●イラク日本人人質事件

 

 一、首相が発すべきだったメッセ−ジは

 

 はじめに。この文は、日本人人質解放が分る前の四月十五日に書き終えたものだが、同種事件は今後もあり得るから、一部手直しして発表することにした。

 小泉首相が、テロリストの自衛隊撤退要求に、即座に拒否回答を行なったことは当然過ぎることとはいえ、大いに評価してよい。しかし、首相は断片的に語るだけであった。国の名誉がかかっている。こういう時こそ首相が、日本国民と米国ら同盟国そして世界に向けて、また犯人に向けて、まとまった力強いメッセージを発しなくてはならなかった。

 日本は何のためにイラク戦争を支持し、その後、自衛隊を派遣しているのか。フセイン独裁政権の圧政から二千五百万イラク国民を解放するためであり、イラク国民による自由で民主主義的なイラク建設を支援するためである。日本は、テロリストとそれを支援する無法政権との戦いに参画したのである。自由のための戦いである。だから、日本は人質事件が起ころうとも、自由イラク国家建設支援の自衛隊等の活動を継続していかなくてはならない。

 首相は四月九日昼のインタビューで、「そのために邦人が犠牲になってもいいか」と問われて、「犠牲がないように努力する」と答えた。この質問をした記者は左翼に違いないが、首相は左翼記者など排除すればいい。首相は「犠牲がないように努力する。しかし、犠牲者が仮に出たとしても、自衛隊を撤退させることは断じてない」と、正面から主張すべきであった。攻勢に出ることが何よりも大切である。もし連合国が撤退すれば、イラク国民二千五百万は再びテロリストの〃人質〃と化すのだ。

 首相はまた次のように犯人に言うべきであった。「テロリストに告げる。直ちに人質を解放せよ。彼らはいずれもイラク戦争に反対し、連合軍暫定当局に反対し、自衛隊の派遣に反対してきた者たちである。お前達は、いわば味方を捕えて殺害しようとしている。お前達の戦いには一切の大義はない。直ちに解放せよ。日本政府はお前達を探し出し、法の裁きを受けさせるであろう」。

 首相は、人質になった五人についても堂々と批判を展開すべきであった。その家族についてもである。

 「人質になった者たちは、左翼である。善良なる日本国民ではない。日本を独裁国家に変えるべく活動をしている者たちだ。イラク国民を解放するイラク戦争にも反対し、現在の自由で民主的な新イラク国家建設支援活動にも反対している。自衛隊はその活動の一翼を担っているが、彼らは自衛隊の派遣に反対し、その活動に反対している。つまり彼らはテロリストの利益に奉仕し、大部分のイラク国民の利益に敵対している者たちである。彼らがイラクへ行ったのも、米国政府や日本政府に反対する立場からである。

 日本政府は、一年以上前から、イラクに滞在する日本人に退避勧告をたびたび出してきたし、渡航自粛要請も何度も発してきた。彼らはそれを無視してイラクへ入ったのであり、今回テロリストに拉致されたのも、自らの責任である。

 むろん、左翼であっても、またこのような経緯であっても、日本政府には彼らを救出する責務がある。そのために最大限の努力をする。だが彼らも、その家族も良心があるならば、自分たちの行動が日本政府と国民に多大な迷惑をかけたことを認識すべきである」。政府は、このように明確に述べ、国内の左翼との正面からの戦いを開始していくべきであった。

 

 二、敵に対して腰が引けている政府

 

 ところが、川口外務大臣はアルジャジーラ等を通じて犯人に、「三人はイラク人のために活動しているイラク人の友人たちであり、自衛隊もイラク人のために人道復興支援活動をしている。直ちに解放を求める」と述べた。三人が自衛隊と同一の地平に在るわけがないではないか!そしてこれは自衛隊への冒とくでもあり、許されることではない。このメッセージは、当然、事前に首相も承知しているはずである。

