●日本が偉大な国家に転生するために
一、法の支配の思想がない保守マスメディア
日本国家が、法の支配が貫かれた偉大な国家になり得ないのは、立派な保守主義者の政治家がほんの僅かしかいないこととともに、社会的に大きな影響力を有する保守マスコミの思想的欠陥や弱さのためである。後者の要因が決定的である。政府や議会や裁判所が、法の支配に反する行動を取るときには、断固とした批判を広く国民に提起して、国民と共にそれを正していく保守マスメディア(新聞、テレビ)が存在していれば、日本の今の現実はないからである。この真理を自覚して、批判を提起してきた保守言論人はどれ程いるだろうか。
保守言論人の圧倒的多数には、前記の認識そのものがない。さらには言論を、現体制内における自らの名声を高める手段としか考えていない者も多い。これらの場合、彼らは必然的に政府・与党の基本方針に協調していくことになる。多少の不満を述べるだけだ。これでは、国民は衆愚のままであり、政治的に成長していくことが出来ない。政府も自民党のほとんども、国民が保守的に成長しないことを望んでいる。「政府系言論人」も同様である。
「法の支配」と、「法(律)治主義」は全く異なっており、前者は後者を批判するものだ。法の支配の思想が獲得されていないときは、彼は法治主義に堕しているから、法律案を策定し、法律を運用していく政府こそが日本における最高権力機関だ、という認識になってしまう。そうすれば、政府・与党と協調していくことが保守派の正しい立場である、という誤った認識になるのは論理の必然だ。さらには、政府・与党と対決する者は、すべて左翼や右翼(大東亜戦争を肯定する反米民族派)である、ということにもなっていく。
もちろん、保守主義者は、誤っている左翼及び右翼と対決する。しかし、私たちは保守主義者は常に政府や与党とも緊張関係を保っていなくてはならず、誤った政治がなされようとするときには、厳しく対決して正していかなくてはならないのだ。政府や与党との協調路線は、保守主義の自己否定である。
二、日米の統治の違いの深刻さ
米国大統領は就任に際し、聖書に手を置き、「私は米国憲法に従って米国と米国民のために誠心誠意を尽して良い仕事をすることを神に誓います」と宣誓する。米国では、法と(法を明文化した)憲法が政府、議会、裁判所、国民の上にある、我々は法・憲法の支配に服さなくてはならない、という思想が社会常識になっている。法の支配の思想だ。
だから言論人と国民は、常に政府、議会、裁判所を厳しく監視し、もしそれらが法の支配から逸脱したり、反したり、あるいは法的義務を果そうとしないときは(不作為)、断固として対決して批判して誤りを正していこうとする。そのように行為することが、国民の法的義務であるとともに、権利であるとの社会意識が形成されている。
政治家や官僚が国民から尊敬され得るのは、法の支配に従って、国家と国民のために正しい良い政治をする場合であり、そうした法に基づく政治が出来ないならば、彼らは国民の代表たる資格がないとして批判される。ましてや、法の支配を踏みにじる政治をするならば、つまり反国家、反国益、反公けの秩序、反国民福祉の政治をするならば、彼らは、政府や議会を私物化し、「政治的犯罪」を犯した者として、断固として糾弾され退陣や更迭させられることになるのである。これが、立派な文明国家の統治原理である法の支配である。
日本ではどうであろう。保守マスメディアが、このような米国の統治原理、政治原理を解説することなどない。日本には法の支配の思想自体がなく、統治は「法(律)治主義」でなされている。だから、政府・与党は自由に自らの政策を実行できる、と当然のように信じられている。確かに学校の教科書にも、憲法が最高法規であること、裁判所に法令審査権があることは書かれている。しかしそれは言葉だけだ。保守派が法の支配の立場から、「違憲行為だ!」と政府等を非難することはないからである。
