憲法九条改正でなく九条解釈の閣議決定を直ちに断行せよ

 

 一、本来の九条に基づく自衛権はアメリカと同等であり九条改正は誤りである

 

 日本の安全保障論議は出発点において誤っている。つまり憲法九条二項は軍隊の保持を禁止していると思い込んでしまっているのだ。一般に保守派の証明と見られている「憲法九条改正」の立場そのものが根本的な錯誤なのである。それは、吉田茂元首相の間違った政策判断に基づく意図的に歪曲した九条二項解釈および日本の武装解除を目指す国内の敵たる左翼の九条に係る嘘プロパガンダ(戦争、武力行使そのものの永久放棄、軍隊保持の禁止)に洗脳されてしまった結果なのである。ここを読んでも私が何を言わんとしているのかが判らないお方は深い洗脳状態にある。保守派、リベラル派はほぼ全員が左翼的・反国家的な九条解釈によって集団催眠にかかってしまっているのである。覚醒しなければならない。

 憲法九条二項はもともと自衛のための軍隊の保持と交戦権を認めているのだ。また国連が行なう侵略制裁の軍事行動に参加するための軍隊と交戦権も認めている。PKFへの参加も当然である。つまり憲法九条に基づく日本の自衛権(個別的・集団的)行使は法的にはアメリカとまったく同等であり、何の制約もないのである。だから「九条改正」は明白な誤りである。やるべきことは、左翼的・反国家に誤っている従来の九条解釈を是正する閣議決定を断行することである。「解釈変更」ではない。「解釈是正」だ。これで解決するのである。首相をリーダーとする内閣はたとえ国会議員の多数派が反対しようとも、自らの政治生命をかけて解釈是正を断行しなくてはならない。それは国家・国民に対する責務であり、自己保身は許されない。強固な意志があれば半月もあれば十分出来ることである。

 一九四六年八月一日憲法改正小委員会で委員長の芦田均氏が、九条二項の政府草案の冒頭に「前項の目的を達するため」の言葉を挿入する修正を行ったことによって、九条二項は同条一項に定められている目的(侵略の戦争・武力行使・武力の威嚇の放棄)以外のためであれば、軍隊と交戦権を保持することが出来るというように根本的に変わったのである。この修正の意味は、当時降伏した日本を管理していた連合国極東委員会とGHQも正しく認識していたのだ。 つまり世界の国々は日本も自衛のための軍隊を保有でき、自衛隊は軍隊だと当然のごとく認識しているのに、ひとり日本政府だけが、日本は九条二項によって軍隊保持を禁止されており、自衛隊は自衛のための実力組織であって軍隊ではない、と内外に表明して今日に至っているのである。そして保守派も、反対議員が多くて国会の改正発議は非現実的なのに「憲法九条改正」を主張するばかりなのである。

 

 二、芦田修正の意味を正しく認識した連合国極東委員会とGHQ

 

 西修氏著『よくわかる平成憲法講座』(九十五年二月刊)を参考にしてこの点を述べていこう。一九四六年の日本における憲法改正審議の様子は直ちにワシントンの連合国極東委員会(当初十一ヶ国のちに十三ヶ国で構成)に伝えられ、同委員会の第三委員会(憲法及び法制改革委員会)で検討されたのである。また総会でも審議された。同年八月二十四日衆議院本会議で芦田氏によって修正された九条案が可決されると、これを受けて極東委員会第三委員会は、「日本のすべての大臣はシビリアンでなければならない等々」のソ連提案(九月十九日付)を検討し、翌二十日付で第三委員会の声明を発表した。その声明は次のようである。

 「第三委員会は『すべての大臣はシビリアンでなければならない』とするソ連の提案について、注意深い考慮を払った。この条項は、極東委員会が政策声明[七月二日付]の3b項でとくに設定していた原則である。日本国憲法の初期の草案[四十六年六月二十日]には、軍隊の全面的禁止が含まれていたことにかんがみ、当委員会は、この条項を草案のなかに挿入するよう、以前には勧告していなかった。しかしながら、当委員会は草案第九条第二項が衆議院で修正され(注・芦田修正を指す)、日本語案文は、いまや第一項で定められた目的以外の目的(注・自衛の目的)であれば、軍隊の保持が認められると日本人によって解釈されうるようになったことに気づいた。もしそのようになれば、帝国憲法がそうであるように、内閣に軍人を含めることが可能になろう。それゆえ、当委員会は、極東委員会が合衆国代表に対して、この疑念を最高司令官(注・マッカーサー元帥)に伝えるよう求めるべきこと、および日本人は、かれらの憲法に、内閣総理大臣を含むすべての国務大臣は、シビリアンでなければならないという条項を入れなければならないことを主張すべきことを勧告する」(前掲書八十九頁)。