 左翼マスメディアや共産党や社民党や新左翼や市民的左翼は、小泉政権を攻撃し、即時自衛隊を撤退させよと要求している。政府は、こういう内なる敵とは常に全面的に対決していかなくてはならない。「左翼の立場は、野蛮なテロリストに与するものだ。イラク国民を再び圧政の下に引き戻そうとするもので、イラク国民への敵対である」と思想的に論破していかなくてはならない。これができないのは、首相や政府が自由主義=保守主張の思想で強固に武装できていないからである。左翼は論争対象ではなく、解体・撲滅の対象である。彼らは自由主義の憲法秩序の破壊を目指す違憲存在である。

 菅直人民主党代表は十三日の街頭演説で、「今のうちから自衛隊のある部分はクウェートに避難し、縮小していく行動をとらざるを得ない時期に達している」と述べ、さらに「今やフセイン政権の残党ではなく、一般のイラク人と米国との戦いになろうとしている」と、左翼と全く同じような主張を展開した。菅氏は十四日の党首討論でも、「イラク戦争を無条件で支持した小泉首相は間違い、失敗だ」「自衛隊の撤退を含めた検討を行うべき時が来ている」と述べて、テロリストに屈した国益を害する行動をとった。

 民主党の十二日の談話は、「イラクへの自衛隊派遣決定と、不十分な邦人保護対策が今回の事件を招いた。小泉政権の責任は極めて重大だ」というものであった。左翼や左翼的な者たちに迎合した、国益否定の党利党略政治である。国民は、決して民主党に政権を渡すようなことはしてはならないことを肝に銘じよう。

 小泉首相は、九日のインタビューで「テロとの戦いか」と問われて、「自衛隊は復興人道支援を行なっている。日本としても真剣に取り組んでいる」と答えた。この答えは決定的に問題である。首相は「そのとうりだ。テロとの戦いだ。そのために日本は米軍等への安全確保支援活動と人道復興支援活動を行なっている〜」と堂々と言わなくてはならないのに、そうしなかったのである。

 航空自衛隊は米軍等へ物資を運び、武装した兵士も運んでいる。彼らも危険を犯して日々活動しているのである。だが、政府は空自の活動をほとんど伏せてきた。米軍等への後方支援活動であるからだ。左翼マスコミやイラクのテロリストの反発を恐れてである。小泉首相のこの答えも同じである。これは、イラク戦争支持やイラク特措法の精神を踏みにじる行為である。石破防衛庁長官も九日、同様に「自衛隊はイラクで困っている人々のために人道支援を行なっているだけ」と語っている。

 政府のこのような、敵に対して腰がひけてしまっている姿勢が、敵の立場を有利にし、自らの立場を弱くする。左翼を延命させることになる。攻撃は最大の防御である。政府が先頭に立って敵と戦えば、国民も教育されて成長する。左翼は居場所を失う。逆に、政府が受動的な戦いしかしていかなければ、国民に左翼の影響力が浸透していくことになってしまう。そのひとつの形が民主党のような「リベラル派」だ。

 サマワで行なわれている自衛隊の人道復興支援活動も、米軍やオランダ軍やイラク警察の活動と一体不可分である。それらの治安維持活動があるからこそ、自衛隊の人道復興支援活動も可能になっている。日本は米軍やオランダ軍等の活動を支持し、それと一対となって自らの人道復興支援活動をしているのであり、自衛隊の活動は、米軍やオランダ軍の活動(直接的なテロリストとの戦い)とは無縁であるとでも言うような言い方は、強く非難されるべきだ。

 本来ならば、自衛隊も治安維持活動を積極的に担わなくてはならないのである。小泉首相が一言、「自衛隊は軍隊である。憲法九条二項の従来の解釈は誤りである」と宣言すれば(閣議決定)、すぐに可能となることである。これこそが、小泉首相が第一にしなければならない戦いである。法(本来の九条)が首相に命じていることだ。法の支配である。

 日本政府には、危険で「汚れた」仕事は米国等に任せて、日本は安全で「きれいな」仕事だけをすればいいといった、唾棄すべき思想性、精神が強力にある。自由主義=保守主義が極めて弱いからだ。民主党などは論外である。民主党内の保守派は直ちに離党すべきである。

