● ソ連=新生ロシアの大謀略

 

 一、ゴルバチョフが創ったソ連偽装解体のシナリオ

 

 自由主義諸国の安全保障問題の専門家、政治家、官僚は口をそろえて、「ソ連は崩壊し、消滅した。冷戦は終わった。脅威は消え去った」と言い続けてきた。だから各国民もみんなそのように信じ込んでいる。果たして本当にそうなのか。もしもこれが、全ユーラシアの制覇、さらに世界制覇を狙うソ連=新生ロシアの超高等な騙しの戦法だとしたら、慢心し油断しきって軍備を大削減している西側自由主義諸国の存立そのものが、決定的に脅かされていることになる。わが日本も二一世紀に、ソ連=新生ロシアに侵略支配されることになってしまうのだ。

 結論をまず述べよう。一九九一年のソ連から新生ロシアへの転換は、西側自由主義諸国を騙すための芝居である。それは、ゴルバチョフやエリツィンらソ連共産党トップエリートグループが、綿密に練り上げたシナリオに基づいて演技していったものである。

 ソ連共産党のエリートたちが、三つのグループ、すなわちソ連共産党・ソ連の「改革派=再活性派」(ゴルバチョフ派)、ソ連共産党・ソ連の「保守派」(八人組)、そして反ソ連共産党・反ソ連で、市場経済の民主ロシアの復活と独立国家共同体(CIS)の創設をめざす「民主派」(エリツィン派)の三つのグループの役割分担を決めて、巧みに三者の戦いとエリツィン派の勝利(八月革命)を演技していったのである。監督兼演出家はソ連共産党トップのゴルバチョフである。

 この大謀略のシナリオは、ゴルバチョフがソ連共産党書記長に就任する一九八五年から発動されてきた。たとえば一九八七年八月、党中央委員会総会でのエリツィンの、「政治面でのペレストロイカの進展が遅い」等々のゴルバチョフ批判や、「保守派」のリガチョフ政治局員への個人攻撃も、芝居のひとつである。同年十一月エリツィンがモスクワ市党委員会第一書記を解任され政治局員候補を外されたことも演技である。八九年十月の背後から来た車にひかれそうになったエリツィン暗殺未遂事件も芝居だ。一九九○年二月のゴルバチョフによる共産党独裁の放棄と複数政党制導入も、同年六月のロシア共和国最高会議(議長エリツィン)の主権宣言も芝居である。もちろん同年七月のソ連共産党第二八回大会におけるエリツィンの離党宣言も芝居なのである。

 ソ連から新生ロシアへの転換は、シナリオに基づいた国家の偽装倒壊・転換なのだ。ソ連は新生ロシアに偽装したのである。現在もゴルバチョフをトップとするロシアのエリートは、秘密裡に西側騙しのシナリオを創り続け演技を続けているのである。これは兵器を使わない戦争である。

 兵器を使う「熱戦」だけが戦争ではない。敵を騙して勝利する謀略戦争というものがある。「冷戦」である。兵器を使わず謀略によって敵を撃ち負かすことが、最高の兵法であることは自明である。『孫子』の兵法だ。ソ連=新生ロシアは、この「冷戦」を主要な戦術として、全ヨーロッパ、日本など東アジア、中東の全ユーラシアの制覇そして世界制覇という戦略目標の実現を目指してきたし、今もこの目標のために冷戦を戦いつづけ、後述する如く勝利してきているのである。

 

 ニ、「ソ連・八月革命」が芝居である証拠

 

ソ連から新生ロシアへの移行が、演技であることを立証していくことにする。

 まず、一般に言われている一九九一年のソ連の八月革命とは、以下の如くである。八月十九日、ソ連の保守派は、ソ連の改革派であるゴルバチョフソ連大統領打倒の軍事クーデターに決起する。クーデターの首謀者はいわゆる「八人組」であり、クリュチコフKGB議長、ヤゾフソ連国防相、プーゴソ連内務相、パブロフソ連首相、ヤナーエフソ連副大統領、ルチャノフソ連最高会議議長、バクラノフソ連農民同盟総裁、チジャコフソ連企業・建設・運輸・通信協会会長である。ゴルバチョフは監禁される。

 ところが、民主派の旗手である反共産党・反ソ連のエリツィンロシア共和国大統領が、「クーデターはロシア共和国内においては非合法である。ク−デタ−に関与した者はロシアの法で裁く」との大統領令を発令し、クーデター軍の戦車の上に登り、市民に抗議のためのゼネストを訴えた。約三万人のモスクワ市民がエリツィンの周りに結集した。国際世論も非難した。これらによってク−デタ−は腰砕けとなり、内部分裂して八月二一日、クーデター軍は降伏し、八人組はロシア国家反逆罪で逮捕されたのである。八月二三日、エリツィンはソ連共産党の活動を停止させる大統領令を布告した。

 ゴルバチョフソ連大統領は、エリツィンに強要されて八月二四日、ソ連共産党中央委員会の解散を命じるとともに、自らもソ連共産党書記長の職を辞したのである。八人組は全てソ連共産党の中央委員会メンバーであったからだ。これによってソ連共産党は解体したのであった。

 同年十二月九日、ロシア共和国、ウクライナ共和国、ベラルーシ共和国の三首脳が「独立国家共同体創設協定(CIS)」に調印し、ソ連の消滅を宣言する。同月二十日に他の八共和国もCISに加盟する。十二月二五日、ゴルバチョフがソ連大統領職を辞職する。クレムリンのソ連国旗が降されて、ロシア共和国の国旗が翻ったのである。ソ連の消滅、新生ロシア・CISの誕生である。以上が、反共産党・反ソ連の民主派による八月革命だ、とされているものである。だがこれは嘘である。芝居である。その証拠を次に書いていこう。