なお、内なる侵略勢力たる左翼の唱える〃護憲〃は、反対語であって、条文の解釈を歪曲否定して日本国憲法を破壊し、日本を解体していくものである。左翼は法を否定する。
法・憲法が政府や議会に課している第一の責務は、国家の安全と独立を守ることであり、国民の生命、財産を守ることである。北朝鮮の特殊部隊・工作員に繰り返し国土に侵入され横田めぐみさんら多くの日本人を拉致された日本の政府と議会が、北朝鮮に対して経済制裁を断行しないのは、また自衛権を発動して軍事作戦を行なおうとしないのは、違法・違憲行為である。この不作為は、国家の主権を否定し、国家の尊厳と名誉を踏みにじり、拉致被害者を見捨てるものであり、政治的犯罪以外の何者でもない。だから違法・違憲なのである。
だが、保守マスメディアが「小泉首相は法の支配に違反している。憲法に違反している」と糾弾することは決してない。逆に、小泉首相を「拉致問題解決に風穴をあけた」と持ち上げてしまう。産経新聞等である。最高権力者へのおもねりであろう。もちろん左翼は、憲法違反の小泉首相を大いに歓迎する。米国であれば決して考えられないことである。もしそんなことがあれば、共和党系メディアも民主党メディアもこぞって、そのような政府や議会を糾弾する。国民もそうする。日本は異常な国家であることを、私たち一人一人が強く自覚しなくてはならないのである。
三、思想と倫理・道徳の両方が問われている
日本の保守派の弱さは、思想の質の弱さである。法の支配の思想が獲得されていなければ、誤っている政府や与党と戦っていけないのは自明であろう。だが、「憲法が最高法規であり、これに反する立法や命令は許されない」ということは、知識としてならば誰でもが知っている。それなのになぜ保守派は、「憲法の支配」を実践できず、「法(律)治主義」に堕してしまったのかも、深刻に問われなくてはならないのである。
私たちは、相手が大きな権力を持っている政府や与党であっても、不正に対しては、屈せず勇気を持って対決して正していくという、人間としての倫理・道徳観を持っていなくてはならない。これがなければ、どんなに立派な思想も、単なる知識で終ってしまう。思想と倫理・道徳の両方が問われているのである。
私自身が多くを学んできている中川八洋教授の著書から引用したい。「文明の社会の、その文明性は、法規範と倫理・道徳規範が発展して達成されたものである」「美徳は、義のために生命を棄て、自らの幸福を省みないが故に、美徳である。〃道徳〃は、恥に始まり、名誉、勇気、信義、忠誠、正義感、仁慈など高貴な人格の基盤となる美徳(virtue)であって、文明の人類史からしても普遍的であった」(『教育を救う保守の哲学』二三六頁、徳間書店二00三年三月、共著)。
一九四六年の憲法改正議会で、芦田均氏は九条の原案文を修正した。GHQ(連合国軍総司令部)も直ちに了承した。これが今日の憲法九条であるが、芦田修正により、日本の自衛権は米国等と同等になったのである。この経緯は、高柳賢三元憲法調査会長らによる『日本国憲法制定の過程2』に述べられている(産経新聞二00四年十二月六日付「吉田政治の遺産3」参照)。
「芦田修正」のことは、政治学者など保守言論人の多くが知っているのは間違いないところである。だが、ほとんど誰も主張してこなかった。それは、政府への迎合、おもねりのためである。他に理由があるだろうか。「憲法九条二項は自衛のための軍隊の保有も認めていない」等々の政府統一見解は、法と九条を否定する違法行為であり、無効である。反国家的犯罪である。
左翼の憲法学者はみな「芦田修正」の事実を熟知している。だが自らに決定的に不利になるこの事実を、決して公けすることはしない。逆のことを繰り返し宣伝してきている。朝日新聞などの左翼マスメディアも同様である。左翼は、戦いは情報戦であることをよく理解している。一方の保守言論人は、「芦田修正」を知りながら戦うことをしてこなかった。その結果として、保守派を含め多くの国民が、左翼の嘘プロパガンダに洗脳されてきたのである。
