●小泉総理の思想、政策批判 

 

 一、国益に反する「郵政解散」

 

 小泉氏は「郵政解散」を断行し、反対票を投じた自民党前議員を公認せず、対立候補を送り込むなど、総理・総裁として大いに権力を行使した。総選挙は、次の四年間の政権とその政策を国民(有権者)に問うものであるが、小泉氏は、今回の選挙は郵政民営化の是非を問う選挙だと強調している。それが国民に受けているわけだが、情けない限りだ。国家には、国家安全保障、外交、憲法改正など喫緊の重要な課題が多くある。小泉氏には、何がより重要な政策課題なのかが全く解らないわけである。

 解散前、自民党議員のほとんどは解散に反対であった。総選挙で勝利できる確かな保証など見えていなかったからだ。それは小泉氏自身も同様であった。もし破れれば、自民党は次の四年間は自らの政策を実現することは出来なくなってしまう。民主党のような内部に多くの左翼を抱える左傾政党に、日本国家の運営を委ねることは断じて出来ないのだ。

 アメリカが、真正保守で親日のブッシュ共和党政権である今は、日本が名誉ある自由国家に自己変革していく上でこの上なく貴重な時期なのである。それなのに、国益が解らない小泉氏は、このような内容の一法案(後述)のために、衆議院を解散したのである。小泉氏は、自・公で過半数を取れなかったら総裁を辞任すると言うが、辞任して済む問題ではない。

 総理大臣をはじめとする政治家は、国益を守るという法の支配に服さなくてはならないのである。総理大臣だからといって、好き勝手に権力を行使できるわけではない。「郵政解散」の権力行使は、国益に反し、法の支配に反する総理大臣職の私物化以外のなにものでもない。解散してみたら、世論の内閣支持率、自民党支持率は上昇したが、解散が正当化されるわけがない。このような小泉総理を断固として批判するのではなく、許してしまう保守マスメディアに猛省を促したい。

 

 二、郵政民営化法案は民営化ではない

 

 小泉氏は、自・公で過半数を取れば、廃案になった郵政民営化法案を再提出して成立させたいと言っている。しかし郵政民営化は、当初の構想から全く違うものになってしまっている。今も「民営化」のスローガンが繰り返されているが、同法案(と国会答弁)は断じて民営化法案ではあり得ない。「民営化」という言葉やスローガンは詐術である。支持する議員の多くを含めて国民のほとんどは、右スローガンの反復で思考停止となり、騙されてしまっているのである。

 同法案は、二0一七年四月以降も、政府が三分の一超を出資する純粋持ち株会社による、郵便貯金銀行と郵便保険会社の株式の連続的保有を可能だとしている。とするならば当然、政府系持ち株会社は保有し続けることになろう。つまり政府が経営権を握る国営郵便貯金銀行と国営郵便保険会社である。また、二0一七年四月以前からでも窓口会社(郵便局会社)と郵貯、保険二社の株式の持ち合いも出来ると言うのである。窓口会社と郵政事業会社は、一七年四月以降も政府系持ち株会社が百%出資することになっている。総務省などが狙っているように、窓口会社を事業持ち株会社とした四社の一体経営となるわけである。

 だから、社員が非公務員になろうとも、これは経済学的に断じて民営化(民有民営)ではない。現在の国有国営の一体経営の郵政公社とほとんど変わらない。謀略である。解っていながら「民営化」を唱える者は、犯罪的である。

 二0一七年四月以降も政府系持ち株会社という事実上の政府保証が付くから、郵貯や簡保の三百三十五兆円の巨額な資金は、減ることはないだろう。そして郵便貯金銀行、郵便保険会社は、二00七年四月以降も民間から集めた三百三十五兆円の資金で、国と地方自治体の多額の国債・地方債を引き受け続けることになる。また両者への貸し付け機関であり続ける。非効率な特殊法人に対しても同様である。「入口」からは、この「官経済」は縮小しない。従って国と地方自治体の財政が必然的に削減されることもない。赤字の特殊法人が必然的に整理されることもない。

 小泉氏は「郵政民営化」は、「官から民へ」、また官経済の「入口」を絞ることによって、特殊法人を整理し、国・地方の財政再建を進める「構造改革の本丸だ」と喧伝してきたが、内実は上述のとうりである。