 九月二十一日に開かれた極東委員会会議では、第三委員会のこの声明をめぐって議論が展開された。中華民国代表のタン博士は次のように発言した。「中国代表は、第九条が、同条第一項に定められている目的以外のためであれば、陸、海、空軍の保持が認められるように変えられてしまったことに注目している。われわれは、もともとの条項によって、日本は国際紛争を解決する手段として、戦争を行ったり、軍隊を用いて脅威に訴える特権を放棄したことを知っている。しかし、修正された現在の第九条によって、日本は第一項に列記されている以外の目的のために軍隊を保持する機会をもつかもしれないのである。(・・・)もしわれわれが修正された条項のみを解釈しようとすれば、常識は、われわれに次のことを語るであろう。すなわち、当該条項の厳密な解釈に従えば、日本は、そこにかかげられている以外の目的、つまり戦争目的や国際紛争解決のための脅しとして軍事力の行使を放棄する以外の目的であれば、軍隊の保持は認められることになろう、と」(同書九十一頁以下)。

 またカナダ代表のパターソン博士は「この憲法が通過したのち、公的に承認された陸軍大将や海軍大将が出現するであろうことは、まったく考えられうることである。もし全ての大臣がシビリアンでなければならないという条項が入れられれば、彼らが閣僚の地位に指名される可能性についての疑念はなんら存在しなくなるであろう」(同九十二頁)と発言している。

 以上の引用で明白なように連合国極東委員会とGHQ(マッカーサー元帥)は、日本は(芦田修正を経た)憲法九条によって自衛のためと国連の制裁のためであれば軍隊と交戦権を持てるのだと正確に認識したのである。私たちはこの事実を深く自覚しなくてはならない。

 

 三、軍隊を保持するからこそ六十六条のシビリアン条項が加わった

 

 日本が独立を達成すれば九条に基づいて自衛のための国軍を保有することになり、従って現役の軍人が大臣になる可能性も生じることになる。この軍人大臣の可能性をなくすために、極東委員会は日本国憲法草案を修正して「シビリアン条項」を入れる必要性を強く認識することになったのである。

 それはアメリカ代表によって直ちにアメリカ政府に伝えられ、九月二十二日付でマッカーサー元帥に電報された。マッカーサー元帥は九月二十四日ホイットニー准将とケーディス大佐を吉田首相のもとに派遣して「シビリアン条項」を入れさせていったのである(同書九十三頁参照)。

 憲法六十六条第二項のシビリアン条項は、このような経緯によって生まれたのである。日本は九条二項によって軍隊を持つことができることになったから、六十六条のシビリアン条項が必要になったのである。

 それは、かつて帝国陸・海軍の職業軍人であった者は大臣になれないという規定ではない。新憲法下で建軍される日本軍の現役軍人が内閣総理大臣その他の国務大臣に就任することを禁止する規定である。もちろん軍を辞めてユニフォームを脱げばシビリアンとなるのである。

 

 四、軍隊保持の禁止とは自衛権行使の禁止を意味する

 

 「現在の九条の下でも集団的自衛権は行使できる。だから内閣が集団的自衛権に関する解釈を変えればよい」という主張がある。だがその方たちも深い理解は出来ていないのである。これだけの主張であれば内閣法制局には理論的に勝てないのだ。「自衛のためであれ軍隊の保持は禁止されている。自衛隊は軍隊ではなく実力組織である」との内閣法制局の九条二項の誤りに満ちた解釈を是正しなければ、武力行使(武力行使との一体化を含む)をする集団的自衛権の行使は出来ないのである。私たちに求められている核心は九条二項の間違った解釈を是正して自衛隊を軍隊だと認めることである。そうすれば日本の自衛権(個別的・集団的)行使はアメリカとまったく同等になる。なぜそうなのかを以下に述べていこう。

 軍隊を持つときに国家の自衛権(個別的・集団的)行使は初めて完全になるのである。なぜならば国際法によれば国家の自衛権行使(武力行使)の手段が軍隊であるからだ。従ってある国家が軍隊の保持を禁止すれば、その国は自衛権の十全なる行使を自ら禁止したことになるのである。日本がそうである。「異常な国家」だと言われるゆえんだ。