四、忠誠を尽すべきは国家と法であり政府ではない−憲法九条問題、拉致問題
保守派の多くは、日本国家と日本政府が全く異なる実体であることを理解していない。政府を形成している人たちは、自らと国家を同一視して国民に宣伝しているが、全くの誤りである。日本国民は、国家と法に忠誠を尽すべきだが、政府に対してはそうしてはならない。なぜならば、政府は往々にして政策を誤り、法を否定して国家と国民に害を及ぼすことがあるからだ。大東亜戦争が典型である。政府への忠誠は、誤りを丸ごと支持することを意味する。
国民が、政府を支持し尊敬する時は、法が政府に課す責務、すなわち、法の支配を守り、国家の安全、独立、永続を守り、国民の生命、財産を守り、国家の法秩序・道徳秩序を守り、国民の福祉を守るなどの仕事を立派に遂行している時である。政府がこの責務を果さないならば、国民は法的責務によって、国家を守る等のために、誤っている政府と対決して正していかなくてはならないのである。国民が忠誠を尽すのは、国家と法であり、政府ではない。日本国家の主権者は法である。だから法の支配だ。
日本の法は当然のごとく、国防のための軍隊の保有を義務づけている。その法に基づいて、芦田均氏は憲法九条を策定した。私たちが日本国家と法・憲法九条に忠誠を尽すならば、「憲法九条に関する政府統一見解」を全否定する義務があるのは自明であろう。これを容認する者は、日本国家への忠誠を否定する者であり、政府の反国家的犯罪に加担することになる。
現在の九条政府見解は、法・憲法九条に違反していて無効である。小泉内閣は直ちに、閣議で是正措置をとる義務がある。わずか一日で解決することだ。わたしたちはそれを迫らなくてはならない。裁判所も、直ちに、現在進行中の訴訟において、憲法九条本来の解釈を判示しなくてはならない。本来の九条を取り戻したら、政府と議会は、すぐに現在の法律体系の改正に取りかかることである。憲法九条改正という手法は、法の支配・本来の九条を否定しており、そして国家の安全保障と国民の国防意識、道徳心を不全のままに長期間放置するものであり、かつ今の状態では正しき改正など出来ないから、全くの誤りである。
日本国民は、根拠なく政府や議員を偉いと思いすぎる。これは、政府・与党と保守マスメディアが共同して作り上げてきた誤った社会観念のためだ。政府と議員は、法の支配に服して、国家と国民のために立派な政治を行なう義務を負っている存在である。正しき政治を実施して当然であり、法に違反する政治をすれば、政府や議会を私物化したとして非難されて当たり前なのだ。それだけ重責の地位であり、仕事である。「公」とはそういうものである。
保守言論の全体が、思想的・道徳的に根本的に変わっていかないことには、日本の政治は変わらない。保守マスメディアは、法に違反して、北朝鮮に対して経済制裁を発動しない小泉首相を、徹底的に批判、非難していかなくてはならないのだ。彼らにそうさせていくためには、無名の自覚的な国民が行動を起こしていかなくてはならない。拉致被害者家族会の人々は本当に頑張って戦っている。それに応えなければ、人間とは言えないだろう。
五、左翼は違法・違憲存在である−左翼は上からの革命を遂行中
日本では、共産主義を信奉する左翼政党や団体が、堂々と活動している。国会や地方議会にも議席を占め、地方自治体の首長にもなっている。左翼は新聞やテレビの大部分を支配し、政府の中枢にも多数侵入してきている。たとえば、「内閣法制局には共産党系の赤い法律官僚が多い」(中川八洋教授『皇統断絶』一0六頁、二00五年五月)。これも、法に基づく統治、政治がなされていないためである。