 それだけではない。同法案の〃民営化〃の名によって、四社は、国有国営の郵政公社のままでは禁止されていた新事業に参入することが出来るようになるのである。これは、国営四企業の業務と権限の拡大であり、巨大国営四企業による民業の圧迫である。「官から民へ」と宣伝されているが、逆に官業による民業の圧迫である。ただし、それらの新事業が成功するかどうかは別の問題だ。

 郵政民営化は、始めからやり直さなくてはならないのである。

 

 三、構造改革は景気を回復させない

 

 小泉氏は、「構造改革なくして景気回復なし」と言い続けてきたが、経済学的に根本的に誤っている。構造改革しても景気は良くならないし、もし、適切なマクロ経済政策(金融政策、財政政策)抜きで、構造改革だけを推し進めれば、景気は悪化してしまう。小泉経済運営を見れば分る。最近の好ましい景気状況は、日銀による金融の量的緩和政策が効いてきたからであって、構造改革とは関係がない。

 構造改革とは、公企業の民営化や政府規制の緩和や貿易制限の撤廃等によって、経済効率を高め、潜在成長率を高めていく政策である。供給側の政策である。一方、日本が直面しているデフレ不況は、経済の潜在的供給能力に対して総需要が不足しているために起っている。需要側の問題だ。だからデフレ不況の克服、つまり景気回復には、一国の総需要(民間消費、民間投資、政府支出、純輸出)を増やして潜在的供給量に近づけていく政策が採られなくてはならないのである。金融政策や財政政策である。

 需要側の課題に対して、構造改革という供給側の政策で対応しているのが小泉氏である。日銀の量的緩和政策があるわけだが、もし、金融政策、財政政策無しで構造改革が進められれば、デフレギャップ(総需要不足)は拡大して、不況は悪化することになるのである。

 構造改革とマクロ経済政策(金融政策、財政政策)は、目的が異なっている。政府はそこを明確に認識して、両者の政策を実行していかなくてはならない。一部の経済学者が警鐘を鳴らし続けているのに、政府の経済運営に反映されないのは、巨大な影響力を持つマスメディアの経済論議が、経済学の常識に反しているからである(野口旭著『経済学を知らないエコノミストたち』参照)。

 

 四、国益を守る総理大臣の権力行使−対北経済制裁を発動せよ

 

 総理大臣の権力行使は、法の支配に基づいてなされなくてはならない。小泉氏は、拉致問題、ノドンミサイル問題、核問題の包括解決のために、金正日独裁政権に対する経済制裁を直ちに発動しなくてはならない。これは法的義務である。権利には不行使の自由もあるが、義務には履行しかない。義務を履行しないのは、違法であり、政治的犯罪である。郵政解散などやってる時ではないのだ。

 テロリスト相手に、「話し合いで解決しましょう」と言うとすれば、中学生にも笑われる。金正日は国家の独裁者であり、テロリストより何万倍も強力な相手である。小泉氏はその金正日政権に対して、話し合いでの解決を求めている。

 横田めぐみさんたちは、金正日に命令された特殊部隊・特殊工作員が、日本領土に繰り返し侵入して拉致していったのである。国家テロであり、日本国家の主権を犯した侵略行動である。当然にも日本政府には、自衛権を発動して金正日独裁政権に対して武力行使し、拉致被害者を救出する責務がある。日本国家の尊厳、名誉、国防が問われている。日本政府と国民の法意識が問われている。これ以上重要な問題は他にはないはずである。

 

 日本の自衛権は米国等と対等

 政府は「憲法九条は海外での武力行使を認めていない」と言うが、この九条解釈は法に違反していて無効である。国家に自衛権(個別的・集団的)があるのは当り前過ぎることであり、日本の法は第一に自衛権を認めている。もちろん国際法も、主権国家の固有の権利として自衛権を認めている。

 国家が自衛権を行使するのは、国防軍によってである。従って、自衛権を持つとは、国防軍を保有するということだ。主権国家は国防軍によって、自衛のために必要な軍事力を行使するが、それは国際法規・慣例に基づく。国内法に依るのではない。海外での武力行使も当然のことである。

 日本は自衛権を持つから、芦田均氏は憲法九条の案文を修正した(一九四六年八月一日)。これにより、日本は自衛のために軍隊を保有することが出来るようになり、日本の自衛権は完全になったのである。GHQのマッカーサー元帥も、案文とは全く異なった内容になったことを認識した上で承認したし、米国をはじめ全ての連合国が芦田修正を承認したのであった。このように、憲法九条に謳われた日本国家の自衛権は、法的に米国や英国など他の主権国家の自衛権と全く対等なものなのである。

 

