前回の小夜子はさ、アンタずいぶん簡単に別れ話OKしたねって感じだったけど、今回はいきなり脅しかけてるし。」
「まぁ前回の『判りました』は、七瀬の名前を聞き出すための作戦だったとも取れますけれども、今回いきなり悪女っぽくなってますからね。」
「外来は人数が多いから看護婦も覚えていないんだ、なんて言っているうちはよかったけど、連絡先は嘘だったと聞かされて、ふいと椅子を立つ直江。まーたいてい都合が悪くなると男は席を立つわな。ねぇ八重垣。あれはどういう心理状態?」
「え?(笑) いやまぁその…女性っていうのはですね、熱くなると実に一方的に、論理を展開してきますからね。こっちは言葉を挟む余地を奪われますから、ですからとりあえずは冷めてもらおうと、そういう意識はあると思いますよ。ええ。」
「ふーん。判るような判らないような。まぁそれはいいとしてここんとこのシーンは、私けっこう好きなんだよなー。小夜子とのこれ以上の会話を避けるが如く席を立って白衣を羽織る直江に、『あなたが急に部屋に入れてくれなくなったのも不思議だけど…』とか言いつつ近づいていった彼女が、くいっ!と直江の肩に手をかけて振り向かせるところ。そうされた瞬間の直江の、っつうか中居さんの風情が、なんかすごく”男”なんだもん。くふふっ。」
「ああね。確かにそんな風情でしたね。男としてはまぁ、女の人にされてみたい行為でもありますよねあれ。肩のところをクイッと掴まれて囁かれるの。仮に弱みを囁かれるとしても、ちょっとゾクッと来ますよ。ええ。」
「おや。そうかいそうかいそうだったんかい! きらりーん♪」
「…い、いやいいです。今のはものの例えで、別に智子さんにやってくれとは言っていません。いいですホント。はい。すいません余計なこと言いました。次いきましょう次。」
■病院の玄関前■
「このドラマのカメラさんて、もう完全に中居横顔フェチだね。多用してんもんねー!」
「ああ、確かにけっこう多いですね。すごく映えますから、撮り甲斐もあるんじゃないですか?」
「だよねー。ふぅ…と吐き出した煙が顔の前を流れていくとこ、これは一種サービスショットだよな。でもこれって病院の前だよね。こんなとこで医者が煙草吸ってていいモンなんでしょうか、外科の直江先生。」
「診療時間終了後ですから別にいいでしょう。誰が見ているってものでもないでしょうから。」
「いいや判らんぞ。壁に耳あり東海林メアリー、つってね。そこへやってくる倫子は今日はこれで上がりなんだね。心電図モニターの報告をして、まだ何か言いたそうな彼女に『どうした』と聞いてやる直江の声が、優しいんだよねこれがねぇ! 医者じゃなくて1人の男の声になってる。愛する人を気遣う声ね。」
「そうですね。かつての無愛想とは全く違っていますね。その声に促されて倫子が言ったのは、彼女が考えた石倉の心情ですね。『石倉さんは自分が怖いからじゃなくて、奥さんのために嘘に入ってきたんじゃないでしょうか。』…これを倫子が言うというのは、直江としては意外だったんじゃないですか?」
「うんうん、だと思うよ。さっきは小橋に、残される奥さんのことをグサリと指摘され、今度は倫子に、石倉は残していく奥さんのことも十分に考えているのではないかと解かれる。石倉は、自分は癌でもうすぐ死ぬと判っている。でもそれを奥さんに言ったらどんなにか悲しむだろうということも判るから、奥さんに真実を告げないんだと。
この倫子の解釈はさ、これまさに直江の意志だと思うんだ。こうして手を取り合いはしても最後まで、直江は自分の病気を倫子に告げるつもりはない。もちろん言った方がいいのかという迷いはあったにしても、多分言わないだろう自分を、直江は知ってると思うんだ。その想いを倫子はここで、はからずも言い当ててる恰好になってるんだよね。だから直江は、動揺とまではいかなくても、虚空を見て『そうかも知れないな…』とつぶやいてる。このシーンを私はそんな風に考えたね。」
「直江の心情ですか。難しいところですね。解釈は何通りも成り立ちますからね。」
「うん。見た人の数だけ違う解釈があって当然なんだもんね。それにさぁ、違う解釈といえばここ。倫子が言いかけてやめた『先生は…』のあとに、いったい彼女は何を言おうとしたんだろう。これにも確たる答えはないよね。」
「ああ、そうですね。すぐに『先生は今夜から石倉さんの方に?』って言い換えちゃってますけどね。」
「そうそう。その前で途中になってるセリフ。あのあとは何だったんだろうね。私テキにはさ、『先生は、私といつまでも幸せでいたいと思ってくれてるんですか』みたいな感じだと思うな。だって倫子は直江が、助からない病気に冒されてるだなんて夢にも思わない訳だからね。確かめたいのはやっぱり、自分に対して本気なのかってことと、それに将来のことでしょう。今すぐにいきなり”結婚”ではないにしても、それを十分視野にいれた”本気の相手”に思ってくれているのかどうか。」
「なるほどね。女性はそうでしょうね。自分の思いを受け入れてくれたことでまずは幸せであったとしても、三樹子とのことはどうなのか、それに小夜子とも妙に親しそうだった直江が、本当に自分だけの恋人になってくれたのかどうか、倫子は確信していないんですよね。」
「うん。でもそれを今ここで、石倉が大変なこんな時に確かめるのはあまりに自分勝手だと思ったか、いいや私はこの人だけを信じていようと思ったのか、倫子はあっさりと話題を変えて、お疲れ様でしたと帰っていく…んだけどもさ、八重垣。またちょっと関係ない話するけど、この『お疲れ様でした』って挨拶はちょっとヘンだよな。ウチの会社の新入社員にも、同僚より先に帰る時『お疲れ様でしたー!』って言う奴いるんだけど、それは見送る人間が言うことであって、帰る奴は『お先に失礼します』だろ。これからまだ仕事しなきゃならん奴つかまえて『お疲れ様でした』もないもんだよな。ッたく日本語が乱れてるぜ。国立国語研究所あたりが、もちっとビシッと教育せなあかんよ。何が英語の早期教育だ。そんなことよりも子供たちにはもっと丁寧に、日本語の美しさを教えんかぁ!」