日本国憲法第三章「国民の権利及び義務」は、憲法が現在及び将来の国民に種々の自由及び権利を保障していること、国民はこれを濫用してはならず、常に公共の福祉のために利用する責任を負っていることを謳っている。日本国憲法は、日本を自由社会の国と定めている。憲法が保障する自由と権利を全て破壊していくことになる共産主義(社会主義)政党や団体が、違憲存在であることは明白だ。彼らの言う〃護憲〃は、目的を隠すための偽装である。
しかし、政府も議会も保守言論人もそれに騙されてしまい、左翼政党、団体を非合法化する立法措置を取ってこなかった。この不作為は違憲である。憲法学者のほとんどは左翼だ。
左翼は、憲法二十一条の集会・結社・言論・出版・表現の自由をもって、自らの活動を正当化している。しかしこれらも、憲法十二条、十三条の「公共の福祉に反しない限り」との限定下にあるから、共産主義者、無政府主義者の諸活動は全て憲法違反である。「公共の福祉云々」は適切な表現ではないが、意味するところは明らかだ。つまり、日本国の利益または公共の安全を害しない限り、ということである。左翼の活動は、全てこれに反する。かつて左翼であった私が言うのだから、絶対間違いない。
日本政府と議会は直ちに、左翼政党・団体を非合法化する立法措置を取らなくてはならない。英国は共産主義者団体を非合法化しているし、米国には、共産主義者取締法がある。「共産主義者と目された人物に対しては、公職への立候補妨害など、社会全体で徹底的に〃いじめる〃体制になっている」(中川八洋氏『皇統断絶』二0四頁)。日本では、外国人は公権力を行使する地位の公職から排除されているが、それ以上に、個人の左翼を公職から排除する立法を行なわなくてはならないのは明白だ。
左翼は政府中枢へ多数侵入している。碩学中川八洋氏の著書から引用しよう。「文部省の官僚は今、全共闘系と共産党系で多数を占めています」「日本共産党系の官僚の巣窟と化している内閣府男女共同参画局と五十歩百歩です」(『教育を救う保守の哲学』七五頁)。「『社青同』の暴力学生であった西広整輝が事務次官になった一九九0年代前半の頃から、『白書』は改竄数字だらけになった。この〃西広イズム〃が今も生きているのである。防衛庁の上級職(1種)官僚は、全共闘系の極左が主流である」(『日本核武装の選択』一二六頁)。
「法務省民事局や人権擁護局などは、極左官僚のたむろする赤色不法廃棄物の投棄場所のようになっている」(『国民の憲法改正』二一五頁)。「内閣官房や内閣法制局の赤い法律官僚が主導する『皇室典範有識者会議』そのものが問題である上に」(『皇統断絶』二六0頁)。
政府と議会は大至急、公職選挙法十一条の資格、国家公務員法二十七条と三十八条及び地方公務員法十三条と十六条の平等取扱の原則と欠格条項を、違憲・無効条項として改正し、左翼を排除する義務がある。左翼は上からの革命を遂行中だ。思想をチェックして赤の官僚の更迭を大至急行なわなくてはならない。
皇室典範有識者会議は、女性天皇と女系天皇を全会一致で容認し、皇位継承順位は第一子優位の方針を固めた。これでは天皇制の破壊廃止が決定してしまう。内閣法制局と内閣官房の赤の官僚が、都合の良い学者等を組織したのが同会議だ。小泉首相も赤の革命を支えている。自由日本の根本制度の天皇制の破壊は絶対に許されない。即刻、赤の官僚を更迭し、同会議を解散させなくてはならない(『皇統断絶』参照。是非読んで頂きたい)。
九九年成立の男女共同参画社会基本法は、男性性、女性性を破壊して日本社会を破壊していく全体主義法、共産主義法だ。総理府(当時)の赤の官僚坂東真理子が、大澤真理ら全共闘系や日共系の活動家を審議会メンバーに引き入れて策定したものである(前掲書七章、同氏『与謝野晶子に学ぶ』八章参照)。自由日本を破壊する同法は違法違憲であるから、無効である。直ちに廃止しなくてはならない。「両性の本質的平等」を謳う憲法二十四条も、法に違反しており無効である。直ちに削除すべきだ。
私たちが、法の支配に基づいて戦わないとすれば、自由国家日本は崩壊していくだろう。
二00五年十月二十五日記