 既述の如く日本政府は「九条二項は軍隊の保持を禁止している。自衛隊は軍隊ではない」との解釈に立っている。この解釈に立脚するときは、日本は自衛権を「国家の緊急避難行為」のレベルでしか行使できなくなる。本来の自衛権行使に比べて決定的な制約を受けることになるのである。内閣法制局は日本の自衛権行使(武力行使)の三要件として、(a)日本に対する急迫不正の侵害があること、(b)それを排除するために他の適当な手段がないこと、(c)必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと、をあげているが、軍隊保持を禁止して国家の緊急避難行為としてしか自衛権を行使できなければ、(a)(b)(c)のようになるしかないのである。

 従って個別的自衛権の行使も(a)(b)(c)によって決定的に制約されてしまう。内閣法制局が「専守防衛」と概念規定する、日本を防衛することができない内容になってしまうのだ。海外派兵は当然にも禁止される。もちろん他国を防衛する集団的自衛権の行使は(a)に反するから禁止されることになるのである。

 これまで保守論壇では「集団的自衛権行使問題」ばかりが論じられてきたが、日本の個別的自衛権行使そのものも内閣法制局の誤った九条解釈のために悲惨な状態にさせられているのである。政府が言う「わが国の防衛の基本たる専守防衛」とは、(1)相手から武力攻撃を受けたときに初めて「防衛力」を行使し(すなわち先制攻撃の禁止)、(2)防衛上の必要からも相手の基地等を攻撃することなく、専らわが国土およびその周辺において侵攻してくる相手をその都度撃退するという受動的な防衛戦略をとり、従って海外派兵はまったくありえず、(3)「性質上専ら他国の国土の壊滅的破壊のためにのみ用いられる兵器」、例えば長距離戦略爆撃機やICBMやIRBMまた攻撃型空母などは保持することは許されない、というものである。 日本への侵略・征服を狙っているのは全体主義侵略国家で巨大な核戦力を持つ軍事大国のロシアや中国である。また北朝鮮である。日本の「専守防衛」戦略で侵略を抑止出来るのか。出来るわけがない。抑止が破られたとき国家を防衛出来るのか。出来るわけがないのだ。今日まで侵略を抑止出来てきたのは、あくまでも巨大な核戦力と通常戦力を持つアメリカ軍の存在と日米安全保障条約のおかげである。

 軍隊保持の禁止とは法的に本来の自衛権行使の禁止なのである。保守派のほとんどがこのことに無自覚なのである。武力を行使する集団的自衛権を行使できるようにするためには、私たちは現在の左翼的・反国家的な誤った九条二項解釈を是正して自衛隊を軍隊だと認めなくてはならないし、なによりも決定的に制限されている個別的自衛権の行使を完全にするためにも私たちはそうしなければならないのである。

 

 五、これは憲法改正問題ではなく解釈是正の問題だ

 

 憲法も他の法の場合と同じく解釈が必要である。九条を解釈する時、何よりも立法者の意思を把握しなくてはならない。現九条を創った芦田均氏は一九五七年八月から始動した内閣憲法調査会に招かれて次のように発言している。「修正の字句はまことに明瞭を欠くものでありますが、しかし、私は一つの含蓄をもってこの修正を提案いたしたのであります。『前項の目的を達するため』という字句を挿入することによって原案では無条件に戦力を保持しないとあったものが一定の条件の下に武力[戦力]を持たないということになります。日本は無条件に武力[戦力]を捨てるのではないことは明白であります。これだけは何人も認めざるを得ないと思うのです。そうするとこの修正によって原案は本質的に影響されるものであって、したがって、この修正があっても第九条の内容には変化がないという論議は明かに誤りであります」(西修氏前掲書七十八頁)。

 この内閣憲法調査会はマッカーサー元帥からも意見を聴取している。憲法調査会会長の高柳賢三氏は『天皇・憲法第九条』の中で次のように述べている。「マ元帥自身の第九条の解釈はどうであったか。マ元帥のわたくし宛の書簡においてマ元帥は次のように述べている。日本国憲法第九条は二つの目的をもつものである。その一つは日本が侵略戦争を再びせずということを示すこと、その二は世界各国に向かって、その行くべき途について道徳的指導を与えることである。日本が他国から侵略を受けるような場合は、日本はあらゆる自衛措置をとりうるのであって、第九条のいかなる部分もその妨げとなるものではないと。そしてまたマ元帥は、この解釈は憲法制定当時からの解釈であったとはっきりいう」と(西修氏同書八十六頁)。