 (1)自国民を四○○○万〜七○○○万も殺したような全体主義国家で、三つの政治勢力が国家の体制をめぐって相戦い、その結果、ひとつの国家体制から別の国家体制に変わったというのが本当であれば、大量の流血は必至のはずである。だが三名の死者があっただけだった。そればかりか一九八九年の「東欧革命」であったような大脱走的な大量移民も大規模な連続した反政府デモもなかったのだ。しかも実質わずか六日間という超スピードで国家体制の転換がなされたことになっている。およそ有りえないことだ。

 (2)国家反逆罪で逮捕された「八人組」はどうなったであろうか。「自殺」したといわれるプーゴ内務相は別にして、あとの者は全員、九四年二月に恩赦で出「獄」して、モスクワの中心部で活躍しているのである。

 (3)東欧諸国でなされたような、ソ連共産党、KGBの七四年にわたる犯罪に対する追及と訴追はあったのか。否である。新生ロシアが本当に反共産主義の民主国家であるならば、当然にも、ソ連時代に殺害、迫害された何千万人もの人々とその遺族が、ソ連共産党、KGBの罪を暴き糾弾する怒りの声を上げることになる。告訴、告発の声を上げた民衆は一人でもいただろうか。否だ。新生ロシアは自由主義国家、民主主義国家ではなく、ソ連時代と全く同様に、自由な言論も自由な報道も微塵も存在しない全体主義国家なのだ。

 エリツィン派は、反共産主義・反ソ連を掲げて国家権力を握った。反共が国是である以上は、たとえ全体主義であっても、民衆が共産党やKGBの犯罪を糾弾することは問題がないばかりか奨励されるべきことだ。それなのに、右のとうりである。これは何を意味しているかといえば、答えは一つしかなく、ソ連と「新生ロシア」の支配者(独裁者)は全く同一である、ということである。ソ連共産党のエリートが新生ロシアの支配者になっているのである。

 だから、エリツィンがかなり前からソ連共産党の「保守派」を批判し、共産党の「改革派」のゴルバチョフを批判し、そしてモスクワ市党委員会第一書記を解任され、ついにはソ連共産党を脱党し、一九九一年六月のロシア共和国大統領選挙では、反共産主義・反ソ連の立場で戦い圧勝したことなどは、全てシナリオに基づいた芝居であるということなのである。

 ソ連(ロシア)とは一言でいえば全てが嘘、嘘、嘘の国家である。国民は長年の体験でそのことを身をもって知っているからこそ、今回のソ連から新生ロシアへの転換に対しても、本能的に嘘、騙しを感じているから、独裁者の怒りを恐れて口をつぐんでいるのである。国家テロルによる恐怖支配があるのだ。新生ロシアに自由があるかのように見えるのも、全て演技である。次に(1)の点を補足して述べたい。

 

 三、ソ連とは共産党が所有する国家である

 

 ソ連という国家は、西側先進自由主義国とは全く異なる国家である。ソ連共産党が国家という衣をまとったのがソ連である。つまりソ連は共産党の所有物である。共産党以外の政治組織は存在しない。ソ連国防省とソ連軍とは、ソ連共産党の国防省のことでありソ連共産党の軍隊のことである。ソ連内務省と治安部隊も共産党の内務省であり治安部隊だ。内閣も外務省もしかり。他の国家機関もその大臣職も全てソ連共産党の所有物である。一切の権力をソ連共産党が握っているのだ。共産党以外の国民は完全に無力である。ソ連には、ソ連共産党=国家権力を制限し国民の権利を保障する法の支配など存在しない。ソ連共産党中央委員会の決定が〃法〃である。法治ではなく、前近代の人治である。

 ソ連共産党は、中国共産党と違って党内支配は安定しており、ブレジネフ、アンドロポフ、チェルネンコ、ゴルバチョフと歴代書記長は前任者が病死することによって交代してきた。だから「保守派」のゴルバチョフ打倒の軍事クーデターはそもそもおかしい、となる。

 一般論で言えば、クーデターは成功する可能性があるときに決行されるものである。成功するような陣容を整えて行なうものだ。今仮に、西側世界で信じられているように、保守派の軍事クーデターが本物であったとして、その後の事態の推移と矛盾がないかどうかを検証してみよう。

 八人組は全員がソ連共産党中央委員会のメンバーであり、KGB、軍、治安部隊という暴力装置の責任者も入っている。いわば最強の軍事クーデター部隊である。現にソ連共産党書記長のゴルバチョフの監禁に成功したのだ(芝居であるが)。ということは、彼らがソ連共産党の新しい指導者になったということである。八人組が指導するソ連共産党の力は、共産党の所有物であるソ連がアメリカより巨大な軍事力を持つ国家であることから推して知るべしである。

 ところがこの軍事クーデターは、エリツィンロシア共和国大統領と三万人の市民と国際世論の前に、あっけなく解体して八人組は逮捕されてしまったというのである。エリツィンはソ連共産党を脱党している人物である。その無権力のエリツィンを、これまた全く無力の国民がロシア共和国大統領に選出しても、エリツィン大統領には何の権限も生じないのだ。事実、主権宣言したロシア共和国には軍隊や治安部隊はなかった。三万人のモスクワ市民も素手であった。八人組にとっては、エリツィンら「民主派」の決起を蹴散すことは朝飯前のことなのである。ところがそれが降伏したというのである。全くの矛盾だ。だから、これは西側を騙すための芝居、演技なのである。

 ゴルバチョフを監禁できたクーデター部隊を降伏させたとなれば、エリツィンにとってはゴルバチョフを支配することも容易である。というわけで、ゴルバチョフが創った騙しのシナリオは、エリツィンロシア共和国大統領が、ゴルバチョフソ連大統領を強要してソ連共産党中央委員会を解散させ、ゴルバチョフ書記長を辞任させ、ソ連共産党を解体させるものであった。その通りに芝居は進行したのである。この間わずか二日間であった。