「またそうやっていきなり的外れな論議を始めないで下さいって。日本語の美しさを伝えるのも確かに大切ですけれども、それを見失うことなくさらに加えて、今後の国際化社会に対応できる実用的な英語教育をも推進する。これは正しいことだと思いますよ?」
「何をジュペール伯爵みたいなコト言ってんだか。話を元に戻すよっ! このシーンはBGMじゃなく噴水の音がずっと聞こえててね、それが倫子の言葉で直江の受ける”小さな衝撃”に、よく合ってたんじゃないかなと思う。」
「珍しく自分で話を戻しましたね。いつもそうしてくれると僕はすごく楽ですね。」
「うるせーやい。あとはね、間違った挨拶をして倫子が歩いていくのを直江は見送ってるじゃない。で、しばらく行ってから倫子が振り向いて会釈したあと、カメラが直江に戻った時のその表情ね。倫子が会釈した時には直江の口元にあったのだろう笑顔が、消えた直後の表情なんだよねこれ。いやぁ〜いいとこ押さえてるなぁカメラさん。倫子には微笑みかけていても、直江の胸の中には彼女に告げられない深い憂愁がある。そのことが見事に表現されてたと思うよ。最後はロングになった映像が、直江の立ち姿と噴水とをスーッと重ねてシーンチェンジ。余韻についても申し分のない、いいシーンだったんじゃないかねここは。」
■レントゲン室〜医局■
「ここがまた好きなシーンだなぁ。見せないがゆえにSexy、の見本みたいな場面。診療時間後の誰もいないレントゲン室で、我が身の病巣を描きとるべく放射線に向かおうとする直江。スイッチを入れた時の明かりのつく音がいいよね。蛍光灯がつく時にああいう音するじゃんか。」
「しますね。ピッピッというかカンカンにも近い音ですね。」
「白衣を脱いでシャツのボタンをはずし、ウィーンと唸りを上げながら起き上がってくる鉄の機械の前で、服を脱ぐ準備をしているところに人の声。ハッ、とする直江は珍しく本当に驚いた表情になっていて、来たのが三樹子と判るといつもの苛立ちを噛み殺したような無表情に戻り、脱ぎかけたシャツのボタンを手早く留めていく…。この”脱ぎかけたシャツ”っていうのがそそるんだよねー。深くあけた胸元の色っぽい事! ぞくぞくすんねー!ってオヤジなことゆってんなー私。判ってるんだけどもね。」
「いえ別に今さらですから、それは気にしないで下さい。でもさっきのおかしな挨拶じゃないですけれども、ここで三樹子は『おはようございます』って言ってますよね。これこそおかしくないですか? 翌朝じゃないですよねこれ。」
「あ、そうなのそうなの。これはちょっと見た時『?』だった。でも多分病院スタッフって、その日に初めて会う時は、時間に関係なく『おはようございます』って言うんじゃないの? 病院じゃなくても夜勤のあるところってほとんどそうみたいよ。工場とか警備会社とか。」
「なるほどね。だったら判りますね。」
「しかしここでいきなり痛みが来るというのは、直江にとっては不幸だったね。腰の押さえ方と顔色の変化が、ただごとではないと三樹子に気づかれちゃうんだから。医師ではない三樹子だけども、直江の心をつなぎとめようと必死の彼女は、今や彼のどんな表情をも見逃すまいとする鋭さを持っちゃってる。それまで激しく問い詰めていた言葉がぴたっと止まっちゃうくらいに、彼女は不審を覚えたんだね。」
「逃げるように部屋を出ていく直江を、追うことも三樹子は忘れてますね。それだけ直江は切羽詰っていた訳で、このことが三樹子に新たな疑問を抱かせてしまうんでしょう。まさかこの人は何かの病気なのではないかと。」
「そういうことだよね。直江は医局に駆け込みドアにカギをかけ、内側のドアの向こう側にすべり落ちて、そこから這って机に近づく…。駄目だねもぅこのシーンは。ヘンな言い方だけどクセになる。習慣性のある麻薬だな青組にとっては。よくないモンを見せられちゃったよホント(笑)」
■志村宅■
「倫子と清美の、優しくてあったかい会話。これだけは娘を持った母親の特権だろうね。まさか父親と息子じゃあこれはないっしょ。」
「ありません。母親と息子でも気持ち悪いですよ。やっぱりこれは母親と女の子だけに成り立つ画(え)でしょうね。」
「サムガで中居さん言ってたもんなー。親は男の子なんか持ってもつまんないだろうって。それは言えてるだろうね。男の子はだいたいある程度の歳になると離れてっちゃうもんね。」
「でも最近はいつまでも親離れしない、ちょっとおかしな子供も増えてきてるみたいですけどね。」
「まーな。子離れしない母親っていうのも昔っからいるけどな。でもさ、これは多分本能的なものなんだろうけど、えっちしたあとって親はうざくない? なんかあんまり会話したくない気分ってあると思うんだけど。」
「うーん…。どうですかねぇ。僕は高校を出てすぐに独り暮しを始めたんで、それ以来そんなに日常的には顔合わせてませんから。正月とかには帰りますけれども。」
「ああそっか。なるほどねー。じゃあ経験ないかも知んないけど、そういう感じってあると思うよ。男も女も、異性を知ると独立心が強くなるんだろうね。だけどもここで倫子がこうやって清美に甘えられるのは、直江との朝から半日という時間がたっていて、かつその間に死を控えた石倉という、大きな悲しみと向き合ってきてるからかな。ただの惚れたはれたよりもう少し深い人生を倫子は覗いていて、だから自分が独りじゃないことの幸せに、素直に感謝できるのかも知れないね。」
■医局■
「その、独りではない幸せな倫子に比べて、直江の負うものはあまりに大きいやなぁ…。愛する人の手を取っても、彼はこの激痛だけはただ独りで耐え、死神の足音をただ独りで聞かなければならない。自分の命を鷲づかみにしようとする死神の手を振り払い続ける戦いから、誰よりも逃げたいのは直江自身なんだよね。だからこそ彼は、この恐ろしい苦しみと恐怖を倫子にだけは味わわせたくない。そう切実に思うんだろうな…。」