 マッカーサー元帥の言う「日本はあらゆる自衛措置をとりうる」とは、日本が軍隊を保持していなければ不可能なことである。つまりマッカーサー元帥は日本は憲法九条二項によって自衛のための軍隊を持つことが出来、九条一項によって自衛のための戦争、武力行使をすることが出来るのだと九条を正しく解釈しているのである。

 連合国極東委員会もマッカーサー元帥とまったく同様の解釈をしていたことは既に紹介した。前の文(2001・9・28付)でも書いたことだが、日本に敵対するソ連ですら一九五一年九月サンフランシスコ平和会議において全権代表のグロムイコは、「日本の陸海空軍の軍備」として「陸軍十五万、海軍二万五千、空軍二万を認める」と述べているのである(曽野明氏『ソビエトウォッチング40年』四十六頁)。

 以上のように憲法九条の立法者の意思は明瞭であって一点の疑問を容れる余地もない。九条一項は自衛権、同じことだが自衛のための戦争や武力行使を認めており、九条二項は自衛権行使のための軍隊と交戦権を認めているのである。そして国際社会もこぞって立法者の意思どうりに九条を解釈したのである。この解釈が法解釈の「常識(タン博士)」なのである。

 もうひとつ芦田均氏の立場を日本の学界においてあと押しした京都大学法学部教授の佐々木惣一氏の主張を紹介しておこう。佐々木博士は一九五二年二月一日発行の自著『改訂 日本国憲法論』(有斐閣)で次のように述べている。

 「一  戦争の放棄 戦争は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。(・・・)国際紛争を解決する手段としては、戦争を放棄するのだから、国際紛争を解決する手段としてではなく戦争を行うことは、これを放棄しない。憲法上差支えない。例えば、他国から突如不法の侵撃を受けて、自衛上、これに対抗して戦争することは憲法上差支えない。かかる他国の行動は公正でなく、信義を欠くものであるから、わが国は、かかる公正でなく、信義を欠く他国の行動に対して、自己の安全と存在とを、自分で保全することは差支えなくそれは日本国憲法前文の規定も認めている。(・・・) 二 武力の威嚇又は行使の放棄 (・・・)これも国際紛争を解決する手段としてでなく為すことは、これを放棄していない。例えば、自衛の必要上これをすることは、憲法上差支えない。

 三 戦力保持の放棄 (・・・)わが国がかくの如く戦力の保持をしないのは、憲法第九条第一項の意図、即ち、国際紛争を解決する手段としてする戦争、武力の威嚇、武力の行使を永久に放棄する、という意図を貫徹するためである。憲法第九条はこのことを明示し、『前項の目的を達するため』と特にいう。(・・・)ところで、同条第一項では、前述の如く、国際紛争解決の手段としての戦争その他一定の行動を放棄し、国際紛争解決の手段としてでなく、例えば自衛のためにこれらの行動を為すことは、これを放棄していない。故に、この憲法第九条第一項の目的を達するために、同条第二項が戦力を保持しない、とするのも、国際紛争解決の手段としてする戦争その他の一定の行動を為すためにする戦力の保持についていうことは明かである。従って、例えば自衛のためにする戦力保持は禁止されたものではない」(同書二百三十一頁〜三十四頁)。

 西修氏によれば「概して言えば、その後の東京大学系の憲法学者は自衛戦力保持違憲論を展開し、京都大学系の憲法教授は自衛戦力保持合憲論を主張」したと言う(前掲書四十七頁)。

 以上の如く現行の九条解決は、吉田茂内閣が正しい解釈を、誤った政策のために意識的に歪曲した結果であり、また日本の武装解除を狙う国内の侵略勢力たる左翼が思想(法的)攻撃をかけた結果である。それらに洗脳されてしまった結果なのだ。左翼の憲法学者らは、ちゃんと九条二項が自衛のための軍隊保持を認めており、九条一項が自衛のための戦争も武力行使も認めていることは知っている。しかし真実は決して言わない。逆のことを言うのだ。敵を騙し倒すのが戦いだからだ。保守勢力は甘すぎるのだ。

 憲法九条の本来の意味は先に述べたとうりである。だからこの問題は断じて憲法改正問題ではない。憲法改正という立場は左翼と共通する九条認識を持っていることであり、敵の思想的・法的攻撃に敗北した立場だ。また現実的にも九条改正の国会の発議は出来ないのだ。この問題は根本的に誤っている九条解釈を是正するという問題である。「解釈変更」ではなく「解釈是正」だ。首相のリーダーシップによって内閣が閣議決定すれば済むことなのである。