 「保守派」の軍事クーデターに対抗してエリツィンの下に結集したモスクワ市民は三万人であったが、モスクワ市の人口は一千万である。残りの九九七万はどうしていたのか。日常生活を送っていたのだ。パンや野菜を買うために行列をしていたのである。つまり三万人が「劇場」である最高議会前広場に動員されて、演技させられたのである。この三万人はソ連共産党員のエリ−トであったはずだ。西側諸国は、それをテレビで観て、ロシア全土で同じような「民主派」の抗議デモが起こっているかのごとく錯覚してしまったのである。騙されたのだ。

 だが、もし仮に一千万のモスクワ市民がソ連共産党の独裁支配に抗議して起ち上がったとしても、共産党支配はビクともしないのである。共産党は全ての権力を握っており、国民は全くの無力であるからだ。だからソ連国民は、弾圧されることが目に見えているので決して反共産党の行動などしないのである。これがソ連共産党が支配しているソ連という特殊な国家の真の姿である。つまり「八月革命」など起こりえないのだ。起こりえないものが起こったのは、西側を騙すための芝居であるからである。

 

 四、西側諸国が「八月革命」を信じ込んでしまった理由

 

 西側自由主義諸国は見事に騙されてしまった。その理由は次のとうりである。

 (1)自由主義諸国においては、国家の偽装倒壊(芝居)などやろうとしても不可能である。このことから、西側諸国はどの国家においても、だからソ連でも、国家の偽装倒壊など有りえないと本能的に思い込んでしまっていた。いや、そもそも「国家の偽装倒壊」という観念自体が無かったのであった。だから疑うことができなかった。

 (2)もちろんゴルバチョフ書記長をトップとするソ連共産党のエリートは、西側を騙すために念入りに準備(芝居)をしてきたのである。すなわち八六年から「ソ連の民主化」を演技してきたのである。ペレストロイカだ。

 一九八八年十二月、ソ連憲法を改正してそれまでの最高会議に代わる「ソ連人民代議員大会」を創設し、八九年三月に初の複数候補制によるソ連人民代議員選挙を実施した。九○年三月には、「ソ連共産党の指導」(つまり一党独裁)の放棄と複数政党制の導入、また大統領制を導入する憲法改正を行なった。そしてゴルバチョフがソ連大統領に就任する。ソ連大統領をソ連軍の最高司令官にした。ロシア共和国においては九○年六月に主権宣言を行ない、九一年六月に、複数政党制の下でロシア大統領選挙を実施し、反共産主義・反ソ連を掲げるエリツィンが圧勝する、という具合にである。

 このようなこともシナリオを創って演技していくことができるのだから、ソ連(ロシア)とは心底恐ろしい国家である。共産党が全ての権力を握り、むろん法の支配などなく、秘密警察(KGB)が全国民をくまなく監視して、好ましくない人物は家族ぐるみ情け容赦ない弾圧を加えるという国家テロルによる恐怖体制を敷いているからこそ、可能になるのである。

 ゴルバチョフは、一連の「民主的改革」と「民主的選挙」という演技によって、西側諸国に「ソ連も変わり、西側のような民主的な政治制度に近づきつつあるのだ」という偽イメージを植えつけていったのである。

 そして西側諸国は、「ソ連の最大の共和国であるロシア共和国が主権宣言し、他の共和国も主権宣言し、反共産主義・反ソ連を掲げたエリツィンが、国民の圧倒的多数の支持を得てロシアの大統領になったのだから、連邦政府(ゴルバチョフ大統領)の権限はほとんど無くなった。ロシア共和国の最高権力者であるエリツィン大統領の方が連邦政府よりもはるかに強力になったのだ」とのソ連が流す嘘を信じ込むようになっていったのである。こうして西側は「八月革命」を信じてしまったのである。

 (3)もうひとつ忘れてはならない重要なことがある。一九八九年の東欧諸国における共産主義体制を「崩壊させた」民衆革命の影響である。すなわち、東欧の共産党政府は、表面的には、圧倒的な民衆の決起の前になすところなく敗北していった(だがここにも後述のごとくゴルバチョフの謀略があったのだ)。これによって西側は「民衆の力の巨大さ」という幻想を植えつけられたのである。だからエリツィンがロシア共和国大統領になった頃から、西側諸国の間には「ソ連でも東欧革命と同じことが起こるのではないか」という期待が広がっていったのである。従って実際に「八月革命」が「起こった」とき、西側諸国は疑うことなくすっと信じ込んでしまうことになったのである。

 

 五、一九八九年の東欧民衆「革命」の真実

 

 自由主義諸国の常識は、「東欧解放」を、東欧各国民衆の共産主義体制打倒の革命が成功したためだと理解している。民衆の力の成果だとの理解である。たしかに各国民衆は、自由を掲げて共産主義体制の転覆をめざして主体的に行動していった。ソ連の「八月革命」のような芝居ではなく、正真正銘の民衆の決起であった。だが、民衆が決起さえすれば共産体制が崩壊するのであれば、東欧ではとっくの昔に共産主義国家は倒されているはずである。

 つまりこの民衆革命、東欧の解放も、ゴルバチョフらソ連共産党のエリートがシナリオを創り演出していったものなのである。すなわちゴルバチョフが東欧の共産党政府に、「時代が変わった」と民衆が感じる措置をとらせ、また「断じて民衆の行動を弾圧してはならぬ!」と秘密命令を出したからこそ、はじめて民衆の決起となり、勝利になっていったのである。もしもゴルバチョフが各国政府に弾圧を許可していれば、民衆決起はたちどころに圧倒的武力によって一蹴されてしまっていたのである。

