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【 第8回 】
「はい、皆様お元気でしたでしょうか八重垣悟です。ここへきて更新スピードを増したかに見える当『L’ombre blanche』なんですけれども、まぁ今回がね、ちょっとまた半分ずつのUPになってしまうことを最初にお詫びして、5月中に完結できる可能性も…なきにしもあらずになってきましたか、智子さん?」
「んー…んんんん…。そのへんはちょっと、びっみょー! ウチの会社はホントにヘンな会社でねぇ、GWは珍しくまとまって休みくれたかなと思ったら、その分なのか何なのか判んないけど、月末の2週間は水曜日しか休みがないのよ。おいおいおいー!ってカンジだよねこれは。この21世紀初頭にさぁ、週に連続6日勤務はキツいぞぉ? しかも定時になんか滅多に帰れない仕事量だっちゅーのに。」
「そうですか。まぁ仕方ないですね。それで今回の第8回なんですけれども…」
「なんかあっさり躱したな(笑)」
「七瀬もおらず石倉もおらず、ただ直江1人が主となって物語を引っぱっていかなければならない最終の山場へ、いよいよさしかかった訳じゃないですか。」
「そうだね。補助ロケットを全部切り離して、着地は直江が決めなければならないって状態。でもオンエア中もこのへんに来た時はもう、あたしゃな〜んの心配もしてなかったね。中居さんの演技にもドラマの内容にも、また視聴率なんてモンも一切。TV誌のドラマ情報はあえて読まなかったし、自分の中に続々と生まれるいいわぁ細胞で手いっぱいだった。うん。」
「いいわぁ細胞が繁殖しちゃってたんですね。それはやっぱり直江毒を媒体として増殖する細胞なんですか?」
「らしいねぇ。おそるべきコンビネーションだ全く。ラスト3回なんてもぉ、いいわぁ細胞絶好調だったね。」
「そうですか。でもまぁ控え目にお願いしますよ。じゃ、そろそろ本題に入りましょうか。前回小さな文字で書いたらかえって目立ってしまったらしい、中居のアップがやばいんじゃないかという屋上のシーンからですね。どうぞ。」
■屋上〜廊下〜屋上■
「うーん…やっぱ何度見てもやばいだろぉ、この表情はぁ。ええ?八重垣よぅ。やばくねー? やべーべよこれぇ…。モロに丸っきし…てんてんてんてん…」
「まぁ言いたいことはすごくよく判りますけれども、言わないで下さいよその一言は。字を小さくしても駄目ですからね。」
「判ってる判ってる。言わねって。でもなぁぁ。これは……。……なぁ(笑)」
「ええ(笑) ですから言いたいことはよく判りますけれども。(笑) でもまたこのカメラがねぇ。よく真正面で捉えましたよねこの映像を。」
「なー。ほんっとそうだよなー。女優撮る気持ちで撮ってるよねぜってー、このカメラマンさん。」
「うん、それはそうでしょうね。シーンとしてじゃなく、まともに表情を撮っていましたからね。」
「またさぁ、この柵のところにもたれてる姿勢がさぁ、前回も言ったけども傷ついた野獣みたいでねぇ、これまたそそられちゃうんだよねー。いいわぁ細胞5割増しだよ。」
「直江はこの時、せいぜいしゃべるのが精一杯で動くことも立つことも、指1本動かすのも無理な状態じゃないですか。三樹子を見ている直江はもしかして、これが現実なのかどうか一瞬混乱したかも知れませんね。」
「あ、あるかもねそれ。じぃっと凝視してる目は、そこに立っている三樹子が幻影ではないことを見定めようとしてるのかも知れない。そして現実と判ってのち、直江が言った言葉は口止めとしてはあまりに弱いよね。『誰にも言うな、絶対に』だけじゃなぁ。」
「でもこの時の彼にはそれを言うのが精一杯だったんでしょう。いつも直江は、誰もいない部屋で独り注射を打ったあとで、しばらく床に転がっていますよね。フロノスというのはそれだけ強い薬で、発作の激痛はそれだけ強いんですよ。」
「あとずさる三樹子のヒールをさ、アップにしたのがいいね。目にした光景のあまりの凄惨さに、どんな感情よりも恐怖が勝ってその場を逃げ去る三樹子。私はねぇ八重垣。ここで逃げ去ったところに三樹子の限界を見るね。いや彼女の想いの限界じゃない。直江との関係の、限界。」
「え、どういうことですか?」
「うん…。つくづく思うのがさぁ、恋愛は1人でできるもんじゃないんだってことかな。三樹子が直江を思う気持ちには、決して嘘なんかないと思うのよ。周囲を欺く共犯者みたいなやり方でつきあってきた分、多少屈折してるきらいはあるケドも。
でもその気持ちが本当であるなら、普通に考えれば三樹子はここで、彼に駆け寄り抱きしめてしかるべきでしょう。テキはここまで弱ってるんだから今がチャンス!…ってそれはもちろん冗談だよ? だけども三樹子はきびすを返した。返してしまったんだ。この時三樹子は嫌というほど、自分と直江の間にある距離を思い知らされたかも知れないね。
もしもよ、直江の心の中にはほんの少しでも自分の居場所があるんだという自信があったら、ここで三樹子は彼に駆け寄ったと思うのよ。でも彼女にその自信はなかった。直江を追いかけつつも、心の底ではとっくに悟ってたんだろうね。直江は自分を求めてはいない。認めたくないから目を覆い耳を覆っていたけども、さ。」
「それが限界ですか。なるほどね。一方がどんなに近づきたいと願っても、恋愛は双方向に感情が流れないと成立しませんからね。」
「うんうんうん。そうだと思う。人間関係は双方向だよね。恋愛じゃなくても例えばよ、極端な話ここで注射打ってたのが行田院長だとしたらね、三樹子は親父が何と言おうと診察室に引きずっていっただろうし、私が救わずに誰がパパを救うの!ってな勢いで小橋あたりに協力を依頼したはずじゃんか。それはつまりパパにとってこの私はかけがえのない人間だと判っているからだよね。自信というか、揺るがぬ確信があるんだよ。でもそういう確信を、三樹子は直江に対しては持っていない。だから彼に駆けより彼を抱きしめる代わりに、自分がその場を立ち去ったんだ。」
「愛されている自信・確信ですか。人間は何かにつけて、それが行動に出るんでしょうね。また自分の好きな相手が自分をどう思っているかってことは、不思議なくらい判りますからねぇ。言葉にしなくても判るんですよね。ほとんど皮膚感覚なのかなあれは。」
「うん。判るんだよなー。特に”この人には好かれていない”っていうネガティブ系は、残酷なくらい判っちゃうよね。んで、そうやって三樹子は逃げるように立ち去り、一方倫子はハーモニカを手に、同僚にまで聞いて直江を探している。時間とともに動けるようになった直江は、病魔の巣くう体を引きずってよろよろと建物内に戻っていく訳だけども、直江が立ち上がる時にさ、あの腕を縛るチューブが注射器のケースからはみ出して、カラリ…とコンクリートをひっかく音がよかったよ。乾いた感じのはかない音。運命に対する無力感を象徴するみたいな。」
「三樹子に目撃されたことで事態がどう変わっていくのか、しょっぱなから気にさせられるシーンでしたね。BGMのストリングスも切なかったです。」
■階段〜医局〜廊下■
「ふらふらと階段を下りてくる途中で足音に気づき、ハッ!と壁に背をつける直江ねー。愛しているはずの倫子からも、そうやって咄嗟に隠れようとする直江の孤独の深さが痛々しいよねぇ。たった今まで足元も危なっかしかったのにさ、隠れる瞬間は本当に野生動物みたいな動きで。」
「直江は自分が病気だと知ってこの病院にやってきた時から、いつもこんな風に心を隠して生きてきたんでしょうね。七瀬先生が見抜いた通りに。」
「うん。でもってあたしねぇ、今までに7回この座談会やってきてさ、この頃しみじみ思うんだけどもねぇ。前にもちょっと言ったか知んないけど、直江庸介というこの主人公は、医師でもある原作者・渡辺さんにとっての、理想の1つであり美学の凝縮なんだなぁと深〜くうなずいちゃうよね。私にとっての拓だとか、八重垣くんだとかと同じで。
こないだね、ちょっと気まぐれにルパンV世のCD聞いてさ。あのルパンというキャラもモンキー・パンチさんの描く理想の1つだと思うんだけど、それに共鳴したアニメスタッフたちが作ったテーマ曲には、やっぱ 『男には自分の世界がある』 だとか 『背中で泣いてる男の美学』 だとかって歌詞が出てくるもんねー。そういうのと照らし合わせて考えても、ああ、こういう直江の”孤独”っていうのは、…愛する女にも自分の病気を話さず、迷いつつも最終的には己の美学を貫き通すっていうのは、男からしてみるとすごくカッコいいもんなんだろうなーと思えるね。ニヒルな一匹狼になりたいって欲望は、男の人には本能的にあるんだろうね。」
「ええ、ありますねそれは。現実にはなかなか難しいだけに、よりいっそう憧れが強まるって面もあると思いますよ。」
「そういうさぁ、己の美学とかニヒリズムとかを佳(よ)きものとする意識っていうのは、言い換えれば集団に埋没するのを良しとしないってことだよね。そんなふうな、既存の集団を飛び出して自分の世界に生きようとする欲求っていうのは、掘り下げれば種のテリトリーを広げようとする生命の本能なのかも知れないね。種を守るのは雌だけど、広げるのは雄の担当なんだなきっと。決まりきった現状をぶっ壊して、思いもよらない世界に出ていきたがる本能。革命を起こしたがる本能。そもそもそういう本能がなかったら、よもやサカナは水から上がってカエルにはならんばい。このカエルが成し遂げた快挙に比べればアポロなんて屁のようなものだとムツゴロウさんは言っている。」
「…あのですね、いつの間にかずいぶん話がずれてきてると思いませんか。直江が階段を下りてくるシーンの話だったのが、今やカエルに飛んでますけど。」
「おおそうか。ものがカエルだけに飛んじまったねぇ、はっはっはっ。えーっとそれで何だ。仕事が一段落した倫子が医局に行ってみると、直江はもうとっくに帰っちゃっていた。そうですかと気落ちして出ていく倫子を見送る小橋の表情は、ちょっと今までになかった感じだよね。」
「ああ、何ていうか、きょろっ?としたような目をしてましたね。直江と倫子に対して小橋は、気持ち的にかなり近しい感じになってきてるんじゃないですか? 小橋はこのあと直江の秘密を知って、かつての対立者から一転して理解者になっていく訳ですけれども、そういう変化を描く上での序章なんでしょうねこのあたりは。」