 法の支配−憲法九条は解釈是正で解決せよ

 一九五二年以降、歴代内閣は「憲法九条は自衛のためであれ軍隊の保有を認めていない」と解釈してきた。ここから、軍隊ではない自衛隊の海外での武力行使は認められていない、集団的自衛権も行使できない、という主張も出てくる。だが、前記の如くこの解釈は全く誤っている。また、そのような解釈自体が法に違反していて無効である。

 百歩も千歩も譲って、仮に九条が政府の解釈のようにしか解釈できない条文であるとすれば、九条は法に違反しており、無効である。拘束されることはないのである。これが「法の支配」である。憲法とは、永遠の真理である古くから伝えられてきた法を発見して明文化したものであって、準・法である。法→憲法→法律であり、法に反する制定法は無効である。憲法の条文でも法律でも、法に反するものは無効。これが文明国を律している「法の支配」である。

 小泉氏は「郵政解散」という違法な権力行使をしたが、氏は次の国益を守る正しい権力行使をこそ、直ちに断行すべきなのだ。法的義務である。内閣が閣議で「従来の憲法九条解釈は完全に誤っていた。九条は自衛のための軍隊の保有を認めている。自衛隊は軍隊である。日本の自衛権は米国等と対等である」と決定するのだ。これで憲法九条問題はわずか一日で解決する。これは総理大臣を始め国務大臣の義務である。憲法改正の手法は、問題の先送り以外の何者でもないし、自民党の九条の改正案を見れば分るように、自衛権が制約されてしまう。民主党のそれは論外である。閣議決定で解決しなくてはならないのである。

 保守の学者や識者は、芦田修正のことも知っている筈だ。なぜ主張しないのか。政府を批判したくないと思っているとすれば(自己保身)、保守主義の自己否定である。保守言論の弱さが、情けない日本をつくっている最大の要因であることを自覚してもらいたい。私たちは、政府や国民は主権者ではなく、法が主権者であることを認識しなくてはならない。政府が法の支配に反するときは、保守主義者は断固として批判し、正していかなくてはならないのである。日本国家を愛する、国益を守るとは、こういうことである。

 小泉氏が(「郵政解散」や「対立候補擁立」で見せたような)大きな権力行使をして、誤った九条解釈を是正する新閣議決定を断行すれば、日本は武力行使して拉致被害者を救出することが出来るのだ。有森恵子さん達のように海外で拉致された人についても、国際法は「邦人保護のための武力行使」を認めている。そして憲法九八条二項は国際法規・慣例の順守を命じている。日本政府は、法・九条・九八条二項によって、武力行使してでも拉致被害者全員を救出する義務を負っているのである。もちろん、小泉氏にはやる意志がない。

 

 金正日独裁政権に対する経済制裁の発動

 今は武力行使は措いておくことにする。拉致被害者家族会は、小泉総理に対北経済制裁を直ちに発動することを要求しているが、小泉氏にはその意志もない。これは法・憲法九条・九八条違反である。法の支配が貫かれてる米国であれば、退陣である。日本における保守主義、保守言論(とりわけ保守マスメディア)の弱さが、このような総理を許している。

 もしも産経新聞、フジテレビ、読売新聞、日本テレビが大々的、継続的に、政府は法的義務を果さなくてはならない、経済制裁を即時に発動すべきだ、義務を果さない総理は退陣すべきだと主張してきているとすれば、国民の意識も政治家の意識も劇的に変化・深化していることは間違いない。つまり日本が変わるためには、保守言論が変わらなければならないのである。

 拉致もノドンも核も、日本が対象である。だから、日本こそが中心になって対処すべき課題である。ノドンや核は拡散問題があるから、西側共通の問題でもあるが、拉致は日本固有の問題だ。米国政府は、拉致問題の解決を強く支持してくれている。しかし当事国の日本が何の反撃の戦いも開始しなければ、米国政府だって本気になって行動してくれない。

 日本が侵略・拉致に対する反撃として、また軍事的威嚇(ノドン、核)に対する反撃として、経済制裁を開始すれば、米国政府・議会・シンクタンクが、「同盟国日本が自衛の反撃を開始した」として、日米安保条約に基づいて対日支援を格段に強化するようになるのは明白だ。米国は同時に、金正日独裁政権に対する圧力を格段に強めていくことになる。また日本の経済制裁は、無法国家北朝鮮と同盟関係にある中国とロシアそして韓国の左翼政権の評価を落とし、国際的に孤立化させていくことになる。中国、韓国の金政権への経済支援も、一定程度やりづらくさせていく。金正日独裁政権は確実に追い詰められていくのである。