「そうなんでしょうね。愛し合っているのならともに手を取って戦おうというのは、小橋あたりが好きそうなセリフですけれども、それは彼が死の恐怖と絶望を具体的には知らないからこそ言えるセリフなんでしょうね。」
「だと思うよ。こないだの『世界仰天ニュース』でね、飛行中のパイロットが心不全で急死して、ド素人の男がその機を操縦したって話を紹介してた時に、中居さんが、飛行機とかが揺れたりすると、これで落ちるんならしょうがないやと自分は思うって言ったのよ。その時にゲストの松岡修造さんが、それは飛行機で本当に危ない事態に直面したことがないからだって言ってた。乱気流でちょっと揺れる程度じゃなく、天井から酸素マスクが降りてきて救命胴衣か何か着なきゃなんないって状況になったら、人間やっぱ気持ちは変わるんだろうね。神様どうか助けて下さい!以外は何もなくなっちゃうのかも知れない。
だから、直江が倫子に何も告げまいとするのを、その痛みも恐怖も何も知らない人間が身勝手だと批判するのは、もしかして短絡的すぎるのかも知れないね。」
「そうですね。知らぬが仏に甘えているのかも知れません。」
「ここでさ、打ったばかりの注射器を手に、左腕には生々しい注射痕を残して冷たい床に転がっている直江はさ、はぁ…と溜息をついたあとで、目は閉じてないんだよね。彼には見えているのかも知れない。自分を連れ去るタイミングをはかって浮遊している死神の使者が。俺はまだ死なない…。そんな悲痛な声なき声を、直江は発してるのかも知れないね。」
■病室■
「日に日に悪化する石倉の病状。廊下ではトリオロス大部屋が不安そうにひそひそやっている。そこへ来る直江のシャツの色が変わってることからも、これは日にちが変わってるんだなとすぐ判るね。」
「え、シャツの色変わってました? 気づかなかったなそんなところまで。」
「変わってたよ。黒に近いダークブルー。あの整った顔立ちをさらに美しく見せる色だったね。うっとし。」
「あのですねぇ。こんな深刻なシーンでうっとりしてちゃ駄目でしょう。石倉さんはいよいよ危険な状態になっていくのに。」
「おおすまんすまん。でもさぁ、病室にかけつけてトリオロスをちょっと見る時のあの直江の表情が、ものすごく素敵なんだもんよぅ。いいわぁ星人は神出鬼没で、直江病は不治なんだぜ。」
「はいはい一緒に地獄でも銀河の彼方でも行っちゃって下さい。」
■一室■
「石倉の奥さんに病状を説明する直江。思いのほか抵抗力が落ちている、最善の手はつくすがこの状態を抜けてみないと何ともいえないと。それを聞かされた奥さんは、自分はあの人がいないと何もできなくて本当にだめなんだと不安を隠さない…。このさ、直江が奥さんに説明するシーンって合計3回出てくるんだけど、それぞれで一番変わってるのは奥さんの反応なのね。
最初はあのちょっと挑戦的な『治るんですよねぇ?』のシーン。次がここの、剥き出しの不安を隠そうとしないシーン。でもってもう1つはあとでまた言うけど、ここ2〜3日が峠ですと言われたあとの茫然自失のシーン。最初のうちはまだ余裕があるっていうか、医者に問い詰める気持ちにもなれたんだけど、そのうち不安が勝ってきて、このシーンでは直江に対して神様でも見るかのように、すがりつく目を向けている。黙って見ている小橋は、たまらないって顔してるよね。」
「小橋の態度も変わってきてますよ。最初は直江を激しく批判したのに、今回は言葉を挟んでいません。そして3回めになると、直江をフォローする立場に回っています。」
「そして一番変わらないのは直江なんだよな。冷静に、一見平然として。このシーンでも奥さんの『よろしくお願いします…!』に対して、ただ一言『はい。』この言い方はかなり力強いんだよね。余計なことは一切言ってない。不安や重責は全部独りで背負って、奥さんには見せまいとする。」
「そのあたりが小橋には段々見えてくるのかも知れませんね。感性は豊かな人でしょうから小橋も。」
■待合室■
「呆然としている奥さん。なんかすごく切ない。泣いたり叫んだり罵ったりしてる姿より、こういうのが一番見てて辛いよね。たった独りで耐える姿。自分の中の強さをふりしぼる姿。『大丈夫。』って自分に言い聞かせて、荷物を手に歩いていく小さな後ろ姿…。見送るしかない小橋の心中も、推し量って余りあるよなぁ。」
「『医者の重荷を患者の家族に押し付けることになるだけです』って言った直江の言葉を、小橋は思い出しているんじゃないですか? 真実を告げるという正しげな行為が、あの背中に負わせてしまうものは何なのか。そのことをじっと考えている目ですよね。」
■医局〜ナースセンター■
「机の前で煙草をくゆらせつつ、石倉に施す治療を考えている直江。挟んだフィルムはあれって石倉の胃なのかね。あんなにボロボロになっちゃうものなんだ。」
「多分あのフィルムは病院に借りた本物なんでしょうね。ちょっとゾッとする画像ですけれども。」
「ナースセンターでは倫子も何か書き物をしていて、その近くのロッカーでは同僚たちが、何やらヒソヒソと話をしている。これはこのあとの石倉の行動への伏線だよね。」
「こういう話はよく聞きますね。男性の患者が看護婦さんに対して…というのは。」
「まぁ気持ちは判るけどな。でもされる方はたまんないだろうし、難しい問題だと思うよ。八重垣くんて長期入院のご経験はおありで。」
「いや、僕はないですね。おかげさまで盲腸もやってませんし、風邪ひいた時くらいですから病院行くのは。」
「そりゃいいことだ。まだバリウム世代でもないし、心電図とかも取られたことないよね。」
「ないです。せいぜいレントゲンが年に1回。でも風邪で熱出して病院行った時なんかに、すごく綺麗な看護婦さんがいたりするとドキッとしますよね。だから長いこと入院してる男の患者が、そういう気分になっちゃうっていうのはすごく判りますよ。同性として。ええ。」