「だよねぇ。そして倫子は廊下に出て、こんな大事なハーモニカを忘れ自分に何の言葉もなく帰ってしまった直江に、何ともいえない不安を感じるんだね。」
■直江の部屋■
「ここでの直江の悲壮な表情は、発作の間隔が短くなってきていることやその症状から考えて、死へのカウントダウンが速度を上げているという事実に、否応なく対峙している感じですよね。」
「死へのカウントダウンねぇ…。恐ろしいもんだろうね。やがてはその身がどういう症状に襲われるのか、医者である彼には手にとるように判るんだもんね。正気でいられるのが不思議なくらいだよ実際。
追い立てられるような恐怖と、それに、三樹子に見られたことでこの秘密が漏れていくんじゃないかって気持ちも当然あるだろうし。かつてのように三樹子と男女関係にあるならば、強い口止めをすることもあるいは可能かも知れないけど、別れを切り出し言葉と態度で彼女を振り切ろうとしていた矢先だからね。ここでまた関係を戻す訳にはいかないし、さりとて自分が注射を打っている話が病院内に広まってしまったら…。体とそれに周囲の状況と、その両面から直江はじりじりと締め付けられていくんだね。」
「そうですね。今は嵐の前の静けさじゃないですけれども、この部屋で直江を包んでいるのは、束の間の静謐に他ならないんですね。」
「そこへピンポーンとベルが鳴り、倫子がやってくる。このさぁ、ドアをあけた瞬間の直江。いっつも思うけど綺麗だねぇ…。となりの部屋の奥さんとかもさ、回覧版回しながらドキドキしてんじゃないの?」
「ありますかね回覧晩が、このマンションに。」
「江戸川区だからあると思う。きっぱり。でもって倫子を見た直江がさ、入れっていうサインを顎でクイッと出すのがいいよね。笑ったり言葉で言ったりじゃなく、顎で。倫子は無邪気な感じで『お邪魔しまーす!』って中に入るんだけども、ドアを押さえている自分の前をスッと横切っていくその笑顔と態度に直江はさ、倫子がまだ何も気づいていないことを知るんだね。三樹子にした口止めは、とりあえずは効いているっていうか。」
「リビングに入っていく倫子の姿を追うように、直江はキュッとそちらを見ますけれども、あの目の鋭さはそういった感情の表れなんでしょうね。この様子なら彼女はまだ気づいていないな、と。」
「また倫子はというと、直江は少し顔色は悪いものの特に変わった様子もなく、こうして部屋に入れてくれ、コーヒーの仕度を始めてくれたことでホッと一安心ってとこかな。キッチンに入っていった直江の手元を見てから、彼女はバッグを椅子に置いてるでしょ。帰れと言われやしないかって不安は、倫子にはまだあるんだね。」
「ひとまず受け入れてはもらったものの、倫子にとって直江は、まだまだ判らないことだらけの相手なんですね。会話からも敬語は取れていませんし。」
「ねー。抱いた女に馴れ馴れしくさせないっていうのはさすが直江だ。ワンダフル。」
「6つ違いですよねこの2人。そのへんも多少は関係してるかも知れませんね。」
「ああなぁ。1つ2つだったら感覚的に同世代だけどねー。6つ違うとちょっと差があるか。でも話違うけどこのコーヒーカップ、色といい形といい何だか小型の植木鉢みたいじゃない?」
「あ、智子さんもそう思いました? 実は僕もチラッと。」
「なー! 似てるよなぁ。ミニ観葉とか植わってんのってこういう鉢だよねー。でもって倫子はその植木鉢を手に、ドリップしている直江の傍らに立って、直江を見コーヒーを見、植木鉢を見て幸せを噛みしめる。ここに来るまでに感じていた不安が消えた分、幸せの実感がひしひしと押し寄せてくるんだろうね。」
「ええ。こういう瞬間なんですよね、人間が幸せだなって感じるのは。何でもない日常生活の一こまの中で、ああ、自分にはこの人がいるんだなと感じる。立ち昇るコーヒーの香りは初めての朝を思い出させるでしょうし、幸せでしょうね倫子は。」
「コーヒーの香りかぁ。そうなんだよね、映像は香りは伝えないからねー。いくら映像技術が発達して臨場感を味わえるようになっても、”生”には匂いがあるからな。もちろんいい匂いとは限らないんだけども。」
「そうですね。TVを見ながら、あんまり匂いって想像しませんもんね。」
「うん。スタジオアルタに漂うあのドーランの匂いは、画面からは伝わってこないもんなー。今この直江の部屋には、コポコポというあったかい音とともにコーヒーの香りが満ちてきてるんだ。その香りに包まれて、倫子は直江の肩にもたれるんだね。」
「でも直江にしてみれば心が痛いですよね。こうして過ごせる時間はもう本当に残り少ないんですから。」
「そうだよねぇ。倫子の肩を抱きよせてやりながら、直江の胸に渦巻く思い…。例によって中居さんの表情からは、それが十分に窺い知れた。第1回めあたりとは格段の差だよ。俳優・中居がここにいるよね。」
■医局■
「これは翌日というより2〜3日後だろうね。直江はフロノスの箱を開けて、瓶が足りないことに気づく。昨日の今日だったらさ、直江のことだもん、なくしたとしたら屋上だって気がついたと思うのよ。でも少しばかり時間がたっちゃってるから、もう記憶が薄れてるんだよね。特にあの時は三樹子に見られたという衝撃で、普段の注意力はなかっただろうから。」
「屋上でなくしたと判れば直江は、ここですぐ取りに行ったでしょうからね。でも引出しの奥をもっとよく探すにしても、タイミング悪くそこに小橋が来てしまって…」
「なんか今回はやけに絡んでくるよね小橋(笑) 戸のとこですれ違った直江に対してもさ、様子がおかしいなって顔で振り向いたり、直江の引出しをチラッと見たりしてる。ここで引出しが…注射器とフロノスとX線写真の入ってる引出しがアップで映されるのは、この回のラストに対する伏線なんだろうね。」
■院長室■
「小夜子にカマをかけて薬の一件を聞き出そうとする院長。ここもなー、惜しいんだよな菊川さん。なんでどのシーンでも同じ目をしてるんだろ。すごく素人臭くない? このヒト。」
「まぁそれはあるかも知れませんね。申し訳ない話ですけれども、小夜子にはあまり個性もなくて、誰がやっても同じでしたね。」
「そうだね。ちょっと残念かなぁ。対して比べるのもナンだけど津川さんの院長! 絶品だよねこれもね! 小夜子に向かってさ、あなた以外なら放っておく、MRが1人クビになったって痛くも痒くもないんだと言ったあとの抱き方。これはおじさまならではのテクよねー。若い男には絶対できない、こんな嫌らし〜い抱き方は。」
「やっぱりあれなんですかね、ストレートにどうこうというエネルギーが衰えると、人間は技巧に走るんですかね。」
「だろうなー。回数とか時間とかじゃなくて技巧な技巧。うんうん。剥き出しのパワーじゃかなわないから、経験にモノを言わせる方向に転換するんだろうな。」
「まぁ技巧はともかくここで院長は、暗に小夜子を脅してるんですよね。つまりここで喋らないならば、この件をフロンティア製薬に報告する。そうしたらお前はすぐに不正でクビだぞと。そうなればもちろん直江もただでは済まないんでしょうが、直江に拒絶されていることは三樹子同様小夜子も判っていますからね、たとえクビになってもあの男と一蓮托生、なんていう気持ちは全く生まれなかったでしょう。」
「ああ、その点ドライな小夜子だろうからね。三樹子の方がむしろ情に深いんじゃないかな。三樹子は何だかんだ言って、直江に惚れぬいてるんだよ。」
■センター■
「このシーンの最初のカメラアングルは、直江を探す三樹子の視線になってたね。彼が何の薬を打っているのかは判らなくても、そこらへんのチンピラが遊び半分にシャブやってるのとはコトが違うくらい、あの痛がりようを見てれば判るじゃんか。それを目撃してしまった今、いくら直江に誰にも言うなと言われたからって、ハイそうですか忘れますって訳にはいかないよね三樹子も。」
「でも、これがただならぬ事態だというのも彼女には判っていますから、そう簡単に誰かに相談もできず悩みぬくんですね。」
「そうだね。こうして物陰からそっと様子を伺った限りでは、直江はいつも通り普通の顔に見える。看護婦たちに簡潔明瞭な指示を出して、無駄のない動きで立ち働いている。白衣をまとって颯爽としている直江は、屋上で薬打ってた姿とは別人だもんね。三樹子の心はさぞや千々に乱れてるんだろうなー。
でもそんな彼女の気持ちとはかけ離れたナースセンターの活気。倫子が今日24歳だって聞いて、『いいわねぇ24じゃまだめでたいわね』って言ってる同僚がすげーリアルだった。」
「24歳かぁ。そうですね、いちばんいい時ですね。」
「―――何が?」
「いや、何がって…(笑) 人生がですよ。」
「フン、そーやねー。いいよね24歳。ふんっ。」
「でもそんなこと言うんだったら智子さん、いま24歳に戻りたいですか?」
「あ、戻りたくはないね。今で年齢止めたい(笑) 来年もさ来年もずーっと。って言ってるうち虚しくなってきたから、次行くよ次!」
■院長室■
「すっかり喋ってしまった小夜子。なんぼ頭がよくっても、この若さじゃタヌキ院長に太刀打ちはできんわな。院長と互角に組めるのはせいぜい婦長くらいなもんだろぉ。」
「それにしても小夜子は、フロノスは外来の患者に使っていると直江が言っていたことまで、すっかり喋っちゃったんですね。これじゃあ即座に横流しを疑われても仕方ありませんね。」
「横流しってすごいお金になるみたいだもんね。しかも治検薬じゃあ覚醒剤並みじゃないの? それともフロンティア製薬のライバル社に流して…ってことはないのか、直江は薬と引き換えにデータ渡してるんだから。」
「自分で打つ訳はないんだから横流ししかない、と結論する院長のセリフに、ドキッとしたのは視聴者ですよねこれ。直江はまさに自分で打ってるんですから。なのに皆に誤解されて、ぐんぐん追い詰められていく直江。主人公を襲う悲劇が盛り上がっていきますね。」
「しかしここでも院長のおじさまっぷりはナイスだなー。小夜子と直江がどういう関係であるかは、多分院長は勘づいてるでしょお。研究者でもない営業の小夜子が、単にデータだけが欲しくて危ない橋を渡るはずがない。そんなん誰だって一目瞭然だよね。」
「でしょうね。直江から金は受け取っていないと、小夜子は当然言ったでしょうし。」