 

 六、内閣には法制局また左翼と闘って九条解釈を是正する責務がある

 

 内閣法制局は法律のプロ集団だ。同局の中の憲法九条解釈をはじめとする国防分野を分掌する者たちが、芦田修正の意味を知らないとか、連合国極東委員会やGHQの芦田修正評価を知らないということはありえない。佐々木惣一教授の説についても同じことが言える。彼らはもちろん国際法の自衛権行使と軍隊との関連性は熟知している。

 それでいながら内閣法制局は、九条二項を軍隊保持の禁止条項だと解釈し、日本の自衛権発動の三要件を挙げて「専守防衛」の立場をとり続けてきているのである。そして彼らは芦田修正や極東委員会・GHQの九条解釈あるいは当時のソ連の九条解釈また佐々木惣一氏の説の情報を隠して、内閣(政治家)に説明することを意図的に避けてきたと判断できる。すなわちこれらから言えることは、内閣法制局は意識的に一方の左翼的・反国家的な現行解釈を選択しているということである。かつこれを堅持しようとしているということだ。何がそうさせてきたのか、させているのか。

 ひとつの動機は、従来の解釈を守ることによって自らの地位を保全しようとする自己保身、それに基づく組織防衛であろう。国益に反する私益、組織益だ。しかしこれだけでは到底説明がつかない。より決定的なものとしての政治的思想的な動機があると推測される。すなわち吉田茂内閣の内閣法制局は、自らの「九条解釈」を維持していくために後継者を養成していったはずであり、従ってその「九条解釈」を思想的に支持する者を内閣法制局に招いていったはずだ。リベラル派あるいはリベラル左派である。そうするとその次からは、彼らは自らの政治的思想的信念から現行「解釈」を堅持しようとするようになるのだ。そしてまた後継者づくりに努力する。

 私たちは内閣法制局がこのような存在であることをはっきり認識しておかなくてはならない。内閣法制局は正しくない思想の持ち主によって占領されていると判断できるのだ。

 内閣の最大の責務は国家の安全保障体制、国防を完全なものにしていくことである。首相をリーダーとする内閣は、たとえ国会議員の多数派が反対しても政治生命をかけて直ちに九条解釈是正の閣議決定を断行する責務がある。保身は許されない。これをしないのは国家・国民に対する不作為の〃大罪〃である。内閣法制局が抵抗するのは必至だが、行政府の長は首相であるから内閣の意思に反対する局員は断固排除していけばよい。

 首相はこの閣議決定を行うに際して国民の意思を確かめる必要もない。なぜならば国家・国民にとって絶対に必要なことを決断し実行して国民を導いていくのが、国民の代表によって選ばれた国家の指導者の役割であり、権限であるからだ。強固な意志があれば半月もあれば出来ることである。一点突破することこそが首相と内閣に求められている。それで九条問題は解決するのである。真の国民はこの決断と実行を求めている。

 国内の侵略勢力である左翼が反対行動を展開するのは当然だが、政府は断固として左翼と戦い、力と思想で抑え込んでしまえばよいのである。左翼は普通の「政権を批判する勢力」とはまったく異質の存在である。彼らはこの自由主義国家日本の転覆を目標にしている内部の侵略勢力であり、違憲存在であり、国家・国民の敵なのだ。政府は、国家・国民の敵に対しては恐ろしい存在でなくてはならないのである。現在の日本政府はこの基本的なことが認識できていない。左翼を敵だと認識できていない。左翼は法によって規制し、さらに撲滅していかなくてはならない存在なのである。

 

 七、自衛権を巡ってロシア、中国、北朝鮮とも戦え

 

 九条解釈是正の閣議決定を断行すれば、当然ロシア、中国、北朝鮮は猛反発することになる。国民を奴隷のごとく支配している全体主義侵略国家のこれらの国々は、日本を征服、侵略することも狙っているから、日本が国防を完全にしていくことに猛反対するのは当たり前なのである。彼らは言葉巧みに「日本帝国主義の復活」だとか「日本軍国主義の復活」だとか「アジアと世界の平和と安全にとっての脅威である」等々とプロパガンダする。だが全体主義侵略国家(や国内の左翼)の用語は全て「反対語」である。私たちは自衛権は国家に固有の権利であると堂々と主張するとともに、ロシア、中国、北朝鮮が国民を奴隷的に支配する全体主義国家で侵略国家であることを糾弾してやればよいのである。

