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 三成の世界はとても狭かった。

 男の子を望んでいた両親のもとに娘として生まれたために、物心つくころにはおさき・・・と女名で呼ばれながら息子として扱われていた。そして本当は女だと周囲に知られないように、家の外に出ることを禁じられていた。

 だが、それでも両親の気持ちに整理はつかなかったのだろう。おさきは「佐吉」という男名で寺小姓に出された。本来なら女子は入れない寺に入れたのは、父親が何か手を回したからかもしれない。だが、幼いおさきにそんなことはわかるはずもなく、師である僧たちも同僚の寺小姓たちも男ばかりの中で、おさきは男のふりをして務めに励むほかに道がなかった。

 だから、おさきの世界は、寺に入るまでは両親の下、寺に入ってからは寺の中、ただそれだけの小さな世界だった。経典を習う時間は、その世界の外をうかがい知る貴重な時間であるとともに、すこしも想像できない世界を突きつけられる時間でもあった。おさきには、想像できない世界に思いを馳せるよりも、身近な人に認められることのほうがずっと重要なことだった。

 ある日たまたま寺に立寄った秀吉に茶を出したのがおさきでなかったなら、おさきを気に入った秀吉のためにと半兵衛がおさきを引き取らなかったら、おさきの世界はその寺だけだったことだろう。思いも寄らない出来事をきっかけに、おさきは佐吉という名の男の子として半兵衛に引き取られた。

 半兵衛は美しく、そして優しかった。両親に注がれる愛情というものを知らなかった佐吉には、半兵衛が丁寧に教えてくれるあらゆることが嬉しく、まぶしかった。必死にそれらを身に着け、そんな処遇を与えてくれた秀吉に感謝して、二人に認められることだけを考えて、佐吉はすらりとした青年武将として成長した。

 その頃の三成の世界は、秀吉と半兵衛だけがいる世界だった。

「やあ、三成君。久しぶりだね」

 大坂城の廊下で行き会った半兵衛は、三成の姿を見ると嬉しそうな声を上げた。三成は半兵衛に向き直ると、臣下の礼をする。半兵衛は三成の肩を叩いて、顔を上げさせた。

「相変わらず堅苦しいな、君は。また背が伸びたかい?」

「そのようです。……半兵衛様は、お変わりなく」

 病を患っている半兵衛には、変化がないことが何よりの言葉だった。変わり者を装って施している化粧が、実は顔色を隠すためであることを知っている者は少ない。その数少ないうちの一人が三成だった。

「そうだね、最近は調子も落ち着いてるよ。……ところで三成君、最近何かあったのかな? すこし顔つきが変わった」

「顔ですか? 特に何もありませんが」

「そうかい? 僕には、女の子らしくなったように見えるけどね」

 半兵衛の言葉を聞くなり、三成は表情を強張らせる。三成は自分が女であることを嫌悪していた。女では秀吉の役に立てないというのが三成の考えだった。

 そんな三成を優しい眼で見る半兵衛は、ぽんぽんと三成の腕を叩いた。

「そういう顔をするものじゃないよ。君が頭がよくて剣の腕が立つことと女の子であることが関係ないのはわかっているからね。それはそれとして、僕たちの大事な娘が美しく育つのは嬉しい、ということだよ」

 半兵衛はたまに三成のことを『僕たちの大事な娘』と呼ぶ。そこには、豊臣に絶対的忠誠を持つよう刷り込むという目的があったが、同時に、自分自身を大切にするという発想がない三成が少しでも無茶を思い留まるようにという思惑もあった。

「君がいつか、剣よりも華を選ぶ日が来るなら、それでもかまわない。生きたいように生きたまえ」

 実際、半兵衛は三成が可愛くて仕方がなかったのだった。すぐに思いつめてしまう純粋な少女は、半兵衛が褒めると百合が咲くように笑うから。

「ところで、このあと時間はあるかい、三成君?」

「はい」

「それはよかった。食事につきあってくれないか。一人で食べると、どうにも味気なくていけない」

「承知しました」

 階上の私室に向かって促す半兵衛の後について、三成も歩き出す。空腹感はなかったし、まだやりたい仕事は山と残っているが、それよりも半兵衛がきちんと食事してくれることの方が重要だ。自分がいると箸が進むのなら、是非とも同席しなくては。