「でもここで小夜子がね、言葉や態度は従順でも、ジロッて感じで院長を見上げるのはどうかなぁ。彼女は院長にも本心で従ってるんじゃないってことを言いたいんだろうけど、むしろこの場では完全に尻尾振っちゃって、自分からキスを仕掛けるくらいの方がよかったんじゃないかしらん。その方がずっとしたたかな女だよ。院長室出たらペロッと舌出してるような。」
「まぁそこまではなくてもいいんじゃないですか? 小夜子はそこまで重要視されているキャラじゃないような気もしますし。」
「それはあるね。そこで院長室に入ってきた婦長は、軽蔑丸出しの目でジロッと小夜子を見送ってる。婦長のタイプにすれば最低女の部類だろうからね小夜子って。そして院長のつぶやき。『直江庸介。だんだん化けの皮がはがれていきますね…。』」
「第8回では完全に、悪役なんですねぇ院長は。」
■屋上■
「バサバサと風に靡く真っ白なシーツ。寝転がって煙草を吸っている直江。多少は体調がいいのかな? 倫子に神崎先生が探してるって言われてベンチに起き上がる起き上がり方も、別にだるそうじゃなかったよね。それに、今夜うちでいいかって聞き方も、神崎先生の声は大きいっていうのも、直江にしては軽快っていうか伸びやかな響きがあるもんね。何よりこのシーツの清潔感が大きいのかな。すごくさっぱりした印象がある。」
「ええ、イメージとして大きいかも知れませんね。『今夜うちで』と言うからにはまぁ、明日の朝まで一緒にいるというのは暗黙の了解でしょう。ということは今夜は発作はないと。今日は気分がいいことから考えても、倫子の前で苦しみだす事態にはならないと直江は思っていたんですね。」
「だろうね。なのに夜の医局で、予想外の発作に襲われちゃうってことか。今までのデータで考えれば大丈夫だったはずなのに、フロノスの効果持続時間が短くなっている。つまりはそれだけ病状が進んでしまっているんだけど、でもここでの直江はまだそれを知らず、自分の誘いに嬉しそうに笑う恋人を見てるんだよね。」
「あと、このシーンで判るのが、直江はフロノスの瓶をどこでなくしたのか、やっぱり覚えていないってことですね。なくしたのはこの屋上で、ボイラーのある方を探せばまだ転がっているのに。」
「そうだねー。ここで思い出して拾っとけばね。あの瓶は三樹子に見つけられることなく、小橋に病名を知られることもなかったのかも知れない。まぁそれで直江が助かる訳じゃないんだけども、物語はまた違った形になっただろうにね。」
■医局■
「神崎先生が探してると言われて医局に戻ってきたはずの直江なのに、彼の目は小橋が手にしているX線写真に釘づけ。むくわれない神崎先生…。」
「直江の前に『これなんですけど』とか言って神崎がファイルを差し出す前に、直江は小橋の手元を見入っちゃいましたからね。一目見ただけで直江には、その腫瘍が自分の体を冒しているものと似ていると判ったんですね。」
「何せ自分の体だからな。患者の症例とはまたちょっと真剣さが違うよね。そうこうしているところに高木が、そのフィルムの患者・305号室の成田が急変だと呼びにくる。高木ってホント、小橋先生からは離れない看護婦さんだよねー。もちろん小橋にも信頼されてるからできるんだろうけど。」
「飛びだしていく小橋に神崎は、検査で来て急変だなんてラッキーというか気の毒だ、なんて呑気なことを言っていますね。」
「うん。でも小橋のあとを追って直江もいなくなっちゃって、直江を呼んだのは自分なのに結局置いていかれちゃったね。哀れなり神崎。ネピアのティッシュで洟でもかんでいておくれ。」
■305号室■
「痛がる成田を、婦長がおん手ずからさすってやってるのがちょい意外だった。別に驚くことはないんだよね、看護婦長なんだから。トリオロス大部屋は相変わらず神埼に輪をかけて呑気で、でも305号室っていうのが前に次郎のいた病室だっていうのは、このシーンになるまですっかり忘れてたなー。」
「そういえば次郎はこのベッドにいて、小橋先生に色々世話してもらってたんでしたね。今度はそこに成田がいる訳ですけど、こんな風に痛くてたまらないところに、白衣を靡かせて駆けつけてくれる医者っていうのはやっぱりカッコいいですね。」
「そりゃカッコいいよ。無条件にカッコいい。病気をやっつけてくれるヒーローだもんね言ってみればね。」
「小橋が指示したペンタチン15ミリっていうのは鎮痛剤なんでしょうか。」
「多分そうなんじゃないの? 頼もしいドクター小橋だねー。追ってきた直江は少し離れた場所から、彼の処置と成田の反応を見ている。軽く脚を曲げられただけであんなに痛がる成田に、自分の痛みが重るんだろうね直江はね。」
■センター■
「あの痛がり方だと脊髄腫瘍かも知れないと言う小橋に、直江はMMの可能性もあるからすぐに精密検査をしろと言う。MMっていう聞きなれない言葉には、視聴者も何だ?って反応したろうね。MMなんて言われてたって一般人はまず判らないだろ。えっ、何? ミリメートルか?って感じ。うちらが『dllがないんだよ』とか言って、『え、ドリル?』って言われるのと同じようにね。」
「専門用語の魔術ですね。でもここでも小橋はけっこう素直というか、直江の意見を批判せず受け入れています。石倉の一件がよっぽど強烈だったんだなこれは。」
「と同時にさ。精査入院だから外科で預かってるようなものの、成田の症例は小橋にとっても専門じゃないんじゃない? だから直江の意見を聞き入れる余地もあったんじゃないかな。」
「ああ、それもあるかも知れませんね。あの若さでMMの可能性は低い、というのも、確信じゃなくて一般論的な感じですし。」
「対して直江はさ、M蛋白と骨髄セイシだかセンシだかの値を調べて全身のレントゲンを撮れと、丸っきり専門家じゃないかっていうほどの具体的な意見を言ってるもんね。どうやら自分よりも直江は詳しいみたいだと、小橋にも思えたんじゃないの。だから彼の意見を聞く気になった。もちろん石倉の件で直江に対する見方が全然変わったっていうのが第一だろうけどね。」
「『判りました、やってみましょう』と言った時の小橋の笑顔は柔らかかったですね。直江の実力を認めているから、見せる表情でしょうこれは。」
「また直江もさ、ただ強引に意見を言うだけじゃなく、判りましたと言った小橋に『お願いします』って言ってるのね。そんな直江らしからぬ熱いやりとりを見て、看護婦たちもかしましいかしましい。噂大好きの柴田2号が筆頭となって、小橋の患者なのにあの仕切りようは何だとか、これで違いましたなんてことになったらさすがの直江先生も立場がないだとか言ってるね。この『立場がない』って一言は、さっきの院長室での化けの皮云々と同じく、”追い詰められていく直江”を強調するためのものなんだろうね。」
「そうですね。同僚のひそひそ話を聞いている倫子は不安そうで、彼女にも気の休まる閑がありませんね。」
■医局■
「丸い夕日にX線フィルムがかぶって、見ている直江の血走った目のアップ。Fのシールが見えるからこれは成田のじゃなく、直江自身のものだって判るね。」
「成田のフィルムを見た直江は、それと自分の腫瘍とを見比べているんでしょうか。またはこれはついさっき撮った最新のフィルムで、進行している病状が見てとれるのか…。」
「うーん。どっちだろうね。どのみち状態は深刻そうだよね。でも倫子との約束はキャンセルしない直江。この時の室内の光はさ、ライトさんの工夫のたまものなのか、サーモンオレンジとブルーですごく綺麗だね。」
「綺麗でしたね。遅い午後の、ちょっと人恋しくなる感じの光だったと思います。」
「外で待っていてくれと言われた倫子はすごく嬉しそうで、彼女の背中を見る直江のアップがこれまた綺麗綺麗。切なげなこの表情…今さら聞き飽きたろうけども、まさに絶品としか言えないよね。うんうんうん。」
「…言い飽きるって症状は、中居に関してはなさそうですね。」
「ない。あるわきゃない。」
「そうですか。頑張って下さい。」
■玄関前■
「退院していく患者さんを見送っている小橋と高木ですけれども、この2人には本当にうまくいってほしい気がしますねぇ。高木さんの気持ちはかなえてあげたいですよ。」
「ほんとだね。『いいなぁ、もう片思いじゃないんだ…』って彼女が言った時、小橋はチラッと高木を見るんだけど、すぐに直江と倫子に目をやって、心から意外そうに、『あ、そうなんだ…。へーぇ…。』なんて微笑んでるんだよねぇ。”あの”直江先生が志村くんと、っていう純粋な驚きと祝福はあっても、片思いって言葉を使った高木の気持ちには気づかないんだわなぁ。また高木も気づかれないようにしてるんだろうけど。でも彼女のまなざしは真剣でさぁ、『私が好きなのはあなたです…』って必死で言ってるのに、いかんなぁ小橋は鈍感で。」
「こんな風に、誰を好きになっても苦しいのは同じですね。」
「お、いいこと言うじゃん八重垣。そうなんだよねー。恋なんてさ、優しくて誠実な小橋に恋すれば幸せだなんて単純なもんじゃなく、たとえ両思いになったところで苦しいのが9割だもんね。会えなくて寂しかったり、嫉妬したり妄想したり。」
「でも恋は自分で止められませんから。かくして文学はこの世に生まれるんですよ。」
■屋上■
「このシーン見た時私は一瞬、まさか三樹子は投身自殺でもするのかって焦っちゃったよ。よく考えたら彼女が死ななきゃならない理由はどこにもないんだな。衝動的に死ぬっていうシチュエーションでもないし。」
「ええ、三樹子が死ぬ理由はないですよ。この前の直江が気になって気になって、あの時と同じ場所に来てみたら空き瓶が落ちていたと。そういうことでしょうここは。」
「遠くに見える景色にさ、何か灰色の塔みたいのがヌッと聳えてるけど、あれって何なんだろ。ビルには見えないよなー。何かの処理場か、もしかしたらCGかって唐突さだよね。」
「墓標みたいにも見えましたけれども、案外CGかも知れませんよ。」
「かも知んないね。今の時代は判らんからねー。」
■町なか■
「ここはなかなか笑えたというか、このドラマには珍しいシーンだったね。清美・倫子の親子漫才に『参ったな』って顔で苦笑する直江。この軽みを出せるのはさすが市毛さんだよ。『直江先生でしたわよねぇ?』で左手をヒラッてやるのが、何ともおばさんおばさんしてて、いいよなー。」
「清美はあの宇佐美繭子事件で、TVに映った直江を見てカッコいいって言ってますからね。倫子と一緒にいるのが誰なのかは、一目で判ったんですね。」