 この問題については、既に中川八洋教授が一九九○年十二月刊の著書『大侵略‐二○一○年、ソ連はユーラシア大陸を制覇する』(文藝春秋/ネスコ刊)第三章で詳しく立証し尽くしているところである。一部引用してみたい。

 「共産体制とは、すべての反乱および政府転覆を不可能にする体制である。この手段として、公然の軍事力と非公然の秘密警察の二重の恐怖・弾圧機構が存在する。国家テロルの恐怖体制である。(中略)

 たとえば、東ドイツの消滅で明らかになったように、十万人のスタッフをもつその秘密警察(シュタージ)が対象にした国民の個人リストは約六百万人分にのぼるという。人口一千七百万人であるから成人男子はほぼ全員が「予備犯罪者」として秘密警察の監視の下におかれていたのである。このようなシステムの下では、民衆の蜂起のみでは政府は転覆しない。

 一九八九年の東欧解放とは、この公然または非公然の国家テロルの発動中止の命令がない限り決して起こりえないものであった。東欧諸国の軍隊も秘密警察も、実際上はそれぞれの国家の政府には属しておらず、いずれもソ連軍とソ連KGB第一総局の指揮下にある。東欧諸国の民衆蜂起に対して、各国の軍も秘密警察も弾圧的な行動の匂いすらも発しなかった。このことは、これらの機関の最高司令官である、ソ連共産党書記長のゴルバチョフがそう命令したからだ、と考えるのが真実だろう。(中略)

 ポーランドの連帯非合法化をポーランド共産党みずからが突然取り消したのが(八九年一月十八日)、ポーランド『民主化』の始まりであり、東欧解放の始まりであった。この連帯非合法化の取り消しの経過は、闇につつまれているし、これはポーランド共産党の背後に、見えざる大きな力が働かない限りありえない措置であった」(一○四頁以下)。

 東欧諸国はソ連の植民地である。「連帯」の非合法化の取り消しに続いた、「連帯」が圧勝したポーランドの八九年六月の複数政党制による総選挙の実施も、支配者たるソ連共産党のそのような命令のひとつであったはずだ。ゴルバチョフは東ドイツのクレンツ共産党書記長に「ベルリンの壁を早く開け!」と命じたし、チェコスロバキアのヤケシュ共産党書記長には辞任を迫る書簡を送付している。またルーマニアのチャウシェスクを倒したルーマニア国軍の背後にはソ連の支援があったのであった(前出『大侵略』一○五頁以下参照)。

 以上が「東欧の民衆革命」「東欧解放」の真実である。たしかにゴルバチョフ書記長は八九年十月、「ブレジネフ・ドクトリンを放棄する」と宣言して、ソ連軍が東欧の民衆革命に介入しないことを公にした。「侵略主義を放棄したニューソ連」(虚像)の演出である。だが、ゴルバチョフのソ連共産党が陰で今ここに書いたことまでやるとは考えもしない西側諸国は、「民衆の力は偉大であり、共産主義体制すら倒しうるのだ」と盲信していくことになったのである。ゴルバチョフの騙しのシナリオは、これを布石として、その上に九一年のソ連の「八月革命」を設定していくものであった。

 言うまでもなく、ソ連共産党は永遠に東欧を解放したのではない。二〜三○年後に反攻して、東欧ばかりでなく全ヨーロッパを侵略・植民地支配するために、一時的に東欧を「解放」したにすぎない。ソ連の一時的な退却が「東欧解放」である。退却は敗北ではない。

 

 六、ソ連共産党が大謀略を開始した理由

 

 なぜゴルバチョフらソ連共産党は、「東欧解放」等を行なって「侵略主義を放棄したニューソ連」をアピールし、さらにその「ニューソ連」を「新生ロシア」に転換するという、世紀の大謀略戦争を発動することになったのか。これについて、次に述べていこう。

 (1)一九八一年一月レーガン大統領が就任し、「強いアメリカ」を掲げ、ソ連に対して「攻勢的封じ込め政策」を採ることになった。

 (2)大統領はソ連の大規模な化学兵器生産に対抗して八二年、凍結していた化学兵器の生産再開を命じた。八七年生産となった。

 (3)大統領は八三年三月、ソ連を「悪の帝国」と断じ、ソ連の核軍拡に対抗するために、核軍拡競争を断固遂行することを宣言した。

 (4)大統領は八三年三月、SDI(戦略防衛構想、宇宙防御兵器)研究開始を決定し、八四年度(八三年十月)から開始していった。SDIの主体はレーザー兵器である。

 (5)大統領は八三年十月、カリブ海の国グレナダの共産政権がソ連のための空軍基地を完成させようとしていたところに、米軍の海兵隊と空挺部隊を投入して、グレナダ共産政権を打倒した。

 (6)大統領は八三年末から、西ヨーロッパに地上発射の中距離核弾道ミサイル・パーシングUと地上発射の中距離巡航ミサイル・核トマホーク(GLCM)の配備を開始した。配備完了時期は八八年である。

 ソ連軍は、レーガン大統領(米軍最高司令官)の(3)〜(6)の八三年の一連の発言と政策への対処として、一九八四年、有事の臨戦態勢に入ったのである。すなわち「ソ連軍は、一九八四年、『NATO(北大西洋条約機構)の対ソ侵攻』などという、われわれから見ればありもしないことに恐怖してパニックに陥った。(中略)しかも、このレーガン大統領が一九八四年に再選されたために、ソ連としては、レーガン大統領がその最後の任期となる一九八五年から八八年にかけて、ソ連帝国の解体(ソ連・東欧の人民の解放)に向けて西側を総動員して攻めてくると考えたようだ」(中川八洋教授『蘇えるロシア帝国』一一八頁以下。学習研究社九二年六月刊)。