 小泉氏は制裁をやる意志を持っていない。彼は、拉致議員連の会長として奮闘している平沼赳夫氏に対立候補を立てたのだ。断じて許されないことだ。日本国家にとって何が重要な政策課題なのかが、小泉氏にはさっぱり解からないのである。平沼氏は国益のために戦ってきた。小泉氏は拉致被害者を切り捨て、国益を踏みにじってきた。制裁を発動するためには、小泉政権を交代させるしかない。日本国家の尊厳、名誉、国防が掛っているのだ。

 私は総選挙で、自・公で二百四十一議席にわずかに届かず、小泉氏は辞任し、自・公と無所属その他で安定多数の連立政権が成立することを期待している。新総理・総裁は安倍晋三氏である。

 

五、反日の「戦後六○年小泉首相談話」

 

 小泉総理は八月十五日、「戦後六○年首相談話」を発表するという完全に間違った権力行使を行ない、日本国家に限りなく大きな損害を与えた。四月に、中国共産党(中共)に反日暴力デモ等で攻撃されて、それに屈服しての談話である。法に反するこの反国家行為の政治的犯罪は、万死に値すると言っても過言ではない。小泉氏は、保守的政党の自民党総裁の総理であるから、十年前の共産主義者の村山首相の談話以上に深刻である。

 小泉氏はまた、中共に屈服して八月十五日の靖国神社参拝を今年もしなかった。公約をまたしても破ったのであった。氏の「公約」とは、自らの信念、選挙民との約束ではなく、その時々の選挙に勝つためだけの手段なのだろう。選挙民を利用しているだけだ。約束を厳守することは、法の基本だ。保守マスメディアはなぜ徹底的に批判しないのか。権力者への屈服ではないのか。法が主権者である。全ての者は法の支配に従わなくてはならない。この「法の支配」の思想が、日本人には欠如しているのである。

 

 戦争は法的に完了

 さて、小泉談話は「こうした歴史の事実を謙虚に受け止め、改めて痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明するとともに・・・」と述べる。前文で書いたように、「お詫び」の表明は誠実さの現れではなく、日本国家・国民に多大な害を及ぼす反国家行為である。先の大戦は、平和条約や共同声明等の国家間取り極めによって法的に完了したのである。日本はもはや謝罪を求められることはない。謝罪を求める行為は、国際法違反である。謝罪することも同様である。

 裁判で判決が出て刑に服せば、その犯罪事実=罪は償われて消える。もはや謝罪を求められることはない。戦争もこれと同じである。交戦国が平和条約や共同声明や賠償協定等の取り極めを交わし、賠償が終れば、戦争は法的に完了して、その罪は消えるのである。水に流すのだ。蒸し返す行為は、これらの国家間取り極め(国際法)を破棄することである。それは文明国家の自己否定である。だから、米国政府や英国政府は蒸し返すことは決してない。

 日本が戦争をしたのは、蒋介石国民党政権の中華民国である。戦争は一九五二年の日華平和条約で法的に完了した。中共政権の中国など存在していなかったのだ。中国という国家がなければ、当然のことながら中国国民も存在しなかった。ところが田中角栄元首相が、中華民国を切り捨て、中華民国を中国にすり替えて、反日的な日中共同声明を結んでいったのである。ただ、日中共同声明と日中友好平和条約で戦争は法的に完了したのだ。「韓国併合」については、一九六五年の「日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約」「財産および請求権に関する問題の解決ならびに経済協力に関する日本国と大韓民国との協定」によって、法的に全て終了している。

 小泉談話の犯罪性は限りなく大きい。中国や韓国はこれをカードにして、また折にふれて日本を屈服させ、謝罪表明を迫ってくることになる。しかし、この小泉談話は違法であり、無効である。日本は拘束されることはない。無視すればよい。国益を守れないような思想性の持ち主には、政治家ましてや総理大臣になる資格は一片たりともない。

 

 共産中国との友好連帯は亡国への道

 小泉談話は「とりわけ一衣帯水の間にある中国や韓国をはじめとするアジア諸国とは、ともに手を携えてこの地域の平和を維持し、発展を目指すことが必要だと考えます」と言う。小泉氏は、日本、台湾そしてアジア全域を侵略し支配することを国家目標にしている共産中国と、手を携えてこの地域の平和を維持し発展させていくのだと言う。狂気の沙汰だ。日本共産党、社民党また民主党が書く文である。この文には、日本とアジアの自由主義諸国の平和と安全を守ってきた米国との連携、の文言さえない。中共が手先を使って書かせたような談話である。

