外出中のが怪我をした。
左脚の外側、腿の中ほどのところを斬られて、歩けなくなっているのを、巡察中の二番組が見つけて、永倉に抱えられて帰ってきた。
その日は土方が留守にしていた。隊の金子のことで守護職の用人に呼ばれていて、おそらく日暮れまで帰ってこないと言って出かけていた。
怪我をしたのが近藤ならともかく、補佐とはいえ正式な隊士でもないでは、守護職邸まで使いを遣って土方を呼び戻すわけにもいかない。だが、が怪我をしたという出来事は、ある意味ではまさに一大事だった。
永倉は当然のように土方の部屋にを運び込む。沖田が布団を広げ、はそこに降ろされる。斎藤は勝手場に酒の燗をつけに走っていく。原田は斬り傷の手当てに必要なものを集めに走り回る。藤堂は松本良順のところへ使いに出される。松本が到着する前に、折よく山崎が屯所に戻ってきたため、応急処置をということになり、土方の部屋へ呼ばれる。
いったいなにごとかと山南や近藤や井上が声をかけても、誰も落ち着いて説明できる者はいないほど、大騒ぎになっていた。そこで仕方なく、彼らは土方の部屋を覗いて情報収集に当たる。
は痛みで朦朧としていて、永倉に見つけられてからずっと、されるままになっていたが、いざ手当てをするというときになって、猛然と暴れだした。
左脚が動かせないから、暴れると言っても、腕を振り回すくらいだ。だが、必死に暴れる腕は、近寄ってきた原田や沖田、手を貸そうとした山南や井上までもを渾身の力で突き飛ばす。
泣きながら暴れるを、痛みで錯乱しているのかと思った永倉と近藤が抑え込み、消毒薬の用意をした山崎が傷の手当てをしようと着物の裾に手をかけた。傷を手当てするには、血で濡れて張り付いている布地を捲らなくては話にならない。その途端、は一層激しく暴れ、とうとう叫びだした。
「いやぁっ!! 放してぇっ!」
「、落ち着け!」
「すぐに済ませますから!」
永倉と山崎がなだめるように怒鳴るが、の恐慌は収まらない。
「いやぁぁ―――!!」
涙声で叫んだが、二人がかりで抑える近藤と永倉を振り解くこともできず、怪我をした脚を隠すように丸まったときだった。
「なにしてるんですか!! さんは怪我してるんですよ! 皆さん、すぐにこの部屋を出て行ってください!!」
廊下で叫んだのは、松本を玄関から案内してきた千鶴だった。
男性陣が全員追い払われた部屋で、は松本の治療を受けていた。鎮痛剤として飲まされた薬は、鎮静剤の効果もあったらしい。涙はだいぶ落ち着いてきていたが、それでもまだひっくひっくと小さくしゃくりあげる背中を、千鶴が労わるようにさすっている。
「そうですよね、酷いですよね。女の人の脚なのに、男の人ばっかりで寄ってたかって」
「男所帯だから仕方ないとはいえ、ガサツな者ばかりだからな。…うん、これならきれいに治るだろう。しばらくは動かずに大人しくしていなさい」
傷の手当てを終えた松本は、薬を塗って包帯を巻くと、の頭を安心させるようにぽんぽんと叩いた。
「当面必要な手当ては、紙に書いて、薬と一緒に山崎君に渡しておくよ。お大事に」
「ありがとうございました」
は慌てて顔を上げて涙を拭くと、松本に丁寧に頭を下げる。松本は微笑んで、部屋を出て行った。
ぱたん、と障子が締まった瞬間のことだった。
ぼわっと4本の尻尾が現れた。ふわふわもこもこの太くて立派なそれは、狐のものだ。
「えっ!?」
「あぁっ」
驚いた千鶴と、慌てたが同時に叫ぶ。
「、さん?」
「ご、ごめんなさい。安心したら、隠しきれなくなっちゃって……」
「隠せないんですか?」
「うん…。どうしよう……」
思いがけない怪我をして、騒がれて気が高ぶって、かと思ったら安心して気が抜けて、そんなめまぐるしい出来事の連続で、はすっかり弱気になってしまったようだった。じわりとまた涙が目に滲む。
千鶴は落ち着かせるために、わざとなんでもないような口調を作った。