 三成がもう数日もろくなものを食べずに仕事していると報告を受けた半兵衛が、同じことを考えて三成を食事に誘ったとは、露ほども気付いていない三成である。




 三成が不思議な男に出会ったのは、それから半月ほど後のことだった。

 豊臣に反抗して兵を挙げた豪族を鎮圧した三成は、帰還の挨拶をするために大坂城を歩いていた。三成の全身は返り血で汚れているが、身なりを改める時間を秀吉への報告に優先させることを良しとしなかった三成は、戦装束のままで歩いていた。

 乾いた返り血は、三成の銀髪や顔はもちろん、白銀の陣羽織や漆黒の具足にもこびりついて、三成を赤錆色に染め上げていた。秀吉の城を返り血と泥で汚すことに抵抗はあったが、自分の身なりをなんとも思っていない三成にとっては、それ以外に思い煩う理由はない。城内の汚れは女中が掃除をすればよいことだと割り切れば、一刻も早く秀吉に報告することを阻むものはないはずだった。

「そこの者!」

 張りのある声が三成を呼んだのは、秀吉の執務室に向かう回廊の途中だった。条件反射で振り向いた三成は、武将の身支度をしている見慣れない顔に眉をひそめる。豊臣の主な武将は戦力として頭に入れているつもりだったが、目の前の青年に見覚えはなかった。

「血塗れじゃないか。どこを怪我した? その様子では、まだ手当てしていないんだろう。すぐに医者に診せなくては」

 落ち着いた山吹の装束を身に着けた青年は、足早に三成に歩み寄ると、心配そうに手を伸ばしてきた。

「要らぬ世話だ」

 伸ばされた手をぱしりと払いのけて、三成は吐き捨てる。怪我をしていると思われたことが癪に障った。

「雑兵相手に私が後れを取ることはない。これはすべて返り血だ」

「そうか……」

 青年はほっとしたように微笑んだが、目の端には悲しそうな光が滲んだ。私が無傷であることが残念か!?と三成はさらに眉を吊り上げるが、顔を上げた青年は安心した顔でまっすぐに三成を見つめて、

「無傷なら良かった。それだけの返り血を浴びたのなら、さぞ多くの者に首を狙われたのだろうが、それで無傷とは、よほど剣の腕が立つのだな。斬られた者たちの命が失われたのは悲しいが、貴公が無事だったことはなによりだった」

 青年の声は明るく、屈託のない口調だったが、その言葉を聞いた三成は、それまでとは違う怒りを覚えて声を荒げた。

「貴様! 秀吉様に逆らった者を惜しむとは、どういう料簡だ!? 秀吉様に逆らい兵を挙げた者を斬滅することは、半兵衛様より託された私の使命だ! 私がその使命を果たすことが『悲しい』などと、貴様、それでも秀吉様にお仕えする豊臣の武将か!? 今すぐ叩頭して秀吉様に許しを請え!!」

 左手に握った愛刀の柄を青年に突きつけて、三成は渾身の怒りを込めて叫ぶ。秀吉に逆らった者が斬り捨てられるのは当然のことだ。それを嘆くなど、言語道断のことだった。

「えっ!?」

 思わず絶句する青年に、三成はさらに怒りを強くする。間髪入れずに秀吉の前に赴き、跪いて叩頭するべきだというのに、動こうともしないなど、決して許すことはできない。

「貴様……っ!」

 ついに三成が鯉口を切ろうとした瞬間だった。

「おや? 家康君、どうしたんだい?」

 青年の背後から声を掛けたのは半兵衛だった。敬愛する上役の姿に、流石の三成も構えを解き、礼を取る。

「半兵衛殿」

「三成君が、どうかしたのかな?」

 穏やかに微笑みながらも、眼差しで家康をけん制して、半兵衛が近づく。三成を守るかのような位置で立ち止まった半兵衛に、家康と呼ばれた青年は向き直って、

「いや、彼はどうもしていない。あまりに血で汚れていたので、怪我をしているのかと誤解して呼び止めてしまったんだ。急いでいたようだったのに、些末事で時間を取らせて、すまないことをした」

「ふぅん? そうなのかい、三成君?」

「その点に関しては、確かに間違いではありません」

 青年の説明は一部始終を網羅してはいなかったが、すくなくとも説明している部分で間違いはない。くどくどと言葉を重ねることが苦手な三成は、どう説明したらよいかわからず、ただ短くうなずいた。半兵衛は柔らかく微笑むと、

