●特措法と「行動基準」を無視して戦え
一、自衛隊の生命を守れないイラク特措法
イラクでは連日、テロリストによる襲撃がなされている。テロリストとは、旧フセイン政権残存勢力のことであり、またアルカイダ等の侵入した外国人のことである。
イラク特措法は、危害射撃ができる場合を正当防衛と緊急避難に限定している。これは、政府が憲法九条を歪曲否定して、自衛隊の海外派兵、海外での武力行使を禁止しているためである。そのために、武器使用基準に警職法七条を準用したのである。防衛庁は、これを柔軟に運用するための「部隊行動基準」を作成した。たとえば、事態が急迫していれば相手が発砲しなくても、銃口を向けて構えた時点で危害射撃ができるとした。
だが、自衛隊の生命や身体を守ることはできないのだ。「部隊行動基準」は、まず(1)制止の呼びかけや口頭による警告を行うと定めている。その上で(2)警告を無視した場合は銃を構えて威嚇する。次に(3)上空などに向けて警告射撃を行う。次に(4)危害射撃を実行する、となっているからだ。しかしテロリストは、通行人や通行車両や駐車車両を装い、いきなり発砲してくるし、テロリストには、(1)(2)(3)は何の効果もないからだ。そんなことをしていれば、自衛隊は殺傷されてしまうのである。テロリストたちは、元軍人や情報機関要員であって、その道のプロである。
戦場では、先に敵を発見した方が圧倒的に有利になる。先制攻撃こそが自らを守り、敵をせん滅する。テロリストは軍服など着ていない。自衛隊は必ず先に発見されている。その上に先の「行動基準」なのだから、自衛隊は自らの生命、身体を守ることは困難である。
日本国内で、強盗を相手にする警察官であれば、先の「基準」は有効である。だが「イラク事態」は軍隊(テロリスト)が相手だ。自衛隊の武器使用基準に、国内法の警職法七条を適用するのは根本的に誤っている。憲法九条二項の歪曲解釈を直ちに是正して、自衛隊を国防軍と認め、海外での武力行使を認めれば、任務遂行に必要な正しきROE(交戦規定)が作成できる。もし、法律の改正が間に合わない場合は、現地の自衛隊の指揮官や自衛官は、迷うことなく、「部隊行動基準」を無視して対処すべきである。その責任は、憲法九条違反の悪法を改正しない政府と政治家が負うべきである。
二、特措法と部隊行動基準を無視して戦え
イラク特措法では、自衛隊のある部隊が対応措置活動で出動していてテロリストに襲撃された場合でも、宿営地に残っている他の部隊は、救援無線を受けても、出動して武器を使用して仲間を救出することができない。なぜなら、襲撃された部隊は別の場所にいるのであって、武器を使用して防衛してよい同じ現場ではないからだ(十七条一項)。仲間を見捨てなくてはならないわけである。とんでもない悪法だ。
また、テロリストが自衛隊の宿営地に駐車してある車両を破壊したり、武器庫を破壊・略奪した場合も、自衛隊は危害射撃ができないばかりか、警告射撃すらできない。武器を使用できないのだ。なぜなら、武器使用基準は「生命または身体を防衛するためやむを得ないと認める相当の理由がある場合」(十七条一項)であるからだ。極めて不十分な内容ではあるが、自衛隊法九十五条には「武器等の防護のための武器の使用」が謳われているが、特措法にはそれすらない。悪法もいいところだ。もし反撃しなければ、敵に完全になめられてしまい、犠牲者を増やすことになる。
もし、今述べた二つの事態が発生した場合には、指揮官は迷うことなく、直ちに駆けつけて武器を使用して仲間の部隊を救出しなくてはならない。また、車両や武器庫等を襲撃するテロリストを、武器を使用して撃退しなくてはならない。このような悪法など無視すればよい。特措法も、二つの事態での武器使用を禁じているのではない。米英法では、禁止されていないことは、行っても違法ではない。条文による授権がなければ、行えないというのではないのである。悪いのは、本来の憲法九条二項を歪曲し否定して、自衛隊を軍隊と認めず、自衛隊の海外での武力行使を認めず、特措法という悪法を策定した政府、政治家である。責任は彼らが負うべきである。
特措法は、「自己とともに現場に所在するイラク復興職員もしくはその職務を行うに伴い自己の管理下に入った者」の生命、身体を守るために武器を使用できるとしている。この明確でない後段に関して、防衛庁は、「宿営地や現場を訪れた邦人や外国人が射撃された場合」には、武器使用ができる、との行動基準を作った。だが、これではその人の生命、身体を守ることはできない。テロリストが発砲する前に、爆弾を投げる前に、撃って敵を倒さなくてはならないのだ。この事態でも、指揮官や自衛官は行動基準を無視して対処すべきである。
そもそも、正当防衛や緊急避難というのは、自己やその場にいる他者の生命や身体を守るためのものだ。守れないような行動基準は失格なのである。無視すればよい。
さらに特措法に従えば、テロリストが自衛隊を襲撃したものの、反撃にあって撤退を始めたとき、自衛隊は撃つのを止めなくてはならない。追撃すれば敵に大きな打撃を与えられるが、それができない。なぜなら、「自己やその場にいる他者の生命、身体を防衛するためやむを得ない必要があると認める相当の理由がある場合」ではない、とされるからだ。テロリストは、追撃はないと安心して、再び態勢を整えて襲撃してくるであろう。犠牲者が増えることになる。だから指揮官は、今の条文を柔軟に解釈して、追撃すればよい。部隊の安全を守るために必要不可欠な戦いであるからだ。
三、襲撃されても決して撤退してはならない
首相また政治家は、「自衛隊の安全にも十分配慮して、派遣時期を決めていきたい」と何度も言ってきた。しかし、自衛隊(軍隊)とは、国家(国益)のために生命をも投げ出して奉仕する組織であるから、危険だから派遣(兵)を先延ばしにするというのは、自衛隊の存在意義の否定である。既に三十八ヶ国の軍隊がイラク内で任務を遂行している。日本も早急に派兵しなくてはならない。
だが、危険な場所へ出て行く以上、政治は、立派な法律的な枠組を、軍事と協力して作り上げて、この任務の意義を国民にしっかり説明・説得しなくてはならない。そして軍事は、自衛隊が防御と攻撃を十全にできるように、携帯武器、装備、部隊規模を整え、正しきROEを作成しなくてはならない。政治はこれに口を出してはならない。しかし、さんたんたる有様である。政治が悪い。安全安全と言いながら、自衛隊の安全を否定するような法律を作っているのだ。何よりも、自衛隊の名誉を汚す法律である。自衛隊の名誉は国の名誉だ。政治と軍事が左翼マスコミに規制されてしまっている。
政治・外交・軍事の土台は思想である。日本の政治・軍事・外交の在り様を厳しく批判して正していくべき保守言論の、余りもの弱さがある。現状は、保守思想・保守勢力の弱さの現れだ。現状に批判の声を上げない国民の問題でもある。国民はもっと学び、政治参加しなくてはならない。起ち上っていこう。
左翼思想は蔓延している。「憲法九条改正」も左翼の謀略である。なぜなら、既に九条は憲法制定議会の中で芦田修正によって「改正」済みだからだ。日本は軍事的に法的に米国と対等である。内閣がそれを認めれば済むことだ。
防衛庁は「今あるのはテロであり、戦闘行為ではないから、イラク全土が非戦闘地域だ」と言う。この際、それでよい。自衛隊は、何度も襲撃され犠牲者を多く出しても決して撤退してはならない。最後まで任務を遂行するのだ。
二00三年十二月七日記