●日本を恐慌へ導く経済政策を転換せよ

 

 一、需要不足が不況の原因−構造改革は誤り

 

 日本の大不況は政府・日銀の経済政策の誤りが原因である。需要不足によって大不況になっているのに、政府・日銀は供給側に原因があるのだと考えてしまっている。政府・日銀は「供給側の経済学」に洗脳されてしまっているのだ。だから、景気回復のためには「構造改革」が必要だとして、「不良債権の最終処理の加速」「公共事業の削減・財政支出削減」が断行され、益々需要を減らしてデフレ不況を深化させているのである。ヤブ医者が誤った処方箋で病気を悪化させ死にすら至らせる如く、誤った学問を信奉する小泉首相、竹中大臣、速水日銀総裁らは「構造改革なくして景気回復なし」のスローガンを連呼して、日本経済を大恐慌に至らせようとしているのである。そして同じく供給側の経済学を信奉する人物を結集している米国政府が、小泉改革を後押ししているのだ。

 内閣改造で金融相も兼任することになった竹中大臣は、「不良債権が最大の問題であり、その処理を加速する。大企業でも破綻させるし、大銀行でも例外はない」と発言した。東京株式市場は景気悪化を予想して急落し、十月十日には日経平均株価は八千五百円を割り込み、一九八三年六月以来の低水準となったのであった。小泉内閣が発足して以来、株価は下げるばかりで、今日までに百七十兆円もの天文学的な額が消えてしまったのである。

 国家と国民にかくも厖大な損害を与えても、政府・日銀は自らの学問的立場の理論的検証をしようとはしない。マスメディアも、不良債権処理を加速せよ、構造改革をやり抜けの主張ばかりで、供給側の経済学を批判する主張は載らない。日本は「構造改革」のスローガンで集団催眠にかかってしまっているのである。

 日本経済にもし生産能力の制約があるのであれば、供給側の構造改革が必要となる。だが、日本では設備も資金も労働力も余っているのである。金融機関はお金を有り余るほど持っており、優良な借り手がいないために、国債を大量に購入しているのである。もし信用力のある借り手があり、金融機関が不良債権を大量に抱えているために貸出しができないのであれば、金利は上がっていかなければならない。だが金利は下がっているのだ。すなわち不良債権は全く制約要因になっていない。だから不良債権は急ぐことなく体力に応じて間接処理すればよいのだ。政府も日銀も全くピントはずれのことをしているのである。消費者と企業に資金需要が不足していることが全てなのである。

 こういう時に、資産査定を厳格化して不良債権の最終処理を加速させればどうなるのか。企業倒産が一層増加し、失業者が増大する。不況下では失業者は再就職などできない。失業者は消費を減らすから企業も設備投資を減らし、需要は更に減少して不況は深まる。不況の深化と担保の土地の売却で商業地価は更に下落する。不況深化による新規不良債権が発生し、また担保地価の下落で既存の不良債権の処理額も膨らみ、処理した以上に不良債権額は膨れ上がることになる。不況の深化で株価は下落し、現在五兆円を上まわる銀行保有株式の含み損は更に拡大することになる。自己資本比率が下がれば、金融機関は健全な借り手からも資金を引き上げるようになり、その企業は倒産に追いやられることになる。銀行株も売られ、経営が危ういとなれば大口預金の引き揚げとなり、一気に金融システムが崩壊することになり得るのである。総預金額の約半分は一千万以上の大口預金であり、大口預金の取り付けから金融システムの崩壊は起こる。大恐慌となり、世界恐慌となる。

 次期経済ノーベル賞受賞者と目されている米国人ポール・クルーグマン氏の『恐慌の罠−なぜ政策を間違えつづけるのか』(中央公論新社二○○二年一月二○日刊)から引用しておこう。「彼[小泉首相]の政策綱領から判断すると、アメリカを大恐慌に導いたハーバート・フーバー大統領のようである」(二○九頁)。「日銀総裁は、日本経済の不況が長引いているのは十分な改革が行われていない結果である、すなわち腐敗の一掃が不十分な結果であると言い張っている。(・・・)〃かわいそうな日本〃、である。日本は過去から学ぶことを拒否した人々の犠牲になっているのである」(二一二頁)。