「あ、でも。さんがお稲荷様のお姫様だっていうことは、土方さんだって、幹部の皆さんだってご存知ですし……。きっと誰も、驚いたりしませんよ」
「いや! 土方殿にこんな姿を見られるのはいや」
「どうしてですか?」
「だって……みっともないわ。こんな姿、絶対見られたくない」
見られたくないも何も、ここは土方の部屋で、あと数刻もすれば土方は帰ってくるのだが。いや、数刻もかからないかもしれない。近藤が島田を土方の迎えに出していた。守護職邸で果たさなければならない用件が済めば、土方は島田がわざわざ迎えに来た理由を聞くだろうし、そうすれば供回りも迎えの島田もほったらかして、非常識にも馬を飛ばして帰ってくるだろう。
さらに言うなら、尻尾のあるもちょっと可愛いと千鶴は思う。だが、本人はそうは思っていないようだった。
「ただでさえ、しばらく安静にしていなさいって言われてしまって、お仕事のお手伝いができないのに。役立たずの上にみっともないなんて、土方殿に知られたくない。もう消えてしまいたい……」
そして、はふたたびしくしくと顔を覆って泣き出してしまう。千鶴は困り果てて、どうしたものかと障子を細く開ける。すると、中庭に人影が見えた。
「原田さん!」
千鶴が呼ぶと、原田はすぐに来てくれた。そして、元気なく広がるの尻尾を見て、すべてを察してくれたらしかった。
「どうした、。そんなに泣いてたら、治るもんも治んねえぞ」
原田は「まかせろ」とでも言うように千鶴にうなずいて見せると、すぐ横に腰をおろして、に優しく声をかける。は鼻をぐすぐす言わせながら、原田を振り返った。
「原田殿。だって……」
「そうだな。いろんなことがあって、疲れちまったな。とりあえず、自分の部屋でゆっくり休みな。運んでやるから」
そう言って、原田はの背に片腕を回すと、もう片方の腕で膝裏をすくい、を抱き上げる。
「ほら、つかまれ」
言われるままに、は原田の肩に腕を回す。すると、尻尾たちもくるりとまるまっての体や原田の腕に巻きついた。
「千鶴、の部屋に布団引いてやってくれ」
「はい」
ぱたぱたと千鶴が走っていくと、傷に響かないよう、ゆっくりとした足取りで、原田もの部屋に向かって歩き出した。
「おっ、。怪我の手当て、もう終わったのか」
廊下に出ると、永倉が二人の姿を見つけて寄ってきた。
「さっきは悪かったな。俺、全力で抑えつけちまっただろ。痣になってたりしてねえかって、部屋追い出されてから心配になってよ」
「たぶん大丈夫。わたくしこそ、暴れてごめんなさい……」
神妙な顔をして詫びる永倉に、もしょげた声で謝った。いくら永倉がガサツでも、悪気があったわけでも、下心があったわけでもないことは、もよくわかっていた。
「つーか、左之。ちゃっかりのこと抱き上げたりして、羨ましいぞ、こら。…怪我が治るまで、左之だけじゃなくて、俺や平助もこき使っていいからな」
「ありがとう」
「。石田散薬を用意した。刀傷によく効く」
盆を持った斎藤が、勝手場からこちらに向かってきた。盆には、お銚子と湯飲み茶碗、そして左三つ巴の紋が入った薬袋が載っている。永倉と原田が「げっ」とうめいた。
「原田さん、お布団引けました」
「ありがとな、千鶴。…夕飯、できたら持って行ってやるから、それまで寝てろ。な?」
子供に言い聞かせるような口調で言われて、はこくりとうなずく。原田は「いい子だ」と微笑むと、を布団の上まで運んでくれた。
斎藤に渡されるままに石田散薬を口にする。飲み下しながら、土方と斎藤以外がこの薬を飲もうとしない理由がなんとなくわかった気がした。空になった湯飲み茶碗を返すと、斎藤は背中を支えて、が横になるのを手伝ってくれた。
「あ、やっぱり熱が出てきましたね。いま、冷やすものを用意します」
横になったの額に触れた千鶴が、そう言って部屋を出ていくのを潮に、集まっていた者たちも散っていく。そして、はすうっと眠りに落ちた。