 戦いの根源は思想である。思想において敵を圧倒しなくてはならない。日本の現状は思想的弱さの反映なのである。国家の指導層や保守言論界は真正な保守主義=真正な自由主義で武装していかなくてはならない。これが出来ていれば九条解釈是正の閣議決定は直ちに実行できる。 だが日本政府や与党の中にも、ロシアや中国や北朝鮮に頭を下げ彼らの国益のために活動する者がかなりいるのが現状である。中にはそれらの国のエイジェントになっている者もいるはずだ。防諜機関を創って「信用チェック」を行うべきである。

 ちなみに、現在アメリカ政府は「反テロ」ということでロシアや中国と協調しており、とりわけロシアに対する評価を一段と高めている。これは完全なる誤りであり、世界の平和にとって極めて危険なことである。八○年代末以降のアメリカの対ソ連、対ロシア外交は、ソ連=ロシアの大謀略に完璧に騙されて誤ってしまっている。ロシアとはソ連共産党の偽装国家なのだ。 ロシアは「反テロ国際連帯」を利用して、アメリカや西側に自らを民主主義国で味方であると売り込み、NATOを一層変質させることを狙い、アメリカの戦略核を大削減させ、米欧の通常戦力をさらに大削減させていくことを企図しているのである。ロシア(ソ連)は「トロイの木馬」戦略を採っているのだ。ロシアはまた反ロシアのタリバン政権を崩壊させてアフガニスタンに親ロシア政権を誕生させることを追求している。アメリカの軍事行動によって反ロシアのタリバン政権を倒せば、ロシアと北部同盟との関係から将来的には親ロシア政権を造ることが可能になる。今の反テロ国際連帯はロシアにとっては良いことづくめなのだ。相手を騙すことを常に考えているロシアにアメリカをはじめ西側はたちうち出来ていない。戦いの根源は思想なのだ。本論からはずれてしまうのでこれ以上は書かないことにするが、私の他の文を参照して頂きたい。

 

 八、国際社会で尊敬される国は必要な時に断固たる軍事行動を取れる国である

 

 自由主義世界において信頼され尊敬される国家の最大の条件は、必要な時には断固たる正義の軍事行動を取れることである。優れた指導者と精強なる軍隊を持っていることだ。自国や同盟国、友好国が侵略者に武力攻撃されたときに、あるいは国際社会の平和と安全が侵害されたときに、あるいはある国の内部で「人道に対する犯罪」が行われたときに、必要とされる軍事行動を果断に遂行できる国家が信頼され尊敬される立派な国家なのである。

 その理由は、国家の平和、独立、存立あるいは国際社会の平和と秩序は、軍事力なしには一日たりとも維持できないからである。日本のタンカーや貨物船が世界の海を安全に自由に航行できるのは何故なのか。強力なアメリカ軍のプレゼンスと抑止力のためである。世界の人々はこのことを熟知している。だがわが国では政府も国民も、違憲存在の左翼と巨大な左翼マスメディアによる〃平和〃(反対語)プロパガンダ攻撃によって深く洗脳され規制されており、そのために真の平和概念や軍事について考えることをタブーにしてしまっているのである。その結果、軍事力なしには平和は一日たりとも維持できないという国際社会の常識がまったく理解できなくなっているのである。

 九・十一アメリカ同時テロ(侵略戦争)に対してNATO諸国やオーストラリアは同盟国アメリカのために集団的自衛権を発動して既に派兵したり派兵表明した。わが日本も本来ならば同時テロを奇貨として、首相をリーダーとする内閣が直ちに誤りに満ち満ちた一連の九条解釈を是正し、自衛隊を軍隊と規定し、同盟国アメリカのために集団的自衛権の発動を決定すべきであった。そして首相は「わが軍は米英軍等と肩を並べてアフガニスタンでの戦闘行動(武力行使)を含むあらゆる軍事行動を行う用意がある」と表明すべきであった。一点突破である。重要な決断を下して国民を導いていくのが選ばれた国の指導者の努めである。英国では首相は閣議を開くことなく国防軍を派兵できる。今回もそうであった。