 

 二、供給側の経済学は誤りである

 

 供給側の経済学(サプライサイド・エコノミー)は、供給すれば必ずそれと等価値の需要が生まれる(「セイの法則」)との立場に立つ。だがセイの法則は現実によって否定されている。商品は売れず、値下げして売っているのが今の日本だ。なぜ供給したものが等価値で売れないのかといえば、人々が過剰に貯蓄をするためである。この貯蓄は、将来の消費のための貯蓄だけでなく、純粋な「金持ち願望(資産保有願望)」による蓄財のための蓄財の理由によってもなされるから、貯蓄分と同じだけの投資が行われないことになって、需要不足が発足するのである。だが供給側の経済学では、「金持ち願望による貯蓄」は全く考えられておらず、貯蓄は全て将来の消費目的でなされるとして、貯蓄分と同じだけの投資がなされて需要不足は決して生じないとするのである(小野善康著『景気と経済政策』岩波新書九八年九月刊、十五頁以下参照)。

 供給すれば必ず等価値の需要が生まれるとする謬論の供給側の経済学は、需要不足による失業と不況を認めないのである。この経済学は、景気変動は供給側の要因でのみ起こるとする。すなわち生産能力や効率の増加や減少が景気の上昇局面、停滞局面を生み出すとする。そして深刻な景気後退は、多くの企業が将来の収益見通しを誤り過剰投資をしたために、経済全体の生産効率が大きく低下したために起っているとする。だから景気を上昇さすためには、過剰投資という誤りを犯した効率の低い企業を清算して、経済全体の効率を高めればよいと考えるのである。これが「構造改革」の考え方なのである(前掲書二十九頁以下参照)。

 だから小泉内閣は非効率な企業と金融機関を整理すれば景気は回復するとして、つぶしてきたのである。だが平成不況は需要不足によって起っている。更に会社つぶしを強行すれば、一層失業者が増え需要が減り、不況は深刻化し恐慌へ至ってしまうのである。主観はどうあれ「構造改革」は日本経済破壊政策なのだ。

 

 三、インフレターゲットが唯一の解決策

 

 日銀は「ゼロ金利と金融の量的緩和を実行しているのに状況は変わらない。我々にやれることはもはやない」と責任逃れを言っている。「だが、それでは何かをやったことにはならないのである。なぜなら、人々は既に過剰な現金を持っているからだ。(・・・)買い入れる資産の種類を変えたり、人々の将来予想を変えるような政策を打ち出さなければ何の効果もないのである」(クルーグマン、二十二頁以下)。

 日本は名目金利がゼロにもかかわらず、人々はお金を使わないという流動性の罠に陥ってしまっている。この時、景気を刺激するには、これ以上名目金利は下げることができない以上、インフレ政策によって期待実質金利をマイナスにする以外に方法はないのである(十二頁以下)。「十五年間にわたる年四パーセントのインフレ」という政策を日銀・政府が打ち出すことである(クルーグマン)。国民が将来四パーセントのインフレが起ると確信すれば、期待実質金利はマイナス三パーセント位になるから、国民は買い控え・貯蓄の不利を自覚してお金を使うようになるはずである。また企業は借金の実質コストがマイナスになるから、消費の拡大と併せてこのチャンスをつかもうとするだろう。「インフレターゲットが、今起きている問題に対処する唯一の解決策なのである」(二十一頁)。デフレのただ中でハイパーインフレを心配する日銀はナンセンスそのものだ。何もしないための言い訳なのである。
 日本を恐慌に追いやる誤った政策を転換しなければならない。インフレターゲット政策を中心に財政出動もして需要を創出するのである。          

                                      二〇〇二年十月十四日記


TOPへ