●戦いの土台は思想戦である
内外の敵に勝利するために
一、思想的に解体させられている保守勢
全ての問題や闘争課題の土台には思想がある。わが国の政治、外交、国防が目を覆いたくなる様相を呈しているのも、それを支える思想が真正な保守主義(真正な自由主義)ではないからに他ならない。左翼マスコミが中心となってプロパガンダする思想、スロ−ガンに、保守勢力が深く深く侵略支配されてしまっているからである。この根本問題を自覚し、根底から是正していく意識的な努力を積み重ねていかなければ、個々の問題の正しい解決はありえず、逆に敗北を喫し、また何度も同じことを繰り返してしまうことになる。
筑波大学教授の中川八洋氏が展開している思想闘争は、まさしく孤軍奮闘の形容がピッタリする。私は氏とは一面識もないが、氏の著書や論文から多くを学んできた。悪書を斥け良書を読むことが何よりも大切である。中川教授の最近の著書を掲げてみよう。
『大侵略』(ネスコ一九九0年十二月)、『ソ連が悪い』(ネスコ一九九一年四月月)、『戦争の21世紀 蘇るロシア帝国』(学習研究社一九九二年六月)、『対論・政治改革の非常識、常識』(学習研究社一九九三年五月)、『正統の哲学 異端の思想−「人権」「平等」「民主」の禍毒』(徳間書店一九九六年十一月)、『国が亡びる−教育・家族・国家の自壊』(徳間書店一九九七年十二月)、『中国の核戦争計画−ミサイル防御(TMD)、核武装、日本・台湾同盟の提唱』(徳間書店一九九九年九月)、『大東亜戦争の「開戦責任」−近衛文麿と山本五十六』(立弓社二000年十二月。これは『近衛文麿とルーズベルト−大東亜戦争の真実』(PHP研究所一九九五年八月)を改題したもの)、『正統の憲法 バークの哲学』(中公叢書二00二年一月)、『歴史を偽造する韓国』(徳間書店二00二年四月)。
いずれも日本国家を思想的に救いうる画期的な内容であるが、保守論壇で採り上げられることはない。このことが、日本の保守陣営が敵の革新思想=左翼思想にいかに深く侵略されて、自らの思想的立場を解体させられてしまっているかを象徴している。
革新思想=左翼思想は、自由主義国家を滅ぼして全体主義国家を造り出す悪魔の思想である。全体主義思想だ。しかし左翼は、今日においては「社会主義・共産主義」を前面に掲げることはしない。社会主義・共産主義を伏せて、「平等」「人権」「民主主義」「自由」「平和」「進歩」「変革(改革)」「市民主体の政治」「世界市民」等々という耳ざわりの良いスローガンを掲げて戦っている。これらのスローガンはマスメディアに氾濫している。
二、社会主義は悪魔の思想、狂った宗教
左翼は未熟なインテリの「善意」に訴えかけ、スローガンの反復によって洗脳し、「理想社会の建設」という観念(幻想)と使命感を植え付ける。左翼はたとえ、旧ソ連や中国や北朝鮮など社会主義国の実態が明白になろうとも、「不平等=悪、平等=善」の思想に徹底的に洗脳されてしまっている以上は、絶対に自由主義国家日本とその経済システムを肯定するようにはならない。彼らは引き続き日本を全否定して、解体・滅亡するべく戦っていく。現にそうだ。
ほとんどの左翼は、「レ−ニンが指導したロシア革命は社会主義の理念を実現していた。だがレーニン亡き後、スターリンによって社会主義の理念は裏切られ変質させられてしまった」と総括している。レーニンやマルクスの社会主義・共産主義思想、理論は真理であり、「プロレタリア民主主義」である「プロレタリアートの独裁」によって、資本家階級を打倒して生産手段を国有化していったレーニンが指導したロシア社会主義革命は正しかった、というわけである。左翼はこうして自己救済し正当化しているのである。
だがレーニンこそが共産党独裁国家、全体主義国家を造ったのだ。またレーニンやマルクスの思想、理論そのものが、必然的に共産党独裁国家を造り出すものなのである。しかしながら左翼はこうした理性的な認識を拒絶する。社会主義・共産主義とは狂った宗教なのである。