「なら、どうして三成君は家康君に刀を向けていたのかな?」

「失礼しました」

 半兵衛は三成が青年に刀を突きつけている状況を知って、割って入ったようだった。三成は、半兵衛がそこまでしたことから、青年が豊臣にとって少なからず重要な存在であると察して、頭を下げる。

 半兵衛は笑って三成の肩を叩き、顔を上げさせると、青年を振り返った。

「この子は石田三成君と言ってね、秀吉も僕もとても期待をしている子なんだ。とても真面目な子だから、驚かせてしまったかもしれないけれど、許してやってくれると嬉しい」

「許すもなにも、彼はなにも間違ったことは言っていない。ワシの考えの甘さを指摘してくれて、とても勉強になった」

 青年も謝罪されるようなことはなにもなかったと微笑む。だが、ふたりとも、その眼の奥は笑っていない。豊臣に非はないと言外に匂わせ、先手を打とうとした半兵衛の意図に気付いた青年は、なにもなかったことにして半兵衛に貸しを作ったのだった。

 駆け引きはこの一瞬で決着がつき、内心で舌打ちしながら引き下がった半兵衛は、今度は三成を振り返る。

「こちらは、三河を治める徳川家の当主で、徳川家康君だ。豊臣とは同盟を組んでいるので、大坂城へもよく来ているんだよ。失礼のないようにね」

 同盟国の当主なら、三成より上の立場にあたる。三成は『今後は気を付ける』とでも言うかのように無言で頭を下げた。

 端正な表情をすこしも動かさずに、隙一つない綺麗なお辞儀をする三成を見つめていた家康は、唐突につぶやく。

「三成。三成と呼んでいいか?」

「どうぞお好きに」

 目上だから敬語を使ってはいるものの、基本的に、秀吉か半兵衛のどちらかに関することしか興味のない三成の口調は、とても素っ気ない。だが、家康はめげることもなく、

「三成はいくつだ? ワシと同じくらいか。近い立場で話せる者と知り合えて、とても嬉しい。よろしく頼む」

「………………」

 三成が隣の半兵衛に視線を向ける。いったいどうすればいいのかと助けを求めるような眼差しに、半兵衛はついぷすりと吹き出し、

「確かに、君たちは同年代だね。家康君の言葉に甘えて、難しく考えず、同じ年頃の同僚が増えたと思えばいいよ、三成君」

 それでも、三成の眉間から困惑のシワは消えない。とは言っても、変化に乏しい三成の表情から感情を読めるのは、半兵衛の他は大谷吉継くらいだから、当の家康は気付かずににこにこと三成の返事を待っている。

 すっかり困ってしまった三成を見かねて、半兵衛が助け舟を出した。

「家康君。僕や秀吉が手元から離さなかったせいで、三成君は同年代の同僚との付き合い方や、この年齢なら当たり前の遊びを知らないんだ。三成君は普段なかなか遊ばないし、繊細で難しいところがある子だけど、仲良くしてやってほしい」

「承知した、半兵衛殿」

「半兵衛様……!」

 半兵衛と家康だけで進められていく会話に驚いた三成は、ついにすがるような声で半兵衛を呼ぶ。振り向いた半兵衛は、優しい笑みを浮かべたまま、首を振った。

「さっきも言ったけど、家康君のことは同年代の同僚だと思って仲良くしなさい。三成君、君はもう少し、友人と呼べる相手を増やした方がいい。いつまでも大谷君としか打ち解けないようでは、先が心配だ」

 そして、三成の耳にそっと顔を寄せると、

「いつかかならず、家康君との結びつきが必要になる。僕たちの大事な娘、君のためだよ」

 驚いた三成は、思わず正面から半兵衛の顔を見つめる。至近距離で微笑む半兵衛は、慈愛に満ちた表情をしていた。

 魅入られるようにこくりとうなずいた三成は、あらためて家康に向き直る。

「半兵衛様のお許しをいただいた。用があれば呼べ」

 言うだけ言うと、三成は家康の反応も待たずに半兵衛に目を向ける。

「戦勝のご報告をしたいのですが、秀吉様にお目通りできますか?」

「ああ、いいよ。ちょうど今は手が空いているはずだ。……それではね、家康君」

 家康にあいさつして歩き出す半兵衛の後について、三成もその場を去る。

 これが、三成と家康の出会いだった。


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