「だよなぁ…。でもって倫子は直江に、石倉にドーパミンを5ガンマ追加するよう指示されて、彼の病室へ向かう訳だね。そこで衝撃の事態に合うとは思わずに。」
■院長室■
「直江の身辺調査の結果、志村倫子とつきあっていると知って大笑いの院長。てっきり三樹子と怪しいと思っていたのにこの結果じゃあ、そりゃあ笑いのひとつも出るよねぇ。」
「でもそう考えると直江と三樹子の2人は、秘めたる大人の仲としては万全のつきあい方をしていたんですね。決して噂に上るような真似はしなかったということですから。」
「そうだね。要は三樹子が、誰にもしゃべってなかったという訳だ。物事は例外なく、誰かにしゃべるからバレる。そうでなければ警察にでも調べられない以上、秘密なんてそうそうバレないって。口は禍の元とはよく言ったもんだよ。」
「直江と倫子がつきあっている分には、院長としては痛くも痒くもないでしょうからそれはどうでもいいとして、小夜子さんとなるとちょっと穏やかじゃないですね。」
「そりゃそうだ。自分のお相手に横から手を出されたんじゃあ、男として沽券にかかわるよね。直江の方が若い以上、性交能力については院長より優れてるに決まってるんだし。」
「荷物の受け渡しというのもピンと来るものがあったんじゃないですか。病院として医師の不正は一番怖いスキャンダルの種でしょう。特に薬の横流しには気をつけないといけないでしょうし。」
「以前から院長は直江を、得体の知れない油断のならない男だって言ってたからね。こういう時には真っ先に不正を疑られて、痛くもない腹をさぐられがちなんだよな。」
「直江が一番そういうことを”やりそうなタイプ”に見えるんでしょうね、院長には。」
■病室■
「倫子を襲った脅威のできごと。父親ほどに歳が離れ、すでに老人と呼んでいい余命幾許の石倉が、突如男の本能を見せて自分に無体な仕打ちをしようとは。」
「弱ってやせ細った手で、石倉は最後の力を振り絞るように倫子をベッドに引きずり上げるんですね。むしろ哀れな気がしますねぇ。死への必死の抵抗のようで。」
「もしくは命の業(ごう)というかね。無機質な酸素吸入器の音が、緊迫感と倫子の驚愕を強調してて効果的だった。倫子が逃げていったあとの石倉の嗚咽は、これぞ慟哭って感じの哀れさだったね。」
■医局〜ナースセンター■
「この一連のシーンはね、これは竹内さん、上手いなぁと思ったね。女としての感情と看護婦としての感情と、それに、人間としての感情みたいなもんがすごくよく出てたと思う。」
「そうですね。何があったかを直江に話している時に、倫子は椅子のここをぎゅっと掴んでいるじゃないですか。倫子の受けた衝撃の強さが判りますよね。」
「うん。衝撃と、それに悔しさもあったろうね。こんなに心をこめて世話してきたのに許せない…っていうか、信じられないって気持ち。真心を踏みにじられた気がしたろうね。でももっと信じられないことがその次に起きる。落ち着け、というようにコーヒーをいれてくれた直江が、まさか『どうして抱いてあげなかった』と言うとは思わなかったろうからね。」
「それは思わなかったでしょうね。普通の感覚では男は怒りますから。自分の”女”に他の男が手を出そうとした訳ですからね。倫子ももちろん直江が怒ってくれると思って、少なくとも拒絶する心は判ってくれると思って話したのに、逆に責められてしまったんですから。」
「『抱くのは嫌か?』って涼しい顔で言われちゃあ、そりゃ倫子も怒るよね。コーヒーこぼす勢いで立っていって、『看護婦がそこまでやらなきゃいけないんですか!』と。本当に怒りたいのは看護婦云々じゃないだろうけどね。医者の顔で自分を責めた恋人に対する抗議は、こういう言い方になるよなぁ。すると直江が口にしたのは、『死ぬからだ!』という強い言葉。同時にX線フィルムをパネルに挟む、カンッていう怒ったような音ね。これがまた倫子を黙らせるんだ。そのあと直江が言うことはいちいち正しいんだけど、これは若干エゴっぽくも聞こえるね。それだけ倫子に感情移入してるってことか、私が。」
「珍しいですね(笑) 倫子への感情移入なんて。」
「ねぇ(笑) 自分でびっくりしたよ。『どうしても嫌というならそれはそれでしょうがない』って言う時の直江は、振り向くところまではいかないかすかな横顔を見せていて、倫子はもう悔しいような悲しいような突き放されたような、たまらない気分だったろうね。」
「それ以上聞く耳持たないような恋人のところから、ふらふらと倫子はナースセンターに戻って、薬品棚の前でじっと考えますよね。何よりもまず自分は看護婦であると。その考えに行き着いたのかも知れませんね。」
「これはなかなか立派ですな。うん。」
■病室■
「倫子の心情変化を表すかのように色を変える空の雲と光。ベッドのそばに無言で立っている倫子はさ、この時の石倉からは逆光になってるから、本当に聖母みたいに見えただろうね。」
「後光が射している感じだったでしょうね。さっきはああやって望んだものの、自分の思いが決して順当なものではないことくらい、石倉にも判っているはずですから。」
「ハーモニカを握らせてやった石倉の手を包み、その手を彼の胸に置いてベッドに腰かけサンダルを脱ぐ。ピアノだけのBGMは高音の単音で、そこにやがてオーボエが入ってくる。石倉の隣に横たわって彼を抱いてやる倫子は、完全に聖母の表情だよね。じゃなきゃ観音菩薩だ。人間の女じゃない、これは。」
「この時の倫子にはもう、男とか女とか、看護婦とかいう意識もないでしょう。人間愛の領域ですよこれは。命そのものに対する慈愛です。」
「石倉もさ、もしかして母親を思い出してるかも知れないね。『あったけぇ…。あったけなぁ…。』これは国の言葉でしょきっと。子供に戻ってるっていうかさ、”素”の心になってる感じね。」