中国も北朝鮮も共産党独裁の国家である。しかし左翼から見ると両国は、資本家階級と地主階級を打倒して生産手段の国有化を実現した点で、「人類の歴史の必然」であり、「進歩」であり、資本主義国から社会主義国への移行(革命)の過渡期にある国家なのだ。両国はその点で、資本主義国よりも価値ある国家なのである。従って左翼は、両国に対しては一定の批判を留保したり持ちつつも、日本と両国との争いにおいては、両国の側に立って、敵である資本主義国家日本と戦っていくのである。両国の尖兵になるのだ。
左翼のごく少数派は、レーニンやマルクスの思想、理論も否定し、ロシア革命や中国革命も否定する。だが、どこかに「真の社会主義・共産主義」が存在する筈だと、幻想を追いかけ、自由主義国家と戦っている。「不平等は悪、平等は善」の思想に洗脳されている限り、そうなるのだ。
いずれにしろ、悪魔の思想=宗教に洗脳されてしまっている左翼は、内部からわが自由主義国家日本を破壊・滅亡するべく戦っている侵略勢力である。全体主義国家(ロシア、中国、北朝鮮、イラク、イラン等)からの水平侵略に対して、国内の左翼による侵略を垂直侵略という。もちろん左翼自身は自分が洗脳されているとはつゆ考えていない。正しい思想を獲得して、意識的に生き戦っているのだと考えている。
左翼は今日では、「社会主義・共産主義」の思想を背後に隠して、前記したようなスローガンを前面に押し出して戦っている。左翼はこうしたプロパガンダによって、政治・経済・社会のエリートに対する大衆の嫉妬心を刺激し、あるいは制度を変えれば前よりずっと良くなると妄信する大衆の「制度改革幻想」に訴えて、大衆を煽動し動員している。左翼の戦いでは、左翼マスメディアが中心になっている。
三、革命を目指す左翼組織とその活動は違憲
保守主義は、革新思想=左翼思想を全否定するものである。そして左翼組織と左翼の戦いを撲滅していくものである。だが、日本のリベラル勢力は当然のことだが、保守勢力も左翼の思想と戦いをよく知らないし、その怖さを認識できていない。敵を知らねばよく戦うことは出来ない。なによりも撲滅すべき「敵」だと認識すること自体が出来ない。事実、本国会においても自由党と民主党は、侵略勢力たる共産党や社民党と共闘しており、正しき政党なら決してしてはならない審議拒否闘争もやり、有事関連三法案の今国会での成立をつぶしている。自由党は「保守」を掲げているはずなのに、民主党以上に社民党、共産党と共闘して、政権と戦うという無残さである。
日本共産党は綱領で「この権力は、労働者、農民、勤労市民を中心とする人民の民主連合の性格をもち、世界の平和と進歩の勢力と連帯して独立と民主主義の任務をなしとげ、独占資本の政治的・経済的支配の復活を阻止し、君主制を廃止し、反動的国家機構を根本的に変革して(・・・)人民の民主主義国家体制を確立する」(『日本共産党綱領文献集』二十六頁)と謳っている。「人民の民主主義国家体制」とは、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)と同じ国家体制のことである。独裁国家である。日共は現存の日本の自由主義国家機構を「反動的国家機構」と規定し、「根本的に変革」して、独裁国家に造り変えることを綱領に掲げているのだ。社民党も同じである。
アメリカでは「共産主義者排除法」(一九五四年)によって共産党を非合法化し、その傘下にある団体のメンバーを含めて政府内から排除できるようになっている(『諸君!』五月臨時増刊号五十九頁、中川八洋氏)。日本政府も本来ならばとっくの昔に、同種の立法措置を講じていなくてはならないのである。自由主義国家日本の破壊・滅亡を目指す組織と活動は違憲であるからだ。