「そうそう。いくら娘の相手とはいえ自分が大ッ嫌いなタイプの男だったら、そこはやっぱ人間だからねぇ。あんたああいう男はやめなさいよ、くらい言うんだろうけども、あのTV映りのいい美形の青年医師が娘婿になるかも知れないとあれば、母親としても頑張りどころだよここは。うんうん。」
「娘婿、っていうのはちょっと気が早くないですか?(笑)」
「いやいやそう思うって母親は。少なくとも可能性はあるってことでしょ? エネルギッシュだよねぇ清美は。さすがは倫子の母親だ、強い。」
「でも困ってじたばたしてる倫子は可愛いかったですね。最初に酒屋さんに入って、すぐに出てくるところからして笑えましたよ。まずい!って感じがよく出ていて。」
「しゃべりまくりの清美を何とか返したものの、結果的には直江を母親に紹介できてしまったんだから、怪我の功名じゃないけども倫子にとっては嬉しくもあった訳だよね。だから直江に、ほっぺたのあたりがよく似てるって言われるんですけどどうでしょうかね…なんて聞いたりしてる。直江にしてみれば倫子の慌てぶりもおかしかっただろうし、直江とは何となく早くに死に別れたイメージのある”母親”の存在に、ふと思いをめぐらせてるのかなとも思えるね。」
「直江の家族の話は、このドラマには全く出てきませんからね。最終回のお姉さんの登場が実に唐突で。」
「そうだったね。あれはちょっとびっくりした。直江の家族については原作に書かれているのかどうか、読んでないんで判んないけどね。」
「あと僕が思ったのはですね、清美ってけっこうさばけたいいお母さんですよね。第1回めの時からそういえば、新しい勤務先の所長さんが素敵だっていうような話してましたよね。」
「うんうん、してたしてた。あたしはバリバリの現役だ、みたいなことも言ってたね確か。母ひとり子ひとりといってもこの清美は、考え方としては父親的にもなれるのかな。いいお母さんだよすごく。うん。」
■直江の部屋■
「『料理うまいんだな』って言うにしちゃあ、けっこう残してるじゃんか直江(笑) なーんつってね、多分彼は食欲ってあんまりないんだろうな。七瀬先生と食べてたのもお蕎麦だし、ひょっとして夕食は栄養剤とお酒とか。そんな生活なのかも知れないね。」
「そういえば倫子を連れて行った川のそばのレストランでも、直江はまともに食べていませんね。フロノスの副作用にはひょっとして、食欲の減退もあるのかも知れない。」
「あ、それってありがちだよ多分。30歳の男が普通ぺろりと平らげる量を、直江の体は受けつけないのかもね。うわぁ…つらいなぁ…。苦しくならない程度でシルバーを置いて、倫子のグラスにワインをついでやる仕草が優しいだけに悲しい。」
「ここでの会話は他愛のない恋人同士のものですけれども、直江には未来がないと思って聞くとまた違った響きになりますよね。」
「そうなんだよねー…。エイトだコックスだって話は一種の思い出話だからいいとしても、今度の誕生日には私がボートに乗せてあげますと倫子に言われても、多分それまでは生きられないんだって、直江はうすうす予感してるだろうからね。
あと、ここで出てきたのがX線フィルムのFの秘密。七瀬のFでもあったんだろうけど、と同時にそれは直江の青春の数字だったんだね。仲間と汗を流してオールを揃えボートを漕ぐ。自分の生命が光り輝いていた時間。その記憶を全てこめた数字をフィルムに記した直江の気持ちを思うと、ドラマにすごくふくらみが出るよねぇ。直江の祈りが、決意が、死の運命から絶対に逃げるなという自らへの叱咤が、バーッと伝わってくるじゃんか。これは第一に脚本の力だろうね。瀧居さん、ものすごく深いとこまで考えて脚本書いてるね。あたしはそう思うよ。」
「ええ。あのFが七瀬の七だっていうのはセリフに出てきましたけれども、直江のボートのポジションとの関係は、ひとことも出てこないんですよね。なのにちゃんと判るんです。その番号をフィルムにつけた直江の気持ちが。これはすごいことかも知れませんよね。語らずに伝わる台詞。」
「そして恋人同士の幸せな時間の最中にポケベルが鳴って、一転、冷静沈着な医者の顔になった直江は身支度をして病院へ出かけていくんだね。検査結果が出るのは明日の朝だと聞いていたのに、全身にまとう空気を一瞬にして変えてしまった直江には、倫子も取りつく島がないんだな。」
「小橋曰く”医者の顔”に、直江はもう完全になっちゃっていますからね。ピリピリした緊迫感は成田の病状に関する真剣さなんでしょうけれども、倫子にしてみれば自分がここにいては邪魔かと、そう思わざるを得ないでしょうからね。」
「まぁそうだよね。邪魔とか何とかって意識は直江にはないだろうけど。彼が唯一心配したのはクロゼットの中のフィルムの山。山というより山脈だね。これがもし倫子の目に触れて、何か気づかれてしまったら…。でも今は急がなきゃならない。多分小橋はこの夜さ、何か予定があったんだと思うのよ。あとのシーンで三樹子に呼び止められた時も、しきりに時計見て急いでたじゃない。だから小橋は検査結果が出たのを直江に知らせてそれで帰るつもりでいたところを、すぐに行くから待っててくれと直江は頼んだんじゃないかしらん。」
「ああ、なるほどね。そういえば小橋は急いでましたね。じゃあ無理に待たせている以上、1分でも早く行かなきゃならないのか直江は。そうか、確かにそうですね。」
「だからクロゼットの中は気になるけれど、小橋も急ぐ訳だし小一時間ですぐ戻れるだろう、倫子をそんなに長い時間1人にしないだろうと思って、直江は出てったんじゃないのかな。でも医局でああいうことがあって…」
「そのためこの時点で考えていたよりも、ずっと帰りが遅くなってしまったと。なるほど、そういうことですね。」
「ね。辻褄合うでしょう。倫子は玄関で直江を見送り、待っていていいかと聞いて『ああ』と答えをもらうんだけど、どうにも不安で仕方ない。直江の様子に秘密の匂いを…何かこの人は自分に隠してることがあるんじゃないか、って気配を感じてるのかも知れないね。成田に対してどうして直江は、石倉の時とも違う必死の顔になるんだろう。直江が主治医という訳でもなく、入院治療が決まった訳でもないただの検査中の患者に…。」
「そうやっていろいろ考えれば考えるほど、胸騒ぎがして仕方ないんでしょうね倫子は。今までよりも直江の身近にいるだけに、敏感になっているというのもあるかな。」
「うん。直感的に感じ取れるものは増えてるだろうね。」
■医局■
「急ぎの用事があるのに直江を待っている優しい小橋。これが逆なら絶対待ってないだろうね。」
「ああ、直江は待たないでしょうね(笑) しかもこの時点では、直江が言っていたようなMMの特徴は出ていないんですから。」
「そうだよね。だとすると本当にいい人だよな小橋って。直江が部屋に入ってくるまではあんまり気の入らない表情で資料を見てたのも、『これはMMじゃないよなぁ…』って気持ちだったのかも知れない。
だけど駆けつけた直江にはコーヒーまで入れてやって、別に嫌味も皮肉も言う訳じゃなく。一方直江は手早く資料を見つつ、昼間の成田の痛がりようを思う…。もしかして直江が最初に発病した時もさ、あれとそっくりだったのかも知れないね。検査してくれたのは七瀬先生で、その時も決定打となったのはM蛋白の値だった。」
「うん、ありえますねそれも。あまりに自分と似すぎていて、ゾッとするほどなのかも知れません。天の悪意を感じるほどの偶然が、直江をこんなに必死にさせているのかも知れませんね。」
「小橋が片付け始めた資料を直江は、借りてもいいかと断って一式自分の机へ持っていって、食い入るように調べ始めるじゃない。その様子を見たらさ、小橋のことだ、もし今夜用事がないなら『どこがそんなに気になるんですか』くらい言って隣に座ったかも知れないけど、何かよっぽど急ぐことがあったんだろうね。これで失礼しますと言って帰っちゃう。直江は彼の方を見もせずにはいと返事をして、―――それでこのフィルムをスーッと撫でる中居さんの左手の指が、またしても綺麗よねぇぇ…。」
「何ですかいきなりそこへ行くんですか? がくっと来ましたよ僕、いま。」
「がくっと来たぁ? オメーは象印夫人かヤエガキ。でもってそうやって真剣に見ていたところへ、直江を襲うまさかの発作。これほど早く来るなんて今までないことだったのに。しかも痛みはかつてない強さで、全身が痙攣して目が霞む。今までにも姿は見えていた死神が、すぐそこで、目の前で笑っている…。直江を貫いたのは激痛ぱかりか、死の恐怖そのものだったのかもね。」
■直江の部屋■
「ケーキの箱をあけている倫子。ショートケーキには『倫子おめでとう』の文字飾りがついていて、清美が注文しておいてくれたんだと、倫子は喜ぶんだね。」
「ということはつまり清美は、今夜倫子と一緒に食べようと思ってこのケーキを用意した訳ですよね。その時間をサッと娘の恋人に、言ってみれば”譲る”んですから、やっぱりよくできたお母さんですよ。」
「言えたよねー。子離れができてないと、これをしてくれないんだ母親は。倫子はもっともっと清美に感謝すべきだね。」
■廊下■
「ここで判る、かなり急いでいる小橋。大またに廊下を歩いてしきりに腕時計を気にしてるね。何だろう、大学時代の仲間とでも久しぶりに会うのかな。それとも田舎から親が出てきてるとか。」
「真面目な小橋は待ち合わせに遅れたり、人を待たせたりっていうのが嫌いそうですよね。だから急ぐんでしょうね。」
「三樹子は直江のことを誰に相談すべきか悩んだ挙句、小橋先生ならって思ったんだろうけど、この夜はちょっとタイミングが悪かったね。しかしこの2人って身長同じくらいじゃんか。でかいもんなー原さんな。」
「三樹子はモデルですからね。設定としては妥当なんじゃないですか。でもようやく呼び止めた小橋には行かれてしまって、直江ならまだ医局にいると聞いた三樹子は、意を決して彼本人に真実を確かめに行く。このあたり、難しい役どころになってきてますよね三樹子は。」
「そうだね。後半にいくにつれてリアリティの出てきたキャラ。続く医局のシーンが彼女の最大の見せ場かもね。」
( 5月18日更新 )
■直江の部屋■
「今回の第8回はね、けっこう場面数が多かった。短いスパンで2つの場面がくるくる切り替わる手法だったね。ヘタにやられると気が散るけども、そうはならずに効果的だったんじゃないかな。」