「人間の究極の美、みたいな気がしますね。宗教画にしかないような世界というか…。」
「また倫子にこれをさせたのも、底の部分には直江への愛があるんだろうね。いや直江に言われたから抱いてるっていうんじゃなく、直江の愛を得たことによって彼女が、女性として豊かになってきたっていう…。愛というものの強さを彼女自身が感じとっているから、できた行為なのかも知れないよね。」
■医局■
「前のシーンでは聖母だった倫子の、ここでは恋する生身の女としてのシーン。崩れそうな表情で倫子が医局に入ってきた時から、直江は彼女が今何をしてきたのか、一瞬で判ったんじゃないかと思うな。『どうした』とは聞いてるけどさ。」
「ああ、倫子を見る目がそんな感じでしたよね。言い方も優しかったです。」
「『石倉さん、すごくあったかかったです』って言って倫子が抱きついてきた時の直江には、ちょっと困惑もあるかなって感じだね。なんでこんなに泣くんだ、と一瞬思ったというか。でね、これは私の解釈なんだけどね、さっき『どうして抱いてあげなかった』と言った時の直江は、石倉に抱きつかれた倫子はただびっくりして、女として身を守る本能から怒ってるとしか思わなかったのが、ここで倫子に泣きながらすがりつかれて初めて、彼女の本心…『あなた以外のひとに触れさせないで』って気持ちを、肌で感じたんじゃないかと思う。だから彼女の涙を指でぬぐってやって、『大丈夫、君を愛しているから。君は僕だけのものだから』とまなざしで告げてやったんじゃないのかな。」
「なるほどね。初めは直江の白衣の肩をぎゅっと掴んで泣いていた倫子が、そうやって涙をぬぐってもらったあとは、直江の背中にこう、深く腕を回していますよね。このあたりも2人の心を表しているかも知れませんね。」
「直江は倫子の肩をさ、子供にするみたいにポン、と叩いてやってるのね。安心しろってサインだもんねあれは。よしよし、ってされる感じで落ち着くんだよねあれね。」
「抱き合うって大事なことですよね。子供でもそうでしょう。親に抱きしめられる安心感がないと、赤ちゃんも豊かには育たない気がするなぁ。」
「しかしこういう時に思うね。恋愛というものにおいて女に負わされた絶対的なハンデ。『黒孔雀』にも書いたけど、そのハンデはこの”排他性”なんだろうなぁ。あなた以外はイヤ、っていう本能。これは男の人にはないんじゃないの? あ、精神的なものじゃないんだよ。どんなに愛し合っている彼女がいても、男の人ってさ、他の女性を”生理的に”受け付けなくなるってことはないんじゃない? 肉体的に嫌悪するっていうのは、やっぱりないんじゃないの?」
「ああ、それはないですよ。って答えるの早すぎました? 正直すぎるかな俺。」
「いやいや正直は美徳。精神的にさ、意志的に、いやいや僕は彼女がいますからあなたとは、ってことはあっても、例えば別の女の人といざベッドインって時に、彼女の顔がちらついて思わず突き飛ばしてしまったなんちゅうコトは、男性には滅多にないんじゃないかと思うのよ。
でも女はあるよ。悲しいほどある。まぁ個人差はあるだろうし恋愛中の時期にもよる。これがつきあって1年もしますとね、別の殿方とちょっと刺激を♪なんてのは当然あるけども、その人が好きで好きでたまらないって時期には、別の男だなんてアンタ冗談じゃない、アッチ行ってよシッシッシッ、みたいな。この生理的排他性は、種の存続がかかっている女という性に地球が負わせた、最強の枷みたいな気がするね。よって恋愛は最終的に女に不利なんだな。」
「いや不利かどうかは判りませんよ。智子さんはやり方がまずいのかも知れない。」
「んなアタシの話はどうでもいいんだよ。ダレがアタシの恋愛診断しろちゅーた。私がここで思ったのはもう1つ。この状況だったらキスしてやれ直江。涙ぬぐっただけでおしまいにすんな。何だったらそこのソファーをベッド代わりに、倫子を安心させてやんなさい。」
「…だけどそれって、カメラが映してないだけかも知れませんよ。」
「あ、そっか。そうだよねこのアトでね。なーんだ心配することなかったか。好きにせい好きに。ふんっ。」
■一室■
「ここ2〜3日が峠ですと奥さんに告げる直江。このシーンはさっきも語ったけど、呆然として取り乱しかける奥さんと、直江をフォローする小橋の変化がポイントだね。小橋はここでは完全に直江に合わせていて、直江のシナリオで演じてやってる。」
「『直江先生も僕も全力を尽くしますから』で小橋は、ちらっと直江を見ていますからね。ずいぶん変化したものです。」
「今にもへたりこみそうになっている奥さんには、直江からの強い言葉。正面から奥さんの両手を掴んで、『しっかりして下さい。いいですか、本当に石倉さんを支えることができるのは、奥さんあなたなんですよ』…。いま小橋は奥さんに、『石倉さんは強い人です』って言ったんだけども、直江はむしろその逆で、あなたが石倉を支えるんだと言ってるのね。」
「このへんの対比は脚本も徹底していますね。小橋と直江は決してイコールのことは言いませんね。」
「うん。また直江のセリフの、石倉を本当に支えられるのは奥さんなんだって言葉に視聴者は、ここでの彼の気持ちを少し離れて、ああ、直江にとってもそうなんだろうな、倫子が支えになっていくんだろうなって想像させる効果もあるよね。」
「そうですね。石倉と直江、奥さんと倫子は、この第7回ではある程度重なった位置づけ…というか、連想し得る位置づけになっていますからね。」
「あとさー。奥さんの腕を支えてる直江の左手。その指の形が綺麗なんだ。手フェチはこんなところにもうっとりしちゃうんだよね。」
「細かいところまでほんとよく見てますよねぇ。尊敬しますよええ。」
■病室■
「直江に叱咤されて強さを取り戻す奥さん。ハーモニカを手に取って咳込む石倉に倫子は駆け寄り、石倉さん痛みますかと言ってさすってやるんだけど、奥さんは戸口にじっと立ってその様子を見ている。プロである倫子の邪魔になるといけないと思ったか、この人を支えることの意味を考えていたのか。」