しかし日本の保守勢力は、もちろんリベラル勢力はそれ以上に、左翼イデオロギーや左翼スローガンに深く深く頭脳を侵略されてしまっている。だから、すぐに左翼マスメディアの攻撃に規制され支配されてしまう。真正な保守主義で思想的に武装できていないため、敵と対決し打倒していくだけの基盤がないのである。
四、「防衛庁リスト問題」−人物調査は正当な職務行為である
官房長ら二名の更迭を含む二十九名が処分された「防衛庁リスト問題」が、発覚したのは五月末であった。発覚と同時に、侵略勢力である左翼マスメディアと野党四党は、「情報公開請求者の人権を侵害した許されない行為だ」と防衛庁・自衛隊を厳しく非難糾弾し、中谷防衛庁長官の罷免を要求した。
驚くべきことにと言うべきか、予想された通りと言うのがいいのか、早くも翌日の国会答弁で小泉首相は、国防情報の開示を求めた人物の調査という全く正当な職務行為を行った部下を守るのではなく、逆に「厳正に処分する」と述べたのである。首相は自衛隊の最高指揮官である。これでは国は守れない。同日、中谷長官も国会で「法的に由々しき問題で言語道断である。厳しく反省し、今後このようなことが起こらないような方策をとる」と陳謝した。さらに「個人的判断で行ったものではなく、防衛庁・自衛隊が組織ぐるみで行ったのではないかという感じを持っている」とまで答弁したのだった。
小泉首相と中谷長官の答弁は、左翼マスコミと野党の非難攻撃への屈服というよりも、それへの同調、支持である。これこそが由々しき問題で言語道断である。首相も長官もそのような思想しか有していないということである。
産経新聞は六月四日付「産経抄」で、「リスト作成は防諜業務の一つだ」と主張したのに続き、六月十四日付では、元統合幕僚会議議長の栗栖弘臣氏へのインタビュー記事を掲載して、保守メディアの側から政府を批判した。情報公開請求者に対する人物調査の是非について栗栖氏は、「〃国防省〃として、接触してきた人物を調べるのは当然だ。自衛隊は個の立場よりも国家の立場を重視する。国の安全を超えて個に配慮するのはどうか。ただ、そのデータの利用、配布方法は度が過ぎている」と述べ、防衛庁は今後どう対応すべきかの問いに、「今回、リストの存在がマスコミに漏れてしまったが、秘密を漏らさないことが最も重要なことだ。冷戦下、旧ソ連の脅威に自衛隊は非常な心構えがあったが、今は心の緩みがある。それが問題だ。そうした点を再認識することが大切で、人物調査そのものはやめるべきでない」と答えてみえた。全くこの通りである。
防衛庁・自衛隊が、仮想敵国が日本の団体や個人を使って国防情報を入手しようとするであろうと予想することは、あまりにも当然なことだ。また防衛庁・自衛隊の解体を狙う国内の左翼が、他者を使って情報を収集することも当然予想される。情報公開請求者の人物調査をするのは、防衛庁・自衛隊の正当なる職務であるとともに、極めて重要な職務の一つである。首相や防衛庁長官たる者は本来ならば、こうしたことを述べて、逆に、内なる侵略者である左翼マスメディアと左翼政党またそれと共闘する民主党、自由党を厳しく糾弾しなければならなかったのである。
首相と防衛長官の指示により、防衛庁は誤りを「認める」調査報告書を作成することとなった。どんなに悔しかったことだろう。報告書は、三等海佐が作成したリストは「情報公開業務」のためのものであり、従ってこの業務に必要のない「元反戦自衛官」等の個人情報を加えて作成された個人情報ファイルは、「行政機関の保有する電子計算機処理に係る個人情報の保護に関する法律」の四条二項に違反し、リストの配布は同法十二条に違反する等々という内容であった。
しかし事実はそうではない。このリストは「情報公開業務」のために作成・保有されたものではなく、「国防また施設防護」の目的で保有されたものである。だから「元反戦自衛官」といった個人情報を記入することになるのは当り前だ。全く合法である。同リストを調査担当者へ渡すのも当然過ぎることであり、合法である。このリストは同法六条二項に該当する個人情報ファイルであるから、情報公開しないファイルである。
