午後も半分を過ぎた頃、打ち合わせを終えた小十郎は、すこし休憩しようと社員用のコーヒーラウンジに向かった。
喫煙室とは別に、禁煙の休憩スペースとして設置されているラウンジは、カプセル式のドリップコーヒーやティーバッグが何種類もフリーで置いてある。セルフ方式で、マイカップ持参が基本だが、インスタントではないコーヒーがフリーなのは有難い。
ブラジル・サントスのカプセルを取った小十郎は、カフェマシンにカプセルをセットしてスイッチを入れる。すぐに香ばしいコーヒーの匂いが広がり、小十郎はブラックコーヒーで満たされたカップを持って空いているスツールに足を向けた。
「あ、主任。お疲れ様です」
「お疲れ様です」
「ああ、お疲れ様」
すぐ隣のテーブルで、同じ部署の部下たちがちょうど集まって休憩しているところだった。小十郎に挨拶した部下は、そのまま、小十郎に話しかけてくる。
「聞いてくださいよ、主任。こいつ、彼女と気まずいらしいんです」
「へえ?」
指差された部下は、気まずそうに苦笑いしている。部下の恋愛話など、正直あまり関心はないが、こういうとき話題に付き合うのも人間関係構築の役に立つ。小十郎は控えめな相槌で先を促した。
「そんな大げさな話じゃないんですけど……昨日家に帰ったら、結婚情報雑誌があって。彼女と同棲してもう2年経つし、無言の催促だろうなぁって思って」
「なんだ。彼女と将来の話をしていないのか」
「だって、俺は結婚とか考えてなかったし、収入だって結婚するにはまだ低いと思うし……。そんなに急ぐことじゃないと思ってたんで」
「なるほどな……」
内心では、部下の逃げ腰な言い訳が小十郎には腹立たしいが、プライベートのことで説教するほど口うるさい上司になるつもりはない。卑怯な男だと思いながら、怒鳴りつけたいのを我慢してうなずく。
「主任、どう思います? こいつの彼女、可哀想じゃないですか?」
「主任、別に俺フツーですよね? 結婚とか、そんなホイホイできるほうがおかしいですよね?」
小十郎にしてみれば、結婚は人生の一大事なのだから、結婚を安易に期待させるような状況になること自体に慎重になるべきだったと思うが、ここでそんなことを言ったところでどうにかなるわけでもない。どうしたものかとため息を吐いて考えていると、別の部下が会話に入ってきた。
「おまえ、馬鹿だなぁ。主任がおまえの肩持つわけないだろ。主任は結婚してるんだぞ」
正確にはまだ結婚していないが、時間の問題でもあることだし、面倒なので放っておいている誤解なのだが、そこはあえて突っ込まないことにする。
「それも、就職したばっかりの頃から婚約してた彼女とだぜ。おまえみたいに、結婚とか考えてねえ癖に同棲して、やりたいようにやってる奴と同じはずねえだろ」
別に彼に政宗のことを話した記憶はなかったが、今までにたまに会話に上っていた断片的な情報をつなぎ合わせたらしい。間違いではないので、小十郎は否定もせずに成り行きに任せてみることにした。
「ええっ、主任、結婚してたんですか!?」
「いつの間に!? ってゆーか、就職したばっかで婚約!?」
「まあ……彼女と、彼女の親を安心させるっていう意味でな」
驚く部下に、小十郎は当たり障りのない範囲でうなずく。
「奥さんって、いくつなんですか? 学生時代の同級生とか?」
「いや…、年下だ」
「年下って、いくつ離れてるんですか!?」
「10歳下だが」
なんの気もなく、事実を言ってしまった後で、小十郎はしまったと思った。部下たちは小十郎の年齢を知っている。逆算すれば、『小十郎の妻』がいくつのときに婚約したのか、ばれてしまう。
「ってことは、奥さん小6のときに婚約!?」
「いや、中1になってたかもよ?」
「それでも早いだろ。中1で将来決めたんだぜ」
案の定、逆算した部下たちは驚愕の視線で小十郎を見つめる。言わなければよかったとため息を吐きながら、小十郎は言った。
「そうしたいと思うほどの相手と、人生かけて誓うのが結婚ってものだろう。無責任に彼女に期待させるもんじゃないぞ」
結局説教をしてしまった……と思いながら、カップに残ったコーヒーを飲み干し、小十郎は立ち上がる。
「責任取って結婚しろとは言わないがな、彼女が無言で催促した理由と、自分が彼女とどうなりたいのかを、ちゃんと考えてやれ」
これ以上この話題に付き合わされるのはたまらないと、小十郎はラウンジを後にした。
その後、一部で『片倉小十郎ロリコン疑惑』がささやかれることになる。