●憲法九条を正当に解釈せよ

 日本は個別的・集団的自衛権とその軍隊と交戦権を保持している


 一、保守勢力も憲法九条を誤解している 

 

 まず憲法九条を掲げよう。

 (1)日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇、又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

 (2)前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 戦後日本の一番の誤りは、保守勢力(自由主義勢力)が左翼の(嘘)イデオロギ−攻撃と大量宣伝に敗北して、九条2項は軍隊の保持と交戦権そのものを否定していると思い込んでしまったことである。だが、この解釈は明白な誤りである。

 たしかにマッカーサー元帥が一九四六年二月三日、GHQに憲法改正草案を作成するように指示した際に示した「マッカーサー原則」には、紛争解決の手段としての戦争のみならず、国家の自衛権としての戦争も放棄する、いかなる陸海空軍も保持しない、いかなる交戦権も否認する、ということが明記されていた。

 保守勢力は、左翼によって、このマッカーサー原則を踏襲して九条の条文はつくられたのだと洗脳されてしまったのである。実際、九条を一読しただけでは、いかなる軍隊の保持もいかなる交戦権も否認しているように思えてしまう。有斐閣の六法全書には、ご丁寧にも「九条〔戦争の放棄、軍備及び交戦権の否認〕」と太字で書かれているから、なおさらだ。しかしこの解釈は完全な誤りである。それを証明していこう。



 二、憲法九条の正当な解釈はこうである

 

 戦争(および武力による威嚇、武力の行使)には三つある。

 (1)ひとつは国際法で違法とされている「国際紛争を解決する手段」としての国権の発動である戦争。

 (2)もうひとつは主権国家の固有の権利である自衛権(個別的・集団的)としての国権の発動である戦争。

 (3)もうひとつは国連の多国籍軍や国連軍の戦争である。

 (2)と(3)は国際法で合法である。(1)は侵略戦争のことである。

 九条第1項は(1)の戦争を放棄しているが(2)(3)の戦争の放棄は言っていない。つまり九条1項は(2)と(3)の戦争は容認しているのである。これが九条第1項の正当な解釈である。

 しかしもし「前項の目的を達するため」がない日本政府案のままでは、第2項で軍隊の保持そのものと交戦権そのものが否認されることになるから、(2)(3)の戦争もほとんどできないことになってしまう。

 だが東西冷戦認識に基づくGHQの方針転換と芦田均氏の修正によって、第2項に「前項の目的を達するため」が挿入されたのである。それが議会で議決されて憲法九条になったのだ。するとどうなるのか。「前項の目的を達するため」とは、「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、侵略戦争を放棄するため」ということになる。(2)の自衛のための戦争は、侵略を許さないということであるから、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求する行為である。(3)の戦争は言わずもがなである。

 とすれば、第2項で「保持しない」とした軍隊と「認めない」とした交戦権は、(1)の侵略戦争のためのものに限定づけられることになるのは明白である。従って(2)と(3)の戦争のための軍隊の保持と交戦権は容認されているのだ。これが九条第2項の唯一の正当な解釈である。冷静に考えれば誰にでも分ることである。

 東西冷戦が開始され、アジアにおいても共産中国が出現し、一九五○年六月には北朝鮮が韓国を武力侵略した。同年七月、マッカーサー元帥は「九条は自衛のための戦力(軍隊)を禁止するものではない」との正当な見解を表明するとともに、日本の再軍備開始を指示したのである。

 日本政府は一九五二年六月、国連へ加盟申請したが、憲章第四条により、加盟国は憲章に掲げる義務を受諾しなければならないのである。だから日本政府もその際、「加盟国としての義務をその有するすべての手段をもって履行する」との誓約書を提出している(『正論』九九年五月号、佐々淳行氏論文参照)。加盟国は四三条により兵力を国連軍に提供する義務を負っているし、四五条により各国待機軍(空軍)を保持する義務を負っている。日本政府は一切留保手続はとってはいない。すなわち日本政府は、日本は軍隊を持ち、国連軍や平和維持軍や多国籍軍に参加する義務を果たすと、国連事務総長に誓約したのである。一九五四年七月、自衛隊=国防軍が創設され、一九五六年一二月、日本の国連加盟が承認されたのである。

 

 三、憲法九条に基づく日本の自衛権はアメリカと同等である

 

 日本政府は一九五一年九月八日、「サンフランシスコ平和条約」に署名した。その第五条(C)には「連合国としては、日本国が主権国として国際連合第五一条に掲げる個別的および集団的自衛の固有の権利を有すること及び日本国が集団的安全保障取極を自発的に締結することができることを承認する」と明記されている。

 日本政府は同日、「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約」(旧条約)に署名したが、その前文にも同じことが謳われている。現行の日米安全保障条約の前文にも、「日本国及びアメリカ合衆国は・・・両国が国際連合憲章に定める個別的および集団的自衛の固有の権利を有していることを確認し」と明記されている。

 日本が主権国家の固有の権利である自衛権(個別的・集団的)を持っているのは明々白々である。国家の自衛権は軍隊を手段として行使されるが、日本は憲法九条第2項で自衛のための軍隊の保持を容認されているから、日本は九条によって個別的・集団的自衛権を完全に行使できるのである。そもそも日本が個別的自衛権の行使しかできなかったら、日米安全保障条約を締結すること自体ができないのである。

 私たちは、憲法九条に基づく日本の自衛権には何の制約もなく、法的にアメリカの自衛権と同等であることを深く認識しなくてはならない。これまで保守派は、左翼(憲法学者のほとんどは左翼だ)の思想闘争と大量宣伝に負け洗脳されてきたのである。

 凶悪犯罪による犠牲者は多くても十人ほどであり、それによって国家が存立の危機に瀕することは決してない。だが国家の指導層が国防や治安維持において、犯す誤りや不作為の罪は、国家を存立の危機に追いやることになる。これに勝る大罪はないのである。

 首相をはじめ内閣と保守の政治家と官僚は、このことを肝に銘じて、政治生命を賭して、侵略者であり違憲存在である左翼勢力と戦い、閣議でこれまでの誤った九条解釈を否定し、正しい九条解釈を確定する決定を行なっていかなくてはならない。そしてそれに基づいて「国家安全保障基本法案」を策定して成立させていかなくてはならないのである。これは憲法九条が要求する義務である。

一九九九年四月三〇日記

 



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