今回の問題で、防衛庁・自衛隊が厳しく批判されなくてはならないことは、そのようなリストを構内情報通信網(LAN)に掲示して、誰でも閲覧可能な状態においたことである。すなわち「情報管理」の誤りが批判されなくてはならない。LANに掲示したからこそ、この秘密リストはマスコミに漏れることになったのだ。防衛庁・自衛隊にも左翼が正体を隠して潜入しているのは確実である。
小泉首相と中谷長官は、国防と施設防護の正当な任務を遂行した部下(情報管理、秘密保持の誤りは別であるが)を、敵・左翼等の攻撃から守るのではなく、逆に彼らに同調して、部下を「違法者」に貶め、防衛庁・自衛隊全体の名誉を著しく傷つけた。なによりも防衛庁・自衛隊の信用を甚だしく低下させ、職務に制約を課して、彼らの職務遂行に大きな困難を与えることになったのである。長官は「今後このようなことが起こらないような方策をとる」と言ったが、断固無視しなくてはならない。
「防衛庁リスト問題」とは、左翼の攻撃に敗北した「デッチ上げ事件」なのだ。小泉首相や中谷防衛庁長官の「政治的犯罪」なのである。
国内外に自由主義国家を破壊・滅亡しようと狙う侵略勢力(国)がいる。「冷戦終結」は、世界征服を狙う全体主義国家ソ連=現ロシアが造り出した幻想でしかない。国防と治安は政府の最大の責務である。ここでの失敗は国を滅亡に導いてゆく。敵は怖いが、思想的に敵に敗北した自国政府の方がなお一層怖いのだ。政治エリートは、自由主義(保守主義)と全体主義の戦いは永遠に続くことを認識していなくてはならない。戦いの土台は思想戦である。真正な保守主義(真正な自由主義)で武装しなくてはならない。自由民主党は、人気ではなく、真に有能な指導者を首相や防衛庁長官に就けなくてはならないのである。
五、左翼の「人権」思想また「民主主義」とは「階級闘争」思想のことである
左翼や民主党、自由党は「防衛庁リスト問題」を、「情報公開請求者の人権を侵害した」と攻撃した。政府、与党はこの「人権侵害」の四文字魔語に抵抗心を奪われ思考停止になってしまったわけである。我々は左翼が常用する「人権」がいかなるものであるかを正確に認識し、否定できなくてはならない。
まず、しっかりした国家意識と愛国心を持ち、国民の義務・権利である国防への意志を堅持する国民であれば、今回のことを人権侵害などと非難することは絶対にない。もし彼が防衛庁・自衛隊に情報公開請求をしたとしても、防衛庁・自衛隊の人物調査を当然すぎる職務と受けとめて意に介さない。協力もする。左翼は「人権」を掲げて、政府の手足を縛り、この自由主義国家日本を破壊・滅亡しようとしているのである。
左翼が用いる「人権」と、日本国憲法第三章の「国民の権利」は、百八十度異なる全くの別物である。左翼は国民が自然に受け容れている「国民の権利」の中の「基本的人権」の「人権」という言葉を利用して、「人権」思想をプロパガンダしているが、左翼の「人権」思想は、革命思想、階級闘争思想のことである。我々はこのことをしっかりと認識しなくてはならない。
「人権」思想とは十八世紀末のフランス革命で革命派が喧伝したものである。一七八九年八月「人権宣言」がなされたが、「宣言」で言われた「人」とは、「全てのフランス国民」を意味していなかったのである。革命派が「反革命派」と見なせば、何人であっても、人民であっても「人」ではなくなり、従って一切の「人権」を奪われたのである。彼ら「反革命派」は、法律にもよらず逮捕され、裁判もなしに有罪とされて処罰され、あるいはギロチンで処刑されていったのである。「人権」思想によって遂行されたフランス革命は、文明国家・フランス王国の「法の支配」を破壊して、無法のギロチンの独裁国家を造り出したのであった。「人権」思想とは、文明国家を破壊・滅亡させる革命思想のことであったし、現にそうである。