 産経新聞も正面から批判しようとしない。村山談話を糾弾したなら、同様に糾弾しなくてはならない。自民党議員も談話を批判しなくてはならない。談話ははっきり言って、国家反逆罪に匹敵するものだ。もちろん、国益に反し法に違反するから無効である。最高権力者の行為であっても、法に違反する場合には、部下は批判して阻止しなくてはならない。法・憲法の支配を守るとは、そういうことだ。談話は事務次官会議を通り、閣議決定されている。政府の法的な誤りは、保守言論が厳しく批判して正していかなくてはならないが、余りにも脆弱である。

 左翼の戦いだけでは国は滅びないが、左翼の戦いに屈服した政府が、反国家政策(反日政策)を採るならば、亡国は現実的可能性を持ってくるようになる。北朝鮮の核兵器はせいぜい五、六基であり、広島型原爆並みだ。しかし中国の対日核は水爆百基であり、威力は広島型原爆二千発分である。北朝鮮の核には反対し、廃絶を求めるが、中国の対日核の存在は国民に隠して友好を唱え、共に平和を維持していこうと言うのだから、狂っている。

 日本の中国政策を立案している者たちは、左翼か、左翼でなくても中共の手先である。自由の価値が全く解からない連中である。小泉氏は責任を取って辞任しなくてはならないし、官僚は更迭しなくてはならない。法が求めることである。保守マスメディアは勇気を出して、主張しなくてはならないのである。

 日本を愛し、日本の安全と自由のある平和、日本の独立と永続を願うのであれば、私たちは政府の法的な誤りとは断固として対決しなくてはならない。政府との協調は、法の支配を守る保守主義=自由主義の自己否定である。政府は、「政府を支持することが保守であり、国を愛することである」との詭弁を述べているが、これはいわゆる「法(律)治主義」の考えであり、完全な誤りである。「法の支配」と「法(律)治主義」は全く別である。文明国家の根本原理は「法の支配」である。

 

 「不戦の誓い」は国際法否定、侵略誘致

 小泉談話は「我が国は、世界平和に貢献するために、不戦の誓いを堅持し」と主張している。不戦とは、軍事力をもって戦わないということである。だが、日本が加盟している国連は、憲章四三条で全加盟国に、制裁のために軍事力で戦うことを義務づけている。「不戦の誓い」とは、国際法を否定することである。

 関連して述べておこう。自衛隊が軍隊であることは、国連憲章によっても明白である。全加盟国は四三条により、兵力を安保理に利用させる義務を負っている。そして憲章四条で、加盟国の地位は憲章の義務を受諾し、かつ義務を履行する能力と意思があると認められる存在だと規定されている。自衛隊が軍隊でなかったら、日本は加盟を拒否されている。つまり、日本政府は国際的には、憲法九条を正しく解釈してきているのだ。

 不戦の誓いを堅持するとは、日本が中国やロシアや北朝鮮に軍事侵略されたときも、軍事力をもって戦わない、無抵抗に徹するということである。全体主義の侵略国家(中国、ロシア、北朝鮮等)からすれば、そのような国は、侵略対象として理想的である。不戦の誓いとは、侵略を誘致することである。だからこれは、刑法八一条の外患誘致罪に抵触する犯罪である。

 「戦後六○年小泉首相談話」は、一から十まで客観的に左翼(反日左翼)の文である。小泉氏は責任を取って直ちに辞任するしかない。国民は法的義務により、小泉氏を退陣させなくてはならない。とりわけ保守言論人、保守政治家は勇気を持って行動してほしい。

 日本国家は、真正なエリートが法の支配に基づいて運営すべきものである。自覚的な日本国民は、法の支配を否定する左翼をはじめとする不純な思想性の持ち主の政治家や官僚が、政府また国家を私物化することを絶対に許してはならないのである。法の支配を確立していくことが、政治・行政改革の核心である。自由主義国家日本の安全・独立・繁栄・永続を確保するための核心である。


 「冷戦終結」は、ゴルバチョフソ連共産党書記長が仕掛けた大謀略である。ロシアと中国は同盟国であり、両国は先日、共同軍事演習(台湾侵略)を実施した。西側自由主義陣営が、冷戦思考を早急に取り戻さないとすれば、危機的なことになるのは間違いない。

二00五年九月四日記


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