●「芦田修正」によって日本の自衛権(国軍の保持と交戦権)は保証された

 

 一、GHQの政策転換と芦田修正で九条正常化

 

 一九四六年五月一五日、連合国対日理事会(東京)にてアメリカ代表は、「共産主義を歓迎しない」との反共声明を発表した。同月二0日にはマッカ−サ−元帥が、共産主義者たちによる暴民デモを許さないとの声明を発表した。またマッカーサー元帥は四六年七月二五日には、日本の新聞各社の代表を招き、共産党員の排除を直接要請した。かくのごとく四六年の中頃から、東西冷戦の認識に基づいて米国・GHQの対日政策の転換が始まっていったのである。

 GHQの日本国憲法草案作成はこの「転換」以前に行なわれたのだ。GHQの九条草案の原案は、四六年二月三日の「マッカーサー・ノート」である。これは、自衛のための戦争も放棄することを謳い、一切の軍隊(戦力)の保持も交戦権も否認するものであった。ケーディス民政局次長がこの原案を修正して、「自衛のための戦争の放棄」を削った。他はそのまま。これがGHQの九条草案となり二月一三日に日本側へ手渡されたのである。

 この九条草案では、たしかに自衛戦争をすることは認められるものの、軍隊保持と交戦権が否認されているから、実際には本格的な自衛戦争はできないのだ。つまり自衛権はゼロではないものの甚だしく制限され、ほとんど否定されていると言っても過言ではなかった。国家の自衛権は軍隊(戦力)によって行使されるからである。議会へ提出された日本政府の九条案も、このGHQ草案を踏襲したものであった。

 だがその後に、米国・GHQが前述したようにアジアにおける東西冷戦の自覚を持ち対日政策を転換していったことと、議会の憲法改正小委員会(委員長は芦田均氏)で四六年八月一日におこなわれた芦田修正によって、九条は正常化されたのである。芦田氏は九条第二項の冒頭に「前項の目的を達するため」という文言を挿入する修正を行なったのだが、これによって自衛戦争のためや国連軍や多国籍軍また国連の平和維持活動のためであれば、軍隊(戦力)と交戦権を持てることになったからである。これで主権国家に固有の自衛権が完全に保障されたのである。法的にアメリカと同等である。

 ケーディス氏は八一年に現在産経新聞記者の古森義久氏に次のように話している。「芦田氏はその修正案によって二つのことを果たそうと意図していたようです。第一には、日本がもし国連に加盟したあかつきには国連の平和維持軍に日本も参加、貢献できることを可能にしておこうと考えていた。第二には(中略)、日本はなお自国防衛の権利は有しているのだということを明確にしておこうとした、と私は思いました。とくに、この自衛権については、私はそう言われなくても日本に固有の自衛権があることは考えていましたから、すぐにその修正には反対はない、と答えたのです」(西修教授『よくわかる平成憲法講座』八二頁、九五年二月刊)。

 連合国極東委員会も芦田修正の意味を正しくとらえて反応している。四六年九月二一日の会議で中華民国代表のタン博士は次のように発言した。「中国代表は、第九条が、同条第一項に定められている目的以外のためであれば、陸、海、空軍の保持が認められるように変えられてしまったことに注目している」と(前掲書九一頁)。だから極東委員会は、GHQのマッカーサー元帥に「シビリアン条項」を憲法に入れるよう要請したのである。日本が独立した時軍隊を保持できるようになり、現役軍人が大臣になることも考えられるからである。九月二四日にGHQは吉田首相に修正を申し入れている。これが憲法六六条第二項になったのである(前掲書)。

 ただ芦田氏は小委員会でも本会議でも修正の意味を明らかにしていない。意識的に伏せている。公けにしたら修正案が通らない状況があったからである。すなわち第一には「日本国軍隊の武装解除」「日本国の戦争遂行能力の破壊」を謳ったポツダム宣言の存在であり、そして議会内外の雰囲気である。日本国憲法公布の際に、GHQが芦田修正の意味を明らかにしなかったのも、ポツダム宣言に配慮してである。私は芦田氏とGHQは示し合わせた上で修正したのだと確信している。

 一九四九年十月にはソ連に支援された中共が中国大陸を手に入れ、アジアにおける東西冷戦も決定的となった。もはや連合国の実体は無くなり、だからポツダム宣言も有名無実となった。だからマッカーサー元帥は一九五○年元旦の「日本国民に告げる声明」で、公然と「この憲法の規定は、たとえどのような理屈をならべようとも、相手側からしかけてきた攻撃に対する自己防衛の冒しがたい権利を全然否定したものとは絶対に解釈できない」(前掲書四八頁)と述べたのであった。またマッカ−サ−元帥は一九五七年には「内閣憲法調査会」の会長・高柳賢三氏への書簡で、「日本が他国から侵略を受けるような場合には、日本はあらゆる自衛措置をとりうるのであって、第九条のいかなる部分もその妨げとなるものではない。この解釈は憲法制定当時からの解釈であった」(前掲書八六頁)と明言している。

 

 二、真のリ−ダ−たちが緊急になすべきこと

 

 しかし吉田首相は一九五二年十一月、政府統一見解を出して、「九条第二項は、侵略の目的たると自衛の目的たるとを問わず『戦力』の保持を禁止している」としてしまった。歴代内閣も全てこの誤った反国家的解釈を踏襲してきている。交戦権についても同様である。

 当時の連合国側はすべて、日本が九条によって自衛のための軍隊と交戦権を持ち、自衛戦争ができることを認めていた。ソ連ですら一九五一年九月のサンフランシスコ平和条約会議における平和条約草案に対する修正要求(日本を侵略支配するためだ)の中で、「日本の陸海空軍の軍備は、自己防衛の任務にのみ供されるように厳格に制限されるべし」(曽野明氏『ソビエトウオッチング40年』四六頁、サンケイ出版八三年十月刊)と述べざるをえなかったのだ。

 ひとり日本政府のみが、国家に固有の自衛権を実質的にほとんど否定するような亡国的な政策をとり続けてきているのである。それは、内部の敵である左翼侵略勢力が支配するマスメディアが行なう「平和憲法を守れ」「九条を守れ」という謀略の大量宣伝に屈伏し、洗脳されてきた結果である。

 今、日本の政界・官界・保守言論界の真のリーダーたちが緊急になすべきことは、閣議で「歴代内閣の九条解釈は全て反国家的に誤ったものであった」と自己批判して、前記の唯一正しい科学的な解釈を閣議決定するように死力を尽していくことである。そして正しい九条に基づく「国家安全保障基本法案」を作成して、国会で過半数で成立させていくことである。これで全て解決するのだ。ロシア、中国、北朝鮮という全体主義侵略国家の侵略から自由主義の日本国家を守り、国民の生命、財産、自由を守るという正しい思想(真正な自由主義=真正な保守主義)があれば可能である。保守派は左翼と戦わなくてはならない。

 九条の条文をもっとわかりやすいものに変えることは、事後的にやればよいことである。現在の憲法改正論議は、実は上記の重い責任から逃避し、誤った九条解釈のままにしてしまうものなのである。左翼やリベラル派がいっぱいいる国会で三分の二の賛成は不可能であるからだ。           

                                   一九九九年八月二五日記



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