今日の左翼が使う「人権」も同様である。それは「人民」や「市民」や「住民」や「弱者」や「女性」や「子供」あるいは「被疑者・被告人・受刑者」の「人権」ばかりを擁護して、政府機関、軍隊、与党、大企業、真正な保守主義者(真正な自由主義者)等を「敵」ととらえて、その「人権」を全否定して攻撃するものである。すなわち「人権」思想は革命思想のこと、階級闘争思想のことなのである。左翼は「社会主義・共産主義」が大衆的にはかつての魔力を持てなくなっているために、「人権」思想で代替しているのだ。だから左翼が「人権」を掲げて、国民の「人権」を全否定している中国共産党や北朝鮮労働党やフセイン政権等を批判することは(ほとんど)ない。しっかりと階級性があるのである。
アメリカ政府はよく「人権」の視点から、中国、北朝鮮、イラク等の政府を非難するが、この「人権」思想と左翼の「人権」思想は全く別の物である。間違ってはならない。
左翼はマスメディアを武器に「人権」思想をプロパガンダして、人民大衆を反政府闘争に煽動している。しかしもしも革命運動が成功して左翼が国家権力を奪取したならば、革命政府の方針に反する者は人民であれ「反革命者」にされて、一切の「人権」を奪われて弾圧されることになるのである。人民大衆は権力奪取のために利用されるだけである。
関連して述べるが、左翼が多用する「民主主義」「民主」も国民が使っている同じ言葉のものとは、全く別個のものである。概念が正反対だ。左翼が使う「民主主義」「民主」とは、「人民民主主義」あるいは「プロレタリア民主主義」のことである。同じ言葉を使って国民を騙しているのだ。
「人民民主主義」(プロレタリア民主主義)とは、人民だけの民主主義であり、人民以外の者を民主主義から排除するものである。つまり左翼が言う「支配階級」を民主主義から排除する。「民主主義からの排除」とは、彼らの全ての権利を奪い取るということである。すなわち「人民民主主義」(プロレタリア民主主義)とは「人民独裁」(プロレタリア独裁)の意なのである。レーニンがそのように明記している。それは、前述した左翼が使う「人権」思想と同義である。「支配階級」は「反革命勢力」であるから、「人」ではなく、だから彼らの全ての「人権」を奪い取るということだ。
そして「人民民主主義」=「人民独裁」も、ひとたび左翼が国家権力を奪取することになれば、「共産党独裁」の本質が顕在化していくことになる。すなわち、「人民独裁」ではなく、人民を含む全国民に対する「共産党の独裁」ということに段々となっていくのである。人民は革命党の国家権力奪取のために利用されるだけである。
左翼マスメディアや共産党や社民党やその他の左翼が、国民を騙してプロパガンダしている「人権」「民主主義」(「真の民主主義」)とは、革命思想、独裁思想なのだ。彼ら侵略者と共闘している自由党も民主党もそのことを全然分かっていない。騙されてしまっている。保守勢力のほとんども認識できていない。我々は敵に勝利するために、敵を正しく認識しなければならないのである。
六、「非核三原則」見直し発言について
福田官房長官は五月末、「非核三原則」に関して「今までは憲法に近いものだったが、憲法も変えようという時代だから、国際情勢が変化したり、国民世論が核を持つべきだとなれば、変わることもあるかもしれない」と述べて、将来、見直されることもありうるとの見方を示した。微温的過ぎるものの、至極当然な発言である。
すると侵略勢力の左翼マスメディアは一斉に糾弾を開始し、それに呼応して野党四党も福田長官の罷免を要求し、「防衛庁リスト問題」と合わせて全ての国会審議を拒否したのであった。与党内からも批判が噴出した。左翼が非難攻撃するのは当り前のことだが、それ以外の者の非難、攻撃は全く愚かである。国益が全然分かっていない。
