賢者の贈り物 01

「恭弥。これ、やるよ」

 そう言って、ディーノがころんと雲雀の手に乗せたのは、とても綺麗なエメラルドだった。

 1センチ四方のいびつな逆四角垂。雲雀は宝石の良し悪しなんてわからなかったけれど、そんな雲雀が素直に綺麗だと思うのだから、ものすごい石なのだろうということくらいは、予想がついた。

 だが。

「いらない」

 ディーノの手に乗せ返し、雲雀はぷいと横を向く。ディーノがなぜ急にそんな高価なものを贈ってきたのかわからないが、高価なものなら雲雀が喜ぶと思うのならば、それは大間違いだった。

「えっ、いらねーって……恭弥。これ、気に入らなかったか?」

 おろおろとうろたえて、ディーノは雲雀とエメラルドを交互に見遣る。きっと、雲雀は喜ぶと思って用意したのだろう。確かに、外してはいない。

「別に。その石は綺麗だと思うよ」

「じゃあ、どうしていらねーんだ? 気に入ったなら、これはもう恭弥のもんだぜ」

 実は、これはディーノがエンゲージリングにするつもりで用意した石だった。だから、最高級と言われるエメラルドを何ヶ月も前から探して、ようやく手に入れたのだけれど。

「いらないと言ったら、いらない。何度も言わせないで」

 雲雀に冷たく言われて、ディーノは心底困ってしまった。雲雀がいつもの我儘で言っているのだったら、ディーノも言い返せたけれど、今度ばかりはなんだか様子が違った。雲雀がディーノのプレゼントを拒んだのは、これが初めてだった。

 途方に暮れたディーノに、雲雀は少し考えた後、ひとつだけ条件をつけた。

「あなたが、僕が貰って一番嬉しいものを見つけてこれたら、それを貰ってもいいよ。でも、今はいらない」

 そしてディーノは、イタリアに戻るまでにそれを見つけることは、できなかった。





 ディーノがイタリアに帰ってから、雲雀は少しエメラルドについて勉強した。そして、あの日ディーノが持ってきたエメラルドが、雲雀の想像をはるかに超えて、新車のセダンよりも高いことを知った。

 どうしてあの人、急にあんなお金を使ったんだろう?

 ディーノが訪れることもない並盛中の応接室で、ぽけっと天井を見つめる。

 高価すぎるプレゼントに無性に腹が立って、反射的に拒んでしまったけれど、もしかしたら、あれはものすごく意味のあるなにかだったのではなかったのだろうか。数週間も前のことが、今でも雲雀の胸にひっかかっている。

 次に会ったら、どうしてあの石をくれるのかを訊こう。あの人は、次はいつ日本に来るのかな。

 ディーノはいつも、直前予告で日本に来る。だから、数日中には来ないということだけは、わかっていた。早く電話してくればいいのに。ディーノの多忙を知っていても、待っている身としては、恨み言のひとつも言いたくなる。

 そこへ、ばたばたと廊下を走る足音が響いた。うるさいと思う前に、乱暴に扉が開かれる。

「ヒバリさん!」

 飛び込んできたのは、綱吉だった。隣にはリボーンもいる。綱吉は顔面蒼白で、今にも泣き出しそうな顔をしていた。

「廊下は走らないで。それと、ドアももっと静かに開けて」

「ひぃ! すみません」

「いったい何事、赤ん坊?」

 萎縮する綱吉にかまわず、リボーンに目を向ける。リボーンはいつもどおりの表情のよく読めない面持ちのまま、口を開いた。

「ディーノが行方不明になった」



「う、そ…」

 こぼれ出たのは、そんな誰でも言えるような言葉だった。どうして、どこで、いつ。訊きたいことは山のようにあるのに、口の中がからからに乾いて、それ以上言葉が出ない。

 綱吉が、呆然と立ち尽くす雲雀の肩をそっと押して、ソファに座らせてくれた。テーブルの上においてあった水のボトルに気付いて、雲雀に持たせる。

「キャバッローネはここのところ、縄張りを荒らす敵対マフィアとの抗争で、緊張状態にあった。ディーノの乗った車が消息不明になったのは、昨日の夜だ。すぐに捜索が始まったが、半日経った現在、まだなんの手がかりも見つかってねー」

 リボーンが淡々と説明してくれるのを、雲雀はどこか遠いところで聞いていた。そんな雲雀を、綱吉が辛そうに見つめている。

「生きてない、ってこと?」

 どうしても確認しておかなければならないところを、けれど直接的な言葉で訊くことができない。いちばん言いたくなかったところを訊かれて、さすがのリボーンも渋い表情を浮かべた。

「イタリアからは、まだどちらとも知らせてきてません。無事な確証はないけれど、無事ではないと決まってもいません。わかったことがあれば、すぐに知らせて欲しいと頼んであります」