「この時の奥さんの表情は今までと違っていましたからね。何か覚悟を決めたような、奥歯を噛みしめたような強さがありましたね。」
「そんな奥さんに石倉が言う、『オイ、おめぇ遠目にゃあなかなか美人じゃねぇ』なんて冗談。今までだったらここで泣き出しそうなものなのに、奥さんもまた冗談で、『何言うかと思えば』なんて笑って、近くでも美人でしょう?と問いかける。強いというか、優しい2人だよね。」
「優しいですね。誰しもみんな、こうなれる訳ではないでしょうからね。」
「そこが人間の悲しさだよなぁ。」
■一室■
「小橋の初の同盟宣言。直江のやり方が全て正しいとは思わないけれど、石倉に関しては最後までこのやり方につきあう。石倉さんと奥さんのためにと。これの意味はすごく大きいよね。直江のやり方を、一部ではあっても小橋は認めた訳だから。」
「まぁここまできて今更逆らえない、っていうのもあると思いますけれども。でもそう言って小橋が部屋を出ていっても、直江に安堵の様子はありませんね。『石倉さんと奥さんのため』という言葉を、反芻している感じでした。」
「そうだねー。石倉と奥さんのため、2人のために何ができるのか。改めて直江は突きつけられたのかも知れない。最後まで嘘を突き通す信念はゆるがなくてもさ、ここでまた改めてね。」
「カメラがスッと引いて、部屋の中に1人になった直江を映すのも、そういう彼の心情を思わせて効果的でしたね。」
■病室〜センター■
「さて、ここが名実ともに第7回のクライマックス。一礼して病室を出る奥さんに、会釈し返して石倉を見守る直江。枕元の明かりだけの薄暗い部屋で、直江と石倉の最後の会話。『生まれて、よかったー…。あんただってそうだろう。』と言われて、『ええ。』と答える直江の声の優しさ。カメラはずっと左から右へ回り込み、窓の外からの映像になって、冷たい風にうたれるたんぽぽが。画面奥には石倉と、光の中にぽつんと直江が見える。『表はあったかいかい』と聞く石倉。寒いことは風の音で判るのに、『ええ』と答えてやる直江。『ああ…そう。じゃあ春もじきだ…』 笑ってはいてもハアハアと苦しそうな石倉に、もうしゃべるなという意味で直江はマスクをつける。この余韻のあるゆっくりとした演技。立派なもんだよな中居さんな。」
「さっきも話に出ましたけど、こういう芝居が難しいんですよね。動きもほとんどなくてセリフも短い。その中で直江の気持ちを表さなきゃならないんですから。」
「石倉はハーモニカを手にとり、直江に差し出して手に握らせる。『持っててくれよ』みたいに手の甲でクイと押すのを、直江は再び石倉の手に戻して胸の上に置き、ひらいた手のひらでトントントン、と語りかける。『大丈夫、まだ大丈夫です。これはあなたのハーモニカですよ。』 そういう声がちゃんと聞こえるもんなぁ…。
直江の瞳を読んで石倉は目を閉じる。カメラは直江の背後に回る。この背中が何だかさぁ、もう尽くす手はないと判っていながら、訪れる死神を毅然と待ち受ける騎士みたいだったよね。」
「センターでは倫子が、モニターの数値を祈るように見ていて、近づいていく小橋にも言葉はありませんね。数字はどんどん、73、67…50と下がっていって、石倉の命の火が消えようとしていることを示しているんですね。」
「直江は暗い窓辺に立ち、カーテンに手をかける。ガラスの外のたんぽぽがひときわ強い風に揺れた時、異常を告げる不吉な機械音。駆け込んでくる奥さんに何も言えない直江、走ってくる小橋と倫子。
『お願いします助けて下さい!』と奥さんにすがられても、もう駄目だというのが判っているから小橋にもどうしようもない。マスクをはずされた石倉に奥さんはハーモニカを握らせ、吹いてくれと言って自分も『春』を歌う。上り下りの舟人が――石倉の唇もかすかに動いて、見下ろす直江の視界の中、石倉は最後にもう1度だけ目を開く。奥さんを見て、奥さんは石倉を見て、愛しそうに幸せそうに微笑みあったあと、思い出した何かを言いかけるような表情になって、そのまま石倉は還らぬひととなった…。フラットを告げてピー…としつこく鳴り続ける機械音が、悲しみをあおりたてるようで堪らないよねぇ。」
「最後の石倉の表情は、いやぁさすがいかりやさんでしたね。見ているものに呼吸させませんでしたよ。」
「ほんとだねー…。それから小橋は聴診器で心音を、ライトで瞳孔反射を確かめ、直江を見て小さく首を振る。ふぅ…と息を吐いて時計を見る直江。『5時24分。ご臨終です…。』これを宣告するのは主治医の務めか。これも残酷だね。」
「衝撃に凍てついていた奥さんですけれども、ここでのふるまいは悲しいですね。見ている小橋の唇も細かく震えていましたし。」
「窓の外でたんぽぽが揺れて、そのあとほんの一瞬だけど、光の川原で咲いているたんぽぽたちが映ったでしょ。あれはつまり石倉の魂が、たんぽぽの土手に行ったことを示してるんだろうね。ドラマが彼に手向けた鎮魂のワンシーンだったかも。」
「旅立っていったんですね。ひとりの男が。おそらくは直江の最後の患者が。」
■一室■
「さっき私、石倉の死ぬシーンをクライマックスっつったけど、感動の強さっていったらこっちだろうね。石倉の残した手紙を奥さんが読むシーン。」
「ここはもう、判ってはいるんだけど泣かされる、っていう一種の定番シーンなんじゃないですか?」
「そうだね。泣かせのツボは全部押さえてるもんね。直江の印鑑が捺された死亡診断書を見て初めて、石倉の病気が胃癌だったと知る奥さん。『入院時すでに手遅れでした』と言う直江に奥さんは、『嘘ついてたんですかあの人に! あたしにも嘘ついて! 信じてたのは何だったんですか!』とテーブルを叩き立ち上がる。この反応は直江はもう覚悟の上だったろうし、仮に奥さんの出ようによっては騒ぎが大きくなって責任問題になるとしても、全ては自分1人が背負う覚悟は出来てたんだろうけど、そこに倫子が石倉の遺品を持って駆け込んでくる。封筒の中には記入済の婚姻届…。」