福田長官の発言はもちろん、周到な用意の上になされたものでは全くなかった。ただ、対中国、対北朝鮮の安全保障政策として、日本は「核のタブー」を打破すべきだとの考え方が、一定の政治家たちの間に生まれてきている。長官の発言はそうした潮流のひとつの反射としてあった。だが、長官は猛反対に遭うと「そんなことは言っていない」と否定してしまったのである。猛反対に遭えば屈服し、前言を否定するなら、最初から発言すべきではない。
「将来、情況次第では非核三原則の見直しもありうる」と発言すれば、左翼マスメディアと左翼政党またその他の野党が激しく攻撃してくるのは目に見えていることだ。与党の中からも批判が続出することも分かり切っている。敵や対立者の出方を見極められないで、軽々しく発言してしまう政治的未熟さも、日本の政治家に共通している。それは、内外の敵との戦いという基本的な認識が極めて希薄であるためであり、従って戦略的に物事を進める姿勢が無いからである。
言うまでもなく、「非核三原則」は保守勢力の原則ではない。そればかりか、リベラル勢力の原則ですらない。「非核三原則」を、米国や英国や仏国あるいはイスラエルの国民が自らの国で唱えたら、どういう反応に遭遇するかを想像してみればよい。彼らは「亡国の徒」「侵略勢力」「敵国のスパイ」等々と糾弾されることは間違いない。それらの国々で、核兵器は国家安全保障の中核になっているからだ。自由主義国家の核兵器はまさに平和を守るシンボルなのである。
米国等で、「反国防政策」だと糾弾される「非核三原則」が、日本に来ると、「平和を守る正しい国防政策」になる道理はない。日本政府は敵が繰り返すプロパガンダ攻撃に敗北して、洗脳されて、反国防政策の非核三原則を「正しい」と盲信しているに過ぎないのである。
「非核三原則」は左翼のスローガンである。それは、旧ソ連=ロシアや中国の対日工作用のスローガンであり、両国は客観的に両国の尖兵の役割を果たしている日本の左翼に、主張させているのである。「核廃絶」のスローガンも同様である。
小泉首相は六月十日「非核三原則を堅持することは歴代内閣が何度も表明しており、この内閣も方針を貫き堅持していく」「核のない世界実現への努力は今後とも続けていかなければならない」と国会で答弁した。福田長官は「私の体のどこを切っても非核三原則の見直しはない。すべての体は平和主義を考えている」と答弁した。完全に左翼イデオロギーに洗脳ないし屈服してしまっている。このように日本政府は、左翼と一緒になって「非核三原則」や「核廃絶」を唱えている。政府は「左翼と同じスローガンを唱えている自分はどこかおかしいのではないのか」と考えなくてはならないのである。その逆を主張してこそ正しいのだ。
極端化してみると、真理は見えてくる。もしもアメリカ、イギリス、フランスが左翼マスメディアが創り出す「世論」に敗北して、核兵器を全廃してしまったとしたら世界はどうなるだろうか。全体主義侵略国家のロシアや中国では、世論など存在しえない。政府を規制するものが何もないのだ。だからロシアと中国の独裁支配者は当然核兵器を維持し、両国による核の独占が成立することになるのである。そうなれば、アメリカ等は完全に両国の核によって封じ込められることになり、世界はロシアや中国など全体主義国家の侵略のやり放題になる。日本も両国の核攻撃の恫喝ひとつで間接占領されてしまうことになるのだ。
「非核三原則」「核廃絶」のスローガンは、自由主義国家の政府を規制するが、全体主義国家の独裁政府は規制しない。左翼の中のプロは、このことを完璧に理解した上でプロパガンダしている。彼らは核廃絶運動が成功すれば、前記のようにアメリカ等は社会主義国の核で封じ込められ、日本は社会主義国によって間接占領されることになり、自分たちが国家権力を握ることになることを、完璧に認識してプロパガンダしているのである。つまり左翼の「非核三原則」「核廃絶」は謀略スローガンなのだ。左翼が言う「平和主義」とは、侵略主義=反平和主義のことである。このように左翼の用語は全て反対語である。