 九条解釈を是正して集団的自衛権を発動すれば、今回のテロ対策特別措置法は不要である。日本が自衛隊=国防軍を派兵するとしても、米英国との協議によって、実戦経験のない日本軍は最も適合した任務として主として後方支援(対テロ特措法に言う協力支援活動等の対処措置とはまったく違う)を担当するということになるだろうが、それはそれでよいのである。今回もし日本が前述のような内容での集団的自衛権を行使して関連法を改正して国防軍を早期に派兵していれば、同盟国のアメリカからもNATO諸国からもまた世界の多くの国々からも高く高く評価されたことは疑いない。

 だが今回の日本政府のようにはじめから、日米安全保障条約の精神に基づく集団的自衛権は行使出来ないだとか、国連安保理決議に基づいて支援を行うが戦闘行為は出来ないだとか、戦闘行為がなされない安全な「実施区域」でしか活動は出来ない、武器・弾薬は提供できない、もし実施区域に戦闘行為が迫りまた拡大してきたら活動を一時休止しまた中断して撤収する(すなわち敵前逃亡)という姿勢では、到底正当なる評価は得られないのである。しかも自衛隊が活動を開始するのは十二月になってしまうのである。

 小泉首相は「日本は憲法九条の制約があるので集団的自衛権は行使できず、海外での武力行使もできない」と述べたが、同盟国・友好国の要人は心の中では「内閣が九条の解釈を変えれば(是正)済むことで、すぐに出来ることじゃないか」と思っているのである。そしてこうしたことが繰り返されれば、彼らは「日本は同盟国や友好国また国際社会の平和と安全を守るために大国としての責務を果たさない無責任な国だ」「国際社会の平和の果実は享受するが平和を維持するための犠牲は払おうとしない身勝手な国だ」と評価するようになる。日本の国益は著しく阻害されることになるのだ。

 世界の国々は自衛隊を軍隊と見ている。憲法九条を言い訳にすることは断じて許されないのだ。それは内閣の自己保身でしかない。日本は一日も早く異常な国家から正常な国家へ飛躍して、国際社会で尊敬される国にならなくてはならない。その方法は九条解釈を是正することだ。優れた政治家が何人かいればすぐ出来ることである。それが国家のリーダーというものだ。一点突破する以外に方法はない。断行すれば、同盟国のアメリカをはじめ西側の立派な国々はこぞって支持・支援し、国民も支持する。

 

 九、保守言論界主流派が日本の惨めな状態をつくってきた

 

 最後に語られることがない真理を述べておこう。なぜ日本が国家安全保障分野、国防分野においてかくも惨めな状態にあるのかを冷静に考えてみれば、保守派議員や官僚が、国家の敵である左翼の思想的法的攻撃に破れて規制されてしまっているためであることが判るはずだ。そしてそれは、日本国家をリードしていくべき政治家を含む保守派言論界の勢力がいまだ小さく思想レベルも低すぎるためである。もし保守派言論界が左翼の思想を完全に粉砕する思想闘争と、政府・与党の誤りまた保守系政党・議員の誤りを真正な保守主義の立場から批判する思想闘争を強力に展開しているならば、保守派議員と官僚の思想は正常化するからだ。また国民の思想も正常化する。そうすれば、違憲存在の左翼が国会やマスメディアや学校等で活動することも出来なくなる。しかし保守言論界は日本共産党が現綱領で、社会主義建設の前に日本の自由と民主主義を破壊して独裁支配体制を樹立することを謳っていること、日本共産党の『自由と民主主義の宣言』(小冊子)は政府と国民を騙すための嘘文書であることを、暴露して糾弾することすら出来ていない。社民党も共産党と同類である。

 なお新聞、テレビ、雑誌によく登場する自称〃保守〃の言論人の多くは、戦前の日本(一九三○年以降)の在り方を支持する反米嫌米派の右翼であり、保守派とは無縁である。こういう右翼を打倒できていないのも保守勢力が弱いからである。

 保守系言論人の顔ぶれは決まっており、競争はない。そうした肩書きを持つ人は文こそうまいが少数の例外を除けば思想レベルは低すぎる。正統な思想、立派な思想の持ち主は他にもかなりいるのに、そういう人々はほとんど登場させてもらえないかまったくもらえないのである。保守言論界の主流派が日本の惨めな状態をつくってきた(許してきた)と言ってよいのである。その責任は厳しく問われなくてはならない。現状を変えていかなくてはならない。

 

 日本の安全保障政策、国防政策の正常化は、左翼との戦いやロシア、中国、北朝鮮また今日のタリバン=アルカイダとの戦いを通してしか実現できないのである。勇気を持って敵と戦え!である。戦いの根源は思想である。