「僕ねぇ、一瞬、この婚姻届の用紙は誰が取ってきたんだろうって意地悪なこと考えちゃったんですけれども、これはあれですね、石倉自身がずっと前に取って、ハーモニカの楽譜の間にでも挟んであったんでしょうね。で、入院中に奥さんにハーモニカと楽譜を持ってきてくれと頼んで、奥さんは間に何が挟まっているか気づきもせずに持ってきたと。」
「ああ、そっかぁ。それは気づかなかったけど、だから病室にあの楽譜集があったんだね。確か前回まではなかったもん。なるほどぉ。それはいいところにお気づきで、八重垣!」
「いえいえありがとうございます。たまには意地悪な見方をしてみるのも有効ですね。」
「そうだよね。スクーターの気持ちになってみたりな。でもって婚姻届を『今頃もらったって…』と泣き笑いで広げてみた奥さんは、裏側に透けて見えた文字に気づく。『あの人…』と声を詰まらせつつ、奥さんは文章を読み上げる。ここはもう泣くなっつっても無理でしょう。また石倉の字がぐちゃぐちゃでさぁ。苦しいのを押して書いたんだってことが伝わってくるもんだから。」
「ああいう字ですよね、おじいちゃんの字って。すごくリアルだったよなぁ…。だからこそ胸に迫るものがありましたね。」
「ほんとほんと。奥さんの声が途中で石倉の声にすりかわり、呼びかけごとにその相手のアップ。倫子にはたんぽぽを、小橋には優しさを、直江には嘘を感謝したあと、ともに在(あ)れた人生を石倉は、最愛のミツに感謝している。奥さんは手の甲で涙をぬぐい、『知ってたんですねあの人ね』と、さっきは罵倒しかけた直江を見る。直江はまさか今ここで、奥さんがこれを言ってくれるとは思わなかっただろうけど、続く言葉はこうだった。『そうですね、知ってたらあたし、耐えられなかったきっと…!』 直江の無表情がここでは、涙をこらえてるみたいに見えるよね。『ありがとうございました…!』って奥さんの言葉は、直江の胸の奥の奥に届いたと思うよ。石倉の笑顔を伴ってね。」
「ほんとにそうですね…。これはやられたなって感じのシーンでしたね。」
■廊下■
「静かなる終幕。白い布に覆われたベッドが音もなく病室を出ていく。見送る直江の手に奥さんは、しんと静かな強いまなざしで石倉のハーモニカを渡す。本来なら自分が持っていてしかるべき石倉の形見を直江に委ねたのが、奥さんの感謝の深さを表してるよね。」
「また石倉がそう望んでいたことも、今の奥さんには判るんでしょうね。これは直江先生に持っていてほしい。石倉はそう思っていたんだと。」
「深く、深く頭を下げて、石倉につきそい歩いていく奥さん。見送ったあとに小橋が、最後に直江が、廊下を歩くシーンでカットっていうのがよかったよ。立ち尽くして見送るシーンでカットにしなかったことで、必要以上に感傷に流れるのを防いでたかな。このドラマはこれで終りじゃないからね。次に続く最大の悲劇がある。石倉の死という大きなエピソードを語り終えたドラマは、いよいよ最後の、主人公の悲劇という大舞台にかからなきゃならないんだから。」
■病室■
「がらんとした病室のからっぽのベッドを、独り見つめている直江。彼が見ていたのは何だったんだろう。石倉の面影と不在、すなわち”死”の形かな。」
「死ぬというのは存在がなくなることですからね。石倉はもういない。次は自分の番だという声も、聞いていたかも知れませんね直江は。」
「そこに倫子が入ってくるじゃない。彼女もやっぱりベッドを見つめて、『石倉さん、納得して旅立てたんですよね…』って聞くけど、それに対する直江の、『僕たちが整えたのはあくまで形だ。死ぬのがこわくない人間なんていない。石倉さんの強さがすべてだった。』っていう言葉に対して『はい』と答えた時、彼女の中で石倉は”過去”になったんだと思うよ。直江と違って倫子は健やか。心も体も健康で、視線は未来に向いている。だから、石倉の感謝の言葉には人間的に深く感動したにせよ、これでひとまず完結させられる訳だよね。
倫子の表情には爽やかな笑顔が戻っている。直江の背後でカーテンをあけて、そこに咲いているたんぽぽを見る。枯れてしまった古い鉢には、何と真っ白な種子ができていた。花は散っても、また次に続く命が誕生していた。ふぅ、と吹くと綿毛たちは希望という名の風に乗って新しい世界へ旅立っていった…。このあたりはあれかね、そのまま物語のラストを象徴してるのかな。」
「そうなんじゃないですか? 少なくともそこへ繋がる解釈はできると思いますよ。」
「まぁ定型的ではあるけどな。そして振り返った倫子の視界に、直江の姿はなかった。ベッドの上には大事なハーモニカ。窓の外にはうるさいくらいのヒヨドリの声…。」
「ヒヨドリなんですかあれは。キーィ、キーィと甲高い声が、不安な感じをかきたててましたね。」
■廊下〜医局〜階段■
「直江が苦しむシーンは今まで1オンエアに1回だったのが、ここで初めて2回になってるね。すなわち発作の間隔が狭まってきて、病状が進行してる証なんだな。左脇腰の激痛と霞む視界。ここで倒れる訳にはいかないと、直江は必死で薬を取りに行くんだ。」
「でも三樹子はすっかり探偵と化しちゃってますからね。直江自身に関する何かデータでもないかと、医局に忍び込んで探している訳ですね。」
「探し方がずいぶん乱暴だよな。まぁ急いでるっていうのはあるんだろうけど。そこへ戻ってきた直江は、この時はもうドアにカギをかけてる余裕もなかったんだろうね。」
「ああ、すぐあとに神崎が助手を連れて入ってきてますもんね。呑気な人ですね神崎も。顔を合わせていながら直江の様子に気がつかないなんて。」
「まぁ何だか手のかかるっぽい患者についての打ち合わせしてるからね。ドレーンがどうの食事がどうのと。」