 なぜソ連軍五○○万は臨戦態勢に入ったのか。それはソ連共産党が「米国は(6)によって欧州に限定した戦域核戦争遂行能力を獲得した。もしも西側が戦域核戦争を仕掛ければソ連の敗北は必至となる」と考え、心底から恐怖したからである。それを次に説明しよう。

 ソ連の中距離核ミサイルは米国には届かないが、西ヨーロッパに配備される米国の中距離核ミサイルはソ連の中枢部(ソ連の欧州部)に到達する。このような「地理の非対称」が米国とソ連の間にはあるのである。だから、もしも米国をリ−ダ−とする西側が欧州で戦域核戦争を起こせば、核戦力も通常戦力も圧倒的に優位のソ連が西ヨーロッパを制圧することにはなるが、ソ連の政治・軍事中枢は米国の中距離核ミサイルで壊滅してしまっている。つまりこの戦域核戦争後のソ連は、もはや核超大国ではなくなってしまっているのである。一方、米国本土は無傷で残っているのである。だから、アメリカが全面核戦争(=戦略核を使用する)の恫喝をすれば、ソ連にはもはや屈服するしか道はないのである。これらは、中川八洋教授が主張していることである(『蘇えるロシア帝国』一二三頁以下、『大侵略』六八頁以下参照)。

 なお、八三、八四年当時、アンドロポフソ連共産党書記長は、「戦域核戦争は、必ず全面核戦争にエスカレートするぞ」と何度も宣言していたが、これははったりでしかない。全面核戦争にエスカレートさせるということは、米ソ共倒れになるということであり、ソ連の消滅である。しかしソ連の目標は世界制覇であるから、自らが滅んでしまう戦争は絶対にできないのである。だからもしも西側が、欧州で戦域核戦争を仕掛けたとすれば、ソ連は、全面核戦争にエスカレートさせずに、欧州のみに限定する戦域核戦争を戦うしかない。そして前述の如く、ソ連には敗北しかなくなるのである(『蘇えるロシア帝国』一二九頁参照)。

 レーガン大統領の「ソ連=悪の帝国」発言と、グレナダ共産政権つぶしの軍事行動、そして八三年からのINF(中距離核戦力)の西ヨーロッパ配備開始によって、ソ連共産党のエリートは、レーガンは本気でソ連をつぶすために西側を総動員して戦域核戦争を仕掛けてくるかもしれないと考えて、恐怖に陥り、臨戦態勢をとったのである。

 もちろんレーガン政権は、戦域核戦争を自ら仕掛けるつもりでINFを配備していったのではない。このINF配備は、ソ連のINFにバランスさせるためにしたにすぎなかった。だが、世界征服のためならば「味方」さえも犠牲(東欧解放の演出で東欧の共産党を犠牲にした)にするメンタリティーのソ連共産党は、自らの姿によって相手を判断することによって、米国もそうだろうと考えた。だから恐怖のためにパニックに陥っていったのである。

 西欧配備の米国のINFとは、ソ連が西欧へ侵略を仕掛けたとすれば、米国と西欧(NATO)は欧州戦域核戦争で対抗できるようになるということを意味する。戦域核戦争になれば、戦争後のソ連の敗北は決定してしまうから、ソ連は西欧を侵略することはできなくなってしまうのである。すなわち米国のINFの西欧配備開始とは、ソ連を完全に封じ込めるものになったのである(『大侵略』六九頁参照)。

 さらにSDIの研究開始決定が、ソ連共産党を恐怖のパニックに陥し入れた。SDIが開発配備されれば、ソ連が長年苦労して開発・生産・配備してきたICBM、SLBM(潜水艦発射弾道核ミサイル)が宇宙で破壊されてしまうことになり、無効になってしまう。そうなればソ連は、「ICBM、SLBMを米国へ撃ち込むぞ!」という脅しが使えなくなるから、米国の核抑止がストレートに機能することになり、全ヨーロッパ、東アジア、中東を侵略・植民地支配するという(→さらに世界支配へ)ソ連の念願は不可能になってしまう。ソ連は完全に封じ込められてしまうのである。そればかりか、米国がソ連帝国解体のために戦略核戦争の恫喝を加えれば、ソ連は屈服、降伏を余儀なくされることになってしまうのだ。

 つまりソ連共産党=ソ連は、米国レーガン政権によって徹底的に追い詰められたのである(だが、米国には軍事理論的にその自覚が全くない!)。再び繰り返そう。このまま事態が進展していけば、客観的に、ソ連は完全に封じ込められて対外侵略ができなくなってしまうだけでなく、将来、透徹した指導者が米国に現れたら、米国の戦略核戦争の恫喝によって、ソ連は敗北、解体することにさえなってしまうのである。

 この心底からの危機感と恐怖感が、ゴルバチョフらが、世紀の大謀略シナリオを創り、発動していかざるをえなかった理由である。

 

 七、ソ連=新生ロシアの大謀略によって大軍縮させられている西側諸国

 

 ゴルバチョフのソ連共産党は、米国のINF配備とSDI研究開始決定によって、ソ連存立の危機となった戦略環境を打開するだけでなく、米国ら西側諸国を安心させ無警戒にして大軍縮させてしまい、自らが軍事的に圧倒的優位になれる、そのような大謀略を実行していくことにしたのである。そうすれば、念願の全ユーラシアを征服できるようになるのだ。

 

 INF廃絶条約締結=ソ連の勝利

 とはいっても、すぐに「東欧解放」「ソ連から新生ロシアへの革命」を演出するわけにはいかない。西側をうまく騙すにはそれなりのプロセスを踏む必要があるからだ。ゴルバチョフはまず、ソ連得意の「(偽の)軍縮=平和」攻撃をかけていった。「新思考外交」だ。それによって、「ソ連はゴルバチョフの下で平和愛好のニューソ連に変わったのだ」というイメージ(虚像)を西側に植えつけていったのである。