「微妙なところですよね。うまくいけば緊迫感が高まりますけれども、失敗するとすごく落ち着かない感じになります。今回は成功していますね。」
「この前のシーンで、直江は小橋に会ったあと予想外の発作に襲われてるんだけど、その頃倫子はそんなことは夢にも思わず、直江の部屋で一種の『新婚ごっこ』を楽しんでるんだね。」
「新婚ごっこですか。可愛い言葉ですね。直江の奥さんになった気分で倫子は、洗い物をしたりテーブルの上を片づけたりしてるんですね。」
「うん。まぁここんとこはねー、そういう幸せの確認作業をしたい女の気持ちは十分判るんだけども、個人的にはちょっと…食器の片づけまででやめとけよって気もする。恋人だろうと何だろうと、ヒトんちのテーブルの上の資料とか勝手にいじくんじゃねーよ。ッたくどういうシツケをされてんだかね。このあたりが倫子ってキャラに感情移入できない一番大きな理由だった。ポジティブで天真爛漫な女の子というのを通り越して、無神経で礼儀知らずのゾーンに入っちゃうんだよ、ここまで来ると。」
「ああねぇ。それもまぁ考え方というか、ものの見方ですけれどもね。」
「それは判るけどさー。セロリじゃないけども人間は、育ってきた環境が違うと好き嫌いは否めないからねぇ。でもってまたそういう違いこそが、些細に見えて実は埋めるのが最高に難しいんだ。人間関係には正解も正論もないもんな。」
「そうですね。人それぞれですからね本当に。」
「うん。だけどもね、テーブルの上を勝手に片づけ始める倫子はどうかと思うけど、紙の下に見つけたガラスのボートを、こうやってそっと胸に抱くのは判るんだよなー。『先生と私を結びつけてくれた、これはあたしの恋のお守り…』とでもいうような倫子の表情もいいし。
ああっもう! マジびみょーなんだ倫子ってキャラは! ギリギリアウトとギリギリセーフのちょうど境界線に乗っかってるって感じ。ほんとにもぅこのドラマの演出は、全体的にお行儀悪いっ!」
■医局■
「小橋から直江はまだ医局にいると聞いてやってきた三樹子。奥に見える直江の背中は、彼が発作を起こしていると知っている視聴者には苦しそうだと即判るんだけど、三樹子はすぐには気づかない。室内は青昏い光に沈んでいて―――で思い出したけどさ、このX線フィルム挟んでるパネルみたいなのって、やっぱ『シャウカステン』でいいんだね。蛍光灯光源の上に乳白色のアクリル散光板が乗ってるんだって。」
「へぇ、そういう名前なんですか。シャウカステンね。覚えておきます。」
「でねでね、さらに”よしだひさのり”しちゃうとね(笑) シャウカステンの照度っていうのは、このアクリル板上で7000ルクス以上ないといけないんだって。部屋の中が明るすぎると見にくいんで、室内は200ルクス以下にする必要があるんだってさ。そうすると今のこの医局みたいな、このくらいの薄暗さになるんだろうね。」
「なるほどね。薄暗いその医局で直江は、初めて誰かの目の前で倒れるんですね。」
「そっか、初めてかぁ…。背後に三樹子の声を聞いて直江は、左腰を押さえてよろよろと立ち上がって、そのまま床に倒れる―――というかこれはもう”転がる”に近いかもね。」
「動揺しながら三樹子は、この直江の痛がり方は普通ではないと判ったでしょうね。彼女が最初に直江の様子に不審を抱いたのは、あのレントゲン室で彼が押さえた左腰でしたし。」
「あ、そうだっけね。あなたはいつもそうやって何も言わないんだ、って直江にくってかかろうとした時に、うっ、て感じで彼は顔色変えたんだね。そして今ここで押さえているのも同じ左腰…。だけどこの直江の横向きの姿勢がさぁ、何かこう、場違いなほど色っぽいんだ中居さん。いいわぁ細胞大繁殖。」
「あ、ここでも増殖しちゃったんですか。大忙しですね智子さん(笑)」
「おお。アタマぐるんぐるんよ。この姿勢見せられるとねー、なぜか『肢体』って単語がぴかーっと頭に浮かぶんだ。必死であがく手負いの野獣、捕らえられた若鹿のイメージがこう…。」
「イメージからしてあぶないですね。妄想海に沈みかけてます?」
「うん。もぅもぅぶくぶくぶくぶく、沈みまくりだね。でもって誰か呼んできますって言って立ち上がりかけた三樹子の手を、やめろ!って直江は押さえるじゃない。あの手は多分すごい力だっただろうね。さらにはおそらく冷たいんだろうな。これだけの発作起こしてるんだもん。ひやっ、と氷みたいに冷たい指が、悪魔じみた力で自分の手を掴んでいる…。これで三樹子は完全に、抵抗の余地を奪われたと思うよ。」
「それはあるかも知れませんね。恐怖にも似た動転で全身を震わせながら、直江の言う通りに無条件に従うしかない精神状態に、三樹子はなってしまったんですね。」
「かすれた声を振り絞って直江は、『引き出しから…!』って鍵を渡すじゃない。三樹子はこの時点でもう意志なんかなくしちゃってるだろうから、直江に命じられるまま引出しの鍵をあけている。それを待つ長い時間に直江は、頭の脇の椅子の脚をさ、溺れた人間がすがる藁みたいに掴んで、断末魔めいた呻き声を上げる…。このへんはもうね、ドラマに対する没頭とそうじゃない没頭の両面から揺さぶられて、もぉタイヘンでしたよこっちも、マジ(笑)」
「そうじゃない没頭ね(笑) お疲れ様です。」
■直江の部屋■
「前のシーンの呻き声とかぶさって、灰皿が床に落ちますよね。これはいい演出だったと思いません?」
「思う思う。落ちた原因は支笏湖の写真…直江にとって特別な写真が倒れたから。これってかなり不吉なことだもんね。櫛が折れたり鏡が割れたりするのと同じ感覚だよね。」
「倫子も一瞬、この部屋で泣いていたいつかの直江を思い出して、言いようのない不安を感じるんですね。でもすぐにそれを打ち消して、いやいや額がただ倒れただけだと。こういうのはよくあることだと自分に言い聞かせているんでしょうね。」
「そうだね。倫子が気持ちを切り替えてるのは、ふぅーっと息を吐いて、開いた手をごく小さく、ぽんぽんってやる仕種で判るね。だけどそこでやめといてくれりゃあアタシも倫子に同調できるのに、ここでまたこのオンナは、えれぇシツケの悪いことをしようとするンだ。いいんだって椅子にかかってる上着はそのままにしとけば! 女房でもねぇのに触るんじゃねー無礼者!」
「でも女の子って、こういうのはやりたいんじゃないですか? 好きな相手の身の回りを、自分が甲斐甲斐しく整えてあげるっていう…。」
「じゃあ何かねヤエガキ。あんた自分の留守中に、彼女にこうやって部屋の中じゅう片づけられたら正直いって嬉しい? 100%何の引っかかりもなく喜べる?」
「それはまぁ…見られたらちょっとヤバいなってものも、なくはないですからねぇ現実には。」
「あ、エロ本なぁぁ。じゃないかビデオの方か、エロビデオぉぉ。ふーん、そーなぁ。まあそりゃそーだぃねー。あんたも男だもんねー。」
「いや、だからそうやってハッキリ…」
「いいじゃん群馬弁で言ったから。大丈夫大丈夫。次いくよ次。」
■医局■
「さてっ、このシーンがねぇ。またねぇ…(笑) 思うに全10回の全場面の中で、一番エロティックだったのはこのシーンじゃないかと思うよ私は。いや一番はあれかな、直江と小夜子のクラブでのシーンかな。確か第2回だったと思うけども、直江の手の下からライターを引き出す小夜子と、『1杯飲んだら行こう』って直江のセリフ。あれはエロティックだったもんなー。倒れるかと思ったくらい。それに次いで『うわぁぁ…』なシーンが、ここだったと思うよ。うんうん。」
「まぁ確かに、ある意味ベッドシーンよりも密度の濃い面はありましたね。注射…っていうのはその、とりあえず危険な妄想に通じやすい小道具ですから。でもこのドラマではそれを、実にうまい使い方で使いこなしていたかも知れませんね。直江が自分で自分に注射を打つのは、ストーリー上全く不自然じゃあありません。ですからごく一般的にドラマを見ているお茶の間の視聴者にも、…別にそんなねぇ、レイプだのストーカーだのといったような、ダイレクトな反感を感じさせるものではなくて……」
「だけど判る奴にはたまんねぇだろ、っていうね(笑) うまいよなスタッフな(笑) かつての『グッドニュース』みたいにさ、中居さん演じる主人公がね、社会的に経済的に、いわばすごく現実的な意味あいで窮地に立たされていく話は見ていてツラくても、肉体的苦痛の表情となると、かくもゾクゾクしてしまういけないファン心理―――って超アブねーじゃんかよぅ八重垣ぃ! あたしったらあたしったら、ああっ! これじゃ人間としてあまりに、しどい!」
「今更何をおっしゃいますやら(笑) 人間失格まっしぐらはとっくにご存じかと思いましたよ。」
「まっしぐらって、判ってんなら止めろよ八重垣ぃ!」
「止めたって止まらないくせに。だいいち中居を賛美してる時は、人間じゃなくていいわぁ星人なんでしょう?」
「…あ、そっか。そうよそうよアタシはいいわぁ星人なのよぉ。何だ遠慮することないじゃん。よっしゃ、ほしたら我がいいわぁ星のカゲキな常識に基づいて好き勝手に賛美させてもらうけどもね、この注射器の液を絞る時に直江の手がブルブル震えてるのからして、そそられてしまう訳なんですよ。
1秒でも早くそれを注射して激痛から解放されたいのに、手元は狂い、かつ目までかすんでくる今の状態。はぁはぁと肺をあえがせ しとどに汗に濡れ、『打ってくれ…』と三樹子に差し出す、透明な液を仕込んだ注射器。がくがくと怯えて三樹子は首を振るものの、今の彼女に直江を拒む手だてなんてあるはずがない。
画面には映ってないけど三樹子は多分、直江に握らされた注射器の針が刃のように光を返すさまを見つめつつ、チューブで血管を絞められた腕を…つい先ごろまで自分を呼び出しては抱いていた男の、剥き出しの腕を掴むんだろうね。
……いいわぁぁぁー! 苦しむ姿が絵になる男ってホントにいいわぁー! うっとりぃぃ…。」
「…駄目ですね、もうこれはね…。はい、放っておいて皆さん、先に行きましょう。」
「さらば〜♪ ちきぅよ〜♪ チャーチャラッチャ♪」
■直江の部屋■
「このシーンでの倫子の動きというか、竹内さんの演技はよかったと思いますよ。直江の上着を抱えてクロゼットをあけて、ずいぶんと上の方にバーがあるのを見上げて、少しかき分けるようにしてからハンガーをカチャリと掛ける。その時コートの裾にでも引っかかったのか、ガサッという音とともに黒っぽい布がずり落ちて、封筒の山脈が現れるという…。」