「神崎がいたのではここで注射は打てませんから、直江は医局を出ていきますけれども、一方では倫子も急ぎ足に、多分医局へ向かってるんですよね。」
「独りになれる場所を早く探さないと気絶しかねない。直江は這い登るように階段を上がって屋上へ向かう。途中で薬の瓶が落ちたりして、なかなかたどり着けない訳だね。すれ違いで医局に来た倫子も直江を探してるみたいだし、三樹子は彼を目撃してるし、どちらが先に直江の秘密に気づくのかっていうドキドキ感を、ここでは演出もあおってるみたいだね。」
■屋上■
「力を振り絞ってたどりついた屋上には、よろめく直江をあざ笑うかのように晴れ渡った青空が広がっている。上空を飛び去るジェット機の音。太陽に視界を奪われて膝を折る直江。彼を追って階段を上がってきたのは、倫子ではなくて三樹子だった、と。」
「ボイラーと柵の間で直江は注射を打つじゃないですか。これって一見、麻薬系か何かを疑おうと思えば疑えますよね。あ、でもそれはないのか。三樹子はあのレントゲン室で、顔色を変えた直江が押さえていた左腰に気づいてるんですね。」
「そうそう。ぐっ、と彼が腰を押さえたんで、あれっていう顔になったんだもん。何かの病気なんじゃないかって、三樹子は疑ってるんだよ。」
「でもまさか直江も、最初に三樹子に見られるとは意外だったでしょうね。倫子とは違う意味で、最もまずい相手でしょう。院長の娘なんですから。」
「だよねぇ。しかも自分の方から一方的に関係を絶ちたがっている相手なんだしね。荒い息の下、まだ立ち上がることはできない傷ついた野獣のような体で、直江は三樹子を凝視する。三樹子もあまりの光景に言葉を失って、睨み合うように互いを見つめる2人…。いやぁ石倉の最期から息つく間も与えず、物語は急ぎ足に、次なるエピソードへと進んでいくんだね。」
「そうですね。スピーディーに、視聴者をラストまで引っぱっていこうという感じでしょうか。」
「うん。石倉の死という、第1回めから周到に用意されたエピソードをジャンプ台にして、あとは一気にラストへなだれ込もうってところじゃないの。それにしてもこの屋上での直江のアップはやばくないか? 注射打ってさ、薬が体内に入りきるのを待って針を抜いて、白いボイラーの蒸気が顔の前をよぎって、息を整える間に直江はさ、ぴくぴくっ、て微かに痙攣してるんだよね…。
大きな声では言えないから字を小さくしてみたけど、この表情を見てしまっていいのカシラと思った、総長とアタシは(笑)」
「意外な小技使いましたね。まぁそれは見る人によってでしょう。そこまで意識しない人は全然しないでしょうし。」
「ま、そりゃそうだけどな。アタシ的にはヒソカに刺激的でした。他にもいると思うけどね、そおゆぅいけないヒトビトは。でもって最期に総括いくけどさ。」
「ちょっと待って下さい。字が違ってますよ智子さん。最期じゃなくて最後でしょう、この場合は。」
「おっと失敬。石倉の最期って打ったのを辞書が学習しちゃってたのね。気をつけねば。えーっと、最後にちょっとだけ総括したいんだけどもさ、この第7回は確かに重要で感動的な回だったけど、やっぱ…完成度の高さっていうか、総合的に見たら第6回に軍配が上がるね。いやだからどうしたって話じゃないけどもね。
この第7回はさ、これだけの泣きツボをどうだ!とばかり揃えて、これで視聴者を泣かせられなかったら失格じゃんか。患者の死とその遺書って、いわゆる病院ものの定石だよね。ちゃんとテンプレートがあっての感動だった。ところがその点第6回は、全てフリーハンドだった感じ? 弥勒菩薩を思わせる直江の微笑み、七瀬先生との清冽なる師弟愛、映像詩で語った直江の人生と、ほんとにお見事!だったよね。」
「そうですね。それは僕も賛成です。この第7回ももちろんよかったんですよ。よかったんですけれども、第6回はちょっと別格って感じですね。」
「うんうん、あれは別格扱いにしとこう。毎回あれだけの質を保てっていうのもなかなか難しいだろうし、第一そんなだったらこの座談会が息切れすんべー!(笑) アタシがもたねってアタシがぁ!」
「なるほどね(笑) 確かにそれはそうかも知れませんね。じゃあ、こんなところで今回はまとめるとしましょうか。ね。
…はい、ということでですね、石倉の死という大きなエピソードを通過した物語は、いよいよ主人公・直江にフォーカスを絞って最終回へと進んでいく訳ですけれども、この座談会も残りあと3回です。我々も息切れしないように頑張っていきたいと思いますので、どうかおつきあいのほどをですね、よろしくお願い申し上げます。それでは次回は…いつ頃のUPになりますか智子さん。」
「えーっと…そうだなぁ…。シセイドーさんのカレンダーを手に日にちをたどって考えて…11日に第8回を全部と言いたいところなんですが、ひょっとすると半分ずつになるかも知れません! ご容赦下さいましっ!」
「でもとりあえずは11日ですね。…あれ? 10日の夜の群響のコンサートは予定入れてますけど大丈夫ですね?」
「だからそれが入ってるから全部は無理かもなのよー。『展覧会の絵』だもん、聞きたいじゃんかぁ!」
「はいはい判りました判りました。ええとですね、申し訳ないんですが10日の夜は、群馬交響楽団というローカルにしては外国公演もしたりして頑張っているオーケストラの演奏会がありましてですね、そちらに珍しく…まぁ智子さんと僕とで行かせて頂きますので。その演奏会の模様は多分カナペ・バリエか何かで、またご紹介するんだろうと思います。はい。
それでは今回はこのへんで、次回までご機嫌よう。パーソナリティーは私、八重垣悟と、」
「GWはけっきょくこの『L’ombre blanche』の原稿書きだけで終わったという、なんなんだオマエはぁ!の木村智子でございましたぁー! ばいっ!」
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