 軍事バランスの優位は、軍縮の方法によっても達成できる。つまり自らの軍縮よりも、質的なものも含めて敵国により多く軍縮させてしまえばよいのである。また軍縮条約を締結して、それで敵国を縛り、自らは密かに破っていけばよい。ゴルバチョフの軍縮提案とは全てこうした騙しである。「外交交渉とは平時の戦争だ」と認識しているソ連共産党と、その自覚が希薄な米国政府では、勝負は見えている。

 八六年一月、ゴルバチョフは「核兵器三段階廃絶」提案を米国に対して行なった。第一段階は、米ソの戦略核半減と欧州の米ソの長射程INF(1000km以上)の全廃だが、SDIの開発・実験・配備の中止を条件とする。第二段階は英、仏、中国がこれに参加してまず核を凍結する。第一段の終了後に、米ソ英仏中が戦術核(500km以下)を廃絶する。第三段階は残りの全ての核兵器を廃絶する。一九九九年までに達成する。その時点で再び核兵器が出現できないような協定を締結する、というものである(中川八洋教授『核軍縮と平和』八頁以下参照。中央公論社八六年六月刊)。

 ゴルバチョフは八六年十月のレイキャビックの米ソ首脳会議でも同様の主張をし、また十月にアフガニスタンからソ連軍の一部兵力を撤兵させる演出も行ない、「新思考外交」の「ニューソ連」をアピールしていった。八七年二月からのINF交渉ではゴルバチョフはSDIはそれにからめないと宣言し、四月には欧州のINFダブルゼロ(長射程も短射程も全廃)を提案し、七月にはアジア太平洋地域のINFも全廃することを提案していった。

 自らのINFが侵略国ソ連を完全に封じ込める軍備であることを全く認識していなかったレーガン大統領は、ゴルバチョフの一連の「軍縮=平和」攻撃と、ソ連の方が二倍の量のINFを廃棄するという事実に眩惑されて、八七年十二月にあっさりと米ソINF廃絶条約に調印してしまったのである。質的に比較にならない程深刻に大軍縮させられたのは米国・西側の方であることを、レーガン大統領は認識できなかったのだ。ソ連は封じ込めから自らを解放したのである。

 米ソのINFは九一年五月までに全廃された。同条約の検証期間は二○○一年五月までである。それ以降は、全体主義国家である新生ロシアでは、密かにINF生産を再開していくことが可能である。だが一方の自由主義国家である米国では、二○○一年頃には財政面からいってパーシングUの生産設備も技術者も消えてしまっている。また条約に違反して密かにINFの再生産を開始していくことは不可能である。自由な報道と世論があるからだ。ソ連=新生ロシアは息の長い戦略を立てるのである。

 「ソ連=新生ロシア」のエリートは、条約・協定を戦争手段ととらえており順守する意思などない。彼らにとって条約や協定とは、敵国には順守させ、自らは密かにあるいは機が来れば公然と破って、自国の軍事的優位を確立するために締結するものなのである。ソ連はかつて、締結した日ソ中立条約を破って日本に軍事侵略した。

 米国は、INF交渉(軍縮交渉)という平時の戦争(冷戦)において完全にソ連に敗北したのである。

 

 東欧解放、ソ連民主化で西側の意識を変える

 ゴルバチョフは八八年五月からアフガニスタンからの本格的撤兵を開始し、「侵略主義の放棄」「新しいソ連」を西側に宣伝していった。ソ連=新生ロシアは、アフガニスタン・中東征服を二、三○年後にズラしただけなのである。その間に戦略的優位を確立するのである。

 ゴルバチョフは、右の「平和」攻勢の上に、既述した「東欧解放」の演出を開始していったのである。まずゴルバチョフは八八年十二月、欧州から兵員二四万人と戦車一万輌を削減すると発表した。八九年五月には欧州通常兵力削減交渉の場で、戦車四万輌の大削減を申し出たのであった。

 東欧解放とは、東欧四ヶ国に駐留する巨大な兵力のソ連軍が撤退することであり、ワルシャワ条約機構軍(WTO)の解体である。ソ連帝国の国境が約九百km後退することである。(騙しの)欧州通常兵力削減(CFE)条約は九○年十一月に調印された(発効は九二年七月。後で再びふれる)。東欧が解放されることは、西欧侵略のためのソ連の前進地帯・兵力動員地帯の消滅であるから、西側諸国が「ソ連は侵略主義を放棄したのだ」と錯覚したとしても不思議ではない。

 ゴルバチョフは八九年に「東欧解放」を実現すると、今度はその「侵略主義を放棄した新ソ連」(演技)の下で、九○年二月から三月にかけて「一党独裁の放棄」「複数政党制」「大統領制」「民衆の政治的自由」という国内の民主的改革を実施(芝居)していった。これで西側は「ソ連は西側と友好関係を築く、人間的で民主的な社会主義国に変わったのだ」と、決定的に騙されてしまったのである。NATOは対ソ脅威否定宣言(九○年七月)を出し、NATOと旧WTO諸国は東西対決の終結と不戦の宣言(同十一月)を出すことになったのである(『大侵略』七二頁以下参照)。

 

 「ソ連解体」でソ連=ロシアの軍事優位確立

 さらにゴルバチョフはダメ押しの騙しを実行していった。すなわち、九一年の「ソ連・八月革命」の芝居によって、社会主義国ソ連を「打倒」して、「市場経済と民主主義の新生ロシア」を「誕生」させていったのである。西側をさらに安心させ無警戒にさせるには、ソ連を崩壊させ、西側を冷戦の勝者に仕立て上げて驕慢にさせればよいわけである。そうすれば西側諸国は先を争うようにして軍備を削減していくことになる。事実、そのように進展して今日に至っている。しかもソ連は新生ロシアに変装して、敵と同じ側に位置することができるようになるのだ。