「セリフがひとこともないからねここ。芝居でやるしかないというシーン。竹内さんの表情がちゃんと、『何、これ…』って言っててさ、演技としてはよかったと思うよホント。演技としてはな。うん。」
「封筒には全部『F』の記入がされていて、それも1枚や2枚じゃない、ちょっとギョッとするほどの量ですよね。その中の1つに倫子はこわごわ手を入れて、X線フィルムをするっと取り出しかけるんですけれども、ちゃんと見ないうちにストッ、と封筒の中に落とす。この落とし方がよかったと思いますよ。何だか怯えた感じで、すごく。」
「うん。直江が部屋を出ていった時から倫子が感じていた、えもいえず不可思議な漠然とした不安。それがここで1つ駒を進めたって感じだね。怯えを押し殺したような倫子の表情に、直江の叫び声がかぶってシーンチェンジ。いつもの手法ではあるけども、ここでもそれが効果的だったね。」
■医局■
「床に座りこんで机にもたれ、言葉なき哀れな男と女…。この静けさと散乱してる器具とが、直江の体を蹂躙していた悪魔の痛みの激しさと無残さを物語ってるねー。」
「かつてない激しい発作だったんでしょうからね。自分では注射も打てないほどの。」
「うん。激痛だけは去った体を床に放り投げたまま、直江は三樹子からも顔をそむけていて、三樹子はカラになった注射器を手に震え続けている。この時の直江はさ、本当はこのまま眠りこんでしまえたら一番楽なのであろう倦怠感と虚脱感の中で、滅びへの階段をまた1歩下りた自分を、否応なく感じてるんだろうね。」
「そうですね。三樹子に…というか自分以外の誰かに”この姿”を見せたというのは、直江にとっては1つの大きな、何だろう、弱りというかイエローゾーンというか…?」
「そうそうそんな感じ。誰にも知られず独りでキリキリと張り詰めて生きていられた世界から、ぐぐぐっと死の側に引き寄せられたみたいなね。器具や薬を片付ける直江の、この虚無的な動きがさ、単に体だけじゃなく心の中まで映し出してるよね。」
「ポイ、って感じで箱の中に、フロノスの蓋とそれから空き瓶を放り込む音がよかったですね。本当に空虚で、疲れきった音でした。」
「で、そのあと直江は手だけ後ろに伸ばして、注射器をよこせと三樹子に示すじゃない。その三樹子の渡し方がまたよかったね。緊張してガチガチになっちゃってる両手は、動きがすごくぎこちないの。渡したあとの何もない手を、握り締めて口元に持っていくのもリアルだったね。」
「それらを直江は引き出しにしまってカギをかけますけれども、彼がよろよろと立ち上がったところで三樹子はその背中を見上げて、ずっと目で追っていますよね。何か言ってくれと、いや言ってくれるだろうと思っている表情ですね。」
「そうなんだよ。でも直江が三樹子に告げたのは『すまなかった』の一言だけ。これは余りに残酷で、三樹子にしてみればものすごいなされようだよなー。弁解はおろか説明すら、口止めすらせずに立ち去ろうとする直江。もちろん彼は、ここで何を言ったところで意味がないと判ってそうしてるんだけど、それはあくまでも直江側の思想であって、三樹子側にとっては言葉が欲しいよなぁ。言葉と、それに抱擁とね。
だって彼女の指先にはさ、あの針を直江の腕に刺した感触が、血管に薬を押し込んだ感触が残ってるはずじゃんか。看護婦でもない三樹子にその異様さは生まれて初めての体験で、直江が思う何十倍も怖かっただろうと思うよ。」
「そうですよね。人に注射なんかしたことないんですもんね三樹子は。肉に針の刺さる感触なんて…僕も経験はないですけれども、多分独特なものがあるんだろうな…。」
「うん。生きた人間の生身の体に、ズッ、て針を刺すんだからね。なのに直江は三樹子に何のフォローもしてやらない。恐怖の底に彼女を置き去りにしていくんだから、その残酷さといったらとんでもないよね。
でさぁ、『何なの…。あたし、何したの…』と問いかけるというよりはつぶやく三樹子に、戸口で立ち止まった直江が見せた”影の笑い”ね。これがまた中居さん、お見事!だったと思う。極限状態の自分を彼女の目の前に曝し、感じたこともない恐怖に引きずり込んでおきながら、直江は三樹子に何も言わない…。言ったところで何も始まらない。今ここで彼女を抱きしめたところで、砂を噛む虚しさを味わうばかり。それが判っているから彼は、ただ闇色の笑みだけを返して、足音を残し立ち去っていく…。
直江という男を支配してるのはさ、どう救うこともできないこの、底なしの孤独なんだろうね。まぁつきつめればそれは誰に強制されている訳でもない、全てが直江の美意識に端を発するものなんだけども。」
「美意識ですか。もしくは自意識…プライドと言ってもいいかも知れませんね。」
「そうだね。武士道とか騎士道に通じる精神なー。生きざまに美と理想を掲げ、全てをそこに集約するような意識。直江庸介ってそれの塊だよね。
と同時に私がここで思ったのがさ、もしかしたら中居さんってそういう意識あるんじゃないか? 創作世界の主人公である直江ほどには研ぎ澄まされていなくっても、少なくともそれを佳(よ)きものとする意識は。」
「あ、それはひょっとしてありえますね。自分とは1ミリも同じところがないとか言っていて、実は中居と直江というのは案外、一番底の部分がすごく近かったりして。」
「うむぅ。これは新発見だよ八重垣。ナカイとナオエの共通点。表し方の差こそあれこの2人がともに持っているのは、最近の男たちのほとんどが失ってしまった、”孤高の美意識”なのかも知れない。」
「孤高の美意識ですか。いい響きですね。なんかこう、身が引き締まる感じがしますね。」
「でもさ、またまた思ったのが、ナオエとナカイって同じクラスにいたら、出席番号ってぜってー連番だと思わない?」
「またそういう妙なことを言い出す…(笑) 発想飛んでますよね智子さんてね。」
■廊下〜直江の部屋〜待合室■
「医局に三樹子を残し部屋に帰っていく直江と、さらに不安を募らせる倫子。逆光の廊下でコートを羽織る直江といい、マンションの窓辺で彼を待っている倫子の姿といい、例によって”光”の扱いは手馴れたもんだなーカメラさん。」
「倫子の胸元のあたりで、ガラスに映った光が揺れるのが象徴的でしたね。クロゼットの中にあったX線フィルムのこともありますし、じっとしていると次々と不安材料ばかりが浮かんでくるんでしょうね。その中には三樹子のこともあるかも知れませんし。あの2人はまだつきあっているんだろうかとか。」
「それはあるだろうね。でもその頃直江は病院のロビーの椅子で、激痛が引いただけの体を暗闇に包み、ぜぃぜぃとざらつく呼吸をなだめていた…。直江の耳に聞こえるのは多分、忍びよってくる死神の足音だよね。そしてごくり、と唾を飲んで唇をひらく湿った音が、またまた私を遥かなるいいわぁ星に旅立たせるのであった。ああもぅなんでそんなに色っぽいんだナカイ〜!」
「確かに中居って、男にしてはすごく首が細いですよね。ここのところの骨…甲状軟骨ですか? いわゆる喉仏。それが本当に細いですよねぇ。ほとんど目立たないくらい。こうやって喉を反らせた時なんかによく判りますね。」
「あんたはカオの割りにけっこう目立つんだよね、甲状軟骨。」
「カオの割りにってどういう意味ですか。僕は別に女顔じゃありませんよ。」
「ま、そうなんだけどね。細身ってイメージあるからさ」
■直江の部屋■
「遠くに聞こえる救急車のサイレン。なんか夜も更けたって感じだね。倫子が椅子じゃなく床に座りこんで待っているのはよく判る。気持ち的にそうだと思うよ。」
「そこへ直江が帰ってきてくれて、ぱっと明るい表情になる倫子は可愛いですね。女性の笑顔っていうのはやっぱり、男にとっては最高の癒しですから。」
「でもさ。いきなりケーキ食うかはないと思うけどね(笑) どう見たって直江は顔色悪いんだから。」
「まぁそれもそうですけど…。でも部屋に帰ってきた直江は、倫子のその言葉のあといきなり彼女を抱きしめているように、ちょっといつもと違う雰囲気と表情をしてたんだと思うんですよ。ですから倫子はですね、待っている間不安だった自分の気持ちは押さえて、明るい話題、楽しい話題を咄嗟に探したんじゃないでしょうか。」
「ほー。ずいぶんと好意的な解釈だな(笑)」
「いえさっきね、直江の自意識の話が出ましたけれども、このドラマがよかったのは直江の両面を、…そういう峻烈な自意識の反対側で、死の足音に怯え女のぬくもりを欲しがる人間臭さを、ちゃんと描いて見せたことですよね。その人間臭さの面が、このシーンなんだと思いますよ。」
「あ、それは確か。それは言えてる。いいわぁ星人にもよく判るぞ。倫子を抱きしめて、『ずっとここにいてくれ…。ずっと、ずっと俺のそばにいてくれ…。』と、多分今までどんな女にも言ったことのない言葉を口にした直江の中には、倫子への愛情ももちろんあるとして、たった今の医局での出来事が大きく渦を巻いてるよね。
覚悟はしていたはずなのに、いざ目前に迫ってみると”死”というのはこんなにも恐ろしい。狙いを定めた死神の手が、もう自分に掴みかかろうとしている。その恐怖が多分、直江にこれを言わせたんだよね。」
「ええ。この弱さがあって初めて、視聴者は直江に共感できるんだと思います。いくら美意識云々といっても、あまりに理想に走ったキャラクターじゃあ、そらぞらしくて現実感がありませんよ。」
「しかしさ、さっきは三樹子をああやって突き放した直江が、倫子には一瞬だけでも素直に、弱い心をさらけ出せる…。これって何なんだろうねぇ。三樹子と倫子でどっちがより深く直江を想ってるかなんて、比べて比べられるものじゃないじゃんか。それなのに与えられるものは正反対でさ。…げに恋愛感情とは不条理なもので、恋愛は決して1人ではできない。『人の心に命令はできませんぞ』と言ったのは…ああこれはジェローデル少佐だ。オスカルにプロポーズした時の。」
「はい、また話が広がらないうちに戻しますけれども、そうやって心弱りを倫子にだけは見せた直江も、すぐにふっと顔を上げて一度彼女を離しますよね。これはプレゼントを渡すためというのもありますけれども、何だか自分を取り戻してしまったというか、我に返る感じもあったんでしょうか。」