 我々は平時の軍隊の任務である「領土侵犯対処」「領海侵犯対処」の導入と有事法制整備を早急に行っていかなくてはならない。

                 

                  二○○一年十一月十日記

 

 補遺−集団的自衛権の概念規定を変更した内閣法制局

 

 内閣法制局は一九七○年代以降は「集団的自衛権は憲法上一切行使できない」と言っているが、六○年代まではそんなことは言ってなかった。一九六○年三月法制局長官・林修三氏は、「集団的自衛権の典型的な表現である自国と密接な関係にある他国が武力攻撃を受けた時に、それを自国が武力攻撃を受けたと同様に考えて、その国に出かけて武力行使して守るということは憲法上認められていない」と国会で答弁したが、その前の部分で次のように述べている。「集団的自衛権という言葉としては・・・まあいろいろなものが含まれておると思います。・・・たとえば自国を守るために基地を貸与する、あるいは他国が、密接な関係のある他国がやられた場合にこれに対して経済的な援助を与える。・・・自国を他の国と協同して守るということも集団的自衛権だという説もあるわけでございます。しかし、まあそういうものはさておきまして、こういうものは実は日本の憲法上どれも私は認められていることだと思うわけであります」(佐瀬昌盛氏『集団的自衛権』一四八頁。PHP新書二○○一年五月刊)。

 すなわち政府は集団的自衛権の非典型的、非中核的なものは、軍隊を保持できないという九条の解釈の下においても行使できるとの立場に立っていたのである。つまりたとえば日米安全保障条約の締結も、同条件に基づき米軍を日本に駐留させていることも日本の集団的自衛権の行使なのである。同条約六条の「極東有事」が発生したときに、米軍に日本の基地を使用させることも日本の集団的自衛権の行使である。また同条約五条の「日本有事」の時に米軍と共同して日本を防衛することも日本の集団的自衛権の行使である。同条約にも集団的自衛権は明記されている。それは日々行使されているのである。

 しかし政府(法制局)は一九七○年前後に、日米安全保障条約の自動延長問題をクリヤーするために左翼を刺激しないために、集団的自衛権の概念規定を変更してしまったのである。すなわち「他国に加えられた武力攻撃を自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止すること」(七二年政府資料)のみを集団的自衛権と規定したのである。そして憲法上集団的自衛権は行使できないと答弁したのだ。日本が行使してきて今も行使しているそれ以外の集団的自衛権は、七○年代以降は集団的自衛権ではなくなったのである。しかし法制局はこれらを国会に説明していない。

 二○○○年に成立した「周辺事態安全確保法」でいう米軍への「後方地域支援」や「後方地域捜索活動」は、明白な国際法上の集団的自衛権の行使である。六○年代までの政府・法制局の立場から言えば明白な集団的自衛権の行使である。だが政府は概念を変えた。そして政府はそれらを「実力をもって阻止する」ものではない、つまり武力行使や武力行使との一体化ではないと解釈する。従ってそれらは集団的自衛権の行使ではなく、日本が実施できる活動であるとするのである。

 だが燃料や水や食料という戦闘行動に不可欠の物資を輸送したり提供する活動は、国家安全保障の世界常識で言えば「武力行使との一体化」そのものである。政府規定の集団的自衛権の行使だ。仮に「武力行使との一体化」でないとしても、敵国が日本は集団的自衛権を発動して戦争参加しているととらえてわが国をも攻撃対象にするのは明白である。それなのに政府は、日本有事を想定した法整備に同時に取り組むことをしなかった。言葉を変えてみても実体は変わらないのだ。

 内閣は一刻も早く誤った九条解釈を是正する閣議決定を行い、集団的自衛権行使についても正常化しなくてはならない。論者が言うような後方支援に限定した集団的自衛権の発動は正常化ではない。イギリスのように典型的な形での集団的自衛権を発動しなくてはならない。つまり武力攻撃を受けた国に行って共に敵と戦ったり、その国と共に敵国にまで行って戦うというものである。そういう完全な形での集団的自衛権を発動した上で、米国等との協議で日本の戦闘分担が後方支援になるのはかまわないのである。初めから日本は法的に後方支援しか出来ないと言うのがナンセンスなのである。

 内閣が九条二項の解釈を是正して軍隊保持を明言しさえすれば、日本が憲法上保有する個別的および集団的自衛権の行使は、法的にアメリカ、イギリス等と同等になり、まったく制約はなくなるのである。

                  二00一年十一月十日記

 



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