 ゴルバチョフの世紀の大謀略によって、今日西側は大軍縮してしまっており、戦略環境は新生ロシア(ゴルバチョフが陰の支配者だ)に極めて優位になってしまっている。

 (1)CFE条約(欧州通常兵力削減条約)もゴルバチョフの騙しであった。同条約はウラル山脈以西の欧州の通常戦力に関する取決めである。ソ連・東欧軍が削減した四万輌の戦車のうち、廃棄される一万九千輌は老朽化したものであり、だから通常の廃棄処分であって、削減なのではない。残りの二万一千輌はウラル以東へ移動させればよいのである。またソ連は「軍縮」を叫ぶ一方で軍拡を続け、新鋭の強力な戦車T‐80を大量生産しており、八五年から八九年の間に一万五千輌以上を生産し、九○年代の十年間でさらに一万三千輌を追加する。これらがウラルのすぐ東側に蓄積されていくのである(『大侵略』五五頁以下参照)。

 一方の在欧米軍と西欧諸国の通常戦力は、現状よりもはるかに低いレベルに大削減された。在欧米軍の場合、条約の上限数を自主的に大きく下回り、戦車でいえば調印時の五分の一の一一九二輌に大削減してしまっている(一九九五年現在)。この外交戦争でも、西側はゴルバチョフに破れ去ったのである。なお、日本の戦車の年間生産台数は五六輌であり、全体でも一千百十輌にすぎない。

 在欧米軍の兵員は三三万人から一○万人に大削減されてしまった。在欧英軍もしかりである。アジア太平洋地域の米軍も削減されている。さらに西側各国は軍事費を大巾に減して通常戦力を大削減している。

 (2)INFについては既に述べたとうりである。

 (3)欧州に前方展開されていた米軍の核爆弾を除く戦術核と戦場核は、全て本国へ撤去されてしまった。アジア太平洋地域の戦術核、戦場核も全て撤去されてしまった。海上発射巡航ミサイル・トマホークSLCMも全て撤去された。これらを撤去すべき条約は存在しないのに、ブッシュ大統領とクリントン大統領は一方的に撤去したのである。「冷戦の勝者」に仕立て上げられた驕慢から生じた無警戒心の発現であった。

 (4)米ソは九○年六月、化学兵器廃棄協定を調印した。米国が八七年に化学兵器生産を再開し、八九年にフル操業に入ったために、米国の化学兵器をつぶすためにゴルバチョフは調印したのである。米国は九○年七月、「西独配備の化学兵器(砲弾約十万発)の廃棄を開始した。米国こそ、欧州において化学兵器に関して武装解除されたのである」(『大侵略』二三○頁)。また国際条約の化学兵器禁止条約の調印・発効(九七年四月)により、西側諸国は十年以内に化学兵器を全廃することになる(二○○七年まで)。だが全体主義国のロシア(=ソ連)では、条約の抜け穴を利用して生産していくことができる。化学兵器はロシア(ソ連)が独占所有することになるのである。

 (5)「ソ連解体」の芝居によって、対ソ軍事同盟であったNATOは形骸化、解体されてしまった。NATOとロシアは「特別な協力関係」を結ぶに至っている。日米同盟の主目的は対ソ同盟にあったが、同じ理由でロシアに対しては形骸化、解体させられてしまった。ロシア極東には、日本・極東米軍の戦力を何倍も上回る戦力(核を含む)が存在するというのに!

 (6)SDIは、ゴルバチョフの大謀略によって、ブッシュ大統領時代にその熱意は急速に冷えてしまった。そしてクリントン大統領によって、中止された。SDIの開発・配備には十年の年月がかかる。だから将来ロシアが全ユーラシアへの侵略を狙わんとしたとき、SDIは全く使えないものになってしまったのである。

 (7)ソ連=ロシアは米国の戦略核兵器を大削減することにも成功してきている。米ソ(ロ)の戦略兵器削減条約=START1と2の調印である。START1は九一年七月に調印され発効している。二○○一年末までに運搬手段の上限数を一六○○基(機)に削減し、弾頭数の上限を六千発に削減するというものだ。START2は未発効だが、二○○七年末までに弾頭数の上限を三千〜三千五百発に削減するというもの。二千〜二千五百発に削減するというSTART3の予備交渉でこの八月十九日、ロシアは上限をさらに千五百発以下にすることを提案した。英国と仏国も戦略核(ロシアから見るとINFだが)を大きく削減してしまっている。

 全ユーラシアの征服を狙うソ連=ロシアの通常戦力、化学戦力は西側を圧倒している。米国とユーラシア大陸の間には両大洋があるからだ。ロシアは長大な縦深を持っていてどこまでも退却が可能であり、だから通常戦力だけでは決して敗北しない。これらの事実を認識することが軍事の基本である。だからこそ、ロシアの全ユーラシア侵略を抑止するには、西側にはロシアの中枢部を攻撃できる戦略核戦力が不可欠になるのである。とりわけ米国の戦略核戦力である。核の傘だ。

 ソ連は、自らが西ヨーロッパや日本を侵略したら、同盟によって、米国の戦略核がソ連の政治・軍事中枢に向かって飛んで来るかもしれないと考えて、これまでは侵略を思いとどまってきたわけである。もしも米国の戦略核戦力が貧弱なものであれば、日本も西欧も中東もとっくの昔にソ連に侵略されている。もし、地球上から全ての核兵器が廃絶されたら、通常戦力・化学戦力で他を圧倒するロシアが、全ユーラシアを侵略支配することになるのである。