七、東アジア戦域限定核戦争戦略の構築を
私はソ連の消滅は高度な謀略であると繰り返し述べてきたが、将来の世界征服を目標にする全体主義国ロシア(=縮小ソ連)は、米国をはじめ西側自由主義国を騙すことに成功した。NATOは事実上解体してしまった。ロシアは二00六年にはG8の正式メンバーとなる。ロシアは「トロイの木馬戦略」を採っているのだ。これらについては別の文で書くことにしよう。
このような世界情勢であるからこそ、わが国は自由主義国家日本の永続を保障するための国家安全保障戦略を創り出していかなくてはならない。
日本が永遠の同盟国であるアメリカとしっかりと協議して、従来の誤った憲法九条解釈を是正し、「非核三原則」や「専守防衛戦略」を投げ捨て、米核陸上部隊を日本に常駐させ、また日本自らも核戦力を保有すれば、日米は「東アジア戦域限定核戦争戦略」を持てることになるのである。これによって日米は、ロシアや中国を封じ込めて、国の安全と平和を守ることが出来るようになる。
一九八三年、当時のレーガン政権は西欧に、弾道核ミサイル・パーシング2と巡航核ミサイル・トマホークの配備を開始した。ソ連の指導部は、これによって米国・NATO側に「ヨーロッパ戦域限定核戦争戦略」が可能になり、ソ連は完全に封じ込められてしまうこと、またもし実際に戦争になればソ連の敗北は決定してしまうことを正確に認識して、最大の危機に陥ったのであった。しかしその後ソ連は外交戦で挽回して、一九八七年に中距離核戦力全廃条約の締結を勝ち取り、パーシング2とトマホークを全廃させてしまった。我々はこの成功と失敗を教訓化して、東アジアとヨーロッパで新たな「戦域限定核戦争戦略」を構築していかなくてはならない。もちろん我々はミサイル防御(MD)システムも構築していかなくてはならない。
この戦略について説明しよう。中国を対象にして述べることにする。中国は主権国家台湾はもちろんのこと、日本など非核の東アジア諸国を、核の威嚇と核攻撃等によって征服することを国家目標にしている。これを成功させるためには、中国はアメリカの「核の傘」を無力化し、アメリカの通常戦力による介入を阻止しなくてはならない。そのために中国は、アメリカ本土を攻撃できる戦略核戦力を保有し、増強している。「介入すれば戦略核をアメリカの都市へ撃ち込むぞ」と威嚇して、アメリカを逆抑止することを狙うわけである。アメリカ政府に「同盟国を守るためにニューヨークやワシントンを廃虚にすることは出来ない」と考えさせることを狙うのだ。
しかし、日本が非核三原則を投げ棄てて、アメリカ核地上部隊(移動式のパーシング2やトマホーク)を日本に常駐させ、日本も同じ中距離核戦力を保有すれば、中国の日本征服戦略は破綻することになる。
すなわち中国は、日本にある日米の核戦力を破壊することなしには、日本への侵略を開始出来ない。しかしこれらは移動式であるから、中国が先制攻撃をしても、多くは破壊されない。もし中国が日本を核攻撃すれば、それと同時に日本にある日米の核は中国の指揮中枢、重要軍事基地(核や空軍など)また主要都市を壊滅的に破壊することになる。そしてアメリカ本土は無傷で残っている。従ってこの核戦争の後では、中国はもうアメリカ本土へ戦略核を撃てない。アメリカが突きつける無条件降伏を呑むしか他に道はないのである。もし侵略戦争をすれば、このように中国の敗北は決まってしまうのである。従って遡って、中国は日本への侵略そのものが出来なくなるのだ。つまり中国は封じ込められるのである。台湾にも米地上核部隊を配置すれば、同様に中国はもはや台湾を侵略出来なくなる。封じ込められる。
そればかりでなく、この「戦略」を構築した場合、日米台は封じ込めた全体主義国中国にどんどん圧力をかけていくことが出来る。国民の自由を抑圧する中国の全体主義体制を解体して、「自由主義チャイナ」を誕生させていくことも可能になるだろう。「東アジア戦域限定核戦争」に関しては、中川八洋教授が『中国の核戦争計画』四十四頁以下で詳しく展開してみえるので、是非参照して頂きたい。