「ああ、倫子の肩と髪に想いをすりこむようにかき抱いていた直江が、すっと顔を起こすところね。確かにあそこは、正気に戻るって感じがあったよね。まぁ16〜7の青二才でもあるまいに30歳の直江にとっては、思わず自分を押さえられなくなる時っていうのは、さほど長くはないだろうからね。それに倫子の、『私もそばにいたいです。ずっと先生のそばに…。』って言葉を聞いちゃうとさ、すごく皮肉なことなんだけども、直江は自分に残された時間がわずかだってことを思い出さざるを得ないよね。」
「皮肉ですよねぇ。愛情を確認すると同時に現実に返る…。これはもう直江の宿命みたいなものなのかも知れませんね。」
「でもって直江は倫子にプレゼントを渡す訳だけども、これってあの道ばたで売ってたやつだよね。それにしちゃ入ってた袋が豪華なんだけどもさ、こんな時間に渋谷新宿ならいざ知らず江戸川区のジュエリーショップは開いてないだろうし、倫子も『これ…』って驚いてるし、やっぱあの露店のか。」
「そうとしか考えられないと思いますよ。買い物をしながら倫子が露店を見ていたのを、直江は知ってるんですし。」
「だよねー。でさぁ、またこの帰ってきてからの直江がさぁ。前髪がちょっと額に乱れかかってるせいでやつれた雰囲気になってて、『あたしに?』って聞かれたあとの『ん。』にも、中身を見て『これ…』と驚かれたあとの『ん?』って表情にも、何だか熱に浮かされて朦朧としてる人みたいな、儚さと危うさ、脆さがあるんだよね。これは中居さん演じる直江に独特のもんなんだろうなー。こうして見てるとふっ…とさぁ、さっきの発作の激しさなんかを思い出しちゃうんだよね。ロビーで何とかなだめたものの、ここにいる直江の体は薄氷みたいなものなんだよなって。」
「薄氷ね。確かにその通りですね。いつピシッといってもおかしくないところへ、もう来てしまっているんですね。」
「そう思ってこのシーンを見るとさ、女同士なんだから倫子にシンクロして場面に同調していけばいいのに、気持ちが沿うのは完全に直江の方なんだよね。そりゃ時々は? 直江にペンダントをつけてもらうところなんかは、ああ、こういう触れられ方ってキスより嬉しいんだよね…なんて思うけど、そのあともう一度直江が倫子を抱きしめて、さっきとはまた違う、祈るような信じるような目になるあたりでは、もう倫子の気持ちなんざどっか行っちゃってるもんねアタシ。」
「そうなんですか?(笑) どっか行っちゃうんですか。ははぁ…。」
「うん。直江の胸に頬をすりよせながら、陶酔の中にあってやはり一抹の不安をぬぐえない倫子の気持ちも一応判るけど、それより直江の心中を察する方にこそ、ずって重きがかかるよね。…まぁ、てゆーかこのあたりにくるとさ、正直言ってホントの本音は、いつまでそうやってくっついとんじゃー!だったけどね(笑)」
「(笑)」
「いいわぁ星テキに言うと、『あー気ぃ悪ぅ! いい加減離れろ倫子―!』 それがこのシーンに対する全てかも知んない。」
■翌朝■
「それにしたってなんぼなんでも、ちょっと綺麗すぎるよなこのベッドな(笑)」
「そうですね(笑) 寝相よすぎですね2人とも。」
「まぁこれで直江が床に落ちてたらすごく嫌だけどね。ってそれじゃコントになっちゃうんで向こうの方に置いといて、全裸にペンダントだけっていう倫子の姿はなかなかいいですな。日曜劇場仕様としてはいいセン行ってるんじゃないかしらん。身に纏(まと)うものは何もなく、唯一あなたに贈られたペンダントだけ…。『私はあなたのものです』って感じで、こういうのもけっこう刺激的なんだよねー八重垣。ねー!」
「なんで僕に同意を強制するんですか(笑) 肌に傷がつくからって、女の人はけっこう嫌がりません?」
「アラ?(笑) 何それ何それヤエガキ! キミの経験においてはそうなのか! ええいキリキリ吐け!」
「いえ別にそんな(笑) それに一度ねぇ、僕、切っちゃったことがありまして。」
「えっ、女の子の肌を切ったっ!?」
「違いますよ、ネックレスを。18金とかでも簡単に切れるんですねあれね。勢いでちょっと指が引っかかっただけで。」
「ほー。勢い。へー。指が。それはそれはお大変な。上下左右に動きすぎなんじゃないの? アンタ(笑)」
「いえそんなことはありません。そんな話はいいですから、このシーンのですね…」
「おややけにキッパリ否定したな。てことは何かい、キミの場合はあんまり動きはないというコトか。一点集中型な。メモメモ。」
「そうじゃありませんてば。いいじゃないですか僕のスタイルなんですから。はいはい話を戻しますよ。目を覚ました倫子はかたわらの直江の寝顔を見て幸せそうに笑うんですけれども、それでもやはりクロゼットの中が…大量のX線フィルムが気になるんですね。」
「そうだね。何もかもを聞きただしたい気持ちを押さえて、倫子は直江の肩にぴたりと身を寄せる。この人を信じていよう…。おそらく幾度めかの決意を、心のうちにつぶやきながらね。」
■院長室■
「昨夜のできごとが頭を離れない三樹子のところに、足取りも慌しく帰ってくる院長。どこぞで小夜子の話のウラでも取ってきたのかな。北国の短い春のような幸せに直江と倫子がまどろんでいる間に、院長は直江を追い詰める準備を着々と固めている訳だね。」
「院長はフロンティア製薬にでも行ってきたんじゃないですか。相手が直江だけによほど証拠を固めておかないと、はぐらかされる危険がありますからね。」
「そうだね。コートと帽子とマフラーっていでたちが、なんかカポネみたいだな。洗練された悪役って雰囲気で、こういうの津川さんはホント適役だね。赤いシャツとネクタイがダンディで。」
「直江が休みと判った時の、大袈裟な驚き方もいいですよね。今日こそはあの鼻っぱしらをへし折ってやろうと思っても、肝心の相手がいないんじゃあ喧嘩になりませんから。」
「そこで父親の口から、直江が重大な問題を起こしているらしいと聞いちゃあ、そりゃあ三樹子は慌てるよね。屋上にあったあの空き瓶と、昨日その手で直江に打った注射。この先の三樹子の行動が、続くストーリーを大きく動かしていくことになるんだね。」
「最初の頃は今ひとつ微妙なキャラだった三樹子も、今やもう完全なる重要人物になっていますね。」
■CANAL CAFE■
「最初に見た時からの私の疑問。この雨って本物なの演出なの?」
「雨ですか? さぁどうなんでしょう…。ここで降っていなきゃならない必然性は感じませんけれども。」
「でしょー。感じないよねー。でもこのお店って四谷だか市ケ谷だかにホントにあるんだってね。こないだ広島ねーさんとかnagaiっちとかが行って、寒くなるくらいここでしゃべってきたって言ってた。」
「…状況が目に浮かびますね(笑) でも直江がこの店に来ていたのは学生時代だってことですから、出身は北海道で大学は東京、それから長野の病院に行ったんでしょうね直江は。」
「そういうことになるね。雪深い土地に惹かれたのかな。そして病院の前で雪かきしていた七瀬先生に会ったのか。思い出すねぇ七瀬先生…。今頃は松本で、大勢の患者さんを診てるんだろうね。」
「でも七瀬は誰よりも直江のことを、案じていると思いますよ。」
■医局■
「デート中の直江から小橋への電話。ここでの小橋ってアタシすごく好き。えらくいい人なんだもん。彼がまず直江に話すのは成田さんの病名。M蛋白の検査結果によって判ったんだろうね。孤立性ケイシツ細胞腫…。」
「そんな病気があるんですね。京成大血液内科に回すと小橋が言っていますから、血液の病気なんでしょうね。」
「血液内科なんてのが世の中にあるっていうのも、私は初めて聞いたよ。骨髄とか血液とか、そっちの専門分野なんだろうね。七瀬先生はその権威…になろうと思えばなれるものを、患者を二の次にした大学病院の派閥争いに嫌気がさして、田舎の病院に引っ込んでたりしてねー。なーんつって勝手に設定してしまった。」
「いえ、そういうのは別にいいと思いますよ。ドラマに出てこない部分は、見る人がそれぞれ自分でふくらませて楽しめばいいんです。」
「そうだよねー。それがドラマの味わい方だよね。ボケーッと見ても1クール、気持ちを入れて見ても1クールだったら、どっちが楽しいかは推して知るべしだよな。とは言ってもそんな毎回毎回、全ドラマをそんな風に見てたら疲れちゃうけど。
しかし小橋は人がいいよね。自分の予想よりも1から10まで直江の方が正しかったのに、別に嫉妬するでも何でもなく 『症例をご覧になった経験も。なるほどねー…。』なんて感心してる。専門外だから自分が知らなくても恥じゃあないんだろうけど、まっすぐでいい人なんだな小橋って。」
「それに比べて直江は相変わらず無愛想ですよ。『それじゃ失礼します』と言って、小橋の返事も待たずにサッサと電話切ってますからね。」
「なー。じっさい我儘な男だ。小橋もそう言いたげな顔で受話器を見て、まぁこういう人なんだからしょうがない、とそれを置いたところで気配を感じて振り返る。立っていたのは三樹子で、手に持っているのはこれは、病院内のデスクのマスターキーだろうね。」
「そうですね。事務局に立ち入り自由な三樹子には簡単に持ち出せるはずですし。悩んだ末に三樹子はやはり、相談相手に小橋を選んだんですね。」
■カフェ■
「思うにさ、ここでも直江はあんまり体調よくないんだろうね。倫子は大はしゃぎしてるけど、直江は何となくつらそうな感じがするんだ。絶不調ってほどには悪くなくても、若干の不安もあるのかな。今までの予想とは違うパターンで発作が来る。少しでも兆候があったらと神経質になってるのかもね。」
「また寒そうですよねこの日は。雨もこうして見ると本物っぽくありません?」
「そんな感じするね。でも雨でも雪でも倫子は元気いっぱい。直江の昔話を知りたがって、野球部だったと聞いて喜んでいる。ここで突然ボートに乗ろうと言い出す直江は、早く約束を果たしてやらないとタイムアウトになると思ったんだろうね。」
「ああ、間違いないでしょうね。『約束だっただろう』と振り向く顔が真剣でした。」
「主題歌の歌詞通りに、直江は生き急ぎ始めてるんだなー。自分にはもう時間がない。背中を何かに押される気持ちがしだしてるんだろうね。」
■医局■
「小橋にフロノスの空き瓶を見せる三樹子。夕べは小橋が急いでいたんでできなかった相談を、ようやく三樹子はもちかけることができたんだね。でも夕べと今とでは三樹子の悲愴度が違う。あの恐ろしい経験を彼女はしちゃったからな。」