 だから西側諸国(日本も当然!)は核戦力を持ち、強化し、それでロシアを圧倒しなくてはならないのである。西側自由主義国の核戦力は善なる軍備であり、平和のシンボルである。反対に、ロシア、中国、北朝鮮、イラクといった全体主義国の核戦力は悪の軍備であり、平和破壊(侵略)のシンボルである。警察官の武器は自由主義社会を守る良い武器であり、テロリストや犯罪者の武器は悪い武器であるのと同じことである。この単純な真理を理解しえないために、日本政府は毎年八月六日の広島で、非核三原則堅持、核兵器の地球からの廃絶を訴えて、侵略国ロシア(=ソ連)等のお先棒をかつぐ愚行、反国家行為を行なってしまうのである。完全に国内の左翼侵略勢力と同じ行動をしてしまうのである。

 米国の戦略核が三分の一、五分の一になることは、米国の核抑止力も三分の一、五分の一に低下するということである。さらにロシアは、ソ連が七○年代の戦略核兵器制限条約を破って核軍拡していったように、START条約も守る意思などないのだ。自らの核優位を確固たるものにすることこそ、ロシアのSTART交渉の狙いなのである。条約は戦争手段なのだ。

 (8)ロシアは「市場経済と民主主義」の偽りの衣をまとって西側陣営の一員としてふるまっている。これによってロシアは、西側諸国から最先端技術を獲得できるようになっている。それによってロシアは、西側を侵略するハイテク兵器を開発・製造しているのである。

 またロシアは「経済混乱」を演出して、「共産党がこれに乗じて政権を取ったり、ソ連を復活させることを阻止しなくてはならない」と西側を騙して(ロシア共産党を公然と〃復活〃させているのは、このためでもある)、西側諸国と国際機関から多額の「経済支援」を取っている。ロシアはこのカネで、西側を侵略するための軍需産業を強化しているのである。

 「経済破綻」「財政危機」も芝居である。ロシアは「経済破綻により国防予算は大削減されて、軍は内部から崩壊してきている」と執拗にプロパガンダしているが、自国を経済的=軍事的に弱小に見せて敵を油断させるのは兵法の基本である。「賃金未払い」といっても、国民は食券をもらって食堂でちゃんと食べているのだ。餓死者なんかどこにもいない。

 ロシアはカネを返すつもりなどない。債務繰り延べや借り換えを繰り返して、最後に西側を侵略してしまえば万事解決だ、と考えている。

 (9)ソ連=ロシアは西側分断をめざしてきた。九○年十二月に「独ソ善隣・友好・協力条約」が結ばれ(東独を返してもらったので独は親ソになる)、ロシアにも継承された。これは準・同盟である(中川教授)。ロシアは日本との間でも「日ソ平和友好協力条約」を結び、日米を離間させ、日本をロシアへ引きつけようと工作している。この八月十六日、「日ソ防衛交流覚書」が調印された。

 (10)ソ連=ロシアは、冷戦終結を演出することで、西側の意識を徹底的に軟弱化することに成功した。西側諸国では左翼の「人権」思想や「平和」思想等がまん延し、各国で保守政党が政権を退き、世界と国内秩序は大きく揺らいできている。湾岸戦争でもコソボ戦争でも、西側は自国軍に戦死者が出るような戦争形態を恐れるようになってしまっているのである。

 (11)彼らは、日米、米欧、日欧を互いに経済的に対立させることに成功してきている。九○年代前半の「日米経済戦争」はその最たるものだ。ロシアKGBの工作員が暗躍していることは間違いない。この工作はこれからも続く。

 

 八、二一世紀ロシア=ソ連は全ユーラシアへ大侵略を開始する

 

 今後ロシアは、現在実行中の大謀略戦争を時間をかけて更に発展させて、ロシアの戦略環境をより優位なものにしていく。現在ロシアは新型ICBMを開発しているし、古い兵器を廃棄して(これを軍縮だと騙す)、最新鋭のものに更新している。そして二○一○年か一五年か二○年かはわからないが、これで十分だと判断したら、核兵器、化学兵器、通常兵器を総動員して、一気に日本など東アジア、全ヨーロッパ、中東へ大侵略を開始することになる。

 ロシアのエリートは、この大侵略を開始するとき、偽装をやめてソ連であることを公然と宣言して革命戦争として行なうはずである。そうすれば、西側各国の左翼勢力を味方にでき、西側各国内を分断できるからだ。その頃になれば、かつてのソ連が言語に絶する非人道的国家であったという事実は、西側の人々の記憶から消え去ってしまっている。

 ソ連が大侵略を開始せんとしたとき、思想軟弱になり軍事的にも大劣位になっている米国は、自分の国が侵略されてもいないのに、ソ連から大量の報復核が飛んでくることを覚悟して、ソ連の政治・軍事中枢へ戦略核を撃ち込んでソ連の侵略を止させようとするだろうか?できるだろうか?その答えは否だ。米国は消極的に侵略を容認していくだろう。侵略された日本など東アジア、全ヨーロッパ、中東では大虐殺、大収奪、大強制連行・強制労働の地獄が出現する。何千万人もの貴い命が奪われることになる。

 このまま時が進めばそうなるしかないだろう。私たちは一日でも早くソ連=ロシアの大謀略に気づき、米国を中心に西側同盟の結束を強化し、関係する条約、協定を全て破棄し、一切の交渉を拒絶し、核戦力をはじめとする軍備を増強して、今度は自覚的に「欧州戦域核戦争戦略」に基づいてロシアを攻勢的に封じ込めていく冷戦を早急に再開していかねばならないのである。同時にNMD、TMDさらにSDIを開発配備していかねばならない。

 

                                     一九九九年八月二十日記

 



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