ロシアに対する「東アジア戦域限定核戦争戦略」の場合には、日米は中距離核の他に、ロシアの中枢(モスクワ等)に届く「大長射程戦域核」も日本領域に配備しなくてはならない点が、対中国と異なる(これについては中川八洋教授の『現代核戦略論』原書房一九八五年七月刊の百五十六頁以下および『軍事研究』一九八六年五月号論文を参照して頂きたい)。
福田長官の見直し発言に対して、ロシア、中国は直ちに批判をしていた。日米台に「東アジア戦域限定核戦争戦略」が可能になっていくためである。ロシア外務省のヤコベンコ情報局長は、「日本の非核三原則は国際社会で長年肯定的にとらえられてきた。日本は原爆の唯一の犠牲国として常に核軍縮の先頭に立ってきた」と日本の役割を高く評価して、長官発言を「時代錯誤」と批判した。このように事実や本心と逆のことを平然と述べて、敵をコントロールする情報心理戦に長けているのが、全体主義侵略国の特徴である。中国外務省報道官は「平和と発展が今日の主題で、世界的軍縮が進む中、このような発言を日本政府高官から聞くのは衝撃的だ」と批判した。中国は東アジアを征服するために軍拡・核軍拡を進めているのに。全体主義国また左翼の主張は、その表面的意味の逆が真意である。
敵との戦いの土台は思想戦・情報心理戦である。敵を正確に把握するとともに、思想的に圧倒しなくてはならない。
自由主義国の核を含む軍備は善であり、平和を守るものである。しかしロシア、中国、北朝鮮等の全体主義国の核を含む軍備は悪であり、侵略=反平和のシンボルである。我々はこの真理を深く理解しよう。
八、「日中友好」政策は日本亡国政策である
日本は一九七二年の日中国交回復以降、「日中友好」政策を推進し、その結果として共産主義中国の経済的=軍事的強国化を支援してきた。現在中国は、日本攻撃用の六十基以上の中距離核戦力を配備するまでになっている。その爆発威力は広島原爆の千二百個分に匹敵する。日本の征服を国家目標にする顕在敵国と、友好関係を結ぶなどは狂気の沙汰もいいところである。「日中友好」政策は、「日本亡国」政策である。直ちに破棄しなくてはならない。
「真正な自由」を価値とする自由主義国家にとっては、自国民を独裁支配する中国と友好関係を結ぶことは、あってはならないことだ。中国との友好とは、独裁政権の国民弾圧を容認・支持するということであるからだ。またチベットや新彊ウイグルへの侵略と植民地支配や台湾への侵略行動などを容認・支持するということであるからだ。「日中友好」とは、自由主義国家日本の原則である自由の価値を自ら裏切る行為である。日本が守るべき国際社会の法秩序と自由を、否定することなのである。
冷戦時代、西側は本当はソ連と中国を同時に封じ込めなくてはならなかった。中国が西側の同盟国になる筈はなかったからだ。ソ連が倒れたら一番困るのは中国であるからだ。西側はキッシンジャーと中国に騙されてきたのである。キッシンジャーのバランス・オブ・パワー理論は全くの誤りだ。彼の外交はソ連と中共を利するばかりであった。中川八洋教授も書いているように、彼がソ連と中共のエージェントでなかったと断定することは困難である。今、我々は中国とロシアを封じ込めていかねばならない。全体主義侵略国家と通商関係を持つこと自体が犯罪的なことだ。日本政府はまず、中国に対するODAと旧輸銀融資を直ちに中止し、また軍事関連技術の輸出を前面禁止すべきである。
かつての田中派から今日の橋本派まで有力な親中国派議員とチャイナ・スクールが、日本の対中国外交を牛耳っている。彼らは国益を敵国に売り渡す「政治的犯罪者」である。保守の側からの批判によって、彼らを権力から排斥していかなくてはならない。
二00二年六月二十九日記