 穏やかに説明したのは、綱吉だった。兄弟子の不穏な知らせに動揺していないはずはないのに、この場では自分の不安よりも雲雀のショックを思いやるべきなのだと、自ずと理解しているようだった。

「それでな。これを雲雀に渡すように、キャバッローネの幹部から託った」

 リボーンが取り出したのは、小さいが重々しいケースだった。中には雲雀の拒んだエメラルドを仕立てたリングが収められていた。

「確かに渡したぞ。なにかあったら、すぐに知らせる」

 長居せずに、リボーンは綱吉とともに出て行った。誰もいなくなった応接室で、雲雀は震える手でリングを摘み上げた。

 エメラルドには、キャバッローネの紋章が入っていた。リングのデザインはシンプルだが、とてもいい作りのものだと一目でわかる。左手の薬指に、それは驚くほど馴染んだ。

 指から外してもう一度見ると、腕の裏に、刻印が施されているのが見えた。

『per Kyoya, con amore eterno』

 恭弥へ。永遠の愛を込めて。

「いやあぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」

 拙いイタリア語の知識でもわかった刻印の意味に、雲雀は絶叫した。



「委員長。今日も昼食を召し上がらないのですか?」

 草壁の問いに、雲雀は無言で顔を背けた。

 ディーノが行方不明だと聞いて、1週間。雲雀は固形物が喉を通らなくなっていた。かろうじて、スープやヨーグルトは口にできたけれど、それさえも誰かに言われてのことだった。

 草壁は困ったように眉を寄せて、持ってきたトレイをテーブルに置いた。ガスパチョとライ麦のパンが乗っているが、置いていったところで、雲雀が手を付けるとは思えない。それでも、草壁は毎日、昼食を用意して運んでいる。

 雲雀はエメラルドのリングを握り締めたまま、終始、草壁に反応しなかった。

 ディーノに関する情報は、ボンゴレの次期後継者というコネで、綱吉の下に細かくもたらされていた。それを綱吉は雲雀にも知らせてくれている。

 消息を絶って20時間後に、ディーノが乗って出た車が、その日の外出先とはおよそかけ離れた森の中で見つかった。2日後には、どこのファミリーの差し金かも突き止めている。ディーノもロマーリオも不在の今、臨時に指揮を取っているボノから、敵ファミリーに接触すると連絡があったのが、一昨日のことだ。

 僕は日本で何をしているんだろう。ディーノのことしか考えられなくなった頭に、ふと自分の不甲斐なさが沸きあがった。

 こんなときは、何事もなかったかのように、風紀委員の仕事をする方が、僕らしい。あるいは、イタリアのキャバッローネに乗り込んでいって、早く見つけろってディーノの部下たちを叱り飛ばしてもいい。わかっているし、本来ならそうしただろう。雲雀を日本に止まらせているのは、エメラルドのリングだった。

 やっぱりこれは、ディーノが特別な意味で用意したものだった。僕は素直に受け取っているべきだった。受け取って、喜んで、ディーノを喜ばせてあげたらよかった。ディーノの顔も見られないのに、リングだけ貰ったって、嬉しくない。

 なのに、リングを手放すことは、もうできなかった。

 自分の望むものを持ってこいと言っておいて、自分はディーノの望むものを渡すこともできない。

 エメラルドのリングは、ディーノの愛の証であるとともに、雲雀の深い悔恨そのものでもあった。




「はぁ」

 ざわめく昼休みの教室で、綱吉はその日何度目になるかわからないため息をついた。隣にいた獄寺と山本が、心配そうに目を向ける。

「跳ね馬の奴、まだ見つからねーんすか」

「うん。これだけは父さんにも頼んでるんだけど、まだ何の連絡もないよ」

「親父さん、ディーノさんのこと、探せないんだって?」

「うん。同盟の関係で、この件にはボンゴレは手を出せないって。だけど、状況だけはなんとかして、最新情報を送ってくれるって」

 普段ディーノにはあれほど世話になっているというのに、こんなとき、ボンゴレを動かすこともできずにただ日本で情報を待っているだけの自分が、歯痒くてならない。ディーノのことももちろんだが、自分の守護者である雲雀が苦しんでいるのを、指を咥えて見ているしかできないことも、悔しかった。

「そろそろ今日あたり、またなにか連絡があってもよさそうなんだけど……。相手のファミリーを突付いてみるっていう話が一昨日だったから、その結果が出ててもいい頃だと思うんだけど、まだイタリアからはなにも言ってこないんだ」

 悲しそうにつぶやく綱吉をどう慰めたものかと、獄寺と山本は思案げに視線をめぐらせる。そして、ふと黒い人影を、校庭の隅に見つけた。

「なぁ、ツナ」

「10代目、あれって」

 山本と獄寺の声に誘われて目を向けた綱吉は、教室中が振り返るほどの声で叫んだ。

「生きてた!!!」


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