 フセイン独裁政権を打倒する戦争、テロリストを壊滅していく戦いこそが、崇高な仕事である。それが分からないのは、貧しき精神、弱き精神である。

 

 三、法の支配−高い地位には責任が伴う

 

 私たち保守派は、こういう貧しい政治を厳しく批判して改善していかなくてはならない。

 「高い地位(大きな権限を持つ)にある者には、大きな責任が伴う」とは、「法の支配」のことを言っている。本来の憲法九条は、自衛のための軍隊の保有を容認している。だから、首相をはじめ内閣は、直ちに従来の憲法違反の閣議決定を是正する責務がある。法の支配だ。

 政権の私物化、政党の私物化、役所の私物化とは、法の支配=国益の無視、否定のことである。

 高い地位に就いた人は、「私は国家と国民と歴史と未来に対して大きな責務を負った。法に基づき、全身全霊を傾けて、その責務を果します」と宣誓しなくてはならない。アメリカ大統領は聖書に手を置いて、そのように宣誓する。

「私は権力者だ」なんて考えている者は、独裁国家の権力者の思想性に通底する考え方の持ち主だ。法の支配を否定する人治主義の考え方である。威張り散らす尊大な政治家や官僚が余りにも多い。

 国家と国民そして日本の歴史と未来を想い、そのために法に基づいて、自己犠牲的に一身をなげうって尽す。これが地位の高い人の責務である。しかしこれは、国民に迎合することではない。民衆は愚かである。彼らの誤りを指摘し、説得し、導いていくのが地位の高い人々の役割である。リーダーとはこういう人々のことを言う。その資格を有している人は、政治家や官僚に一体、何パーセントいるのであろうか?国民の中の最も優秀な人々(人格的にも思想的にも精神的にも)だけが、政治家や官僚になる資格を有する。

 日本には、政府を擁護するばかりの「政府系保守知識人」が余りにも多いが、これでは政治は変らない。かれらは知識人たる資格がない。国民の中の心ある人々は、積極的に政治参加して、政治を変えていく責務がある。なぜなら、国民も法の支配を受けるからであり、国家と国民と歴史・未来に対して責任を有しているからだ。私たちは「法の支配」の思想を広く流布していかなくてはならない。

 「憲法九条改正」の主張は、左翼の九条解釈(本来の九条の歪曲否定)のプロパガンダに洗脳された結果であり、思想的な敗北なのである。九条は一九四六年に既に「改正」済みである。首相が「本来の九条に復帰する」と言えば、一日で解決する。あるいは、裁判官が左翼が起した「自衛隊のイラク派兵は違憲だ」とする訴訟において、本来の九条の解釈を判示すれば、すぐに解決することである。これは、法に支配される政治家、裁判官の責務だ。不作為は違憲行為である。

 ブッシュ大統領が十三日の記者会見で述べたように、連合軍への攻撃はフセインの残党、イスラム過激派の武装集団、シーア派のサドル一派、外国から入ってきているテロリストによってなされているのであって、民衆蜂起や内戦では全くない。大部分のイラク国民は右勢力の暴力を否定している。米国を中心とする連合軍の新イラク国家建設支援活動に期待をかけているのである。左翼マスコミの嘘プロパガンダに騙されてはならない。

 しかしながら、狂信的イデオロギーに洗脳された武装集団の力は強力である。米国ら連合国は、これらのテロリスト集団を早期に壊滅させようとしている。日本もこの戦いを断固支持し、その一翼を強力に担っていかなくてはならない。自衛隊のさらなる増派が望まれる。独裁国家を改革するのは容易ではないが、自由イラク国家建設の成功はイラク国民の利益だけでなく、中東と世界をより安全にし、日本の国益に一致する。困難な戦いが続くが、日本も犠牲を恐れずに戦っていかなくてはならない。

                二00四年四月二二日記


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