「何の薬なんですかと聞かれて何気なく手にとった小橋の顔色が、サッと変わるのがいいですね。三樹子も必死の形相でしたけれども、小橋の態度からしてこれがとてつもない薬だと判る…。」
「多分三樹子もさ、素人とはいえ病院に勤務してるんだから、普通の薬だったらコンピュータのリストか何か見て、調べられたんだと思うのよ。でも『フロノス』なんて薬は、どこの薬剤メーカーの製品リストにも載っていなかった。でもまさか治検薬だとは三樹子も思わなかったろうね。最初は小橋に聞く側だったのが、一転して問い詰められる側になっちゃう。」
「治検薬っていうのは要するに、厚生省の許可をまだ得ていない、一般には出回らない薬ですよね。それを三樹子が持っていることが、むしろ小橋は心配になったんでしょうね。院長が真っ先に横流しに思い至ったように、何かの不正に三樹子がかかわっているんじゃないかとか。」
「『教えてくれますね。三樹子さん!』って言い方がすごく強いもんね。そしてとうとう三樹子は小橋に、直江がこれを自分に打っているんだと話す。それを聞いた小橋が驚愕の表情で、少しずつ体を起こしていくあたりもよかったよ。あの直江が、…天才外科医の名を欲しいままにし、いつも高慢に放胆にふるまっている生意気な青年が、自分で治検薬を打たなければならない体だなんて、そんなこと思うはずないよね誰も。」
「それでも一度聞いてしまったからには、小橋はこれはただごとではないと悟って、次の行動に出るんですね。」
■川原■
「しつこいけどこの雨は本物なのかねぇ八重垣…。てゆーのもさぁ、いくら約束だからってこの頭のいい直江がさ、土砂降りの中ボートに乗ろうとするかねぇ。画(え)テキにもちょっと笑えるぜー? 第一こんな雨じゃ、乗ってるうちにボートの底に水が溜まるでしょうよぉ。そのあたりがどうも腑に落ちないんだよな。」
「確かに、普通は雨でボートには乗りませんよね。このあたりはもしかして、ロケが天候にたたられたって面もあるんじゃないですか? いえもちろん素人の想像ですから、実際のところは全く判りませんけれども。」
「それはあるかも知れないね。このあたりに来ちゃうとさ、スケジュールはホントにギリギリで、撮影日程ずらせる状態じゃなかったろうからね。」
「本日休業の札を見た倫子が、雨でもやっててよと言ってボートを引っ張り出そうとするのは可愛いですけれども、どうしても多少無理がありますね。小雨ならともかく、かなりの本降りみたいですし。」
「相手が天気じゃなあ。こればかりはどうしようもないよね。必死の倫子に直江はクスッと笑ってこう言う。『また今度来ればいい。』…この言葉はさぁ、もしかしたらこの約束はもう果たせないかも知れないけど、今日のこの時間で十分だと思った気持ちが言わせたのかも知れないね。」
「でもそうだとすると、ずいぶんと我儘な男ですね直江は(笑) まぁでもそれを言ったら彼の全部がそうなのか。」
「そうそう。直江は要するに自意識の塊だからね(笑) だけどさ、人間は最後は自分のために生きてる訳だからね。『いかに美しく生きるか』だけを、追い求めるのもアリだと思うよ。現実はともかくドラマなんだから。そんな生き方を描いてもいいと思う。あとは視聴者が受け入れるか否かだけどね。」
■医局■
「一方こちらでは小橋と三樹子が、いよいよ直江の秘密の最後の扉を開けようとしていますね。」
「うん。直江のデスクの引き出しを開けるのは鍵を持ってきた三樹子で、中を調べるのは”同業者”である小橋なんだな。フロノスがあって注射器があって、『F』と書かれたX線フィルムの袋。ここでBGMがコーラスになるのがすごく印象的だったね。」
「『命』を表すには人間の声がいいんでしょうね。2人は一度顔を見合わせて、小橋は袋から出したフィルムをシャウカステンに留めていきますけれども、フィルムを透かして光が青く変わるのが、このシーンにはぴったりでしたね。」
「全身の写真と、その横は多分腕の骨。骨髄の腫瘍については小橋も、成田の診察に当たって色々調べただろうし、また末期ともなると病巣ははっきり見てとれるんだろうね。小橋の唇はぶるぶると震えて、そのさまに三樹子も『何なの!』と必死で聞く。衝撃に見開かれた小橋の目が斜めのライトを受けて光って、視聴者にも初めて知らされる直江の病名。MM…多発性骨髄腫。」
「この瞬間小橋には、成田の症状を見た直江がなぜあんなに真剣になったのか、一目でMMの可能性があると見抜いたのか、全てが判ったでしょうね。」
「だろうね。普通に生活しているのが信じられない病気。ここでの小橋は本当に、立ち尽くすって言葉がぴったりだよね。」
■川原〜医局〜川原■
「雨の中を歩く2人、なんだけども…このへんの雨はスタッフが降らせてる気もする。だって直江の持ってる傘に当たる雫が、丸い水晶みたいですごく綺麗じゃんか。」
「もしかしてこの川原のシーン、オンエアされたのは一続きでも撮影には時間差があるんじゃありません? 最初に撮った時には雨が降っていたんで、続く撮影は全部雨降りにしなくちゃならなかったとか。」
「うん。いろいろと推理はできるね。だけどここでの中居さんが唇に薄く紅をひいてんのは確かだな。寒くて紫色になってたんだと思うね。今年の2月3月は寒かったからねぇ。支笏湖は凍るし、撮影大変だったろうなー。」
「竹内さんも寒かったでしょうね。だってジャケットのこのへん、濡れちゃってますよ。ぐっしょりですよ多分。」
「ここでの2人の会話ねぇ。ボートに乗れなくてよかった、だからこうやって歩いていられるんだっていうのはさ、ストーリー上は確かにそうなんだけども、演ってる者としては『冗談じゃねーよ!』状態だったんだろうね。…まぁそんな話はさておき、直江はもう倫子に徹底的に優しいよね。自分から手なんぞ握ってやって。男の人にこういうふうにしてもらうのって嬉しいんだよなぁ。スッ、と指からめられた瞬間、ズキンと来るもんね。」
「へぇー、女の子みたいなこと言いますね智子さん。意外意外。」
「…あとで第4倉庫の裏においで。えーとそれで倫子はというと、直江の腕に手を回したはいいものの、ここでとうとう気になっていたことを聞いてしまう。『あのレントゲン写真、患者さんのものですよね。』…BGMがぴたりと止まるのが、直江の衝撃を表してて効果的だったね。」
「この日の直江がすごく優しいんで、倫子は聞いてみようという気になったんですね。こういうのは皮肉というか、心理的に微妙なところですねぇ。」
「うん。ここで場面はスパッと切り替わって、医局での小橋の呻吟になる。X線フィルムを持った手ががくがく震え、『こんなに転移して…。これじゃあ、もう長くない…。』」
「そのつぶやきの直後にまた場面は川原に戻りますけれども、そこで最初に映されるのが直江と倫子のつないだ手だっていうのが切ないですね。直江の命はもう長くない。この手がほどかれてしまう日は、もうすぐそこに迫っている訳ですから。」
「『先生のじゃ、ないですよね』と継がれる倫子の言葉に、雨音がかぶってカメラは上からの角度に。2人を守る黒い傘に雨は容赦なく降りかかる。直江と倫子と交互のアップ。瞑目するような直江のスローモーションのまばたき。主題歌、そしてエンドロールへ…。最後の悲劇への序章である第8回はかくして終幕に至る、と。
―――いやーこの回は全体を通して何かこう、リズミカルに進んだって感じがしたなー。八重垣くんはどう。」
「そうですね。この回を要約すれば、直江と倫子の幸せな時間を丁寧に描くとともに、直江の周囲の網がじりじりと網を絞られていく様子を、伏線として織り込んだ回だと言えるんじゃないでしょうか。」
「そうだねー。第6回・第7回がホームランないしクリーンヒットだとすると、この第8回はセーフティバントか内野安打って感じかしらん。」
「おや珍しいですね野球に例えるなんて。中居の影響ですか?」
「いやそこまではないと思う。単なる一般的な比喩っす比喩。…さてさてこうやって第8回を終えてだ。残すところもあと2回になったねぇ八重垣。」
「なりましたね。残る第9回第10回の展望は、どんな感じになりそうですか?」
「うん。今回のUPは結局1週間あいちゃってね。楽しみにして下さってるビジター様には深くお詫び申し上げますが、でもねー、やっつけは嫌なんですよ。かけがえのないドラマだったからこそ、手抜きはせずにきっちりいきたい。だから多少は時間がかかるのだけ、ご容赦頂ければと思う。ダラダラやるとボルテージ下がっちゃうんでそれは絶対にないようにして、次回第9回は5月の24日か25日に、…もしかしたらまた前半後半2回に分けてのUPになるかも知れません! ご了承下さい!」
「まぁね、ここまで来たらもう間を置かずに、スラリとラストに行った方が望ましいんですけれども、智子さんの言う通りやっつけ仕事にはしたくないんで、残り2回も全力投球でね、いきたいと思っております。はい。」
「第9回ってさ、比較的プロムナードな内容だったんで、語りやすいかなーとも思ってるんだ実は。プロムナードな内容っていうのは要するに、ラストに向けての間奏の回ね。つまんないって意味じゃないよ。その回自身で何かを描き上げようっていうんじゃなく、ラストへの助走というか、第9回は最終回のサブなんだよね。いやいやもちろんいいシーンもあるんで、そう簡単にはいかないけどさ。」
「確かにそういう面はありますね。まぁとにかく頑張っていきましょう。―――はい、といった訳でですね、『L’ombre blanche』第8回は以上にしたいと思います。次回第9回は5月の24日、または25日の更新を予定しておりますのでお楽しみに。それでは来週までご機嫌よう。パーソナリティーは私、八重垣悟と、」
「どうやら総長に劇症青毒をぶり返させ、さらに悪化させようとしている木村智子でしたぁ〜! アロハー!」
「なんですかアロハって(笑) 全然似合わない挨拶ですね。」
「…さてさてさてさて、ミスター八重垣? なんかさっき楽しいこと言ってくれてたみたいだけど、話があるんだったら第4倉庫の裏で聞くから。ほらグズグズしないでさっさと来なさいよ。忙しいんだからねあたしはね。」
「え? いやそんな倉庫の裏って……いやちょっと今日はこれから用事が…小橋と同じでちょっと急ぐ…… すいませんでしたぁっ!」
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